《登場人物紹介》

 とかくこの世は悪ばかり
 天は弱きを助けてくれず
 この世も弱きを助けてくれぬ
 晴らせぬ恨みを金で買い
 この世にはびこる悪人どもを
 闇に裁いて仕置する
 口外法度の仕置人

 雨が降っている。
 しかも土砂降りだ。
 その中に、一人、倒れている者がいる。その者の腹は真っ赤に染まり、顔からは既に精気が消えている。辺りは血の海。その血を雨が流していた。
 その、倒れている人物の名は…
 カモミール・芹沢。

「はっ…!」
 がばっ、と布団をめくり、目が覚めた山崎の耳に、ちゅんちゅん、という雀の鳴き声が響き、その瞳にまぶしい朝日が突き刺さり、相乗効果で山崎を現実の世界へ引き戻す。ああ、今までのは夢やったか、とようやく気づいて、山崎は大きな溜息を一つした。
「夢やったんか…しかし、妙に…」
 夢にしては妙に現実的だった。シュールな非日常ではない、まるで、今日か明日にでも起こってもおかしくない情景が、今も脳裏に焼きついている。山崎はすぐに立ち上がると大きく伸びをし、それから、とさっ、という音を立てて、その布団の上に正座した。
「…まぁ、こんな事いつまでも気にしても、しょうがないわな」
 そう自分に言い聞かせ、山崎はまた立ち上がった。

 外観だけではどういう施設か分からない、大きめの屋敷。その門の近くには、大きめの看板で「本日 龍の会」と書かれている。そこへ、慌てながら急いで走ってくる男が一人。
「お〜い!待て!待ってくれ〜!」
 烈は両手をめいっぱい振りながら走っていく。門が閉められようとするところへ、ようやく滑り込んだ。はぁ、はぁ、と、肩で息をしながら、烈はその場に座り込む。目の前に人の影。それに気づいて、思わず烈は上を見る。まるで忍者のような黒尽くめの服に身を包み、宝塚の男役のような、麗しい顔をした人物が、鎌を片手に持って立っていた。彼はそれを、素早く烈の喉元に突き出す。
「お、おいおい、待て、待ってくれよ。赤目…間に合ったろ!?」
 烈は青ざめて震える。赤目、と呼ばれた人物は頷いて刃を戻し、
「龍の会に理由も無く遅刻する事は許されない」
「分かってるって…」
 烈はそう呟いて、ゆっくりと立ち上がる。この赤目という人物は、男か女かは分からないが、とにかく、龍の会に属する仕置人の管理をしている。もし裏切ったり掟を破ったりしたら、彼に殺されてしまうのだ。このような鉄の掟で、龍の会は成り立っている。
「早く行け。みんな、待っている」
 赤目の急かす声に、烈は頷いて屋敷の中へと入っていった。

 駆けながら部屋に入ると、全員の視線が痛い。烈は頭を掻きつつ、辰蔵の前で土下座し、「遅れて申し訳ありぁせん!」と少し大きな声で言い、自分の座に着いた。雷蔵はそれを確認し、いつもの言葉を吐く。
「それでは、挙句を頂戴致しまして、本日の興行を終わりたいと存じます」
 集団が一斉に雷蔵の顔を見た。雷蔵は句が書かれた紙を辰蔵から渡され、
「かもみぃる 芹沢死出の 旅路かな」
 そう、少し咳き込みながらも歌い上げる。その言葉に、腕を組んでいた烈は全身が硬直した。顔から汗が垂れ、慌てて拭く。カモミール芹沢。確か、あの新選組の局長の一人ではないか。烈は、あの土方歳江が競りにかけられた時の事を想起し、ゆっくりと反芻していた。
「…依頼金は五百両でございます」
 周囲がざわついた。
 しかし、誰も手を挙げない。
「…五百両は確かに魅力だが、相手が芹沢となると…」
「ああ。あんな恐ろしい奴を、五百両じゃあとてもとても…」
 そんな声も聞こえる。京に轟いている芹沢の名前を、彼らはみんな知っているのだ。それが武名にしろ悪名にしろ、とにかく、芹沢は恐ろしい存在であると、おそらく、彼らは思っている。
 だが、烈は違う。烈は周囲の尻込みする仕置人たちを、その鋭い目で睥睨し、それからちらりと雷蔵を見た。そして、高々と手を挙げる。
「…この命、五百両にて落札」
 辰蔵の声が、しーんと静まり返った部屋の中に響いた。烈はその獣のような顔を崩さぬまま、ゆっくりと頭を下げた。

第四話 金髪無用

 ちょうど、山崎は仕事の合間をぬって針を研いでいる最中であった。そういえば今日は辰の日である。烈の店に行こうと思い立ちあがると、少しばかり歩いていってから障子を開ける。その時、山崎は今一番会いたくない人物と出会ってしまった。
「あ、山崎さん!」
 島田誠が、山崎の顔を見て人懐っこい笑みを浮かべた。思わず山崎は「う…」と呻いた。島田は妙な顔をしつつ、持っていた紙を山崎に見せる。
「あの、土方さんに渡す資料、まず山崎さんに目を通していただこうかと…」
「いや、今はちょっとあかんねや。後にしてもらえるか?」
「え?何かあるんですか?」
「まあ、監察の仕事がな」
「じゃあ俺も連れて行ってくださいよ」
 そう来たか。山崎は口をへの字に曲げる。
「これは極秘でな。あんたを連れて行くわけにはいかん」
「でも…」
「阿呆。男やったらすっぱり諦めんかい」
「それって性差別じゃないですか?」
「お前小難しい事知ってるな…」
 こんな、漫才のような会話が続いた後に、ようやく山崎の下に、彼女を助ける人物が登場した。土方歳江が、島田の背後から現れたからである。
「私が直接見よう」
 その土方の声に、山崎は安堵し、反対に島田は露骨に嫌な顔をしてみせる。山崎は島田を通り過ぎて歩いていき、振り返った。土方が山崎の方を向いて、手を動かし、さっさと行け、という仕草を見せる。山崎は軽く頭を下げて走っていった。

 烈の店の地下、つまり烈のチームのアジトに到着した山崎。まだ誰も来ていないようである。山崎は近くの小さな椅子に座り、手を顎の辺りにあてて、あの事を思い返していた。しかし、妙な夢を見るものだ。まるで芹沢が死ぬ、それも、誰かに殺されるような…。
「あ、居たのか」
 そう上から声が聞こえる。降りてきたのは如月だ。
「しかし、八月は忙しかったなあ…」
 如月は降りてくると、同意を求めるようにそう呟く。山崎は短く、ああ、とだけ言った。
 八月十八日に政変が起こり、長州の藩士と宮中の尊攘派の公家は、京都から追放されている。それからは、京都の街中は騒がしかった。新選組と見廻組は残党狩りに翻弄され、町方までも走り回っていたせいか、八月は龍の会は行われなかった。
「おそらく、あの残党狩りじゃ、無実の野郎も何人か混じってる。そろそろ、その恨みが地獄の底からふつふつと湧き上がってくる頃だ」
「仕事になるいう事か?」
「そうだ。…ありがてぇ事じゃねえか」
 如月は乾いた笑いを見せる。その時、上で、ごとり、という音がした。二人が待ち望んでいる男、烈が顔を覗かせる。その顔に山崎は妙なものを感じた。烈が妙に真面目な顔をしているのだ。これはかなりの大物かも知れない。腕が鳴るというものだ。
「…今回の仕置はな。大物だぞ。おめぇら、聞いて驚くなよ」
 烈は近くの椅子に座る。山崎と如月は、次の烈の言動に注目した。烈は難しい顔をしたまま、ゆっくりと口を開く。
「…カモミール・芹沢」
 ふっ、と、誰もが動くのをやめた。まるで時がとまったかのように。烈は如月と山崎の顔をちらちらと見た後で、
「…どうだ。びっくりしただろ」
「な、なんで…?」
 目を大きく見開いている山崎を見て、烈は不思議に思う。前に土方が競りにかけられた時は、自分にぶつかってきたはずだ。それが、今回は何も手を出さない。とにかく、烈は自分の考えを山崎に言っておこうと、ゆっくりと話し始める。
「そんなもん知るか。…だがな、俺もてめぇの事しっかりと考えてんだぞ。どうも、今回の一件は白黒はっきりしねえ。五百両とかいう馬鹿みてぇな大金の出所も気になるしな。だから、俺が競り落としたんだ。次の辰の日までに、かけられた嫌疑を晴らせば、芹沢殺しの依頼は取り下げられるはずだ」
「もし、本当だったら…」
「殺すしかねぇやな。てめぇもその辺はよーく分かってるはずだろ?」
 しかも、である。次の辰の日までに何とかしなかったら、今度は烈をはじめ、山崎と如月も殺されてしまうのだ。しかし、この依頼を烈が受けなかったら、他の仕置人たちによって、芹沢は殺されてしまう事になる。競りが流れたとしても、誰かが競り落とすまで芹沢の競りは終わらない。それを考えれば、烈の判断は賢明だったと言えるのかもしれない。
(予知夢やったんかな…)
 あの夢の事を、山崎は思い返していた。
「…カモミール・芹沢を、殺してやりたいと腹の底から思っている奴か…」
 そう呟いて如月は、ちらりと山崎を見る。その視線の意味が山崎には分かっていた。
 そう、多すぎるのである。
 思えば、あのお揃いの隊服の代金も、芹沢が強引に踏み倒している(後に会津から金は支払われている)。あの「押し借り」も、ほとんどの幹部たちが行っているが、中でも芹沢が獲得する資金の方が多かった。表では悲しげな顔をしていても、裏で爪を研いでいる…そんな商人が居てもおかしくはない。それも、五百両もの大金を使ってまで芹沢を殺そうとする、恨みが骨髄にまで達している人物が。
「…調べてくるわ」
「おう、頼むぜ」
 烈がそう呟くと、山崎は階段を昇っていった。

 山崎は、新選組屯所に舞い戻った。自分の部屋をちらりと見て、島田が居ない事を確認する。沙乃や斎藤もいないところを見ると、どうやら巡回に出ているらしい。山崎は安心して、芹沢の部屋の前まで来た。
「…山崎です」
 そう呟くと障子が開けられ、にこやかな顔をした芹沢が立っている。
「あれ、すずちゃん?どしたの?」
 最初、山崎はきょとんとしたが、すぐに頭を切り替える。山崎が入隊した時から、芹沢は彼女の事を「すずちゃん」と呼んでいる。今でも、その呼び名に慣れないでいる。
「ちょっと、お話が…」
「ん?ああ…じゃ、入って」
 そう言われ山崎は芹沢の部屋に入り、障子を閉めた。
 最初、仕置の事を話そうかと思ったが、芹沢にはまだ、自分が仕置人であることすら知られていない。今のところ、隊内で知っているのは、大坂に居た時に殺しを見られた土方だけ。知られるわけにはいかない。
「…もしかして、大和屋の事かな」
 その芹沢の呟きに、はい、と山崎は呟いた。
 新選組が、七月に大坂に出張した留守中、仏光寺高倉の油屋、卯兵衛方に何者かが押し込み、土蔵から金銀を出させ、挙句の果てに卯兵衛とその妻を千本西野へ引っ張り出して首を斬り、それを三条橋に晒したという事件があった。この時、「我ラキンノー也。奸商ヲ誅罰ス。大和屋庄兵衛及ビソノ他ノ巨商モ同罪タレバ近ク梟首スベシ」と札に書かれてあり、当然びっくりしたのは当の庄兵衛である。慌てて守護職を通じて新選組に保護を求め、近藤や土方、それに芹沢はそれを了承した。
 ところが。
 大和屋は、キンノーに巨額の献金をしたという事実が、浮かび上がったのである。
 この話を聞いて、芹沢は頭にかあっと血が登った。置いてあった自分の杯を、思わず持っていた鉄扇で叩き割るほどであった。腹の虫が収まらないのである。
「芹沢さん、大和屋なんか捨てておけばいいんですよ」
「そうだよ、カーモさん。あまり気にしないで…」
 土方や近藤はそう言って芹沢を慰めたが、芹沢は顔を真っ赤にしたまま、手を震わせている。
「許せないよ。あいつ…あたしたちに助けてくれって言っときながらっ…!」
 芹沢の頬を悔し涙が伝っているのが、少し近くで見れば分かる。芹沢の言葉に、近藤と土方は黙った。二人も、そう叫びたいほど悔しかったはずだ。
 しかも、大和屋がキンノーに献金したという情報は、山崎が持ってきた物なのである。山崎もこの事件に関しては責任を感じていた。
 事件はその後に起こった。八月十三日、何者かの大砲によって大和屋が焼き討ちされたのである。幸いにも庄兵衛は出かけており留守であったが、大和屋の店は全焼し、女中や番頭ら、大勢が死んだ。これは、カモミール・芹沢の仕業であるともっぱらの噂であった。彼女がカモちゃん砲という物を持っているのは、みんな知っているからである。しかし彼女はアリバイがあった。新選組のほとんどは、芹沢の事を弁護したが、新選組の隊服を着た者たちが、大砲を撃っていたと証言する町民もたくさんいた。それを指図したのが芹沢だというのだ。土方は、とりあえず、あまり外に出ない方が良いだろうと、芹沢をしばらく謹慎させた。
 そして、芹沢が競りにかけられた。
 話としては、正しい。
 しかし…。
 山崎には、納得がいかない。
「あたしじゃないよ」
 突然、芹沢の吐いた言葉に驚き、山崎は目を大きく見開いた。それから、頷く。
「あんな事…絶対するもんか…」
 山崎はもう一度頷いた。

 山崎は屯所を出、薬屋に変装して大和屋のあった場所へと向かった。店は影も形も無いが、注連縄しめなわが四方に張られている。近くには大きな屋敷があった。確か大和屋の私宅だ、と山崎は思い返す。そこにもずいぶん人が集まっている。この人数では忍び込むのも難しそうだ。何かあるのだろうか。
「ずいぶん集まってますな。何かあるんですかー?」
 山崎は人だかりの後ろからそう呟いた。近くにいた男が振り返り、
「大和屋さんの店の地鎮祭があったんですわ。そんで、これから、大和屋さんが工事の成功を祈って、屋敷で餅まきをするんだそうで、みんな集まってるいうわけですよ」
「ああ、成る程…しかし、大和屋さんも災難でしたなあ」
「まったく。…しかしまあ、油屋卯兵衛さんの身代も大和屋さんが買い取ったっちゅう話ですから、これからまた元気になるのちゃいますかね?」
 …そんな馬鹿な、と言いかけて、思わず山崎は咳き込む。
「…ほんまですか?油屋卯兵衛さんといえば、先月キンノーに殺された、油屋の…」
「卯兵衛さんとこは、跡継ぎがおらんくて店が宙に浮いたままやったんですわ。それを、卯兵衛さんと懇意やった大和屋さんが買い取る言いはりましてな、大和屋さんも焼き討ちに遭った事やしと、わずかな金額で…」
(芹沢さん…もしかしたら、はめられたんちゃうか)
 山崎は心の中で呟いた。大和屋の屋敷に忍び込む価値はある、と、山崎は思った。

 如月は、陣屋の中で茶をすすっている。ちょうど、今日は非番だ。廊下をちらりと見ると、盤面をじっと睨んでいる男が一人。如月は立ち上がって、男の側へ近づくと、
「…角で歩を取る」
 そう呟いた。男は如月をちらりと見たが、あまりこだわらないらしく、
「いや、俺もそこまでは考えたんだがな」
「その後で、金を動かせば詰みですよ」
「おお、そうか」
 男はにやりと笑った。
「どうだ、二人いる。どうせ非番だろう。一番やろうじゃないか」
「ええ、まあ…」
 如月は男と向かい合わせになる。
 如月も、芹沢が狙われる心当たりはあった。当然、大和屋の一件である。
「例の大和屋の一件ですが」
 世間話でもするような感じで、如月はそう呟く。ん、と言ってから、男は如月の顔を見上げ、
「あれも馬鹿な話だな。どうして我々に保護を求めず、新選組にしたのか理解に苦しむ。聞けば、大和屋はどうしても新選組に保護を、と、懇願したそうじゃないか」
「ははぁ…」
「あんな侍だか何だか分からぬ者だから、ああなるのさ。まあ、新選組の気持ちも分からんではないがな…」
 どうしても新選組に保護してもらいたい理由。それが分からない。

 数日過ぎて。山崎は、烈の店で布団に寝転がっている。烈は井戸の水で手を洗うと、ゆっくりと背伸びをして、山崎の肩をゆっくりとマッサージし始めた。
「で、てめぇの考えってのを、聞かせてもらおうじゃねえか」
「…大和屋は、新選組が憎かったんや。同時に、油屋卯兵衛の身代も手に入れたかった。ある時、これを一挙両得する術を思いつき、まず、卯兵衛とその妻をキンノーの仕業に見せかけて、誰かに頼んで殺させ、わざとあんな札を立てて新選組に保護を求め、それから自分がキンノーに献金したという噂を裏で流す。それで、新選組の大砲を使って店を焼き討ちして…」
「そりゃあ、無理だな。むちゃくちゃだ」
 真上で烈が笑う声が聞こえる。
「俺も、最初の方は何とか納得出来るな。だが…その後がいけねえ。新選組の大砲…あれ、芹沢が使ってる奴だろ?あれをどうやって盗み出すんだ」
「…」
「ま、新選組の中に、裏切った奴が居る…おそらく、大和屋に金で買収されたんだろう…そういう奴がいるかもしれねえ。そうなれば、話は別だ」
「裏切り者が!?」
「馬鹿野郎、声が大きい」
 慌てて山崎は口をつぐんだ。

 翌日。
 大和屋の家に忍び込むのは、意外と簡単だった。山崎は静かに動きながら、天井裏に開いている小さな穴から、中の様子を覗く。茶色い商人風の服を着た男が一人、茶を飲んでいた。
 大和屋庄兵衛は、機嫌が悪かった。五百両まで出した仕置の依頼。一向に、芹沢が死んだという一報が入らない。あまり忍耐力が強くないのが、この男の短所であった。
「…参りました」
 障子の奥で声がする。庄兵衛は「入れ」とだけ言った。障子が開けられ、二人の若い男たちが入ってくる。彼らを見て、山崎は声をあげそうになった。七月の末、京都浪人と名乗って、御倉伊勢武、荒木田左馬之亮という男二人が新選組へ入隊してきたのだが、その二人が現れたからだ。男たちは庄兵衛を前にして座り、荒木田が障子を閉める。
「お前ら…何しに来たんや?」
 その静かな庄兵衛の声に、二人は平伏する。
「まだや、まだ芹沢は死んでへんのやぞ!何が仕置人や、たかだか一人の女の命消せへんやないか!」
 彼らは決して悪くないのだが、庄兵衛はイライラを彼らにぶつける。山崎はゆっくりと、細心の注意を払って場所を移動した。
「新選組にお前らをもぐりこませ、油屋の卯兵衛まで殺し、そして、運良く大砲まで盗み出した。これも、全ては新選組を壊すため。新選組の信頼を落とし、京の幕府勢力を、弱まらせるためやないか」
 そうか、ここにでかいキンノーの親玉がいたわけやな…。
 山崎は、庄兵衛を驚愕の思いで見つめていた。しかし…、自分の店を燃やしてまで、新選組の崩壊に執着するとは…。人の執念とは恐ろしいもんやな、と山崎は改めて思う。
「これ以上、わしゃ待てへんぞ。お前たち、何のためにお前たちに銭払ってると思うとるんや。もう、仕置人なんぞに構ってられんわ。お前たちが殺せ!」
 はは…と、声を上げて二人は平伏する。
「三日後、祇園の“花の尾”にて宴会がございます。その帰り道に」
 その荒木田の声に、庄兵衛は満足そうに頷いた。そういえば、少し前に土方から、芹沢を慰めるために宴会を開くという話があった。恐らく芹沢が酔った時に狙おうというのだろう。
「庄兵衛様」
 御倉が、少し進み出て言った。
「わざわざ、自分の店を燃やさなくても良かったのでは…」
「わしは、火を見るのが好きでな」
 一瞬、沈黙があった。
「…新選組をぶっ潰して、京の町を火の海にしてくれる。全て焼き尽くしたるわ」
 あははははは…と、庄兵衛は狂ったような笑い声をあげた。
 必ず、この男を殺す。山崎は心に誓った。ただ、それだけのために、自分の身勝手のために、女中や番頭をもこの男は焼き尽くしたのだ。

 烈が、近くの定食屋で夕飯をたらふく食べ、爪楊枝を咥えながら家へ戻る最中。背後に妙な気配があり、烈は立ち止まった。いつぞや、龍の会に遅れそうになった時も感じた事のある気配。ここでは厄介である。烈は人気の無い路地に入った。
「…もうちょっと待ってくれねぇか。まだ、次の辰の日にゃ間があるし、それに、今回の一件、どうもいけねえ。俺は昨日も、元締めにそう申し上げたはずだぜ」
 烈が振り向かずに小声でそう言っても、後ろの気配は動かない。俺を殺しに来たんなら、やるしかねえ。そう思って、烈はゆっくりと手を動かす。
「…今回の仕置は、依頼内容が偽りだった事が明らかになった。芹沢への仕置は無しになった」
「…そうかい」
 ふう、と、烈は大きな溜息をする。
「やっぱり、依頼人は大和屋だったんだな」
「…そうだ。偽りの依頼をした者には、死が与えられる」
「大和屋の悪行も明らかになった。大和屋一味の仕置、俺たちに任せてくれねえか?」
「…そう言うと思ったよ」
 背後で、がしゃん、という、金物が落ちる音がした。烈が振り返ると、紫色の風呂敷に包まれた小判があった。ちょうど、五十両。烈が怪訝そうな顔をすると、
「五百両は、芹沢を殺す為の金。お前たちが仕置を終えた後、私が大和屋の元へ置いていく。その金は、元締めからのお詫びだ」
 烈は無言でその風呂敷を取り、赤目を見たまま動かない。
「どうした…?私が殺してもいいのだぞ」
「馬鹿言え。…俺たちがやる」
 結局金は十分の一になったが、烈は満足だった。

 宴の日である。
「なんか、雨が降りそうだねえ〜」
 雲行きの怪しい空を見て、芹沢が思わず呟く。屯所の奥から番傘を二つ持った山崎が現れ、一つを芹沢に渡した。
「ありがとう〜、すずちゃん。なんだか、最近あたしにべったりだけど…いいの?」
「何がです?」
「監察のすずちゃんが、歳江ちゃんじゃなくてあたしにくっついてるなんて、なんか変」
 何かに気づいたのでは、と山崎は芹沢の顔を見たが、いつもと変わらぬ顔だ。いやいや、自分の勘違いだ…そう思い山崎は首を少し振って、
「いやー、人間てのは一人じゃ生きていけまへんわ。仲良くせな」
「まあ、そりゃそうだけど…」
 芹沢はけらけらと笑った。
 どうやら全員集まったようである。近藤、土方、芹沢、山崎、原田、永倉、沖田、斎藤、そして島田。他に御倉、荒木田。あ、山南や井上は屯所で留守番だ。
「それじゃー、行きましょう」
 そう言った後に、近藤が前方に指差し、レッツゴー、と大きな声で言うと、みんな付いていく。ぞろぞろとばらばらになって歩き、しんがりは山崎だ。御倉たちは、さすがに今、殺しはしないはず。芹沢が狙われるのは酒を飲み、帰る時だろう。山崎は少し距離をとって、新選組の面々の後ろを歩いていく。烈の店の隣を通りかかると、扉の後ろからそれを見ていた烈と如月が、忍び足で山崎の後ろへと向かい、歩いていった。
 花の尾に新選組の面々が集まると、上座の真ん中に芹沢が座り、その隣に近藤、其の近くの、少し下座に近い席に土方が座り、後はその近くにずらっと座布団が並んでいる。隊士はそれぞれ思い思いの場所へと腰を下ろした。
「え〜、今日は、芹沢局長を慰めるための宴会です。カーモさん、では一言お願いします」
 近藤が備え付けのマイクで、至極簡単な挨拶をした後で、芹沢にマイクを渡す。
「えー、それじゃ、ぱーっといきましょう!」
 そう大声で言う、既に顔が少し赤くなっている芹沢。もしや、もう飲んだのか、と思い芹沢の席を山崎が見れば、数本の徳利が空になっていた。あっという間に大騒ぎが始まる。
「烈はん、堪忍ね。隣で新選組がどんちゃん騒ぎやってるから…」
 烈が持っている杯に、舞妓がそう呟きながら酒を注ぐ。
「ま、たまにゃこういう日もあるだろ…別に、おめぇが悪ぃわけじゃねえさ」
 そう呟いて、烈は杯を一旦置く。すぐに酒を飲んでは、アルコールがあっという間にまわってしまう。少し料理を食べつつ、烈は注がれた酒をちびちびとやり始めた。
「そういえば烈はん…」
 舞妓がぼそぼそと呟く。
「烈はんがこの前言ってはった、この店の番頭の服貸してくれいう話…」
 そう言って、近くにあった白と黒と縞模様の服を指差した。
「おう、すまねえな。今度、出張でこっちに来たら只にしてやるよ」
「別にええけど…何に使うん?」
「ん?いや…前から着てみたかったんだよ」
 そう言うと、烈は含み笑いをして見せた。
「おかしな烈はんやな」
 舞妓もつられて笑った。
 さて、少し時間が経って、舞妓が自分の部屋へ化粧を直しに行った頃、隣で「ちょっと厠へ…」という声がする。烈は障子を少し開けて廊下をちらりと見た。間違いなく、荒木田が歩いていくのが見える。烈は近くにある、番頭の服に着替えると、障子をゆっくり開けて、標的…荒木田の前へ出た。
「おお、ちょうどいい。厠はどこだ」
「へい、こちらで…店の外にあるんで、ちょっと遠いですが我慢してくだせぇ」
 そう呟いて、烈は荒木田の前を歩く。しばらく歩き、階段を下りて店の外へと出た。荒木田は怪訝そうな顔をしたが、まあ、相手は店の服を着ている番頭だ、間違いは無い。あまり人気の無いところで、突然前の男が立ち止まり、振り返ったので、荒木田は慌てて立ち止まる。
「おい、どうした…この道の先にあるのか?」
「…へい。…あんたが行く、地獄の一丁目がね…」
 相手から、言い知れぬ殺気を感じた荒木田は刀を抜こうとしたが、既にその手は烈の右手に封じられていた。残る左手が荒木田の胸へ入り、確実に荒木田の骨を砕く。烈は刀を抜いて荒木田の腹へ突き刺すと、そのまま店へと戻っていった。

「うちも厠行こうかな…」
 そう呟いて山崎が立ち上がる。既に周囲は阿鼻叫喚の地獄絵図。あっちこっちで馬鹿騒ぎの応酬。顔を赤らめていないものなどいない。山崎が立ち上がっても、それにリアクションをする者はいなかった。完全に、酔いが回っているのであろう。山崎も少し飲んだが、前後不覚になるほどではない。殺す相手、御倉は山崎の近くで障子にもたれている。目をつぶって眠っているようにも見える。山崎は廊下に出、障子を閉めてから歩いていき、障子越しに針を御倉の延髄に突き刺した。御倉は眠るように前のめりに倒れた。
 そのまま山崎は料亭の中を一周し、戻ると宴会場は静かになっていた。何の反応も無い御倉に、周囲の酔いが少しずつではあるが、冷め始めたのである。
「あ、山崎さん、ちょうどいいところに!」
 島田が慌てて山崎の下へ走ってきた。
「何かあったんか?」
「いや、御倉君がさっきから反応無くて…」
 山崎は走って、御倉の頬を叩いたり、脈を診たりしたが、やがて首を振った。
「あれやな、心の臓の発作ちゃうかな?浴びるほど酒飲んでたようやし…酒もな、度が過ぎると人の命奪う事もある。みんな、気ぃつけなあかんで」
 こんな事を言われては、テンションも下がるというものである。みんなが青い顔をして、酒には手をつけず水ばかりを飲み始めた。

 大和屋庄兵衛は、おそらく、いてもたってもいられなくなったのだろうか、家の中で酒を飲むのをやめ、外へ出ていた。しばらくうろうろしているうち、左側から侍らしき男が歩いてきたのを見て、まさか、自分の配下の二人かと近寄ったが、侍は口元を何かで覆っているので良く分からず、通り過ぎようとした。
「大和屋か」
 侍が振り向いてそう呟いたので、庄兵衛は「はい」と言って頭を下げる。
「天誅!」
 そう、大声をあげて如月は抜刀し、素早く庄兵衛を頭から叩き斬った。何が起こったのか分からぬまま、大和屋はその場に崩れ落ちた。如月は音も無く走り去っていく。少し経ってから、周囲からわらわらと人が集まり、大和屋庄兵衛の遺体を発見すると、大急ぎで奉行所へ通報したのだった。

 翌日、ほとんどの隊士は屯所で倒れていた。二日酔いである。土方は無理をし、あまり変わりない芹沢と談笑などしていたが、彼女の顔を見る限りかなりきつそうだ。それを山崎はちらりちらりと見つつ、目の前にある茶を一口すすったり、お茶菓子を食べたりしていた。
「...まあ、あれですよ...御倉は心の臓の発作、荒木田は切腹だそうです...」
「あ、そうなんだ。でも変だね、いきなり二人とも死んじゃうなんて」
「…いや…前々から怪しかったんで…キンノーじゃないかとも言われてましたし…別にいいんじゃないかと…あ、は、は」
「歳江ちゃん、大丈夫?休んでたら?今日はあたしと、すずちゃんでなんとかするから」
「…いえ、別に…大丈夫ですよ…」
 土方は死にそうな顔をしながら、頭を押さえている。大丈夫なわけがない。しかし、ようやく土方は立ち上がり、ふらふらと歩きながら自分の部屋へと向かった。幹部の部屋には、芹沢と山崎だけが残された。芹沢は山崎をちらりと見る。
「大和屋がキンノーに殺されたそうだけど…」
「はい。顔は分からんかったそうですが、天誅って言ってたそうですから…」
「あ、そう」
 あまり大和屋のことは気にも留めない様子だったが、芹沢はまだ山崎を見ている。
「…すずちゃん、仕置人って知ってる?」
「は?」
「…江戸にいた時に聞いたんだけどさ、晴らせぬ恨みを金で買って、その人の代わりに恨みを晴らすっていう職業があるんだって。こっちにもあるのかな〜と思って」
「うちも、話には聞いた事ありますけどね、ただの噂なんちゃいますのん?」
「まあ、何でもいいけどさ。なんだか最近、心の臓の発作とか何だとかで、何人も死んでるじゃん?しかも、後でそいつらが死んでもしょうがないような悪党だったって分かる…」
 こういうのには慣れているはずだ。山崎はいつもの自分を保とうとする。芹沢は、やっぱり山崎を見たままだ。今回は確かに危ない仕置だったが、全員に知られぬようやったはず。気づかれるわけが無いのだ。しかし、万が一という事も…そう思いながら、山崎は芹沢の視線に耐えていた。
「芹沢はんは、なんでまた仕置人ちゅうのが気になりますの?」
「そりゃ、かっこいいからでしょ」
 山崎は思わず腰が抜けそうになった。
「なんかさー、憧れるよねー。ああいうのってどうやったらなれるのかなあ」
 あははは、と笑っている芹沢を見て、かなわんわ、と思いながら、山崎はお茶を一口飲んだ。


(おまけのSS by若竹)
【島田】 カモちゃんさんの仕置きが五百両で依頼されたそうですよ。
【山崎】 依頼人は誰やろな?
【藤堂】 私はトシさんが怪しいと思うな。
【土方】 失礼な!
【近藤】 そうだよ! カーモさんも仲間なんだよ! 仲間を殺すなんて!
【藤堂】 史実だとサクッと斬るんだよね。
【近藤】 へーちゃん・・・・。まあ、それはそうなんだけど・・・。
【土方】 五百両か・・・・そんな大金、どこにもないなあ・・・。
【島田】 ウチは貧乏ですからねえ。


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