とかくこの世は悪ばかり
天は弱きを助けてくれず
この世も弱きを助けてくれぬ
晴らせぬ恨みを金で買い
この世にはびこる悪人どもを
闇に裁いて仕置する
口外法度の仕置人
外はあいにくの雨。今にも止みそうな小雨だが、あまり外には出たくない雰囲気だ。
少し暗い一室で、山崎は針を研いでいる。島田は確か市中見廻りのはずである。ようやく、ゆっくりこれが出来る、と思った。上手く研がれていない針を使うと、体にすっと刺さらないばかりか、相手も痛がってしまう。重要な作業なのである。
何本目かの針を研ぎ終えた頃である。どたどた、と数名の足音がこちらに近づいてくるのが分かった。また急患やろか、と山崎は思った。山崎は針医であった為、針灸の他にある程度の医学も学んでおり、傷ついた隊士などの治療も行っているのだ。
「山崎さーん、急患!」
あれは沙乃の声だ。ゆっくりと顔を上げて、「はいはい」と山崎が呟くと、荒々しく障子が開けられ、苦しそうな顔をして、「いたたたた…」と言っている島田と、それを抱いている沙乃と斎藤がいる。二人は部屋に入ると、ゆっくりと島田を寝かせた。
「…どないしてん?」
「ちょっと高いところから落ちちゃって…」
そう、斎藤は呟いて、ばつが悪そうに頭を掻いた。
土方、沙乃、斎藤、島田の四人は市中見回り中、常日頃からこの辺りにあるだろうと言われていたキンノーのアジトを発見し、島田が偵察を任された。高い木の上によじ登り、屋敷の様子を窺おうとしたところ、ちょっとした拍子に落下したというのだ。
「頭から落ちたんか?」
「いえ…」
なら大丈夫だ。しかし苦しそうな表情をしているところを見ると、おそらく腕か足の骨が折れたか、はずれているのではないか、と山崎は思った。骨接ぎは自分の仕事ではない。
「こら、うちの手には負えんな…。いい骨接ぎ師を知ってるさかい、今から連れてくわ」
そう言うと沙乃と斎藤は頷いた。
運ぶのは斎藤と山崎に代わっている。ちょうど雨も晴れたので、山崎は烈の店を目指した。壬生を出て数分、ようやく烈の店の前まで来たが、気配がない。ただ一枚、小さな木の板がぶら下がっており、そこには文字が書いてある。「辰の日は勝手ながら休ませていただきます」と読めた。
「あっ」
思わず声が漏れた。そういえば、今日は辰の日だったか。烈は競りに行っている。
「辰の日?…ああ、そういえば、龍の会があるんですね。確か、句会でしたっけ?」
斎藤が後ろから呟く。山崎は斎藤と一緒に島田を下ろすと、
「句会やから、時間かかるって事もないやろ。少し待たせてもらおか」
そう呟いた。
しかし、いつの間にやら、島田を助けることが第一だったのが、烈が依頼を競り落としてくるかどうかの方が気になっている。
第二話 友情無用
「桜散りて 死霊どもの 散る日かな」
ちょうど、龍の会は競りの真っ最中であった。雷蔵が辰蔵の句を読み上げると、
「依頼金は二百両でございます」
少し間を置いてから、次々に声がかかっていく。烈は手を挙げて「九十両!」と叫んだ。すると、誰もが沈黙した。雷蔵が「九十両…ございませんか?」と呟く。どうやら、それより下の値を付ける者はいないようである。こりゃあいいぜ、と、烈はにやりと笑いながら辰蔵の言葉を待った。
「…この命、九十両にて落札」
烈が家路を急いでいると、自分の店の前で男がうんうんと唸っているのを見て仰天した。どうやら急患らしい。隣には背の低い男と、山崎雀もいる。何やってやがんだ、と思い、烈は走り出した。
「すみませーん、急患です!」
斎藤が手を挙げてそう叫ぶ。烈は倒れている島田の前まで来ると、とにかく部屋へ運ぶよう指示し、自分は鍵を開けて中に入る。後から二人が島田を運んできた。烈は島田の体をゆっくり触っていく。ああ、これだな、と、左足を触った。島田の体が一瞬痙攣して、「ううっ」と呻く。どうやら痛いようだ。患部は分かった。
「…なぁに、足の骨が外れてるだけだ…おいお前」
と、斎藤を指差し、
「肩の辺り持ってろ」
言葉の勢いに押されて、斎藤は島田の肩の部分を押さえた。
すうっ、と、烈は指を左足に滑らせ、ずぶっ、と、指をそこに潜らせる。外れている足の先を掴み、ぐっと体の方向へ押し出すように力を入れた。島田の顔が苦悶で歪む。べき、という音がしたので、列はもう一度左足を撫でてみる。どうやらつながったらしい。便利なもんやな、と山崎は思った。
「…歩いてみろ。もう治ってるから大丈夫だ」
苦しそうな顔をしながらも、よっこらせ、という感じでゆっくりと島田が起き上がり、恐る恐る足を曲げてみる。まだ多少の痛みはあるそうだが、島田は時間をかけて立ち上がることが出来た。それを確認して、烈は近くの戸棚から貼り薬を出す。いわゆる膏薬だ。
「これを一日おきに足に貼っとけ。それと、今日明日は大事をとって休んどけよ。骨はつながったが、時間をおかねぇときっちりつながらねぇ」
島田はぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました。…なんだか、膏薬って年寄りくさいですよねえ」
とんちんかんな事を言う島田を、烈がぎろりと睨みつける。
「んだぁ?なんだったら骨ばらばらにしてやってもいいんだぞ」
島田はとたんに真っ青になって首を横に振る。烈は笑みを浮かべた。
「じゃあ、うちが金払っとくさかい、あんたらは先に屯所へ帰っとり」
「あ、すみません、山崎さん」
斎藤がそう呟いてから立ち上がり、島田に肩を貸してやる。よろよろと島田は歩きつつ、山崎を見ると頭を下げてから、斎藤と一緒に去っていった。島田はがっくりとうな垂れている。おそらく、この後副長のお叱りがあるのだろう。
「…金の話は下でな」
大きなあくびを一つしてから、不意に烈はそう言い、立ち上がると扉を閉め改めて鍵をかける。畳を持ち上げ、地下室へと通ずる階段を下りていった。ここが彼らのアジトである。
数分後に如月が到着し、烈が今回の相手の事を話し始めた。
「…相手は死霊組っつう、三人組の押し込み強盗だ。てめぇら、名前ぐらいは聞いたことあるだろ」
如月と山崎はほぼ同時に頷く。死霊組といえば、最近京の町を震え上がらせている押し込み強盗である。夜に民家に入り込み、そこに住んでいる者たちを全員殺してから金品を奪うという手口で、かなりあくどい。
京都町奉行所は深夜の警備を強化したが、それをあざ笑うかのように犯行は続き、京の住民は寝られない日々を過ごしているという。
「確か、捕まったっちゅう噂を聞いたんやが…ありゃ違ったんか?」
山崎がそう言うと、烈は首を振って、また話し始めた。どうやら続きがあったらしい。
烈の話によると、一度、死霊組が犯行を行った時間帯に怪しい男が目撃され、奉行所に捕まったが、すぐに釈放となった。そしてその直後、その男を目撃した者が殺された、という。
「その怪しい男ってのは?」
「大村屋っていう小さな薬屋の主人、喜八郎っつう奴だ。まあ、博徒あがりだとか、若い頃に人殺しただとか、あまり良い噂を聞かねぇな」
如月は鼻の頭を掻く。
「…じゃあ、俺は奉行所へ行って、その話聞いてくる。話はそれからだな」
おうよ、と烈が呟く。如月は頷くと、階段を大急ぎで上がっていった。それを見た後で、烈は山崎の前に手を突き出す。さっきの治療費を寄越せ、と言いたいようだ。
「…はいはい。あ、知り合いなんやから少しはまけてくれへんか?」
「おいおいおい!あれは商売でやってんだぞ」
「なぁ〜、うちとあんたの仲やんかぁ」
そう、猫なで声を出す山崎を、烈はまるで汚いものを見るような目つきで睨んだ。
「うるせぇな!俺ぁてめぇみたいなガキぁ嫌ぇなんだよ!」
「あー!うちの一番気にしてる事を!」
結局、取っ組み合いの喧嘩が始まるのであった。
江戸の奉行所は南北とあるが、京都町奉行所は東西にある。
如月が東町奉行所に向かうと、目当ての男がちょうど屋敷から出るところであった。かなり不思議な顔つきをしている。まるで羽子板のような長い顔をし、そこにぎょろりとした目と小さな口がくっついているのだ。
「辰巳さーん、如月です、すみません、お話したい事があるんですが」
如月が手を挙げてそう叫ぶと、男は目を如月に向け、面倒だなと言いたげにこちらに向かってきた。辰巳大二郎は如月の兄、如月清十郎と親友だった男で、もちろん勘十郎とも付き合いは長い。辰巳もまた京都見廻組に在籍しているが、この日は奉行所で調べ物をしている、という事を如月は知っていた。
「おう、如月か」
「はい。…例の、死霊組の一件」
辰巳は露骨に嫌な顔をした。何か嫌な事があったのだろうか。
「ああ、あれか。まったく、酷い話だよ」
「というと、あれは本当なんですか。下手人らしき男が捕まったが、釈放されたというのは」
「ああ、奉行所の奴らに何度か聞いてみたが、そうらしいな」
「じゃあ、なぜ釈放に?」
耳を近づけろ、と辰巳は小声で言った。
「…本山左近という与力がいるんだが、そいつが証拠不十分だと言って釈放させたらしい」
本山左近、確か何度か見ている。顔つきから見ても、酷く真面目そうな与力である。「そんな馬鹿な」と如月は思わず呟いていた。いくら与力でさえ、そんな身勝手な行動が通るとは思えなかったからだ。しかし、辰巳は困った顔のまま首を振った。
「しっかりした証拠がない限り、捕らえるなと本山は言ったようだな。…確かにそれは正論だが、既に目撃者がいるのに、こんな事を言うのはおかしい。そして、その後目撃者は殺されている」
うーん、と唸って、如月は腕を組む。しかしなあ、と辰巳は呟いた。
「今更何を言っておるのだろう、その本山という男は。喜八郎を拷問にでもかければ、暴露するだろうに…」
皆目見当がつかない、という顔を辰巳はする。如月は、これで俺の役目はある程度済んだな、と思った。本山の行動の不自然さ、もしかしたら死霊組と何かつながりがあるのかもしれない。本山と大村屋、おそらく、このどちらかを死霊組は根城としているはずだ。
まったく、こういう仕事は全部うちなんやから…と、山崎は大村屋の天井裏で思った。確かに、山崎は伊賀で忍びの修行をしているから、気配を消して隠れたり、忍び込んだりするのはお茶の子さいさいである。以前もこんな事ばかりだった。まあ、今回は金が三十両、これだけ貰えるなら、こんなカビ臭い場所でじっとしているのも我慢出来る。
しばらくして、その広間に、四人の男が現れた。一人は、大村屋喜八郎。一人は、痩せこけ灰色の掠れた服を着た、浪人風の男。一人は、水色の服を着た坊主。そして、最後の一人は、顔立ちのきりりとした、真面目そうな侍風の男だった。最後の男を見て、もしかしたらこの男が本山かと山崎は思案する。
「…いや、しかし、上手く行きましたな」
口火を切ったのは喜八郎であった。そう呟くと、喜八郎は本山に酒を注ぐ。
「これも、兄さんのお陰です。兄さんが奉行所にいるから、我々はこういう事が出来る」
そう喜八郎が言うと、侍は少し苦い顔をする。
「…まあ、そう、わしをあてにするなよ」
「分かっております。…いや、だいたい、最近の京都は血風吹き荒れ、夜は誰も歩いていない。強盗のし放題ってわけですよ。それにね、事件があっても、結局はキンノーの連中だという事になる。いやはや、まったく、良い時代になりましたな」
うふふふふふふ…と、喜八郎はいやらしい笑い方をした。
しかし、その通りなのだった。キンノーの一部が軍資金調達と称し、商家にあがりこんでは金をせびったり、酷い時には奸商への天誅であると叫び、押し込み強盗を働いたりなど、あくどい事を行っていたのである。強盗を「キンノーの仕業」にする事が出来たのだ。しかし、当然全てが全て、そう上手くはいかない。本山左近は、その事を言っているのである。
「まあ確かに、与力も最近は金が無い。良い生活が出来るのは貴様らの収入のお陰だ」
本山は喜八郎と二人の男に酒を注いだ。
これで仕置は決まった。しかし、仕置する相手は死霊組の三人のみだから、本山は仕置出来ないだろう。後で、烈に何とか交渉してもらわな、と思いつつ、山崎はじっくりと他の二人の顔を見つめた。
一瞬、冷や汗が出たのが山崎にも分かった。
忘れもしない。あの、僧形の男。
まさか、伊賀の元興寺恭一郎ではないのか…と思うと、体が震えた。
話は、ずいぶん古い。
山崎はふとしたきっかけで、幼い頃から伊賀忍者の里「鍔隠れ」で暮らしていた。その辺の事情はまた後で語るとして(だいたい、著者自身まだ整理がついていない)、その時の先輩だった、端正な顔立ちの男が、奈良から来たという元興寺恭一郎であった。山崎より年齢は三つ上だったが、優しい男で、ずいぶんと山崎によくしてくれた。いや、もっとはっきり言えば、山崎の初恋の男であった。初恋は実らないと良く言われるが、山崎もまたそうであった。元興寺は、山崎が鍔隠れで修行してちょうど一年目に、里から消えたのである。
伊賀の忍者たちは当然彼を探したが、結局見つからなかったという。
その男が、なぜこんなところで、しかも、押し込み強盗の一人となってしまったのか。いや、こんな場所で気持ちの整理をしている場合ではない。もう、奴らの悪事は証明されたのだ。山崎は屋敷から抜け出し、そのまま屯所へと戻ると、浅黄色の服に着替え、そのまま眠ってしまった。
次の日、島田は土方に見せる報告書を、その前にまず山崎に見せてOKを貰おうと思い、山崎がいつもいる部屋へと向かった。障子の前で、
「山崎さん、失礼します」
そう呟いたが返事が無い。変だな、と思い、障子の穴からちらりと中を見る。山崎は両手を顎の辺りに付けて、ずっと遠くを見つめ、はぁ、とか、ふぅ、とか、妙なため息をついている。まるで何かに恋している、思春期の中学生のように。いや、昔の少女漫画と言った方が適切かもしれない。
(うわ、山崎さんが壊れてる!)
島田は目を丸くしたが、しかし、自分の事が最優先であった。
「山崎さん、入りますよ、いいですね!」
そう大きな声で叫んで障子を開ける。山崎はまったく動かなかった。島田はまるで、自分が透明人間になったような気持ちになった。面白いが、とても切ない。
「山崎さん!やーまーざーきーさーん!」
ついに島田は山崎の肩に手をかけ、そう言いながらがくがくと動かした。しかし、山崎はまだまだ、その姿勢を崩さない。もう、島田はやけくそになった。こうなりゃ最後の手段だ、と思い、山崎の胸の辺りに手を滑り込ませたのである。
「何さらすんじゃー!」
山崎のアッパーが炸裂し、島田は吹き飛ぶと障子に激突する。山崎は思わず針を咥えようとしたが、途中で気づいてそれを隠した。危なく、島田を仕置するところであった。
「阿呆!上司にセクハラしていいと思ってんのか!あんたは後でお灸すえたるわ」
結局お仕置きである。しかも、本当にお灸をするのだから始末におえない。
「ええーっ!?…あ、いや、だって、さっきから山崎さん考え事してて、目を覚まさなかったから…」
「考え事?うちが?」
「ええ、なんだか、ぼぉっとしてて」
そういえば、そうだ。
さっきまで、あの男の事ばかり考えていた。
「もしかしてー、山崎さん、恋?恋ですか!?」
にやにやしている懲りない島田に、山崎は一瞬「本当に殺すか」と思った。しかし、新選組は今、猛烈な人手不足。猫の手も借りたいのに、人が減ってはたまらない。山崎は黙って立ち上がると、島田にその場に居るよう指示し、沙乃とアラタを呼んだ。
「また島田が何かやらかしたんでしょ」
「島田も懲りないなあ」
そう呟きながら沙乃とアラタがやってくる。山崎は頷いて、
「二人とも、良い子やから、島田を押さえつけてくれへんか」
「はーい、わかりましたー」
沙乃が元気に手を挙げて言う。お前は小学生か、と島田は思った。
「合点承知!」
永倉が笑いながらそう答えると、逃げようとしていた島田の前に立ち塞がった。逃げ場を失った島田を沙乃が背後から押さえつける。ひいい、と叫び、あわあわと口を動かす島田。しかしもう遅い。
しかしもう遅い。山崎の怒りのスイッチは入ってしまっている。山崎さんを絶対に怒らせるな、というのは、実は屯所内では暗黙の了解である。
「…さー、二人とも、服を脱がせるんや!」
これではどっちがセクハラか分からないが、あっという間に島田は上半身裸にされ、寝かされた。まったく身動きがとれない中、山崎は艾(もぐさ)を一つ一つ、島田の背中に置いていく。
「や、山崎さん…」
島田が涙目で山崎に命乞いをする。しかし、山崎は真っ赤に焼けた針を持つと、極上の笑みを見せ、そのまま島田に近づいていき、艾に火を点けていった。
それからしばらくして、恐ろしい悲鳴が屯所内に響いた。
「歳江ちゃん、何あれ?」
茶をすすっている芹沢が、目の前の土方を見てそう呟く。土方もまた、茶をすすって、
「…キンノーを拷問にかけてるんでしょう」
「うーん、島田くんみたいな声だけどなあ…」
「声が似てるんですよ、きっと」
「かもね」
そう言うと、あはは、と芹沢は笑って、また茶をすすった。
如月は、京都町奉行所の前のうどん屋でうどんを喰っていたが、本山左近が通りかかると慌てて駆け出した。
「京都見廻組の者です」
そう切り出すと、はっ、と、本山は呟き、一礼する。
「東町奉行所与力、本山左近でござる」
「…最近、キンノーの一味がこの周辺をうろついているようです。夜分、気をつけてくださいね」
「はっ、この本山左近、京の治安のために身を粉にして働く心構えであります」
そう言って、本山はまた頭を下げると、では、と言って奉行所に入っていくのを見て、その気持ちだけはありがてぇがな、と如月は心の中で吐き捨てた。辰巳の話が本当なら、彼は口では京の治安のためにと言いながら、死霊組の凶行に目を瞑っている事になる。
「おっし、これで話は決まったな」
いつものアジトでガッツポーズをとる烈に、如月が首を振って、
「本山左近はどうする」
「なーに、すぐに元締めに掛け合って、本山も仕置させてもらうさ」
「山崎。これでいいな?」
如月は山崎の方へ顔を向けると、怪訝な顔をした。いつもの山崎の顔ではない。どこか、影があるような、そういう表情を山崎はしていた。
「…もう少し、待ってもらえへんかな。ちょっと、考えたい事、あってな」
烈が露骨に嫌な顔をする。
「馬鹿言うなよ灸屋。次の辰の日までに仕置を終わらせねぇとな、俺たちが仕置されんだぞ」
「…じゃあ、一日だけ待ってくれへんか。明日までには腹ぁ決めるさかい」
いつになく真面目な口調でそう言うので、烈も振り上げた拳を降ろさざるを得ない。そのまま、山崎は階段を昇っていった。それを如月は見上げる。
「…何か、あったな」
「まさか相手に恋したって事もあるめぇによ。馬鹿らしい」
「…殺す相手が知り合いだったっていう可能性もあるぜ」
烈が大きく目を見開いた。
「お、おいおいおいおい!冗談じゃねえよ、もしあいつが俺たちの事をばらしてみろ、俺たちゃ全員殺されるぜ!」
「気持ちぁ分かるが、もう少し信用してくんねぇか。…あいつぁ、俺と組んでた仲間なんだからよ」
そう言われると、ぶすっとした顔をして、烈は黙り、彼もまた階段を昇っていく。
「あいつぁ…てめぇの始末ぐれぇてめぇでつけられっだろ。そうじゃなきゃ、この世界で生きていけねぇよ」
如月は一人、暗闇の中で呟いた。
別に、何の期待も持っていなかった。ただ、歩けば気が晴れるのではないかと思ったからである。それが。あんなところでばったりと会うなんて、思っても見なかった。山崎は清水坂を上がっていったところ、あの僧侶にばったりと出会ったのだ。
「…山崎君か?」
先に話しかけたのは恭一郎であった。山崎はただ首を動かすだけだ。恭一郎は顔を明るくさせ、山崎に近づいていく。
「…いや、久しぶりだなあ。俺だよ、元興寺だ」
すっ、と恭一郎は手を差し伸べたので、逡巡しつつ山崎は手を握る。
「仕事は何をやってるんだね」
「はぁ…。薬の行商を」
別に、何の仕掛けも無い。ただ、この男は山崎と出会えた事に純粋な喜びを感じているようだ。そう思うと、ますます山崎は迷った。
清水寺近くの茶屋で、恭一郎は話に飢えていたのか、昔の思い出話を延々と語った。
「…山崎君は覚えが良かったなあ」
ふう、とため息をついてから、恭一郎は遠い目をして言った。
「俺なんかとは全然違った」
「どうして…脱走なんかしたんです。みんなに断りもなく」
「辛かったのさ」
恭一郎は即答した。そう話しただけで、後は沈黙している。
辛かった?
彼は、志願して鍔隠れに入ったのではないか?
「…辛かった?」
「体術を学べれば、それで良かった」
恭一郎はまただんまりを決め込み、山崎は戸惑う。まさか、と思った。彼は、強盗をしたかったから、体術だけを学んだのではないか。もともと、彼に忍者になる意思などなかったのではないか。
「…どのくらい、京にいるんだね」
「いや、今日発つんや。だから、見納めに、と思て、清水寺に来ただけや」
「そうかい…なら、あまり邪魔しちゃいけないな。もう少し居るのだったら、酒でも一緒に飲もうかと思ったが…」
山崎は立ち上がった。それを、遠い、ぼんやりとした目で、恭一郎は見つめる。
「…死霊組って知ってるかい?」
そう聞かれ、山崎は、頬に汗が垂れているのが分かった。
「…ああ」
「あれはね…俺らだよ」
「…」
「俺たちみたいな弱い者は…こうやって這い上がるしかないんだ」
まるで、恭一郎は世間の全てを見たかのように言う。
「…人を殺してもか」
「ああ、そうだ」
「…なんで、うちにその事を話したんや?」
「なぜだろうね…」
恭一郎は立ち上がり、山崎に背を向けながら、ゆっくりと坂を下りていく。
「話したら、救われるような気がしたから」
そう呟き、去って行く恭一郎の寂しそうな後姿を見つめながら、山崎はふつふつと闘志が湧き上がるのを覚えた。確かに、今の時代、弱者は生まれた時から弱者であり、強者は生まれた時から強者、この位置づけは代わらない。弱者は臭い飯を喰って、野良犬のように暮らしている。そんな彼らが、金が欲しいと願うのは当然の事だ。だが。
金品を奪う。それならまだしも、そこに住んでいた者を皆殺しにする。老人の死体もあったし、身ごもっていた女の死体も、まだ年端もいかぬ子供の死体もあったと聞いた。その所業は、もう人間ではない、と山崎は思う。人間の皮を被った得体の知れない物、「人でなし」だ。いつから、彼は人でなしになったのか。自分と初めて会った時から、既に人でなしだったのかもしれない。山崎は両手をぎゅっと握って、歯を食いしばった。
彼女は、もう心に決めた。
殺るしかない、と。
もう夜になってしまっている。
アジトに戻ると、元締めに会っていた烈が、もう戻ってきていた。烈は無言で山崎を一瞥すると、目の前に金を三両置く。前に貰った三十両と合わせて、今回の仕置両は一人三十一両だ。本当は、烈金は前に貰っていますと言ったのだが、辰蔵は仁義を通す為に、本山の仕置両を三両用意していたのである。
「…頼みがあるんや」
そう呟く山崎を、如月は心配そうな目で、対照的に烈は獰猛な目で見つめた。
「…死霊組の僧形の男…奴を、うちの手で殺らせてほしい。あいつは、うちの友達やった男や」
しばらく沈黙が続いた後で、
「腹ぁ決めたな。分かったよ」
烈がにやり、と笑みを見せつつそう言った。如月は微笑むと、また鋭い表情に戻り、
「…行くぜ」
そうはっきりした口調で言い、腰掛けていた椅子から降りると、一両取って出て行く。烈が山崎を一瞥し、同じように一両取って出て行った。山崎は二人が出たのを確認してから黒装束に着替えると、最後に一両取り、出て行った。
「すみません」
そう言いながら、どんどん、と、大村屋の扉を叩く者がある。しばらくしてから足音が聞こえ、がらら、と扉を開け、喜八郎が姿を現した。喜八郎は面倒そうな顔をしていたが、如月の服装を見るとすぐに姿勢を正す。さすがに、肩書きは偉大である。
「…京都見廻組の者ですが、実はあなたの家にキンノーが忍び込んだらしい、という報告を受けまして参上しました」
「ええっ!?本当ですか!?」
「しっ、声が大きい」
そう言うと喜八郎は口を手でふさぐ。
「近頃の連中は獰猛ですからな。…今、あなたの家には何人の方がいるのですか?」
さりげなく、如月は人数の確認をした。喜八郎は小さな声で、
「私と、友人が二人居りますが…」
「それは危ない、殺されるかもしれませんよ。私が行ってみましょう…あ、足音をたてない方がいい。ゆっくり行きましょう」
喜八郎はそのまま信じ込み、忍び足で如月と共に大村屋へ入っていく。
浪人風の男は、小さな部屋で一人、酒を飲んでいた。誰か来たのなら密談を続けるわけにはいかぬ。
「…失礼致します」
襖の奥で声がしたので、男は思わず刀を抜こうとした。
「あの、大村屋の喜八郎様より頼まれた按摩でございます」
「按摩ぁ…?」
なんだ、誰か来たのかと不安だったが、あれは按摩だったのか。そういえば確かに肩が凝っている。喜八郎め、粋なことをしてくれる、と思った。
「おお、入れ入れ」
「では、失礼致しまして…」
入ってきたのは背の高い男だった。髪の毛は短く、鋭い大きな目は炯々と光り、不気味にも思える。だが顔を見る限りまだ若そうだ。按摩が部屋に入ると、男はゆっくりとその場に寝転ぶ。按摩が背中を触り、肩を揉み始めた。その手つきが心地いい。
「ああ、凝ってますなあ、肩の辺り」
「分かるか。刀の素振りを毎日しておる」
「…そりゃ、分かりますよう。伊達に按摩名乗っちゃいませんぜ。…では、腰の方も…」
そう言いながら、烈は両手を腰の方に持って行き、にやりと笑うと、右手を腰に挿し込んだ。べき、という音がした後、男の「ううっ…」といううめき声が聞こえ、ぐったりする。死んだのを確認し、烈はその場を去っていった。
恭一郎は部屋で本を読んでいる。それに没頭しているのか、既に山崎が天井に忍び込んでいる事に気づきもしない。山崎は口に咥えていた針を、一旦手に戻して、恭一郎の真後ろに降り立った。当然、音などせぬ。気づくかと身構えたが、恭一郎は本を読んでいる。普通、忍びの修行をしたのなら、気づくはずなのだが…と山崎は怪訝に思った。強盗をし、金を湯水のように使ううち、忘れてしまったのだろうか。
「恭一郎はん」
そう呟くと、すぐに恭一郎は山崎の方へ振り向いたが、そのまま動かない。目は怯えきっているし、体はがたがたと震えている。
「や、や、山崎…」
無言のまま近づく山崎に、腰の抜けた恭一郎は息遣いも荒く、ずるずると手を使って後退りしていく。
「し、仕方なかったんだ。金が欲しかったんだ。か…金が欲しかったんだよぉ!」
命乞いをするその光景を、山崎は切なげに見つめた。
「…死んでもらうで」
「う、うわあああああああああああああああああッ」
叫ぶ恭一郎に素早く山崎は近づき、心臓を一突きする。体を痙攣させ、恭一郎は何が起こったのか分からない、という顔をして、息絶えた。山崎は恭一郎の目を閉じさせて、針を抜く。
「お、今の悲鳴は…あっちから聞こえましたな」
大村屋に響いた恭一郎の悲鳴に、如月が声を上げ、その方向へ指を動かした。喜八郎は仰天し、我を忘れ、如月の前へ出、指差す方向へ走ろうとする。
「あ、動かないで!」
はっ、と思ったのか、喜八郎は立ち止まった。既に、如月は後ろで刀を抜いている。
「ところで大村屋さん…」
「な、なんですか?」
後ろを向いたまま、喜八郎が答えた。
「実は、大村屋さんから頂きたい物がありまして」
「…は?」
ずぶり、と、如月は喜八郎を刺し貫く。ぐうっ、と、喜八郎は呻いた。如月は刀を戻して、そのまま喜八郎を後ろから切りつけた。声も出ず、喜八郎は倒れた。死んでいる。
「てめぇの命だよ」
如月は屍に顔を近づけ、そう呟いた。
その後。
どんどん、と、今度は本山左近の家の門を叩く者があった。誰だ、こんな夜更けに…そう本山は思い、外へと出た。いるのは背の低い女だ。少女にも見えるが、しかし、新選組の羽織を着ている。という事は新選組だ、と思い、本山は一礼した。
「…新選組監察、山崎雀と申します」
「は。与力、本山左近でござる」
「実は、先日見廻組からお話があったかと思いますが、キンノーがうろついているという話で…ちょっと耳を拝借」
そう言う山崎を見て、本山は一瞬怪しいと思った。しかし、確かにその話は見廻組の青年から聞いた事がある、と思い直し、山崎に首を近づける。すぐさま、山崎の仕置の針が、本山左近の盆の窪に突き刺さった。
「う…」
本山は呻いて、びくびくと痙攣するとその場に崩れ落ちた。山崎が死んだ本山をそこに座らせると、本山が差している刀を抜き、本山の腹に刺し、そのまま横に動かした後、刀を本山の手に握らせた。
次の日、如月は東町奉行所へと向かった。やはり、辰巳が奉行所の奥で調べ物をしている。やっぱりいるな、と思い、如月は近づいた。
「おお、如月か…」
辰巳は気づいたのか、持っていた資料を置いて如月に近づく。
「ちょっと…いや、ここで話すのはまずいな。飯でも喰いにいくか」
「あ、ええ…」
入った近くのうどん屋で、辰巳と如月はうどんをすすった。
「…実はな。本山左近が昨日、自宅の前で切腹した」
「…切腹ですって?」
「おう。…やはり、あの喜八郎という男が死霊組だったのだろう。それを自分の指図でみすみす逃してしまい、悔いていたのだろうな。それで決まりだろう、と奉行所の連中も話しておった」
うーむ、と辰巳は呻いて腕を組んだ。
「その喜八郎も、昨日自分の店で、二人の男と共に死んでいたというのは知っての通りだ」
「殺されたんですか?」
「喜八郎は後ろからバッサリ、他の二人の死因は不明ときている」
「ははぁ…心の臓の発作という奴かもしれませんよ」
「まあ、そうかもしれんな」
辰巳はそう呟くと、うどんを喰うのを忘れて、店の天井を見上げた。
島田は湯飲み二つを乗せたお盆を持って、山崎の部屋の前まで来ると、また穴から山崎を覗いた。山崎は針を研いでいる。
「山崎さん、入りますよ。お茶、持って来ました」
そう言うと障子を開け、島田は入ってすぐに座り、お盆から湯飲みを山崎へ渡す。もう一つを自分のところへ置くと、山崎を静かに見つめた。
「おおきに」
山崎は手を伸ばし、茶をすする。
「…あんたが淹れたんか?」
「ええ、まあ」
「…ぬるい」
山崎は一気に茶を喉に流し込むと、湯飲みを島田につき返した。
(おまけのSS by 若竹)
【原田】 島田が山崎にセクハラしたのよ。
【永倉】 島田も度胸があるなあ。
【土方】 寝てる相手の胸に触るなど言語道断!
【山崎】 別に寝てたわけではないんやけど。
【芹沢】 ひょっとして、雀ちゃん、誘惑した?
【藤堂】 無防備に胸元を広げてたりとか〜。
【近藤】 どきどき。
【山崎】 ちゃうわ!
【山南】 で、どうだったかね、島田君。
【島田】 ん〜。小さかったっす。
【山崎】 ・・・・殺す。1回殺す。絶対殺す!
【井上】 相変わらず女心の分からん奴じゃのお。
近衛様まで感想をどうぞー。