とかくこの世は悪ばかり
天は弱きを助けてくれず
この世も弱きを助けてくれぬ
晴らせぬ恨みを金で買い
この世にはびこる悪人どもを
闇に裁いて仕置する
口外法度の仕置人
京の何処にあるかは分からない。
少し大きめの屋敷である。いや、寺かもしれない。外観だけでは分からない。
その門には「本日 龍の会」と書かれた小さな縦看板が置いてある。
「龍の会」とは何か、と問われれば、それは俳句の会である、と全ての人は答えるだろう。毎月辰の日に開催される事から「龍の会」と呼ばれる。もちろん「辰の会」のままでも良かったのだろうが、「龍」の方が名前としては良いだろう、という、そんな単純な理由であろうか。
そこの大広間には山水画の掛け軸があり、そこからずらぁっと、同じ青い服を着た老若男女が座っていた。掛け軸のところ、つまり上座には、左目に眼帯をしている痩せた中年男が座っている。赤い羽織を着ているから、いかにも裕福な商人のようにも見えるが、しかし、その目つきはまるで獲物を狙う獣のように、片目で周囲を睥睨していた。
「それでは、挙句を頂戴致しまして、本日の興行を終わりたいと存じます」
眼帯の男の隣にいた、白い服を着、背が高くて、能面のような顔をした男がそう呟くと、眼帯の男の下座にいた者たちが一斉に注目した。
「…壬生の寺 浅黄の 土方歳江かな」
そう、朗々と男が歌い上げてから、しばらくして、また口を開く。
「…依頼金は五十両でございます」
それから十秒ほど沈黙が続いた。だいたい、こんな大物をそんな依頼金で殺せるわけが無いのである。このまま、仕置は見送られるものと思われた。
「四十九両」
若い男がそう呟いた。周囲の者が、目を丸くする。
「…では、この命、四十九両にて落札」
眼帯の男が、そう低い声で呟くと、周囲の男女が一斉に頭を下げた。
第一話 騒動無用
仕置人。仕事人。仕掛け人。呼び名はいろいろあるが…
晴らせぬ恨みを金で買い、この世に生かしてはおけぬ悪人を殺すという職業が、公式資料には載っていないものの、江戸時代にはあったと伝えられる。普段は普通の職業をしている者が、裏の稼業としてその仕事を行っているのである。
ただ依頼で人を殺すのではない。それではただの殺し屋だ。殺す相手が極悪人でなければならない。その極悪人への恨みを、金で晴らしてもらうのだ。
当時、畿内の裏稼業は大きく変化しようとしていた。裏稼業を持つ者たちのグループである「始末屋」の縄張り争いが、京に出来た大きな組織によってほぼ終わりを迎えたのである。
それが「龍の会」であった。
元締めは、辰蔵という眼帯をつけた男である。それの補佐として、雷蔵という名前の、辰蔵の作った句を発表する男がいる。
毎月辰の日に句会と称して、龍の会に入っている始末屋の代表を集める。そこで、殺す相手を句に載せて発表し、頼み人がその人物を殺すために渡した金額を示す。そこから、始末屋たちの競りが始まる。一番低い値を付けた者に落札されるという寸法である(差分は龍の会に入る)。
その傘下に入った始末屋たちは、必ず掟に従わなくてはならない。もしそれを破ったなら、恐ろしい制裁が加えられる。これは新選組と良く似ているかもしれない。
この「龍の会」が終わり、そこから出てきた一人の青年の足取りを追ってみる事にする。
背が異様に高く、目鼻立ちがはっきりとしていて、特に、その目は大きい。髪の毛はかなり短くまとめられており、どちらかと言えば丸坊主に近い。その男が真っ黒い服を着て、石段を降りていった。
男はしばらく歩いて、京の町の中心へと入っていく。町人たちが住んでいる長屋へ入ると、「按摩 烈の店」と筆で書かれた、大きな看板がある小さな店の前で立ち止まり、そして中へ入る。そこは整体の店だ。店に入ってから戸を閉め、畳の一枚をはがすと下は階段になっており、男はその狭さに辟易しながらも、ゆっくり入っていく。
「烈、どうだった」
紋付を着た男がそう呟いた。背は先ほどの男よりは少し小さいが、それでもまだ大きいほうである。顔立ちはかなりの童顔で、目がくりくりとして、まるでリスのようだ。背が高いのに童顔だからかなり不釣合いに見える。
その紋付を着た男の隣には、少し長い髪を大きめの簪で整えた女もいた。体つきは、先ほどの二名とは対照的に驚くほど小柄だ。女は、烈、と呼ばれた男をちらりと見てから、また顔を戻した。
「いや、その前に俺に言う事があるだろ。そこのお嬢ちゃんは何もんだ?」
烈がにやにやと笑みを浮かべながら言う。
「如月の女か?」
「ちゃうわ!あほ!」
女が反射的にそう叫ぶと、おっとっと、と烈は呟いてからにやりと笑う。
「昔、組んでいた山崎雀だ。大坂の針医をたたんで京都で別の職業についたそうだから、そのお祝いって奴さ」
「よろしゅう」
そう、山崎が頭を下げるのを、やはり、まるで妹でも見るように烈は眺める。そういえば、裏稼業の間で「やいとや(灸屋=針医)の雀」という名前が何度か出た事があったが、この娘か、と烈は思った。
如月は頭を掻きながら、今度は烈の方に手を向け、
「こいつは夜叉の烈といってな、今の仲間さ。越後出身の骨接ぎ師だ」
ふうん、と言って山崎はその男を見る。ひと癖もふた癖もありそうな男である。
「ああ…やから、ここが骨接ぎの店やったんか」
「そういう事だ。…で、山崎雀とかいったな。てめぇ、裏稼業とは足を洗ったのか」
「今は一応…」
そう呟く山崎を、烈は露骨に嫌な顔で見つめる。如月は首を振って、
「言わない事になってる。ばれたら山崎を仕置すればいいだろ?」
「そりゃそうだ」
思わず、三人とも笑みがこぼれる。奇妙な関係だった。
「ところで嬢ちゃん」
「嬢ちゃん言うな」
「へいへい。…で、山崎さまは、表の稼業はなんでござりましょうかねえ」
「新選組や」
その言葉に、烈はその大きな目を丸くした。
「…本当か?」
その呟きに、今度は如月と山崎が目を丸くする番であった。烈という男は周囲に対して無関心で、自分以外の事はあまりこだわらない性格である。それがあんな反応をするとは、何かわけがあるのでは、と如月は思った。
「おい、烈。…まさか」
「そのまさかだよ。土方歳江の命がよ、今日四十九両で売れた」
「落札したのか」
「いや…」
「どこのどいつや!」
そう叫ぶのは、当然山崎雀である。顔を真っ赤にして、若干の涙をにじませながら、烈の首をつかんで振り回した。痛くは無いが目が回る。
「おい、よせ、よせよっ。龍の会は代表しか来てねぇから、裏にどんな連中がいるかは誰も知らねえんだっ」
「山崎。…しばらく、京を離れさせた方がいいんじゃないか」
そう如月に言われて、山崎は烈の首を離した。烈が、げほげほ、と咳き込みながら、まったく酷ぇ奴だなてめぇは、と呟く。
如月は途切れていた話を続けた。
「頼み人が死なねぇか、頼み人が依頼を戻さねぇ限り、仕置人は殺しても殺してもやってくるぜ。一旦競りに名前があがったからにはな。一月ばかり京を離れた方がいいと思うがな」
「…無理やな」
沈んだ顔で山崎が呟く。
「あの人は頑固やから…」
その言葉に、如月も烈も、ふう、とため息をついた。
そうなると、方法は一つ。土方を殺してくれと、龍の会に依頼した人物を見つける事である。先ほども如月の言葉の中にあったが、龍の会は、頼み人が死ぬか、頼み人が依頼を取り下げれば、その一件は終わるというシステムになっている。龍の会に頼み人が誰か聞く事は出来ない。それならば、こちらから見つけ出してしまおうというのだ。
「その土方って奴は、恨みを買うような、とんでもねぇ悪党かい」
そう烈が言うと、山崎は腕を組んで、「うーん」と呟く。まあ、確かに厳しい人だし、気まぐれな人だから、恨みを買ってもおかしくはないが、そんな大金を出してまで土方を殺すほど憎んでいる人がいるとはとても思えなかった。
「新選組はまだ組織が出来てばかりやからな…反発があってもおかしくは無いな」
「それはうちでも同じだよ」
如月が疲れたような顔をしてそう言う。如月勘十郎の表の仕事は、京都見廻組である。
「京って町は、どうも、まだまだ馴染めねぇや」
笑いながら如月は頭を掻いた。
山崎は屯所に入り土方の部屋を目指すと、廊下で一旦座って、「山崎です」とだけ言った。しばらくしてから「入れ」という声が聞こえ、山崎はゆっくりと襖を開ける。土方は、既に茶を用意して待っていた。
「まあ、飲め」
酷く無感情な言葉でそう言われ、山崎は口をつける。
「…例の新人の話だが」
「島田とかいう?」
「しばらく監察に置こうと思う」
そう言われた瞬間に、お茶が気管に入ったのか、山崎は激しく咳き込んだ。
「あ、あんな奴を…ですか?」
土方は理由を言わず、「鍛えてやれ」とだけ言った。そう言われては嫌とも言えず、山崎は、ただ、「はあ」と呟くだけだった。それからしばらく沈黙が続いて、二人ともお茶がなくなった頃、山崎は口を開いた。
「…非常に内密な話があります」
土方は少し近寄り、山崎の言葉に耳を傾ける。
「…副長が、お命を狙われています」
「命を?」
山崎は、土方が裏稼業の人間から狙われている事をぽつりぽつりと話した。土方は腕を組んで黙っていたが、怖がっているわけではない事が目を見れば分かる。山崎が以前、裏稼業の人間であった事を土方は知っており、裏稼業の恐ろしさも土方は知っているはずだ。
「そうか…私の命は四十九両か」
自嘲気味に笑う土方だが、目は笑っていない。
「しかし…京を離れるのは無理だ」
「でも」
「私が京を離れたらどうなる?…新選組はまだ始まったばかりだ。ようやく法度も出来て、人間も続々集まっているというのに…」
「せやけど…」
土方は急に立ち上がると、部屋の襖を開けた。急に日光が差し込み、山崎は思わず目を瞑った。
「来るなら来い」
まるで呪文でも唱えるような、土方の声だけが響いた。
二日過ぎて。
烈の店の地下では、烈が先ほどから寝転がって落花生を食っている。如月はそれを眺めながら、腕を組んで何かを考えているようだった。烈は落花生を割って口に運びながら、少し起き上がっては如月を見て、また寝転がる、というのを繰り返す。何か考えているだろうな、というのは烈にも分かったが、そこから先が分からない。何を考えているのか。しかし、そんな事はどうでもいい、と思い、また、落花生を口に運んだ。
「おい如月。てめぇ何を考えてやがんだ?」
痺れを切らした烈がそう呟く。ああ、と言って如月は烈に目を向け、
「キンノーが土方を殺すため、仕置を頼んだって可能性はあるのかな、と思ったのさ」
「それなら自分で殺るんじゃねえのか」
「自信がねぇんだろうよ。そんな奴らだろ、キンノーってのは。…しかし奴らが金をそんなに出すかな」
「おいおい、自分で言っといてそれはねぇだろ」
それには答えず、ただため息をつき、また何かを考え始める如月である。烈は、ちくしょうめ、と吐き捨て、また寝転んで落花生をぼりぼりと貪り食べるのだった。しばらくして烈が落花生を食い尽くした後、それを待っていたかのように如月は立ち上がった。
「どうした」
「ん?…ちょいと、野暮用で黒谷へな」
黒谷。
ここには京を守る会津藩の本陣である金戒光明寺というところがある。京都守護職である松平けーこちゃん様以下、会津藩士たちがここにはたくさんいる。
如月がここにやってきた理由は、京都見廻組組頭、佐々木只三郎から松平けーこちゃん様への届け物があったからである。しかし、如月は、京都で暴れているキンノーたちが、わざわざ土方を殺すためだけに大金を使うだろうか、という疑問を持っていた。ならば、キンノーが龍の会を頼ったという線はとりあえず消すことが出来ると思った。ならば、会津藩も怪しいと如月は思ったのである。
京にはいくつもの豪商もいる。彼らが依頼したという可能性も捨てきれないだろう。会津が怪しいと思ったのは、ただ単に彼の勘であった。
「なんだ貴様は」
背後からいきなり声をかけられ、如月は振り向く。背が高く、青白い顔をした侍がこちらを向き、怪しげな顔をしてこちらをじろりと睨んでいた。一目見て、只者ではないな、と如月は思う。立ち振る舞いにスキがない。
「…京都見廻組の如月と申しますが、組頭の佐々木只三郎がご挨拶したいという事で、つまらないものでございますが持って参りました」
そう呟くと、その男は「今調べてくる。待っておれ」と言い、光明寺に入っていった。しばらくすると男が戻ってきて、お目通りが許された、という。妙だなと思いつつ如月は光明寺に入っていった。
「佐々木から?」
けーこちゃん様は扇をぱたぱたと振りながら、如月に言う。
「お菓子です。クッキー系の」
「美味しいならもらうよ。…もっとも、あいつらは甘いもの苦手だけどね」
あははは、と如月は笑って、頭を掻く。さて、どうしようかと如月が考えていると、運のいい事にけーこちゃん様から話し出した。
「新選組と同じでさ、見廻組も強い人多いんでしょ」
「ええ、それはもう」
「いつかさ、うちの藩士と、新選組と、見廻組で剣術試合とかしたいよねー」
「…黒谷で、剣術に強い方は?」
そうだねえ、と、けーこちゃん様は頭をひねっていたが、ああ、そうそう、と呟いて、ぽん、と手を叩く。どうやら考えがまとまったらしい。けーこちゃん様はにやりと笑って、少し如月に近寄ると、耳を近づけるように誘う。
「佐田兵庫かな。あんたをここに連れてきた人ね。でもね、あいつうるさくてさ、手に負えないんだよ」
そう、小声で言った。
「うるさい…?」
「新選組が大嫌いでね」
ふう、とため息をついて、けーこちゃん様はそう呟いた。
佐田は階級にうるさく、近藤たちが元々侍の階級ではなかった事に怒っているのである。農民が剣術を学ぶとは何事か、彼らが剣術に強いとしても所詮素人剣術、武士に勝てるわけが無い…そう吹聴しているというのだ。だから、新選組が大嫌いであった。新選組よりも、我々に京の治安を守るようご命令くだされ、と言うのである。自分を長にして、新選組のような組織を会津の武士だけで作るという話だった。
部下に勝手に動いてもらっては困る、と、けーこちゃん様はその話を一蹴したのだが、事あるごとに言ってくるので辟易している、という。
「真面目な人なんですね」
如月はそう言ってみたが、けーこちゃん様は口を歪ませて怒りながら、
「真面目っていうかさ、階級意識が強すぎるのかな。町を歩いててさ、ぶつかった町人を斬り捨てて、“無礼討ちじゃ”なんて気取っちゃってさあ…もう五人もだよ」
ざけんなって感じだよね、と、けーこちゃん様はビスケットを齧りながら言う。そんな人物は放逐してしまうのが一番いいのだろうが、剣術は強いし、彼を放逐してしまうのは、翼の生えた虎を野に放つようなもので、手に負えない。それに彼の家は古くからあって、会津ではけっこうな勢力があり、切腹というのも難しく、この非常時に置いては処分が出来ない、というのが彼女の本音らしかった。
そんな愚痴を、如月は延々と聞かされる羽目になったが、そんなことはどうでもいいのだ。どうやら怪しい人物が出てきた、と、如月は心の中で含み笑いをした。
「どうやら、その佐田って奴が頼み人で間違ぇねぇだろうなぁ」
烈の店の地下で、そう烈が呟くと、山崎も如月も同時に頷いた。確かに、そいつが一番怪しい。理由は、新選組に対する嫉妬であろう。烈は最後の落花生を口に放り込むと、
「で、どうすんだ」
「佐田を殺せば一番ええんやろうけどな」
そう山崎は言ってみたが、当然二人は了承しないであろうと思った。依頼料がないし、佐田が殺されれば、当然「龍の会」は怪しむだろう。しかし、今の京は血風吹き荒れる危険な地である。だからこそ見廻組や新選組がいるのだ。如月の剣なら、佐田を殺してキンノーの仕業に見せかけるのも難なくこなせるであろう、と思った。
「お前の言いたい事はよーく分かる」
如月は、まるで山崎の心を読んだかのようにそう呟いた。
「確かに、佐田って野郎は悪人だし、佐田を俺が殺せば、キンノーの仕業って事になるに違ぇねえ。…だがな」
事態はそう簡単にもいかねえようだぜ、と如月は呟いた。
「佐田はそれでいい。だが、問題は土方さんを狙ってる仕置人だぜ。奴らまで殺せば、掟を破ったことになる。当然、俺たちも殺される」
如月と山崎が二人で腕を組み苦悩していると、その間から笑い声が漏れた。烈である。
「心配御無用!」
いきなりそう叫んだので、如月も山崎も思わずのけぞる。烈は笑いながら話し始めた。
如月が黒谷に出かけた後、烈は店で客を待っていた。頭を掻いたり、首を左右に動かしたりしてウォーミングアップをしつつ待っていたが、これが一向に来ない。まいったなと呟きつつ、煙管を吹かし始めると、「ごめんくださいまし」と、玄関で声がする。
「いらっしゃい…」
そう呟いて、烈は立ち上がった。扉が開かれ、男が入ってくる。あの、龍の会で元締めの句を朗読した雷蔵であった。烈は思わず、「おっ」と、声をあげた。
「…どうも、肩が凝ってしまって」
雷蔵は能面のような顔を突き出して、そう呟いた。嘘ではないだろう。見れば分かる。
「…雷蔵さんじゃねえか。さ、どうぞどうぞ」
そう言って烈は雷蔵を上がらせ、布団を敷いて寝転がせる。肩の辺りに手を置くと、やっぱり嘘ではなく確かに凝っている。ゆっくりと揉みながら、烈は、
「…何かあったんですかい」
「…元締め直々の依頼です」
そう言われ、烈は目を丸くした。普通、依頼は競りにかけられるものだが、元締めが信頼した者には元締めから直接依頼が来ることもある。ほとんどは、失敗した仕置人の尻拭いだ。ようやく俺も認められたな、と思うと、烈はにやりと笑った。
「…“黒犬組”の仕置人三名を仕置せよと」
烈は考え込んだ。黒犬組は、確か土方殺しを落札したグループではないか。
「そいつぁ…確か、前回の龍の会で、土方の仕置を競り落とした…」
「どうやら、彼らは頼み人と裏取引をした形跡がある。つまり、頼み人を脅迫し、金を更に取ったという事です。個人で取引をするのは、龍の会ではご法度ですからな。…返答は、如何に」
「無論、やりますとも」
その回答に、雷蔵はゆっくりと起き上がり、懐から小判を出し、烈に渡すと、そのまま帰ってしまったというのである。
「ちょうど十両。三両ずつ分けて、残りの一両を三人で分けりゃいい」
懐から十両出して、烈は並べる。三両ずつ、如月と山崎は取り、残りの三両を烈は取って、一両はその場に置くと、一人でにやにやしている。元締めに信頼されていることが嬉しいのだろうか。この男は何を考えているのか分からない、と山崎は思った。
如月は立ち上がった。
「…黒犬どもの仕置は頼むぜ。俺は佐田を仕置する」
おう、と残り二人は吠え、ひそひそと密談を始めた。
その日の夕刻、見回りを終えて屯所に戻ると、山崎は島田を呼んだ。
「山崎さん、お呼びですか」
そう言って飛んできたものの、島田は若干遅れて到着する。山崎は苦い顔をしつつ、
「副長とは上手くいってるか?」
「いやぁ、別に土方さんとはそういう仲では」
「そういう事やないわ」
傍らにいつも置いているハリセンで島田を叩いてから、やれやれ、と山崎は呟く。
「ええか、組織っちゅうんは縦と横のつながりが大事や。島田はん、横のつながりは多いが、縦のつながりは今のところうちぐらいやろ?」
「いや、近藤さんとか…芹沢さんとか…」
「ええから黙って聞け」
また、山崎は島田をハリセンで叩く。
「つながりを作っとかんと、何かあった時大変や。…ええか、明日、副長と一緒に祇園社へ行くんや」
祇園社とは八坂神社の事である。
「…俺、神社とか寺とか見るのあまり好きじゃないし…土方さんと二人っきりじゃ何も話せませんよう」
泣きそうな目で島田が言う。それは山崎も分かっていた。
「それでええ。あんたが誘ったっていう事で。じゃ、そういう事でな」
「ええーっ!?」
「あ、そうそう、今副長は命を狙われとるから、助けたってや」
島田が口を大きく開けて何か言いかけたが、それを構わずに山崎はその場を去り、次に土方の部屋へと向かう。土方は相変わらず、正座して本を読みつつ、七輪で餅を焼いて食べていた。
「山崎か。用件は?」
「…副長は祇園社へ行ったことがおありで?」
不思議な質問をされ、土方は豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をしていたが、すぐにいつもの落ち着いた顔に戻って、いいや、と首を振った。
「…それがどうした」
「いえ。島田が副長と一緒に祇園社へ行きたいとごねているものですから」
ますます、土方は不思議な顔をする。まあ、島田は確かに新入りだから、我々と親交を深めたいというのも分からないではない。しかし、あまりにも突然ではないか。
「ところで、明日ご予定は」
「別にないが…」
「なら、明日の夜、島田と祇園社に行ってくれまへんかねえ。あ、もちろん、身辺警護は島田がすると申しておりますが」
そう、笑顔で強引に畳み掛ける山崎に、土方はペースを乱されたまま、頭を掻いた。顔は妙な形に歪んでいる。土方は焼けていた餅を山崎の方へ置いて、
「…何か企んでいるのか?」
「いえ、滅相もございません」
「…ふん。お前の強引さには負けた」
行ってやるよ、という土方のお言葉に、よっしゃあ、と山崎は、心の中でガッツポーズをするのだった。それと同時に、先ほどから自分をつけていた気配が消えたのを確認する。これで、おそらく黒犬組の三人は祇園社(八坂神社)へ行くだろう。そこで烈と待ち伏せて、仕置すればいい。つまりは土方をおとりに使うわけだが、そんな事を言ったら怒るに決まっている。これが一番無難だ、と山崎は思った。
山崎は焼けた餅を一口齧った。
「まだまだ暑いなぁ」
神社の境内で、ゆっくりと背伸びをしながら山崎が言う。黒い服を着た烈は、首を前や横に動かしたり、その場で走ったりしながらやっぱりウォーミングアップをしている。
「てめぇ、灸屋だって言ってたな」
「…そうやけど」
「…じゃあ、一応同業ってわけだな。俺は整体だから。似たようなもんだろ」
しばらく沈黙が続く。山崎は困った。烈が何を言いたいのかと観察していたが、ただ、同業であった事を言いたかっただけのようである。やれやれ、と山崎は思った。確かに似てはいるが、根本的なところではまったく違うような気がする。
「で、てめぇの得物は何だ」
突然烈がそう言ったので、山崎は頭を掻きながら面倒そうに、
「まあ、針やな」
人体にはいくつかの急所がある。そこを針で突き刺す事で相手の息の根を止める、というのが、山崎の裏稼業でのやり方である。針医が家業であった山崎だから出来る技だ。
山崎は鸚鵡返しに、「あんたのは?」と烈に聞いた。烈はぎょろりと大きな目を動かして、ゆっくりと両手を上に挙げ、指をゆっくりと動かした。
「これよ」
「手?」
「ま、後で教えてやるよ。…じゃな」
烈はそう呟いて、背を向けると闇に隠れていく。それを見て山崎も目立たない場所に動いた。誰かが近づいてきたからである。
影は二人。それを囲むような形で三人。土方と島田、その周囲に黒犬組か、と山崎は瞬時にそう判断した。それ以外に気配は見当たらない。
だんだん土方と島田がこちらに近づいている。
「…あのう、土方さん」
先ほどから、島田はいろんな事を何度も土方に話しかけているが、土方はそれがまったく興味ないようだった。「ああ」とか「ふうん」とか、気の抜けた返事しかしないからだ。
(やっぱり俺、嫌われてるのかな…。そうだよな…)
しゅん、とした島田が下を向いていると、土方の足がそこで止まった。
「…島田」
「はい?」
「私を守れなかったら切腹」
「はいい!?」
島田は仰天したが、同時に身構えた。足音がすぐ近くで聞こえたからである。確か、山崎は土方を守ってやれと言っていた。もしかしたらこの事か、と思った。土方も自分で自分の身を守れないわけではない。しかし咄嗟に、島田の実力を見る気になった。
敵は既に来ている。山崎は右へ、烈は左へと動いた。
刀を持っていた男は、真正面に山崎が現れたので身構える。と、突然こちらへ走り出した。その程度か、と山崎はため息をつく。戦闘に慣れているなら、相手の実力を知らないままで突っ込んだりはしない、と山崎は思う。まだ相手は新米かもしれない。何か事情があって、龍の会とやらを裏切ったのかもしれない。しかし、やるしかない。
しばらく裏稼業から離れている。まだ自分はやれるだろうか、と、少し体が震えた。
山崎は大きく跳躍し、空中で回転して男を飛び越える。虚を突かれ、うろたえた男の首筋に、山崎の仕置の針が深々と突き刺さった。
「う…」
男はうめくと、びくびく、と二三度痙攣してぐったりとしたので、山崎は針を抜き取り、男をゆっくりと下に下ろした。
「やれやれ」
山崎は汗をぬぐってそう小さく呟いた。裏稼業からしばらく足を洗っていたとはいえ、腕は鈍っていないようだ。まだ、やれる。
烈が狙った男は、土方の真後ろ、ずっと遠くにいて動かない。得物は金棒である。おそらくまだ、山崎の手によって一人やられたことを知らないのだろう、土方を注意深く見つめている。男の顔に烈は見覚えがあった。いつも龍の会に出席している男だ。男の顔に自信と同時に焦りが見え隠れするのは、掟を破ったことへの後ろめたさか、と烈は感じた。
烈はゆっくりと近づいていく。男は気づき、烈の方を向いた。最初怯えていたが、相手が何も持っていない事ににようやく気がついたのか、早く息を吐きながらこちらに向かってきた。
ひゅうう、と、烈は口から息を吐いて、首を左右に動かした。そのまま無表情で男を見つめる。しばらく烈はその瞳で男を見つめ、不意ににやり、と笑った。烈の足は素早く、男を目掛けて突っ走る。男は恐怖で金棒を振り下ろした。恐れから目を閉じている。狙いは正確ではない。当然、烈はそれを避けて、相手の金棒を左手で掴むと、物凄い力で奪い取り、その場に投げた。即座に、烈は右手で男の首を掴む。べき、という音がして、男の首が変な方向に曲がった。烈は男をゆっくりと寝かせる。
烈の得物は、つまり手である。並外れた怪力と整体の技術力で、相手の骨を折ったり外したりするのだ。
首から下が麻痺状態になった、男の口が動く。怯えて声は出なかったが、「たすけてくれ」と読めた。烈はにやりと笑って首を横に振り、右手をゆっくりと上に挙げると、男の腹部にそれを凄まじい速さで差し込んだ。またもや、べき、という音がして、男は動かなくなった。どうやら、烈の「必殺骨外し」が炸裂し、完全に息が絶えたようだ。烈はそのまま去っていく。
男が息絶えたのとほぼ同時に、二人の死を見て慌てたのだろうか、前方から男が手槍を持って走ってきた。島田が剣を抜いて男と相対する。男は一刀の元に切り捨てられた。まあ、まだまだだが、多少は使えるな、と土方は島田の太刀筋を見て思った。
「あ、山崎さん!」
木の影から現れた山崎を見て島田が手を振る。山崎は周囲を見渡した。どうやら烈は先に帰ったようだ。山崎は土方に近づいていった。
「ご無事でしたか」
「山崎…とぼけるのはよせ」
「はい?」
「私をダシに使ったなああ!切腹!」
「えー!」
山崎の胸倉を掴む土方と、状況が分からず右往左往する島田であった。
祇園界隈の居酒屋に入った佐田は、飯を食った後、わずか二杯ほど飲んでから店を出た。京の町は物騒である。酒をふらふらになるまで飲んでしまったら、襲われた時に反応できない。しかし光明寺で飯を食い、酒を飲むのは嫌だった。自分より強い者は光明寺にはいない、と自負している。つまり、自分より弱い者とは酒を飲みたくない、というのだ。この京の動乱を鎮められるのは自分しかいない。しかし、なぜけーこちゃん様は自分のいう事を聞いてくれないのか。そう思うと、もどかしかった。
「佐田さんじゃありませんか」
人気の無い道を歩いていると、背後から声をかけられ、佐田は振り向く。いつぞやの、京都見廻組である。名は…確か…と、佐田は脳内のファイルを検索する。そうだ、如月だ。確か、如月という青年だ。
「ああ、如月君か」
そう呟くと青年は笑顔になった。どうやら良かったようだ。
「偶然ですねえ」
男は人懐っこい笑みを見せ、佐田の左側に進んだ。京都見廻組は直参である。という事は、つまり生まれながらの侍で農民などではないという事だ。ほっ、と、佐田は胸を撫で下ろした。
「君も新選組を嫌ってるだろう」
そう言われ、ここは佐田に話を合わせようと思い、はぁ、と如月は呻く。
「そうだろう。農民上がりなどに治安を守らせてたまるか」
そう呟いた瞬間だった。佐田の腹を、鈍い痛みが走った。
「な…!?」
如月が背後に回って刺し貫いたのである。
「無礼討ちで一月に五人も殺すなんてな、正気じゃねえよ。あんた、やり過ぎた。…死んでもらうぜ」
佐田は刀を抜いたが、腹部への一撃は致命傷だった。数歩歩いて、後ろの如月を切り捨てようとしたが、それよりも如月の一撃が早い。如月の長刀で、背中から袈裟がけに斬られ、佐田は前に倒れた。死んでいるのを確認して、如月は用意していた「天誅」と書かれた紙をその場に置いて、素早く立ち去った。
…そしてまた、龍の会が開かれる。
「先日の件に関しましては、頼み人が死亡致しましたので、無かった事とさせていただきます」
その雷蔵の声を聞いて、烈は大きく息を吐く。その様子を、元締めの辰蔵がじいっと見つめていた。その視線に気づき、烈の頬から汗がたらたらと流れ、思わず手ぬぐいで汗を拭く。
次の仕置する相手の競りが決まったので、次々と龍の会の羽織を脱ぎ、去っていく他の仕置人たち。それを見て、烈が立ち上がろうとしたのを辰蔵が呼び止めた。部屋にはもう、辰蔵と烈しかいない。烈は「はい」と答えたものの、心拍数はいつもより早く、汗はさっきから止まらない。烈は辰蔵の正面に正座すると、頭を下げた。
「…運が良かったな。本当は、今日佐田を競りにかけるところだった」
ぼそり、と辰蔵が低い声で言う。烈は黙っていた。
「今日は許してやる。確かに、俺にも落ち度があったからな」
「は、はい」
「じゃあ、帰って良し。次の辰の日までな」
烈は家に戻ると、すぐにアジトに入った。既に、如月と山崎が待っている。如月は烈の無事な姿を見てため息をついた。烈は山崎を睨むと、その場にゆっくりと腰を下ろした。しばらく沈黙が続いた後で、烈は頭を掻きつつ、また、山崎の方を見て口を開く。
「…で、どうすんだ、てめぇはよ」
「…何を?」
「…やるのか、やらねぇのか、って聞いてんだよ」
要は、俺たちのチームに入るか否か、を聞いているらしい。山崎は腕を組んで考えた。確かに、新選組や見廻組は、今までの治安が悪化していた京都を一変させるだろう。今まで怖がっていた人々の顔にも、多少の笑顔が戻るはずである。…しかし、と、山崎は思う。全員が笑顔ではない。一部の人は切ない顔をしているはずだ。新選組や見廻組、それに奉行所があっても、その全てを解決できるわけではない。神や仏も、彼らに救いの手を差し伸べてはくれないだろう。なら、自分たちが必要だ。自分たちが正義だとはこれっぽっちも考えてはいない。だが、この裏稼業という汚い仕事が、まだまだ必要な社会なのだ。
すっ、と、山崎は烈の前に手を差し伸べた。烈はにやりと笑うと、その手を握った。
二日ほどして、土方は局長の近藤と共に黒谷へ向かった。行ってみると、光明寺の周囲が何やら騒がしい。あわただしく人が出入りしている。「何かあったのかな」と呟く近藤に、土方は首をかしげ、近藤と共に光明寺へ歩いていった。
「あ、やっほー」
寺の中から、松平けーこちゃん様が顔を覗かせる。二人の下へかけてくるけーこちゃん様に、近藤と土方は深々と頭を下げた。
「何かあったんですか?」
近藤が問うと、けーこちゃん様は、うん、と呟き、頭を掻く。土方は、良くない事があったらしい、というのがそのそぶりで分かるような気がした。
「ちょっとね、人が亡くなってさ」
「それは、ご愁傷様でございます」
同時に近藤と土方は呟き、頭を下げる。うん、とけーこちゃん様は言った。
「佐田兵庫っていう奴がね、流行り病でぽっくり逝っちゃって…」
まだ頭を下げている近藤と土方に、影でけーこちゃん様はにやりと笑って見せた。
(おまけのSS by 若竹)
【土方】 この私が49両だとぉ!(怒)
【近藤】 そーだよねー。
【芹沢】 島原の太夫の揚代ですら1両2朱なのに、
歳江ちゃんが一晩で49両なんて、ぼったくりだわ!
【島田】 俺の月給が3両だから、年収よりも高いじゃないですか!
【近藤】 トシちゃんが49両なら、局長のあたしは100両ぉ〜。
【芹沢】 じゃあ、一番ナイスバディなアタシは200両ぉ〜
【藤堂】 なんか、儲かりそうだね。
【原田】 買い手がつくかどうかが問題よね。
【永倉】 心配しなくても、沙乃にはつかないよ。
【原田】 アラタにもね。
【永倉】 あっはっはっ。
【沖田】 そこって喜ぶ所なんですか?
【伊東】 バニーや! バニー倶楽部を作るんや!
【土方】 ・・・・・。(馬鹿ばっかりだな、ウチは)
近衛様まで感想をどうぞー。