偽作・行殺(はぁと)新選組ふれっしゅ

番外編その5 『てっぺん対決!』


 場所は黒谷の光明寺。まだ暑さの残る、ある日の午後。
「・・・と、いうわけなのよ。わかった土方ちゃん?」
 眼鏡のレンズを(眼鏡をはずすことなく)布で拭いつつ、その人は言い放った。
「と、いうわけとおっしゃられても」
 新選組副長の土方歳江は困った声でそう返答した。太陽が照りつけ、実に暑い。
「中将様がお呼びと言うので、たった今参上つかまつりました次第で」
「相変わらずノリが悪いなあ土方ちゃん。『と、いうわけで』って言われたら返答は一つでしょ」
 眼鏡を拭く手を止めてその人・・・松平けーこちゃん様は言った。
「『委細、承知』とか『はっ!』とか『かしこまりましてござる』とかさー」
「おたわむれを」
 こう答えながら、土方は内心立腹していた。暇つぶしの相手なら、ほかを当たって欲しい。
「んじゃ、頭の硬い土方ちゃんのために、話して進ぜよう」
 話というのは会津藩の誰それが女を作ったとか、公金を横領したとか、そんな話だった。
「・・・それが、いったい?」
 土方には、彼女が何を言いたいのか見当がつかない。額にはじっとり汗が浮いている。
「暑いと人間、気持ちがダレてくるのよ。さっきも、うちの藩士が熱中症で倒れたとかで、担ぎ込まれたばかりなのよまったく。んでさ、うちのヘボ藩士ならともかくとして・・・」
 けーこちゃん様の眼光がここでにわかに鋭くなった。土方も姿勢を正す。 
「新選組がそーいう事だと、会津藩としては非常に困るわけよ。わかる?」
 土方は一瞬で考えをまとめた。そして返答する。即断即決は土方流の美学だ。
「了解しました。早速屯所に戻ってびしばし粛正致す所存です」
「んー・・・理解が早いのはありがたいとして、そこまでしなくてもいいのよね」
 扇子を広げて彼女は口調を軽くして、こう提案してきた。
「粛正とか処罰とか、そういう血なまぐさい事じゃなくて、隊で誰が一番かを競わせるのはどう?」
 土方はまたも一瞬で考えをまとめた。
「隊士たちのモチベーションが気がかりです。何か良いお知恵を拝借願えないものでしょうか」
 土方は横文字の知識はあまりない。が、『もち』べーしょんなる単語はすぐ頭に入れておいたのだ。
「もちべーしょん・・・横文字なんか使っちゃってからに。尊皇攘夷はどこへ行ったの」
 眉間に皺を寄せるけーこちゃん様だったが、すぐに表情をゆるめて
「ま、いいか。んじゃさ、隊内トーナメント戦開催! 優勝者には賞状と『とろふぃー』を進呈・・・」
「紙切れと骨董品をもらって喜ぶ隊士など、新選組にはおりません。そもそも、トーナメント戦などというもので、隊士の実力アップができるとは到底思えませぬ」
 即座に否定されて、彼女は少し黙る。しばしの沈黙の後。
「考えるのに疲れた。土方ちゃん、考えて」
 土方は少し考えた。そして、軽く頷くと口を開いた。
「実戦を模したバトルロイヤル・・・勝ち残った者には報奨金として、これだけいただきたい」
 土方は紙と筆を出した。さらさらと何か書いて、けーこちゃん様に見せる。
『一騎当千
  一刀両断』
 さすがにけーこちゃん様も呼吸が止まった。眼鏡拭き用の布で額の汗を拭う。
「せ、せんりょう?」
「はい」
 いくら土方でも、先に『千両よこせ』とは言えない。だがこれなら、土方はけーこちゃん様の言葉に頷いただけだ。無礼には当たらない。
「せ、せんりょうはちょっと」
「千両です。新選組の士気向上と錬成のために、千両」
 土方は真顔で言う。だがしかし、当然ながら土方は千両も戴けるとは思っていない。若い頃、商人としての修行をしていた土方ならではの駆け引きだ。
「しかしさー。簡単に千両言うけど、うちの藩だってちょっと・・・」
 会津藩は奥羽の大藩である。しかしながら、『金のなる木』を持っているわけではない。けーこちゃん様が藩主に就いた頃にはすでに慢性的な財政難に陥っていた。幕府の支援を仰がねばやっていけないのが実情なのだ。
「何を躊躇ためらうことがあるのです」
 そんなけーこちゃん様の思いを知ってか知らずか、土方はここぞとばかりに力説した。
「新選組が力を増せば、京都の治安は確実に回復するのです。それこそが京都守護職の本道。千両ていど、どうということもないでしょう。むしろ僅かな金子きんすを惜しみ、大局を見失う方が遙かに危険です」
「・・・うー」
 正論であった。故に反論できない。だが、無い袖は振れぬとの言葉もある。
「土方ちゃん・・・十両くらいで手を打たない?」
「・・・中将様。せめて百両はいただかねば」
「懐石料理なんてどう? ほら、小判は食べられないじゃないの」
「・・・」
「じゃあ、こーいうのはどう? 特別に・・・」


 夕方になって屯所に戻ってきた土方は、その翌朝に隊士たちに通達した。
「試合は明日。優勝者には、中将様から特別な御褒美が与えられる。敗者には何も与えられない」
 勝負の世界は厳しいのだ。そう土方は締めくくった。
「うーん、試合ねえ。特別な御褒美ってのは魅力的なんだけどなあ」
 だが彼らの反応はかんばしくなかった。永倉が身も蓋もない事を言うからだった。
「でもさあ・・・結局うちで一番なのって、そーじだろ?」
「芹沢さんって事もあるわよ」
 槍の手入れをしつつ、原田がやはり興味なさそうにそう言った。
「アタイら全員負けて、決勝は芹沢さんとそーじの頂上てっぺん対決になるの見え見えだもんなあ」
「うう、あたしが一番って誰も言ってくれないんだね。しくしく」
 近藤が泣きながら、やっぱり関心なさそうな声でこう言うのを聞いて土方は思った。
“ふむ、この言い方ではやはり皆の関心は薄いな。だからここでだ”
「中将様からのその御褒美は、『新選組・特別名誉隊長』の地位だ。丸一日、どんな行為も中将様の名の下に許可される・・・誰に、何をしてもかまわんのだそうだ」
「・・・・・!」
場の空気が変わった。近藤が突然元気に声を張り上げた。
「あたし! あたし出る! 優勝したら、島田くんと一緒に・・・きゃー!」
 近藤が赤い顔をして叫んでいた。思わず土方は我を忘れて叫び返した。
「きゃー! とは何だ!? 私の目の黒いうちは、ふしだらな真似は不許可だ!」
「なるほどゆーこ、じゃなかった近藤局長の願いは『島田くんとラブラブ洛中初デート』と。メモメモ」
 一人、監察方らしいメガネの隊士が冷静沈着な声で、懐から手帳を取り出しサラサラと記入していた。
 近藤の発言に胸をドキドキさせていた島田だったが、そのメガネ隊士も気になった。いつかどこかで見たことがある気がして、その隊士をじっと見つめてみた。
“ええ!? も、もしかして”
 そいつ・・・いやその人は、けーこちゃん様に似ていた。いや本人としか思えない。
“まさか、そんなはずは・・・待てよ、誰も何も言わないって事は、他人のそら似だ。きっとそうだ”
 島田はそう結論づけた。そんな島田の隣で声を張り上げたのは永倉だ。
「よっしゃー! ならアタイも出るぜ! 優勝したら」
 そこで永倉は何故か、島田の方をちらと見やった。
「島田! アタイと一緒に旨いモン食いに行こうぜ!」
「え? 俺?」
 島田はいきなり話を振られて驚いていた。他の隊士もざわっとなる。
「なるほど永倉先生の願いは『島田くんとラブラブ洛中食べ歩き』ですか。メモメモ」
 さっきの、けーこちゃん様似のメガネ隊士は、やっぱり冷静に手帳にメモしている。そんなことメモして何をする気だろう。
 場がざわつく中、永倉が原田にこんな誘いをかけていた。
「なあなあ沙乃、一緒に出ようぜ! こういうのは大勢で楽しんだ方が面白いって!」
「な、何で沙乃なのよ! だいたい沙乃は、島田の事なんて・・・」
 言いかけた原田の声は途中で止まって。代わりに何やら小声でブツブツと。
「・・・でも、何か逃げたみたいで・・・他意はないのよ。そう、練習相手よ、それだけよ」
 そう言ってから、覚悟を決めたように凛とした声で宣言した。
「沙乃も出る。優勝したら、島田を朝から晩までシゴキまくってヒイヒイ言わせてやるわ!」
「え? また俺なのか?」
「なるほど原田先生の願いは『島田くんとラブラブ荒稽古』ですか・・・この幸せ者が」
 島田はまた驚いているし、メガネ隊士は島田を殺気のこもった目でジロリ! と見つつメモ。
「んふー。もちろん、アタシも出るからねぇ。優勝したら、島田クン・・・」
 芹沢はちょっと言葉を止めて、辺りにいる若い平隊士たちに目を向けた。皆、一様に同じ目をしている。つまり、『島田ばかりいい思いしやがって!』という目である。
「・・・だけじゃなく、若い隊士たちみんなとラブラブドキドキ、だいえんかい!」
 場が、おー! と盛り上がる。芹沢はそのグレートなスタイルと面倒見の良さで人気があるのだ。
“これで四人か”
 そう思いながらも、近藤の願いはできる事なら阻止したい土方である。あの近藤を、男と二人きりにするなど危険すぎる。例えるなら黒猫と沖田を二人きり?にするくらい危険だ。<何か違うぞ>
「私も出るぞ。優勝したら・・・島田は私のオモチャだ。ストレス発散のため、丸一日痛めつける」
「またまた俺? 何で俺がオモチャなんですか!?」
 これで出場者は五人となった。全員、願いが島田絡みなのは流石さすがというか何というか・・・。
「歳江さん。僕も出場したいのだが」
 意外にも、山南がそう言って手をあげていた。
「え!? 山南さんまで、まさか俺狙いとか・・・」
「島田君、自意識過剰だね。僕の望みは君とは関係ないよ」
 真顔で否定された。
「湯治に行きたいのだ。三泊四日くらいでいい。いや、温泉のあまりの素晴らしさにしばらく帰ってこないかもしれぬな。一日限りという条件からは外れるが、その程度なら許容範囲内だろう?」
「・・・うむ」
 短く土方は答えた。頭の中では、やり合うには厄介な奴だな、とか思っている。
「あとは・・・お、へーじゃん」
 永倉が、ふらふらと通りかかった藤堂を見て声をかけた。
「あ、本当だ。へーちゃん! 明日の試合、へーちゃんも出るよね?」
 近藤が明るく誘う。近藤は誰かさんと違って、強い奴を誘えば自分の優勝の可能性が減る、などという考えは全然なかった。
「・・・」
 藤堂は一同をぐるりと眺め渡してから、頭を掻いた。
「うーん、やめとく。私、あの日だから」
「あの日・・・ええ!?」
 近藤は真っ赤になった。いやその場のみんなが真っ赤になった。
「山南さん、あの日って何ですか?」
 島田は山南に近寄り、小声で聞いて見た。
「知らないのかね? あの日というのは女性が月に一回経験する・・・」
 山南は、無知な島田に丁寧に教えてあげた。
「・・・おおう」
 島田は唸った。喉がゴクリと鳴った。
「え・・・そ、そう。でも、だったら無理強いはいけないよね」
 近藤はおとなしく引き下がった。藤堂はいつも通りニコニコして続けた。
「うんうん。女の子の身体はとってもデリケートなんだよ」
「現在六人か。何人まで増えるんだろうね」
 山南がそう言った時だ。激しく声を発した者がいた。
「わ、わたくしが出ますわ! 山南さま! ぜひとも、ご一緒致したく!」
 うわずった声で声を張り上げたのは、おなじみ(なのか?)の谷三十華みそか。簡単に説明すると『行殺』本編ではなく、わかたけ氏の『近藤勇子EXシリーズ』などに時々登場する、山南さんラブな女性隊士だ。
「え? ご一緒って・・・僕は一人で気ままな旅をしようと、そう考えていたのだが・・・」
「わたくし、感激ですわ。山南さまが温泉に行きたがっておられたとは。実はわたくしもなんです」
「無視か・・・三十華くん。僕の声が聞こえているかな?」
「これこそ運命ですわ! きっとわたくしたちには深い縁がありますのよ!」
「三十華くん。話の腰を折るようで悪いのだが、僕は一人で旅をしたいのだよ」
「もちろん、わたくし山南さまには剣を向けたりしませんわ。思いは同じなのですもの」
「三十華くん! 人の話を聞きたまえ! どこを見て喋ってるんだ!?」
「さあ! 二人で婚前・・・いえ温泉旅行を勝ち取りましょう!」
 谷は話をまったく聞かずに、乙女の主張を終えた。
 土方は他に誰かいないかと、その場を見渡した。そして斎藤と目があった。
「斎藤。おまえは常日頃から、島田島田と騒いでいたな。良い機会だ、出ろ」
「そ、そんな僕なんて・・・いや、でも駄目元で島田と・・・了解しました副長」
「あのー、土方さん」
 島田がおずおずと手を挙げた。
「俺も出ていいっスか? 俺の願いは、女の子たちとしっぽりハーレ・・・」
 ズパアッ! にやけた顔の島田は沖田に行殺される。
「島田さん、不潔。あ、それからあたし体調はイマイチですけど、出ますね」
 平隊士からは島田を含み十数人ほどの隊士が名乗りを上げた。


「第一ラウンドは朝礼終了後から。戦いの場所は洛中全域。巡回中でも勝負は勝負。戦ってください」
 それでですね、と何故か沖田が仕切っていた。
「勝者は敗者の顔にマジックでバッテンを書いてください。マジックがなければ筆と墨でも構いません。そして勝っても負けてもお昼時には」
 戻ってきてください。沖田はそう言った。おそらく何人かはバッテンなしの人がいるはずです。第二ラウンド、改めて勝ち残りの人たちで一番を決めてもらいますから、と。
「お昼時に戻ってこなかった出場者は、バッテンなしでも失格です」
 そう勝手に決めて沖田は出て行った。
“やり方など何も決めてなかったが、まあ沖田の発案で問題はないか。それより・・・マジック?”
 土方は何も言わずに、その場は解散となった。


 翌日。朝礼が終わった直後。
「先手必勝! くらえー、永倉ハンマー!」
 いきなり数人の隊士がされた。
 さらにその直後。斎藤が無謀にも芹沢に狙いをつけた。芹沢は、酒の匂いぷんぷんの状態である。
「相手にとって不足なし。体調が万全のうちに最強の相手と戦う以外に、勝ち残る道はないんだ」
「んふふ、殺す気で来ないと危ないぞお」
 ぐっしゃーん! 牙突を破られた斎藤はぶっ飛ばされて中庭の石灯籠に激突、戦闘不能となった。
「狙うは原田先生だ。一斉にかかれば何とかなるぞ」
 徒党を組んで襲ってきた平隊士たちを迎え撃つは憤怒の形相の原田沙乃。
「あんたら、群れなきゃ何にもできないの!?」
 どかーん! また数人の平隊士が失格になった。
「え、えうう・・・トシちゃん、カーモさん、沙乃ちゃん・・・みんな、戦いにくいよう」
 近藤は半泣きのまま京の町に逃げ、いや巡回に出かけた。<この人は誰となら戦えるのだろう?>


「うげっ」
「・・・」
 島田は、谷三十華みそかと遭遇してしまった。
「おまえか・・・すぐ消えろ。さもなければ、潰す」
「へ・・・へーい(ほっ、助かった)。んじゃ、ありがたく」
“それにしても、こんなのは俺のハーレムにはお断りだな”
 口に出したつもりはなかったが、つい言ってしまったらしい。谷が聞きとがめた。
「何だと?」
「げっ・・・いや、何にも言ってないぞ」
 やられるかも、と思った島田だったが谷は平然としていた。
「ふん・・・おまえなどに何を言われようと、気にもならん」
「あ、そう・・・こんなのを愛人にするなんて山南さんもいい趣味してるよなあ
 気が緩んだ島田はこうつぶやいた。
「・・・!・・・決めた。こいつ潰そう」
「ええ!? 今、何かスイッチ入った? ぎゃあ!」
 島田は次の瞬間宙を舞っていた。そのまま地面に落下して気絶した。谷にとっては自分を悪く言われるより、山南を悪く言われる事の方が気に障ったのだ。
「おまえの顔などこうしてくれるわ、愚か者が・・・はっ! 山南さま・・・」
「おや三十華君」
 島田の顔にバッテンを書き込んでいると、山南がぶらぶら通りかかった。
「わたくし、山南さまとは戦えませんわ。どうぞバッテンしてくださいませ」
 島田の顔にはでかでかとバッテンが描かれ・・・っていうか、顔一面真っ黒に塗りたくられていた。
「バッテンしてください・・・って言い方も何か妙な気がするが」
 山南は悩んだ。無抵抗のしかも女性の顔を黒く塗るのは武士として・・・。
「山南さん隙だらけです」 シュバッ!
 突然現れた沖田の攻撃を、山南はすんでのところで避けた。
「山南さま! ここはわたくしが引き受けますわ!」
「・・・谷さん、邪魔」
 二人が戦っているその隙に、山南はその場から離れた。


 昼になった。バッテンなしで戻ってきたのは近藤、土方、芹沢、そして山南の四人だった。
「ふう・・・谷さんとやりあって疲れたんでちょっと休憩しちゃいました」
「・・・無念」
 やや遅れて、結構さっぱりした顔の沖田と、頬にバッテン描かれた谷が帰ってきた。
「悔しい! キンノー見つけて真剣に追い回しちゃったわ! もう!」
 さらに遅れて原田が帰ってきた。すごく怒っていた。
「あれ? アラタさんは?」
 そう声を上げた沖田に答えたのは、不敵な笑みを浮かべた土方だった。
「ああ、ヤツならあらかじめ仕掛けておいた穴に落とし・・・いや、私が仕留めた」
「そうですか。まあアラタさんなら、じきに戻ってきますよね」
 ・・・昼御飯(一部、飲酒した者有り)の後で、その四人が中庭に集まった。かなりの数の隊士も見物に集まった。ついでに(?)カモちゃん砲までやってきた。
「じゃ、四人で戦ってもらいます。この中庭が、戦いのリングになります」
 沖田がそう宣言した。近藤が悲痛な声を上げた。ちなみに近藤の武器は腰の木刀一本だ。
「ええ!? 戦うって、一人対三人!? 大怪我しちゃうよ!」
「そうとも言えますし、違うとも言えます」
 沖田がそう答えて、四人の顔を順に見回した。
「誰が誰を狙うもよし、協力して誰かを攻めるもよし、要は最後まで立っていた人の優勝です」
 斬馬刀を手にした藤堂がぽやーっとした顔で、島田を引きずってやってきた。島田はぐるぐる巻きに縛られている。それを見た近藤が悲鳴を上げた。
「島田くん!? 誰がこんなひどい事を!?」
「ん? 四人とも誠狙いみたいだし、目立つ場所にいてもらった方が気合いが入るかなーと」
 確かに目立つ格好ではあった。まるで罪人のようだ。
「うう、さっきといい今といい、何で俺がこんな目に」
「ふむふむ、順当な四人が勝ち残った、と・・・」
 けーこちゃん様にクリソツのメガネ隊士は、そんな島田の近くでやっぱり何かメモしていた。
「じゃあ、早速試合開始。あたしは審判役です」
「え、え、ちょっと・・・」
 近藤の声を無視して、沖田は宣言した。他の三人は一瞬にして戦闘態勢を取る。ちなみに彼らの武器は、土方は木刀が一本。芹沢は鉄扇と木刀。山南は木刀が二本。
“あ、あ、あううー、あたし、いったいどうしたらいいのぉ?”
“まずは相手の数を減らす。近藤、悪く思うな。お前を島田の毒牙から守る事にもなるのだ”
“ゆーこちゃんは、とりあえず後回し・・・山南君と歳江ちゃん、どっちを先に消そうかなー?”
“まずは他の三人の動きを見る。それからでも遅くは・・・あるかな?”
 四人の一瞬の思索。そして最初に行動を起こしたのは土方だった。何かに気を取られたように、近藤の背後に視線をやって叫んだのだ。
「ん? あれは・・・サカモト!」
 迫真の演技だ、と土方は思った。案の定、近藤は雷に打たれたように身体を震わせた。
「えええっ!」
 叫び声を上げて近藤は硬直した。そして隊士たちも土方の言葉に騒然となった。
“今だ!”
 土方は木刀を振るって無防備状態な近藤を狙った。場の誰もが、土方の『サカモトだ発言』に気を取られている。まず一人脱落、と思った。
「・・・くっ!」
 だが、そんな土方の手に芹沢の投げた鉄扇が命中していた。思わず土方は刀を取り落とす。山南はそんな芹沢に対して、今が好機と攻めかかった。
“こうでもせねば、まず勝てそうにないからな”
“へえ、流石さすがに隙は見逃さないわねー。でも、せっかくだけど今は山南君の相手は・・・”
 芹沢は山南を避けるようにして、土方との間合いを詰めた。土方もそれに気づいて、あわてて落とした刀を拾って応戦しようとする。
“む、ならば”
 山南は木刀一つを芹沢の背中めがけて投げつけた。避ければ土方に当たる。避けなければ芹沢に当たる。
そして土方の位置からはそれがわからない。
“おのれ芹沢。かくなるうえは”
“・・・んふ♪ ごめんね歳江ちゃん”
 ぎりぎりまで(背後からの木刀を)引きつけてから、芹沢はひょいと体勢を変えた。
 ぐしゃ! 山南が投げた木刀は見事に土方に当たった。さらに、ばきゃ! 芹沢の一撃も当たった。
「・・・」
 これではどんな猛者とて、立っていられるはずがなかった。土方歳江、脱落。
“まずは一人。さて、できれば芹沢君が体勢を整えないうちに・・・は無理かな”
“鉄扇を拾い上げる余裕はないわよねえ。相手は山南君だし”
 芹沢は向き直りざま、山南は間合いを詰めて、同時に一撃を繰り出した。そして・・・共に相手に届く寸前でぴたりと静止していた。
「・・・」
「・・・」
 山南の振るった刀は、芹沢の右脇腹に触れる寸前で。芹沢の刀は、山南の左肩口に触れる寸前で。しばし二人の視線が絡み合ってすぐに離れた。
「参った」
 そう言ったのは山南だった。そして自分の左肩に手をやって続けた。
「刹那の差だった。が、お互い止めなかったならば、芹沢君の一撃の方が先に命中していただろう」
「へーえ・・・でも」
 芹沢もまた自分の右脇腹を撫でながら、軽い口調で言い返した。
「山南君の一撃だって、アタシの身体をざっくり両断できたわよね」
 二人は審判役である沖田に目を向けた。それを受けて沖田が宣言する。
「この勝負、芹沢さんの勝ちです。山南さんは残念ながら脱落」
「・・・え? え? ええ!?」
 近藤は試合開始の合図から、まったく何もしていなかった・・・にもかかわらず勝ち残った。


「・・・って事で、最後の組み合わせはこうなっちゃいました」
 沖田の言葉に頷いたのは、たった今戦い終えた山南だった。
「うむ・・・局長対局長か。決勝戦にふさわしい組合わせだ。そうだ、局長てっぺん対決と呼ぶ事にしよう」
「あー! それアラタちゃんが昨日言ってたのとおんなじだー」
「でもねえ・・・ゆーこさんは攻めきれるかどうか。厳しいわよ」
 藤堂、原田がおのおの勝手に声を出していた。
「・・・ど、どうしよ、あたしがカーモさんと」
「んふふ・・・楽しみ〜」
 当事者たちの様子は実に対照的だった。おろおろする局長。そして不気味に笑うもう一人の局長。
「じゃあ興奮さめやらぬうちに、さっさと始めようよ!」
 藤堂の言葉に周囲の隊士たちは、再びざわつき出した。期待するなと言う方が無理な話だ。
「それでは、決勝戦」
 沖田の言葉に周囲は盛りあがった。奇声をあげる者さえいる。はしゃぎすぎの感がしなくもない。
「まるでお祭りだな。奇声をあげる観客があちこちにいる」
 そうつぶやく山南の声さえ、かき消される。近藤さーん! とか芹沢局長! とかうおー! とかどっちも頑張れー! とか姐さーん! とか色々な叫び声が聞こえる。
“騒がし過ぎる。世紀の対決だというのに少しは静かにできんのか、こいつら”
 土方がそう心の中で苛ついていると、彼女の思いを、意外な人物(いや、モノ?)が叶えてくれた。
 どかーん! カモちゃん砲が突然火を噴いたのだ。弾は屯所の屋根を掠って飛んでいった。辺りがしんとなった。土方の口から思わず声が漏れた。
「ほ、砲弾が・・・どこへ飛んでいった?」
 近藤も唖然となって、そこを見つめていた。弾が消えていった青空の彼方を。
「芹沢さん! 何のつもりだ!?」
 険しい声で土方がそう叫ぶ。けれど当人は悪びれた様子はない。
「何のつもり? それってアタシのセリフよ」
「・・・?」
「ま、当初は半分遊びみたいなものだと思ってたから大目に見てたんだけどね」
 芹沢は鉄扇を手の中でもてあそびながら、苛ついた顔で語り始めた。
「それにしたって何? 新選組の錬成を意図したっていう割には穴掘って勝ったり、あっち向いてほいで勝とうとしたり、逃げ回って勝ち残ったりしてさ・・・随分と馬鹿にしてるじゃない」
 鉄扇でビシ! と近藤の顔を指した。
「アタシはさぁ、せっかくの機会だから本気の勝負がしたかったのよ。キンノーと毎日のようにやり合ってるけど、アタシが本気出せる相手って滅多にいないんだもん」
「確かに。芹沢君の強さはある意味反則だからねえ」
 こそっと山南が感想をもらした。
「一瞬だけど、山南君はそんなアタシの気持ちに応えてくれたわ。そしてようやく決勝にふさわしい組み合わせになったってのに・・・相手が」
 芹沢は、おろおろしている近藤をぎろっと見据えた。睨まれた近藤はビクッとなる。
「やりにくいとか、どうしようとか、怪我するからとか・・・ふざけてんの?」
「は、はうう・・・そ、そういう訳じゃ」
 弁解しかけた近藤を、眼力で黙らせる。はっきり言って怖い。さっきまで芹沢を応援していた隊士たちも青い顔をして押し黙っている。
「ゆーこちゃんが、本気でやらないって言うなら。アタシは酷いことするわよ」
 どかーん! 再びカモちゃん砲が火を噴いた。いつのまに角度が変わっていたのか、今度は屯所の屋根に当たって大きな音を立てた。瓦が何枚か壊れて庭に落ちてくる。
「もう二、三発くらい、いっとこうかしら」
 平然とそうつぶやく芹沢に、さしもの近藤も感情を爆発させる。
「やめて! カーモさん、どうしてそんな事するの!? そんなことしてたらどうなるか・・・」
「わかってるわ・・・このまま撃ってたら屯所も壊れちゃうって事くらい」
 ニヤリ、と悪の笑みを浮かべて芹沢は鉄扇を拾い上げた。そして開いた。
「アタシにとって新選組はいわば『鞘』なわけよ・・・アタシという『刃物』を収めておく、ね」
 鉄扇でぐるりと一同を示して、芹沢は殊更冷淡な声で続けた。
「時には鞘を壊して外に出たいのよ・・・それの何が悪いって言うの?」
「駄目! そんな事したら、カーモさんだって傷つくじゃない! 絶対駄目なの!」
「じゃ、腕ずくでアタシという『刃』を『鞘』に収めてみなさいよ!」
 どかーん! またもカモちゃん砲が火を噴いた。見物の隊士たちが着弾点から一斉に逃げる。
「あはは、面白ーい! 見てよゆーこちゃん。石投げ込んだら逃げ散る水中の虫みたいじゃない」
「・・・やめて、カーモさん。これ以上は、冗談じゃすまなくなるから」
「え〜、聞こえないわぁ。アタシはマジよ。今のアタシを止めたきゃマジになってよね〜」
 けらけらと笑いながら、さらにカモちゃん砲が火を噴く。また着弾点の隊士が逃げまどう。
 どかーん! どかーん! 屯所の塀にも壁にも着弾していった。
「く、このままでは・・・沖田! これでは試合どころではない! 止めろ!」
 ぼーっと突っ立っている沖田に、土方は怒りの声を投げかけた。しかし返事はこうだった。
「実戦さながらの勝負ですから、砲弾が炸裂する事だってありますよ」
「何を言っている!」
 首を回して、原田の姿を認めた。だがこう砲撃が激しくては、隊士に怪我人が出ないようにするのが精一杯のようだ。もはやお祭り気分は消えた。今の中庭は、まるで戦場のようだった。


 近藤の頭の中では様々な思いが渦巻いていた。彼女の目に映る世界は全てがぐるぐる回っていた。視界がぼやけて何も理解できなかった。頭の中を焼くように、短い言葉が次々と浮かんでは消える。
 カーモさんを止めなきゃ。みんなが怪我しそう。カモちゃん砲を止めなきゃ。前川さんちが壊れちゃう。カーモさんと戦わなきゃ。でもあたしにはカーモさんと戦うなんてできない。みんなカーモさんの事きっと怒ってる。カーモさん独りぼっちになっちゃう。それは駄目。何とかしなきゃ。みんなを守らなきゃ。あたしがやらなきゃ。でもあたしはカーモさんと戦えない。あたしはカーモさんのこと大好き。カーモさんの頼みなら聞いてやりたい。カーモさんあたしと戦いたいって言った。自分を止めて見せろと言った。それが、カーモさんの望んでる事? だったらあたしは・・・あたしは、どうしたらいいの?
「芹沢さん! いい加減にしろ! 無差別に屯所や隊士たちを傷つけるな!」
「あははー☆ 何か楽しくなってきちゃった。どんどん撃っちゃえー」
「あああ、屯所が、みんなが・・・そして俺が危ねえー! 縄、なわほどいてくれー!」
 殺気じみた土方の声。投げやりにも聞こえる芹沢の声。そして哀れで痛々しい島田の声。
 それらの『音』が近藤の耳に入ってきた瞬間。近藤の心の中で、何かが弾けた。
「・・・止める・・・」
 回っていた世界が止まった。ぼやけていた視界が鮮明になった。混乱していた心が澄んでいった。 
 近藤は動いた。芹沢を止めるために。一瞬にして間合いを詰め、手にした木刀を振るった。
「・・・くっ!」
 芹沢はからくも身体をひねってそれをかわした。すぐさま間合いをあけようと全速後退する。
「駄目・・・あたしが、止めるの」
 小さな、やや無機質な近藤の声。第二撃、第三撃が繰り出される。共に鉄扇で防ぐものの、衝撃が芹沢の手に伝わってきた。
「つっ・・・」
 さっきまでとは違う、ピリピリしたものを感じて芹沢は身体が引き締まる感じがした。それは望んでいた感覚であり、だがしかし、あまり味わいたくない感覚でもあった。
「・・・へーえ、弾けたじゃないの。それでこそ、アタシが戦いたかった・・・」
 言葉を途中で飲み込んで、芹沢は鉄扇を握る手に力を込め直した。
「・・・」
 近藤の瞳は常と変わらず、穏やかだった。いや常以上に穏やか・・・というか、焦点が定まっているような、いないような瞳だ。一言で言えば、ぼうっとした色だ。
「目が、違うわね」
 芹沢はそう、簡単に表現した。もう少し難しく(?)表現したのは山南だった。
「戦いに集中しているようだね。今の『弾けた』勇子は、今まで相手を思いやって己の闘争本能を押さえつけていた、その抑止力が完全に取り払われている。これがいわば勇子の本当の力というわけだ」
「すごい・・・ゆーこさんって・・・」
 原田が、山南のそばでそう声を漏らした。それ以上何と言っていいかわからないらしい。
「・・・・・」
 さっきまで命の危険にさらされていた島田も、この近藤の様子に口をあんぐり開けて見とれていた。いや見とれるというより、金縛りにあったと言うべきか。
“つ、つえー! 近藤さんってこんなに・・・でも、これじゃ相手は・・・へたすりゃ”
 死ぬぞ、と思った。さっきの二、三撃目は共に必殺の威力を有していた。島田でもそう感じたのだから、他の連中だってそう感じただろう。芹沢でなかったら、とうに決着がついている。
 風のような速さで、火のような苛烈さで、近藤は芹沢を攻めた。一撃ごとに芹沢を圧倒し、追いつめる。普段はおっとりした可憐な乙女。そんな近藤が、しかし今は鬼神と見紛う強さを見せている。そのあまりのギャップに皆、息をするのも忘れて二人の戦いを見つめていた。
 リングの隅にまで追い詰められた芹沢。近藤は手を緩めることなく苛烈に攻め・・・。
「ふう・・・酔いがすっかり覚めちゃった。ゆーこちゃんたら、予想以上にやるじゃない」
 肩で息をしながら、芹沢はそう言った。直撃こそ避けているが、実戦なら既に服のあちこちを斬られている状態だ。そんな状態で、だが芹沢は目を上げて近藤を見た。澄んだ瞳で。
「でもね」
 声の響きが変わった。金色の髪を掻き上げて、何気ない風を装って続ける。
「似たようなのなら、アタシだってやれるわよ」
 その瞬間。芹沢の身体から放たれる気が劇的に変化した。さながら、草一本生えていない荒野に、みるまに木が生えそれが林となり、ついには緑あふれる山と化したかのように。
「・・・!?」
 近藤は動きを止め、そしてやはりぼうっとした瞳で芹沢の姿を注視した。もはや迂闊には攻められない。そんな気配を感じての行動なのか。
「さ〜、仕切り直し仕切り直し」
 芹沢は言った。その声色はどこまでも静かで落ち着いていて、劣勢を感じさせない。
“うお! カモちゃんさんまで! この試合一体どうなるんだ!?”
 身じろぎしながら、島田はそう心の中で叫んでいた。こりゃどっちが勝ってもただじゃ済まないぞ。何でこんなマジバトルに発展してんだ? 俺を巡ってのラブバトルじゃなかったのか?
 カモちゃん砲はいつしか静かになっていた。静寂の中、局長二人の視線がぶつかり合う。
 芹沢が動いた。近藤と間合いを取りつつ、歩いてリングの真ん中付近まで戻った。目だけで近藤はそれを追う。芹沢が足を止めた時、ようやく近藤は芹沢の方に向き直った。
 ついさっきまでと、ちょうど二人の位置が入れ替わったような形になった。
「カモーン」
 芹沢が鉄扇で招いた。それが合図だったように近藤が疾風のように突進した。繰り出される一撃、それを芹沢は鉄扇で力強く弾いた。ぐらっと近藤の体勢が崩れる。
「んふ、隙あ・・・」
 芹沢の声、動きが止まる。隙ありと見て攻勢に転じようとした、のだが近藤は瞬時に体勢を立て直した。「・・・」
「・・・」
 無言で二人は見つめ合った。もう、審判とか観客とか言っていられない雰囲気だ。いや、二人の意識にはもはや世界に二人以外の何者も存在しないらしかった。
「隙がないなら、つくればいーのよね」
 芹沢は言いざま、鉄扇を振り上げ一気に間合いを詰めて打ち下ろしてきた。鈍い音がして、鉄扇は近藤の刀によって跳ね上げられていた。
「あれは!」
 山南と土方の声が重なった。あれこそ天然理心流・龍尾剣! 刀で相手の攻撃を跳ね上げ、間髪入れずに打ち下ろして相手を仕留める攻防一体の奥義。
 打ち下ろされる近藤の刀。勝負が決するかと思われたその一撃を、だがしかし芹沢は・・・。
「龍の尾の動きには無駄がない、だから読めちゃうのよ」
 身体を沈めていた。左手で、腰の木刀を抜いていた。そのまま刀の柄で打ち下ろされてきた龍の尾の一撃を受け止めた。
「何と!」
 また土方と山南の声が重なった。こういう時だけ息が合うのも何だか変な話だ。
 だが、芹沢のこの動きは近藤の攻めに対する受け、ではなかった。芹沢の右手、跳ね上げられていた筈の鉄扇がいつのまにか力を取り戻している。半身になって右腕は脇のそばまで引かれていた。
“あれは・・・あの体勢は何かに似ている気がする”
 息をするのも忘れたように見入っていた土方は、唐突にそう思った。何に似ているかはわからない。何故そう思ったのかもわからない。ただ、思ったのだ。
「まさか!」
「そうか。『弾けた』芹沢君のスタイルは、そういうものか」
 斎藤が叫び山南がつぶやく。土方には二人が何を言おうとしているのかわからない。
 強烈な威力を有する、鉄扇での突き技が、近藤の身体を貫かんと繰り出された。その様を見て土方の脳裏に何かがよぎった。あの突き技、似ている。まるきり同じというわけではないが。
 土方、山南の二人は青い顔で黙り込んだ。ショックは隠しきれていなかった。
 真面目に考えると、僅かな時間で随分といろんな思索ができるものと感心させられる。
 近藤は、だがその一撃に何もできなかったわけでは決してない。距離が近くて回避しきるのが不可能と判断したのか、左の手を鉄扇の先にかざした。
“まさか、あれを素手で受けようと言うのか!?”
 そんなことをすれば、近藤の手は! そう思った土方の目には、次の瞬間に二人の身体が急速に離れて間合いを取ったようにしか映らなかった。
「・・・? 今、何が・・・」
 つい言葉が口からこぼれ出た。あわてて土方は手で口元を押さえる。見えなかったなどと思われてはたまらない。いや実際そうだったのだが、それを認めたくはない。
「何という戦いだ」
 背後で山南の声がした。土方はちらと目を向けようとして、やめた。それに気づいた山南は、
「勇子が手を胴の前にかざした瞬間、鉄扇の突きがぴたりと静止したのだ。芹沢君の左手の刀が勇子の足を狙って突き下ろされ、勇子はそれを、掌底で芹沢君の肩を痛打することで防ごうとした。結果」
 二人の身体の距離が急激に開いたような形になったのだ。そう説明してくれた。
「・・・」
 土方は目を凝らして、近藤の足下を見た。地面がえぐれていて、目で追っていくとそれは、芹沢の足下に突き立てられている刀に行き当たった。
「勇子は、掌底でしのいだとはいえ、あの刀の突き下ろしが足を掠っているはずだ」
「・・・・・(山南、おまえ何でそんなに見えている!?)」
「芹沢君も、最後の瞬間自分から身を引いたとはいえ、掌底の一撃を食らっている」
「・・・・・(劣るのか!? 私は山南に、それほど劣ると言うのか!?)」
 土方は言葉が口から出そうになるのを懸命に押さえるしかなかった。
「実力伯仲の二人だ。決着をつけるのに何撃もいらないだろう。おそらく次で決まる」
「・・・・・(決まるって、勝負の展開はおまえが決めているとでもいうのか!?)」
「それにしても、芹沢君は一度でも体感した技のイメージを瞬時に己の身体で再現できるようだな」
「・・・うむ。今の突きは明らかに『牙突』のアレンジ。戦いのセンスは恐るべしと言うしかない」
 水と油で噛み合わないこの二人だが、合うときは妙に合うのであった。


 島田は呆然と試合を見ていた。さっき暴れたせいで縄は結構ゆるんでいたが、今はそれよりも戦う二人が気がかりだった。
“何でこんな・・・これじゃ、どっちが勝ってもただじゃすまない! へたすりゃ”
 同志でやり合って、死ぬなんて愚の骨頂だ! そう強く思った。
“止めなきゃ! 俺が止めなきゃ!”
 そう島田が決意した時、二人が構えた。力ある一撃を、一瞬でも先に相手に打ち込もうとしている。
“・・・止めないと! 二人を止めないと! 俺の命に代えても!”
 二人が同時に動いた。互いに一直線に相手に向かって駆けていく。その時だった!
「やめろーー!!」
 島田が絶叫しつつ、ゆるゆるになった縄を引きちぎって、二人の間に走っていったのは!
“おまえがやめろ!”
 土方はそう心の中で叫んでいた。自殺行為以外の何物でもない。今のあの二人の戦いに割って入るなど。実のところ、土方も止めに入りたかった。だが身体が動いてくれないのだ。
“入れないのだ! 二人の戦うあの空間に! いやあの二人がそれを拒んでいるのだ、きっと!”
 土方は内心そう言い訳した。恐怖で身体がすくんでいるのではないと、そう信じたかった。
 二人の意志が、あそこには立ちこめていて、決着をつけたがっている。だから入れないのだ。
 だが、島田は無謀にも割って入った。いや、島田だけではなかった。
「うおおおお!! 燃えろォォ、アタイの何かァァ!!」
 永倉が、何か自分を鼓舞する言葉を叫びながら、島田とは別の方向からやはり割って入ってきた。
“永倉、おまえもか!”
 土方はそう心の中で叫びながらも、ぴくりとも動けない自分を恥じる気持ちになった。何が鬼の副長だ。こんな大事な場面で、私は微動だにできないのだ。
 戦う二人と、割って入る二人。計四人の身体がリングの中央で交錯する! と思われた。
「とおー!!」
 ずがんずがーん!!
「「ぎゃあ!」」
「両者そこまで!!」
 軽い声と何かの音と、凛々しい声。更なる影たちが割って入り、リング内で何か凄いことが起こった。
“何が起こったというのだ?”
 土方はそう思って目をしっかと見開いた。
 近藤と芹沢。二人の姿はリング中央にあった。そして、二人の腕と腕をしっかと捕まえているのは自分と同じ副長の山南敬助だった。そのすぐそばに、巨大な武器を持った金髪の少女、藤堂平の姿もある。
 局長二人のマジ激突、そして島田・永倉の介入という非常事態・・・に動いたのは、山南・藤堂の北辰流コンビだった! 藤堂が傍らに突っ立てていた斬馬刀を掴んで乱入者二人をぶっ飛ばし・・・山南は彼女と呼吸を合わせて、戦う局長二人に静かに接近し、試合を中断させたのだ。
「これ以上の戦闘続行は命に関わる怪我を負いかねない。錬成という観点からいって無意味だ」
 静かに山南が語って、視線を沖田に向けた。沖田は頷いた。
「そーですね・・・でもここまできた以上、きちんと決着はつけとかないと」
 沖田はそう言って、ちょっと言葉を切って考えるそぶりを見せた。
「この場合は、審判のあたしと戦闘に介入した者たちで勝者を判定しましょうか?」
「・・・え?」
 山南は意表を突かれた、といった感じで聞き返す。そばにいた藤堂がすかさず話に入ってきた。
「まこともアラタちゃんも飛んでいったから、あたし・そーちゃん・山南さんだよね」
「飛んでいった、って」
 飛ばした本人の言葉とは思えないな、と山南がつぶやいたが話はどんどん進む。ちなみに、たった今まで激闘を繰り広げていた近藤と芹沢は、既にいつもの二人に戻っていた。
「審判のあたしは、天然理心流同門ということもあるから、ゆーさんの勝ちだと判定します」
「私は・・・金髪つながりだし、さっき意気投合した事だし、芹沢さんの勝ちを主張したいな」
「じゃあ、あとは山南さん次第ですね」
 沖田と藤堂は山南を見た。近藤と芹沢も見た。
「・・・え?」
 何故、といった顔で聞き返す山南の腕を、近藤・芹沢がガシッと掴んだ。
「山南さん! あたし山南さんがどう判定しても、根に持ったりしないから真面目に答えて!」
「山南君、どう判定したってアタシ別に恨んだりしないからね・・・ちょっと暴れるだけで」
 局長二人から迫られて山南は視線を、同じ副長の土方に向けた。
「・・・フン」
 土方は、拗ねたようにそっぽを向いた。
「・・・鈴音」
 山南は、窮して沖田に目を向けた。
「男らしく決めてください。逃げるなんて武士のすることじゃないです」
「・・・何故だ? 何故僕がこんな決断を迫られるのだ?」
「山南さん!」
「山南君!」
 気づけば、その場にいる全ての者が山南に注目していた。
「・・・・・」
 山南は黙っていた。どう判定しようと、非難されるような気がして。
「・・・(じー)」
 みんなが見つめていた。山南がどう判定するのかを、片言も聞き漏らすまいとして。
 山南はため息をついた。空を見上げた。青々と晴れた空だった。その青を凝視していると心が澄み渡り、一つの答えが浮かんできた。山南は視線を局長二人に戻した。そして口を開いた。
「この試合の勝者は────
 その時だった。大きな声が響き渡ったのは。
「すとーっぷ!」
 見れば、件のメガネ隊士だった。スタスタと山南の近くまで歩いて来た。
「ついに正体を明かす時が来たようね。監察方の隊士とは仮の姿。しかしてその実体は・・・」
「けーこちゃん、明かすも何もアタシたちみんなわかってたわよ」
 あっさりと芹沢がそう言ったので、けーこちゃん様は愕然となった(ふりをしたのか?)。
「なんですって! ちょっとちょっとー、ノリ悪いわよみんな。そこは正体明かすまで待って驚きの声を上げてくれないとさー。ま、あたしも勝負に見とれててタイミング逸した気がするけど」
 一つ大きな息を吐いて、けーこちゃん様は気を取り直して話し出した。
「それはともかくとして・・・こんな名勝負は滅多に見られたモンじゃない! だから無理に勝者決めなくてもいいじゃん。二人ともおめでとー! うん、二人同時優勝、決定」
 それに対して、遠慮がちにではあるが山南が意見した。
「いかに中将様の仰せとはいえ、従いかねます。武士二人が己の全てを燃やして戦ったのです。やはり白黒はっきりしませんと」
 土方も、黙ってはいたが苦い顔をしていた。沖田と藤堂は、何を考えているのかわからない顔だった。
「えええええ!?」
 突然、近藤が絶叫したので全員ぎょっとなった。けーこちゃん様までびくっとなる。
「な、なに? なに? どーしたのゆーこ。何かいた?」
「け、けーこちゃん様!? いつお見えになられたんですか!?」
 手足をわたわたさせて、近藤が狼狽していた。土方が念のため聞いてみる。
「近藤・・・まさかとは思うが。気づいてなかったのか?」
「えええ!? だってだって、けーこちゃん様完璧な変装だったよ!」
「・・・・・」
 全員が沈黙した。ちなみに平隊士たちが反応しなかったのは、島田のように『まさか中将様が。他人のそら似だ』と思った者たちと、けーこちゃん様のご尊顔をよく知らない者たちとに分けられるから。
「うーん、ゆーこったら可愛い」
 いたくご満悦なけーこちゃん様、さっきと全然違う事を言い出した。
「よし、中将権限。今の勝負、勝ったのはゆーこ! 決定! 文句ないわよね? ね?」
 土方たちを睨みつけて、けーこちゃん様はドスのきいた声で確認する。
“私としては、近藤の勝ちで嬉しいのだが・・・となると島田の魔手が近藤に”
“ま、僕としては肩の荷が下りて言うことなしだな”
“・・・ま、いーか今回は。次はアタシが勝つけど”
 色々な思惑があったが、誰もけーこちゃん様の決定に反対しなかった。
「ゆーこ優勝! おめでとー! おめでとー! ほら、みんなも一緒に!」
 けーこちゃん様は周囲を見渡して、全員に『おめでとうコール』をするよう促した。隊士たちはお互いに顔を見合わせつつも、中将様の命令なのでおとなしく従う。
「お、おめでとー」「おめでとー」「おめでとー」
 誰からともなく、拍手が起こった。徐々にそれらは大きくなり、中庭全体に広がる。
「おめでとー!」「おめでとー!」 パチパチパチ・・・。
「あ、あうう・・・みんな、ありがとー」
 おめでとうコール、そして拍手。近藤はそれらを受けて、困惑と感激の混じった顔で立っていた。
「はい土方ちゃん、締めの言葉締めの言葉」
 けーこちゃん様の声を受けて、土方が少し複雑そうな顔をしながらも言った。
「最終勝者が決定した。よって通達の通り、近藤が『一日特別名誉隊長』となった! 以上!」


<後書きモドキ>
 八月中に仕上げようとして駄目だった事は、隠しても仕方ないんで書いときます。
 近藤と島田はデートをする事になりますが、土方は二人をそっとしておいてくれません。新選組の総力をあげて邪魔し・・・いや警護してくれる事でしょう。
 中庭に連れてこられた島田が縛られていたのは、彼が口にしたハーレム発言が他の隊士たちにすこぶる不評だったからでしょう。


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