偽作・行殺(はぁと)新選組ふれっしゅ
『間者』編その1 幕末日本バクマツニッポン乙女探偵オトメタンテイ


 ある初夏の日。神社境内の桜の木の下で男女の斬殺死体が発見された。
 その報を聞いた新選組監察方、山崎雀は現場に急行した。現場にはすでに人の群れができていたので、彼らをかきわけて木の下まで歩み寄った。
 すでに現場には山崎より早く、同じ監察方の隊士が二人と、京都町奉行所の同心が三、四人駆けつけていた。事件を捜査するに当たって、とりあえず戦力としては心許ないかもしれない。
 被害者のうち、男は新選組の平隊士で名は佐々木ささき愛次郎あいじろう。大坂の飾り職人のせがれ。女は京都の八百屋の娘で名はあぐり。佐々木と恋仲だったのを知る者は、京の町には結構多かった。
 二人は桜の木の下で、あぐりが上にかぶさるように倒れていた。刀傷が全身に大小合わせて十二カ所。頭にある二カ所が致命傷らしく、また左の耳が斬り落とされていた。
 奉行所の同心たちが先に現場に到着していたらしいので、聞いてみることにした。
「新選組監察方の山崎です。責任者はどなた?」
 だが、同心たちは皆一様に迷惑そうな顔をして、もごもごと口を動かしているばかりだ。何と言っているのか聞き取れない。
“思った以上に当てにならないかも”
 山崎はそう思った。奉行所の同心たちの能力の低さは甚だしいと、小耳に挟んだ事がある。
「やっほー。何か事件?」
 のんきな声を上げて登場したのは、筆頭局長のカモミール芹沢とその奴隷下男の島田誠だ。
「山崎さん、言ってる内容が大して変わってないと思うのは俺の気のせいですか?」
 山崎の心の中の述懐にもツッコんでくる島田。律儀な人だと山崎は肩をすくめた。見たところ、島田は毎日のように芹沢に振り回されている。その忍耐力は大したものだが、いつまで保つのだろうか。
「あら・・・うちの」
 芹沢が、誰の死体なのか気づいた。そして荷物持ちの島田を残して人波をかき分け・・・なくても誰もが道を開けてくれた。自分の時との違いに山崎は不愉快になった。もちろん、表情には出さない。
「佐々木クン・・・と、あぐりちゃんね。むごい斬り方」
 よたよたと、両手に荷物を抱えた島田も木の下まで来た。悲しげな目で二人を見つめる。
「いったい誰がこんな・・・」
 言わずもがなの事を言って、目を伏せた。そして足下に荷物を下ろした。
“それを調べるのが私たちの、そして同心たちの役目ですよね”
 山崎はそう思いながら、周囲の状況をつぶさに観察し始めた。
「これは?」
 芹沢が声を上げた。二人が倒れている木の根元の、根が二股に分かれたように見える所。そこに、桜の枝が突き立てられていた。そして枝のそばに二個のさいの目。
「桜の枝ね・・・折ったか斬られたか「あ、この木、桜だったんですか」」
 島田が芹沢の言葉を遮って間抜けな感想をもらした。
「島田さん・・・」
 山崎の視線に島田は、ちょっと居直るような感じで言い返してきた。
「だって、花見の季節のほかは桜の木なんか見ないもんで。みんなそうでしょ?」
 春の開花の一時期を過ぎた桜は、ほかの木と同じような青々とした葉を茂らせていた。
「俺だけじゃないッスよ? 多分」
 島田はそう主張するが、山崎にはそんな事はどうでもいいのだった。
「賽の目・・・上を向いている目は一と五ですね」
「ふむ・・・よーし!」
 突然芹沢が気合いの声を発した。山崎も島田も同心たちも、人の群れもぎょっとなる。
「局長・・・どうされました?」
「アタシ、事件を解決する。名探偵カモちゃんの名を町中に知らしめるわ」
 そうしたら、評判も上がって知名度も上がってゆーこちゃんが喜んで・・・と言葉が続いた。最後を山崎が(芹沢より先に)締めくくる。
「で、副長に怒られないで済む、と」
「・・・」
「ぷっ」
 島田がこっそり声を出した。案の定、芹沢がじとーっとした視線を島田に向けた。
「島田クン、今笑ったよねぇ」
「い、いえ! 笑ってません笑ってません!」
「人間、本当の事は一回しか言わないって『ラジオシーエム』で聞いたけど」
「何ですかラジオCMって。この時代にそんなものはないでしょう」
 山崎は芹沢と島田のやり取りを見ていた。しかし心の中は別のことで一杯だった。
“桜の枝・・・サクラノエダ・・・桜、賽の目、花言葉・・・目は何かを表しているの?”
「雀ちゃん」
 思考の海に沈んでいた山崎は、芹沢に呼ばれて仕方なくその海から上がってきた。
「はい」
「佐々木クンと縁があって、なおかつ昨日のアリバイがない隊士を呼んできて」
 芹沢は山崎にだけ聞こえるように、間近に寄ってきて囁いた。
「・・・それは?」
「アタシ・・・犯人は新選組の中にいると見たのよね。だから」
「犯人が内部にいると見た根拠を、できればお聞かせください」
「んん?・・・根拠? アタシの勘」
「・・・なにゆえ、昨日のアリバイですか?」
「だって・・・ん?・・・昨日とは限らないって事?」
「聞いてみましょう」
 山崎は短く言い置いて。
「奉行所の皆さん。お尋ねしますが、犯行時刻についてどういった見解をお持ちで?」
「・・・・・」
 同心たちは、『俺?』『おまえだろ』といった風に顔を見合わせて小声で囁き合っている。業を煮やした芹沢が同心の一人を指さした。
「キミ、キミが答えて」
 その同心は死刑宣告でも受けたかのように真っ青な顔になった・・・が、おとなしく近づいてきた。
「被害者の状態から、犯行時刻は昨日の晩だと断定できますか?」
 山崎の質問に同心は視線を彷徨さまよわせながらも、思ったよりも流暢に答えていた。
「断定はできません。が、少なくとも昨日の昼間以前という線は消えますな。何しろこれだけの刀傷ですので、多数で取り囲んでの犯行でしょう。それが明るい内に行われたとは考えにくい」
 その時、間抜け面していた島田がこう会話に割り込んで来た。
「全身斬り刻まれてるからって多数と決めつけるのは・・・怨恨で執拗に斬ったという線もありでは?」
「おお! その可能性には思い至りませんでした」
「ええ?」
 思わず山崎と島田はハモッてしまった。その同心はしかし、真面目な顔でこう言葉を続ける。
「なるほどさすがに実戦経験豊富な新選組の方々ですな。実に素晴らしい洞察力をお持ちで」
“斬り口が多いのは、怨恨という線だけではなく、犯人の腕前が良くないという可能性も有りですが”
 山崎は内心こう考えてもいたが、わざわざ口にする事もないかと思って黙っていた。芹沢は、少し呆気に取られていたらしいが、気を取り直して山崎にこう話しかけた。
「雀ちゃん、さっき言ったあの条件でさ、うちの隊士で怪しいのを引っ張ってきてよ」
 山崎はしばらくの間、立ったままでいた。頭の中で情報を整理した。
“あの人と・・・それから・・・と。三人ですね”
「了解しました局長」
 そして近くにいた監察方の二人に何事か囁いた。頷き合ってから芹沢に向き直る。
「では、これから・・・」  
 そこまで言ったとき。のそっと現場に現れた新選組隊士がいた。
「あの・・・えらい事になってるみたいですね」
「あ・・・」
 山崎が声を出した。その隊士、いや隊士ではなく副長助勤の野口のぐち健司けんじ、は芹沢に軽く会釈した。
「どうも、局長ご無沙汰してます」
 野口健司。年齢不詳。水戸脱藩の副長助勤で、やせた丈の高い人物である。
“助勤なのに影が薄いんですよね、この人。まるで空気”
 山崎はこう心の中で結論づけた。実際、野口は芹沢派とされる隊士だが目立った逸話は残っていない。
「野口さん、今あなたを呼びに行こうと思ってたんです・・・局長、彼が『一人目』です」
 他の監察方二人が『二人目』『三人目』を連れてくるまでの間、野口に話を聞くつもりだった。


「ええ。佐々木君とは結構一緒に稽古とかしてました」
 影の薄い野口が、佐々木との出会いについて長々と語っていた。
「俺より少し遅れて入隊してきた佐々木君は、ほら、どちらかといえば女顔でしょ? だから稽古の時とかからかう奴がいたんです。そういう俺もその一人でした」
 からかうだけじゃなく、かなり辛辣な言葉も投げつけた。だからだった。
「今風に?言えば、キレた佐々木君が猛然と打ちかかってきたんです」
 実戦さながらの技の応酬。二人とも全身ボロボロになるまでやめなかった。そして、不思議というか必然と言うか、限界まで戦い合った二人の間には強い絆が生まれていたのだった。
「まあ、結果だけ見れば俺の方がよりボロボロで、はっきり言って負けたんですけどね」
 野口は自嘲気味に笑った。芹沢はその野口の話を聞いて顎に手を当てた。
「ふーん、て事は動機としては、それなりにあるわけね」
「動機って・・・」
 先ほど、山崎から大体の状況説明を受けていた野口は困ったように頭をかいた。
「そりゃ、負けましたよ。直接は誰にも見られてなかったですが、先輩の威信は粉々です。でも」
 そこまで話が進んだとき、監察方の二人が呼びに言ったという『二人目』『三人目』がやってきた。
「とりあえず、野口君の件は置いておいて。残り二人の容疑者にも話を聞いてみましょ」
「カモちゃんさん・・・容疑者って」
 島田の言葉は芹沢の耳には届かなかった。
 一方、山崎は死体の状態を詳しく観察しつつ、同心にまだ話を聞こうと試みていた。
「ところで、あぐりさんの実家である『八百藤やおふじ』にはもう、この訃報ふほうを知らせましたか?」
 その同心は真面目極まりない顔で、こう答えを返してくれた。
「おお! まったく考えてもいませんでした! なるほど確かに、これは実家の方々にお知らせせぬわけには参りませんな」
「・・・やっぱり駄目かも」


 『二人目』は平隊士、山野やまの八十八やそはち。加賀金沢脱藩。色が白く、目が細い人物だ。
 『三人目』は副長助勤、佐伯さえき又三郎またさぶろう。長州脱藩で長く大坂にいたという人物だ。
「私と佐々木さんとは、町娘に恋をした者同士なんですよ」
「芹沢局長もご存じと思いますが、よく局長にあちこち連れ回される者同士、です」
 状況説明を受けた二人は、やはり困ったような顔をしながらも語った。
「私は茶屋の娘、佐々木さんは八百屋の娘でした。お互い、相手に文を出して想いを伝えました。あぐりさんは読み書きが不得手だと言うことで、佐々木さんの情熱はやや空回り気味でした」
 佐々木とあぐりの仲は最初のうちは一向に進展しなかった。けれど山野の方は娘と思ったより早く深い仲になってしまい、そのため佐々木と山野の間が険悪になった事もあった。
「女絡みの怨恨ね。動機としては充分あり得るけど・・・で? それからどうなったの?」
 芹沢が先を促した。山野はニコニコした顔で、続きを語った。
「いえ、私と・・・そう佐伯さんがあれこれ助言して、佐々木さんとあぐりさんは徐々に仲を深めていかれました。でしたよねえ佐伯さん」
 話を振られた佐伯は強く頷いた。
「そうそう。手ぐらい握れるようになれとか時には強引に迫ってみろとか、色々言ってやった・・・です、でしたよ。芹沢派の隊士どうし、親身になってやりましたです」
 芹沢の視線に気づいて、語尾が変になったようだ。
「あと、関係ないとは思いますが佐々木と山野は缶コーヒー通でしてね。な、山野」
 佐々木も山野も、どちらかといえばなよっとした雰囲気だ。それを他の隊士がからかう事があった。
「意外ねえ。で、何を飲んでたの?」
 芹沢は何か考えがあるのかないのか、ぐいと身体ごと迫って山野に聞いた。
「私も佐々木さんも、『おとこ』ぶって無糖ブラックを飲んでましたよ・・・無理に」
「局長、変に勘ぐられる前に話しますけど、二人は愛飲のコーヒーで揉めてた事もありました」
 佐伯はことあるごとに芹沢に対して、ご機嫌取りの行動に出る事があった。脇で聞いていた山崎は佐伯の声を聞いて顔をしかめた。今もまたその気配を感じ取ったからだ。
 佐々木の愛飲するコーヒーの『脱酸素いれたてパック製法』と、山野の愛飲するコーヒーの『ナチュラルポリッシュ製法』どちらがより上質か口論になった事があったらしい。
「そお・・・アタシ、別にそこまでマニアックな事聞きたかったわけじゃないんだけど」
 芹沢は少し表情を曇らせてそう言った。
「それより、動機探し最後は・・・」
「俺の動機っていうと・・・強いて上げればあれでしょうか」
 芹沢の言葉の途中で佐伯は、今度は自分の番とばかりに口を開いて話し出した。
「芹沢局長が俺と、佐々木君と、他にも何人か連れて見せ物小屋に言ったときの話です」
「あー、あれね。アタシがお茶目をやろうとした」
「あれがお茶目・・・いや、それで鮮やかな色した『おうむ鳥』に声をかけられてました」
「そうそう。それが『マイド、マイドー』とか、人を見下した小馬鹿にした声出してさ」
 芹沢と佐伯二人で盛りあがっていて他の人たちは置いていかれたような形だった。
「アタシが『口の利き方に気を付けなさいよ』って言ったら『オマエモナー』とか返されてさぁ」
 そこでかっとなった芹沢が刀に手をかけ、佐々木にこう言ったのだ。この鳥に水をぶっかけて丸洗いしてぎいぎい言わせてやると。怒った芹沢の気迫に他の隊士は圧倒されて何も言えなかった。だが佐々木だけは違った。芹沢の前に立ちはだかって誠実に、且つ力強く諫めたのだ。
「『鳥にだって心はあるんです。たわむれに酷い目に遭わせてはいけません』って。格好良かったわぁ」
「で、俺が局長の威光を笠に着て佐々木君を叱りつけて。まさに一触即発でした」
 結局、佐々木の言葉で落ち着いた芹沢が前言撤回したおかげで、その場は丸く収まったのだった。
「・・・で、佐伯さんは芹沢局長への『媚び根性』から佐々木さんに恨みを抱いた、と?」
 山崎の言葉に佐伯は目をそらして答える。
「いえ、俺はやってないですよ。ただみんな動機があるある言われて、俺だけ動機なんかないって言い張るのも何だかなあと思って。(媚び根性って言葉あるのか? にしてもすごい言われようだな)」
 山崎は佐伯の素行があまり良くないことを知っていた。監察方として一通り隊士の動きは把握している。佐伯は遊び好きで、頻繁に色里などに出入りしていた。その割に給金の前借りといった行動は少ない。
 ともかく、山崎は佐伯の答えを無視して例の同心に声をかけた。
「それより同心さん、聞いていいですか」
「何ですかな?」
「犯行が夜間だとしても、誰かが何かを見ているかもしれません。聞き込みはどういった具合です?」
 その同心は・・・やはり真面目そのものの声で、こう答えを返してくれた。
「おお、もうそういったところまで考えを巡らしておいでとは、さすが賢いですな」
「ええ!?」
 島田が今度は笑いをこらえつつ、驚きの声を出していた。同心は、そのままの顔でこう続ける。
「ただまあ・・・聞き込み専門の同心を、上に掛け合って派遣してもらわなくてはなりません」
「あのさあ、アタシたちだけで事件解決しようよ。その方が早いって気がするのよ」
 芹沢が、力の抜けた声で割り込んできた。
「はい・・・私もそう思います」
 山崎は、深いため息をついた。
 何か考えていた芹沢が、不意にぽんと手を打って、自信ありげに話し出した。
「ところでキミたちさ、いきなりだけど刀を抜いて見せて」
 突然の芹沢のこの言葉に、三人はあたふたと刀を抜いた。
「島田クン、刀身とかよく見て。ちゃんと見てよ。目玉をくっつけるくらいな感じで」
 島田は言われるままに鼻先を三人の刀に近づけて、じっと見つめた。
「・・・あ、ここに汚れが。血か?」
 佐伯の刀にだけ、血の痕が残っていた。
「名探偵として推理するけど、犯人の使用した凶器には・・・」
 芹沢の言葉を途中で制するように、三人は答えていた。
「俺は三日くらい前、研ぎに出しました。その後は今日まで書類整理だったんで、刀は綺麗です」
「私の刀は、昨日研ぎから帰ってきたばかりです。汚れてなくてすいません」
「新選組隊士たるもの、争闘はしょっちゅうの事でしょう。拭き方が雑なのは認めますけど」
 刀を調べて血痕が認められてもそれが即、犯人を特定する証拠にはならないと佐伯は付け加えた。
 身に帯びている刀が争闘で刃毀はこぼれすると、これは研ぎに出す必要がある。だが不逞浪士を斬って血が付着しただけなら、その日の内に拭ってしまうのが常だ。新選組の隊士にとって、刀に血が残っているというのはある意味普通の事である。少し手入れが不充分と言われれば、そうかもしれないが。
「・・・雀ちゃんどう? 佐伯クンの言葉は合ってる?」
「そうですね」
 芹沢の質問に山崎は頷いた。そして二人の死体のそばに突き立てられている桜の枝と、賽の目二個を指し示した。芹沢は自分の推理が外れて、拗ねているらしい。そんな芹沢に聞いてみた。
「これらがダイイングメッセージだという可能性もありますが・・・局長のご意見は」
「できれば名探偵カモちゃんって呼んで」
“名探偵・・・いえ、迷探偵でしょうか? どちらにしても、呼びたくないです”
 口にはできない感想をもらすと、山崎は同心たちに目を向けた。
「確認しますが、どなたも現場をいじっていませんよね?」
 同心は全員無言で頷いた。山崎も頷き返した。
「ダイイングメッセージ、ですか」
 野口が言った。
「死ぬ間際に、犯人の手がかりを残したという事ですか」
 山野がそう言って、二人の死体に手を合わせて目を閉じた。
「佐々木、おまえはこの桜と賽の目で何を伝えようとしたんだ」
 押し殺したような声で佐伯が言った。
「雀ちゃん。あんまり難しく考えない方がいいんじゃない?」
 芹沢がそう言って、血にまみれた桜と賽の目を見た。
「桜と賽の目からどんな連想すればいいんですか?」
 島田が何も思いつかない、と言わんばかりの顔で言った。
「・・・・・」
 山崎は黙っていた。断片的に何かが頭に閃きそうな、そんな気がしていた。
「確かに、それらがダイイングメッセージだと決めつけるのは早計ですよね」
 野口が躊躇ためらいがちに意見を述べた。
「多面的に考える必要がありますが・・・桜と賽にどんな意味が込められていると?」
 山野が思慮深そうに聞いてきた。
「推理する価値はある。佐々木の魂のメッセージかもしれないんだぞ」
 佐伯がそう主張した。
「桜のダイイングメッセージ・・・花言葉とか?」
 島田がそう言って、芹沢の様子を窺った。
「賽の目にも何か意味があるかもね・・・目と、何かの言葉の置き換えとか」
 芹沢が少し困ったような顔でこう言うのを、佐伯が大げさに声を上げて追従の意を表した。
「置き換え! そうかもしれない。ただ問題は何と置き換えられているか、ですが」
「賽のつくり、、、は、一天地六東五西二南三北四いってんちろくとうごさいになんざんほくし。一と五の目は『グイチ』って読むわよね」
「その通りです局長。賭場独自の目の読み方です。局長も、よくおやりになるようで」
「・・・・・」
 山崎は黙っていた。さっきから目に映る情報、耳から入ってくる情報をつなぎ合わせようとしていた。
「桜の花言葉といっても・・・気高さとか、純潔とか、色々あって一つには絞れませんよ」
 野口がそう言って、葉を茂らせている桜を見上げる。
「木の根元に枝が突き立っているのは、地面に何か書き残そうとしていたのでしょうか」
 山野がそう言って、地面を凝視した。だが枝は突き立っているだけで文字の痕跡はない。
「一と五なら、天と東・・・グイチという名前の奴・・・うーむ」
 難しい顔で佐伯が唸っている。
桜目さくらめさん・・・なんて人はいませんよね。桜枝さくらえださん、さくらの・えださんとか」
 島田が、ほとんど無意味な言葉をもらした。
「アタシは名探偵。アタシは名探偵・・・」
 芹沢は、何やら自分に暗示をかけている様子だ。『名探偵カモちゃん』は早くもピンチらしい。
「・・・!」
 突き立てられた枝に触れてみて山崎は思った。
“かなり深くまで押し込まれていますね”
 今までの彼らのやり取りの欠片かけら、欠片を脳裏によみがえらせた。
“これは・・・まさか・・・いや・・・なるほど”
 山崎は表情を引き締めた。もしそうなら許せないと思った。士道不覚悟は間違いなかった。
「同心さんたちにお願いがあります」
 山崎は見物人たちを帰らせて欲しいと頼んだ。彼らは監察方二人の助力もあって、どうにかこうにか実行してくれた。見物の人々はぶつぶつ言いながらも、比較的おとなしく立ち去っていった。
「雀ちゃん?」
 芹沢の声に目だけ向けて、山崎は静かな声で言った。
「佐々木さんとあぐりちゃんを殺害した犯人・・・が、わかりました」
「マジ!?」
 こう反応したのは島田だった。
「さっきの今で、事件解決!?」
 野口、山野、佐伯の三人は、半信半疑といった顔で山崎の次の言葉を待っている。同心たちと見物人の群れがいなくなった今、その場にいるのは全部で六人だった。
「え〜、名探偵スズメちゃんになっちゃうのぉ?」
 ズレた感想をもらしているのは芹沢だ。ただ芹沢、声とは違って目は真剣そのものである。
「そういう事は、軽々しく言える事ではありませんよ」
 おっとりと山野が、開いているんだかいないんだかわからない目で、山崎を見た。
「野口さん」
「え? 俺?」
 山崎が最初の一言を口にしただけで野口が過剰に反応した。
「山崎さんは何の根拠があって俺を犯人だと・・・」
 野口の言葉を山崎は無視した。山崎の言葉にはまだ続きがあったからだ。
「と山野さん、お二方は屯所に戻ってくださってかまいません」
 三人の身体が硬直した。山崎の言葉が表しているのはつまり・・・。
「俺・・・が二人を殺した犯人だと。そう言ってるんですか」
 佐伯が、険しい目で山崎を睨みつけながら、そう聞いてきた。
「直接、そう言わないとおわかりになりませんか?」
 山崎はわざと丁寧な言い方をした。
「真綿で首を絞めるような言い方、ですね」
 山野が小声でそう評した。そして野口と共に、佐伯を注視した。
「ではご要望にお応えして・・・佐々木さんとあぐりちゃんを手に掛けたのは、佐伯さんあなたです」
 佐伯の身体が、怒りのためか震えていた。
「何を根拠に・・・いくら山崎さんでも事と次第によっては只じゃすまさないですよ」
 山崎はそんな佐伯とは視線を合わさず、佐々木とあぐりの物言わぬ身体を見下ろした。
「この二個の賽、犯人が犯行の際に落としたもののように思えますが・・・確か佐伯さんはよくそういった遊びに行かれますよね。ついさっきも芹沢局長と盛りあがっていたようですし」
「確かに俺はそういう遊びもするが・・・この賽が俺の物だと言う証拠がどこにある?」
「いえ、まだ私はそんな事は一言も言ってませんが。それとも何か心当たりでも?」
「誘導尋問でもしてるつもりか。俺を引っかけようとでも」 
 山崎は、そういうわけでは、と言い置いて突然話題を変えた。
「山野さんの動機について言及していた時、関係ない話をしてましたよね。コーヒーがどうとか」
「関係ないって・・・確かにそうかもしれないが、思いついたんで口にしたまでだ」
 山崎は身をかがめて、二人の身体に触れながら言葉を続けた。
「それに、賽の目のダイイングメッセージにも反応してました。わざとらしいくらいに」
「わざとらしいとは何だ。言いがかりはやめてくれないか」
殊更ことさら、推理に参加してる風を装ってました。そうすることで何かを誤魔化そうとするかのように」
「だから! ただ怪しいってだけで犯人扱いはよしてくれ!」
 佐伯が猛然と怒鳴った。思わず聞いていた島田の心臓がはねた。
「そうですね」
 だが山崎は平然としていた。二人の身体のそばに突き立っている枝を引き抜いた。
「おやおや、思いの外深く刺さってました。かなり力を込めて突き立てられたみたいですよ・・・さきほど佐伯さんはダイイングメッセージについてこう言ってましたね」
 佐伯は少し無言になってから、声を落ち着けてから答えた。
「言ったって・・・今度は何を指摘したいんだ?」
「『佐々木、おまえはこの桜と賽の目で何を伝えようとしたんだ』と言ってましたよね?」
「ああ言った。それがどうしたんだ?」
 佐伯の声に苛立ちがあった。回りくどい言い方はよせ、と言わんばかりの様子だ。
「枝は血にまみれていました。そして二個の賽も血まみれです。つまり佐々木さんは、いまわの際に犯人の名を知らせようとしたのです。桜の枝と賽を使って」
「それって、さっきあれこれ推測してた桜と賽の目?」
 芹沢が懐から鉄扇を取り出しながら、そう山崎に聞いた。
「桜と賽の目。謎のダイイングメッセージって、ドラマにでも出てきそうな謎掛けだな」
 間抜けな感想をもらす島田を横目で見て、山崎は口を開いた。
「島田さんが見てそうな三流ドラマの『ダイイングメッセージ』ほど馬鹿馬鹿しいものはありません。あれはメッセージではなく『とんち』です。或いは『ネタ』ですね」
 島田がショックを受けたように、口をあんぐりとあけた。無視して山崎は続ける。
「死ぬ間際にくだらない『とんち』や『ネタ』を考えている暇があるのなら、何としてでも犯人の名を、その一部分でもいい、始めの何文字かでもいい、直接示す努力をすべきなのです」
 山崎は手にした桜の枝で、地面に字を書いた。
【サクラノエダ】
「枝が突き立てられていたのは」
 また地面に字を書いた。
【キノネガマタ】【木の根が股】
「賽の目は一と五。つまり佐々木さんは突き立てた物の一番目と五番目の文字、そして突き立てた場所、で伝えようとしたのです」
 言いながら山崎は最初に書いた六文字のうち、一番目と五番目の文字に、丸をつけた。
【サ】【エ】
「突き立てた場所は・・・このばあい音はこっちの方がしっくり来ますが、股と又で文字が違いますから、カタカナで考える事にしましょう」
 言いながら山崎は、次の文字列にも丸をつけた。
【キ】【マ】【木】【股】
「・・・・・」
 佐伯は口元を押さえたまま身動きしなかった。
「サ・エ・キ・マ・・・聞き覚えのある文字配列だとは思いませんか? 四文字しかありませんが、佐々木さんの必死の遺言です。まあ京都の浪人をしらみつぶしに探すのが筋かもしれませんが、この四文字がこの順番で入っている人となると・・・佐伯又三郎、あなたしかいないと思います」
 言って山崎はじっと、目の前の佐伯を見つめた。
「あ・・・」
 野口が何か言いかけたが、山野がそんな彼を小突いて、『言うな』という仕草をした。
「・・・・・」
 佐伯は口元を押さえて、山崎から目をそらした。しばらくそのままでいたが、掠れた声で言い返した。
「それは、単に『そんな解釈もあり得る』ってだけだろ? こじつけはよせ。そんなむちゃくちゃな論理で犯人扱いされるのは心外だ。そもそも佐々木がそんな事を考えていたと言うこと自体が仮定の」
「おかしいですね」
 山崎はいきなり立ち上がると、視線を佐伯に向けた。
「この現場を見て、どうしてメッセージの送り手が佐々木さんだと決めつけるのです?」
 山崎は佐伯から視線をはずして、再び目を佐々木とあぐりに向けた。
「二人の身体は、あぐりさんを上にして折り重なって倒れています。そしてあぐりさんの身体に比べて佐々木さんの身体にはこれほど多くの傷があります。にもかかわらず何故あなたは、メッセージの送り手が佐々木さんではなくあぐりさんかもしれない、という発想をしないのです?」
「・・・」
 黙って佐伯は聞いている。全員が黙って聞いている。
「佐々木さんは情熱的な文を書きます。ですが、あぐりさんは読み書きが不得手です。よって佐々木さんが桜の枝でメッセージを残そうと思えば、当然文字にして残そうとしますよね。しかし現場には文字も絵も残されてなければ、その痕跡すらありません。もちろん、佐々木さんが大変に弱っていて字を書く力も残っていなかった可能性もありますが、たった今引き抜いたこの枝はかなり深くまで突き立てられてました。それほどの力が残っていながら、文字の一つも書き残していない。と言うことは最後にこの枝を手にしたのは文字が書けない人物、すなわち読み書きの不得手なあぐりさんなのです」
「ですね」
 野口と山野がつぶやく。佐伯の顔が少し青ざめてきたようだった。
「先ほどの、賽の目と文字の話。あれこそまさに『とんち』であり『ネタ』ですよ。佐伯さんだけが、どうして即座にそう反論できなかったのか、実に不思議ですが・・・あぐりさんは恐らく桜の枝で何かを残そうとして、文字の書けないのに歯がみしつつ息を引き取ったのでしょう」
 言いながら、山崎は手にしていた枝をぽとりと落とした。
「犯人はまず佐々木さんを斬り、さほど間をおかずにあぐりさんを斬りました。佐々木さんは、この枝を用いて何かを残そうとしました。それを見咎めた犯人は、それを阻止すべく更なる斬撃を加えたのです」
 佐伯の顔色は明らかに青くなっていた。心なしか、身体が揺れているようでさえあった。
「つまり、犯人の意識には『佐々木さんが枝を用いて何かを残そうとしていた』事が強く印象に残っているのです。さて先ほどの疑問の答えですが、佐伯さんが『桜の枝でメッセージを残したのは佐々木さんだ』と思ってしまうのは無理もない事だったのです。佐伯さんは」
 山崎は言葉を切った。たっぷり五秒は溜めてからゆっくりとその言葉の続きを口にした。
「犯行の行われた時刻に、この場所にいたのです。私の口にした『ネタ』にも思い当たるふしがあって即座に反論する事ができなかった、というわけなのです」
「・・・言いがかりだ。俺は」
 言いかけた佐伯の足下に目を向けて、山崎は言った。
「それにほら、佐伯さんの草鞋わらじの鼻緒。夕べの争闘の時の血がまだついてるじゃないですか」
「そ、そんなはずは、佐々木の血はちゃんと・・・!」
 佐伯はそう声を発して、自分の草鞋を見た。当然ながら、草鞋に血などついてなかったが・・・。
「ふ〜ん、雀ちゃんうまいわねぇ」
「語るに落ちたな」
 芹沢と山野の声で、佐伯は自分が『引っかかった』のに気づいた。
「私は『争闘の血』としか言ってません。新選組隊士たる者、争闘はしょっちゅうですから草鞋に血ぐらいつくでしょう。ですが『佐々木さんの血』がつく場所となるとただ一カ所」
 ここで一旦言葉を切って、たっぷり五秒は溜めてから山崎は続きを口にした。
「昨夜、犯行の行われたこの場所しかありませんね」
「・・・佐伯クン。何か言うことあるなら言ったら?」
 芹沢が、鉄扇を手の中で弄びながら、意図的に軽い声でつぶやくように言った。
「佐伯さん、まさか本当に?」
 野口と山野が、佐伯と同じくらい青い顔でこう聞いていた。
「あいつが・・・あいつが悪いのさ。あいつが妙な信念で声かけてくるから」
 小声で佐伯は言った。手で口元を押さえているので聞き取りにくい。
「自白ですか?」
 何気ない感じで山崎が聞いても、佐伯はそれを無視したらしかった。
「あいつが何もしなければ、俺も何もしなかったのに」
「自白ですね?」
「そう、俺のせいじゃない。あいつが関わってくるのが悪いんだ」
「佐伯さん、それは自白と解釈してもよろしいですね?」
 声の調子をやや強くして、山崎は念を押した。佐伯はようやく山崎の言葉に反応を返した。
「・・・ああ、そうや」


「おや? あれは」
 あぐりと会っていた佐々木は三条河原近くの長州藩邸から、見覚えのある人物が出てくるのを見て眉をしかめた。あぐりが『?』という目を向けた。
「今、長州藩邸から出てきたのは・・・佐伯さんじゃないか?」
「本当ね・・・何でかしら?」
「・・・もしや・・・」
「・・・それって・・・」
 二人は同じ意見に達して顔を見合わせた。
「もしそうなら、ゆゆしき事態だ」
「帰って隊長さんにご報告を」
 そう言いかけるあぐりを、だが佐々木は制して言った。
「いや、それでは佐伯さんは死罪になる。私は、できればそれは避けたい」
「でも、裏切りは切腹。そして見かけていながら黙認した事がしれたら、愛次郎様も!」
「しっ、声が大きい」
 そうたしなめて、佐々木はあぐりの目を見た。
「私は、人間というものを信じたい。人は過ちを犯すこともあるし、しくじることもある。過ちやしくじりなら、正したりやり直したりできるはずだ」
「でも、裏切り行為をするような方が・・・」
 なおも何か言いかけるあぐりの口を、そっと佐々木は手で押さえた。
「どんな人にも心はある。誠心誠意、話をすれば必ず思いは通じるよ」
「・・・わかりました。ではあぐりも、愛次郎様と共に参ります」
 佐々木はしばらく迷っているようだった。しかし佐伯が去っていくのを見て心を決めたのか、二人でその後をつけていった。
 夕暮れの神社、桜の木の下。佐々木の話を聞いた佐伯は、がくりと膝をついて嗚咽おえつの声を漏らした。
「佐々木・・・佐々木、すまない。俺は・・・見たのがおまえでなければ、俺の命は」
「佐伯さん。正道に立ち返ってください。誰しも過ちは犯します。でも私たちはそれを改める事ができます。やり直すのに遅すぎると言うことはないのです。佐伯さんもこれからは・・・」
 うずくまっていた佐伯は何度も頷いてから、ふと顔を上げて佐々木を見上げた。佐々木とその傍らにいるあぐりの顔からは、自分に対する情がにじみ出ていた。二人の言葉に偽りなどあろう筈がなかった。
「ああ、わかっている。俺が間違っていた。これからは心を入れ替えて・・・」
 口元を押さえてそう言葉を紡ぐ佐伯の顔が、しかし醜く歪んでいるのを佐々木もあぐりも見逃していた。
「そうですか。わかりました。私も武士です。今日のことは忘れることにします」
 あぐりと顔を見合わせて、満足げに微笑み合う二人。そんな二人を見る佐伯の目は濁っていた。
「佐々木。俺は、気が抜けたらしい。手を貸してくれないか」
 そう、佐伯は言ってうずくまったまま佐々木を見つめてきた。疑わず佐々木は笑顔で歩み寄ってきた。右の手を出して佐伯を引き起こそうと身をかがめた。
「馬鹿が」
 そう、吐き捨てた佐伯は、立ち上がりながら右手で刀を抜いていた。


「それで、あなたは二人を」
 山崎の問いに佐伯はもうさっきまでの仮面をはずして素の顔で吐き捨てた。
「ああそうさ。他言はしないだ? 武士の誇りだ? そんなあやふやなもん信用できるわけねーだろが! それより口を封じちまった方がいい。その方が確実にバレねえさ。おまえらだってそう思うだろ?」
 話を振られた野口と山野は、どう答えて良いかわからないので、ただ無言で佐伯を見ている。
「何故、長州藩邸に出入りを?」
 山崎が、聞くまでもないとは思ったが一応、質問してみた。
「かね」
 一言、佐伯はそう答えた。山崎が、そして芹沢と島田が何か言う前に、こうまくし立てた。
「金だよ金! おまえら、金欲しいだろ? 欲しくねえなんて奴、いるか? 連中にちょっと隊の事を話すだけで金がもらえるんだ。命かけて刀振るって金稼ぐなんて、馬鹿らしくてやってられっかよ!」
 遊ぶ金の出所はそこですか、とさげすむような山崎に、佐伯は同じく蔑むような目で見返してきた。
「おめーら、もうちっと頭使えよ。楽して金もらえるんだぜ。何で律儀にちまちま人斬り仕事してんだ? 血まみれにならなくたって、金は手に入るんだ。おめーら揃って馬鹿だろ?」
 自暴自棄になっているのか、芹沢がいるのも意に介さず佐伯は喋り続けた。
「佐々木もあぐりも大馬鹿さ。俺の芝居にまんまと騙されやがって。二人で顔見合わせて、微笑み合ってやがんの。なーに『私たち良いことした。この人の心を救ってあげる事ができた』みたいな顔してやがんだ。おめでたいったらありゃしねえ。そうそう、惜しかったのは、あぐりを抱けなかった事かな。どくどく血が出てるんで、生きてるうちにやっちまおうとしたらよ、佐々木が何かしてやがんだ」
 誰も何も言わない。佐伯の、悲鳴にも似た言葉はなおも続いていた。
「マジであせったぜ。だから、身動きしなくなるまでギタギタにしてやろうと思ってさ。けど、あいつ何回斬っても動きやがるんだ。十回くらい斬ったな。十二カ所だったか。耳まで落としたのは気づかなかった。いい加減疲れたし、改めてあぐりを抱く気も失せてたんで、即行で帰った。その時だったんだな。賽を落としたのは・・・賽と枝が血まみれなんで、てっきり佐々木が息吹き返して触ったと思ったぜ」
「佐伯さん」
 山崎が冷たい声で言った。
「あなたが情報を漏らしていたのは長州の、何という方です?」
「ああ? おめーやっぱ馬鹿女だな。そんなこと口が裂けても言えるか。だが、一つ言っとくがよ、情報を売ってんのは俺だけじゃねえぜ。へっへっ、せいぜい疑心暗鬼になりな」
 野口が刀を抜こうとした。それを山野がすんでのところで制止する。
「野口さん?」
 山野の声に、あわてて野口は自分の刀から手を放した。そして佐伯に一言。
「見苦しいぞ佐伯。武士なら潔くするんだ」
 佐伯は『何言っている?』という顔をして、次の瞬間には笑い声を上げていた。 
「あっはは、潔くだ? 死ぬのにいさぎよいとかわるいとか、関係ねーだろ?」
 そして腰の刀を抜こうとして、ぴたりと動きが止まった。
「潔く・・・? どうせ死ぬなら一緒って事か・・・ああなるほど、わかったよ」
 暴れ出すかと思いきや、意外な言葉を発する佐伯に一同、ちょっと呆気に取られてしまった。
「潔くしてやるさ。ただし、オレ流にな!」
「!・・・島田さん・・・」
 脳内で情報整理をしていた山崎が警告の言葉を発したが、ちょっと遅かった。ボーッとしていた島田は、素早い動きで襲いかかってきた佐伯に反応できなかった。
「わ・・・!」
「近寄るなあ! しらねえぞ」
 刀を抜いて、島田の喉に押し当てた佐伯は、既に獣じみた顔と声になっていた。ちなみに島田の余りの不用心さに芹沢も山崎も他の二人も、かなり呆れた顔になっていた。
「芹沢よお、あんたは」
 佐伯の言葉はもはや、局長に発する言葉ではなかった。
「こいつがお気に入りだろ? 助けたかったら全員動くなよ。俺はどんな事しても生き延びてやる」
 野口と山野がじわりと動こうとするのを、佐伯は一睨みで制した。こちらの人数は合わせて四人。斬れる事は斬れる。だがしかし、島田の首と胴がつながっているかどうかはわからない。
「く・・・」
 島田は何とか身をよじって佐伯から離れようとしたのだが、追い詰められた人間の力とはこうまで凄まじいのか。力では決して人後に落ちない島田が、どうにも逃れることができなかった。
“こいつ、なんて力だ・・・俺のせいでみんなに、カモちゃんさんに”
 その芹沢だが、鉄扇をもてあそびつつ立っていた。無表情で何を考えているかわからなかった。
「カモちゃんさん! 俺にかまわずこいつを!」
 島田はそう叫んだ。情けない事だが、窮鼠猫を噛むの言葉通り、全てをかなぐり捨てた佐伯の力はすごいものがあった。油断した結果なのだから自分は仕方ない。だが他の人に迷惑は掛けられない。
「カッコつけんなよ」
 佐伯が、島田の耳元でこう囁いた。
「取り乱せよ。人間誰だって死ぬのは怖いさ。死にたくない、助けてくれって言ってみろ。飾るな気取るな偽るな。己を偽るは士道不覚悟だ。今の俺みたいに、素の顔をさらけ出せ」
 島田は頭の後ろの佐伯に語りかけた。迂闊うかつに動くと首が切れそうだったからだ。
「俺は自分を偽ってないし、命乞いもしない。何をどうやってもおまえは終わりだ。今のお前はまさにケダモノだが、せめて最後は人として終わるべきだ」
「確かにね」
 そう、相槌を打ったのは芹沢だ。隣で頷いて言葉を付け足すのは山崎。
「一時とはいえ、あなたも『誠の旗』の下に集った同志。できれば人として葬ってあげたいです」
 芹沢と山崎、二人の視線を受けて佐伯は身体をぶるぶる震わせた。顔を嫌悪の色に染めて。
「その目か! またその目か! 人斬り稼業で両手血まみれのくせして! がああああ!」
 佐伯は狂気の声を上げて脇差しを高く振り上げ、島田の喉を貫かんとした。
 ビュウッ!
 その時、風が吹いた。桜の木の上方へと駆け抜けていく風。その風で砂埃が舞飛ぶ。
「がっ!」
 佐伯が目を押さえて悶えた。埃が目に入ったのか、腕の力が緩んだ。
“チャンスだ!”
 島田はそう思った。すぐに佐伯の腕を振りほどき、身を翻して反撃しようと・・・したが思い止まった。その場に倒れ込むように身体を伏せたのだ。
 鈍い音がした。一瞬前まで島田がいた空間を通って、鉄扇が振るわれた。佐伯の顔面が血を噴いた。どうと倒れた佐伯の身体は、かすかに痙攣けいれんしている。
 芹沢は顔色一つ変えずに、鉄扇を拭って懐に戻した。山崎が我に返ってこう叫んでいた。
「きょ、局長! 島田さんいたんですよ。もし島田さんの動作が一瞬でも遅かったらどうなったと」
 その言葉を最後まで聞かずに芹沢は、明るい声でさらっと答える。
「頭が割れてたわね。でも、島田クンだから避けてくれるかな・・・って感じで攻撃しちゃった♪」
 山崎は言葉に詰まった。そして今度は地面に転がっている島田に近づいて言った。
「島田さんも! もう少しで頭割られてたんですよ。よく反撃しないで身を伏せましたね」
 島田は転がった体勢のまま、答えていた。
「いや反撃する気だったけど、勘かな。伏せないと死ぬ! そう思って」
 山崎は考えた。二人の間柄について。一方的に使役されているとばかり思っていた。いつか島田のストレスが限界を超えて爆発するんじゃないかと、山崎は日頃から案じていたのだが・・・。
「ちゃんと噛み合ってるじゃないですか。案じて損しました」
 そう言った山崎の言葉は島田には意味不明だった。
「は? 噛み合う? 暗示?」
 島田は何か妙な想像をしたようだ。あわてて山崎から目を反らした。
「まだ息はあるようですが、いかがいたします?」
「頭から鼻筋にかけて、一撃ですね。顔面が陥没、出血はなはだしいです」
 野口と山野は佐伯の身体に近づいて一通り観察してから、こう芹沢に言っていた。ちなみに佐伯の手から落ちた、血がついている刀は山崎が手に取った。
 芹沢は黙って桜の木の根元を見た。山崎もそれにならった。折り重なるように横たわる、二人。
「今しがたの突風は、この二人の・・・」
「かもねぇ」
「でしたら、あの件については二人の意を汲んで・・・罪状は『同僚とその想い人を斬殺』で」
「良きに、はからっちゃえー」
 そう言い合って、芹沢と山崎は視線を佐伯に移した。もうほとんど身動きしてなかった。
「アタシ、動かない奴にトドメ刺す趣味はないしさ・・・」
「でしたら私が屯所へ行って副長に事のあらましを報告いたします」
「そーねぇ。名探偵の役目はおしまい、後は歳江ちゃんに任せちゃおうよ」
「はい。あ、ですが局長。ちゃんと口裏を合わせてくださいね」


 佐伯又三郎、死亡。死因は顔面への一撃による頭部骨折、流血による失血死。処断者はカモミール芹沢。見届け人は監察方、山崎雀。他数名。処断の子細について、山崎から土方への報告書には『同僚の想い人に懸想、私闘に及びこれを殺傷。武士の道を踏み外した』と記されていた。
 土方が芹沢に(とりわけ、佐伯が間者だった可能性について)詰問していたが・・・。
「アタシ、知らなーい。武士の道を踏み外したから斬った、じゃなくてぶっ飛ばしただけよ」
 誰に聞いても同じだったので、土方も引き下がるほかなかった。
 秘密の一端は、桜と恋人たちの内に。そして一陣の風と共に、大空の彼方へ。


 <後書きモドキ・ほか>
 題名については・・・釈明はしません。ジャンルは『推理物の皮をかぶった別の何か』になりました。
佐々木愛次郎の事件については、有名な子母澤寛のあの話では『沖田の話ではあれは芹沢が指示したとの事だった』とか、そういう文章がありますが私は信じてません。『芹沢が黒幕』はあり得ないと思ってます。史実の芹沢(もちろん行殺の芹沢にも言えます)には、見せ物小屋事件であれ大和屋焼き討ち事件であれ、自分が関心のある事には率先して首を突っ込む(関心ない事は見向きもしない?)という特徴があります。例の現場に行かないわけがありません。佐々木が刀の柄袋取ってない云々とかにも異議ありですが・・・。
 まあそう思い立って・・・気づいたら今回のような作品となってました。
 土方「私の出番はラストだけか? しかもセリフもないぞ(詰問していた、とあるだけで)」
 近藤「トシちゃん。名前が出ただけでもいいじゃない。あたしなんか・・・」
 永倉「アタイも沙乃も山南さんも・・・全然出番がねえ。退屈だ〜」
 原田「沙乃、『番外編その1』でメインで出たっきりで後は脇役ばかりなんだけど・・・」
 山南「確かに。アラタですら一応『二つ』メインの話があるというのに」
 芹沢「デザクエTとVね。ちなみにアタシは最近、メイン多いよねぇ。立て続けじゃない?」
 斎藤「藤堂さんもバレンタインで立て続けに・・・あ、僕がメインの話もありました」
 島田「永倉ですら二つあるのに。はっ! まさか!? あの作者、金髪好きにチェンジ?」
 沖田「沙乃ちゃんから金髪に移行・・・と言うことは、今のイチオシはきっとへーちゃんですね」
 藤堂「えー、私? あの人、私にラブなの?」
 山崎「藤堂さん・・・すごく嫌そうな、顔をされてますが」


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