偽作・行殺(はぁと)新選組ふれっしゅ
『間者』編その3 それでも俺は・・・(後)

 島田「財布無くすとか寝言を言うとか、俺いいとこなしなんだけど、いつ活躍できるんだ?」
 土方「前回までのあらすじも語らず、何を言い出すかと思えば・・・」
 芹沢「そんな事より! アタシ今回、めっちゃ怒ってるんだけど!」
 島田「何しに来たんですか? 今回はカモちゃんさん出番ないですよ」
 芹沢「(島田は無視)雀ちゃん! 駄目でしょ! どうして単独行動なんかしてるの!?」
 山崎「え!? え、と、あの・・・その、ごめんなさい」
 松平「それと、すぐ下に記述あるけど、黒谷に駆け込まないのも問題ね。どこ向かってるの?」
 山崎「あ、あの、それは・・・いえ、はい。中将様のおおせの通りです」
 松平「うんうん。女の子が一人でうろうろしちゃ駄目よ。京の町は危険だから」
 土方“・・・この方は、どのツラ下げておっしゃっておられるのだろう(憤)”


 山崎は、お夏の手を引いて走った。町の大通りは、もう目と鼻の先だ。
 黒谷の、金戒光明寺に逃げ込むという手も考えた。だが現在、黒谷は中将様の件でおおごとになっているはずだった。そのような場所へ駆け込む気にはならなかった。
“いつでもどこでも配慮好きな、あの人の悪影響ですね”
 山崎は、とりあえずそういう事にしておいた。
「お夏さん、早く!」
「だから・・・オレは」
「格好つけるのも大概にしてください」
「だから、おまえ人の話を・・・」
「あなたが犠牲になって、それで誰が喜ぶというんです?」
「話を聞けよ!」
 思わず立ち止まって、山崎はお夏の目を見た。
「オレは・・・足が遅いんだよ!」
 荒い息の中で、お夏はちょっと怒ったように言った。
「何度もそう、言おうとしたけど・・・おまえ、話を聞かなかったじゃないか」
「あ・・・あの」
「まったく・・・それはそうと、さっきの話だけど、おまえ気づいてるか?」
 ムッとしていたかと思えば突然お夏は、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「途中から呼び方が『野口さん』から『健司さん』に変わってたぜ。どうしてかな?」
「え!? え、と・・・それは、あのですね」
 山崎がどう答えていいか迷っていると、
「いたぞっ!」
 追っ手に見つかってしまった。真顔に戻って山崎はお夏の手を、強く引いた。
「わ・・・」
 お夏の足がもつれて、転んだ。
「あ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねえ・・・はあ、はあ、おまえは鍛えてるから、いいだろうさ」
 そうこうしているうちに、五人の男たちに囲まれてしまった。
「さっきはよくも!」
 そう言って殴りかかってくる男の腕を、山崎はかろうじて受け止めた。しかしあちらこちらから伸びてくる腕に対応しきれるわけがない。すぐに動きを押さえられた。
「てめーら、オレはともかくスズメに乱暴するのはよせ!」
 お夏も、二人の男に捕まえられている。辺りにいる町の人たちは、関わり合いになるのを避けるように、見て見ぬふりを決め込んでいた。ただ、やはり遠巻きに人垣ができた。
「やかましい!」
 お夏を掴んでいる男が、拳でお夏の顔を殴りつけた。
「やめなさい!」
 山崎は大声でその男に言った。自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
「暴力でしか、人の口を封じる事ができないんですか? それって最低です」
 いつのまにか現れた青山が、山崎のその言葉に言い返した。
「一理はある・・・が、お前たちも、偉そうな事は言えないだろうに」
 全部で六人になった浪人たち、のうち一人がニヤニヤ笑いながら会話に入ってきた。
「そうそう、お互いさまだ。それに・・・口を封じるのに、こんな手もあるぜ」
 何を言い出すのか、と山崎が考えを巡らせようとした瞬間だった。
「んっ・・・んむっ!」
 口をふさがれた。否、その男の口が山崎の唇を奪っていた。
「・・・! はあっ、はあ・・・」
 何とか身体をよじって逃れた。その男は、ニヤけた笑いを浮かべてこう言った。
「いいじゃねえか・・・初めてじゃねえだろ」
「それは・・・どういう」
「おまえ、知られてねえとでも思ってたのか?」
 男は肩をすくめて言った。
しゃべりすぎるな」
 青山がそう忠告したが、その男は無視して喋り続けた。
「俺たちの知り合いに、松永って奴がいたんだが・・・おまえ、そいつにヤラれたって噂になってるぜ」
「・・・!」
「どうせ、一度も二度も同じだろう。俺が、あの猿顔よりも良いことしてやるよ」
 耳元、というより耳に口をつけるくらいの距離でその男は、山崎に囁きかけてきた。
「こ、この助平スケベ野郎、スズメに触るな!」
 山崎の代わりに、というか何というか、お夏の方が顔を真っ赤にして怒っていた。山崎はといえば、冷静に状況を分析していた。
“あの事件を知っている・・・すなわち前回と今回の事件、背後に同じ人物がいるという事”
「男性恐怖症、まだ治ってないよな? そう簡単に忘れられるわけないものな。だろ、スズメちゃん」
 そいつは同じ距離で囁き続けている。青山は何を言っても無駄だと思ったらしく、黙ったまま周囲の様子に目を配り始めた。
「泣いてもいいぜ。怯えてもいいぜ。その方が俺はそそる・・・からよ」
「やれやれ、あいつときたら・・・む?」
 辺りを警戒していた青山が、何かに気づいた。山崎もほぼ同時に気づいた。
「うおおおお!」
 怖い顔をして、見知った顔の男が猛然とこちらに駆けてくる。
「何だありゃ」
 山崎を口説いていた男が言った。男の来襲に驚いて人垣が割れた。
「あれは・・・島田さん?」
「島田っていうの、あいつ」
 口説き男が、小馬鹿にしたように言った。
「人質が見えてないのかね、あいつ。あ、もしかしてスズメちゃんの、新しいオトコか? 見た目は屈強そうだしな。なるほどな・・・あいつに抱かれて、心の傷を癒そうとしたのか。可哀相に」
 茶化ちゃかすように、下卑げびた笑い顔のままでそう言う男に、山崎は毅然と答えてやった。
「私は、あなたなどに哀れまれる覚えはありません。それに、心のケアは既にすませてます」
 その男はきょとんとした顔になった。その間にも、島田は叫びながら距離を詰めてきていた。
「そこの男! 止まれ! この二人の女がどうなってもいいのか?」
 青山のその言葉に、島田は走るのをやめた。立ち止まって、相変わらず怖い顔をしていた。
「おまえ一人か? 仲間はいないのか?」
 青山は周囲にぐるっと目を走らせつつ言った。島田以外にも、どこに敵がいるかわからないと思っての行動らしかった。山崎もそっと辺りに目を走らせた。人々は皆、遠巻きにして様子を見ていた。通りに面した店の一、二件の二階の障子の戸が薄く開いているのが見えた。
“誰かが、こっそり覗き見しているような?”
 根拠はないが、山崎はそんな気がした。そして、こうも思った。
“私がされた事、島田さんには見られてないみたいですね”
「それ以上近づくな。そこで黙って見ていろ」
「見てろだって? 馬鹿な事言ってんじゃねえよ」
 頬が腫れて口から血を流しているお夏が、青山を睨みつけてこう言った。
「うぬぬ・・・」
 島田が、割れた人垣の近くで止まったまま唸り声を上げていた。
「そこのおまえ!」
 お夏が島田に目を向けて叫んだ。
「オレなんか無視して、スズメを助けてやれよ! 片方だけなら助けられるだろ!」
「騒ぐな!」
 お夏のそばにいる男が黙らせようと殴りつけたが、彼女は意に介さずに続けた。
「町を守るって事は、罪なき人間を助けるって事だろ! だったら助けろよ!」
「お夏さん・・・」
 山崎の視線に気づいてか、お夏は笑って見せた。仮面の下の微笑みだった。
「騒ぐなと言ってるのがわからないのか!」
 お夏を捕らえている男たちが、そう言って再び拳を振り上げた。
「お・・・」
 山崎が思わず悲痛な声を上げそうになった・・・時だった。
 風を切るような、音が聞こえた。そしてお夏の近くにいた男の頭に何かが飛んできた。ガツンと鈍い音がして、そいつはうめき声を上げて倒れた。男たちに隙ができた。
「?」
 山崎は、よくわからないながら近くにいた『口説き男』に裏拳を叩き込んで走り出した。
「させぬ!」
 そう言って山崎の身体に斬りかかろうとした青山だが、上から飛来した何者かに邪魔された。
「あいたた・・・お、おまえたちの思うようにはさせないよ」
 着地に失敗した感があるものの、空から舞い降りてきた?男は青山に見栄を切ってみせた。
“この声は・・・”
 背中からの聞き覚えのある声。続いて上の方からピシャと、戸が閉まる音が聞こえた。山崎が視線を向けると、さっき僅かに開いていた障子の戸が一つ、閉ざされているのが見えた。
“上・・・には誰が?”
 考えつつも山崎は、お夏を男たちからかばった。間をおかずに、
「うおりゃあ!」
 怖い顔をした島田の跳び蹴りを食らって、男が一人吹っ飛んだ。島田はそのまま、山崎とお夏を守るように立って男たちを威圧してくれた。そして、
「形勢逆転だね。さあどうする?」
 青山を見据えている、空から舞い落ちてきた男・・・それは新選組の斎藤はじめだった。
「くっ・・・一旦、退け」
 青山の声で、全部で六人いる男たちは風のように走り去ってしまった。
 近づいてきた斎藤に、山崎はちょっと心配そうに声をかけた。
「斎藤さん、着地、大丈夫でした?」
「・・・ええ、まあ」
 妙な間があった。
「スズメ。これだよ、飛んできたのは」
 お夏が持っていたのは、高級そうな皿だった。ほのかに魚の匂いがする。
「刺身の・・・皿?」
 島田が鼻をくんくんさせながら島田が話に入ってくる。
「犬みたいに鼻を鳴らして近寄ってくるな・・・スズメ、はい皿」
 お夏が言って、山崎に近寄って来た。山崎は出された皿を受け取った。
「犬って、そんな露骨に避けなくても・・・」
 ショックを受けているらしい島田は無視して、山崎は斎藤に話しかけた。
「上には誰が?」
 これに答えたのは、斎藤ではなかった。
「あたしだよ」
 振り向くと、どこかで見たような、メガネをかけた三つ編みの・・・。
「ちゅ、ちゅ・・・」
 大きな声を上げそうになるのを我慢して、その人物に小声で問いかけた。
「中将様、このようなところへ何故?」
「あたしが、出かけたい時に出かけて何か問題あるの?」
 その人物・・・町娘な服に替えただけの松平けーこちゃん様は、あっけらかんとした顔で言った。
「お一人でウロウロされるのは、充分に問題です。どうして黙って抜け出したりなさったのですか?」
「知ってるとは、さすが監察方。どうしてって、出歩く許可なんかくれるわけないからね」
「確かに・・・ではなく、新選組の藤堂をはじめ多くの方々が捜索に出ているんですよ」
 そう聞いたわけではないが、山崎はわざと断定するような口調で言った。
「ふーん、それはおおごとだわねぇ」
「・・・これ、皿です。人に向かって投げるのは危険です。二度となさらぬように」
「ふーん、皿割れなくて良かった。立派立派」
“ふーん、ですまされてしまいました”
 山崎は内心、頭を抱えていた。この人はご自分の立場をわかっておられるのだろうか?
「あの、お夏さん。その・・・怪我、大丈夫ですか? なんか、どうもすいません」
 一方島田は、情けない声でお夏に謝っていた。お夏は微妙に困ったような顔になった。
「ん・・・いや、まあ、気にするなよ」
「俺、今日こそ汚名挽回するんだと、気合い入れまくってたんだけど」
「「汚名挽回?」」
 お夏と、山崎の声が見事に重なった。島田は不思議そうに二人を見やった。
「へ? 二人して、なに?」
 山崎はこめかみに指を当てながら、なるだけ口調が辛辣しんらつにならないように意識して話し出した。
「汚名とは、不名誉な肩書きの事です。つまり」
「逃げだし野郎とか、臆病者とか、そういう感じの呼び名だな」
 山崎の言葉の切れ目に、お夏が言葉をつなげてきた。
「はい。そして挽回とは、取り戻すという意味です。つまり汚名挽回というのは」
「今日も逃げだして、また『逃げだし野郎』と呼ばれてやるぜ! って意味だぞ」
 お夏がまた言葉をつなげた。山崎は頷いて島田の目を見た。
「汚名は返上するもの、挽回するなら名誉です。理解しました?」
「・・・??」
 島田が不思議そうな顔をしているので、山崎は本気で心配になった。
「理解、できなかったのですか?」
「いやいやいや、違う違う。そっちじゃなくて」
 あわてて島田は答えた。
「何で、山崎さんとお夏さんは、そう息がぴったりになってるんだ?」
 山崎はお夏と目を合わせた。そしてお夏が答えた。
「人間、いろいろあるんだ。あんまり詮索するなよ。そんな事より」
 お夏は懐から何か取りだして島田に投げた。反射的に島田は受け取った。
「それ、返すよ」
「・・・・・」
 今、島田の手の中にある物。それは見慣れた島田の財布だった。
「許せよ」
「おまえが取ってたのか」
「人の行く手をデンと塞いでたんでな。むしゃくしゃして、やった」
 どうやら昨日、浜見屋の廊下ですれ違った時にスリ取っていたらしい。
「俺が、俺が昨日からどれだけ探したと・・・」
 半泣きでお夏に詰め寄ろうとする島田を、山崎は急いで止めた。
「島田さん落ち着いて。今はそんな事で争っている場合じゃないですよ。お夏さんも、こうして頭を下げている事ですし、ここは穏便に・・・」
「下げてねーよ! この人、頭下げてねーよ!」
 事実だった。お夏は胸を張って立っていて、どう見ても謝っている態度には見えない。とはいえ島田の顔を見る限り、本気で怒っているのではなさそうだが。
「お、斎藤ちゃん。無事みたいでなにより」
 斎藤に目を向けて、けーこちゃん様は明るく声をかけた。斎藤も笑顔を浮かべて答える。
「・・・いきなり突き落としてくださり、感謝の言葉もありません」
「礼には及ばないわよ。これでまた、芹沢に一歩近づいたじゃん」
“芹沢さんが二階から力士の皆さんの中に飛び降りて戦ったという、大坂の一件の事でしょうか?”
 そう山崎が考えていると、不意にけーこちゃん様が顔を向けてきた。
「実はさ、あたしはあたしで情報を収集してたのよ」
「・・・新選組からの報告を待てなかったのですね」
「まあ、それもあるし」
 けーこちゃん様はそう言うと、心持ち胸を張ってこう言葉をつないだ。
「ある御方から『一方を聞いて沙汰するな』という、ありがたい言葉を賜ってね。実践してみた」
「僕たちからの報告だけでは全てを知ることはできないと、そうお考えになられたんだ」
 斎藤が、そう補足した。山崎は、さっきから気になっていた事を聞いてみた。
「でも、斎藤さんがどうして一緒に? 藤堂さんとは一緒じゃないんですか?」
 けーこちゃん様がいるからには当然、彼女も一緒にいると思ったのだが。
「藤堂さんに会えないかと思って、黒谷に行ってみたんだ。そうしたら藤堂さんはいなくて、その代わりに事の次第を聞かされて・・・町に探しに出たんだ。その途端に藤堂さんと会ったからびっくりしたよ」
“会おうと思っていない時に限って会える法則、でしょうか”
「でも別々に探した方がいいって話になって・・・別れたんだ」
 藤堂は一緒にはいないようだ。それにしても、よく見つけられたものだ。
「食事をする場所では意外な情報が入ってくるって聞いて、僕たち耳をすませてたんだけど」
 斎藤の声が低くなった。山崎はつばを飲み込んで続きを待った。
「浜見屋は、今日は店を開けていないそうだ。昨日押しかけた連中のせいかもって、噂になってる」
“・・・昨日押しかけた連中って、やっぱり”
 山崎は思わずお夏に目を向けてしまった。お夏は一回、二回と頷いて見せた。
「ねちねちと使用人たちに絡んだあげく、金の無心をして帰っていった・・・らしい」
「そうですか・・・また悪い噂が一つ増えましたね」
「噂といえば、浜見屋は去年の暮れにも使用人が『妙な目』に遭ってるみたいだけど、知ってた?」
 けーこちゃん様が聞いてきた。去年の暮れ、と山崎は記憶を呼び起こした。
「妙な目・・・もしかして、一晩だけ失踪した人の話、ですか?」
「そうそう。誘拐か、脱走かと騒がれて、結局わけがわからなかったあの一件。あいつ何て奴だったっけ。六じゃなくて、八じゃなくて、そんな感じの名前のやつ」
 昨年の事だが、浜見屋の使用人の一人が、一日だけ行方をくらました事があったのだ。翌朝に戻ってきたその男の話も要領を得なかった。突然意識を失って、気づいたら朝だったと言うのだ。賊を見たわけでもなく、傷を負っているのでもない。結局その件は、うやむやになってしまったのだが。
「とにかく、あれもそれもこれもみんな新選組のせい・・・みたいな空気になってきてるわよ」
 わざわざ言われなくても、わかっている。わかってはいるのだが。
“直接、新選組に攻撃してきてもらった方が、むしろありがたい状況です”
 とりあえずは屯所に帰るべきかと、山崎は暗い気持ちで次の行動を決めようとした。お夏の身柄は確保したのだから、彼女の知る限りの情報をもらった上で、安全な場所にかくまう必要が・・・と考えていると。
「オレもおまえたちの、屯所ってトコに行く」
「屯所って・・・わかってるんですか? 副長にかかればお夏さんは」
「ああ、わかってる」
 事も無げにお夏はこう答えた。
「オレも、敵の一味だからな。裁きを受けるのは当たり前さ」
「・・・」
「それでもオレは決めたんだ。不当に裁かれるのは真っ平だけど、そこはスズメの上司だろ」
 これには山崎ではなく島田が、
「いやいや、あの人は服着た鬼そのものみたいな感じで・・・」
 こう言いかけて、けーこちゃん様が見てるのを思い出して絶句していた。
「わかりました」
 お夏の決意は固そうだと考えた山崎は、決断を下した。ここで論じていても仕方がない。悪い噂は、今は置いておく。先に安藤早太郎の濡れ衣を晴らしてやらねばならない。
「斎藤さん、すみませんが」
 山崎はこう言って、目でけーこちゃん様を示した。
「お送りしてから、屯所に戻ってきてください」
「わかりまし・・・あ、そういえば」
 頷きかけて、斎藤は自分たちがいた料理屋に入っていった。そしてすぐに出てきた。
「どうしました?」
 山崎の問いに、斎藤は決まり悪そうに答えた。
「いえ、もう一人・・・その、先に帰ってしまったみたいです。勘定をすませて」
「ほう、先に・・・ね。良い娘じゃないの」
 こう反応したのはけーこちゃん様だ。感心したようにこうつぶやいた。
「高い見識。他人の仕事をひそやかに支える精神。しっかり者。天然。実に素晴らしい」
「実は、中将様を見つけたのは僕じゃないんだ。藤堂さんと別れた後で、穂波さんと会ったんだ。その穂波さんが僕に、挙動不審な人がいるって教えてくれたんだけど、それが・・・」
 斎藤の言葉で山崎はおおよそ理解した。後でお礼に行かなくては、と心に決めた。
「ほら行くよスズメ。ほかの奴らも・・・おい、道開けてくれよ」
 お夏は先に立って歩き出した。最後の部分はまだ見物していた町の人たちに向けての声だ。お夏、山崎、島田の三人は屯所へ、斎藤とけーこちゃん様は黒谷へと、それぞれ歩き出した。


 屯所へ帰ってきた三人は土方に事の次第を報告した。お夏は、浜見屋にいる人間の何人かが新選組の敵・すなわちキンノーである事、自分が安藤に罪を着せて捕らえさせた事、自分に話を持ちかけたのが浜見屋番頭の竜三と同心の木田きただという事、手代の六が自分の知らない情報を持っているらしい事、その六が伏見に逃がされるのを知っていながら黙ってた事、などを包み隠さず土方に話した。
「廊下にあった血痕も、スズメの推察した通り。六が後からわざと垂らしたものだよ」
「副長。その六さんですが、いちはやく伏見から更に西へ逃がされたらしく・・・」
 山崎のこの言葉を聞いて、土方は不機嫌な顔のままで言った。
「ふむ・・・してやられた、という事か」
「オレも六も、計略の全ては知らないと思う。うちの竜三か、あの同心に聞いてくれよ」
 さっぱりした顔でお夏は言うと、じっと土方を見つめた。
「オレはどう裁かれてもいい。でも浜見屋で働いている連中のほとんどは、気の良い奴らだ。その事は理解していてほしい。オレがこんな事言うのも何だけど」
「お夏。一つ聞きたい。この一件に関わった動機は何だ?」
 お夏は土方のこの問いに即答した。
「オレは、世の中から消えてしまいたかった。かと言って自分で自分の喉を突くとかは真っ平御免だった。誰かに、そんなオレを消してもらいたかったんだ・・・仮面をつけた女に止められたけど」
 土方は厳しい顔でお夏を見据えて、軽く舌打ちをするとこう言った。
「今は、おまえを処断している余裕はないのだ。山崎、島田の両名はこれより浜見屋へ赴き、番頭の竜三を捕縛する事。ただし敵の人数が不明なため、その行動には細心の注意を払う事」
「つまり、臨機応変にやれという事ですね」
 山崎の言葉に、不機嫌な顔のまま土方は首を縦に振った。
「我々だけで片をつけるのは、見廻り組との間に禍根かこんを残すやもしれぬ。それは正直、避けたいところではあるが・・・汚された身体を他人に洗わせるわけにはいかぬ。だろう?」
「そう・・・ですよね」
 土方と山崎のやり取りが、よくわからなかったらしい島田には目もくれず、土方は続けた。
「私はこれからお夏を連れて奉行所に行き、木田の身柄を拘束した後で安藤を牢から出す。急がなくては、事態を悟った木田に逃げられるおそれがある。お夏の証言があれば、さして難しい事ではないだろう」
「あの、土方さん。斎藤がもうじき帰ってくると思うんですが」
「島田。これは時間との勝負だぞ。悠長に隊士を待って・・・そういえば山崎。山野とは会えたのか?」
 朝の会話を思い出したのか、土方が唐突に言った。
「いえ。今日はまだ」
「まだ、俺の財布を探して・・・いや、何でもありません」
 島田が口を開きかけて、土方の視線に気圧されて黙る。
おっしゃるとおり、時間を無駄にはできませんよね」
 山崎が、そう言って島田と土方の間に割って入った。
「副長。一刻も早く安藤さんを、奉行所の牢から出してあげてください」
 土方がそれに対して答えを返そうとした時。
「安藤君なら、もうそこにはいませんよ」
 そう、答える声がした。全員が一斉にその声の方を見た。
 男の首根っこを捕まえて歩いて来る、新選組の羽織を着た隊士の姿があった。
「昨日の夜遅く、密かに奉行所の牢から浜見屋の蔵に移送されました。このロクデナシの六さんが」
 そう言って、捕らえている男をぐいと土方たちの前に出した。
「あ! おまえ・・・六、か?」
 お夏が声を上げる。縛られ汚れてはいるが、間違いなく浜見屋の手代の六だった。
「ロクデナシの六さんが話してくれました。普通に竜三と会おうとすれば、先に安藤君が消されます」
“ロクデナシの六さんって、何で二回も言ってるんだ? 大事なことだからか?”
 島田はそう聞きたかったが、聞ける雰囲気ではなかった。その隊士・・・山野八十八やそはちはこう続けた。
「敵の狙いは安藤君を罪人に仕立てることではなく、一旦罪を晴らさせておいて改めて、安藤君を『間者かんじゃ』として使う事だと。先の罪には、別に下手人を仕立て上げる計略だったようです」
「何だと! それは本当か?」
 土方が驚いた声を出した。山野は山崎、お夏、島田を順に見てからこう続けた。
「一度疑いが晴れれば、二度は疑われないものなんです。ちなみに替え玉が用意されていたとの事で、彼が外に出された事は奉行所の人々は誰一人気づいていないと思われます」
「・・・山野さん」
 山崎が山野の羽織を見ながら、言葉を選んで話しかけた。
「あなたに言わなくてはならない事が。私、あなたをうたが・・・」
 しかし山野は、続きを言わせずに、のんびりした声で土方の方を向いて進言した。
「副長。お夏さんは山崎さんと島田君につけて浜見屋へ向かわせては如何いかがでしょうか? お夏さんならば浜見屋の人たちに信望がありますから、無駄な血を流さずに済むかもしれません」
「オレに信望なんて・・・」
 言いかけたお夏を、山崎はお夏の袖を引いて制止した。
「・・・何で、俺の財布を探しに行った山野さんが、手代の六を捕らえて来てるんだ?」
 口が半開きになっている島田の疑問に、山野はのんびり答えていた。
「昨日、島田君が財布を探してほしいという話をしてきました。私は島田君が探していないらしい、浜見屋に向かったんです。そこで偶然、六さんを目にしまして・・・気になったもので追跡を」
「すげえ、すごすぎる。何て美味しい役回りなんだ」
「たまたまです。島田君の嘆願があったからこそ、ですよ。それより」
 山野がちょっと眉を寄た。口調も僅かに沈んだ調子になった。
「浜見屋に向かうのでしたら、用心するに越したことはありませんよ」
「用心?」
「いえ、その・・・油断をすると思わぬ不覚を取る事になります」
 どことなく、歯切れの悪い調子の山野だった。けれど島田は気づかずにこう答えた。
「それもそうだな。よし、もし手練れがいたらその時は・・・ほかの人に任せる事にしよう」
 そんな島田を尻目に、土方は六と山野とを見比べながら、
「ふむ・・・」
 何か考えているようだったが 不意にこう聞いた。
「山野。そのロクデナシが駒吉の親族に会いに行ったのは、確かなのだな?」 
「はい。さすがに駒吉の実家でのやり取りまでは確認してませんが」
「その後で賊に襲われた・・・のだな? 何人だった?」
「ええと、まあ。そうです。数は二、三人です。暗かったので相手の面体までは」
 どことなく引っかかる言い方だった。山崎はちょっと気になったのだが、土方は気づかなかったらしい。一人で何か納得したように頷いていた。
「仕立て上げられるはずだった下手人は、おそらくこのロクデナシだ。駒吉の親族と会い、話を聞いた事で良心の呵責に耐えられなくなって、自ら生命を断ったという筋書きか。その死体の懐にでも、偽の遺書を入れておけば『事の真相』が明らかになるというわけだな」
 その用意された『真実』に辿り着いた場合、疑う事なくそれを信じてしまっただろう。
「よし・・・山崎、島田」
 土方は自信にあふれた声で命令をくだした。
「おまえたち二人は浜見屋の娘・お夏を連れて浜見屋に向かえ。可能なようなら安藤を救出した後、浜見屋に巣くっている悪人どもを一掃するのだ。私は奉行所に行って木田を捕らえて来る。山野、そのロクデナシを連れて同道しろ。奉行所で、こいつが握っている情報を吐き出させてくれる」
「ほどほど、でお願いします。副長がそういう御気性の持ち主なのは、意外と知られていますから。思うに・・・副長と、事件の背後に潜んでいる人物とは結構似ている気がします」
 山崎は凛とした声で、思った事を言ってやった。土方は山崎の言葉に、何故か満足げに頷いた。
「浜見屋は昨日の今日で、物忌みのように店を閉めているんだ。裏木戸から入れば目指す蔵はすぐだよ」
 お夏が全員に聞こえるように言った。その表情は真剣そのものだ。
 山崎は、土方や山野の話を聞いていて少し気になる事があった。
“どうして、移す場所が浜見屋の蔵なんでしょうか?”
「よし。全員、仕事にかかれ!」
 号令を発しておいて土方はさっさと準備のため奥へ引っ込んだ。山野の姿は、気がついたら六と一緒に既に消えていた。お夏が山崎に近づいてきて、小声でこう聞いてきた。
「こんな時に何だけど・・・さっきの、男が怖くなってたとかって言い方。ひょっとすると」
「・・・昨夜です。あの人が私に宛てて書いた手紙を、受け取りました」
「そう・・・か」
「一生懸命に仮面を付け替えしてても、あの人は全てわかってたんです。笑いと涙が一緒にこぼれてきました。あの人は私なんかより・・・って言い方は怒られたんですけど、ずっとずっとキレ者でした。やっぱり『私なんか』『オレなんか』みたいな、自分を卑下する言い方はいけませんね」
 お夏はさらに何か言いたそうだったが、斎藤が息せき切って駆け込んできたので、口をつぐんだ。
「斎藤はじめ、たった今戻りました。状況は・・・」
「来たか斎藤! よっしゃ行くぞ! 山崎さんにお夏さんも、早く!」
 安心したような声で、島田が二人をせかしてきた。
「あのー、わたしもいるんだけどな」
 斎藤の後ろから聞こえてくる、藤堂の声は島田の耳には届いていないらしかった。どうやらけーこちゃん様を送り届けて戻ってくるまでの過程で、会うことができたらしかった。
「いいけどね・・・わたし、大抵そんな扱いだし」


「さっきの話だと、俺とお夏さんは晴れて夫婦になれるってえ、わけだな?」
 再び竜三たちが蔵にやってきた時、安藤は開口一番こんな事を聞いてきたのだった。
「ああ、そうだ」
 竜三はそう答えた。いきなり言われたために、蔵の戸は開けたまま。声は庭に筒抜けだ。
 駒吉とお夏の間の軋轢あつれきは、少し調べればわかる事。そしてお夏が安藤に言い寄られている事実、浜見屋がそれを快く思っていない事実もまた、じきにわかってくる事だ。
 下手人になるのは二人、お夏と六だ。お夏は安藤を操るのに必要だ。なので、しばらくは生きていてもらわなくてはならない。だが六は違う。こいつは知りすぎているので、何が何でも死んでもらう。 
 六には、伏見から西へ逃がしてやると言い含めてある。お夏にもそう話してある。だが実は、六は伏見に着く前に死体となって発見される事になっていた。
 そして六の書いたとおぼしき遺書が発見される。駒吉の実家を尋ねた後、彼をあやめたことに思い悩み、命を絶つ決心をしたという主旨の遺書である。それは、駒吉殺しの下手人だという確かな証拠となるのだ。
 安藤の運命だが、間者として一度か二度働いてもらった後、新選組にそれを悟らせて処刑させる。この時決して安藤に、こちらの動きを悟られてはならない。安藤の落ち度にしなければならない。
 事が自分のせいでバレたと感じた場合、安藤は決して口を割らぬだろう。そこは注意が必要だった。
「あんたの返事一つで、あんたも俺たちも幸せになれる。単純な話さ」
 竜三はそう答えながら、蔵の戸を閉めさせた。安藤は視線を宙に漂わせながら、こう言った。間抜け面しているが、内心はできるだけ竜三から情報を聞き出そうと必死になっていた。
「いいなあ・・・断ったらここでバッサリか。かたや話に乗ったらお前たちが協力してくれて、お夏さんは俺だけのモノに。しかもお小遣いもがっぽりもらって、なるほど実にいいなあ」
「だろう。ようやくあんたも現実が見えてきたか」
「もちろん、俺好みの貞淑でえっちぃな女房に仕立ててくれるんだろ? さっき言ってたよな」
「ああ、いいともさ。西国から取り寄せるクスリで、あの生意気なお夏もすぐに従順になる」
 竜三は調子よく、こう答えた。配下の男たちもヘラヘラしながらそれを聞いていた。
「あ、でも俺は武士でお夏さんは町人だぜ。身分ってやつはどうやって・・・」
「お嬢様が、『お偉いさん』の養女になればいい。木田きた様から、ある御方へ話は通っているはずさ」
 『ある御方』の御力おちからをもってすれば、お夏をどこかの貴族の娘として縁組みさせる事ができる。ただその場合、一時的に浜見屋の金を使う必要があるが・・・もちろん竜三にそんなつもりはなかった。
「おまえら、満足か? そんな展開で」
 不意に安藤は真顔になって言った。竜三が思わず聞き返す。
「何がだ?」
「おまえらだったら、それで喜べるのか?」
 安藤は真顔のまま、一同を見渡した。とことん芝居するつもりだったのだが、無理だった。
「他人の力で、女を自分好みに変えてもらってお金をもらって自分だけヘラヘラ生きる」
 安藤は低い声で言って、竜三に目を戻した。
「俺は、いやだね」
 それを聞いて、男たちが殺気だった。
下手したてに出てれば、いい気になりやがって!」
 竜三をのぞいた三人の男たちが、縛られて無抵抗の安藤に群がる。竜三が呆れた声を出した。
「安藤さん、あんた自分が置かれた状況がわかってるのか?」
「おまえらこそ、わかってるのか?」
 殴られ蹴られ、血にまみれながらも安藤は毅然と言い返した。
「新選組をなめるなよ。お夏さんなら大丈夫だ。事の真相だって突き止めてくれる」
「・・・ふう」
 わざとらしく、竜三はため息をついた。そして殴る蹴るに没頭している男たちに、
「よさねえか。素浪人じゃあるまいし、暴力はいけねえ」
 言って背を向けた。そのままで少し間をおいて、何気ない風を装って言葉を続けた。
「わかってねえようだから言っておくが、あんたの返事一つでお嬢さんの運命も決まるんだぜ」
「て、てめえ・・・でも、それでも俺は・・・!」
 そう言いかけた安藤を無視して、竜三は部下に蔵の戸を開けさせた。
「次が最後だ。よーく考えて、答えを聞かせてくれよな」
 戸が開いた。竜三は安藤に向き直って、小馬鹿にするようにこう言い放った。
「助けが来るなんて期待しない方がいいぞ。連中はあんたがここにいる事すら知らないんだからな」
 竜三の声を否定するかのごとく、庭の方から並はずれた大声が聞こえてきた。
「知ってるぞお! 俺、参上!」
 庭の陰から躍り出てきた者たちのうち、一番背丈のある男が叫んで蔵の戸口に向かってきた。
「意味がわからないんだけど。何でアイツ叫んでるの?」
「お夏さん。あれは島田さんなりの鼓舞表現なんです」
「同僚として恥ずかしいよ。こんなに騒いで、店の人間に気づかれないはずがない」
「まことには悪いけど、一番乗りは譲れないよ。とー!」
 お夏、山崎、斎藤、そして藤堂が蔵に近づいてきた。戸口の近くにいた用心棒風な二人の浪人は、刀を抜く間もなく島田・・・を追い抜いた藤堂の、巨大な斬馬刀の一振りで呆気あっけなく吹き飛ばされた。
「ま、負けた。何で俺が先に走り出したのに追い抜かれるんだ?」
 走りながら島田は、心底悔しそうな声を出していた。
「お夏か。これだから女は・・・おまえたち、戸を閉めろ!」
 竜三のその声で、他に三人いる男たちのうち二人が蔵の戸を閉めようとするが、
「俺は島田だ! なめるなよ!」
 島田が外から蔵の戸を・・・ふんぬー! と力任せに開けてしまう。中の二人は弾みで転倒した。
「今度は名乗ってるぞ・・・あいつ、馬鹿なのか? 俺様強いアピールなのか?」
 お夏は小声でそう言う。口調は馬鹿にしてる風だが、顔はちょっと心配そうだ。
「どうだ!」
 戸口で胸を張る島田に、竜三のそばで様子を見ていた男・・・島田は知らないが五郎と呼ばれた男だ、が襲いかかって来た。
「野郎、死ね!」
「!?」
 島田はびっくりしたものの、一応は新選組隊士だ。避けられないわけはなかったが・・・。
「島田さん、そのまま!」
 後ろからの山崎の声がした。島田はそれを信頼して、微動だにせず待った。
「うぎゃ!」
 今にも島田に匕首あいくちを突き立てようとしていた男が、悲鳴を上げてのけぞった。よく見ると、その男の腕に細い矢のような針のような物が刺さっている。
はりです。護身用として持ってます。島田さんが冷静に対処してくれたので、狙いやすかったです」
「相変わらず場所を取る男だな。二人通るよ」
「島田さん、私たちを守ってくださいね」
 島田が突っ立っている間にそんな感じで、お夏と山崎がそばを駆け抜けて行く。
「お? おう・・・了解」
 島田は戸口から数歩、蔵の中に踏み入って敵の姿を確認した。藤堂は蔵の中には入らない。彼女の武器は屋内で戦うには大きすぎるのだ。
 お夏と山崎は痛々しい姿の安藤に駆け寄った。
「おい、ハゲ・・・早太郎はやたろう! しっかりしろ!」
「・・・あれ? お夏さんに、山崎さんじゃねえか」
「あれ? じゃないだろ。こんなに怪我して・・・ますますタコそっくりになりやがって」
「へへへ・・・」
「笑ってる場合か?」
「いや、だってよ。今、名前で呼んでくれたろ。二人の仲は確実に進展してるって事だな」
「え!?」
「俺の想いがついに、ついに・・・やっぱり式は派手な方がいいかな?」
 安藤に言われ、山崎に見られ、お夏は怒ったようにそっぽを向いてこう言った。
「な、な、何言ってるんだ。オレは・・・そう、オレはこの浜見屋で、これ以上人が死ぬのが嫌なだけで、別にお前を助けるために来たわけじゃない。勘違いするなよな!」
 安藤はこれを聞いて、山崎に目を向けた。そして質問した。
「山崎さん・・・これって、俗に言う『ツンデレ』ってやつか?」
「は?」
 山崎は一瞬、安藤が何を言っているのかよくわからなかった。一方お夏は、瞬間的に赤くなった。
「だれがデレるか!」
 お夏が振り回した拳が、見事に安藤の腹に命中。安藤はうめき声を上げ・・・そうなのを耐えた。
「あ、ごめん」
 そう言ってしまってから、山崎にじっと見つめられ続けているのがわかったお夏は、
「お、おまえのせいだぞ」
 安藤のハゲた頭を掴んで、小さな声で言った。
「おまえが、馬鹿な事を言うからだぞ・・・バカ
 掴んだ頭を、そうっと自分に引き寄せた。山崎はドキドキしながらも、目が離せなかった。
 さて戦いはといえば、お夏たちの邪魔にならないよう考慮して、島田が奮戦していた。
「この馬鹿力のデクノボウが、覚悟しやがれ!」
「おまえらなんかに言われたくないやい!」
 島田に挑みかかる、二人の男。竜三は、隙あらば逃げるつもりで戦いの様子を見つめていた。五郎はというと、どうも島田と男二人が激しく戦っているため、攻めあぐねているらしかった。
「さすがに、俺一人で格好つけるのは、しんど・・・あ! そこの番頭、待て!」
 島田の隙を突いて竜三が蔵を飛び出し逃げようとしたものの、
「どこ行くの? 店を預かる人間が使用人を置いて逃げるのは、感心しないな」
 斎藤に行く手を阻まれていた。島田が自分も戦闘中なのに首だけ向けて外に声をかける。
「加勢・・・いるか?」
「いらない」
 短く斎藤は答えた。ちなみに、島田の相手は既に二人に減っている。
「確かに、いらないよね。むしろその言葉、まことに言いたいんだけど」
 藤堂があっさりそう言った。普段と同じ表情だが、どことなく退屈そうにも見える。
「俺なら、平気だ」
 島田は言った。島田の見立てだと、みんな同じくらいの強さだ。苦戦するほどの敵じゃない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 表にいる竜三は覚悟を決めたような顔で、懐から刃物を出してこう叫んだ。
「ミブロは、何も知らないくせに邪魔だけはする。俺は御店おたなのためを思って、やってるんだ」
 藤堂が、目を斎藤に向けた。それを受けて斎藤が言い返した。
「御店のため? 浜見屋のため、じゃないんだ。なるほどね・・・それと、美味しい和菓子を作ろうって人間が、いま手に持っているのは何だい? 正直に言ったらどうかな。自分の欲望を満たすために、浜見屋を利用しているだけだって」
「俺の力で、店を大きく豊かにする。それが俺の夢だ。それを邪魔する奴には・・・」
 竜三の目がギラリと光った。目は血走り、まるで正気を失ったみたいな顔になった。
「人斬り番頭斎と呼ばれた俺の腕を見せてやる。おまえも駒吉みたいに殺してやるぜ」
「ばん、とう・・・さい?」
 戦闘中ではあるが、耳にした島田は不思議そうな声を出した。藤堂は笑顔のまま無反応だったが、斎藤は小声で(島田に聞こえないように)吐き捨てた。
「アホだ」
 あっという間だった。竜三の攻撃を避けた斎藤の足払いで勝負が終わってしまった。完全に気絶している竜三を見下ろしている斎藤。その斎藤に、手が空いた島田が近寄ってきた。
「人斬り番頭斎、よええ・・・」
 かたや剣術をかじった商人、かたや剣術に命を賭けている武士。勝負になるはずもなかった。
「あの、お夏さん」
 一方、蔵の中。遠慮がちに山崎が声をかけると、お夏は赤い顔したままで言った。
「何だよ・・・相手の気持ちと自分の気持ちを確かめる、最良の方法だよ」
「・・・あの、相手にもう触れられない場合は、気持ちを確める方法はないのでしょうか?」
 お夏は少し考えて、山崎を手招きした。山崎が従うと、笑ってこう答えた。
「自分の気持ちを確かめるなら、いい手があるよ。相手を想って『魔法の言葉』を唱えるんだ。唱えただけでバッチリ気持ちが確かめられる」
 『魔法の言葉』を聞かされた山崎は、早速実践してみた。
“私のすべては、あなただけのもの・・・”
 タイミング悪く、島田が声をかけてきた。
「山崎さん、あの・・・」
「ひあう!」
 予想外の反応に島田も固まってしまった。山崎は気を取り直して、状況を確認した。
「・・・お、お夏さん、行きますよ。男の人たちの戦いは終わったみたいですけど」
「わかってるさ。こいつを医者に連れてかなきゃいけないし、店の始末もやらないとな」
 お夏は島田を呼んで、自由になった安藤を任せた。そして母屋に向かって歩いていく。
「こっちだ」
「こっちって・・・そっちは母屋だろ」
 島田がそう聞く。山崎もそう思った。
「こっちから、出る」
 お夏は答えた。
「怪我してる人間を連れて、人目につく表から出る。そうしなきゃいけない」
 島田は何か言いたそうだったが、斎藤や藤堂が目で制した。
「私、得物が得物だし、ここで見張ってるね」
 そう言う藤堂だけ蔵の近くに残して、母屋へ向かう。
 母屋はしんと静まりかえっていた。
「やけに静かですね。島田さんの大声とか、聞こえているでしょうに」
 山崎は言った。蔵の辺りで騒ぎが起こったのを、店の人間が気づいてないとは考えられない。にもかかわらず、店の中は静かだった。
「こちらの出方を、見ている?」
 島田が小声で聞いてくるのには答えずに、山崎は隣のお夏に目を向けた。
 お夏を連れてきたのは、浜見屋の人たちが店を思う余り無駄に抵抗する可能性を考えての事だった。彼らが傷ついたり死んだりするのを防ぐためだった。
“罪なき者、弱き者を一人でも多く救う・・・それこそ、あの人が私たちに託した願いだから”
 歩いていくと、何かの匂いがした。
「!」
 斎藤が走り出した。あわてて山崎・お夏も後を追った。
 とある部屋で、人を見つけた。正しくは、さっきまで人だったもの、だが。
「これは・・・」
 その人は、自分の喉を刃物で突いて果てていた。においとは、血の匂いだった。
「まさか」
 斎藤が言ったのと、蔵の方で大きな音がしたのが同時だった。
「!?」
 斎藤は逡巡し、蔵の方へ駆けていった。
「・・・」
 お夏がへたり込む。山崎は懸命に身体に命令して、死体のそばに寄った。
“まだ、暖かい?”
 つまり、この人はつい今しがた、死んだという事だ。新選組がやってきた・・・から? 自分たちが蔵の辺りで戦っている時に? 抵抗も弁明も逃亡もせずに何故?
 頭が混乱してきて、山崎もその場にへたり込んだ。
 斎藤が戻ってきた・・・と思ったら母屋の奥の方へ走っていった。そして藤堂が戻ってきた。山崎は、最悪の事態にはなっていてほしくない、と祈りながら藤堂に聞いた。
「何があったんですか?・・・藤堂さん、言ってください」
 山崎がそう強く促すと、彼女は珍しく沈痛な面持ちで話し出した。
「蔵の中の三人の中に、やられた振りをした獣が一匹混じってた」
「・・・?」
 すぐそばで、へたり込んでいるお夏の肩を抱きながら、山崎は藤堂の言葉の続きを待った。
「竜三、そして蔵の中の二人の息の根が止められた。全員、首を折られて・・・」
 ここで藤堂は口をつぐんで、手にしている物を見せた。精巧につくられた、顔の皮だった。本物に見えるそれは、どうやら人のそれではなく、何かの動物の皮でできているらしかった。
「まことが倒した連中だと思って、油断してた。私としたことが・・・逃げられた」
 『先入観は判断を誤らせる』の言葉どおり、『仮面』をかぶって自分たち全員を欺き通した恐るべき敵がここにいたのだ。そう想像するだけで背筋が寒くなった。
 斎藤も戻ってきた。息を整えもせずに話し出した。
「あっちこっちに何人か、同じように、喉や心の臓を突いて亡くなっている人たちが・・・」
 のろのろと、お夏が顔を動かして斎藤を見た。ゆっくりと口が動いた。
「・・・みんな?」
「・・・」
 斎藤は反応しなかった。
“手練れは一人、いや二人・・・? 藤堂さんの話だと、竜三たちの死因と”
 山崎は傍らで動かなくなっている、浜見屋の人間の身体を見た。
“この人たちの死因は、違う”
 山崎は、上を見た。見えるのは天井だが、思いはその先の空にあった。
“とりあえずは大丈夫ですから、なんて言ったのは今日の朝でしたけど”
 山崎は胃の辺りから来る不快感をこらえながら思った。お夏の肩を抱いたままで。
“私、あまり大丈夫じゃないかも・・・あなたならこんな時、どうするんですか?”
「・・・この人、躊躇ちゅうちょしているようには見えない。怖くなかったのかな」
「藤堂さんもやっぱりそう感じますか? 普通の人は、自分で自分の喉や心の臓なんて怖くて突けないはずなんだけど。まるで・・・」
 藤堂と斎藤の会話も、今の山崎には届いてはいなかった。


 夕暮れ間近の、伏見の町。とある小路の奥で・・・。
「今回は、こちらの負けかな。ほとんどの手は潰されたわけだしね」
 そう言ったのは、オカッパ頭の女性だった。そばに、突っ立っている男と膝を突いている男がいる。
「誤算でした。まさかあの娘がトラウマを克服していたとは・・・」
 膝を突いて報告しているのは、青山という浪人だ。
「まあ、覚悟を決めた人間は・・・人に限らず動物もだけど、すごく強いからね。それにしても、木田きたは欲を出したのが運の尽きね。下手に考えを巡らしたりしなけりゃ、こうはならずにすんだものを」
 オカッパ女は青山の頭をぽんぽんと撫でた。
「イチが口を封じてくれたからいいけど。それより、これで浜見屋の連中もほとんど消えた・・・わけね。すごいじゃないの。『蔵で騒ぎが起こったら』本当に死んじゃったわけでしょ?」
 イチと呼ばれた、突っ立っている男はそれを受けて、平淡な口調でこう答えた。
「ああ。アイツの『術』の力だ。竜三にかけられた『術』の効果もそれなりにあったようだ。しかし・・・」
 イチの口調が少し変わった。心なしか弱々しくなる。
「六については申し開きできない。邪魔が入った。そもそも、殺す事には変わりないだろうに、どうして六の奴に半端に希望など持たせた?」
「人間って、希望を与えてから死なせるのが最高なのよ・・・で、それほどなの? その、山野って男」
「判断力、反応速度、剣の腕、すべてが一流。どちらが標的なのか悟られないように仕掛けてはみたが、うまくいったかどうかは疑問だ・・・貴方が警戒した、あの男と同じ気配を持っている」
 イチの口調はまた、平淡なものに戻った。
「野口健司と同じ、キレ者ということか・・・普通な感じで出かけさせろって言っておいたのに」
 オカッパ女は眉を寄せて考え込む。青山が、疑問の声を上げていた。
「そういえば、ついに野口とはお会いになられなかったのですね。どうしてですか?」
「会うもんかい、あんな危険な男と」
 少し、くだけた調子になってオカッパ女は答えていた。
「佐伯や松永といった連中なら、いくらでも会えるよ。顔を隠すとか、声を出さないとか、手はいくらでもあるからね。でも、あいつは・・・野口は駄目だ。奴はこちらがどれほど工夫して素性を隠したとしても、何かに気づいてしまう男だよ。そんな男とは、会わないに限る。それより青山」
 声の調子を戻して、オカッパ女は単刀直入に聞いた。
「君の配下の五人。当然、ちゃんと始末つけてきたよね?」
「当然です」
 不意打ちで、無警戒の五人を斬るのはそれほど難しい事ではなかった。
「よし。じゃあキミ、もういっていいよ」
「かしこまりました。間者の件、あまりお気を落とされませぬよう・・・」
 青山は答えて立ち上がろうとした。しかし次の瞬間、イチの左手が青山の喉に食い込んでいた。
「!?」
 オカッパ女を、見た。オカッパ女はさっきと同じ調子で言った。
「キミ、もうっていいよ」
 鈍い音がして青山の意識はそこで途切れた。相手の言葉の意味が、果たして伝わったかどうか。
「私があのハゲ頭を間者として使う気があるって、そう思っている時点で駄目ね」
 オカッパ女が冷淡に言った。
「試していただけなのに。新選組の連中が、どこまでこちらの手を潰せるのか、を」
 オカッパ女は思った。彼らはこちらの用意した最後の『手』を潰すことはできなかった。死体の群れを目にして彼ら、とりわけ『病み上がりな心』の持ち主は何を思っただろうか。
「どんな気持ちかしらね、あの娘・・・ふふっ、想像するだけで興奮するわ」
 浮き浮きした声で言ってオカッパ女は、青山の死体を見下ろした。途端に声は冷淡な調子に戻る。
「間者はキレ者に限る。安藤は最初から論外なのよ。それよりイチ・・・竜三たちの件、相変わらず鮮やかね。新選組の猛者もさとでも、サシでやり合えるんじゃない? 怪我したから逃げに徹したの?」
 イチは感情の感じられない、平淡な声のままでその問いに答えていた。右の腕を撫でながら。
「新選組と戦うのが目的じゃなかった。それに・・・数日とはいえ、あんな仮面をかぶったまま仕事するのは気が進まなかったのもある。精妙に人間の顔の大きさを測って作られた、南蛮渡来の技術の結晶と言うが・・・悪趣味としか言いようがない。役者の化粧とは根本的に違う」
 一瞬、声に不愉快さが滲み出た。だが一瞬だけの事だった。
「そして・・・やり合うにしても何人かヤバイのがいる。浜見屋にいた斬馬刀の使い手もそうだ。とりわけサシでは絶対に勝てない奴が一人」
「やっぱり、それってアレかい?」
 わざと、物みたいな言い方をした。オカッパ女のその言葉に、イチは素直に頷いた。
「ああ、芹沢だ。アレに、弱点らしい弱点はない」
「まあ、バケモノだからね。何しろ・・・」
 先日の一件では万全ではない芹沢にさらに暴行を加え、縛り上げて川に放り込んだ。爆死こそしなかったものの、水に濡れて動きが鈍くなった身体を十数人で攻め立てたのだ。それでも、
「芹沢は死ななかった。助っ人が到着するまで生きていた。普通じゃないよ、アレ」
「力の象徴たる芹沢がいる限り、新選組を真に壊す事はできない。俺はそう考える」
 イチの言葉に対してオカッパ女は、真剣な口調で言った。
「心・技・体と充実している存在を、壊すのは至難の業よ。逆に言えば、三本ある柱のうちどれか一つでも折る事ができたなら、壊すのはそう難しくはない」
「心・技・体、三本の柱・・・か」
 詳しく聞きたそうなイチを、はぐらかすように口調を明るくしてこう言った。
「その話はまた今度ね。私はこれから宿に行くわ。青山の死体の始末よろしく。じゃあね」
 イチの返事も聞かずにオカッパ女は走って大通りに出て・・・そのまま一件の船宿まで来た。
「これはこれは、ようこそおいでくだされました。伏見へは、どのような?」
 宿の者の問いかけに、オカッパ女は適当に返事を返していた。
「宿帳にご記入をお願いします」
 出された帳面に、綺麗な字でさらさらと名前を書いた。そこに記された文字は・・・。
岩倉友視いわくらともみ


<後書きモドキ>竜三の二つ名『人斬り番頭斎』とは、『クイズ七色ドリームス・虹色町の奇跡』という長い名のゲームソフトに出てくる、クイズの解答選択肢が元ネタです。ジャンプ漫画の『るろ剣』に関するクイズでして、ゆえに作中で斎藤と対戦させました。でもこのゲーム、マイナーなんだろうな・・・。
 今回は終盤の展開が、改訂してたら大きく変わってしまいました。満を持して登場した『御方』が、単に負け惜しみ言うだけの人物に見えたため、結果かなり暗い展開に・・・。


(おまけのSS・by若竹)
【近藤】ねえねえ、六さんって、何で駒吉さんを殺したんだっけ?
【永倉】安藤をめる為の計略じゃん
【沖田】でも遺書にはそんな真相コト書けませんよ?
【永倉】なんで?
【原田】馬鹿ねえ、アラタ。それじゃ計略の意味がなくなるじゃない。
【永倉】そっか。じゃ、何て書いてあったんだ?
【原田】ゆーこさんは、それをいてるんじゃない。
【近藤】しかも六さんの遺体と遺書が見つかった瞬間に安藤くんは無罪になるんだよ。
【永倉】そーゆー計略じゃん。
【山南】だが、それだと安藤君を間者として使えなくなるな。
【永倉】なんで?
【原田】真相をバラされて困るのは竜三だからよ。
【永倉】お嬢様を使うんじゃねーの?
【沖田】お夏さんは雲母坂で殺される予定でしたよ?
【山南】山崎君が助けてしまったけどね。
【永倉】あれ? じゃあ、どうやって、竜三は安藤を操るつもりだったんだ?
【原田】アラタ、あんたねえ。ゆーこさんはそれを言ってるんじゃないの。
【沖田】杜撰ずさんな計画ですね。
【山南】さすが人斬り番頭斎だな。


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