偽作・行殺(はぁと)新選組ふれっしゅ
『間者』編その3 それでも俺は・・・(前編)



 松永まつなが主計かずえや野口健司が起こした事件から、それほどの時が過ぎていない、元治元年某月某日。
 芹沢は傷が癒えてからは、大坂に出かける事が多くなっていた。
 本人は療養だと主張している。だが土方が監察方に調べさせたところ、遊興らしいとわかった。
「気が休まらんな。だがしかし、悪い噂などは聞こえてこない事だし」
 それが逆に不安だった。けれど、平穏なのは良い事のはずだと自分に言い聞かせる。
“芹沢さんは、立て続けに色々な目に遭ったからな”
 土方はそう考え、表向きは黙認する事に決めた。


 ある日のこと。島田は同じ新選組の仲間である安藤から誘われて、巡回に出ていた。
 安藤あんどう早太郎はやたろう。京都の寺を出て新選組に入ってきた、ハゲ頭の男だ。明るくて『カッコつけたがり』な隊士であるが、実は野口健司の切腹の介錯を務めている。
「俺ぁよ、非常に悩んでんだ。おまえに相談・・・しようと考えた俺の頭は大丈夫だと思うか?」
「俺に聞くなよ・・・」
 島田は苦笑しつつ、京の町に視線を走らせていた。いつ何時、どんな事件が起こるかわからない。或いはいつ誰から襲撃されるかわからない。今の京都は危険な所なのだ。
「俺、実はホレた女がいるんだが・・・」
 そこで言葉を切って、安藤は言おうか言うまいか悩んでいるらしく、首を振るわせて唸り出した。しばらく島田は待ってみたが、一向に安藤は話を始めない。仕方なくこっちから水を向けることにした。
「何なんだよ、悩みって」
「・・・ああ、ソレなんだが」
「・・・」
「あー、うー、つまり」
「女が振り向いてくれない、とかか?」
 安藤は立ち止まって、ちょっと怒ったように声を大きくした。
「あのなー、そんな事ならいいんだよ。大抵そうなんだからよぉ」
 安藤はかなり惚れっぽい男らしく、京の女性にアタックしては振られるといった毎日を過ごしていた。寺を出た理由が、坊主になったら女遊びができないからだと聞いたことがある。開口一番、君と付き合えたら俺が幸せになれる、と言って五秒で振られた事があるとか無いとか。とにかく変わった奴なのだ。
「今、俺がぞっこん・・・・なのはお菓子屋の娘な人なんだ・・・」
「で?」
「ああ、その、彼女の名前はお夏さんていうんだ」
「へえ」
「毎日のように店に通ってアプローチしてんだ。なかなかだけど、はじめは苦労するもんさ」
「ふうん」
「島田、真面目に聞いてるのか?」
「聞いてる聞いてる」
「ならいいけど・・・でな。ここからが悩みの種なんだ」
「・・・何が?」
 欠伸をこらえつつ、島田は聞いていた。話がわからない。何がどうつながったら悩むんだろう。
 安藤は、ハゲのせいなのか、お世辞にもモテる男とは言えない。むしろ・・・であった。だから女性に冷たくされたからといって、それで悩むとは思えなかった。
「あのな」
 言いかけた安藤を島田が遮った。島田の頭に閃いたものがあった。
「そうかわかったぞ! 結婚すると『安藤なつ』つまりアンドーナツになる! これだろ」
「ちが・・・! いや、それも気にはなるが、そんな事じゃねー!」
 大声で否定された。島田は肩を落とした。
「違うのか・・・あ、今度こそわかった! 頭のことで何か言われて傷ついた。これだな」
「それも違う! 頭の事を言われるのは、その、もう慣れてる!」
 これも否定された。島田はため息をついた。安藤が頭を振ってこう言う。
「最近・・・お夏さんの『遊び』が、過ぎる気がするんだよ。何があったのか心配なんだ。かといって、俺じゃあの人の力になれるかどうかわからねえし」
「遊び? つまり安藤は真面目な娘が好みって事か。そりゃ不真面目より・・・」
「いや、そういう事じゃなくてな。俺が言ってるのは・・・」
「古人曰く、よく遊びよく学べ、だ。少しくらいの事は大目に見なきゃ駄目だろう」
「だから、そういう話じゃねえんだって。そういう遊びじゃなくて、ああいう遊びなんだよ」
「そういうああいうって、何を言ってるのかさっぱりわからないぞ。俺にもわかるように言ってくれ」
 二人がそう言い合っていると・・・後ろから声をかけられた。
「島田さんに、安藤さん。通りの真ん中で何を騒いでいるんですか?」
 振り向くと、監察方の山崎雀がいた。どこかで見た覚えのある町娘と一緒だった。
「いや・・・俺じゃなくて安藤が」
 言いながら、ちらと町娘の方に目を向けた。どこで会ったのか、喉元まで出かかっているのだが思い出せない。ぽやんとした顔の、黒い髪を少し長めに伸ばした、所謂いわゆる『優等生タイプ』な娘だ。
 その優等生娘だが、島田の視線に気づくと小さく会釈した。島田は条件反射で会釈を返す。
「俺の、なつさんがー!」
 安藤が叫んでいる。山崎は不思議そうな顔で島田に聞いてきた。
「安藤さんは、何をあんなに苦悩しているんですか?」
「実は安藤のやつが、好きな女ができたらしくて。何でも、お菓子屋のお夏さんて人で、彼女が真面目じゃないから困ってるらしい・・・で、合ってるよな」
 島田は、自分の思うとおりに説明してやった。説明しながら、隣の娘の事を聞くタイミングを失ったな、と考えていた。一通り説明してから、隙を見て聞こうと決めた。
「うー・・・間違ってねえと思うが、何か違う気がする」
 安藤はしきりに首を傾げている。
「・・・え、と。つまり安藤さんは」
 山崎は、島田が今まで見たことがないくらい眉をひそめて、こう結論づけたのだった。
「相談するには不向きな人間を相手に、意味のない苦悩劇を演じているんですね」
「意味のないって・・・そこまで断定的に、って前半は俺のこと言ってるのか?」
 山崎は眉間を押さえた。隣の優等生娘は、ぽやんとした表情のままだ。
「恋とか愛とか、そういう事は『なるようにしかならない』ものですよ」
「安藤は、真面目に悩んでるんだ。真面目に相談に乗ってやらないと」
 島田の口からは、自然と安藤の肩を持つ言葉が出てきた。自分でもそれが不思議だった。
「といっても俺には、頑張れと励ます以上のことは・・・」
「誰がハゲだって! ハゲの何が悪い!」
 いきなり安藤が怒鳴ったので島田はぎょっとなった。山崎は落ち着いて返答する。
「ハゲではなく『励ます』です。応援するという意味合いの言葉ですよ」
「ああ、そうか。悪い悪い」
 安藤は静まった。どうやら思ったより頭髪の事を気にしているらしい。
“さっきはハゲ言われるのは慣れっことか言ってて・・・気にしてるじゃねーか”
 島田は内心そう感想をもらした。山崎は、眉をひそめたままこう聞いていた。
「で、そのお菓子屋とはどこのお菓子屋です?」
「ああ、『はまみ屋』っていう和菓子の店だ」
「浜見屋・・・近藤局長も時々お世話になっている店ですね」
 瞬時に山崎は記憶の底から情報を引っ張り出した。先年、主人が亡くなっていて現在は番頭が代理主人として店を経営している。先代の娘であるお夏が商いに関心がないらしく、遊び歩いているためだ。
“商いに興味がなく、かつ婿をとって店を建て直す気もないらしいと聞きました。それに”
 その遊びというのが、どうも男遊びらしい。潔癖性の山崎はもう、それだけでお夏の事が嫌いだった。別に話をしたこともないのだが、同じ町にそんなふしだら・・・・な娘がいるかと思うと・・・。
破廉恥はれんちな”
 極めて不快な気分になるのだった。
「そのお夏さんの遊びとは、男遊びの事です。そんな女性とは一日も早く縁を切った方が良いと思います。安藤さん、世の中に素敵な女性は他にもいますよ」
 山崎は、彼女にしては珍しく辛辣な物言いで、安藤の悩みを一刀両断した。
「そ、そんなー! 俺は、俺の想いはどうすればいいんだー!」
「知りません。相手にされてないのでしたら、時間と労力の無駄です」
 安藤と山崎は立ち止まり、お互い険しい顔つきで言い合いを始めた。
「無駄って言うなよ。これでも、お夏さんから頼りにされたことあるんだぜ」
「それはどういう『頼られ方』ですか?」
「聞いて驚け、何と! 三回も! お金を貸してあげたんだぞ」
「・・・」
「年明け早々の三回目なんか、母方の親戚が連帯保証人になったとかで・・・」
「それは、ほとんど騙されているようなものだと思います」
「ちっがーう! お夏さんは、そんな人じゃない! 俺はそう信じてるぜ!」
 島田と、黒髪の町娘は呆気にとられて二人の言い合いを見ていた。島田は仲裁に入ろうと思って・・・いるのだが、なんと言って割って入ればいいかわからない。
 町娘の方は、どうも割って入る気がないようだ。ぽやんとした表情で二人を見つめている。
“下手に割って入ると何言われるか・・・とはいえ、ただ見てるわけにもいかないか”
 島田が声を出そうとしたその時だった。道の向こうから大きな声が聞こえたのは。
「いたぞ!」
「間違いない、ハゲ頭の男だ!」
「気をつけろ! 新選組の奴は何をするかわからんからな!」
 道の向こうから数人の男たちが走ってくるのが見えた。否、一人は女だった。そして男たちのうち一人は町奉行所の同心のようだ。
 さすがに安藤も山崎も言い合いをやめて、そちらに視線を向けた。そうしている間にも男たちと一人の女は安藤の近くまで走り寄ってきていた。
「な、何だ何だ? 俺に何の用・・・あれえ? お夏さん」
 走り寄ってきた一人の女。その顔を見た安藤は頓狂とんきょうな声を上げた。
「・・・」
 その、お夏と呼ばれた女は安藤の声を無視して、同心に目を向けて小さく頷いた。
 山崎は男たちを見渡して、その中の一人に目が止まってしまった。いかつい、への字口の侍・・・見廻組の佐々木只三郎だった。その表情のない顔が、普段より険しく見えた。
「安藤、早太郎だな?」
 先頭の同心は、ちょっとだけ腰を引き気味にして、こう声をかけてきた。
「ああ、そうだけど」
 平然と答えた安藤だが、答えた途端に他の男たちから取り押さえられた。
「ちょ、ちょっと何だ、てめえら!」
 慌てて身もだえしたが、数人がかりで押さえられているのでどうにもならなかった。
「一体どういう事です!?」
 山崎が、やはり彼女にしては珍しい、怒ったような声を出した。
「ああ、これは新選組の山崎さん」
 同心が、やや大げさにお辞儀をして、すぐに安藤に視線を戻した。
「この男・・・安藤早太郎が昨夜遅く、浜見屋に忍び込んで、このお夏どのに」
 そう言って、芝居がかった感じで傍らの女・・・お夏を指してから、言葉を続けた。
「よからぬ振る舞いに及ぼうとしたあげく、店の者二名に傷を負わせ逃走した疑いがあるのです」
 と、言うかですね・・・。同心はこう言い置いて、山崎に口を挟ませず、断定的に言い放った。
「お夏どのと、その傷を負った店の手代のろくなる者がそう証言致しておるのです」
 山崎はお夏に目を向けた。見るからに上質な着物姿のお夏は冷たい目で見返して、
「ああ」
 こう言った。声だけ聞くと男みたいに感じられた。見た目は二十歳くらいに見える。
「昨日、オレの部屋にこのハゲボウズが夜這いにきた」
「・・・!」
 山崎と安藤が声も出ない間に、お夏は素っ気ない声で続けた。
「オレが抵抗したんで、ハゲは逃げた。途中でうちの手代二人に見つかって、斬りつけて出てった。一人はかすり傷だったがもう一人は、日の出前に死んだ」
「し、知らねえ・・・俺は」
 そう言いかけた安藤の声にかぶさるように、同心が声を張り上げた。
「夕べ、この男が『浜見屋』の周囲を徘徊していたのを見た者がいるのだ。お疑いならばあの店の周辺で聞き込みをなさればよろしかろう」
 何となく、勝ち誇っているようにも聞こえる、同心の声。
 本来ならば町奉行所の役人は、会津藩預かりの新選組に対して何の強制力も持たない。だが今は、幕臣であり見廻組の隊長でもある佐々木只三郎がいるので話は別だった。同心は強気な態度を崩さない。
「その者は奉行所で取り調べる事とする。邪魔立ては無用に願いたい」
 島田は、ここまで口を開けて立ちつくしていたのだが、ようやく我に返って会話に割って入った。
「ちょっと待てよ。黙って聞いてればあんた何様のつもりだ? 俺たちは会津藩預かり・・・」
「申し遅れました。私は奉行所の同心で、木田きたといいます。樹木の『木』に田畑の『田』です」
「キタさん?・・・いや、誰もあんたの名前なんか聞いてねえよ」
 山崎より先に島田が反応した。ちなみに心の中では
“普通はキダって読むんじゃないか?”
 などという思いを抱いていたりする。
「てめーら、いい加減に放せ。俺はそんなことやってねえって、言ってるだろ」
「おとなしくしろ! 言い逃れようとしても無駄だ」
 安藤が、奉行所の下っ端たちと争っていた。
「証人がいるんだ、いい加減に観念しろ」
「証人?・・・それでも俺はやってねえんだ!」 
「おとなしくしろと言っている!」
 奉行所の下っ端たちは、暴れる安藤の顔と言わず腹と言わず殴りつけた。
 そんな安藤の様子を見た島田が、刀に手をかける。
「おい、いくらなんでもやりすぎじゃないのか?」
 そう言った島田の前に、木田が立ちふさがった。
「犯罪者を庇うと言われるか? 新選組は、そういう奴らの集まりなのか?」
「なん・・・だと?」
「しょせんは無頼の輩を集めた、犯罪者どもの巣か」
 島田はカチンときた。手が動いて、先に抜いてしまっていた。
「わあ!」
 様子を見ていた町人たちが一斉に声を上げて後退した。木田も怯えた顔をして一歩下がった。ただ一人、見廻組の佐々木だけが平然とその場に立っている。島田はその時になってようやくその佐々木に気づいたらしい。しかし島田が何か言う前に、
「島田さん!」
 その島田の手を、山崎がひしっと掴んで止めた。
「山崎さん」
「ダメです」
 そして、暴れている安藤にも声をかけた。
「安藤さんも、抵抗しないでください」
 視線で町の人たちを示して、ゆっくりと山崎は言った。
「奉行所の人間と、新選組の人間。同じ『京の町を守る側の人間同士』なんですよ」
 じたばたしていた安藤も、これを聞いて動きを止めた。奉行所の人間たちも動きを止めた。
「・・・ふん」
 ただ一人、鼻で笑ったお夏を除いて全員が山崎に注目していた。
「京を守る人間同士が争うなど、あってはならない・・・いえ、あるはずがない事です」
 山崎は島田の手から刀を取った。島田も抵抗する事なく刀を渡した。安藤は肩をすくめた。
「あんたに、そんな顔でさとされたら逆らえねえな」
 そして、自分を押さえている男たちに
「もう、いいぜ。暴れるのはやめた。で、俺はどこ行きゃいい?」
 こう言った。男たちは、安藤を押さえている力を僅かに緩めた。
「奉行所まで来てもらおう。あ、当然」
 木田が言って、一呼吸置いて周囲の目を気にしたのか声を低めて、
「刀は預らせていただく」
 安藤の腰から刀を奪い、そして少しだけ抜いてみた。
「む」
 木田は唸って、その刀を鞘から抜いてしまった。それは竹光だった。
「竹光ではないか・・・おい、刀はどうしたのだ」
「・・・」
 安藤は答えなかった。
「答えぬか」
 木田が言った。声が険しくなっている。それでも安藤は無言だ。
「貴様・・・アシがつくと考えて、犯行に使用した刀を隠したな?」
 疑り深い目つきで、木田が安藤に詰め寄る。
「隠してなんかいねえ。だいたい刀なんか見てどうするんだ。血がついてたら犯人扱いか?」
「余計な事は言わずとも良い。貴様の刀はどこにある」
「・・・さあな」
「何だ、その反抗的な態度は。隠すと、ためにならんぞ」
「ちょっと待ってください」
 山崎が木田の腕を掴んで制止した。
「その言い方・・・安藤さんが昨夜の事件の犯人だと決めつけないでください」
「隠すというのは、やましい証拠だ」
 木田はそう答えて、山崎の手を振りほどいた。
「連れて行け」
 男たちは木田の声で、安藤を拘束したまま歩き始めた。安藤は逆らわなかった。
「拙者も、これにて。事の一部始終は、しかと見届けたでござる」
 そう言い置いて、少し離れた感じで佐々木が続いて去って行った。
「おい、まて・・・」
 島田が後を追いかけようとしたが、山崎がそれを止めた。
「何で止める?」
「無駄です。安藤さんが沈黙している以上、疑われるのは仕方のない事です。それに」
 島田にだけわかるように、目で辺りの様子を示してから続ける。
「町の人の雰囲気に気づきませんか? これだけ騒いでしまったのです。『安藤さんが疑われた』という噂になって、それがじきに『安藤さんが事件を起こした』事実に変わります」
 情報は、伝わっていくうちにその内容が歪められてしまう。山崎はそれを熟知していた。
 人の噂、については島田も多少は理解していた。
「今、安藤さんの無実を主張しても・・・」
 明言は避けて、山崎は話題を変えた。
「ひとまず屯所に戻りましょう。副長に状況を報告して、行動するのはそれからです」
「それしかな・・・ん?」
 島田は気づいた。きょろきょろ周りを見まわした。町人たちは、島田たちを尻目に、元の日常に戻ろうとしていた。山崎が、島田の様子を見て聞いた。
「どうしました? 何か気になる事でも」
「いや・・・さっきの町娘」
 名を聞きそびれた、あの黒髪娘の姿がない。
「いないんだけど」
「気にしなくて結構です。それより屯所に戻りますよ」
「気にしなくてって・・・」
「屯所に戻りますよ」
「いや、あの山崎さん」
「戻りますよ」
 促されて、島田も屯所に戻ることになった。


 土方の表情は、ありきたりな表現になるが、苦虫を噛み潰したような顔だった。
 副長室には土方の他に山崎と島田の二人だけだ。
「おまえがいながら、そういうことになるとはな」
 険しい目で山崎を見つめ、土方はため息をついた。
「申し訳ありません」
 山崎はこう答えるしかなかった。
 人の口に戸は立てられぬ、の言葉通り今日の午後には『事件』は町中の噂になっているだろう。
「や、山崎さんにせき「黙れ島田」にん・・・」
 島田の庇う言葉すら、あっさり斬り捨てて土方は言った。
「話の腰を折るようなら斬る。ここにいたければ、口を利かずにじっとしていろ」
「・・・」
 島田は気圧されて口を閉じた。土方が有言実行な人間だという事はよく知っている。
 土方は鋭い視線を山崎に向けて、少し間をおいてからこう切り出した。
「・・・山崎、おまえはこの一件をどう見る?」
「この場合、安藤早太郎が事件を起こしたかどうか、は問題ではありません」
 即座に山崎は返答した。
「ただ、同心の話では浜見屋の周辺を徘徊していたようです。確認は取りますが・・・」
 こうは言ったものの、あの同心の言葉から考えて、聞き込みをしても結果は同じだろう。
「疑われるには充分な『材料』です」
「同心が何も言って来なかったとしても、隊士として隊の評判を著しく下げた事は確かだな」
 山崎は少し躊躇ちゅうちょした後に、首を縦に振った。土方が何を言っているかは当然わかっていた。
「ふむ・・・ところで、そのお夏という娘だが、どういう女なのだ?」
 山崎は、そばにいる島田の、何もわかってなさそうな顔を見てから視線を土方に向けた。
「浜見屋の娘で、昨年父親を亡くしています。それ以上の事は、まだ」
 情報収集を行った上でないと報告できない。監察方としては常識だった。
「・・・ふっ」
 土方は笑った。微笑ではなく、苦笑。
 山崎は明らかに、そのお夏という娘に良い感情を持っていない。だからこそ、さっきの自分の発言に対して特に反応を見せなかったのだ。優しい娘らしくもなく、だ。
 土方が今、安藤に下した評価は『士道不覚悟』。本来の山崎なら反応あって然るべきところだ。
 そして自分が敢えて島田を蚊帳の外に出して差し向かいの状況を作ったのに、山崎はお夏の話題になると一度島田に目を向けた。嫌いな話題になると視線を逸らすのは、彼女の癖のようなものだった。
「山崎。おまえ、お夏に嫌悪感を持っているな」
「・・・」
 沈黙は肯定のあかしだと判断して、土方はゆっくりとこう続けた。
「先入観は、判断を誤らせる。忘れるな」
 そして、青い顔で硬直している島田に目を向けて表情を緩めた。
「島田。もう息をしてもいいぞ」
「う、ばー、はあ、はあ」
“こいつ、何も言わずじっとしていろと言ったら、息も止めていたらしいな” 
 土方は心の内でちょっとだけ反省してから、また表情を引き締めた。
「島田。おまえは山崎と共にこの一件の調査にあたれ」
「はあっ、はあ・・・え?」
「承知しました」
「なお、適当な隊士を一人二人連れて行く事も許可する」
「「わかりました」」
 妙に息のあった返事に、土方は再び苦笑した。


 屯所を出たところで、息せき切って帰ってきた(ように見えた)斎藤はじめに出会った。
「斎藤、どうしたんだ?」
「斎藤さん、ちょうどいい所に」
「え? ああ、島田に山崎さん。一大事です!」
 斎藤は開口一番そう言った。その言葉を聞いているのかいないのか、山崎は即座にこう言った。
「一緒に来てください」
「え、あ、はい。いや、ちゃんと説明してもらわないと困るんですけど」
「じゃあ、島田さん。かいつまんで説明しておいてくださいね」
 こういう事になった。斎藤は二人の後ろからハアハア言いながらついて来る。
「え? 何で俺? ていうか、何で斎藤そんなにあわててるんだ?」
 歩いて行きながら島田がこう聞くと、斎藤は小声で答えを返してきた。
「町に妙な噂が飛び交っているんだ。安藤君が、貢ぐだけ貢いで振られた腹いせに、昨夜遅く浜見屋に忍び込んで、手代を殺して金品を奪ったとか・・・さっき役人に取り押さえられたらしい」
「げげ・・・」
「やはり、そう変わりましたか」
 島田は驚いたが、山崎には予想の範囲内だったらしい。
「奉行所の小者を一人ぶっ飛ばした事にもなっているみたいだけど・・・どうなの?」
「・・・えーと」
 島田が歩きつつ頭の中で考えをまとめていると、背後から別の声が飛んできた。
「安藤君はおとなしく奉行所の牢に連れて行かれたというのに、おかしな話ですね。あ、そうそう。浜見屋のお夏ですが、同心の木田きたに伴われて御店おたなに戻ったらしいですよ」
 のんびりした顔の、山野やまの八十八やそはちがそこにいた。
「そうですか」
「はい、そうです」
 驚いた島田とは対照的に山崎は自然に言葉を交わしている。
「山野さん? 何でそんなに詳しいんですか?」
 首をひねっている島田に、山崎は肩をすくめた。そして顔を寄せて囁いた。
「先ほど島田さんが言っていた町娘。穂波ほなみさんですよ。この間、顔を合わせたじゃないですか」
「・・・、・・・、ああ!」
 島田はやっと思い出した。医者の家で、確かに顔を合わせている。(間者編2を参照)
「奉行所の方々の後をついて行って、色々見てもらいました」
「見てもらいましたって、恋人にそんな危険な事を・・・」
 島田は呆気にとられた。だが、山崎はあくまでも自然に反応を返した。
「で、山野さんはそれを受けて、こうしてやって来たわけですね」
 斎藤が、つんつんと島田の背中をつついた。
「島田、簡潔につ詳しく説明してくれないかな」
「えーと・・・山野さん、よろしく」
 島田は山野に丸投げした。山野は嫌な顔一つせず、これまた小声で斎藤に耳打ちする。
「・・・え? ・・・はい・・・ええ・・・なるほど」
 斎藤がここまで声を洩らした、ちょうどその時だった。それまで早足で歩いていた山崎が立ち止まった。そして三人の男たちの顔をじっと見つめた。
「島田さん。私はこれから浜見屋に赴いて話を聞いてきたいと思います。一緒に来てください」
「え? 俺ですか? いや事情聴取に俺が加わっても役に立たないと思います」
 自分で言ってて情けなくなった。だが事実なのだから仕方ない。
「いえ、話は私がします。島田さんは一緒にいてくれるだけで結構です」
「一緒って・・・」
「なるほど」
 そう言ったのは島田ではなく山野だ。
「一種の『護衛』ですね」
「そうです。安藤さんと浜見屋の言い分は正反対でした。もし浜見屋が嘘をついているのであれば、いわば敵の巣窟に行くようなものです」
「島田が一緒なら抑止力になる、という事だね」
 斎藤も納得いったようにうなずいていた。
“何か、俺だけ頭のレベルが違うみたいな気が”
 島田はそう思ったが、黙っていた。
 山崎は、そんな島田の様子を気にせず斎藤に向き直った。
「斎藤さんは、質屋を当たってみてください」
「質屋ですか? それは一体・・・いや・・・なるほど、しかし」
 一人考えてそう答える斎藤に、山崎はこう続けた。
「安藤さんは浜見屋の娘に、幾度か金品を巻き上げられているそうです。それらがどこから出たものかを知りたいのです。刀を質に入れたとか、そういうのであれば良いのですが、そうでなければ間者の線も考えなくては。平の隊士がそうそう懐に余裕があるとは思えません」
「武士の魂たる刀を質に入れるとは考えにくいのですが・・・わかりました」
 斎藤はそう答えて、さっさと歩いて行ってしまった。
 山崎は、安藤の刀を抜いてみせた木田きたの行動が、どうにも気になっていた。あれのせいで、より悪い印象を人々に与えてしまう結果となった。
 抵抗をやめた相手の刀を何故、抜いてみせたのか? は問題ではない。刀に比べて竹光は軽い。持てば重さの違いが気になって、抜く事は充分考えられる。
 問題は『安藤がどうして刀の一件で沈黙した』のかだ。普通は何らかの弁解をするもの。安藤が何を言いたくなかったのかは不明だが、『普通に返答していれば、あの行動は効果を現さない』のは確かだ。
 つまりは『あの行動を取らせた人間・・・・・・・・・・・は、安藤の行動を予測していた』事になる。
“この一件、奥に何者かが潜んでいそうな気がします。それも、かなり『いやな人』が”
「山野さんは・・・」
「私は知恩院に行って参ります」 
 山崎の言葉を待たずに山野はそう答えた。そしてやっぱりさっさと歩いて行ってしまった。
「安藤さんが以前いた寺ですね。では、よろしくお願いします」
「・・・?」
 島田はよくわからなかったのだが、山崎は何も説明せずに山野を見送った。
「ちょ、山崎さん。俺にはアレで斎藤にはソレで山野さんにはコレってどういう事です?」
「島田さん。あれやらそれやら、指示語が多くてわかりません。それに大声はやめてください。町の人の目があります」
 島田は辺りを見まわした。大通りに出ていたらしく、町の人たちが二人を冷たい目でみていた。
「また、きはった」
「みぶろは、やっぱりみぶろやな」
「どのツラ下げて出てこれるんや」
「手代殺しの隊士を、かくまっとるらしいな。世も末じゃのー」
 ある者は目をそらし、ある者はじっとりとした目で見てくる。決して二人に近寄ろうとはしない。
「いてっ」
 島田の足に何か当たった。
「ワルモノめ、あっちへ行けよ」
 子供が二、三人集まって島田たちを見ていた。一人が小石を持っている。
「ワルモノは出てけ。町を守るって言ってたくせに、この嘘つき太郎!」
 嘘つき太郎というのが意味不明だったが、彼らの目は真剣そのものだった。
「島田さん、行きますよ」
「でも」
「いいから。行きますよ」
 仕方なく島田は歩き出した。後ろからはこんな声が飛んできた。
「見損なったぞ!」


 浜見屋に来た。山崎が堂々と表から入ろうとするので、島田は意見してみた。
「山崎さん。表から入るのはどうかと思います。悪い噂で隊の評判が落ちている時に・・・」
 犯罪者を匿っているという噂のある今、そんな新選組の人間が堂々と表からやってくるのは、店にとって迷惑以外の何物でもないのではないか。そう考えたからだ。
 だが山崎は頑として首を左右に振った。
「そんな時だからこそ、堂々と普通に入るのです。もし裏からこそこそ入ろうものなら人々はそれをどう見ると思います? 『こそこそしてる、やはりやましい事があるんだ』こう噂されます」
「・・・」
 島田は目だけで周囲を見た。自分たちの行動に数多くの目が注がれているのがわかる。
「普段と違うことをすれば、目立ちます」
 島田もそれ以上何も言わずに、山崎について浜見屋の中に入った。
「・・・これはミブロの方々」
 手代か丁稚か知らないが、一人の若い男がそう声をかけてきた。店先には数人の客がいたが、入ってきた二人を見て、急いで帰ろうとする者もあった。
「お邪魔いたします。少しお話を伺いたいのですが・・・」
「うちも商売ですので・・・」
「お手間は取らせません」
「・・・」
「お願いします」
 山崎はそう言った。その時、奥からのっそり出てきた初老の男がいた。
「私が、今この浜見屋を預かる番頭の竜三りゅうぞうです。とりあえず中へどうぞ」
 その男、竜三の声で決まった。ただ、数人いた客は一人もいなくなっていた。島田は何も言わずに立っていただけだったのだが、とりあえず奥に通されることになった。
 山崎は竜三に、事件の現場を拝見したいと申し出た。竜三は何も言わずに前に立って歩き出した。
「旦那さま、ろくを連れて参りました」
 最初に会った男が、別の男を伴って追いついて来た。六、とは例の手代だ。
「ああ、ご苦労」
 どうやらこの竜三、実質上の店主なので自分の事を『旦那さま』と呼ばせているようだ。
「ここが現場の、お嬢様の部屋へ向かう途中の廊下です。そして」
 手代を示して言った。ちなみに最初の男はもう店に戻ったようだ。既にそこにはいない。
「こいつが、六です。死んだ手代は駒吉と言います。駒の奴は、真面目でよく働く男でした」
 竜三は言葉を止めて悲しげに沈黙した。
「ろく、です。私は怪我ですみましたけど駒吉は・・・」
 包帯男は会釈してから、そう言って目頭を押さえた。山崎は六には目を向けずに、
「駒吉さんは?」
 こう聞いた。竜三は悲しげな顔のままで、力なく答えた。
「今は別の部屋に移してあります・・・先に駒吉に、会われますか?」
「いえ、後ほどで構いません」
 山崎は竜三に軽く頷いてから、廊下にしゃがみ込んだ。そして見た。
「・・・おや、これは血痕ですね」
 島田も見た。廊下のあちこちに丸い赤いものが幾つも残されている。
「これは、六さんの?」
「はい。私が昨晩、賊と出会って斬られたときのものです。咄嗟とっさに身をかわして事なきを得たのですが、腕にかすり傷を。それがこの腕の包帯です」
 言って、六は腕の包帯を見せた。山崎は、包帯の巻き方がなっていない・・・・・・、と感じた。
「なるほど、身をかわしたのですね。飛び退いて、庭に降りたりしました?」
 しゃがんだまま山崎は、庭の砂利に目を転じた。
「いや、降りたかどうか・・・実はよく覚えてません。何しろ必死でしたので」
「あの、駒吉さんはちなみにどの辺りで?」
「今通ってきたばかりの、庭に面した廊下の角の辺りで・・・駒吉は斬られて、庭の方に落ちました」
「・・・なるほど。ですが六さん、よく腕を落とされませんでしたね」
「え?」
「新選組は腕に覚えのある人ばかりです。刀の一振りで腕や首を落とすのは雑作ぞうさもない事」
 一緒に来ている島田を示して、やや早口でこう続けた。
「あの島田さんなど、頭に行く栄養分まで腕前の方に行っている人です。気をつけてくださいね」
「き、気をつけてと言われましても」
 六は困ったように、目を泳がせた。島田は山崎の言葉を聞いてちょっとショックを受けた。
“頭に行く栄養分までって・・・俺って一体”
 どすどす、といった感じで奥の部屋から誰か歩いてきた。
「なんだ、あんたらか」
 さっきも見た、浜見屋のお夏だった。さっきとは違う服を着ている。
「お嬢さん、おでかけですか? またキラ・・・」
「どこへいこうがオレの勝手だろ」
 お夏はぶっきらぼうに答えると足早に立ち去り・・・かけて山崎に目を止めた。
「なにか?」
 そう言って山崎が見上げると、お夏は肩をすくめて呆れたように言った。
「おまえ・・・時々町で見かけるけど、いっつも同じ格好なんだな」
 これ見よがしに、自分の服を見せるように手で触って見せてから、こう言葉をつなげた。
「ミブロって服は一つしか持てないのか? 着たきり雀じゃ、もてない・・・・ぜ」
 山崎はしゃがんだ格好のままで視線を血痕に戻して、明るくこう答えていた。
「私の名前は、雀です。ヤマザキスズメ」
「・・・あ、そーなんだ」
 一瞬、顔色を変えたお夏だがすぐに頭を振った。
「別に、どうでもいいや」
「ですね。ところでお夏さん、この血痕・・・」
「ああ、あのアホボウズの事件の・・・手代の六を斬ったときのモンだろ」
「血痕、結構丸いですね」
「ああ、丸いな・・・こんな時だってのに洒落か? バカか?」
 お夏はドスドスと足音を立てて歩き出した。
「お夏さん。あなたのお部屋を拝見させていただきたいのですが、よろしいですか?」
「・・・見るだけなら、勝手に見ればいいさ」
 ちょっとの間をあけて、振り返ることもせずにお夏は言った。そして、
「てめえ、邪魔なんだよ。廊下の真ん中に突っ立ちやがって、このデクノボウ」
 島田を押しのけて、廊下の角を曲がって表の方へ足早に歩き去って行った。
「申し訳ありません。お嬢さんは元来ああいう方ですので、なにとぞお気になさらずに」
 やや皮肉っぽく、竜三がこう取り繕った。
「いえいえ、気にしておりませんので」
 笑顔で返す山崎だったが頭の中では、ある情報と情報とを結びつけようとしていた。
“デクノボウ・・・”
 島田は少し、いやかなり気にしているようだったが。


 お夏の部屋を見せてもらい、その後で駒吉との無言の対面も済ませた。
 最後にお茶を馳走になって(本当にお茶しか出なかった! 島田・談)二人は浜見屋を後にした。島田が不意にこう聞いた。
「山崎さん、これからは?」
 半刻はんとき(一時間)ほどを浜見屋で過ごした形だった。
「まだ昼ですが・・・他人のしない事をしていれば、かえって危険がないものです」
 山崎は小さな声で答えを返してきた。
“さっきは、人と同じ事をしてろ、みたいな事言ってなかったか?”
 島田はそう思ったが、口には出さなかった。
「引き上げる振りをして、浜見屋に潜入して探ってみま・・・」
「せんにゅう!?」
 島田がでかい声を出したので山崎はあわてた。同時に、あきらめた。
「・・・しょうかと思っていた気がしましたが、気のせいでした。島田さん静かに」
 浜見屋の者たちに聞こえたかどうかは不明だが、今の言葉を耳にした者は少なくない。そんな状況で浜見屋に忍び込むのは危険すぎる。
“安藤さんの事件の直後に私が見つかれば・・・”
 生命いのちに関わる。『山崎雀』の生命、ではなく『新選組』の生命に、だ。
「ダメですよ。それは・・・ほら、危ないから」
 静かにと言われたためか、妙にか細い声で島田がこう言ってきた。
「山崎さんは、その・・・あれで、あれだから気をつけないと、あーもう」
 島田はうまく言葉にできずに頭を掻いた。
 例の事件(間者編2)の後、島田は土方から言われていた事があった。
『山崎は何も語らないが、暴行を受けているのは確実だ。心の傷は身体の傷より治りが遅い。どんな過ちを犯すかわからない。事情を知らぬ者には頼めんのだ。島田、危ないと思ったなら止めるように』
 この場合の『過ち』とは職務での失敗だけではない。自殺未遂のような危険な行動も意味していた。
「何を言っているのかわかりませんが・・・」
 山崎はそう言いながら、だがしかしおおよそ見当はついていた。
 あの事件以来、山崎は土方、芹沢、藤堂、山野に加え穂波からまで気を遣われていたのだ。だから島田が何を言おうとしているのかもわかった。
“みんな、私の心のケアをしようとしてくれている・・・でも”
 そこまで考えた時、島田が不意に山崎の袖を引いた。
「あそこあそこ、腹ごしらえして考えをまとめるっていうのはどうでしょう?」
 島田は一軒の、うどん屋を指さしていた。
「うどん・・・」
 山崎は後ろを振り返って、浜見屋とそのうどん屋との位置関係を確かめた。
「島田さん」
 山崎は少し歩みを遅くして、小声で言った。
「私は奉行所に顔を出してきます」
 島田が何か言いかけるのを目で制して、言葉をつないだ。
「食べながらでかまいません。しばらく、浜見屋の様子を見ていてください」
「へ?」
「私がつついた・・・・ことで、何か変わった事があるかもしれません。お願いします」
「はあ、それはそうで・・・あれ? あれ? いやあのー、山崎さん」
「うどんは何杯食べても結構ですが、人の出入りは見逃さないでください」
「だから、あの、俺・・・」
「うどんの代金は後から経費で落としますから、心配は無用です」
「いや、あの、ね。俺が言おうとしてるのは・・・」
「ただ、出入りした人たちの人相風体は、詳細に覚えておいてくださいね」
「はなしを聞けえ!」
 島田の叫びに山崎は立ち止まった。そんな彼女を見て、島田は胸を張って叫んだ。
「俺、お金持ってないんスよ!」
「・・・そうですか」
 山崎はため息をついた。そしてふと、ある事に気づいた。
「島田さん。島田さんが、誘いましたよね? なのに、お金を持ってなかったんですか?」
「いや、持って出たと思ってたんですが、今探してみたら・・・」
 島田は誤魔化すように、わざとらしく笑ってこう言った。
「あっはっはっは、最初は『俺のオゴリで』とか言うつもりでした。いやー思いこみって、本当に恐ろしいものだという事で・・・」
 そこで何か思いついたのか、島田は表情を引き締めた。
「先入観は判断を誤らせる。忘れるな」
 土方のモノマネらしかった。山崎は島田から目を反らして、その言葉を心の中で繰り返した。
 先ほど、土方からその言葉を浴びせられたとき、山崎の身体に衝撃が走った。安藤に対する、いやお夏に対する感情から、安藤に下された『士道不覚悟』の沙汰をつい肯定してしまったのだ。あんな悪女にたぶらかされるような駄目な人間だから、と。そして何より・・・。
「あの人を──した人間、だからと」
 肝心なところは敢えて口にはしなかった。島田はうどんの事で頭がいっぱいなのか、反応しなかった。
“決め込むのは、最後の最後でいい・・・あの人はかつて、私に言ってくれた”
 先入観。思いこみ。とらわれてはいけないものに、とらわれるところだった。
 素早くお金を取り出すと、島田に握らせた。それから小声で言った。
「これ、お金です。何も考えずにしっかり見ててくださいね」
 町奉行所へと向かって歩き出す山崎。島田はそれを、口を開けて見送るのだった。


 町奉行所、まで目と鼻の先というところで、後ろから誰かに呼び止められた。
「山崎さん。探しましたよ」
 山野だった。珍しく荒い息で寄って来る。急いで追って来たらしい。
「何かわかりました?」
「お夏さんの、亡くなられた父親は信助さんと言いまして、たいそう信心深く、知恩院や延暦寺にも足繁くお参りに行っていたようです」
 開口一番、山野は何の前置きもなくそう言った。
「延暦寺?・・・すごく遠いじゃないですか。信助さんはお菓子屋のあるじ、ですよね」
「はい。信助さんはお菓子屋とは思えないほど壮健な人でした」
 それほど壮健な人が、病で? 山崎は少し気になったが、おとなしく話の続きを聞いた。
「延暦寺からの帰り道・・・捨てられていた赤子を見つけ、自分の子として育てたとのことです」
 山崎は驚いた。彼女はそれが理由で、グレたのだろうか? ともかく、お夏の出自はわかった。
「一方、安藤君ですが・・・弓術の大会で入賞した過去がありました。ですから蓄えは充分にあったはずですよ。もっとも浜見屋のお夏に、繰り返し貢いでいるようですから」
 ここで山野は言葉を切って、思わせぶりにじっと山崎を見つめてきた。
「ところで、ですね。実は『面白い』事がわかりました」
 何が『面白い』のだろう。字義通りには取れない。
「実は・・・」
 その話を聞いた山崎は、耳を疑った。すぐには理解できなかった。
「それは本当の事ですか?」
「本当の事です。知恩院に長くおられる方が、しかと覚えておられました」
“だとしたら、どうして・・・?”
 その答えは、当人に聞いてみなくてはならない。
 山崎は手早く山野と情報交換をすませ、新たな心持ちで町奉行所へと足を運ぶことにした。


 町奉行所、の牢屋の前。
 同心の木田きたに事情を説明すると、意外にあっさりと安藤の入れられている牢の前まで案内してもらう事ができた。もっと難渋するかと考えていたのだが、少し拍子抜けした感があった。
「何だ・・・誰かと思えば山崎さんじゃねーか。俺の身を案じて来てくれたのか?」
 牢の中の安藤はおどけた調子で、こう声をかけてきた。
 離れたところから牢番が見ている。そんなに時間はないため、山崎は単刀直入に切り出した。
「安藤さん。どうして、嘘をつくんです?」
 安藤は不愉快そうに顔をしかめると、吐き捨てるように言い返してきた。
「何だぁ? あんたも、俺が犯人だって思ってるのか?」
 静かに、しかしはっきりと山崎は首を左右に振る。
「その事ではありません」
 遠くからじっと見つめてくる牢番の事が気にはなるが、山崎はやや声を大にして言った。
「お夏さんに騙されたのではないと、さっき言ってましたよね。お金を貸してあげた話です」
「あ? ああ、言ったぜ。三回も、あの人の力になってあげたんだぜ。嘘は言ってねえ」
「その、母方の親戚の件ですが、あの人は捨て子です。母親がどこの誰かはわかりませんでした」
「な、何だってぇ!?」
 安藤は目を見開いて叫んで、それから肩を落として小声になった。
「いや、違う。騙されたんじゃねえぞ。俺は、信じる」
 山崎は大きく息を吐いた。そして、険しい目になってこう声をかけた。
「それが、嘘です。正しくは『俺は、知ってる』です」
「・・・!?」
 安藤の動きが止まった。
「あなたは、あの人が拾われた子である事を知っていました。『母方の親戚』が偽りなのを承知していたはずです。なのにどうして、黙って騙されてあげたのですか?」
 今度は安藤が大きく息を吐いた。そして、困ったようにハゲ頭を掻きながら答えた。
「寺か・・・あんた、いったいどんな聞き込みしてるんだか」
「それは、山野さんに言ってください」
 安藤はしばらく黙っていたが、考えがまとまったのか、牢の格子こうしに近寄ってきた。山崎もそれに合わせて格子に近づいた。顔と顔が触れるくらいの距離で、安藤は聞いてきた。
「悪いのか?」
「え?」
「俺が、勝手に騙されたのが、悪いことなのかよ?」
「・・・」
「確かにあの人は、ぶっきらぼうでワガママで、男をつまみ食いしてるような人さ。それでも」
「それでも・・・?」
「それでも、俺はあの人が好き・・・いや、好きっていうか、気になるんだ」
「気になる?」
「寺で聞き出したんなら、わかってるはずだ。俺はあの人に『素敵』になってもらいたいんだ」
 昨年、浜見屋のあるじだったお夏の父・信助が知恩院に来たとき、話を聞いたのが他ならぬ安藤だった。だからお夏が捨て子である事、彼が血の繋がらぬ娘との関係に悩んでいる事なども、よく知っていた。
「お夏さんが年頃になるころから、ぎくしゃくし始めたと、シンスケさんは言っていた」
「・・・」
「私もお菓子屋さんになる、と言っていたのが一転、家業は継がないと言い張って・・・二人の距離はどんどん離れていってしまったそうだ。自分にどこか至らぬところがあったのか、何かを間違えたのだろうか、とシンスケさんは随分気にしていたんだ」
「・・・はい」
「で、心労のせいか、去年遠くへ旅立っちまった・・・親子の和解も果たせずにな」
「それで・・・あの人に、優しくしてあげようと?」
「へっ、わかってるさ。そんなことしても意味ねえって事ぐらいな。でもな」
 安藤は格子のそば、山崎に自分の息がかかるくらいの距離からつつつ、と身体を離した。
「俺がちょっとピーピー言うだけで、あの人が『素敵』になれるかもしれない。そう思ったらな」
 足音が聞こえてきた。山崎がちらとそっちに目を向けると、木田がやってくるのが見えた。
「そろそろ時間のようです。最後に一つ、お夏さんに貢ぐ金欲しさに、間者になったりは?」
 小声で、やや早口にこう聞いてみた。安藤はハゲ頭をつるりと撫でた。
「さあね。俺はお調子者だからな。そういう事も、あるかもしれねえぜ」
 木田が牢の前まで来て、話しかけてきた。丁寧ではあるが、ややきつい調子で。
「申し訳ないのですが、そろそろお帰りねが・・・」
「無理を申しまして、あいすみません」
 みなまで言わせず、先に山崎は木田に向けて丁重に礼をした。
「ああ、いえいえこちらこそ」
「・・・というわけでので、私はこれで」
 山崎が安藤に向き直ってそう言うと、安藤も首を縦に振ってこう言ってきた。
「いろいろする事あって大変そうだなー。俺なんか退屈で退屈で仕方ねえよ」
「大変ですよ、本当に」
 大仰に肩を落として見せて、一転して軽い口調でこう付け加えた。
「あ、そうそう。『桃太郎のキビダンゴ』の件についても、調べさせてますからご安心を」
 一瞬、木田の眉が動いたのを、山崎は気づかなかったふりをした。
「キビダンゴ? 何だそれ」
 安藤は首をかしげている。山崎はこう付け加えた。
「歌です、うた」
「うた?・・・もーもたろさん、もも・・・」
 安藤、小さな声で歌を歌い始め・・・たかと思いきや、ピタッと止まった。
「・・・ああ、あれね、あれ。そんな事まで調べてんのかよ」
 一方の安藤、理解したような顔で何度も頷いている。
「前からだが、あれたけえよなあ、三つでよ。困るのは、ろくに、刺してねえって事だ」
“意外と安藤さん、頭はいいようですね”
 桃太郎の童謡の歌詞にその答えがある。『お腰につけた♪きびだんご』だ。
 山崎が言わんとしたのは『刀を手放し竹光を帯びていた件』についてだった。腰に付けたきびだんごと、武士の腰にある刀とを掛けた比喩。木田の手前あんな言い方をしたが、理解してくれたようだ。
“前から・・・たけ、みつ・・・こま、ろく、刺してねえ・・・ですか”
「山崎さん」
 木田が、催促してきた。山崎は目で了解の意を伝えてから、安藤に目を戻した。
「そろそろ本当に、行きますね」
「おー」
 安藤はわざと軽い声で答えた。木田は背を向けて立ち去ろうとした。山崎はそれについて行くが、途中で小走りに戻ってきて安藤に小声で話しかけた。
「明日、お夏さんと二人だけで話してみようと思います」
「・・・あのさ、やっぱりお夏さんも・・・いや、何でもねえ」

 木田の耳にかろうじて入る位の声。山崎はすぐに牢から離れて、木田の後ろにやってきた。木田は、別に何を言うでもなく、二人は無言で奉行所の門の前まで来て、そのままそこで別れた。


“何者かはわかりませんが、一連の事件の裏に見え隠れする人間・・・本当に『いやな人』ですね”
 浜見屋の近くまで戻る道すがら、山崎はこれまでの情報を整理して考えをまとめようとしていた。
 安藤の刀・・・あれで事件の印象は、より『悪色あくいろ』に染まった。人々が新選組に否定的になる、悪い噂の広まり方は山崎の想像以上に速いものだった。
“おそらく、意図的に広めているのでしょうが・・・”
 自分は姿を見せず、真綿で首を絞めるように、じわじわと相手を痛めつけていく。
“武闘派ぞろいの新選組にとって、もっとも相性の悪い敵・・・かなりの切れ者ですね”
 ただ、浜見屋での現場検証は収穫だった。廊下に残されていた血痕。あの円形の血痕は、出血した人間が動きを止めていた(血が真上から垂れた)事を物語っている。少なくとも、あの場で斬られかかったという言葉は嘘だ。揺さぶられた・・・・・・時の反応と考え合わせると、あの手代は嘘をついていると見ていい。
 ただ問題なのは、お夏がどんな位置にいるのか? だった。
 敵の一味なら問題ない。共犯なので有罪だ。だが、単にストーカー被害に辟易して『偽証』に乗った場合は微妙だ。安藤の怪しい行動が原因なので、安藤の『士道』が論点になる。
“あの時・・・”
 山崎の脳裏に、さっきのお夏の顔がまざまざと思い出された。
 私の名前は雀です。そう答えた瞬間のお夏の顔。あれこそが、彼女の素顔なのではないか。
“名前は両親からの最初の贈り物。彼女はその事をちゃんと知っている”
 山崎はお夏を『素敵・・になれる・・・・人間だと感じた。『素敵』な人間とは思わなかったが。 
 うどん屋の前まで戻ってきた。中に入ろうとすると島田が出てきてぶつかりそうになった。
「きゃっ」
「わ、すいません」
 とりあえず、店の入り口では迷惑になるので通りを歩きながら話す事にした。通りには鍋、釜、野菜、果物などを売る人たちも行き交っている。そういう時間帯なのかもしれない。
「出入りしたのは、ろくというあの手代だけでした。どこに行って帰って来たのかはわから・・・」
「あなたにそこまでは求めてません」
「しょぼん・・・あ、あと斎藤が来ました。すぐどっか行っちゃったけど」
「斎藤さんは、なんと?」
 島田は鼻の頭をぽりぽり掻きながら、
「安藤が刀を質に入れに行った店を見つけたそうです。時期もどんぴしゃ、年明け早々。ただ」
「ただ?」
「いくら何でも、女一人のために武士の刀を質になあ、と。俺の感想です」
 前から、重そうな天秤棒(運搬道具。棒の両側に物をぶら下げる)を担いだ野菜売りが歩いて来ていた。笠を深めにかぶっている。その野菜売りが二人の手前でつまずいて転んだ。
「・・・!」
 山崎は走り寄って野菜を拾うのを手伝ってあげた。島田が反応できずにいる間に、山崎と野菜売りはほんのちょっとだけ言葉をやり取りして、すぐに別れた。
「あ、あの。何か言われたんですか? 触るなミブロ、とか」
 心配そうに問いかけた島田だったが、当の山崎は不思議そうな顔でこう答えた。
「今の野菜売り・・・穂波さんですよ。奉行所の近くで山野さんともお会いしました」
「・・・え!」
 叫んで、あわてて手で自分の口を押さえて周囲を見まわしてから、島田は山崎を追いかけた。
「いったい、何がどういう事になってるんだ。誰と誰が何してるんだ」
 そう聞いてくる島田を見ずに、独り言のように山崎は答えを返した。
「安藤さんはお夏さんの身を案じているだけです。ちょっと誤解されるような言動がありますけど」
 歩調を合わせて後ろからついてくる島田の息づかいを聞きながら、確認するように続ける。
「暴行の件はシロです。そして、裏表のない人に見えますから間者の可能性もないでしょう」
 今のところは、という部分は口にしなかった。その代わりに言っておく事があった。
「島田さん」
 声の調子を変えて、山崎は言った。
「私見ですが、今回の事件には陰で糸を引いている人間がいます。『切れ者で、いやな人』です」
「・・・」
 島田も、気配を読んだのか無駄な言葉は挟まずに黙ってそれを聞いている。
「そんな人に、大切な人たちを傷つけられるなんて、私には耐えられないです」
「俺も」
 島田は、やはり普段とは違う声色で答えた。と思いきや、
「嫌な人は、嫌な奴だからイヤだ」
 こう、冗談とも本気とも取れる言葉が出てきた。
 山崎は町を、そして人々を見つめた。この人々を守るのが私たちの務め。
「・・・私は元気です。もう、大丈夫ですから」
 あの人にそう伝えてから、山崎は歩き続ける。
 果たして彼らは敵のたくらみを打ち砕く事ができるのか? 失ってしまった信用を取り戻す事ができるのか? そして、いまだ姿を見せぬ真の敵に迫る事ができるのだろうか? 


(おまけのSS・by若竹)
 今回、あとがきがなかったので、私がおまけのSSを書く。
【山崎】同じ町にそんなふしだらな娘がいるかと思うと・・・。
【島田】恩人の芹沢さんは?
【近藤】けっこう男遊び激しいよ?
【土方】うむ。十分ふしだらな女だ。
【芹沢】雀ちゃんはアタシの事が嫌いなの?
【山崎】え、えーとぉ・・・。



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