偽作・行殺(はぁと)新選組ふれっしゅ

番外編その3 『笑顔は落雷の如し』


 時は幕末、慶応元年(一八六五)六月中旬。
 昼も近くなった頃、平隊士の島田誠は
「ああ・・・腹減ったなあ」
屯所である西本願寺の近くを散歩、もとい巡回していた。最近、立て続けにいろんな事があった。
去年の秋には一気に新しい隊士が入った。今年の冬には幹部の切腹があった。春には屯所の移転と、また新しい隊士の入隊があった。
「最近特に、腹の減りが早いんだよなあ」
 島田は首をひねった。体力には結構自信があったのにな。正しくは『体力だけには』。自分はそんなに繊細な人間だったのか、と思い悩むうち、ある可能性に至った。
「もしいち(岐阜大垣地方の方言。意味・ひょっとしたら)、そーじと一緒にいるから?」
 去年の池田屋騒動の時、そーじが戦闘中に血を吐いた。いや吐いたなんてもんじゃなく吐きまくった。ダイカッケツと(島田の学力では字が想像できなかった)いう奴らしい。その後話を聞いた所では、肺を患っているとの事だった。それまでは島田にとって病とは『病』という一つの状態の事であり、肺であろうが肝臓であろうが区別はなかった。
 島田は足を止めた。己の考えを恥じた。
「そーじのせいにするなんて!おまえはそれでも男か!」
 そして拳で顔・・・は嫌なので腹を殴って反省した。痛みに腹部を押さえて前のめりになる。もう屯所は目と鼻の先だ。みっともないからしゃんとしよう。
「さて・・・午後からはどうしようかな」
 今日もそーじを巡回に誘ったのだが、そーじは体調が優れないらしく横になっていた。やっぱり様子を見に行った方が・・・などと考えていると。前方から小走りで駆け寄ってくる者がいて島田は顔を上げた。
「あ、しまださぁん!」
 そいつは大声をあげて近づいてきた。同じ新選組の隊士だ。
「おう、三浦か。どうした?」
 去年の秋に入隊してきた、三浦啓之助(資料によっては敬之助)である。年の割に幼く見える、隊でも屈指の坊ちゃん面の若者だった。妙にはしゃいでいる。
「やったんです!ついに手に入れたんです!」
 三浦はそう叫ぶと、いきなり腰のものを抜いた。反射的に身構えてしまう島田だったが三浦はまったく気づかずに、
「どーですか、これ?すごいでしょう?いやー嬉しいなあ」
 島田の前で、目をキラキラさせて語る三浦。よくよく見るとその刀、以前見たものとはまた別の刀らしかった。新品に見えるな。刀に関して島田は素人同然だったが、何となくそう思った。どうやら、新しく手に入れた刀を見せびらかしに来たようだ。
「いやー嬉しいなー嬉しいなーすごいなー、探し回った甲斐があったなー」
 まるで子供のように、刀を手にしたままで身悶えている。危ない奴だと島田は思った。新選組の隊士は死と隣り合わせの毎日なのだ。こう浮かれていては早死にする。
「・・・あのなあ三浦」
 だから島田は、呆れながらも『優しい先輩』として助言する事にした。これが土方さんだったら何を言われたかわかったもんじゃないぞ。
「はい?何ですか、しまださん」
 きょとんとした顔つき。三浦は動きを止めて島田を見た。刀は抜いたままである。早くしまえよ、と思いながらもそれは心に留めておいて、
「刀ばかり良くても、腕が鈍くちゃ意味ないよ」
こう言った。自分の言葉ではなく、誰かの受け売りだったが。
「・・・・・・え?」
 困惑したように、三浦は聞き返した。心なしか顔が青い。
「俺が言うのも何だけど、三浦はもう少し腕を磨いた方がいいって事さ」
「・・・・・・・・・」
 唖然とする三浦。島田は、悪いことを言ったかな、と思ってこう付け加えた。
「いや、悪い悪い。俺だって腕前がどうのこうの言えないよな。気にしないでくれ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 島田は三浦と別れて、そそくさと屯所に戻った。


 その日の午後。島田はそーじを探して屯所の中をうろついていた。朝方、そーじは横になっていた。咳も出ていた。が今はどうかな。体調がいいようなら・・・。
「あ?お兄ちゃん」
 そーじ発見。しかし意外な組み合わせだった。会いたい人と会いたくない人がいた。
「ム・・・島田か」
 そーじは土方と碁を打っていた。そーじの熱い視線と土方の冷たい視線が同時に島田に注がれる。島田は何となく嫌な予感がして立ちすくんだ。
「ちょうどいい。島田、後ろに立って沖田にぷれっしゃーをかけろ」
 土方はそう言うと、盤上に目を戻した。
「あの、土方さん。俺は碁はよくわからないんですけど」
「うるさい。わからずともよい。突っ立って沖田を威嚇しておればよいのだ」
 どうやら負けそうらしい。対照的にそーじの顔は明るかった。
「お兄ちゃん、そこに立って応援しててね」
 話しかけてくるそーじに、思わず頷きかけた島田であったが、
「副長命令だ。沖田の心を乱し、その戦闘能力を削げ」
 島田は困ってしまって、こう言った。
「たかが碁じゃないですか」
 土方の眉が動いた。盤から目を外し、鋭い視線を島田に向けてきた。
「たかがとは何だ。これは戦なのだ」
 土方がそう言い切った。その言葉に島田は唖然となった。碁石を見る土方の眼差しは真剣そのものである。まるで命のやり取りをしているかのようだ。
“女に騙された奴は女に厳しくなるらしいけど・・・碁で何か酷い目にあったのかな”
 島田は考えてみた。博打打ちと碁を打って大負けして身ぐるみ剥がされた・・・副長に限ってそれはないかな。
「戦は勝たねばならないのだ。ありとあらゆる策を弄して勝利を目指さねばならぬ。これこそ新選組の士道であり・・・」
 土方の言葉を遮って、そーじが島田に目を向けた。
「お兄ちゃんは、あたしの味方だよね」
 眼鏡の奥の、情熱的で潤んだ目(と島田には思えた)。だが土方もこう言ってきた。
「島田。命令に背くは・・・わかっているだろうな」
 島田はどうしていいかわからなくなった。二人の視線が注がれている。このまま黙っていてはいけない。何か言わなくては。
「お、お・・・俺は二人とも応援してます」
 土方はそれを聞くと、少し笑って盤に目を戻した。そーじは逆に少しムッとなって同じく盤に目を戻した。正しい答えを出せたかどうか、島田にはわからなかった。
「・・・・・・・・・・・・」
 島田は黙って盤上を見つめた。というか、二人の雰囲気に飲まれて声を出すことができなかった。盤には白い石と黒い石が群れている。どっちが優勢なのか、島田には読みとれない。ぱち、ぱち、と石を打つ音だけがやたらと大きく聞こえた。
「・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・」
 島田は身じろぎもせずに、突っ立って見ていた。しばらく時が経ち・・・。
 不自然な感じで、二人の動きが止まった。おや?と島田が思ったのは一瞬だけ。背中に強い痛みを感じて、そんな疑念は吹き飛んだ。何が起こったのかわからなかった。
「・・・ぐっ・・・!?」
 苦痛の声を洩らしながら、島田は背後を見た。そして次には驚きの声が出た。
「・・・み、みうら?いったい・・・」
 背中に走る痛み。血の付いた刀を抜き身で持ったまま息を弾ませている三浦。
「三浦。子細は後ほどゆっくりと聞こう」
 土方が立ち上がって声を発した。さりげなく、盤上の石をぐちゃぐちゃにした。
「あ・・・それって卑怯です・・・」
 そーじが小声で言うのも、島田には聞こえていない。
「まずは刀を納めろ」
 土方のこの言葉に、島田はようやく自分の身に起きた事を理解した。
「・・・お、俺!?俺が、斬られたんですか!?」
 背中がズキズキ痛む。血が出ているのがわかる。隊服がざっくりと切れていた。
“どうして、三浦が俺を?・・・ハッ、もしかしてこれも土方さんの指図?”
 島田は伊達に、土方の指令で処断される隊士たちを見てきていなかった。時に意外な討ち手を指名する土方だ。これもそうかもしれない。でも、俺が一体何をした?
“えーと、勝手に金策・・・はしてない。訴訟、も知らない。後は・・・”
「お兄ちゃん。早く手当てした方がいいよ」
 そーじがニコニコ顔で言った。すごく楽しそうな、おかしくておかしくてたまらないという顔をしている。
「お、俺が背中を斬られたのが・・・そんなにおかしいのか?」
 少し、いやかなりショックを受けた島田。ズガアアアアアン!!自惚れているわけじゃないけど、そーじとは結構仲がいいと思っていた。それなのに、俺がこんなにも痛い目に遭っているのに、そーじはそれを面白そうに見てる。腹が立つやら情けないやら。確かにまともに背中を斬られるなんて無様ではある。新選組隊士として失格かもしれない。士道不覚悟と言われるのも仕方ないさ。それでも、そーじには少しは俺を案じてくれる表情、それを期待していた。それが。それがーーーっ!
「島田・・・手当をしてこい。傷は浅そうだがな」
 三浦を促してどこかへ行こうとしていた土方が、島田を見てそう言った。三浦はと言えば、放心状態で心ここにあらずといった感じだ。
「・・・は、はい」
 島田はそう返事をした。しかし島田の耳は何の声をも拾っていなかった。
「・・・・・そーじ・・・・・」
 島田は斬られた事よりも、そーじに笑われた事の方がショックだった。言われるまま、一人とぼとぼと歩いていった。


 三浦啓之助は数日間の謹慎処分ですんだ。島田の傷が浅かった事、且つ副長がそばにいながら凶行を阻止できなかったという事もあったかもしれない。
 数日。その数日のうちに、隊士が二人死んだ。六月二十一日。石川三郎、施山多喜人、両名とも不義密通により隊規第一条に違反、切腹。
 六月下旬。三浦は久しぶりに町に出た。天気は上々。しかし気分は晴れなかった。
 三浦は去年の秋に会津藩士・山本覚馬の勧めで新選組に入隊した。有名だった父親の存在。その父親が暗殺者の手にかかって亡くなったという事。腕を磨きその仇討ちをしたいという『近藤好みの入隊理由』。それに会津藩士からのたっての頼みというので、三浦は平隊士ながら異例の待遇の良さであった。
“ここって、居心地がいいなあ”
 三浦がそう思うのも仕方ない事だった。近藤や伊東といった幹部からの庇護が、三浦を調子づかせた。新選組の恐ろしさを知らずに日々を過ごす事になった。
 今年の二月、総長・山南敬助が脱走の咎で切腹させられてもまだ、三浦のその気持ちに変わりはなかった。新選組の隊規の恐ろしさに気づかなかった。
“脱走なんかしようとするからだよ。おとなしくしてれば死なずにすんだのにさ”
 気づくどころか、ますます図に乗った。母親からの仕送りで懐は暖かかった。
 五月、新しく屯所となった西本願寺に隊士たちが勢揃いした時、三浦の嬉しさは頂点に達した。副長の土方が江戸から連れてきた、五十人もの新人隊士。彼らの全員がすなわち自分の後輩なのだ!意味もなく幸せな気分になった。剣の腕前はさっぱりのくせに、後輩がたくさんできた(と思いこんだ)事で三浦の行動はますますエスカレートしていった。父の仇討ちなど果たして三浦の頭にあったものやら。
“ここにいれば、自由気ままに振る舞えたのに”
 近藤、土方共に山本覚馬には世話になっていた。その山本が頭を下げて預けてきた三浦に、二人ともあまり強く出る事はできなかったのだ。
“脱走さえしなきゃ、殺される事なんてないと思ってたのに”
 三浦は歩きながら、我知らず拳を握りしめていた。
“脱走しなくても、死んじゃうじゃないか”
 つい先日の、二人の隊士の粛正だった。甘ったれの三浦にもやっと現実が見えてきた。新選組の恐ろしさがわかってきたのである。
 三浦は怖かった。噂によると、キンノーのスパイではないかと疑われて斬られた隊士が何人もいたらしい。臆病者だと罵られて斬られた人もいた。痴情のもつれで同士から斬られた人さえもいた。しかも、その中には何の罪もない人がいたらしい。自分には無縁だと思っていた『死』が意外に身近にある。三浦は泣きたくなった。
「何でぃ、ミブロのくせに泣いてんのか?」
 通りすがりの町人が三浦を見てこう揶揄した。少し酒が入っているらしく、まだ昼だというのに顔を赤くしている。特に害はない、ただの酔っぱらいだった。
「な、なにぃ?」
 三浦はあわてて顔をこすった。泣きそうだったのは事実だが、まさか涙でも流していたのかと狼狽したのだ。しかし涙など出ていなかった。
「冗談くさ。からこうただけばい」
 町人が声を大にして言った。どうやら京の人間ではないのだろう。
「へっぽこ言われ腐っとっとか?へっぽこかてへっぽこなりに頑張るしかなかとぞ!」
 その男は大声で叫ぶと、何事もなかったかのように足を進めた。他の町人たちが何事かと二人に注目した。男はそのまま三浦とすれ違った。
 男は励ましたつもりだったらしい。だが今の三浦には伝わらなかった。
“へっぽこ・・・へっぽこだと?おまえに僕の何がわかる!?”
「・・・ダレが・・・」
 三浦は低い声で言った。完全に頭に血がのぼっていた。
「へっぽこだと!?」
 刀を抜いた。振り向いて男に駆け寄ると、その背を横一文字に斬った。
「ひゃあ!」「斬ったぞ!」「何でそないなこと・・・」
 周りの町人の声に包まれ、三浦は我に返って真っ青になった。目の前の男の背中。その背中がざっくりと割れて血が噴き出していた。半ば無意識のうちに返り血を避けていた。ついさっきまで生きていた人間が、もうぴくりともしない。死んだのだ。斬ったのだ。
“人を斬った僕が斬った人を斬った僕が斬った人を斬った僕が斬った・・・・・”
 三浦は一目散に駆け出した。どこをも見ずに走った。どこをどう走ったのかもわからなかった。気がつくと屯所に帰ってきていた。周囲をあわてて見回してみる。誰もいない。三浦はすぐに自分の部屋、ではなく居場所に戻った。そしてただひたすら、時が過ぎるのを待っていた。心臓が早鐘のようにドクドクいっていた。自分の身体の震えを押さえるので精一杯だった。自分の荒い息づかいだけが、いやに大きく聞こえていた。


 三浦は平隊士であまり町人たちに顔が知られていないため、犯人の確定は難しい・・・かと思われたが、あっさり確定された。三浦の落としていった刀によって。ちなみに刀を見て犯人を確定させたのは新選組参謀・伊東甲子であった。


 その夜。近藤の部屋に土方・他二名が集まった。
「三浦の奴をこれ以上放置してはおけん」
 土方が苦虫を噛み潰したような顔で言った。土方は最初から三浦を入隊させるのには反対だった。山本覚馬の依頼であったからやむなく入隊を認めたのだ。
「で、でも三浦くんだって理由もなく人を斬るなんて・・・それに」
 近藤が困った顔で土方に語りかける。腕を磨いて父の仇討ちをするというその心意気?に感動し、入隊を認めたのはほかならぬ自分である。そう言おうとした。
「ならば理由は何だ?理由があれば無抵抗の者を背中から斬ってもよいのか!」
 だが土方のこの言葉に近藤は口を閉ざして考え込む。土方はさらに
「町人たちは声をそろえて三浦の行いを非難している。どう言い繕ったとて、三浦の罪は重い。京の治安を守るはずの新選組が、京で人斬りまがいの事をしでかしたのだぞ」
「土方さん・・・斬るんですか?三浦を」
 同席している島田が心配そうに聞いてくる。土方はそれには冷たくこう返す。
「おまえとて斬られただろう・・・?やはり背中から」
 土方の表情は変わらなかった。この表情こそが、土方が鬼と言われる所以なのだ。
「でも、だからといって斬るのは・・・」
 島田は不快そうな顔をして答える。どんな理由であれ、これ以上同士が処断されるのを見るのはつらい事だった。それに背中背中ってあまり言われたくなかった。
「捨て置く事はできん・・・ただ『我が隊の羽織をはおっただけのニセ者の仕業である』とシラを切り通す手もあったのだがな」
 土方が手の中の和菓子を、怒りの余りか握り潰した。場を和ませようと、近藤がお茶と一緒に用意したものだった。近藤が、はぅ〜と悲しげな声をあげる。
「伊東の奴が馬鹿正直にも、この刀はうちの隊士のものだと証言しおった!」
 土方の怒りの叫びが終わるやいなや、
「そら、聞き捨てなりまへんな」
 伊東が入ってきた。土方の目がつり上がる。
「立ち聞きしていたのか?」
「あれだけ大きな声出してたら、イヤでも聞こえますわ」
 平然と受け流す伊東。土方を除く三人は思わず顔を見合わせた。
「黙って聞いとったらエライ事言わはる・・・相変わらず腹黒なお人どすなあ」
「・・・・・・何だと?」
群上ぐじょうの宗祇水でも飲みはったら?腹ん中清められてええと思いますけどな」
 群上の町(今で言う岐阜の中央部)にある泉の水は宗祇水と言われて、全国名水百選にも選ばれていた。博識の伊東は泉の事を知っていたものと思われる。
「まあ、名水なら京都にもありますけど・・・近場の名水は御利益薄そうやし」
「何の用だ?まさか皮肉を言いにきただけではあるまい」
 険しい声で問う土方。伊東の言葉はとりあえず聞き流す事にした。
「土方はん。前にも言うたかもしれへんけど、嘘はあかん。その場しのぎの嘘で状況が好転した試しはないのや。だいたい、嘘つきは士道不覚悟やあらしまへんのか?」
「そうだよトシちゃん。甲子ちゃんがすぐに非を認めて謝って回ってくれたから、事が大きくならずに済んだんだよ」
 近藤が二人の間に入って仲裁する。おろおろしながら、であるが。
「叩き殺すとか息巻いていた人たちも落ち着いてくれて。甲子ちゃんのおかげだよ」
「・・・ふん。まあ否定はしないがな」
 そっぽを向く土方。対照的に伊東は照れたように頬を染めて
「近藤はん、うちのやった事なんて大した事あらしまへん。近藤はんが町の人たちに慕われとるって事やと思いますわ・・・それよりも、な」
 伊東は瞬時に表情を引き締めた。端正な顔立ちだからこういう顔をすると・・・
“はあ・・・甲子ちゃん、やっぱり素敵”
 近藤がうっとりとなって伊東に見入る。伊東は元々近藤がぞっこんになって入隊させたのだから当然だった。ただ、それがますます土方を不機嫌にさせるのだが。
「あのホイナイ(京都弁。意味・頼りない)坊やは、どないな事になりますのん?」
 伊東は、同席している島田と沖田に質問した。何故近藤に聞かないのかと島田は少し疑問に思ったが、今はそれどころではないのでそれは聞かないでいようと思った。
 全員何も言わない。数秒がたった。
「・・・あのー、ちょっといいですか?」
 間の抜けた声で、島田が手を上げてこう言った。
「近藤さんも土方さんも、三浦にはちょっと甘かった・・・と言うか妙に気を遣っていたみたいなんですけど。あいつは一体何なんですか?」
 近藤と土方は顔を見合わせた。既に土方の顔に怒りの色はなかった。
「三浦啓之助という名は、本名ではない」
 土方は言った。島田は理解できずに目を丸くした。口が半開きになった。
「あいつの本当の名前は、佐久間恪二郎かくじろう。あの佐久間象山しょうざんどのの次男だ」
「え!?あいつが!!あの!?」
 島田が腰を浮かして驚きの声を上げた。
「・・・島田、本当に知っているのか?」
 土方が疑わしげに問う。島田はしばらく間をとってから答えた。
「何となく驚いて見せたんですけど。そのサクマショーザンってどういう方です?」
 四つのため息が室内に満ちた。土方は額を押さえて呻くように、
「そのくらい自分で調べろ」
 こう言うと『もう何も言いたくない』とでも言いたげに、近藤に目を向けた。
「あ、あのね島田くん・・・えっとぉ。佐久間さんは学者さんで・・・」
 口ごもる近藤の代わりに沖田が口を開いた。島田に対する返答ではなかったが。
「池田屋騒動の少し後、象山先生は何者かの手にかかって亡くなられました。あの人は、恪二郎さんは腕を磨いて父の仇を討つために新選組に入隊した、事になってます」
「事になってます?それってどういう意味だ?」
 島田は疑問の声を上げた。本当は『先生』と呼ばれた、象山という人の事を詳しく聞きたかったのだが、長くて難しい話になりそうだったのでやめておいた。
「あの人を連れてきた、山本さんはそう言ってました」
 沖田は柔らかな微笑みを浮かべて答えた。ずがあん!その笑顔をまともに見てしまった島田の心を衝撃が走る。頬が赤くなり、胸がときめく。自然と呼吸が荒くなった。
「でも、あの人自身に仇討ちする意思があったかどうかはわかりません」
 沖田の言葉を受けて、近藤が力無く声を発した。
「あたしもトシちゃんも、山本さんの頼みって言うこともあって、多少の事には目をつぶろうって・・・それがいけなかったのかな?」
「悪さしても大目に見てもらえるいうて、甘ったれとるだけやと思いますけどな」
 伊東はそう言って、わざとらしく口元に手を当ててクルッと背を向けた。
「うちはもう行く。いつまでもここにおったら土方はんに泣かされてしまうわ」
「待て、誰が泣かすだと?」「そうだよ甲子ちゃん、誰もいじめたりしないよ?」
 近藤が顔を上げて伊東を呼び止めようとしたが、効果はなかった。
 足早に伊東は去り、場は静かになった。
「島田くんの言うとおり、斬るなんて可哀相だよ。除隊扱いにしたらどうかなぁ?ほら、今回が初めてってわけじゃないし」
 近藤が雰囲気を変えようとしてか、意図的に明るく言った。実際、隊を脱けた者の全てが処断されたわけではなかった。池田屋へ出動の際にどさくさに紛れて脱走していった平隊士、馬詰信十郎・柳太郎の父子などがいい例だった。
「だが下手に追い出すと、あいつの性格から言って逆恨みしない方がおかしい」
 土方がそう吐き捨てた。声に怒りと苛立ちがこもっていた。
“やはりあの時強く言っておくべきだった。あんな箸にも棒にもかからない奴”
 島田が困惑し、近藤が悩んでいる隙に・・・沖田が言った。
「ゆーさん。あたしに任せてもらえますか?」
 力強いこの言葉に近藤も土方も意外そうに沖田を見た。
「・・・そーじ。おまえまさか」
 島田が目を丸くして、恐る恐るといった感じで聞いてきた。何のかんのと言って沖田は結構な数の、隊規違反の隊士たちを暗殺している。
「・・・斬るのか?」
 島田の言葉に沖田はクスッと笑った。ずがああん!またもや島田の頬が紅潮する。島田にとって、いや全ての隊士にとって、そーじの笑顔は爆弾や稲妻の類なのだった。
「斬ったりしませんよ。ただ、ちょっと」
 沖田の言葉をどう解釈したのか、土方が頷いた。
「よかろう。この件は沖田に任せよう」
 かくして議論は終わった。


 翌日。三浦は巡回にも出ず、かといって稽古もせず、西本願寺の片隅で人の目に触れぬように息を潜めていた。昨日の今日だ、どんな顔で町に出ればいいと言うのか。
 そもそも三浦は自ら望んで新選組に入隊してきたわけではないのだった。
 時は元治元年(一八六四)七月十一日。『蛤御門の変』直前の京都・木屋町でその事件は起きた。馬上にあった父が暗殺者に襲われ、無念の死を遂げたのだ。かつては老中をも務めた松代藩八代目藩主・真田幸貫さながゆきつらによって見いだされた英傑の、あえない最後だった。
 三浦は父の訃報を聞かされてから、しばらく何もする気が起きなかった。やがて気を取り直して、とりあえず生まれ故郷である松代に帰ろうと思った。
恪二郎かくじろう様、なりませぬ』
 それを押しとどめたのは、父の門人だった山本覚馬という会津藩士だった。
『松代にお帰りになられてどうなさるのです?このままお帰りになられたとて、恪二郎様は臆病者の烙印を押されるだけですぞ』
 家督を相続するどころか、身の置き所さえありますまい。そう言われたのだ。
『腕を磨いて仇討ちをなさるのが、人として取るべき道でございましょう』
『幸い京都には新選組という、腕を磨かれるには最適の剣客集団が存在しております。わたくしは新選組の局長殿・副長殿とご縁がありますゆえ、お任せくだされ』
 気は進まなかった。所詮、人殺しの集団じゃないか。そう思った。町の噂では、毎日のように隊内で死人が出ているっていうじゃないか。僕はまだ死にたくない。
『ご心配めさるな。きっと彼らは恪二郎様のお力になってくれましょうぞ』
 事実その通りになった。覚馬の仲立ちで三浦は、土方を除いた近藤や伊東といった幹部たちから特に目をかけてもらえる事となった。覚馬が自分をどのように語ったか詳しくは知らなかった。ただ自分が特別扱いされているのはわかったし、気持ちよかった。
“何で僕がこんな目にあわないといけないんだ?”
 同じ平隊士のくせに、ちょっと先輩ってだけで僕を馬鹿にした奴がいた。武士としての誇りを傷つけられんだ。だから斬った。そうしたら無理矢理部屋に押し込められたんだ。あと、隊士が二人腹を斬らされた。町に出たら酔っぱらいまでが僕を馬鹿にした。武士は無礼をはたらいた町人に対して、無礼討ちってのができるんだ。だから斬った。そしたらみんなが僕を非難するんだ。どうして?僕は何も悪いことはしてないんだぞ。
“今日も晴れてる・・・むかつくよなぁ。勝手に晴れやがって”
 三浦は大きな欠伸をした。眠いしきついし胃の辺りが苦しいのだ。
 昨夜は寝付きも悪かった。初めて人を斬ったのだ。平常心ではいられない。やたらと喉が渇いた。何度も起きて水を飲みにいった。飲んでも飲んでも渇いた。
“・・・そのせいかな?”
 三浦は猛烈な尿意に、人目につかなそうな所で用を足す事にした。本願寺の敷地内だけど構うもんか。出したいときには出す。みんなやってる事なんだから。見つからなければいいさ。どこぞの男は『気持ちいいぜよ』などと言ったそうだが、一理はあるよな。
「あ、三浦さん」
 不意に声をかけられ三浦は心臓が止まりそうになった。たった今用を足し終わって現場から立ち去ろうとしていたのだ。何とか平静を装おうとしたがダメだった。
「お、お、お、お」
 うわずった声しか出なかった。おまけに三浦は足がもつれて無様に転倒してしまった。声だけで相手が誰なのかわかったせいでもあった。
「沖田、さん!?一体何の御用ですか?」
 沖田は何気ない足取りで、しかし素早く近づいてきてこう話しかけてきた。
「この間は、どうもありがとう」
 三浦は呆気に取られた。副長助勤が声をかけてきた事さえ、珍しい事であるのに。三浦のような平隊士にとって副長助勤などは遙かに上の存在である。ありがとう、などと声をかけてもらえるのは滅多にある事ではなかった。
 @わぁ、光栄です!Aぎゃあ粛正だー!のどちらかだと思った。自分の昨日の行動を思い返してみると、どう考えてみてもAだと思った。しかし何だ?ありがとうだ?それってお褒めの言葉だろ。僕が一体何をして褒められたんだろうか?
 三浦に限らない事だが、人は他人から褒められて悪い気はしないものだ。
「あ、ありがとうって・・・何が?」
 ほっとして気が抜けた三浦の口調がぞんざいになった。顔だけを背後の沖田の方へと向けて立ち上がろうと・・・した。沖田はニコニコ笑いながら、すでに三浦のすぐ後ろにまで来ていた。三浦の袴の裾をさりげなく踏んだ。そして眼鏡を光らせ、
「島田さんを・・・怪我させてくれて」耳元でこう囁いたのだ。想いを足に込めて。
「・・・・・・!」
 三浦の身体から血の気が引いていく。安心したのもつかの間、心の中で警鐘が鳴る。と言うのも、助勤の沖田と平隊士の島田がただならぬ関係だというのは隊内では公然の秘密だったからだ。将来を誓い合ったとか、一線を越えたとか・・・。
「それから町でも・・・ずいぶんと羽目を外したそうですね」
 笑顔のまま、言葉を続ける沖田。三浦は呼吸も思うようにできず動くこともできない。身体に力が入らず、裾を踏まれたまま彫像のように固まっていた。
「副長が、褒めてましたよ」
 沖田の言葉が三浦の心をかき乱す。あの副長さんが褒めていた?どういう事だ?
「人が斬れるようになって、やっと一人前の隊士だ・・・って」
 三浦の身体がぶるぶると震え出した。本能が危険を知らせている。歯の根が合わない。しかし自分が立てる、ガチガチという耳障りな音さえ全然気にならない。今はそれどころではないと思った。粛正、の二文字が三浦の頭の中でぐるぐると回り出す。
「そ・れ・で・ですね。今から二人でお出かけしません?」
 スマイル全開で沖田が言った。二人で、の部分を特に強調して。と同時に三浦の袴を解放してやる。わざと足音を立てて三浦にもわかるように。わかるだろう・・・と思ったのだが三浦の硬直はなおも続いていた。
「・・・・・・!!」
 三浦の喉がゴクリと鳴った。この人も隊内の粛正に一役買っていると聞いた。まさに、雷に打たれたような心持ち。いや雷に打たれた方がましだという心持ちだった。
“一振りで四、五人は斬るとか。返り血が目に入らないように眼鏡をしてるんだとか”
 それからそれから、ニッコリ笑って人を斬るとか。
「・・・お礼、したいんです」
 沖田は三浦のすぐ後ろに立つと、親しげに肩に手を置いた。ズガアアアアアアン!
“き、斬られる・・・物陰に連れ込まれて、殺されるぅ!”
 三浦の恐怖は限界に達した。照りつける日射しの下で、冷や汗が噴き出した。
「は・ひゃ・は・ひゃ・・・」
 漏れ出た声に意味はなかった。三浦の身体がぐらぐら揺れた。両の手を意味もなくぶらぶらと動かした。沖田の目にちらりと映った三浦の顔は半泣き状態だった。
「ひゃわおおお!」
 奇妙な声を上げて三浦は逃げ出した。足がもつれ、何度も倒れそうになりながら。あちこちの塀や樹木にぶつかりながら。
 そしてそのまま、三浦啓之助こと佐久間恪二郎は京都の町から姿を消した。一説によると、佐久間家再興は認められたらしい。明治三年(一八七〇)の事である。戊辰戦争で功績があったとか、薩摩藩の西郷隆盛の口添えがあったとか、諸説あるが詳細は不明。
 明治十年(一八七七)二月。佐久間恪二郎は愛媛の地であえない最後を迎えた。死因は食中毒との事であるが、これが信頼できる話かどうかはわからない。
 ところで、逃げる恪二郎を沖田は追おうとはしなかった。一部始終を覗き見ていたある隊士の日記を信じるならば、沖田はこうつぶやいたそうである。
「小心者。その程度の腕と度胸であたしのお兄ちゃんに怪我させるなんて笑っちゃう」
 新選組最強の隊士・沖田鈴音。性別は女。愛称はそーじ。強さの秘密は眼鏡と・・・
『笑顔である。その笑顔はまさに落雷のごとく、触れる者皆打ち倒す。その力無敵なり』
 その日記にはこんな一文が、墨一色で大きく書き残されている。

けほけほ、おわりです


 原田「嘘くさい日記よねー。それよりも、沙乃の出番が全くないのはどうしてよ?」
 永倉「沙乃は以前ひろいんとかで主役扱いだったじゃん。アタイなんかなあ・・・」
 斎藤「僕だって今回一瞬たりとも登場してないんですよ。準主役級の僕が何故!?」
 山南「僕など今回はすでに死んでいたよ。次辺り、主役などやってみたいものだな」
 ??「ぶっぶー。お生憎様でーす。次の主役は何とあの人!そしてついに・・・!」
 沖田「皆さん、おわりですよ。お・わ・り。ニコッ!(ズガアアアン!・落雷の音)」


若竹です。
 ジャックスカの行殺SS第3弾です。今回のおまけのSSは、ジャックスカ作です。用紙が余ったから書いたそうなのですが、HTMLにするから、用紙の余白は気にしなくていいのに・・・・。
 ちょいと、解説。今回登場した、三浦啓之助という隊士は実在します。本当に佐久間象山の息子で、入隊した理由もジャックスカの書いた通り。後に新選組を脱退してます。史実どおりなのにちゃんと行殺になってる凄い作品です。(さすが、我が友)

 彼はあいかわらずネット環境にないので、原稿はフロッピーディスクで届けられてます。感想は若竹掲示板か、若竹宛にメールをいただければ、私が彼のところに印刷して届けます。
  


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