「偽作・行殺(はぁと)新選組ふれっしゅ」

番外編その1 『わかくさの おもいしらせた かわら版』


  時は幕末。元治元年(一八六四)六月の中旬か下旬であろうか。
 舞台は京都。壬生にある新選組の屯所から、物語は始まる。
 平隊士、島田誠は時間と戦っていた。こう書くと聞こえはいいが、実のところ暇をもてあましていた。
「何もすることがない・・・退屈で死にそうだ」
 島田は声に出して現状を確認した。池田屋でのあの大捕物、あの発奮の反動か。島田は、だらけた日々を送っていた。最近はキンノーたちも目立った動きはない。
「仕方ない・・・一人遊びでもするかな」
 そんな島田の安息をぶちこわす者がいた。
「島田!!」
 現れたのは新選組副長助勤、年齢詐称疑惑度ナンバーワン!な原田沙乃だった。
「沙乃か。どうしたんだ。キンノーの襲撃か?」
 島田は、沙乃が手に持っている物に目を向けた。単刀直入に言ってしまうと紙である。何かがびっしりと書かれている。庶民のささやかな娯楽の一つ、かわら版だ。
「見てよこれ!冗談じゃないわ!」
 沙乃は島田の顔にそのかわら版を押しつけた。
「近すぎて見えん」
「自分で手に取りなさいよ」
 島田は渋々といった感じで、かわら版を手にしてその記事の内容に目を通す。
「なになに・・・激闘池田屋、壬生狼みぶろたち大暴れ実録」
「そこじゃない!ここ!」
 沙乃は記事の後半の一文を指す。
「んー?壬生浪人の一人、原田なにがしなる者、勇戦の末討ち死に致し候・・・・って何だこりゃ?」
 島田は驚きそして笑った。
「なかなか笑える話だな。どこの洒落者の作だ?」
 島田の言葉に沙乃の目が険しくなった。
「名誉毀損だわ。インチキ記事を書いた犯人を捕まえて責任取らせてやるのよ!」
「ふーん・・・ま、俺には関係な・・・」
 ないしー、と続けようとしたが
「ないとは言わせないわよ!」
 沙乃は自分の身長の倍近い槍を島田の鼻先に突きつけた。思わず島田の目が寄る。
「沙乃にあんな事しといて、関係ないだなんて言わせないんだから!」
 沙乃は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あんな・・・って。ああ、あれか」
「とにかく犯人さがし、手伝いなさい!」
「いたた、耳をつかんで引っ張るな」
「来なさい。いいから来なさい!」
「わかった。わかったから耳元で怒鳴るなよ」
 沙乃は島田を強引に引っ張っていった。


 屯所の廊下で、沙乃と同じ副長助勤の永倉新に出くわした。いつもハンマーと一緒なのは変わらないが、今日は妙に上機嫌だ。
「おーーっす!島田に沙乃じゃん!元気出してるかぁ!?」
 真っ昼間だというのに永倉の顔は赤い。おまけに酒臭い。
「アラタ!何様のつもり?昼日中から酒なんか飲んで!」
「あーーっはっは、それがどーしたぁ!飲むのに季節は関係ねーって。おまえらも付き合え!今日は飲み明かそーぜぇ!」
 沙乃は槍を持つ手に力を込めた。
「沙乃たちは今忙しいのよ。酒の相手なら他をあたって。でないと」
 沙乃の威勢も今の永倉には効果がなかった。
「何いー!?アタイの酒が飲めないってのかぁー!」
 永倉は、ハンマーを握った。酒飲みは大抵こうやってからんでくる。
「ま、まあまあ落ち着いて」
 島田は永倉の前に出た。ここでこの二人が喧嘩になったら大変だ。隊に何かしらの被害が出て、しかもその責めが俺にかかってくるような気がする。いやそれ以前に局中法度に引っかかるだろ!私の闘争を許さず、だったか?
「マーマー、だとぉ?アタイが島田の?」
 永倉は島田をじっと見据えた。そして、 
「昼間から酔っぱらってんじゃねー!」
 永倉は絶叫一番ハンマーを振り上げ、振り下ろした。島田はあわてて横っ飛びにそれをかわした。ちなみに目は閉じていた。
「島田!」
 沙乃の声。そしてハンマーが床板をぶち割る音。そして
「うきゅ!」
 メリッという奇妙な音がして、すぐにズリリという音がした。島田は目を開けてみた。床にめり込んでいるハンマー。呆れている沙乃。廊下の壁に残った人型っぽい跡。気絶している永倉。これらの順で見た。
「ハンマー振った勢いで、自分が吹っ飛んじゃったのよ」
 沙乃が言った。どうやらハンマーを振り下ろした勢いで、永倉は向こうの壁まで飛んでいったらしい。手がすっぽ抜けたんだな。
「人騒がせな」
 島田はつぶやいた。これで法度に触れずにすんだ。
「やあ、どうやらアラタもおとなしくなったようだし、これで安心して歩けるね」
 背後からのんびりした声がかけられた。新選組副長、山南敬助の姿があった。
「いやね、角屋すみやさんから上物をたんまりといただいてね。僕一人では飲みきれないからアラタと飲んでいたんだよ。空きっ腹に飲むと早く酔うというのは本当だったんだね」
「あんたかぁ!」
 島田はそう叫んでいた。以前、島田が覗き疑惑をかけられた時も、この人がからんでいた。島田の災難の原因はこの人にある事が多い。
「島田くん、どうしたんだい。血相変えて」
「山南さんが、昼日中から、永倉に飲ませたんですね?」
 島田の問いに山南は答えなかった。悲しげな目をして床と壁を見つめる。
「島田くんのおかげで助かったよ。しかし、やむを得なかったとはいえ屯所の床と壁をこんなにしてしまって・・・」
「あの、人の話を聞いてますか?」
「隊の財政は決して豊かとは言えない。この責め、どうするつもりだい」
「いや、だから俺は・・・」
 ゾクッ。弁解しかけた島田の背に悪寒が走った。未来がわかるなどと言うつもりはないが、悪い予感なら外れた試しがない。
「ほお。この不始末はやはり島田か」
 冷たい声がする。鬼の登場だ。
「やはりって・・・どういう意味ですか」
 新選組副長、土方歳江は無表情に床と壁とを見比べた。 
「文字通りの意味だ」
 島田の言葉に土方は冷静に返答した。
「ふむ・・・永倉は無傷のようだが、屯所の床と壁がひどい。修繕が必要だな。明日にも大工の喜助を呼ぶとしよう・・・さて島田」
「は、はい」
 島田は辺りをさりげなく伺った。案の定、山南の姿はない。
(あのオッサン、覚えてろよ)
 島田は内心毒づいた。
「以前からの失態を加えていくと、そろそろ腹の斬り時だと思うが?」
「い、いえ、あの・・・」
「しかしながら、新選組は人手不足だ。京都の治安を維持するという本来の任務にも支障をきたすほどにな。だから切腹は先送りとする。ただ」
「ただ・・・?」
 土方の顔色を見ながら島田は聞き返した。
「先日、会津藩から池田屋での功績にと、我が隊に恩賞が下された。無論島田の分もあるから、今回のこの修繕費用は全額島田の負担とする」
「・・・・・」
 島田は思い出してみた。京都に来た初日、団子を買おうとしてその値段に仰天させられた事を。今回の修繕費だっていくらかかるかわかったもんじゃないぞ。
「何だその顔は。切腹がいいか?」
「全額負担、了解です」
 島田は短く答えた。この人には長口上は逆効果だ。伊達に隊士はやっていない。
「ふむ。では隊務に戻れ。平和だからといって気を緩めてはいかん」
「アラタの面倒は僕が見ましょう」
 ひょっこり戻ってきた山南が進言する。
「む、そうか。ならば任せる」
(こ、このオッサン・・・)
 島田が身体をわなわなと震わせた。
「島田。また切腹って言われないうちに行くわよ」
 沙乃に連れられて島田は屯所を後にした。
「ふむ・・・行ったか。ならば私は今のうちに喜助のところへ行くとしよう」
 島田達を見送った土方は、永倉を一瞥してから歩き出した。


 島田たちは四条通りを歩いていった。右手に光縁寺を見ながらそこを通り過ぎる。
「沙乃、どこへ向かってるんだ?」
「うるさいわね。黙ってついてきなさい」
 四条通りから三条通りに入り、長州藩邸の近くまで来た。余談ではあるが幕末慶応年間ごろ、屯所は西本願寺に移っていて、この付近は新選組の巡回範囲外となっている。
「さ、この辺りから聞き込みよ!」
「・・・何で?」
 島田は気乗りしない声だ。沙乃は眉をつり上げて説明する。
「沙乃たち新選組の悪口を広めるのは、キンノーどもの仕業に決まってるからよ!」
「・・・だから、何でこの辺りなんだ?」
 島田は腰の愛刀に触れながら言った。長州藩。名前を聞いただけでも悪い予感がする。それも自分一人じゃない。新選組全体に関わる予感だ。
「あーっ、新選組の・・・いつも飴もらって頭撫でられてるお姉ちゃんだ!」
 道ばたで駆け回っていた子供が沙乃を見て指を差した。利発そうな少年だ。
「こら歓太!」
 沙乃の一声に少年は立ち止まった。島田にはそれは勇敢な行為と映った。
「なあに、お姉ちゃん・・・もしかして逢い引き?じゃあ邪魔しちゃ悪いや」
「なっ・・・ち、違うわよ!巡回よ巡回!」
 沙乃は『逢い引き』という言葉に、落ち着きを失った。
「へへへ、大丈夫。オレは口が堅いんだ。言いふらしたりしないって」
 歓太はそう言うと走って二人の視界から消えていこうとする。島田はあわてて
「待った!君、この辺りで変わった事はなかったかな?知らない人を見たとか」
こう声をかけた。歓太は急停止してクルッと向きを変えた。
「わかんない。かわら版なら、お隣から回ってきたけど」
「どうやら京都中でその事を知らない人間はいないようね」
 沙乃は不機嫌な顔になってそうつぶやいた、かと思うと一転して笑顔になった。
「ありがと、歓太」
「礼を言われるような事は教えてないよ」
 歓太は走って行ってしまった。
「こうなったら手当たり次第に聞くわよ」
 沙乃は怒りに燃えてそう宣言した。
 御池通りそばの長州藩邸を通って二条通りに出た。島田が考え事をしながら歩いている間にも、沙乃は道行く人に根ほり葉ほり聞いている。ん、葉ほり?島田は立ち止まって考え始めた。『根ほり』とは根を掘り返す事だが葉は掘り返せるのか?葉っぱを掘ったらどうなる?突き抜ける!つまり掘り返せない!そこまで考えてから頭をかいた。
(やれやれ、また悪い癖が)
 気づくと沙乃に結構離されていた。急いで追いつく。
 二条大橋を渡り、東大路に出た時だった。右、八坂神社の方で何か騒ぎが起こっているらしかった。沙乃が島田の袖を引いた。
「行くわよ島田!犯人かもしれないわ!」
 沙乃が駆け出した。島田は早足でそれを追う。神社の近くまでやって来た時に騒ぎの原因がわかった。茶色い身体。二本の牙。荒い鼻息。
「イノシシだ」
 島田の言葉が聞こえたのか、そいつが二人を見た。町の人たちが、近くもなく遠くもなくといった距離で注視している。
「あ、新選組はんや」
「猪と戦いなさるんか」
 かたや目立つ野生の獣。かたや京で有名な『誠』の羽織。注目されない訳がない。
「狼と猪の戦いたぁ、見物だな」
 誰かの声が島田の耳に届いた。
「島田、ここは沙乃に任せて。あんたはこの野次馬を何とかなさい」
 沙乃が、槍の穂先を猪に向けてそう指示した。
「おい、あせるなよ」
 島田はそう声をかけずにはいられなかった。今の沙乃は一秒でも早くこんなトラブルは解決して犯人さがしに戻ろうとしている。焦りは禁物だ。焦りは余計な緊張を生み、実力を半減させると聞いた。
「ここは俺が相手をする」
 いつまでも半人前扱いは御免だ。島田は強く思った。俺だって運だけであの池田屋騒動を乗り越えてないんだぜ。猪の一匹や二匹・・・いや待てよ。猪の数え方は一頭二頭じゃないのか?そもそもひきとうの違いは何だ?どこから匹でどこからが頭なんだ!?
「島田どの、それに原田どの」
 人混みをかき分けて、見覚えのある顔が出てきた。この人は確か・・・。
「佐々木さん、どうしてここに?」
 見廻り組の一人、佐々木只三郎はいつもの顔で話しかけてきた。
「会津様(松平けーこちゃん)が急に、猪を食されたいと仰せでな。我ら取り急ぎ、かの獣を捕獲して参った。然れどこの獣、性は粗暴にしてその肉体は頑健。万一の事態を想定し幾通りもの備えをしておったのでござるが、恐るべし野生の本能は・・・」
「ごちゃごちゃうるさい。要するにあんたたちが逃がしちゃったんでしょ!」
 沙乃がキレた。槍を大きく振り回す。猪がそれに反応してブギッと声を発した。
「然り」
 佐々木は簡潔に答える。
「で、つかまえようとして、もたもたしてるんでしょ?」
「然り」
 沙乃の非難の声にも全く動じず、佐々木は頷く。
「食べるって事は、沙乃が仕留めちゃってもいいのよね」
「・・・・・」
 佐々木は答えなかった。
 猪が一声鳴いて突進してきた。でかい槍を持っている沙乃が狙いのようだ。人々が悲鳴を上げて数歩後退する。
「来なさい猪。種田流槍術、谷さん直伝・」
「原田どの。できれば生け捕りに!」
 佐々木が大声を上げた。島田も沙乃もぎょっとなった。今頃言うなよな。
「あんたねえ、早く言いなさいよ!」
 沙乃の注意が僅かだが猪から逸れた。
「沙乃!」
 島田は叫んだ。自分が危ないわけでもないのに何故胸が痛むのだろう?
「・・・タイミングが狂った・・・しょうがない」
 沙乃は一旦身をかわして仕切り直す事にした。槍で器用に地面を突いて跳躍し、猪の突進をやり過ごす。猪は猛烈な突進で沙乃の下・島田の脇を通り、そして人垣の真ん中まで突き進んでから止まった。当然人垣は割れている。形を変えてまた人垣となったが。
 沙乃の身体が落下してきた。しかし着地点は猪の足跡などもあり、やや凹凸していた。それに足を取られた沙乃は大きな音をたてて転倒してしまった。
 猪はくるりと向きを変えて再び突進の構えを見せた。狙いは同じく沙乃だ。
「沙乃、立て!猪が来るぞ!」
「言われなくってもわかって・・・」
 立ち上がろうとして沙乃は動きを止めた。
“あ、足が・・・今の着地で?"
 らしくないヘマね、と沙乃は思った。
 ブギィッ!猪は叫んだ。そして反転して再び突進してきた。
「沙乃!!」
 島田の身体は勝手に動いた。刀も抜かずに猪と沙乃の間に立ったのだ。
「バカ島田!何で出てくんのよ!」
「バカとは何だ!沙乃が危ないって時にじっとしてられるか!」
 沙乃は島田の言葉に赤くなりながらも、冷静な反応を返す。
「だからって刀も抜かずに突っ立って、何ができるっていうのよ!」
 痛いとこをと島田は思った。悪いか。動いてから気がついたんだよ。すぐに刀を抜こうとしたが、目が猪から離れてくれないためにうまく抜く事ができない。
「何してんのよ。死ぬわよ!」
「・・・えーい、俺も男だ!」 
 島田は開き直って、刀なしで勝負することにした。
「敵前逃亡は士道不覚悟。島田誠、参る!」
 島田は両手を広げて猪を待ち受けた。猪はもう目前に迫っていた。
「島田ぁーーー!」
 沙乃の悲痛な声が聞こえた。島田は思わず目を閉じた。さっき永倉のハンマーを避ける時もそうだった。肝心な時に目をつむってしまう、これも悪い癖だ。
「危ない島田!」
 背後から声がして、次の瞬間何かが島田の身体を掠めていった。
溝口一刀流奥義みぞぐちいっとうりゅうおうぎ牙突弐式がとつにしき!」
 目を開けた時にはすでに猪の命運は尽きていた。刀が肉を貫く音、猪の断末魔の叫び。「大丈夫だったかい。島田」
「・・・斉藤か!?」
 新選組隊士、斉藤はじめ。島田の同期入隊者にして親友だ。いやそれ以上の関係かも。斉藤の刀は猪の眉間に、斜め上方向から深々と突き立っていた。そもそも牙突とは刺突つきを昇華させた技であり、用途と状態によって幾つかの型があった。通常の『牙突壱式』に比べて『牙突弐式』は左腕の締めを緩くして刀を斜めにする。それによって刺突の方向こそ限定されるが、肩から腕へかけての力の伝達が直接的で腕の振りが大きくなり、結果その威力が増すのだ。効果的な使い方として『壱式から横方向への弐式』がある。
「おまえが助けてくれたのか?」
 島田は猪の屍を見ないようにして聞いた。
「うん!島田に怪我がなくてよかった」
 そう言って、斉藤はじっと島田を見つめた。よく見ると斉藤は羽織をはおっていない。島田の視線に気づいて斉藤は赤くなり、
「邪魔になるといけないと思って脱いできたんだ」
 そして島田の背後を指さした。一人の隊士が島田に近寄ってきていた。
「へーじゃないの」
 新選組隊士、藤堂平。愛称はへーちゃん。もしくはへー。最古参の隊士の一人だ。
「斉藤と組んで巡回?」
 沙乃の言葉にへーは笑って答える。
「そーだよ。でも、斉藤くんったらすごいねー。まことのピンチを見たら羽織も脱ぎ捨てて行っちゃうんだから」
 そして島田の腰をつついて、こう小声で冷やかした。
「よかったねー、まこと。ヒロインみたいに守ってもらえて」
「そ、そんな藤堂さん。僕がヒーローみたいだなんて、おだてすぎですよ」
 斉藤は照れまくっていた。へーは、そんな事は言ってない。
「私も助けなきゃ、と思ったけど、これ自分の刀じゃないしね」
 へーの腰には局長から貸してもらった刀があった。と言うのもへーの愛刀・上総介兼重かずさのすけかねしげは先の池田屋騒動で刃がぼろぼろになってしまったからだ。
 島田は肩を落とした。沙乃を助けるどころか、斉藤に助けられてしまった。悔しい。
「ま、そーゆー日もあるよ。気を落とさないで頑張ってねー」
 へーが島田の頭・・・に手が届かなかったので、胸の辺りを撫で撫でしながら、慰めるように言った。島田にとってそれは慰めにも励ましにもならなかったが。
「・・・ってちょっと待て。へー、おまえ巡回なんか出て大丈夫なのか?」
 当たり前のように登場したから気づかなかったが、へーは池田屋騒動で額を割られ重傷を負ったはずだ。島田の記憶では、屯所に帰る時も釣り台で運ばれていった。
「意識不明の重体、だっただろ?」
「ああ、そーだったっけ。三日の間目を覚まさなかったけど、もう平気」
 へーは明るく笑って答えた。
「目覚めて半日で、動けるまで回復したよ」
「半日って・・・嘘だろ?」
 島田は疑いの眼差しをへーに向ける。
「新選組の隊士なら十二時間もあれば治るよ」
「嘘だ。非常識だ。俺は信じないぞ」
 重傷を負った人間が、たったの十二時間で治る訳がない。
「血が足りないって思ったから、そーちゃんみたいにじゃんじゃん食べて寝たんだよ」
「馬鹿な。あり得ない!」
 へーの言葉に島田は激しく首を振った。
「でも、実際こうして僕と一緒に巡回に出てるんだし。現実を直視しようよ島田」
 島田は頬を思い切りつねってみた。痛すぎる。斉藤の言うとおりだ。夢じゃない。
「あの程度の怪我で何日も寝てられないよ。まことも、じきにそうなれるって」
へーの言葉に斉藤も頷いていた。島田は改めて思った。恐るべし、新選組!・・・って俺もその一員だったよな。うーむ、何か俺だけ置いて行かれてるみたいだな。同期の斉藤にさえ引き離されてしまっているとは。一体何故だ。何が足りないと言うんだ。
 はっとなった。島田の頭に、天啓のごとく閃いた物があったのだ。
「そうだ、必殺技だ」
 島田は言った。斉藤が躊躇いがちに聞いてくる。
「必殺技?・・・ってつまり必ず殺す技って事だよね」
「そう、必殺技だ。斉藤にあって俺にないもの、いざという時に繰り出す奥義だ!」
 島田は拳を握りしめて語った。
「おうぎ?・・・それってつまり芹沢さんが持ってたやつよね」
 へーがそう決めつける。
「カモちゃんさんか。あの人は確かに強かった!」
 島田は拳を天に向かって突き上げ、自分の世界に入ってしまった。
「力士もいちころカモちゃん鉄扇!これが噂のカモちゃん砲!」
 そこまで叫ぶと島田は不意にうつむいて、唸りながら頭を激しく振った。
「うー駄目だ駄目だ!人の真似じゃなく、俺自身の必殺技じゃなきゃ意味がない!」
 島田は刀に手をかけ、少しだけ抜いた状態で静止した。
「俺の刀は人より長い。これを生かさない手があろうか、いやない」
 斉藤が熱い目で見つめる中、島田は一人でイメージトレーニングに励んだ。
「右手で柄を握り、左手で鞘を・・・いや待てよ。わざとこうずらしたら・・・」
「はあ・・・葛藤してる島田も」
 斉藤がため息を漏らした。
「はあ・・・そーゆーとこには、ちょーっとついていけないなあ」
 へーが頬をぽりぽりと掻いた。
「まこと、二刀にしたら?」
 島田は動きを止めた。
「ニトー・・・どういう意味だ?二匹のウサギか?」
「二本の刀って意味だよ」
 斉藤が訂正する。
「でも藤堂さん、一刀を極めずして二刀は無理ですよ。島田は凡人ですから」
 まるで自分は違うとでも言いたげな斉藤の発言に、へーは髪の毛を触りつつ
「だよねー。仕方ないか。今度新人さんが入ってきたら、二刀を勧めてみようかな」
 島田の頭には凡人の二文字が突き刺さっていた。このまま引き下がってなるものか。
「凡人・・・・・・はっ!凡人なのはへーの方だろう。へーぼんじんって事だ」
「何言ってんだか」
 忘れ去られた感のある沙乃が呆れていた。
「島田。妄想もほどほどにしときなさいよね」
 沙乃に言われて島田は我に返る。
「あんた達がくだらない事してる間に、みんないなくなってるじゃない」
 島田は周囲を見回してみた。確かにあれほどいた野次馬は消えていた。見廻り組の人たちと猪の死骸だけだ。佐々木が猪の眉間から刀を抜き取って斉藤に返している。
「お見事。良き刀でござるな」
「あっ・・・はあ。僕には勿体ないくらいです」
「いやいや刀もであるが、斉藤どのの腕もまた一流」
 佐々木は配下の者に命じて猪を運ばせるようだ。
「新選組の方々、お手数をおかけした。我らはこれにて」
 佐々木たちはそそくさと立ち去っていった。
「藤堂さん、僕たちもそろそろ」
「そーね。まこと、沙乃ちゃん。またね」
 斉藤とへーも急ぎ足でどこかへ行ってしまった。二人の背に島田は声を投げた。
「斉藤もへーも言いたい放題。斉藤だけは俺の味方だと信じてたのに。友情なんて!」
「バカな事言ってないで犯人さがし、再開するわよ」
 沙乃は立ち上がろうとして顔をしかめた。片方の足を気にしている。
「どうしたんだ沙乃?足を」
 沙乃は島田に最後まで言わせなかった。
「へーきよ!」
 平気よと叫ぶところが平気じゃない証拠だと、島田は思った。
「大丈夫だって言ってるじゃない!」
 島田の視線に気づいて沙乃はムキになった。
「わかったわかった。いい子だから静かにしような」
 島田は沙乃の頭に手を置いてこう言った。声は元気そうだが顔はそうは言ってないんだよ。沙乃らしいといえば、らしいところだが。
「ムキー!また沙乃の事子供扱いして!沙乃は立派な大人で、先輩なのよ!」
「そうか。子供だったら懐に入れて持ち歩けるのに。いや残念だなあ」
「持ち歩くなぁ!懐に入れるなぁ!」
 カンカンの沙乃だが、いつものように槍で刺して来る事はない。さてこの近くに休める所があっただろうか。島田は考えた。
明保野亭あけぼのていがこの先にあったな。あそこは気がすすまないけど)
「行くぞ沙乃」
 島田は言った。沙乃が訝しげに聞き返す。
「行くってどこへよ」
「その足じゃ戦えないだろ。休める所へ行くんだ」
 島田は沙乃を見ずに答えた。沙乃の声音が高くなる。
「休める所・・・ってあんた何考えてんのよ?どこに移動しようっていうの。はあ・・・トシさんが、島田は頭が悪い悪いっていつも言ってたけど本当ね」
「何い!?」
 島田はカチンときた。俺は沙乃の足を案じてやってるんだ。頭が悪いとは何て言い草。違うとは言わないが、少しは表現をソフトにできないのか?
「休むだけなら、八坂神社で休めばいいじゃない」
 言うなり沙乃は神社を目指して、危ない足取りで歩き始めた。
「すぐそこの祇園町会所でもいいけど、外の方が自然の風が吹いていて好き」
 沙乃はふと立ち止まり、からかうような口調で聞いてきた。
「沙乃をどこに連れ込んで『休憩』する気だったの?」
 島田は無言で沙乃の後ろから歩いていった。


 そのころ屯所では・・・。
 山南が、島田が落としていったかわら版を見つけて、永倉に話を持ちかけていた。
「どう思うアラタ。沙乃の気性からして放ってはおかないだろう。つまり・・・」
「みなまで言うな!沙乃に対する中傷はこれすなわち、アタイたち新選組に対する中傷と同じなんだ!」
 永倉はまだ酔いの残った顔で叫んだ。
「アタイは行くぜ!」
「む・・・?しかしアラタ」
「止めるな!」
「いや、しかしな・・・」
 追ってくる山南の言葉を遮って永倉は絶叫する。
「勇気のある奴だけ、アタイに続けー!」
「だから、どこに行くんだい」
 永倉は何故か、土方の部屋の前に来ていた。
「はりきるのはいいけど、酔いは覚めているかい?」
 山南はため息をついて言った。
「アタイはまともだ!ほら、一応トシさんに外出の許可を取ろうと思ってさ」
 永倉は妙にそわそわしていた。山南の視線を受けて言葉をつなぐ。
「アタイたち副長助勤は副長の助勤なんだから、トシさんの指示で動かなきゃいけねえんだろ?いや別にトシさんが怖いってわけじゃねーからな。ただ、アタイたちが規律を守らなかったら他の隊士に示しがつかねーと思ってさ」
 息がまだ酒臭い。まだ酔ってるな。山南はそう思いながら聞いた。
「歳江さんならさっき出かけていっただろう。聞いてなかったのかい?」
「・・・・・」
 永倉は動きを止めた。聞いているわけはないのだが、人間とは不思議なもの。そのように言われると、自分が聞き逃したのでは、と勝手に思い込むのだ。
「それに・・・一応僕も副長なんだけど」
 山南は小さな声でそう付け足した。
「・・・そういやそうだった。いやー、すっかり忘れてたぜ!あっはっはー!」
 永倉はひとしきり笑った後で、きりっとした表情になって山南に目を向けた。
「副長!さっさと指示してくれ!アタイに出撃命令を出してくれ!」
 山南は頭をぽりぽりと掻いた。困り果ててこう言った。
「僕は他人に命令するとか、そういうのは苦手でね」
「じゃあアタイが命令してやるぜ。今すぐ命令しろ!」
 永倉が山南の顔をびしっと指さして、屯所じゅうに聞こえるように叫んだ。
 ふらふらとそこに、副長助勤の沖田鈴音・愛称そーじが通りかかった。
「アラタが命令?何だかおかしな話になってきたような・・・」
「アタイの命令が聞けねーってのか!?アタイは早く命令されたいんだ!」
 山南と永倉のこの問答を見て、そーじは一言。
「わけがわかりませんね」
 一瞬例のキテレツな表情になる。
「ふう・・・鈴音。例のかわら版の一件なんだが、どう思う?」
 山南の言葉にそーじは愛らしい表情に戻って答えた。
「駄目です。相手はキンノーなんですか?けほけほ」
「・・・・・」
 それに沙乃ちゃんの事だから、この一件は他人の力を借りずに解決するつもりじゃないんでしょうか?そーじはそう付け加えた。この言葉に山南は顎髭を撫でて唸る。
「ふうむ・・・局長や歳江さんがどう思うかはともかく、キンノーがらみでない限り僕らが出る幕じゃないって意見か。おや?でも確か、島田くんが一緒のはずだけど」
 突然そーじが何を思ったのか顔を赤らめた。
「・・・いいなあ・・・」
「何がだい?」
 意味がわからず山南は聞き返した。 
「沙乃ちゃんにとって島田さんはもう他人じゃないって事ですよね」
「他人じゃない、か」
 山南は一人で何度も頷いている。そしてふと、遠い目をした。
「・・・萌・・・」
 誰にも聞こえないくらいの、山南のつぶやきだった。
「うー、ひとしきり叫んだらまた酔いが・・・ぎゃ!」
 自分が携帯しているハンマーの重みでふらついた永倉は、転倒してそのハンマーで頭部を怯懦いや強打。意識を失い静かになった。
 そこへふらりと土方が戻ってきた。意識不明の永倉のそばで立ち止まる。
「何だ。まだ永倉は回復してないのか」
 憮然とした顔の土方。
「はい。なにぶんにも摂取量が尋常ではなく」
 真面目ぶって山南は挨拶を返す。
「井上のおじさまに頼んで、洗濯してもらいましょう」
 手を打ってそーじが提案した。心なしか、目が生き生きしている。
「そうだな。ついでに酒も抜けるかもしれん。山南、任せたぞ」
「・・・副長、今度はどちらに?」
 そーじから一歩遠ざかりつつ、山南は質問した。
「会津中将様が、猪鍋をご馳走してくれるそうだ。せっかくのご厚意、ありがたく受ける事にした。ただし・・・馳走になるのは近藤一人で私は近藤の送り迎えだ」
「局長お一人、ですか?」
 山南が、珍しく強い口調で聞いてきた。疑いの眼差しだ。
「猪・・・いいなあ」
 そーじの眼鏡がきらんと光った。欲望の眼差しだ。
「・・・沖田、少し折り詰めにして持ち帰ってくるよう、近藤に言っておく」
「わーい」
 そーじが抑揚のない声で喜んだ。山南は顎に手を当てて静止する。
(猪鍋を折り詰め?どうやって・・・・・いや深く考えるのはよそう)
 山南は頭を振った。考えても答えが出ない事を考えるのは時間と労力の無駄だ。
「あ、でもゆーさんならさっき喜々として出かけていきましたよ?」
 そーじが何気なく重大な事を言った。土方の目の色は確実に変わった。
「何だと!?それは本当か、沖田!」
「う、苦しい。げほげほ」
 胸ぐらをつかまれてそーじは噎せた。
「あ、すまぬ。しかし見かけたなら何故止めなかった?」
「・・・一人で大丈夫だもん、と自信満々で出かけていきました・・・」
「あいつを一人で出歩かせて、本当に大丈夫だった試しはない!」
 大体約束の時間にはまだ少し早いではないか、土方はそうつぶやいた。
「ええ、ですから・・・おそらく京都の町を散策がてら」
「く、こうしてはおれん。永倉が使えんのは痛いが、仕方ない」
 土方のこの言葉が山南は気になった。そこでちょっと聞いてみる事にした。
「どういう事です?アラタの手を借りるような事件でも?」
「・・・けほけほ、気分が悪いので部屋で休むことにします」
 何かを感じたのか、そーじがふらふらと去っていった。
「いや、まだそうと決まったわけではないのだ。ちと金子が入り用になると思ってな、永倉に押し借りを頼もうかと考えていたのだが・・・」
 そこまで言って土方は、山南に目を向けた。
「うむ、別に山南でも問題はないな」
 土方の厳しい視線。山南は咄嗟に答えた。
「実は僕も今朝から腹の具合が悪くて。申し訳ありません」
 土方は無表情だった。怒っているとも何とも判別できない。
「まあ、今は近藤を追う方が先か。山南は永倉を邪魔にならんところへ運んでおけ」
 土方はそう言って山南に背を向けて歩き出した。と、ふと立ち止まって
「もし山崎が来たら、いつものところにいると伝えてくれ」
こう言い残し、山南の返事を待たずに早足で行ってしまった。
「ふむ・・・何やら事が起こっているようだ」
 一人つぶやきながら、山南は足下に倒れている永倉を見やった。
「放置すべきか否か。しかし歳江さんは怒らせると切腹って言うからな」


 赤い楼門が鮮やかな八坂神社。島田達はその楼門の近くで一休みしていた。
「ここらへんは人通りが少ないな。さっきはあんなに野次馬がいたのに」
 石段の途中に腰を下ろしている島田。沙乃はその隣に同じく腰を下ろして、島田に悟られないように、足のマッサージを続けていた。
「やっぱりあれかな。池田屋事件の後の勤王狩りが・・・」
 島田はそう言いながら沙乃の方に目を向けた。そこでようやく気づく。
「ん?・・・ひどく痛むのか?」
 沙乃の方へ手を伸ばした。
「何でもないわよ。気安く沙乃に近寄らないでよね!」
 だが沙乃はこう怒鳴って、島田から心持ち遠ざかった。
「何だよ、その言い方は。俺はただ」
「ただ、なによ!?」
 何で俺は怒鳴られてるんだろう?島田はそう思った。
「一回くらい、その・・・したからって急に馴れ馴れしくしないでよね」
 顔を真っ赤にして怒鳴る沙乃。辺りに人の気配はないが、島田は反射的に周囲を窺ってから小さな声で言った。
「大きな声を出すなよ。誰かに聞かれたらどうするんだよ」
「誰も聞いてなんかいないわよ。だからそういうふうに仕切らないでって言ってるの」
 島田には何故に沙乃が怒っているのか、全然わからなかった。
「仕切ってないって」
「沙乃の方が先輩なんだからね!」
「前にも聞いたぞ」
「キーー!その態度がむかつくのよ!」
 島田はどう対応していいかわからず、とりあえず腰を上げた。
「あの・・・」
 そんな島田の背に声がかけられた。島田が声の方に目を向けると、楼門を入った向こう側に立つ人影が見えた。
「何でしょう」
 島田は、見た目からその人影が女だと判断して殊更優しい声を出す。
「何よ島田ったら。女と見たらすぐデレデレして・・・」
 沙乃の呟きも島田の耳には入らない。
「沙乃の事はいつも子供扱いするくせに」
 そんな言葉もやはり島田には届かなかった。
 島田は一歩二歩とその町娘、いや妙齢の女に近づいた。一応油断はしない。
「新選組の方々ですね。あなたは存じ上げませんが・・・そちらは確か、原田様」
 島田は心に衝撃を感じて歩みを止めた。うう、俺って・・・と泣きたくなった。
「はい。確かに俺たちは新選組です・・・そういうあなたは?」
 沙乃には口を挟ませたくない。俺だってもう立派な新選組なんだ。そう言った思いから島田は早口でこう聞いた。
「かわら版の一件とお見受け致します。つきましてはお話が」
 女の言葉に島田だけでなく沙乃の表情も引き締まった。
「不埒極まりない、かわら版屋の噂を耳にしたのです」
 女はそう言って小さく手招きをする。
「・・・・・」
 島田は周囲の気配を探ってみた。危険な気配は感じられない。杞憂だったと思いながら島田は、女に招かれるまま楼門の先に向かって歩き出した。
「ちょっと島田、待ちなさいよ」
 沙乃はそう言いながら立ち上がった。沙乃もやはり周囲の気配を探ってみたが、今のところ怪しい気配はなかった。
「もう。島田の・・・」
 最後の二文字は口の中だけで呟く。十文字槍は今の沙乃には重く感じられた。足を気にしながら歩き・・・出そうとして硬直した。
「!!!!!」
 ぞわっと感じた気配。それは強烈な殺気だった。
 島田はもう楼門をくぐり終わろうとしていた。その楼門の陰に、何者かの気配がある。
(仕掛ける瞬間まで殺気を消せる奴・・・迂闊だったわ!)
「島田!!!」
 島田がびくっとなって振り返る・・・事ができなかった。
 楼門の陰からぬっと手が突き出てきた。その手は島田の死角から伸びてきて口を塞ぐ。流れるような動作でもう一つの手が現れた。素人の動きではない。
 沙乃の身体は勝手に動いた。脇差しを抜きざま、持ちかえもせず投げつけた。柄を先にして飛んだそれは、島田を狙った手に命中した。びしっと鈍い音がした。
「・・・・・」
 しかし、手の人物は悲鳴一つあげずに楼門の陰に戻った。
「島田!」
 沙乃は痛む足で懸命に駆けた。足より胸の中が遙かに痛いと感じた。島田は額の汗を拭いながら一歩二歩、沙乃の方に歩いた。
「だ、大丈夫だ。ちょっとうなじの辺りが切られたみたいだけど」
 島田は沙乃を安心させるように、大袈裟に肩をすくめて見せた。沙乃が放った脇差しを拾って、本来の持ち主に手渡す。
「ありがとう沙乃。お陰で助かった」
 真剣な顔の島田。沙乃の胸の鼓動が早くなる。
「ふ、ふん!あれほど言ってたでしょ、島田は弱いんだから稽古しなさいって!」
 沙乃は島田の顔をまともに見ることができずに、こう怒ったように言うしかなかった。そんな自分が無性に腹立たしかった。
 女が島田達に近づいてきた。もう一人の人物もその姿を見せる。年老いた男だ。けれど枯れた感じはしない。髪にも髭にもまだ黒いものが目立つ。熟年の、苦み走ったいい男。いや島田を殺そうとしたから悪い男だ。
「随分とお楽しみだねぇ、こんな時にさ」
 女の声に悪意が混じった。
「おまえ達は何だ!?何故こんな事をする!?」
 島田は鋭く問いただした。
「私、本当は『便利屋べんりやたまちゃん』ていう、ケチなキンノーなんだけどさぁ」
 その便利屋と称する女は気さくに話しかけてきた。口元の笑みとは対照的に、その目は異様に細く冷たい。ちなみに『鉄火場てっかばのお玉』とは無関係のようだ。
「俺たちに何の用だ」
 言ってから島田は、間抜けな事を聞いたと思った。
「ボーヤには用はないんだよ。無名の隊士の首取ったって名は売れやしないさ。新選組副長助勤・原田沙乃の首でないとね。ボーヤを殺ろうとしたのはついでさ」
「な、何だと」
 無名とか用なしとか言われて、さすがに島田は頭にきた。でも言い返せない。
「本性を現したわね」
 反対に沙乃は落ち着きを取り戻していた。
「あのインチキ記事、あんたらの仕業ね」
「そうよ。激しやすい原田さんのこと、必ず飛びついてくると思ってたわ」
 見下すように・・・って実際見下ろしてるんだが、玉ちゃんは笑った。そして自分の隣に無表情で立っている男を見て言った。
「紹介するわ。私の相棒『夜鴉よがらす銀平ぎんぺい』よ。ボーヤが今受けた傷だけど、銀平の扱う針には麻痺性の神経毒が塗ってあるの。じきに身体が動かなくなるわよ」
 島田は身体が痺れ始めるのがわかった。さっきまでは感じなかったが毒塗りだと言われた途端に。このままでは足手まといになる。そんなのは御免だ!と強く思った。
「参る!」
 島田は自分を叱咤しながら刀に手をかけた。玉ちゃんとの間合いを詰める。
「島田は下がって!ここは沙乃が!」
 沙乃が脇差を持つ手に力を込める。愛用の十文字槍は石段のところに置いてきていた。それを取りに戻る余裕はないと判断したのだろう。
「平気さ。いつまでも足手まほいじゃねーって」
 麻痺毒のせいか、島田の舌が回っていない。
「舌が回ってないわよ!」
 沙乃の、言わずもがなのツッコミ。
「う、うるへー!」
 本格的に痺れてきた。島田の額から汗が出てくる。
「バカ!どうしてあんたは・・・ってあれれれ?」
 沙乃は駆け出そうとしてふらついた。倒れはしなかったが動きは止まる。
「足だろ。忘れはのか?」
 島田は回らぬ舌で注意する。
「わ、忘れてたんじゃないわよ!そーいう事じゃなくて」
 沙乃は言いたくなさそうにムッとした。島田は困惑した。足じゃないんなら何なんだ?「腹立たしいんだろ。坊主のために、ままならない身体がな」
 銀平が抑揚のない声で言った。島田は言葉の意味がわからず、銀平を睨んだ。俺のせいで沙乃が腹を立ててるって?つまり足をくじいたのが俺のせいだって事か。確かに俺のせいなんだが、ママにならない身体がって何だ?沙乃がママになれなくて怒っている・・・無理だろ!この間の今日でできるわけないだろ!いくら何でも早すぎるだろ!っていや俺はこんな時にも妄想してるのか?俺の馬鹿、馬鹿!島田は自分を激しく罵った。
 島田が銀平を睨んでいる隙に玉ちゃんが動いた。足音もたてずに島田に接近する。そのまま足払いをかけた。島田は変な声を出して転がった。 
「さて原田さん。ボーヤの命は私が握ってるよ」
 ドスのきいた低い声。玉ちゃんは合い口で島田の喉もとを撫でながら語りかけた。
「大事な彼氏よねぇ。わかるでしょ」
「・・・・・」
 島田は身体の痺れと戦っていた。気力を振り絞れば、この便利屋に一撃食らわすくらいならできそうだ。一撃で打ち止めかもしれないけど。ただ・・・
(あいつ・・・銀平とか言った。あいつはかなり出来る)
 今の、足を痛めている沙乃では少し不安だ。
(結局、俺は足手まといなのか?・・・いや違う!)
 島田は自問自答した。あきらめてたまるか。
「さ、せ、る、か!」
 意識して、しっかりと発音して島田は玉ちゃんの腕を掴んだ。
「ちょ、離しなさいよ!」
 玉ちゃんは身じろぎした。島田は離さない。
「こ、この・・・おはなしったら!」
 空いている方の手で、島田の顔と言わず腹と言わず、何度も何度も殴りつけた。女にしては強烈な打撃は、今の島田にはかなりこたえた。
「島田、もういいよ。沙乃なら心配ないから」
 沙乃が優しい声で言った。その声音に島田が気を取られた刹那、玉ちゃんが島田の手を振りほどいた。
「しつこいボーヤだねぇ」
 手首をさすりながら口を尖らす玉ちゃん。
「まったく・・・こんなお子様のどこがいいってんだろねえ」
 沙乃をじろじろと眺め回す。沙乃はきつい目で睨み返した。
「脱いだらすごいんですってヤツですかい」
 銀平が、油断なく身構えながら空中に何かの形を描いて見せた。明らかに悪意に満ちた言葉と行動に、島田は懸命に声を出して抗議した。
「キンノーのくへに、えらほーなこと言うんにゃれー!」
 他人にはもう理解できないんじゃないかな。そう思いながら。
「はぁ?何言ってんだいボーヤ」
 玉ちゃんはそう言って、鼻で笑った。
「島田喋っちゃ駄目。舌噛むわよ」
 沙乃の声に普段の力強さはなかった。
「沙乃なら、何言われても・・・何が起きても大丈夫だから」
「うふぉふけ!!」
 なんと言ってるか、もう自分にしかわからない。島田はそう思った。それでも言わずにはおれなかった。俺は知ってるんだ。沙乃が、誰よりも繊細で傷つきやすい心を持っているって事を。しっかり者だけど、誰かが支えてやらなきゃ壊れてしまうって事を。
「・・・島田・・・」
「・・・沙、乃・・・」
 二人だけの世界に入ってしまい、見つめ合う島田と沙乃。
「三文芝居だね。虫酸が走るよ」
 玉ちゃんはそう言ってべっと舌を出した。
「お玉、のんびりしてる場合じゃない」
 銀平が玉ちゃんを急かす。仕事に時間をかけることを嫌う、プロの言葉だ。
「わかってるさ。けどねぇ」
 言いざま、玉ちゃんは合い口を一閃させ島田の左太腿を刺した。声をもらすまいと島田は唇を強く結ぶ。
「むかつくんだよ。私ら前にしてイチャイチャしてさ」
「そりゃ言いがかりってもん・・・」
 銀平の言葉を玉ちゃんは無視して言った。
「新選組の原田さんがスッポンポンで屍になってるって絵、愉快だよねぇ。かわら版も飛ぶように売れるってもんさね」
「・・・!」
 沙乃は無言だ。動揺していない風を装っている。
「頭のいい原田さんなら、おわかりよねぇ」
 玉ちゃんは何気ない口ぶりで島田の肩を刺した。間髪入れず今度は右太腿を。
「わかったわよ!」
 怒りの声を上げる沙乃。
「はめだ!よへ!」
 島田は首だけを動かして叫んだ。刺された肩や太腿より胸の奥の方が遙かに痛かった。「沙乃なら、平気だから」
 沙乃は、二人の隙を窺いながらゆっくりと隊服の胸元に手をかけた。『裸に剥かれただけで無力になると思ったら大間違いよ!』って顔をしてる。
「儂は好き者だが、隙はないぞ」
 銀平が言った。沙乃を注意深く見ている。
「お子様が雰囲気だしてんじゃないよ」
 いらついた声の玉ちゃん。
「お子様ってゆーな!」
 沙乃が心底不快そうな表情になった。島田も見た事がある表情。そして今では島田には見せない表情。今の島田にはその違いがわかる。
「ふん。いっちょまえに色気づいて」
 玉ちゃんも負けじと不快そうな顔になった。
「ガキが。服の脱ぎ方も知らないのかい?」
 プチッ。沙乃の中の何かが切れた。
「言ったわね!見てなさい!」
 左右の手で隊服の襟を強く握って深呼吸した。そういや、腹の斬り方も知らないくせにって言われて・・・なあ。島田はその事を思い出していた。よすんだ沙乃ぉ!あああ、俺しか知らない沙乃の、いやーんな姿が!うおー!!
 島田の胸の痛みが極限まで達した、その直後。八坂神社に虎徹こてつが吼えた!
「・・・うっ・・・」
 玉ちゃんの手から合い口が飛ばされた。島田の位置からではよく見えないが、玉ちゃんは手首の辺りを押さえている。まさか、合い口に弾丸を・・・?
「そのくらいにしておけ」
 新選組のクールビューティー、飄々と到着。
「島田くん沙乃ちゃん大丈夫?」
 新選組のベビードール、優雅に到着。
 局長・近藤勇子こんどうゆうこ。副長・土方歳江。爽やかな風に乗って二人の女神が現れた!ちなみにクールビューティーとは、美人で冷たい感じのする女性の事だ。そしてベビードールとはこの場合、無邪気であどけない感じのする女性の事なのだ。
「ゆーこさん、トシさん」
 沙乃は安堵の表情を浮かべて微笑んだ。
「く、二人揃ってご登場とは」「・・・ちっ」
 玉ちゃんの顔には狼狽の色が浮かんでいた。銀平の顔にも微かに焦りの色がある。
「便利屋玉ちゃんこと、本名『加藤玉一かとうたまいち』。外見及び性質的に女だが生物学的には男」
 淡々と語り出す土方。ちょっと待て、男だと!?島田は心の内で叫んでいた。
「幼少時、姉や妹たちとの遊戯から自身の中の『女』を自覚。両親との確執の末に失踪。男女同権を目指し現体制の打破に奔走する、指名手配のキンノーだ」
「余計なお世話だ。どんな格好しようが私の勝手だろ」
 玉ちゃんこと、加藤はそう吐き捨てた。そう言われてみれば、女にしては声が低いような気がしてたんだ。島田は倒れたままそう思った。でもそれが何で沙乃を狙ったんだ?
「原田だけではない。我々全員を標的としていたのだ。女だてらに京都の治安を守り評判となった新選組は、加藤にとって自分の存在を否定しかねない存在となったのだ」
 土方は島田の心を読んだかのように説明した。一方近藤は、傍らでぽーっとしている。どうやら土方の話の内容についていけてないらしい。
「お黙り!まだ、あんたらのトコの雑魚隊士は私の手の内なんだよ」
 加藤は語気荒く言った。沙乃が加藤の隙をついて飛びかかろうとした、が。
「やるのなら、やっていいぞ。かまわん」
 腰の愛刀には手も触れない土方だった。
「え?」「ええ!?」「はぁ!?」
 沙乃、近藤、加藤の声。島田は泣きたくなった。
「は、はったりはおよし!」
 加藤は合い口を握る手に力を込める。
「生憎だが、私は嘘とはったりは言わぬ」
 土方は無表情で答えた。
「原田を失うのは新選組にとって非常な痛手だ。しかしそいつなら無駄飯食いの役立たずだから、いなくなっても別段困りはしない。むしろ隊の食費が浮いて助かる」
 土方は近藤の腕をつかんで虎徹を封じつつ、恐ろしい事を言い続けた。
「そもそも、そいつは我が新選組の恥なのだ。図体ばかりでかいくせに腕前はからきしで書類整理もできん、巡回任務もできん。餅を食うて寝るだけが取り柄のゴミだ」
「ト、トシちゃん、それはいくら何でも」
 近藤の非難の視線も土方は無視した。
「あまつさえ周囲が女だらけなのを良い事に覗きはする下着は盗む寝所には忍び込む」  そんな事してねえ!島田は泣きたいのを通り越して腹が立ってきた。いや覗きはまあ、否定できないかもしれないが、下着を盗んだり寝所に忍び込んだりはしてないぞ!
「そんなゴミのような男に、原田の身代わりに殺されるという、一世一代の晴れ舞台を用意してやろうというのだ。不出来な部下への、私からのせめてもの手向けだ」
 真摯な瞳で訴えかける沙乃を目で制して、土方は一息ついた。
「ゴミ?・・・本当に鬼みたいな副長さんだ、情け容赦ないね」
 真顔で引いてる加藤。島田は回らぬ舌で土方に主張した。
「ひ、ひりかたはぁん!おれ、ほんなこと、しれないっすよ!!」
 島田の目に映る土方はいつも通りの無表情・・・いや険しい表情をしていた。
「ゴミはゴミだから大ゴミに勝てないのだ。そんなだから足手まといなのだ。沙乃を守りたいのだろう?他人の手を煩わせるな。惚れた女は惚れられた男が守れ」
 土方の思惑に気がついたのか、加藤がニンマリして言った。
「無駄だって。ボーヤはもう指先一つ満足に動かせやしないんだから」
 加藤の言葉をどう解釈したのか、土方がニヤリとして答えた。
「ふん。動けないから何だと言うのだ。そうだな、島田」
 島田は身体に力が湧いてくるのを感じた。沙乃は今回の件に、他の誰でもない俺を相棒に選んでくれた。俺のために全てを耐える覚悟もしてくれた。土方さんの言葉は正しい。これは俺の戦いだ。相手を倒す戦いじゃない。沙乃を守る戦いなんだ。
「!?」島田は加藤の手を振り払い、身体を起こした。
「お、驚いたね。まだ動けたなんて。でも、立っただけじゃ勝てないよ」
 加藤はそう言って島田を挑発した。銀平の腕が懐に伸びようとするが、
「やめておけ。総力戦では勝ち目がないだろう」
 土方からこう言葉を投げかけられ、銀平の腕が止まった。自分が動けば彼らも動く、という状況を理解したからだ。土方の鋭利な視線が銀平に注がれる。
 その直後、再び虎徹が吼えた。加藤の合い口がさらに遠くに弾き飛ばされる。
「これでお互い素手だね。島田くんに勝てたら見逃してあげる」
 近藤がそう言って微笑んだ。土方の腹の内を読んでの発言らしい。
「おれは、まへない!はのわ、おれがまもる!」
 たどたどしい声で島田が宣言する。その目に迷いはない。
「だから舌が回ってないってんだよ!」
 加藤の声ががらっと変わった。女声をやめ、本来の声で叫ぶと、拳を突き出してくる。それはまともに島田の顔面に命中した。続けて腹部にも。
「・・・・・」
 しかし島田は倒れなかった。腹部に打撃を受けて前のめりになったものの、そのまま加藤に近づく。ゆっくりと、だが確実に。
「し、しつこいっ!」
 加藤がさらに三発、四発と拳をふるった。だが島田は倒れない。ゆっくりと、だが確実に加藤の心を追いつめていく。加藤の顔色は青かった。
「どうして!どうして倒れない!?」
 加藤の声はもはや悲鳴に近かった。土方が何気ない足取りで加藤との距離を詰め、まるで親しい友人に語りかけるみたいに、こう言った。
「どうして倒れないか、だと?それがわからないから、そうなるのだろう」
 じわりじわりと迫ってくる島田。じわりじわりと後退していく加藤。
「加藤。おまえは島田に勝てない。だが島田がおまえより強いと言うわけではないぞ」
 土方が、試すような声で言った。思わず加藤は視線を土方に向ける。
「川の流れが速いからといって、流れにただ逆らって泳いでいてはそのうち溺れ死ぬ」
 土方の言葉に加藤は混乱した。何を言ってるのだ?・・・わからない。
 がしっ。加藤の着物の袖がつかまれた。加藤は驚きの声を上げて、
「ひっ!?」
見た。見なくてもわかっているが、見た。それは島田の腕だった。加藤は徐々に視線を動かしていった。胴体、首、そして顔があった。血に彩られた口元、の上にある目。
「・・・!!?」
 目と目があった。ただの目だった。それだけだった。それ以上は何も起こらなかった。島田は何も言わなかった。何もしなかった。しかし加藤は・・・
「ひいいいいいいいいいいいいいいい!!」
 絶叫した。ひたすら怖かった。殺気も怒気も感じられない目が何故か恐ろしかった。
「いやああああああああああああああ!!」
 恥も外聞もなかった。声を上げて泣いた。その場にへたり込んで泣き叫んだ。
「すごい・・・相手を傷つけることなく、勝ってる」
 沙乃のつぶやきが、加藤の耳にやけに鮮やかに残った。


「ふむ、島田にしては健闘したな。客観的に見ればかなり無様だが」
 無表情に、けれど微かに優しさを含んだ顔で土方はこう評価した。
「島田ぁ!」「島田くん!」
 沙乃と近藤が島田に駆け寄る。島田は事が終わったという安堵感からか、急にふらふらとバランスを崩して転倒した。受け身など取れるはずもなかった。
「げ、げほっ・・・まほもに、倒れちゃって、息が」
「着地(?)を疎かにしたのも減点だ」
 呆れたような表情に、けれど微かにいたわりを含んだ顔で土方は付け加えた。
「原田にも島田にも、大した怪我はないようだ。わざわざ来てやったと言うのに」
 心の内を隠すかのように、突然声を大にして、土方はわざとらしく険しい声で言った。「・・・で、おまえらはどうするつもりだ?」
 ひとしきり泣き叫んで落ち着いた感のある加藤と、その加藤に近づいて心配げに見守る銀平に目を移して、土方は今度は本当に険しい声を出して問う。
「新選組にとっておまえのようなキンノーは敵だ。よって見逃すわけにはいかない」
 殺気さえ感じさせる声の土方。加藤がぴくりと身体を震わせ、沙乃が息を飲む。銀平が深刻そうに眉を寄せ、近藤がつらそうに目を伏せる。
「・・・が、私と近藤は黒谷に出かけていたはずだったな」
 土方は軽い調子でこう言って、加藤の脇を素通りしてしまった。
「え・・・?」「ト、トシちゃん?」
 加藤と近藤、二人の声が見事に重なった。
「ならば、我々が八坂神社になどいるわけがなかろう」
「・・・それは新選組の総意、という事か?」
 銀平が低い声で、相手の真意を探るような目で聞いてきた。
「知らない事は判断しようもない。ただ、もし見かけたら、容赦はせんだろうな」
 加藤が顔を上げて土方を見た。土方はぷいと横を向く。加藤は次に近藤を見た。近藤はにっこりと笑って頷いた。
「大丈夫だよ。でもトシちゃんは本気だから、京からは消えた方がいいかも」
「・・・・・かたじけない」
 銀平は加藤を立たせ、近藤と土方に深く礼をした。そして島田と沙乃に、
「迷惑を、かけた」
そう言って目礼した。沙乃が、どーいたしまして、という感じで肩をすくめる。
「・・・加藤」
 立ち去ろうとする二人に、土方が声をかけた。立ち止まり振り返る加藤。
「・・・・・疑問は解けたか?」
 土方の問いに、加藤はチラと島田と沙乃に視線を走らせてから答えた。
「・・・・・解けた」
 それが、彼らとの最後のやり取りとなった。二人の姿は神社から消えていった。
「・・・さて、島田のおかげで折り詰めを頂いてくる余裕もなかった。沖田から、恨み言の一つや二つ言われるのは確実だ。覚悟しておけよ」
 土方は島田の顔をしっかと見据えて言った。島田のすぐ真上から見下ろしている。
「それはそーとトシさん。沙乃たちの居場所がどうして?」
「うむ。私と近藤は会津中将様と猪鍋をつつく・・・予定だったのだが、佐々木どのから島田たちの事を聞いてな。例のかわら版の件だろうと見当がついた」
 土方は島田の方を見ないようにしながら語ってくれた。
「池田屋以来、山崎に命じてあらゆる情報を収集していた。そしてこの一件にキンノーがからんでいる可能性があった。無論可能性に過ぎなかったがな」
「もし無関係なら、それは沙乃ちゃんが何とかする問題だって、トシちゃんが」
 近藤がようやく話に割って入った。いつもと変わらぬ、近藤の笑顔。
「無関係ならば新選組が動く必要はないだろう」
 いつもと変わらぬ、土方の真顔。何を考えているか、よくわからない顔だ。
「うー。それにしたって、何で沙乃たちの居場所が・・・京都はこんなに広いのに」
 沙乃の疑問に土方は珍しく言葉を濁す。らしくないな、と沙乃は思った。
「それはだな、つまり、なんと言えばいいか」
「歓太くんとー、おみのちゃんに聞いたんだよー。あと十文字槍にも」
 近藤が代わりに答えた。歓太は知ってるが、おみのって誰?島田は首をひねった。
「・・・おみのさんは、床伝さんの娘さんよ。うちに情報提供してくれる」
 沙乃が、島田の顔を見ながら小声で教えてくれた。こいつのこういうとこは実にいい。そう思った島田は自然と顔が熱くなった。
「そろそろ行くとするか。島田、おまえも男なら一人で帰ってこい」
 土方はそう宣告した。これには沙乃は、当惑の声を上げる。
「え!?でも、島田は麻痺毒に犯されていて一人で動くことも・・・」
「毒がなんだ。真の男であればそのような物には負けはせぬ。心配無用だ」
「そんな事言ったって」
 渋る沙乃を近藤が、微笑みを浮かべて諭す。
「沙乃ちゃん、沙乃ちゃん。トシちゃんが『心配無用』って言ってるんだから、きっと大丈夫なんだよ。ほら、もっと島田くんを信じてあげなきゃ!」
「とにかく!私は帰るぞ!ついてきたい者だけついてくるがいい!」
 強い口調で言って土方は身を翻した。と、土方の懐から小さな瓶のような者がぽろりと落ちてきた。島田に寄り添うように腰を下ろしていた沙乃が、咄嗟に手を出す。
「ト、トシさん、これ・・・」
 だが沙乃の声が聞こえないのか、土方はスタスタと歩みを速めて離れて行った。素早い動きで近藤が沙乃に近づいて、さも楽しそうにこう囁いてきた。
「トシちゃんね、雀ちゃんをこき使ってね、銀平って人の使用する神経毒を特定させて」
「近藤!もたもたするな、帰るぞ!」
 離れたところから、不快そうな声で呼ぶ土方。それを無視して近藤は言葉を続けた。
「嫌がる雀ちゃんに無理矢理、商家から押し借りさせてね、その金で解毒剤を・・・」
「近藤!おやつを抜くぞ!」
 土方が憤怒の形相で叫んだ。近藤は瞬時に、泣きそうな顔になる。
「それはイヤだよー。じゃあ沙乃ちゃん、私たちはこれで・・・ごゆっくり、ね」
 沙乃にウインクしてから、近藤はあたふたと土方の後を追っかけていった。もう土方は楼門の向こうである。沙乃はそんな土方の背に向かって・・・
“トシさんったら・・・相変わらず、よね”
 そう、心の中で語りかけた。

                 

おわりだ


若竹です。
私のホームページ開設を記念して、我が友、『ジャックスカ』が原稿をフロッピーで持って来てくれました。
彼はネット環境にないので、感想は若竹掲示板か、若竹宛にメールをいただければ、私が彼のところに印刷して届けます。
  


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