偽・行殺(はぁと)新選組ふれっしゅ番外編

デザートクエストW 道外れしモモたち(後)


 この作品は『行殺』の世界で発生したかもしれないし、発生しなかったかもしれない些細な事件・任務・冒険の顛末について語るという、妙なコンセプトで作られたものだ。
 食後のデザートを食するような感じで読むのがいい。だからDessertQuestシリーズと呼ぶ事にする。
 W前編は兄を捜しに来た桃太郎一族の美少女・小桃と斎藤が出会い、心惹かれた斎藤が半ば強引に彼女を裏通りに連れ込むところから始まる。たまたま通りがかった芹沢と原田にそれを見られた斎藤は、二人に泣きを入れて何とか小桃のお供に入れてもらった。そして京の町を闊歩し始めた矢先、彼らは小桃の兄・桃太郎の手がかりを得た・・・一応ウソは言ってないよな。
 斎藤「上のあらすじだと、僕のキャラがかなり違うような・・・」
 芹沢「そぉ? 『前回までのあらすじ』なんて、おおざっぱでいい加減なくらいがいいのよ」
 原田「裏通りに連れ込んだのも、沙乃たちに泣きついたのも本当の事よね」
 斎藤「な、泣いてなんかいませんよ!」


 御伽屋の前の大通り。目的を達成したのか否か、ともかく浪士の群れはいた。その数、ざっと七、八人。その中に、ひときわ目立つサムライ風の男がいる。日の丸の鉢巻きをしている精悍な武芸者。
 対するこっちは桃太郎娘にお供の犬・猿・キジの四人。
「小桃ちゃん。あいつらが、京の町で今噂になってる『キンノー』という連中だよ」
 お互い睨み合っている状態だと言うのに、斎藤が小桃に小声でそう教えていた。
「きんのう? あの、噂と言われましても」
 小声で小桃は囁き返した。不思議なもので、囁かれると囁き返してしまう。
「私は、まだ京都についてまだ間がないもので」
「あいつらの恐ろしいところはね」
 斎藤は一旦言葉を切った。小桃が、ごくりと唾を飲み込む。
「この国の行く末とかに、別に興味ないところなんだ」
「ちょっと斎藤、こんな時に何ひそひそやってるのよ!?」
 原田が首だけ向けて叱りつけるが、斎藤は意に介さない。キンノー対新選組というので辺りの野次馬は息を詰めて様子を見ていた。だから斎藤の小声も、或いはキンノー連中に聞こえているかもしれなかった。
「彼らは世直しとか国を救うとか言いつつ、実際は相手を痛めつける事しか考えていない」
 斎藤は小声でそう続けた。キンノー連中が何か言っているが、斎藤の耳には届かない。
「特に、キンノーどもの首魁と言われているサカモトって男は・・・」
「ちょっと斎藤! 奴らが襲ってくるわよ!」
 原田が怒鳴っても、斎藤はまだひそひそ話を続けていた。
「部下に命じて田舎者を痛めつけさせておきながら、自分だけへらへら笑いながらどっか遊びに行ってしまうという、国を救う気なさマンマンな奴なんだ」
「はあ・・・言葉の意味はよくわかりませんが、すごい人みたいですね」
 小桃は感心したような怯えたような声で一、二歩後ずさった。
「ぎゃあ!」「どげっ!」「ぬひゃ!」
 そんな悲鳴が聞こえて斎藤(と小桃)が目を向けると、キンノーどもが六人ほど地面に倒れていた。
「斎藤・・・あんたね」
 原田は、その小さな身体をわなわな震わせていた。
「ま、いいんじゃない? こいつら、あんまり強くなかったしさー」
 芹沢はニコニコしながら、そんな原田を窘めていた。
“も、もしかして”
 もしかしなくても、斎藤が小桃に囁いている間に戦闘が始まって終わったのだった。敵方で立っているのは桃太郎と、一人の雑魚キンノーだけ。
「斎藤、一人くらいは倒しなさいよね。でないと、沙乃が・・・」
「わ、わかってます!」
 言葉の続きは聞かなくてもわかった。このままだと、僕は原田さんに刺される。
「とりあえず、弱そうな方を」
 桃太郎は無視して、雑魚のキンノーに狙いを定めた。刀を抜いて構える。
「行くぞ! 溝口一刀流奥義・牙突!」
 一直線にキンノー目がけて突き進む。決着はすぐについた。所詮、雑魚は雑魚だった。
「兄さん!」
 キンノーが全滅すると、小桃は目をウルウルさせて兄に訴え出した。
「・・・・・」
 その兄、桃太郎はというと無言で突っ立ったまま動こうともしなかった。どうも何事かを考えているような感じなのだが、それが何なのかは斎藤たちにはわからなかった。
「何があったんですか? 兄さんともあろう方が、悪事の片棒をかつぐなど。何か彼らに恩義でもあるんですか。お金を借りているとか、ご飯を奢ってもらったとか」
「・・・そんな理由でキンノーの味方されちゃ、たまったもんじゃないわよ」
 原田が小声でそう感想を漏らした。斎藤も、まったくその通りだなと思った。
「・・・小桃」
 桃太郎が口を開いた。渋みのある低い声だ。
「一宿一飯の恩、というものがある。わたしは、何もせずに帰る事はできない」
「・・・え?」
 斎藤と原田は顔を見合わせた。最初に声を出したのは原田。ぼそっと反論していた。
「何もせずに・・・って、あんたさっき仲間が倒されてんの黙って見てたじゃない」
「まさか兄さんも、私のようにお金を・・・なんて間抜けな、いえ! 私何も言ってませんから!」
 小桃はあわてて首を横に振っている。そして芹沢は扇をぽんと手で打って、笑いだした。
「あはははは。小桃ちゃん、多分正解☆ 間抜け間抜け〜」
 そう明るく言ってから、ふと眉を寄せる。
「ぱっと見た感じは桃太郎クン、律儀で無骨で間抜けな男ってとこか。でも人間って多面的な生き物だから、第一印象で人格の全てを判断することはできないのよねぇ・・・」
“多面的って・・・芹沢さん自身、充分に多面的なんだけどなあ”
 斎藤はそう思った。その間にも芹沢はふらふら歩いていって、桃太郎の前に出ていた。
「一宿一飯なら、一回抜いて一回振るったらおしまいよね」
 芹沢は愛用の鉄扇を構え、ちょいちょいと指を動かした。手招きならぬ、指招き(?)だ。
 桃太郎は、黙ってそれを見つめていた。やがて肩をすくめると、刀の柄に手をかけた。
「行くぞ」
「いつでも☆」
 斎藤と小桃は息を詰めて、原田は普通に息しながら見守る中・・・。
「あ、そうそう桃太郎クン」
 いきなり芹沢が、気の抜けるような声を上げた。思わず斎藤などはコケそうになる。
「御伽屋で、暴れたりしなかった?」
「・・・わたしは、ただ立っていただけだ。だが他の連中は使用人に暴力を振るったりしていた」
 それを聞いた芹沢は原田に目を向けた。原田が、『ん?』という顔をする。
「沙乃ちゃん聞いた? 屯所から雀ちゃん連れてきて。あと適当に二、三人」
「事情聴取と事後処理って事よね・・・でも沙乃がいなくなると、芹沢さんと斎藤だけか」
 原田は芹沢の顔を見て、斎藤の顔を見て、御伽屋の方を見た。
「もし芹沢さんが何か問題を起こしたら、あんた覚悟しときなさいよ」
 斎藤にだけ聞こえるように言って、原田は背を向けて小走りに去っていった。
「覚悟って・・・うあ、やっぱりアレ?」
 斎藤がそう言って俯いた瞬間、小桃の悲鳴に似た声がした。
「はう!」
 ぎょっとして顔を上げた斎藤の目に映ったのは・・・。刀を抜いて振り下ろした姿勢の桃太郎。そして鉄扇を閉じたままで刀を避け、鉄扇の先端を桃太郎の喉元に突きつけている芹沢だった。
“うあー! 見逃したー!”
 斎藤は心の中で地団駄を踏んだ。さっきといい今といい、今日の僕は何をやってるんだ?
「これで、一宿一飯の恩はおしまいよね」
 芹沢はそう言って、突きつけていた鉄扇を下ろした。
「そうなるな」
 桃太郎はそう言って、刀を鞘におさめた。
「兄さーん!」
 小桃がそう叫んで、桃太郎に抱きついた。桃太郎は黙って妹のするままに任せている。
“・・・?”
 斎藤はそれを少し変に思った。だが芹沢の次の言葉を聞いて、そんな思いはどこかへ飛んでいった。
「ところで桃太郎クン。軍歌、好き? 町中を黒い牛車で徘徊したりしてた?」
「・・・それはどういう意味かな?」
 桃太郎は無表情だった。斎藤はあわてて芹沢の袖を引いた。
「芹沢さん。それは宮沢ナントカってキンノーです」
「知ってるわよ。ちょっと似てるかなって思って、言ってみただけじゃないの」
「どこがですか。日の丸の鉢巻きだけじゃないですか、共通点は」
 斎藤と芹沢がそんな会話をしている時にも、兄妹の抱擁(というか、妹からの一方的な抱きつき)は続いていた。甘えん坊の妹に、素っ気ない兄という図式に見えなくはないが・・・。
 斎藤はそれが気になっていた。いや、単に自分は嫉妬しているだけなのかもしれない、とも思った。
「兄さん、どうして今まで・・・手紙を書くと仰ってたじゃありませんか」
「すまん。色々あってな」
「いえ、責めているのではありません・・・少しお痩せになりました?」
「そうかな」
「一緒に帰りましょう、兄さん」
「・・・」
「兄さん?」
「ああ・・・そうだな」
 どうも煮え切らない態度に見える桃太郎を斎藤はじっと見ていたが、
「ねえ、斎藤クン」
 芹沢から声をかけられて我に返った。
「え?」
「男の嫉妬。みにくいから駄目」
「ち、違いますよ!」
 大声で否定した声に、桃太郎兄妹が何事かという感じで目を向けてきた。
「冗談よ」
 芹沢はあっさりそう言うと、いまだ抱き合っている二人に声をかけた。
「じゃあ、お二人さんは田舎に帰るのね? 見送りたいのは山々なんだけど」
 不意に斎藤の口をふさぐと、芹沢はそのまま言葉を続けた。
「ジゴ処理ってのがあるのよ。ほら、アタシたち京都の治安を守るのがお仕事だから」
「・・・はい、それはわかります」
 小桃がそう言い、桃太郎も首を僅かに傾けて理解の意を示した。
「それに、この斎藤クンが小桃ちゃんにゾッコンで、今の二人見て嫉妬しちゃってるのよ」
「むぐ、ふぐー」
 斎藤は反論しようとするが、芹沢の力が強くて何も言えない。
「だからさ、アタシたちここでさっぱりお別れしましょ?」
 小桃はしばらく考えて、兄に目を向けた。その兄は、あまり抑揚のない声でこう言った。
「小桃、この人たちには大事な仕事があるそうだ」
「・・・わかりました」
 小桃は芹沢と斎藤に深々とお辞儀をした。
「それでは私たちはこれにて。斎藤さん、本当にお世話になりました」
「え、あ、あの」
 やっと解放された斎藤が何かを言う間もなく、芹沢の腕がぐいっと、
「さ、お仕事お仕事♪」
 首に食い込んだ。そのまま後ろ向き、いや横抱きにされて自由を奪われた。
「あの、ちょっと! せり・・・小桃ちゃん」
 斎藤は御伽屋の中に無理矢理引っ張り込まれた。視界から、二人の姿が消えていく。


 御伽屋の中でやっと芹沢の腕の中から脱出した斎藤は、怒りに燃えて抗議し始めた。
「芹沢さん! あれはいくら何でもひどいです! 僕の意見も・・・」
 そこまで言って斎藤は言葉を止めた。目の前にいる芹沢の・・・目が尋常じゃなかった。
「斎藤クン、気づかなかった? 気づかなかったのよね。まあ、無理もないけど」
「気づくって・・・何を?」
 斎藤はそう問いかけたが、芹沢はその問いには答えてくれなかった。
「いいからアタシについてきて。あの二人を尾行するわよ」
「尾行って、何でそんな事を」
 だいたい事後処理はどうするんですか、と言いかけた斎藤を制して芹沢は続けた。
「小桃ちゃんのお兄さんだからって、このまま見逃すわけにはいかない。泳がせて大物を釣るのよ。それに・・・簡単にキンノーから足を洗えるとも思えないわ。裏切り者には死をってのが連中の常道だし」
「え! それってつまり二人に危険が迫ってるって事ですよね?」
「ま、そんなトコね。御伽屋さんからの事情聴取は沙乃ちゃんがやってくれるから、へーきへーき」
 普段なら、そんな事したら後で僕が原田さんに何されるか、とか思うところだ。しかし今の斎藤はそこまで考えが回らない。二人が危ないと聞いて、その事で頭がいっぱいになってしまった。
「わかりました! そうと決まれば、早速行きましょう!(ぐいっ)」
 さっきとは逆に芹沢を引きずるような形で、斎藤は表に出た。しかし・・・。
「げっ! 何でこんなに人が集まって・・・これじゃ後を追えないじゃないか!」
 御伽屋の前には野次馬が群れていた。その数はついさっきまでと比べて格段に多くなっていた。桃太郎兄妹の姿は野次馬のせいでよく見えない。野次馬をかき分けて行こうにも・・・。
「あ、もう出てきはったで」「芹沢ー、もっと暴れろよお!」「そーだそーだ、それでも芹沢か!?」
 野次馬たちは何か妙な期待をしているらしく、一向に道をあけようとしない。
 斎藤は人混みの中に強引に身体を入れて突破しようとしたが、どうにもならなかった。
「・・・いーもんいーもん。だったらお望み通り暴れてやろうじゃない。カモちゃん砲、カムヒア!」
 芹沢は空を見上げて(何故に空?)こう叫んだ。その声が空に溶けて消えるが早いか、道の向こうから土煙を上げて何かが走ってきた。
“そんな馬鹿な!?”
 斎藤は目を疑った。だがあれを見間違うはずもない。
「どかないと知らないぞぉ! カモちゃん砲、発射ぁ!」
 芹沢の指令で、ソレは砲弾を飛ばしてきた。御伽屋の前に群れている野次馬は逃げ散った。
 何回か発射音が轟いた。かなり被害が出たようだが・・・とりあえず桃太郎兄妹の追跡は可能となった。しかしすでに二人の姿はどこにも見えなかった。
「僕はあっちを探します! 芹沢さんはそっちをお願いできますか!?」
 斎藤はそう言い捨てて、脱兎のごとく駆け出した。芹沢も一瞬の逡巡の後、斎藤が向かったのとは別の方向へ走り出した。彼女の後ろからは当然アレがついてきていたのだが、芹沢は気にならなかった。斎藤には泳がせて云々と言ったのだが、芹沢は実は別の事が気になっていた。
「ほんと、人って多面的よねぇ・・・勘違いだったらいいけど」
 芹沢は二度、あの男から異様な殺気が放たれるのを感じていたのだ。一度目は最初に彼を見かけた時に。そして二度目は斎藤を抱えて御伽屋の中に入っていった瞬間に。
“一度目はともかく、二度目のあれは・・・桃太郎クン、それだけは駄目!”
 二度目のあの瞬間の殺気。気のせいでなければ、その殺気の行き先は一つしかない。


「兄さん、後ろが何だか騒がしいですね」
「あれが彼らの事後処理だよ。それよりも、ちょっと用事が残っていたんだ。いいかな?」
 小桃は兄の桃太郎に先導されて、地理不案内な京の裏通りへとやってきていた。
「・・・? 兄さん、用事って何ですか?」
 角を四、五回も曲がったろうか。もう小桃には自分が今どこにいるか見当もつかなかった。壁際には樽、木箱、瓶などが乱雑に積み上げられている。表通りの清潔さとは大違いだった。
「私もお手伝いしますから。何をやるんですか? 早く終わらせて、一緒に村に帰りましょう」
 嬉しそうにそう言う子桃とは対照的に、桃太郎の顔には酷薄な笑みが浮かんでいた。
「早く終わらせて・・・か。村に帰る気など毛頭無いが、まあおまえの言うとおりだな」
「・・・え?」
 小桃は兄の言葉の意味がわからず、首をかしげた。次の瞬間、キラリと光が走った。
「・・・え?」
 目の前の兄。その兄の手には、いつの間にか抜き身の刀が握られていた。刀身に真っ赤な血が付着している。そう認識した途端に小桃は我が身に起こった事態を把握した。
「早く終わらせるに越したことは無い」
 身体から急速に力が抜けていくのがわかった。小桃はよろめき、壁に身体を預ける。その拍子に手が樽に触れ、樽やその上の瓶などがいくつか地面に落ちた。足下に血だまりができた。
「に、兄さん・・・どうし、て」
 小桃は目を上げ、掠れた声でやっとそう聞いた。
「わたしは前々から思っていた。何故わたしばかりが全てを奪われ、一族の長子として過酷な修行をしなければならないのかと。何故おまえは全てを与えられ、箱入り娘として遊んでいられるのかと」
 今まで聞いたこともないほど冷たい声。目の前の、兄の姿をした男は言う。
「おまえは、そんなわたしの心の内など露ほども知らず、無邪気に兄さん兄さんと慕ってきていた。それがどれほどわたしの心を傷つけたか、おまえは知るまい」
「・・・そ、そんな」
「ある時、わたしは村で噂を聞いた。わたしは父の本当の子ではないと。本当の子ではないから、あれほど無茶な修行をさせても平気なのだと。本当の子ではないから、妹があれほど兄を慕っていても平気なのだと。血のつながりがないから、夫婦になっても問題はないのだと」
 小桃ももちろん、そんな噂の事は知っていた。しかしそれは根も葉もない噂。兄妹があまりに仲睦まじいために出た、やっかみ半分の噂だった。
「もちろん、わたしとてその噂を鵜呑みにしたわけではない。だがそう考えると全ての辻褄が合うのだ」
 抜き身の刀。その刀に一瞬視線を走らせてから、桃太郎は一歩前に出た。
「わたしは長子として全ての自由を奪われた。実の子であろうとなかろうと、そんな事は問題ではない。わたしには無くておまえにはある、自由。以来わたしはおまえを憎む事にした」
 小桃は激しく首を左右に振る。必死に、出ない声を絞り出そうとした。
「ち、ちが・・・私の知っている兄さんは、そんな・・・」
「何が違うと言うのだ? 何故に違うと言えるのだ?」
 しかし、桃太郎はそんな妹の言葉を一笑に付したのだった。
「はっきり言っておこう。おまえの知っている『兄・桃太郎』など最初から存在しない。わたしは、おまえの理想の兄をずっと演じ続けてきただけなのだ。その方が何かと都合がよいと思ってな」
「う、うそ・・・私は、兄さんのため・・・に、身も心も捧げましたのに」
 小桃の目から涙がぽろぽろとあふれ出した。それは身体の痛みのせいか、それとも心の痛みのせいか。
「またすぐ泣く・・・相変わらず泣き虫だな、小桃は」
 桃太郎は、そう言って手にした刀を無造作に振り上げた。
「身も心も、わたしのために捧げただと? 女の方から抱いてくれと言われて、拒む男はいない。おまえがわたしに抱かれたかっただけだろう? それをわたしのせいにするのは筋違いだ」
 桃太郎の手にある刀。その刀が今にも振り下ろされんとした、その時だった。
「やめろ!」
 叫ぶ声がした。桃太郎は驚いた様子もなく、ゆっくりと声の方を見た。さっき出会った奴、サイトーとかいう小僧。どうやら一人のようだ。そう見て取るや、桃太郎はまた小桃に目を戻した。
「何で斬った!? 小桃ちゃんは、あんたの妹だろう!?」
 斎藤の魂の叫びを、桃太郎は平然と受け流した。
「これは家族の問題だ。赤の他人が口を挟んで良い事ではない」
「何が家族だ! 家族だって、やって良い事と悪い事があるんだ!」
 斎藤は刀を抜いて構えた。誰が何と言おうと、目の前の事態は異常だった。
「答えろ。返答次第では、僕はあんたを・・・。何故、彼女にそんな仕打ちを?」
 斎藤は、少し前から話を聞いていた。だから目の前の現実が意図的に行われた事もわかっていた。
「何故だと? やりたいからやったのだよ。君も新選組の一員ならば、殺ったり殺られたりは日常の風景だろう。何を今更・・・それとも、やはり君は小桃に特別な感情を抱いているのかな」
 すぐそばに、息も絶え絶えの小桃がいる。それがわかっていながら、桃太郎はからかい気味に斎藤にそう聞き返していた。斎藤はこれ以上、己を制することができなかった。
「くっ・・・許さない!」
 左手の刀を水平に構えたまま、一直線に敵・桃太郎めがけて突進した。牙突だ。
「さっきの技か・・・だが、わたしには通じんな」
 桃太郎はそう言い放つと、素早く近くにあった樽・・・の上の瓶を手にとって斎藤に投げつけた。
「!」
 斎藤の視界をふさぐような軌道で飛来する、割れた空き瓶。かろうじて身体をそらせて直撃を避けたが、そのせいで牙突の威力を決める『突進力』は大きく損なわれていた。
 音もなく、桃太郎は間合いを詰めてきた。斎藤の腹部をその左拳で強打し、身を引きながら右の刀を斎藤の両腿に振るったのだ。肉が裂け、そこから血が噴き出す。
「その脚では、今の技は使えまい」
 膝をつき、腹部の鈍い痛みと両腿の鋭い痛みに耐えながら、斎藤は顔をあげて前を見た。
 小桃は、まだ息をしていた。だがその目に何が見えているのか、その耳に何が聞こえているのかはもう定かではなかった。壁際に身を寄せるようにして、ほとんど動こうとしない。
「わたしはあらゆる苦しみを背負って生きてきた。それに引き替え小桃はあらゆる苦しみとは無縁だった。その罪に対して、兄であるわたしが罰を下すのだ。それならば、君も腹は立てられまい!」
 最後の言葉は、斎藤に向けてのものらしかった。その言葉にカチンときた斎藤は必死に叫び返した。
「小桃ちゃんが苦しんでなかった、だって?・・・あんたは何もわかっちゃいない」
「わたしが、何もわかってないだと?」
 斎藤は壁に手をついて立ち上がりながらも、目線を桃太郎から逸らさなかった。
「彼女の手のひらに、毎日剣の稽古をした証がある。そして鉢巻き。あんたと唯一お揃いの物だ」
 先ほど、小桃の手を握った時の感覚が思い出された。あれは箱入り娘の手なんかじゃない。そして、同じ鉢巻きをしていると語っていた時の表情。小桃にとってそれは、ただの鉢巻きではないのだ。
「小桃ちゃんだって苦しんでたに決まってるだろ? 駄目でも、同じ事していたかったんだ。あんたが好きだから無理にも同じ稽古して、同じ鉢巻きをして、あんたが好きだから身体だって何だって捧げた」
「・・・・・」
「あんたが手紙を書くって言ったから、ずっとずっと待ってたんだ。でも待ちきれなかった。待ちきれないから、危険を承知で一人でここまでやってきたんだぞ・・・わかってるのか!?」
 桃太郎は答えなかった。刀を下ろして、細い目をしてじっと立っていた。
「これを聞いても何も感じないのか? あんたは本当に、そんな人間なのか?」
 桃太郎は目を閉じて、小さな声でこう言った。
「もういい・・・それ以上何も言うな」
 目を開けて斎藤を見据えて、桃太郎は言った。さっきまでの自信に満ちた声ではなかった。
「わたしは故郷に戻るつもりはなかった・・・もう一人の自分が完全に消えるまでは」
「もう一人の自分? いったい何を言ってるんだ?」
「愛と憎しみは紙一重のものだよ。故郷を離れ京に来ては見たが、邪心は消えなかった。むしろ京の邪気に当てられたかのように、邪心は増大していった。どちらのわたしが本当のわたしなのか・・・」
 ここまで話して桃太郎はふと、我に返ったかのように目を開いて頭を振った。
「言い訳はよそう。わたしは小桃を斬った。君はわたしを許せない。ならば決着をつけるしかない」
 感情の無い声で桃太郎は言うと、刀を持つ手に力を込めた。桃太郎の立ち位置は斎藤の目の前、距離にして三尺もない。お互いに、一歩も踏み込まずして相手の身体を貫く事ができる。
「もう、あんたには何を言っても無駄なのか」
 斎藤は力無く言った。話し合う余地は、もうなかった。そうとしか思えなかった。
「そうだな。君がわたしを殺すか、それともわたしが君を殺すか、二つに一つだ」
「小桃・・・ごめん」
 二人の身体は同時に動いた。斎藤が繰り出したのは、この間合いからのみ放たれる奥の手【牙突・零式】だった。上半身の筋肉が躍動し、一瞬にして左腕の刀に力のすべてが集束した。
 鈍い手応え。桃太郎の身体が二間(約3.64メートル)ほども後方へ退いていた。斎藤の刀は桃太郎の身体を深々と抉っていた。桃太郎の刀は斎藤の額を掠っていた。二人の血が、地面に滴り落ちていた。
 斎藤の目に、額から流れ出たらしい血が入った。そして世界が揺らぎ出した。桃太郎の姿がぼやけ、意識が朦朧とし始めた。相手の刀は頭部を掠っただけのはずだが、額が割られたような気がする。
 どさり、と音を立てて斎藤の身体が地面に崩れ落ちた。それを追うような形で、桃太郎の身体もまた倒れようとしているのが斎藤にはわかった。
「これで・・・のか」
 桃太郎の声が聞こえた気がした。しかし意志とは裏腹に斎藤の意識は急速に薄れていった。
“小桃ちゃんが・・・早く医者に・・・だ・れ・か・・・”


 斎藤が次に気づいたのは、屯所の一室だった。そばにいた隊士から、小桃が一命を取り留めた事を聞かされて安堵した。だが、彼女に会うことはできなかった。芹沢局長の指示だという。斎藤自身、決して軽い傷ではなかった。よって数日療養を余儀なくされた。動けるほどに回復したと思ったら今度は、今まで休んでいた分だと山のように仕事を回され、小桃に会いに行く暇などない。その多忙さは作為的だった。
 そして、ようやく時間の余裕ができた時には、小桃は既に京都にはいなかった。芹沢の差配で、兄の遺品を持たせて故郷に帰したというのだ。斎藤には内密で、である。
「芹沢さん! 何故です!?」
 局長室まで怒鳴り込んだ斎藤は、芹沢から厳しい目で睨み据えられて勢いを失った。
「人は多面的な生き物・・・どう言い繕おうとも、斎藤クンが小桃ちゃんの兄さんを殺したのは事実なの。もしも彼女がキミを、兄の仇と狙ってきたらどうするの?」
「そ・・・それは」
 芹沢は鉄扇を片手でもてあそびながら、悲しげに頭を垂れて言葉を続けた。
「もちろん、あの子がそんな子だとは思ってないし、思いたくないけどねぇ・・・でも」
 斎藤の鼻先に鉄扇を突きつけて、鋭く言い放った。
「きっかけさえあれば人は何にでも変わるものなの。兄の桃太郎クンが鬼となったようにね」
「鬼ですか・・・あの、芹沢さん」
 芹沢とは目を合わせないようにしながら、斎藤がそう反応した。あの日の出来事は包み隠さず、芹沢には話していた。その芹沢だが、ふうと息を吐いた。みなまで言うな、と言わんばかりに。
「桃太郎クンは鬼退治に京都まで来た・・・己の心の中の鬼を退治しにね。それでも鬼になった。本当のところ、小桃ちゃんを斬りたかったのか守りたかったのか・・・。或いはそのどちらも」
「あの人、最後に言ってました。多分、『これで、死ねるのか』って。それってやっぱり・・・」
 さーねぇ☆ 芹沢は意図的に軽い声でその問いを流した。
「誰の心の中にも鬼はいるものよ。そうアタシにもゆーこちゃんにも、もちろん斎藤クンの中にもね」
 誰の中にも鬼はいる。この言葉が、淡い思いと共に斎藤の心の中に残った。

おわり。


<後書きモドキ>
 ジャックスカです・・・これじゃ前編の後書きの書き出しと一緒。
 あまりハッピーでない、デザクエW後編です。
 余談ながら、この桃太郎クンについてちょっと。多分彼は、田舎では褒められたことがなかったんだと思います。いくら努力しても、まだ駄目だ、もっと精進しろと言われてたのでは。
 それが京都に来て(まあサカモトあたりと縁ができて)やったらやっただけいい目を見れる、褒めてもらえる、しかも儲かる、何て気持ちいい土地なんだという『別の世界』を見てしまった。
 一宿一飯の恩で、頼み(人斬りでしょうな)を聞いているうちに正常な感覚が麻痺してきたのでしょう。だから最愛の妹と出会った時に、二つの人格が激しく争って・・・と言うか入れ替わり立ち替わり表に出てきていたのかも。
 長い文章になってしまったです。やっぱり話はハッピーエンドがいい・・・。


 (おまけのSS by 若竹)
【桃太郎】 これは家族の問題だ。赤の他人が口を挟んで良い事ではない
【斎藤】 というか、どうみても殺人犯だし〜。京の治安を守るのが新選組のお仕事ですから、現行犯逮捕しますね。

 めでたしめでたし。

  ジャックスカがようやくネットに接続しました。感想は、ジャックスカ宛メールか、若竹掲示板にお願いします。


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