第63回ピースボート25周年記念プロジェクト
「ヒバクシャ世界一周証言の航海」を終えて
― おりづるプロジェクト ―
(渡辺 淳子)
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≪左・写真≫私たちが横浜から乗った船、クリッパー・パシフィック号です(シンガポールで、ロープウエイから渡辺淳子撮影)
インターネットで今回のプロジェクトの募集をみて森田隆会長と渡辺は即座に東京のピースボートに電話にて申し込みをし、乗船して下さいと言う返事が来た時は二人で大喜びしました。それからと言うもの会長は毎日が船の上でした。
2008年8月28日の出航(二度の延期となりましたが)に合わせて8月18日発の飛行機で成田に飛び、なんとブラジルに帰ってきたのは半年ぶりでした。
まず、ピースボートとは? についてお話します。
1983年に設立された日本を拠点にする国際NGOで、大型客船によるクルーズを通じて、平和、人権、環境及び持続可能性に関する教育活動をおこなっている。国連経済社会理事会(ECOSOC)との特別協議資格を持つNGOとして、国連で行われる軍縮、紛争予防、開発などをテーマとする国際会議にも積極的に参加しています。
(ピースボート資料より引用)
≪右・写真≫クリッパー・パシフィック号の夕景です(内藤達郎さま=被爆者=提供)
2008年9月7日(横浜出航)〜2009年1月13日(東京晴海埠頭着)まで129日かけ約1ヶ月遅れの航海で、20カ国23寄港地(代表団を含めると22カ国25都市)を巡りました。
ギリシャにて、クリッパー・パシフィック号(約23、000トン)、バハマ船籍 から
モナリザ号(約29、000トン)バハマ船籍、全長201メートル、に乗り換えると言う大ハブニングがありました。
在外からは、カナダ(1名)、オーストラリア(1名)、メキシコ(1名)、韓国(4名)、ブラジル(2名)を含む103名の被爆者が参加しました。その内訳は広島被爆62名、長崎被爆41名、・・62歳〜87歳(60代54名、70代39名、80代10名)となっています。
老若男女を含む一般乗船客総勢約800人の中、私達被爆者は「おりづるプロジェクト」と言う名称のもと船内は各々が企画を出し、寄港地では現地の人達との交流で被爆証言を行ってきました。
船内はインターネット(あまり良い状態ではありませんでした)、シネマ館、図書室、プール、サウナ、娯楽施設、居酒屋、スタンドバー(生演奏)、レストランテ・朝食バイキング(和食、洋食)、昼食バイキング、夕食(配膳式)、午後15時のお茶、となっています。
スペイン語、英語の有料・無料授業有り、毎日出版の船内新聞で自分が興味あるものだけ出席すると言う具合で、我々は結構毎日忙しくいろんな所に出席していました。
船内企画で私が一番興味があったのは寄港地で乗船される「水先案内人」の講座でした。
その事については次回にお話します。
(執筆日 2009年3月15日)