1月30日(火) “日本の支援者の皆さま、報道機関の皆さま、…”
ブラジル在住の日本人被爆者が広島県を相手に、被爆者援護法に基づく健康管理手当の未払い分を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長)は25日、判決を2月6日に言い渡すことを決め、関係者に通知した。弁論が開かれていないため、消滅時効は成立しないとして県に計約290万円の支払いを命じた被爆者側逆転勝訴の二審広島高裁判決が確定する見通し。 |
日本のブラジル被爆者を支援して下さっている皆様、また報道機関の皆様、いろいろとご意見喜びの知らせをお送り下さいまして有り難うございます。心からお礼申し上げます。
しかし判決文が読み上げられる6日まで私達は99%の勝訴の確率があっても、最後の1%で覆される可能性が無いとも言えません。
やはり判決が決まってから、意見を述べたいと思います。
在ブラジル被爆者協会の森田会長に足立弁護士から第一報が入ったその日の堀岡様と細川様の1月25日の近況を報告致します。
その日はサンパウロの被爆者9名で以前から予定していた、裁判の当事者であるスザーノにお住まいの堀岡様の所に栗拾いにいきました。堀岡様は裁判の勝訴確定の連絡を未だ受けておられなくて、私達がおめでとうの言葉をかけると、きょとんとされておられ、未だ誰にも話していないのだが昨年の1月25日、脳内出血の、血を取ってもらう手術を受け全快して病院を退院した日で、其れで祝てくれるのかなと思ったそうですが、私達が勝訴になるだろうと言ったところ、奥様と涙を流さんばかりに、此が確定すれば他の数十名いる、時効のために健康管理手当を受け取れない方々が助かりますと、本当に喜んで下さいました。
もう一人の細川様は、森田会長からの電話での報告に、電話口で泣いて喜んでいらっしゃったそうです。広島県職員からの裁判を降りろと言う脅しなどを受け、自ら在ブラジル広島県人会の副会長を辞め、裁判だけは続けると、今まで気力だけで頑張ってこられた、その喜びもひとしおだったと思います。
昨年2月、広島高裁で勝訴の判決が降りた後、広島県議会にこの裁判の控訴をしないようにお願い致しましたが、その文面で、最高裁の判決まで訴えているいる方々の体力は限界に達して判決までは命が持たないだろうからと、上訴しないようにと強くお願いしましたが、県会議員の賛成多数で上訴されました。
その結果在ブラジル原爆被爆者協会副会長の向井様は判決を待たずにお亡くなりになりました。
この上訴に賛成した県会議員の中に、県知事の選挙参謀からお金をもらって県知事の意のままに動いていた議員が多数いた事に、なんとも言えない腹立たしさよりも悲しみを覚えます。
まことに残念です。
どうにか此処まで裁判を続けて来られたことが、夢のようです。
裁判で勝利したことしか厚生労働省は動いてくれませんでした(医療保険制度は別として)。
この間に一体何名の在外被爆者が亡くなられたのでしょうか?。
一体被爆者援護法とは何だったのでしょうか、被爆者のために作られた法律では無いのですか?
この事を行政に携わる方々に声を大にしてお聞きしたいと思います。
(盆子原 国彦)