2月9日(木) “〈日本より ― 〉裁判勝訴!でも…向井さん、お体の具合は?”
(2月9日「Yahoo! JAPAN」掲載より全文引用)
被爆者援護法に基づく健康管理手当の未払い分を支給しないのは違法として、ブラジル在住の被爆者向井昭治さん(78)ら3人が広島県に計290万円の支給を求めた訴訟で、広島高裁は8日、「行政側の時効主張は権利の乱用に当たり許されない」として、支給を認めなかった1審判決を取り消し、請求全額の支給を命じる原告側逆転勝訴の判決を言い渡した。 |
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「いわゆる“姨捨(おばすて)山”。あれと同じことなんです。…」。
被爆者までも海外移住に送り出した国の政策とは何だったのか? 無知な私の問い掛けに、向井昭治さんはそう答えられました。あのときの淡々とした口調はいまも耳に残っています。「私たちの気持ちを、豊かな日本で生まれ育った30代のあなたに理解することができますか?」そう問い返されたような気がしたのです。
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被爆者協会の副会長である向井さんに初めてお会いしたのは、私が邦字新聞に勤めていた10年ほど前でした。あのころ向井さんは協会の活動について、おそらく森田会長の一番の相談相手だったのではないでしょうか。張りのある声で少々気の短い森田会長に対し、向井さんはいつも感情を出さず抑えた語り口で応じられていました。
「兄弟(のような関係)ですからね」そう森田会長は笑って私に話されました。「いろいろ協会のことも(向井さんに)やって頂く。互いに手を取り合って、苦しい時は乗り切らなきゃ」という森田会長の勧めで向井さんがサン・ベルナルドに開いた日本食料品店の屋号は、森田会長のお店と同じ「スキヤキ」でしたね。「毎朝もう、ちゃんと店におります」と生計を立てながら協会を支えておられる向井さんの瞳は、あのとき生気に満ちていました。
その後日本に帰った私が、再び森田会長の元を訪ねた3年前。向井さんが体調不良で店を閉め、家にこもりきりになられたと聞いたときは、本当に驚きました。「事務所には顔を出されるのですか?」「それが、たまには来るようにと言うとるんじゃが、なかなか出て来んのじゃ」。心配がる森田会長の電話にようやく応じてサンパウロに出て来られた向井さんが、奥さまの幸子さんに付き添われ、顔色も悪く重い体を引きずるように歩く姿を見て、私は言葉を失いかけました。前にお会いしたときとはまるで別人でした。
後で幸子さんから聞き、人工透析が必要なこと、夜になると何時間もひどい苦痛に襲われていることなどを知りました。なぜでしょうか、向井さんにそんな日が来ることを私はそれまで想像もしていなかったのです。
『長崎新聞』2003年5月4日付「NEWSあんぐる・在外被爆者の手当申請」(報道部・高比良由紀)より …来日だけで二十時間以上かかる在ブラジル原爆被爆者協会の森田隆会長(79)は…訴える。 …「飛行機での長旅に耐えられない高齢のブラジル在住被爆者にとって、来日が必要な間は、援護面で何も変わらない」…森田会長らは四月中旬に来日。厚生労働省に居住国での援護実現を求めた後、支援事業の実施窓口である広島、長崎両市にも足を延ばした。 その際、協会幹部の一人が、日本に向かう機中で体調を崩した。腎臓に持病があり、成田到着後、すぐに入院。今も広島市の病院に入っている。… |
記事の「協会幹部」とは向井さんのことですね。副会長としてのお立場に、渡日治療も兼ねた、無理を押しての訪日でした。
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向井さんがブラジルに帰国されるのと入れ違いに、私は母の危篤で急きょ日本に帰りました。
その後、向井さんの病状はどうなったのか…と、ずっと案じていたのですが、辛い話を知るのが嫌で、つい協会の皆さんにも聞きそびれていました。
ですから一昨日、インターネットで向井さんの名前を見つけたときは、胸が締めつけられる思いでした。
『中国新聞』2006年2月7日付「在ブラジル被爆者訴訟あす判決」(松本恭治)より 「昭治は本当に弱ってしまって…。言葉もなかなか出てこなくなりました」。向井さんの妻幸子さん(76)が、電話口の向こうで語った。幸子さんによると、向井さんは二年半前から人工透析に隔日で通う。大量の薬が欠かせず、一人で着替えることもできない。向井さんに電話を代わってもらい、唯一聞き取れた言葉は「もう頭も体もついて行かない」。 |
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8日広島高裁での控訴審判決で、向井さんら3人の訴えが認められましたね。
でも、まだ不安です。
敗訴した被告・広島県は上告するでしょうか?
「いわゆる“姨捨(おばすて)山”。あれと同じことなんです。…」。
祖国・日本にとってブラジルは、まだ姨捨山であり続けるのでしょうか?
「もう頭も体もついて行かない」そんな姨捨山からの叫びが、願わくば日本に届きますように…。
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