3月15日(火) “益本さん母娘の帰国治療付き添い報告(1月31日-3月3日)”
- 口では言い表せないほど沢山の人のお世話になり -
今回の益本さん母娘の付き添いについて報告いたします。
― 益本さん母娘の帰国治療付き添い報告 ―
旅行社の好意でブラジル時間1月31日の20時に私の家に迎えに来ていただき、益本さん母娘を迎えに行きました。
グァルーリョス国際空港で無事チェックインし、2月1日の0時05分にJALにて出発。
成田へは2月2日の13時30分に着きました。
お母様の藤子さんは83歳と高齢のため、空港内の移動がたいへんなので車椅子を頼みました。 そのため、今回の旅はニューヨーク国際空港内での移動も、成田空港での国内線への乗換えも実に楽でした。
成田から広島へは羽田まで行けば何便もあるのですが、荷物を持っての移動はたいへんだからと、お迎えをうけて成田空港で約5時間をついやし、ただ一便しか無い19時発のANAで出発。
広島空港では二人の県庁のお迎えでリムジンに乗り、ホテルに着いたのは22時15分でした。
実に家を出てホテルに入るまで38時間かかったわけです。
あくる日 広島県庁に9時に行き ▽被爆者手帳の切り替え(藤子さんは15年ぶりの渡日、八枝子さんは40年ぶりの渡日です) ▽保健手当て(藤子さんは直爆1KM地点で、八枝子さんは原爆投下後一週間で誕生された胎内被爆です)健康管理手当の説明を聞きました。
つづいて済生会広島病院に入院されました。
お二人共「白内障」と 医者の診断書にかかれ、娘さんは今後も医者にかかる必要性を指摘され、担当医からの手紙をたくされました。
結局いろんな精密検査のすえ 一ヶ月の入院期間を経て…
帰りの飛行機に乗る前日、やはり 朝 8時の広島発に乗るには空港の近くのホテルが良いだろうとの県庁の方の配慮によりました。
ホテルに着くまでいろいろとお世話になりました。
広島を経ち成田へ移動。
国内線からの荷物の受け取り、それを国際線へのチェックインと経て3月2日、18時15分 成田発サンパウロ行きJAL便まで空港で約8時間待ち、3日(現地時間)08:30分頃益本さんの家まで無事お送りしました。
何よりも 益本さん母娘が道中何事もなくお帰りになられた事 ほっとしています。
今 こうして 今回の事を振り返って見ると納得のいかぬ事が多だ有り あの時ああしたら、この時こうしたらよかったのだろうかと自問自答しています。
色々な人間関係の中での決断、
広島支援の会、
東京の支援の会、
広島県庁の方
…
と、口では言い表せないほど沢山の人のお世話になり、心の支えになりました。
今回のもろもろの経験をもとに これからの私の人生が幾分でも 在外被爆者のお役にたてればと思っています。
(渡辺 淳子)