11月10日(水) ― 在ブラジル被爆者健診事業の結果報告 ―

 昨日今日と冬に逆戻りしました。そろそろ地球も終末にむけて始動し始めたのでしょうか?

 ・・・世界の気候異変・・・考えてみればこれも人間の欲望がなさした事ですが、それもここ100年です。これから先も進歩、発展という言葉で人間は地球を破壊していくのでしょうね。
 心有る人は気が付いているのでしょうが、それを唱えればのけ者にされます。
 金持ちほど地球の破壊に貢献していますね。
 工業製品、食料と作れば作るほど地球は汚れるのですが、例えば1本の鉄棒を作るのにどれだけの化石燃料がいることか…?

 さわりはそのぐらいで被爆者健診について。


◆ 多くの方々に感謝

 10月11日から始まったサンパウロ市サンタクルス病院での検査、
 22日から始まった日本から来られた医師の検査結果を基にしたサンパウロでの医療相談、
 27日にはクリチバ、
 29日にはリオ デ ジャネイロ
― と、ブラジル在住の原爆被爆者をお世話する事が出来ました。

 森田会長夫妻、渡辺理事、岩崎理事、会員の山藤氏、今川氏も子供さんを連れて連日協力してくださいました。

 とにかく老齢の被爆者が喜んでおられる姿が私達お世話をする全員の励みになりました。

 又 今回日本から来伯された

・〈団長〉県立広島病院 総合診療科部長・桑原正雄先生
・長崎原爆病院 副院長・森 秀樹先生
・広島赤十字・原爆病院 呼吸器科部長・有田健一先生
・長崎大学医学部付属病院 助教授・大津留 晶先生

 又 同道された

・広島県福祉保健部衛生・被爆者総室 被爆者・毒ガス障害者対策室・佐々木 宰 室長
・同課の桝井明子 主任主事
・長崎県福祉保健部被爆者対策課・藤田邦行 総括課長補佐

― 以上7名の派遣団員全員、それぞれの役目を熱心にこなされました事、健診を受けた被爆者は心から感謝しています。

 又

 サンパウロで事前健診をされたサンタクルス病院の、山田先生、デボラ桑原先生、大森先生、
 クリチバの野田先生、
 リオの新田先生

― に大変お世話になりました。


= 今年の健診結果 =

◆ 受診者数107人、平均年齢72歳を超える

今年の健診結果

健診会場 広島被爆 長崎被爆
サンパウロ 87 41 46 68 19
クリチバ 14 10
リオ
合計 107 50 57 75 32

 平均年齢は72歳を超えました

◆ 健康状態は悪化、約4割が外出に付添人必要

 健康状態は医師団の報告書が出ないと分りませんが、昨年より悪くなっているようです。

 また今年目立った事は、付き添いの人が多く、40%ぐらいの人が付き添いが無ければ外に出られない状態になっておられるという事です。

◆ 受診者1名、きょう逝去 〜 今年3人目、日本政府の援護を得られぬまま…

 今年も至急手術が必要な被爆者がみつかり、地方に住んでおられる方で大森先生が病院の紹介をされ、手術をされましたが今日11月10日お亡くなりになりました

 今年に入ってこれで3名の方が同じ日本人で同じ被爆者でありながら、日本政府から何の援助も受けられずお亡くなりになりました。

〜 いまなお続く大きな差別 〜

 くらべてはいけないのですがイラクで日本人が拘束されると直ぐ副大臣などが援助に駆けつけます。
 が、59年前原爆で命からがら生き延びて国の政策により移住した被爆者は、海外に居住権があるというだけで日本に住む被爆者と差別され、58年間何の援助も与えられませんでした。
 58年目に裁判で勝訴して、ようやく日本に行けば日本の被爆者と同等に援助を受けられる権利を与えられましたが、日本に行けない被爆者はそのままなんの援助も受けずに死を待つだけの状態です。

 今回お亡くなりになった方も自費で家族の皆様が病院費用など支払われます日本で被爆者が亡くなりますとその葬儀を行った方には葬祭料が支給されますが、外国に住む被爆者にはそれも支給されません

 被爆者援護法には“被爆者を差別して援護しろ”とは書いてないはずです。しかし現実は大きな差別が今も続いています。

◆ 肩を落とされて帰られる姿に…

 次に昨年の健診後帰国治療、手帳が支給された方々、或いは自費で渡日して健康管理手当の申請をされ、ブラジルで支給を受けられている方々の顔色は前より良くなっているように感じました。

 その反面老齢で、病気がちで、家庭の事情で日本に行けない方(=健康管理手当を受けられない方)の落ち込みようは酷く、各県の担当者と膝をすり合わせて話合っていましたが

「難しく、日本に行かなければどうする事も出来ない…」

― との県の担当官の返事に、肩を落とされて帰られる姿に私達は、どうしてこうまでお願いしても厚生労働省は聞き入れてくれないのか不思議でなりません。

〜 無視され続ける陳情書 〜

 陳情書は被爆者協会が出来てここ20年間大臣宛に何度もお送りいたしています。

 受け取っても直接屑篭に投げ込まれていたのでしょうか返事も有りませんでした。

 初めて今年になって連絡は取れるようになりましたが。

(盆子原 国彦)

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