9月23日(木)
 9時15分に宿舎を出発、地下鉄でハイリゲンシュタットに10時すぎに到着。カール・マルクス・ホフの見学をする。建物の歴史の説明と中庭、洗濯場などを順次見学。クラウサーさん、ターニャ、ミヒャエラ、アクセル、ハラルドも参加。

11時半すぎに地下鉄でピルグラム・ガッセにあるオーストリア社会民主党の旧機関紙発刊所、現在はアーカイブとなっているところに移動。エンゲルスからアドラーへの直筆手紙などを見る。12時すぎにバスでアルザー・シュトラーセ、そして市電でルーズベルト・プラッツにある社会学研究室に行く。Reinprecht教授からウィーン市の住宅政策の歴史を細かく講義をしてもらう。早稲田の学生からも質問がたくさん出た。
 その後、近くのカフェで双方の学生たちと食事をする。食事後は自由時間。各自、予定の場所に行く。


9月24日(金)
 午前8時、宿舎から学生たちの荷物をクラウサーさん宅へタクシーで移動。9時半に宿舎を出て10時、ピルグラム・ガッセに集合、ユリア、ターニャ、ハラルドと早稲田学生とともに、10時40分、エスタハージ・ガッセにあるウィーン工科大学の子どものいる学生専用に利用者が主体になって作った幼稚園を訪問・見学。その後、11時半すぎに???・ガッセにあるFreieschuleを訪問。授業を12時半まで授業等を見学。

 13時すぎ地下鉄でショッテン・リングに到着。近くのインド料理レストランで昼食。グループにクラウサーさん、ゴランが加わる。14時すぎにクラウサーさんの勤めるオーストリア政府社会世代省の事務所会議室で、今回のジョイント・セミナーについての反省会を行う。16時近くまで、プログラムの内容、宿舎の施設面、天候、夜の催し、オーストリアから何を学んだかなどについてエヴァリュエーションを行う。

 一度解散後、19時にレルフェンフェルダー・ギュルテルにあるレストランに今回の参加者のほとんどが集合。ゲーリッヒ教授夫妻、クラウサーさん夫妻他、参加者と参加者の家族も参加し、午前2時すぎまで名残を惜しみながらパーティが続く。

9月25日(土)
学生はクラウサー宅に厄介になる。私は、カーディナル・ケーニヒ・ハウスにさらに1泊する。学生は、ケルンテンまで鉄道で行き、地元の結婚式などの見学を予定。私は飛行機の出発まで午後2時まで旧い友人とアルベルティーナ訪問。昼食の後、空港へ。

9月26日(日)および9月27日(月)
 学生はホームスティ、自由行動。


実施結果の成果
 2003年度のウィーン・早稲田ジョイントセミナーでは双方の参加学生によりワークシ
ョップを行ったテーマそれぞれについて、チェアパーソン(参加学生すべてがどこかのテーマのチェアパーソンとなった)が、レポートを英語でまとめた(ウィーン大学学生のレポートは、ゲーリッヒ教授の演習のレポート、早稲田大学学生のそれは自発的なレポートとして)。また実施過程での写真、ビデオの記録とともに、このレポートをCD版の報告書として、各所に配布した。また一部についてはインターネットで公開している。


 これにならい、今回はインタビュー中心のセミナーであったので、早稲田大学学生が、実施した各テーマについて英語で論文を作成し、これを前年度と同様に写真類とともにCD版の報告書として公表する(05年度1月完成の予定)。インタビュー記録は、写真、ビデオ類と同様、すべて録音データとして文学学術院社会学研究室(森 元孝)において保存し、参加学生たちの今後の研究活動に利用ができるようにする。


来年度以降の計画
 ウィーン・早稲田ジョイントセミナーは2年間の予定で、1年目はウィーンから早稲田へ、2年目は早稲田からウィーンへという折り返しの形で、03年度は学生双方がワークショップでの議論をつうじて、また04年度は政治家、各種団体へのまとまった時間のインタビューと質疑応答をつうじて共同の活動を行うことができ、たんに一方向的に外国に訪問し見学をするというレベルにとどまらず、同じテーマについて協力しあって発見をしていくというよい結果を生んだと思う。とくに学生たち双方の人間関係はたいへんに厚い関係を構築することができたと思うし、私も学生のみならず、ゲーリッヒ教授、クラウサー講師とも深い人間関係を形成することができたと感じている。
 ただし、この積極的な結果に反して、問題は早稲田側の参加者が少ないということである。03年度は10名の参加(大学院生7名、学部学生3名)、04年度は4名(大学院生3名、学部学生1名)。ウィーン大学学生が03年度14名、04年度のべ16人と比べると、これは残念なことではあるが、ほぼ次のような理由であると思う。


 03年度のワークショップの場合にも、04年度のインタビューおよびレクチャーにしても、ある一定程度の英語の会話力とそれぞれのテーマの前提となる基本的知識、バックグランドを備えている必要がある。当初より、この話をもちかけられたときから、学部学生だけでは難しいと考えざるをえなかった。私の授業、学部掲示板のみならず、関連する教員、およびインターネットをもつうじて広く広報をしてきたが、早稲田側参加者は、ウィーン大学側が03年度には抽選を行ったことと比べると大きな相違点がある。ウィーンから東京への航空運賃が03年6月、ウィーン大学学生が600ユーロ(1ユーロ138円前後)であったこと、東京からウィーンへの04年9月のそれが南周りの格安運賃でも130000円程度(1ユーロ132円程度)、北周りでは190000円を超える額であったことも影響している。


 来年度以降も可能であれば、同種のジョイントをウィーンのみならず世界各所の相手と実施することにも消極的ではないが、プログラムの計画、宿舎手配、行動、すべて私と相手の教員、ウィーン大学の場合には、ゲーリッヒ教授、クラウサー講師との連携が不可欠であり、事務作業も相当程度のものとなり、意思疎通が良好であることが前提である。これらの好条件が、この種のジョイントセミナーを教員個人のレベルで実施していく場合には不可欠である。この条件が満たされるところであれば、今後もこの種の活動に積極的に取り組む予定である。


 05年度はヨーロッパ日本学の大会がウィーン大学で予定されており、早稲田大学からも報告する教員が少なからずいるので、条件がそろえば、ウィーン大学学生による日本の研究者へのインタビュー中心のセミナーが可能であるかもしれないと考えているが、未定である。


最初のページに戻る