その昔・・・
ローマ人はオリーブ畑を拡大し、オリーブの樹を北イタリアに持ち込み、オリーブやオリーブオイルを生産しない地方は皆無といってよいほど北部全域に広めます。
今日のフランス・プロバンス地方にもオリーブオイルの生産を広めましたが、ローマ人のオリーブオイル需要を満たすことは出来ず少し離れたスペインから輸入していたのではないかと考えられています。
イタリアで出土した粘土の壷(テラコッタ)には、スペイン産のオイル輸出業者の刻印が刻まれている物も見つかっているそうです。
オリーブオイルの貿易はワインの貿易とともに盛んに行われていたようですが、ローマ帝国の衰退とともに途絶えていくことになります。
13世紀に入るとイタリアのアプリ-ナ州サレンティーノ地方の修道士たちが広くオリーブオイルの栽培を始めます。
オリーブは協会の燈火の為に、ワインは宗教的な儀式や行事の為に必要だったからです。
今日、この地域ではオリーブオイルを大量に生産していますが、その基盤をつくったのは修道士達でした。
当時、トスカーナ地方のフィレンツェ一帯もオリーブの主要な産地でありオリーブオイルの大市場の中心として名をはせました。
その名声は生産量が少なくなった今日でも失われてはいません。
ジェノアと並ぶ貿易量を誇るヴェネチアは、オリーブを入れた壷をより多く運べるようにする為、平らな船底を持つ特殊な船を開発します。
これらの船は南イタリアからより多くのオリーブオイルを人口が多い北部へ輸送するのに活躍し、経済発展とともにオリーブ貿易の発展に貢献します。
14世紀には、ヴィソドミニ・ディ・テナリア(Visodomini
di
Tenaria)と呼ばれるオリーブオイル管理委員会がヴェネチアで設立され、オリーブオイルの輸出入の管理や、重量、計量規格や小売の規制などを始めます。
19世紀末、それまで家内生産を基本としていたオリーブとオリーブオイルの生産は、オイル精製工場の発達とともにより大量生産が可能になり世界中へ出荷されることになります。
しかしその大量生産されたオイルは生産効率を最も重視してつくられたものなので、特色のないただのオリーブオイルでしかなかったのです。
1970年代末、アメリカをはじめいくつかの国々の科学者が、いわゆる地中海料理、とりわけオリーブオイルのすぐれた栄養価に注目しだした事から状況は一変します。
世の中の健康ブームや高品質食品への関心の増加とともに、今まで細々と(しかしながらこだわりを持って)つくられ続けていたシングル・エステート・オイル(小規模自家農園が少量生産する最高級オイル)に世界中の注目が集まりました。
また、イギリスやアメリカの多くのシェフ達が正統派フランス料理の伝統から離れて、地中海式料理を採用するようになり、国外ではそれほど知られていなかったエクストラ・バージン・オリーブオイルが広く愛好されるようになります。
こうしてオリーブオイルに対する関心が高まるとともに、高品質のオリーブオイルとシングル・エステート・オイルの生産が、とりわけイタリアにて復活することとなります。
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