東陽紡 (茶室)

 豊臣秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟・真如堂東陽紡長盛が担当した副席と伝えられている。

 茶室は庭に降りて見ることが出来る。建仁寺垣も見られる。


 話は変わるが、建仁寺の近く(西側)にえびす神社がある。これも栄西が建てたものである。当時は建仁寺の境内にあったものを神仏分離によって独立された。
 宗達の有名な「風神雷神」の屏風がある。 展示されているのは模写だが。

 風神雷神図は建仁寺の什宝の一つなので、普段はどこかに大切に保管されているらしい。

 毎年4月20日の開山法要時には茶会と什宝展が開かれるので、このときは本物が見られる。
  
 宗達といえば、他に京都の寺では養源院に像と麒麟の絵があります。

 方丈の前には白砂に緑苔と巨岩を配した「大雄苑」と称する枯山水の庭園がある。


 栄西は長い間途絶えていた中国留学を二度行なっている。 その後、持ち帰った「禅」の教えを朝廷に広めようとしたが成らず、一転して鎌倉幕府に取り入り、武士層に布教する事に成功する。

 建仁寺は京へ帰って、将軍頼家の援助があって建仁二年(1202年)に建てられた。
 

 祇園町や建仁寺周辺の人達は建仁寺のことを「けんねんさん」という。これは第十一世の住職が天皇の名によく使われる「仁」の寺を避けて「寧」としたによるらしい。
 建仁寺は栄西が宋の百丈山にならって建立した京都で最初の禅寺である。 盛時の寺域は四条から五条まで約1kmにも及んだが、今は300m四方ぐらいになってしまった。

 昔はこの辺りには火葬場があったと云う。しかし今は祇園や場外馬券売り場、商業地に囲まれているので、境内を通りぬけていく人も多い。 境内の一部は駐車場にもなっていてけして静かなものではないが、一歩方丈へ入れば、そこには禅寺らしい雰囲気が漂っている。

 栄西は日本に茶を伝えた人でもある。境内には茶碑もあり、六月五日の栄西忌には開山堂にて法要が行われ、裏千家による献茶がある。

 また、境内には茶の木がたくさん植えられていて、10月頃には白い花が咲く。

建仁寺



開山堂