神さまのカリス



**神さまのカリス
**シャワーのように
**わたしの上に 注がれる
**顔を上げて
**口をあけて
**両手を上げて
**カリスを受ける
****カリス カリス 神さまの恵み
****わたしは いま 喜んでいる


**カリスのおかげで
**わたしは生きる
**当たり前では ないんだね
**息ができる
**食事できる
**おしゃべりできる
**賛美もできる
****カリス カリス 神さまの恵み
****わたしは いま 生かされている


**神さまをうらみ
**ひとをうらんで
**生きてきたのに
**イエスさまは
**むちを打たれ
**くぎをさされ
**血を流された
**わたしのために
****カリス カリス 神さまの恵み
****わたしは いま ゆるされている


**神さまのカリス
**雨のように
**わたしの上に 降り注ぐ
**心をつくし
**思いをつくし
**力をつくして
**主を愛したい
****カリス カリス 神さまの恵み
****わたしは いま 愛されている



昨年のクリスマスにアメリカからプレゼントが届きました。しゃれたデザインのノートです。各ページに聖書の言葉が英語で書かれています。
礼拝メッセージや、聖書の学び、ディボーション(聖書を読んで祈る)のときに心に留まった聖句と感想を書くノートとして使わせていただこうと思っています。

最初のページには 「恵みと平安があなたがたの上にありますように(1コリント1:3)」 と書きました。これは、一昨日の礼拝メッセージで語られた聖句です。パウロの書いた手紙が聖書になっていますが、その手紙の最初にはたいていこの文章が書かれています。
恵みとはギリシャ語で「カリス」といい上から下への流れを基本とした言葉だそうです。

「カリス、カリス……」と何度も口に出していると、シャワーのように降り注がれる恵みを感じて胸がいっぱいになりました。注がれた神さまからのカリスは、わたしの中であふれています。そのあふれたものを言葉にして(すべてを言葉にできませんが)ことしも綴っていきたいと思います。


『カリス』(恵み)という言葉を聞いてから、わたしの中でずうっとこの言葉がこだましています。
当たり前のように呼吸をし、おいしく食事をいただき、おしゃべりをしていますが、病気で呼吸を確保することすら難しい人がおられることを思います。 わたしは長女(第2子)を出産後、産院を退院して10日後に、ひどい喘息の発作を起こしました。実家にいたので両親に心配かけたくないと思い、発作の起きていることを黙っていました。吸入薬で一時的に発作を抑えていたのです。

吸入薬は使いすぎると、だんだん効かなくなってきます。あとで聞くと、その吸入薬は、1日4回までが限度で、それ以上吸入すると死の危険があるという物でした。それをわたしは1日に数え切れないほどの回数使っていました。

最後の方は、吸入しても一瞬苦しさから解放されるだけになってしまい、それでも耐えられなくて5分おきくらいに吸入していました。
食事に呼ばれてリビングに行くと、部屋からそこまで歩いただけで呼吸困難になってしまいました。おいしい食事が目の前に置いてあり「食べなさい」と言われているのに息が苦しくて食べることができません。

真っ青な顔をして「どうやって食べたらいいんだろう……」と独り言のように言うわたしを見て、両親は大変な状態にあることに気づき、すぐに病院に連れていってくれました。
(不思議なことに、ひどく苦しいのに自分では重篤な状態だとわからず、病院へ行こうとは思わなかったのです)

病院ではすぐ酸素吸入をしてくれましたが、いくら酸素があっても気管支がふさがりかけているので吸うことも吐くこともままならず、長い時間苦しみました。爪が紫色に変わっていたことを覚えています。
もしあのときすぐ病院へ連れていってもらわなければ、死んでいたでしょう。呼吸の苦しさは、経験した者でないとわからないと思いますが、乳癌の手術後の苦しさ、肺炎で高熱が出たときの苦しさとは比べものになりません。

「息ができる」ことは当たり前ではないんですね。守られて癒されていま、わたしはここにいます。
深呼吸しながら、呼吸ができることは、神さまのカリスなのだなあと感謝しました。


食事がおいしくとれることはなんという恵みでしょう。このお正月は両方の実家と妹の家でご馳走になり、体重が2sも増えてしまいました。
最近なぜか(年齢のせいかホルモン剤のせいかわかりません……)体重が増える一方なので、ダイエットしなければなどと思っていますが、太る悩みがあるというのは感謝なことですよね。食べられるということですから。

喘息の発作のために食べられなくなったと書きましたが、あれから10日間入院して、入院中はほとんど食べられませんでした。呼吸が苦しいのと、生まれたばかりの赤ん坊を実家に置いてきたことへの気がかりと、3歳の長男(長男は主人の実家に預かってもらっていました)に会いたい思いで胸が張り裂けそうだったからです。

自分の言葉が友人を傷つけてしまったことがわかったときも食べられませんでした。具合が悪くなるから食べなくては……と思い無理矢理口に食べ物を入れても、飲み込めないのです。いま、深い悲しみや心配事があって食べられない人がいたら、どうかおいしく食べることができるように願います。 また、世界には飢えて死んでいく人たちが大勢います。食べたくても食べ物のないつらさは想像の域を超えています。食前の祈りで毎回「世界中の人たちに食べ物が与えられますように」と祈っています。

「人間はね、ちゃんと食べないと元気が出ないように造られているんだよ」と言った友人の言葉が思い出されます。


子供のころは無口だったと書いたら、友人がすごくびっくりしていました。「信じられない」というのです。
それほどわたしはおしゃべりになってしまったのでしょうか?

教会学校では70人もの小学生の前でマイクなしでお話しているのですから、わたしが小学生のころ蚊のなく声より小さい声だといわれていたと言っても誰も信じてくれません。

小学3年生のときの作文ノートが残っています。ずいぶん物持ちがいいでしょう。子供の頃に書いた物で残っているのは、このノート一冊です。その中に「しりきれとんぼ」という題の作文がありました。

「国語の時間のことです。先生がわたしのことをさしました。わたしは、いっしょうけんめい答えたつもりだけど先生は『しりきれとんぼ。そのうちしゃべれなくなっちゃうよ』
とおっしゃいました。『しりきれとんぼ』って何かなあと思っておかあさんに話すと教えてくれました。(中略)わたしはおかあさんに『しりきれとんぼ』と言われてもぜんぜん心にひびかないで先生とかほかの人に言われると、すごくすごく悲しくなります。これからはもう少し大きい声ではっきりしたいと思います」


それに対して先生は、 「Yちゃんがこんなに思っているとは気がつきませんでした。自分ではいっしょうけんめい言っているつもりでもそうでない時があるものです。ゆうき(わかりますか? ゆうきということば)を出して腹から声を出してごらん。おうちでは大きい声だそうですね」
とコメントを書いて下さっています。
内弁慶だったので家の中では大きな声でよくしゃべっていました。(先生は何故知っていたのでしょう?)
でも、外に出るとしゃべれなくなり、しゃべっても小さい声しか出せなかったのは、自分に自信がなかったこと。自意識過剰だったことからきています。自分が何かしゃべると、人はどう思うだろうと気にしていたのです。

無口な人は何も感じてないと考える人がいます。人から何か言われても言い返さないのは、感じていないからなのだと。でも、そうではないんですね。むしろおしゃべりな人より感じているのです。口に出せない分、心にいつまでも残っています。

でも、わたしは「しりきれとんぼ」といわれて傷ついた昔の自分がいとおしく、またこんなふうに愛のあるコメントを下さった先生に感謝しています。先生のコメントが嬉しくて、どうしてもこのノートが捨てられなかったのだと思います。

しゃべらなくても、友達がしゃべっているのを聞いてけっこう自分も楽しんでいました。無口の人にしゃべりなさいと無理強いするのは禁物です。
なぜわたしがこんなにおしゃべりになったのかというと、心に鎧のように覆っていたものを脱ぎ捨てたからということと、非常に無口な人と結婚したからでしょう。(わたしがしゃべらないと家の中が暗くなってしまいますからね)
いまのわたしは、おしゃべりが楽しくて、気の合う友人となら何時間も話していたいと思うほどです。おしゃべりできることも神さまのカリス(恵み)ですね。


賛美するというのは讃美歌や聖歌を歌うことだと思っていました。でも、そうではないと教えていただきました。賛美とは神さまをほめたたえることです。歌をうたわなくても賛美することはできます。

わたしは教会学校でピアノ伴奏の奉仕をしていますが、楽器を演奏することでも賛美ができます。土浦めぐみ教会の教会学校では、有り難いことに現在小学科でピアノの奉仕者が6人もいます。交替で弾くので、1ヶ月半に1度の奉仕なので楽ですが、最初の頃は大変でした。
8年くらい前、ピアノを弾く人が1人しかいなかったので、「わたしもさせていただきます」と言って練習を始めました。 練習を始めて、引き受けたことを後悔しました。

小学科で歌っている曲はほとんどハイテンポでリズムの新しい曲です。もともとリズム感の悪いわたしですので、リズムがわかりません。
録音して何10回聞いてもわかりません。同じ曲を100回くらい練習してやっと弾けても、本番では恐れのために間違えてばかり……。
やめようかと思っていたとき「子供たちが賛美しやすいように弾けばいい」と教えられ、「上手に弾いて誰かに聞かせようとしているつもりなのか? だれに対して弾くのか?」という声が聞こえ、はっとしました。ピアノを弾くとき神さまに向かって賛美していなかったのです。下手でも、少しくらい間違えても賛美できればそれでいいのだと気づかされました。

賛美できること、これも神さまのカリス(恵み)です。 


神さまから受けているカリス(恵み)を考えていると、次々出てきてきりがないほどです。 最後にいちばん大きいカリスについて書きます。

教会の若い人と話しをしていると、はっとさせられることがあります。心が純粋に神さまの方を向いているからです。
クリスチャンホームで育ち、子供の頃から聖書の教えを聞いている彼らは、素直な心で神さまと向き合っています。

わたしは、イエスさまに出会う前、ひどくひねくれていました。体が弱かったのですが、まずそのことを恨んでいました。
友達が皆勤賞をもらったりすると、その友達をねたみました。小児喘息だけでなく、扁桃腺肥大症もあり、よく熱を出しました。 流行の病気はいちばんにかかりました。

幼稚園のときから小学校低学年まで遠足に行った記憶がありません。明日が遠足だと思うと嬉しくて熱を出していたからです。
遠足に行けないとき、Nちゃんのお母さんから電話がかかってきたことを母から聞きました。
「お大事にって。Nちゃんもがっかりしているって言っていたわ」
ひねくれているわたしは
「きっとNちゃん、いい気味だって言ってるよ」
と答えたのを覚えています。

中学生のときは、
「わたしが死んだら、みんな、せいせいしたって言って喜ぶよ」
と言って祖母にひどくしかられました。

神さまの存在を知らなかったとはいえ、わたしの心はこんなにねじ曲がっていたのです。
とても神さまに祈ることも向き合うこともできない者です。でも、イエスさまの十字架によって神さまのことを「天のお父様」と呼ぶことのできる者にしていただきました。これがいちばんのカリスです。



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