心の風船1




**土曜日の昼下がり。松吉さんはいつものように散歩に出かけました。道路にはゴミが散らばり、空気は車の排気ガスでよどんでいます。
**公園の池のところまでくると、松吉さんは、はあーっと深いため息をつきました。

**半年前に奥さんを亡くした松吉さんは、住み慣れた神戸を離れ、都内の息子夫婦の家で暮らすようになりました。
**嫁の秋子さんは、近所のスーパーで働いています。毎朝八時半からでかけ、夕方まで帰ってきません。孫は高校生と中学生の男の子。兄はアルバイトで忙しく、弟は受験 生で毎日塾へ通っています。ふたりとも帰りが遅く、早寝の松吉さんとは話をする間もありません。
**松吉さんは、自分が誰からも必要とされてないと感じます。心に悲しみの詰まった風船が毎日少しずつふくらんでいくようでした。

**松吉さんがベンチに腰をおろすと、がりがりと音が聞こえてきました。みると、小学一年生くらいの男の子がスコップで一生懸命掘っています。ベンチの横にもぐらが出てきそうな穴があいていました。

「ぼうや、何を掘っとるんや?」
**声をかけると、男の子はびくっとして松吉さんを見上げました。よくみると、となりの家のつとむくんです。
「あれ、おとなりのおじいさん。こんなところ掘ってごめんなさい」
**つとむは頭を下げました。
「あやまることないで。宝物でも埋まっとるんか?」
**松吉さんは、にこにこしてたずねました。
「恐竜の化石を探しているんだ」
**つとむは、ほっとしたようすで答えました。
「でも、石があってこれ以上掘れないんだ」
**つとむはスコップを穴の中に入れ、がりがりとやっています。穴をのぞくと、大きな石が穴の底にあるのがみえました。

「別の場所を掘ってみたらどないや」
「だめだよ。この下にトリケラトプスの骨が埋まってるんだから」
「そうか…。ほな、石を掘り出してやろう」
「えっ、ほんと? うれしいな」
**つとむは目をきらきらさせて松吉さんにスコップを渡しました。松吉さんは穴を大きく広げました。石のまわりをぐるっと掘って石をつかむと、石はぐらぐら動きました。

「石を持ち上げてみるんや」
**つとむが石をつかむと、簡単に持ち上がりました。
「やったー。ありがとう、おじいさん」
**つとむは石を両手でかかえて嬉しそうに笑うと、こんどは手で掘りはじめました。
「わしも手伝おうか」
**松吉さんは腕まくりをして穴に手をつっこみました。なんだかわくわくしてきます。

「つとむくんは、恐竜が好きなのか?」
 松吉さんがたずねると、つとむはこくんと頭を下げました。
「わしも恐竜、えらい好きでなあ……」 松吉さんは子供のころ恐竜が大好きで、恐竜の絵本をぼろぼろになるまで見ていたことを思い出しました。

「へえっ! おじいさんは何が好き?ぼくは、トリケラトプスとティラノザウルス」
「わしは、体の大きいアパトサウルス」
「アパトサウルス! ぼくも好きだよ」
と、つとむがいったとき、お母さんがやってきました。
「ピアノ教室の時間よ、早く帰ってきなさい」
**つとむはがっかりした顔で立ち上がると、
「おじいさん、また一緒に掘ろうね」
といって手をふりながら帰っていきました。


 
**次の日松吉さんは、図書館に出かけました。つとむに恐竜の話しをするためです。
**小学1年生にもわかるように話すのは案外むずかしいものです。松吉さんは子供向きの恐竜の本を数冊借りて帰りました。

**部屋の窓から隣のつとむの家の玄関が見えます。今日、学校から帰ったらきてくれるというので、松吉さんは、つとむの帰りを待ちわびていました。

**つとむはいつも3時には帰るのに、今日はなかなか帰ってきません。5時になって西の空が茜色に染まっても、つとむの足音が聞こえません。
**6時ごろ子どもの泣き声が聞こえてきました。みると、つとむが泣きながらお母さんと帰ってきました。お母さんが家に入っても、つとむは家の前で泣き続けています。

松吉さんは急いで外に出ていきました。
「どないしたんや。つとむくん」
「あのね。学校の帰りに公園に寄ってきのうの穴のぞいたの……」
**つとむは、しゃくりあげながら話します。
「穴の中に白い物が見えたから恐竜の骨だと思って掘ってたんだ……発砲スチロールだったんだけど……けんたくんがきて、恐竜の骨なんかこんなところにあるわけないってバカにして笑ったんだ……」
**つとむくんの目から涙があふれてきました。

「そないなこと、気にするな」
**松吉さんがいうと、
「バカにされたから泣いてるんじゃないよ」
と、つとむはほっぺたをふくらませました。
「けんたくんとけんかになったんだ。それでぼくが押したら、けんたくんの足が穴に落ちて、けがしちゃったんだよ。急いでけんたくんのお母さんに知らせて病院にいったら、ねんざだって……。ぼくのせいだ」
**つとむはうつむいていいました。

「それはえらいことやったなあ。それでけんたくんにあやまったんか?」
「けんたくんのお母さんにあやまったら、ひどくしかられちゃった……けんたくんだって少しは悪いのに……それからお母さんにもう穴掘りはだめだっていわれちゃったんだよ」
**そういうと、つとむは声を上げて泣き出しました。松吉さんは、なんていってなぐさめたらいいかわからず、しばらくつとむの背中をなでていました。

**風がふいて、松吉さんの庭の柿の木がさわさわとゆれました。
「そや、わしの家の庭を掘ってみたらどないや。お母さんもきっとええよていってくれるで」
**松吉さんがいうと、つとむは目をかがやかせました。
「おじいさんの家の庭、掘っていいの? お母さんにきいてくる」
**つとむは家の中にかけこみ、すぐに息を切らせてもどってきました。

「掘った後、ちゃんと埋めればいいって! じゃあ、明日一緒に掘ろうね」
**つとむはにこっと笑いました。松吉さんがうなずくとつとむは空を見上げて叫びました。
「あっ、アパトサウルスだ」
**首の長い恐竜の形をした夕焼け雲が浮かんでいました。


*********************************つづく



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