心の風船2




**80歳の松吉さんと6歳のつとむは、庭で並んで穴掘りをしています。
 
****トリケラトプス プテラノドン
****ステゴザウルス ティラノザウルス
****化石、化石、恐竜の化石、出ておいで

**つとむがでたらめな節をつけて歌をうたいました。

****アパトサウルス プトロケラトプス
****サンチュゴサウルス イグアノドン

**松吉さんも歌いだしました。
「おじいさん、サンチュゴサウルスってどんな恐竜?」
「サンチュゴサウルスは、カモノハシ竜の仲間で1964年に中国の山東省で発見されたんや。体の長さが15メートル、重さは2.5トンもあるんやで」
**松吉さんは昨日図書館で借りた恐竜の本に書いてあったことを得意気に話しました。
「カモノハシ竜の仲間っていうことは、草を食べるの?」
「そうや。1日に数百キロも食べんやて」
「数百キロ?」
「自動車1台分や」 「ひょぇーっ!」
**つとむは、しりもちをつきました。

「サンチュゴサウルスは、何匹もいたんでしょ。そんなにたくさんの食べ物があったの?」
「そのころ山東省にはそてつ、しゅろ、わらびなどの植物がたくさん生えておったから、食べ物はじゅうぶんあ ったんや。でも、サンチュゴサウルスには敵がおったんや」

「もしかして、ティラノザウルス?」
「そうや。よぉわかったなあ。ティラノザウルスの骨も一緒に発見されたんや」
**ふたりが夢中で話していると、5時のチャイムが聞こえてきました。

「あっ、ぼく帰らなくちゃ。宿題があるから5時には帰ってきなさいっていわれてるんだ。それじゃ、また明日」
「また明日」
**松吉さんは、つとむの後ろ姿にむかって手をふりました。
(明日はつとむくんにどんな話をしよう)
**松吉さんはわくわくして床につきました。

**明け方のことです。松吉さんがトイレにいこうと廊下を歩いていました。考えごとをししていて、束ねた古新聞につまずいてころび、腰を打ってしまいました。
**腰はじんじんとしびれ、立ち上がろうとしても動くことさえできません。

**物音を聞きつけて息子の大輔さんとお嫁さんの秋子さんがかけつけました。
「お父さん、大丈夫ですか?」
**松吉さんはうめき声を上げただけで何もいえません。すぐに病院に運ばれました。

「おやじ、大腿骨骨折だって」
**大輔さんにいわれ、松吉さんはがっかりしました。
「しばらく安静にしていれば、必ず治るから気を落とさないで下さいね」
**秋子さんがやさしくいいましたが、松吉さんは、つとむくんと穴掘りができなくなることを思って、残念でなりません。
**松吉さんの心にある悲しみの風船がどんどんふくらんでいきました。



**松吉さんが入院して1週間たちました。
**嫁の秋子さんは毎日4時ぴったりにやってきます。7時には息子の大輔さんが会社の帰りにきます。
**土曜日には孫の和也、日曜には慎也が顔をみせます。

**病院の先生も看護師さんも、みんなよくしてくれるのに松吉さんの心は沈んでいます。
**自分の体が動けないことがもどかしく、腹がたって自分を押さえられなくなります。

「このまんまずっと入院してたらええと思っとるんやろ」
**きょうは大輔さんにどなってしまいました。
わざわざ見舞いにきてくれたのに……と自分のしたことに嫌気がさしてきます。
**それでも、次の日になると今度は秋子さんにまで「毎日見舞いに来られても迷惑や」と、心にもないことをいってしまいました。秋子さんは驚いて早々に帰っていきました。

**ひとりになると、今までの人生が思い出されます。貧しかった幼少時代。つらい奉公。海軍兵として戦地に行き、シベリア で捕虜生活。戦後の苦難を経てようやく安泰に暮らしていたら阪神大震災。家を失い仮設住宅暮らし。妻の病気と死……。つらいことばかりでした。

**窓の外をみると恐竜の形の雲が浮かんでいます。松吉さんは、つとむのことを思い出しました。
**(つとむくんが見舞いに来てくれたらいいのになあ……いや、来るわけないな。子供のことだ、わしのことなどもう忘れたやろな)
**松吉さんの悲しみの風船は、破裂しそうです。

「ありがとよ。ありがとよ」
**隣のベッドの正吾さんの声が聞こえてきました。正吾さんはリュウマチで足が不自由です。見舞いにくる人もなく、1週間に1度娘さんが洗濯物を取りにくるだけです。

「お父さん、毎日着替えないで下さいね。洗濯物が増えて大変なんだから」
**娘さんの声が聞こえてきます。
「わかったよ。すまんなあ」
**娘さんは、そっけなく帰ってしまいました。
**松吉さんは、正吾さんがいちども怒ったり愚痴をいったりしないのを不思議に思いました。もし自分が娘にあんなふうにいわれたら、どなりつけてやるのに……。

「あんなこといわれて、つらくないんか?」
**松吉さんは正吾さんに聞いてみました。
「きてくれるだけありがたいと思っているよ。つらいなんて思ったことがないなあ……」
**正吾さんは穏やかにほほえみました。
「なんでそないに穏やかでいはるんや?」
「わしの心に喜びの風船があるからだよ。悲しみや怒りの風船も前にはあったけど、喜びの風船が大きくなってきて、ほかの風船がふくらむすきまがなくなったみたいなんだ」

**(喜びの風船……。どないしたら喜びの風船がふくらむのやろか?)

  **そのとき病室のドアがあいて、かわいい声が聞こえてきました。
「こんにちは、おじいさん」
**つとむがお母さんとやってきたのです。
「ぼく、ずっと風邪ひいてたの。もっと早くお見舞いに来たかったんだけど……」
つとむは松吉さんの手に折り紙をのせました。何度も折り目がついてくしゃくしゃになっていましたが恐竜の形をしていました。
「これ、サンチュゴサウルスだよ」
「ありがとう、つとむくん」

**松吉さんの心の中に喜びの風船がふくらみはじめていました。

**********-************おわり 



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