でんでんむしのよろこび(2)




とうとう丘のてっぺんのポプラの木の前まできました。ポプラは天に届くほど高くそびえていて、その根っこはしっかりと大地に張りだしていました。 根っこと地面のすき間にある穴をみつけ、のぞいてみました。中は真っ暗で何もみえません。体を前に乗り出すと、体がコロコロころがって穴に落ちてしまいました。

「よくきたね」
耳元でおだやかな声がしました。うす暗くてよくみえませんが、すぐそばに大きなでんでんむしがいることがわかりました。

「あなたは、もしかしてジョイジョイさん?」
「そうだよ。わたしに何か用かね?」
「ぼくのカラにあるかなしみをなくしていただきたいんです」
「生まれてからいままで、かなしかったことをひとつひとつ思い出してごらん」
ジョイジョイさんは目を伸ばすと、ぼんやりくんの顔をのぞきこんでいいました。

ぼんやりくんという名前をつけられ、その名前がいやだったこと。考えごとをしていたら、母さんの背中からすべり落ちてしまったこと。母さんと兄弟は自分がすべり落ちたことに気づかずにどこかへいってしまったこと。ひとりぼっちになってかなしかったこと。

かなしみがどんどん増えていって、カラが重くてたまらなくなったことを一気に話しました。ぼんやりくんが一度にこんなに話したのははじめてでした。 ポタッ、ポタッと上からなまあたたかいものが落ちてきたので、ぼんやりくんは驚いて見上げました。ジョイジョイさんの目から大粒の涙がこぼれ落ちていたのです。

「ううっ、ううっ」
ジョイジョイさんは声を上げて泣きだしました。
「ジョイジョイさん、どうしたの。どうして泣いてるの?」
「きみのかなしみを思ったら、泣かずにはいられなくなった……」
ジョイジョイさんは、ぼんやりくんに近づき、やわらかい体で包みこみました。ぼんやりくんは、ジョイジョイさんに抱きしめられてかなしみがとけていくような気がしました。

「ぼんやりくんって、いい名前じゃないか」
しばらくしてジョイジョイさんがいいました。

「よくないよ。いつもぼんやりしているってことだもの……」
「色んなこと考えているってことだろう。色んなことを感じたり、不思議だなって思ったりするのは大切なことなんだよ」
「でも、ぼんやりしてたから母さんの背中から落ちゃって……だれもぼくがいなくなったことに気づかなかったんだ……」
「でも、わたしは知っていたよ。きみがひとりぼっちになって、かなしんでいたことを」
「えっ。ジョイジョイさんと会ったのは、今日が初めてなのになぜ?」
 ジョイジョイさんはそれには答えずに、もっと強くぼんやりくんを抱きしめました。

そのとき、ぼんやりくんは体が軽くなったように感じました。まるで背中のカラが消えてしまったようです。

「ぼく、どうしちゃったんだろう。体が軽くて空をとべるみたいだ」
「きみのカラの色が変わったからだよ。外に出て水たまりに映してごらん」
ジョイジョイさんにいわれ、ぼんやりくんは外へ出ました。雨上がりの空はすみきって、世界が新しくなったように輝いています。

ぼんやりくんは、水たまりに自分のすがたを映すと「あっ」と声を上げました。おひさまと同じような色になっていたのです。なぜかうれしくてたまらなくなりました。 「ワーイ、ありがとう、ジョイジョイさん。ぼくのカラにはもうかなしみが入っていないんだよ!」
大きな声で叫ぶと、軽くなったカラを勢いよく上下させ、踊るようにして降りていきました。
坂の下におしゃべりさんが待っていました。
「お帰りなさい。ジョイジョイさんに会えたのね」
「ありがとう。見てよ。こんなすてきなカラになった。きみが教えてくれたおかげだよ」

  ぼんやりくんは、おしゃべりさんといっしょに丘のふもとで暮らすようになりました。

2匹が出会うでんでんむしにジョイジョイさんのことを話して聞かせると、みんな丘をのぼっていきました。大勢のでんでんむしが通ったので丘まで続く道に銀色の筋ができました。

それから何年もたちました。ぼんやりくんとおしゃべりさんに赤ちゃんが生まれ、30匹の大家族になっていました。家族で葉っぱに乗って朝ごはんを食べていると、10匹のでんでんむしが向こうから一列に並んでやってきました。みんな、カラが重そうにフーフーいいながら歩いていました。

「かなしみをよろびにかえてくれるでんでんむしが住んでいる丘はあそこでしょうか?」
先頭のでんでんむしがたずねました。聞き覚えのある声です。
ぼんやりくんの胸がドクンとしました。

(ああ、この声はずっと会いたいと思っていた母さんの声!)
「母さん!」
ぼんやりくんは、葉っぱの上から急いでおりると母さんに近づきました。

「ぼんやりくんなの?」
 母さんは目を伸ばし、不思議そうにぼんやりくんのカラをながめています。
「そうだよ。ジョイジョイさんに出会ってよろこびをもらったから、カラがこんなに明るい色になったんだ」
ぼんやりくんがいうと、兄弟たちがぼんやりくんを取り囲みました。
「ぼんやりくん!」
「ぼんやりくんなんだね」
「会いたかったよ」
ぼんやりくんは、母さんと兄弟におしゃべりさんを紹介しました。その後で母さんと兄弟たちが鳥につかまって遠くの森へ連れていかれたことを聞きました。

「ぼんやりくんは今ごろどうしているかなっていつも思っていたわ。元気でよかった」
母さんが涙を流しました。
「そうだったのか……ぼく、忘れられちゃったのかと思ってた……」
「忘れるわけないだろ」
せっかちくんが角でぼんやりくんをチョンとつつきました。

「わたしたち、かなしみをよろこびにかえてくれるでんでんむしがいるといううわさを聞いてここまで旅をしてきたの」
母さんがいうと、おしゃべりさんがニッコリほほえみました。
「そのでんでんむしのいる場所はあの丘の上ですよ」
「ありがとう。いってきます」
母さんと兄弟たちは、丘にのぼっていきました。

しばらくして母さんたちは喜びあふれて丘から降りてきました。 みんなのカラが、みちがえるほど明るい色になっています。 「お帰りなさい」 「よかったね」 母さんと兄弟たちは、ぼんやりくん家族といっしょに暮らすようになりました。


  何年もたって、お母さんは年をとって死んでしまいました。ぼんやりくんは、かなしくてかなしくて何日も泣いていました。背中が重くて、歩くのさえつらくなり、地面の上でじっとしていました。

「あなた、カラの色が灰色になっているわ」
おしゃべりさんにいわれて水たまりに映してみると、カラがいつの間にかくすんだ灰色になっています。

年をとればだれでも死ぬ。そんなことはずっと前からわかっていたことでした。でも、母さんが死んでから、いつかは兄弟たちもおしゃべりさんも自分も死んでしまうと思うとかなしくてたまらなくないのです。

「ぼくのカラによろこびがなくなっちゃったみたいだよ……」
ぼんやりくんの目から涙がポタポタ落ちました。
「もういちどジョイジョイさんのところへいってみたら?」
「う、うーん」
「さあ、早く早く」
 おしゃべりさんにせかされて、ぼんやりくんは重い足取りで丘をのぼっていきました。

ぼんやりくんはの上につくとポプラの木の根っこの穴をのぞきました。穴にはジョイジョイさんの姿がありません。穴から一匹のクモがはい出してきました。

「クモくん。ここに大きなでんでんむしがいなかったかい?」
「穴の中にはだれもいないよ。ついてきなよ」
クモはポプラの木の後ろにまわりました。そこには小山がありました。西日が小山を照らしたとき、ぼんやりくんはあっと声を上げました。

小山と思ったのは、たくさんのでんでんむしのカラが積み上げられたものでした。カラのひとつは、黒くて傷がついていました。ぼんやりくんが前にジョイジョイさんのところにきたとき背負っていたカラとそっくりです。

「これはいったい何?」
「でんむしだよ。背中のカラが増えるたび、苦しんでいたよ」
 クモが八本の足を曲げ伸ばしして答えました。
「えっ、もしかして、ジョイジョイさん?」
ぼんやりくんは、胸がズキンと痛みました。

「ジョイジョイさんは、ぼくたちのかなしみの詰まったカラを背負ってくれていたんだ……。ごめんなさい。ぼくがジョイジョイさんのところへいったのがいけなかったんだ……」
 ぼんやりくんは小山の前で頭を下げました。

「ちがう……よ」
耳元でなつかしい声がしました。とぎれとぎれでしたが、たしかにジョイジョイさんの声でした。

「泣かなくていい……。わたしは……、きみたちのかなしみを背負うために……いるのだから」
 のっそりと小山が動きました。小山の下からジョイジョイさんの体が出てきました。半分つぶれてゆがんだ体です。ハアハアと苦しそうに息をして、ようやくのことで保っていました。

 小山のてっぺんに新しい灰色のカラが乗りました。そのとき、バタリと小山が横倒しになってしまいました。

「ジョイジョイさん!」
ぼんやりくんが近寄ろうとすると、ジョイジョイさんの体はシュルシュルと溶けてみえなくなってしまいました。

冷たい風が丘を吹き抜け、ポプラの葉がザワザワとゆれました。

ぼんやりくんが泣きながらみつめていると、横倒しになった小山がひかりはじめました。光はだんだん強くなって、まぶしくて目を開けていられなくなりました。

しばらくして光が弱まり、そっと目を開けると小山は消えていました。かわりにジョイジョイさんの元気そうな顔がありました。ジョイジョイさんのカラは、小さくて真っ白です。

ぼんやりくんはジョイジョイさんにしがみついて涙でぐしゃぐしゃになった顔を押しつけました。
「もう泣かなくていい。かなしみはなくなったのだから。わたしは、いつもお前といっしょにいるよ。死んだ後もね」

ぼんやりくんの心に新しいよろこびがわいてきました。

カラの色は前よりも明るい色になり、重さはまったく感じられませんでした。




    
おわり
  


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