でんでんむしのよろこび(1)




しめった土の上に落ち葉がパッチワークのように並んでいます。落ち葉の下から小さな生きものが次々と顔を出しました。出てきたのは生まれたばかりのでんでんむしです。体の長さは二ミリほどですが、みんなうず巻きのカラを背負っていました。

でんでんむしは一列になってゆっくり歩きはじめました。

「さあ、背中にお乗りなさい」
母さんのやさしい声がしました。
「ごちそうのあるところへ連れていってあげましょう」
でんでんむしたちは競って母さんの背中によじのぼりました。

いちばん最後にのぼったでんでんむしは、てっぺんにつくと「ふうっ」と息をはきました。
目を伸ばしてぐるりとあたりをながめると、葉っぱが日の光に当たってキラキラしています。目を上に向けると、青い空が広がり、レースのような白い雲が形を変えながら静かに流れています。

「世界って、なんてきれいなんだろう!」
でんでんむしはうっとりして、目に映る景色をながめていました。

シャクシャクシャク
シャリシャリシャリ
音が聞こえてきました。でんでんむしの兄弟たちは母さんの体から葉っぱに乗り移って、葉っぱを食べていました。

でんでんむしも急いで乗り移って食べました。なんておいしいのでしょう。葉っぱの汁が体中をめぐって、力があふれてきました。

おなかがいっぱいになると、でんでんむしの子どもたちは、母さんのカラの上に乗って移動しました。

夜になると母さんは、心地よさそうな場所にもぐりこみました。そこはやわらかい草の中でした。

兄弟たちは母さんの背中からすべり降りると、草の中にもぐっていきました。

一匹だけ母さんの背中にまだ乗っているでんでんむしがいました。いちばん最後に葉っぱを食べたでんでんむしでした。

「ぼんやりくんもおいでよ」
でんでんむしの兄弟がいいました。
「ぼんやりくん?」
「きみの名前だよ。ぼくは、せっかちくん」
「ぼくは、くいしんぼう」
「わたしは、泣き虫さん」
 でんでんむしたちは、それぞれの性格にあった名前で呼び合っていました。

(ぼんやりくんだなんて、いやな名前だな)と、でんでんむしは思いました。でも、みんながぼんやりくんと呼ぶのでしかたなく返事をしました。

ある日のこと、ぼんやりくんは母さんの背中の上で考えていました。

(こんなきれいな世界はどうしてできたんだろう。ぼくはどうして生まれてきたんだろう。ぼくは、鳥でもミミズでもナメクジでもなくて、どうしてでんでんむしなんだろう……)

ぼんやりくんが考え事をしているときは、だれの声も耳に入りません。
母さんが「さあみんな、しっかりつかまって。歩きますよ」という声も聞こえませんでした。

ぼんやりくんは、母さんが動いた拍子に背中からコロコロころがって、地面に落ちてしまいました。

母さんも、兄弟たちも、ぼんやりくんが落ちたことに気づきません。母さんは、どんどん道を進んでいってしまいました。

ぼんやりくんは、母さんが気づいてもどってきてくれると思い、じっとその場所で待っていました。でも、いつまでたっても母さん姿は現れません。

背中のカラを地面に打ちつけたのでズキズキ痛みました。日が照ってきたので、ぼんやりくんは道のわきのみぞにもぐりこんで母さんを待ちました。いつまでたっても母さんはもどってきませんでした。



でんでんむしの母さんは、ぼんやりくんが落ちたことを知らずにおいしい葉っぱのあるところを探して歩いていました。

一瞬、日がかげったと思うと、空から大きな白い鳥が急降下してきました。母さんは兄弟たちを背中に乗せたまま鳥のくちばしにつかまえられてしまいました。

「こわいよー」
「助けて」
兄弟たちは泣き叫びます。

「とびおりなさい!」
母さんが叫びましたが、地面は遠く、とてもとびおりる勇気はありません。兄弟たちは必死に母さんにしがみついていました。

もう一羽、真っ黒い鳥が近づいてきました。母さんをねらっているようです。

ギャー
白い鳥が叫び声を上げました。そのとたん、母さんは子どもたちを背中に乗せたまま落ちていきました。森の木の葉がやさしく母さんを受け止めたので、だれもけがをしないですみました。

ほっとひと息ついたとき、母さんはぼんやりくんがいないことに初めて気づきました。どこで落ちたのかわかりません。それにさっきいた場所からあまりにも遠くへきてしまったので、もどることもできません。

そんなこと知らないぼんやりくんは、自分のことを忘れられてしまったのだと思って、しょんぼりしました。

ひとりぼっちになったぼんやりくんは、土や葉っぱを食べてどんどん大きくなりました。背中のカラがだんだん重くなって歩くのもおっくうになってきました。

(ぼくの背中のカラの中には何が入っているんだろう……)
ふと、ぼんやりくんは考えました。

向こうでだんご虫の親子が楽しそうに歩いているのがみえました。すると、急に涙があふれてきました。

(かなしみだ。ぼくのカラの中にはかなしみが入っているんだ)

そう気づいたぼんやりくんは、水たまりに自分の姿を映してみました。母さんの背中から落ちたときについたのでしょうか、ひび割れた傷のあるカラは、真っ黒でいかにもかなしみが入っているようにみえました。

(ほかのでんでんむしのカラには何が入っているんだろう?)

そう思ったとき、むこうから青いカラのでんでんむしがやってきました。

「こんにちは。でんでんむしくん、きみのカラには何が入っているの?」
「かなしみだよ」
青いでんでんむしはうつむいて答えました。

ぼんやりくんは、木陰にいた緑のでんでんむしにもたずねました。

「きみのカラには何が入っているの?」
「かなしみよ」
でんでんむしはみな同じように答えました。

(そうか……でんでんむしはかなしみを背負って歩く生きものなんだ。ぼくだけじゃないんだ……。がまんするしかないか……)

ぼんやりくんは、少し安心しましたが、日ごとにからが重くなっていくので、つらくてたまりません。

ある晴れた日、ぼんやりくんは、目のさめるようなきれいなからをもったでんでんむしに出会いました。

そのでんでんむしのカラは、さくら色をしていました。カラに日の光が当たるとぱっと花が咲いたようにみえました。

「なんてきれいなんだろう」
ぼんやりくんは目を長くのばし、しばらくみとれていました。

「こんにちは。わたしの名前はおしゃべりさん。あなたは?」
さくら色のでんでんむしがいいました。

「こ、こんにちは。ぼくはぼんやりくん」
「なんてすてきに晴れたお天気なんでしょう。空がすみきっていてとってもきれい!」
おしゃべりさんは嬉しそうにいいました。

「すてきに晴れたお天気だって!」
ぼんやりくんはびっくりして大きな声を上げました。
雨の日ならすてきといえるかもしれません。けれども、でんでんむしにとって晴れの日は最高に気分の悪い日でした。

「きみは雨の日より、晴れの日が好きなの?」
思わずたずねると、
「雨の日はもっと好きよ。だってお水がたくさん飲めるんですもの」
おしゃべりさんは、クスッと笑いました。
 ぼんやりくんは、でんでんむしが笑ったのをはじめてみました。

「きみのからにはかなしみが入ってないの?」
「わたしのカラには、よろこびが入っているのよ」
「よろこびが入っているだって! だから、きみのカラの色はそんなに明るいんだね」
「あなたのカラには何が入っているの?」
「ぼくのカラにはかなしみがいっぱいつまっていて、重くって重くって押しつぶされそうだよ……」
ぼんやりくんは、苦しそうに口をゆがめました。

「わたしのカラにも前はかなしみが入っていたのよ」
「ええっ!」
ぼんやりくんは、おどろいて目をくるりと回しました。

「ジョイジョイさんとお話ししたら、かなしみがなくなって、代わりによろこびが入ってきたの」
「ジョイジョイさん?」
「おじいさんのでんでんむしよ。ジョイジョイさんは、丘のてっぺんにあるポプラの木の根っこの下に住んでいるの。ぜひいってみなさいよ」
おしゃべりさんはひょいと頭を持ち上げて、つのを右に曲げました。

その方向をみると、丘がみえました。丘のてっぺんに一本の木が生えていました。

「ありがとう。ぼく、ジョイジョイさんのところへいってみるよ」
 ぼんやりくんは、おしゃべりさんのいうことが本当なら、どんなにいいだろうと思いながら丘に続く道を歩きはじめました。

出かけたときは曇っていたのにしばらくするとカンカンと日が照りつけてきました。のどがカラカラになりました。水をもとめて草の中を歩きました。何日も雨が降っていなかったので草もパサパサに乾いています。ぼんやりくんは、カラにとじこもりました。体の水分がほとんどなくなってしまったので、歩けなくなってしまいました。

(ああ、ぼくはかなしみをかかえたまま死んでしまうのだろうか……)
うつらうつらしていると、地面を何かかがたたいているような音が聞こえてきました。水のにおいがします。

カラの中から体を出すと、体中に冷たいシャワーがかかりました。

「バンザーイ、雨だ!」
ぼんやりくんは思いきり口を開けて雨水をゴクゴク飲みました。葉っぱを食べ、おなかもいっぱいになると元気が出てきて、再び丘をのぼりはじめました。




    
つづく
  


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