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談山神社は、「たんざん」か「だんざん」か?


                                                     2015年5月11日 柴田昭彦 新規作成
                                                  2015年5月19日 一部修正
                                                2015年6月3日 一部追加(加藤勝について)



 平成20年(2008年)11月23日、紅葉真っ盛りの談山神社に出かけてみた。そのことを同僚に「だんざん神社」へ行ってきたと話した際に、不思議な反応が返ってきて、面食らったことがある。「だんざんじんじゃ~?」と強調して言うのである。

 私自身は、「談山神社」のことを、角川書店の日本地名大辞典(奈良県)で調べて、
呼び方も「だんざんじんじゃ」であると認識していたので、「はて、何のことだろう?」と、理由を直接言われなかっただけに、理解できずにいたのだった。

 その後、テレビのニュースで、
談山神社で恒例行事として行われる「けまり祭」のときに、「たんざんじんじゃ」と報道されていることに気づいたのだった(4月29日が「春のけまり祭」、11月3日が「けまり祭」)。

 「そうか、あの反応は、<だんざん>ではなく<たんざん>が正しい呼び方だからなのか」と納得するに至ったのであった。

 それでも、「神社辞典」(東京堂出版)には明確に「だんざんじんじゃ」とあるし、「広辞苑」にも立項されているのは「だんざんじんじゃ」であって、注記に(タンザンとも)とあって、なるほど、と思いつつも、あくまでも、主は「だんざん」である。なぜなのだろうか?

 網干善教「大和の古代寺院跡をめぐる」(学生社)には、「(関西の人は『ダンザン』と読み、関東の人は『タンザン』と発音する)。」とあって、何となく理解できるような気もしたが、真実かどうかは、よくわからない(実際のところ、正しくないようである)。

 そこで、当時に思い立って、神社の社務所に問い合わせてみたところ、佐古良男氏から「だんざんじんじゃ」では濁音が二カ所になるので、「だん」を清音の「たん」にしたのではないか、要するに発音したときの語感の問題ではないでしょうか、という返答でした。この返答でも、納得のできるような回答は示されず、私自身、「たんざん」か「だんざん」か、常に、もやもやした気持ちのままであった。

 以下のエッセイは、筆者が『新ハイキング別冊 関西の山』105号(平成21年3月1日発行、新ハイキング社)に公表したものである。



 平成27年(2015年)3月に、この疑問(「たんざん」か「だんざん」か)が再び気になり、絵葉書などの資料集めを行った。とりわけ、疑問が沸き起こったのは、戦前の絵葉書には、すべてが、DANZAN(Danzan)であり、大正・昭和期の文献資料はほとんどすべてが「だんざん」であること(ごく一部に「たんざん」という資料もある)、平成期になると、主要な文献が「たんざん」に統一されているという事実に直面することになった。

 つまり、昭和末期ごろまでは「だんざん」が主流であったのが、昭和末期以降は「たんざん」に変更されて現在に至っているのである。

 辞典類や各種文献において、どのように呼んできたのか、一覧表にすると、次の通りである。

著者 文献名(書名、雑誌名) ページ 発行者 発行年 談山の読み方 神社の読み方
奈良県(著) 大和志料 下巻 149 奈良県教育会 大正4 ★タムサン・タムノミネ
鉄道省 日本案内記 近畿篇 下 294 博文館 昭和8 だんざん じんじや
鉄道省 日本案内記 近畿篇 下 索引22 博文館 昭和8 ダンザン ジンジヤ
鉄道省 改版 日本案内記 近畿篇 下 203 博文館 昭和15 ★たんざん
鉄道省 改版 日本案内記 近畿篇 下 索引13 博文館 昭和15 ★タンザン ★ジンシヤ
運輸省観光部(監修)
観光事業研究会(編集)
日本案内記 近畿篇 下 索引12 日本交通公社 昭和25 ダンザン ジンジヤ
下中弥三郎(編輯) 大百科事典 第八巻(執筆:田邊泰) 1236~7 平凡社 昭和7 ダンザン ★ジンシャ
下中弥三郎(編輯) 大百科事典 第十六巻第二冊(執筆:田邊泰) 616~7 平凡社 昭和13 ダンザン ★ジンシャ
下中弥三郎(編集) 世界大百科事典19 (執筆:武田政一) 2~3 平凡社 昭和32 だんざん じんじゃ
下中邦彦(編集) 世界大百科事典14 (執筆:武田政一) 555 平凡社 昭和41 だんざん(<たんざん>とも) じんじゃ
下中邦彦(編集) 世界大百科事典19 (執筆:武田政一) 508 平凡社 昭和47 だんざん(<たんざん>とも) じんじゃ
下中邦彦(編集) 世界大百科事典9 (執筆:鎌田純一) 480 平凡社 昭和60 ★たんざん じんじゃ
下中邦彦(編集) 世界大百科事典17 (執筆:鎌田純一) 480 平凡社 平成17 ★たんざん じんじゃ
新村出(編) 広辞苑(第一版) 1362~3 岩波書店 昭和30 ★たんざん ★じんしゃ
新村出(編) 広辞苑(第一版) 1527 岩波書店 昭和30 だんざん  
新村出(昭和42年没)(編) 広辞苑(第二版) 1410 岩波書店 昭和44 だんざん じんじゃ
新村出(編) 広辞苑(第二版) 1577 岩波書店 昭和44 だんざん
新村出(編) 広辞苑(第三版) 1526 岩波書店 昭和58 だんざん(タンザンとも) じんじゃ
新村出(編) 広辞苑(第三版) 1705 岩波書店 昭和58 だんざん
新村出(編) 広辞苑(第四版) 1628 岩波書店 平成3 だんざん(タンザンとも) じんじゃ
新村出(編) 広辞苑(第四版) 1819 岩波書店 平成3 だんざん
新村出(編) 広辞苑(第五版) 1690 岩波書店 平成10 だんざん(タンザンとも) じんじゃ
新村出(編) 広辞苑(第五版) 1890 岩波書店 平成10 だんざん
新村出(編) 広辞苑(第六版) 1773 岩波書店 平成20 だんざん(タンザンとも) じんじゃ
新村出(編) 広辞苑(第六版) 1984 岩波書店 平成20 だんざん
岩崎吉勝(編著) 関西之日光 多武峰案内 収録写真 勝村清一郎 大正11 Danzan Shrine
談山神社社務所 関西の日光 多武峯名所案内 文中 談山神社社務所 大正15 だんざん ★じんしや
戦前の談山神社の絵葉書(多数) 戦前 Danzan Shrine
談山神社・加藤勝(編集) 多武峯 (大和談山神社蔵版) 談山神社・加藤勝 昭和期 だんざん
談山神社・加藤勝(編集) 多武峯  談山神社宝印 談山神社・加藤勝 平成期 ★たんざん じんじゃ
矢部善三著・千葉琢穂編著 諸神 神名祭神辞典 472 展望社 平成3 ★たむやま
 
著者 文献名(書名、雑誌名) ページ 発行者 発行年 談山の読み方 神社の読み方
三浦譲(編纂) 全国神社名鑑<下巻> 217 全国神社名鑑刊行会
史学センター
昭和52 だんざん
下中邦彦(編集) 国民百科事典 9 (執筆:岡田精司) 28 平凡社 昭和53 だんざん(<たんざん>とも) じんじゃ
菅居正史(執筆) 「談山神社」(白井永二他編「神社辞典」所収) 224~5 東京堂出版 昭和54 だんざん じんじゃ
日外アソシエーツ(編) 神社・寺院名よみかた辞典 263 日外アソシエーツ 平成1 だんざん じんじゃ
竹内理三(編) 角川日本地名大辞典29 奈良県 702 角川書店 平成2 だんざん じんじゃ
フランク・B・ギブニー(編集) ブリタニカ国際大百科事典4 
小項目事典(第2版改訂)
252 TBSブリタニカ 平成5 だんざん じんじゃ
金田一春彦他(監修) 新世紀ビジュアル大辞典 1574 学習研究社 平成10 だんざん じんじゃ
 
著者 文献名(書名、雑誌名) ページ 発行者 発行年 談山の読み方 神社の読み方
下中邦彦(編集) アポロ百科事典 2 (執筆:鎌田純一) 1219 平凡社 昭和45 たんざん じんじゃ
日本歴史地名大系 第30巻 奈良県の地名 410 平凡社 昭和56 たんざん じんじゃ
中村之仁(著) 談山神社物語ー飛鳥時代の人物史話ー 内表紙他 日本書院 昭和57 たんざん じんじゃ
近畿日本鉄道・近畿文化会(編) 長谷・多武峰(近畿日本ブックス11) 53 綜芸舎 昭和61 たんざん
山田隆造(写真) 古田実「談山神社とその周辺」(『多武峯』所収) 66 綜文館 平成4 たんざん じんじゃ
國學院大學日本文化研究所(編) 神道事典 653 弘文堂 平成6 たんざん じんじゃ
猪口邦子他(監修) 大事典 NAVIX 1629 講談社 平成9 たんざん じんじゃ
株式会社ワークス(編集) 郷土資料事典29 奈良県 151 ゼンリン 平成9 たんざん
平凡社地方資料センター 大和・紀伊寺院神社大事典 543 平凡社 平成9 たんざん じんじゃ
星山晋也(執筆) 「談山神社」(週刊朝日百科 日本の国宝009) 4-273 朝日新聞社 平成9 たんざん じんじゃ
大島建彦他編 日本の神仏の辞典 832 大修館書店 平成13 たんざん じんじゃ
談山神社(編) 大和多武峯紀行●談山神社の歴史と文学散歩●
第二版(執筆:長岡 千尋(ながおか せんじ))
32 綜文館 平成13 たんざん
「談山神社と吉野の古社」(週刊神社紀行20) 学習研究社 平成15 たんざん
薗田稔他(編集) 神道史大辞典 667 吉川弘文館 平成16 たんざん じんじゃ
網干善教(著) 大和の古代寺院跡をめぐる 163 学生社 平成18 ダンザン(関西の人の読み)
タンザン(関東の人の発音)
池田末則(編) 奈良の地名由来辞典 195 東京堂出版 平成20 たんざん
根津多喜子(著) 多武峯 談山神社の四季(根津多喜子写真集) 表紙他 東方出版 平成20 Tanzan Jinja
志村有弘他編 社寺縁起伝説辞典 319 戎光祥出版 平成21 たんざん じんじゃ
山折哲雄(監修)・槇野修(著) 奈良の寺社150を歩く 299 PHP研究所 平成22 たんざん じんじゃ



平成27年3月に、談山神社に問い合わせてみたところ、長岡宮司より、次のような丁寧な返信メールをいただくことができ、疑問がすべて氷解することになった。

2015/04/05 () 15:02 談山神社 <info@tanzan.or.jp>

社号について

「談」を「ダン」と濁って読むか「タン」と澄んで読むかについてですが、諸説あるためいずれが正しいかは、判断の難しいところです。

現在のように「タンザン ジンジャ」とはっきり読ませるようになったのは、今から二代目前の佐藤宮司からです。(昭和59年、近江神宮権宮司より就任)

佐藤宮司は全国のメディアにも、「ダン」ではなく「タン」であることを徹底しました。

佐藤宮司の根拠としては、『日本書紀』に「田身嶺(たむのみね)」【本文に“太務”と訓を示している】と、『万葉集』に「多武山(たむのやま)」とあるためです。

この説から言えば明らかに、「タ」は濁りません。学者宮司であった佐藤宮司のこだわりもあったようです。

(※語源的に言えば「タム」は「湾曲」です。和歌では「らむ」【助動詞】を「らん」と発音しますから、「タム」が「タン」と発音されることもありましょう。)

また、江戸時代の古文書(刊本『談山神社文書』名著出版)には、「譚山本社造営記」や「譚山大明神遷宮記」という記述があり、これらも明らかに「タン」と読ませています。

古文書では現在の本殿のことを「大織冠社」、「多武峰社」、「聖霊院」と呼ぶのが普通です。

「談山」は「談山学頭」「談山社堂」などがまれに散見されるものの、「談」を「ダン」と呼んだかどうかの確証はありません。

しかし、鎌足公のもうひとつの神号「談峯大権現」は、私たちが教えを受けた戦前からの神職によれば、「ダンポウダイゴンゲン」と発音されていたといいます。

漢音では「談」は「覃」、すなわち「タン」と読ませております。

当社には明治以前に社僧、すなわち神仏に奉仕する僧侶がたくさんおり、彼らは非常に高級な学問を身に付けていました。

日本の禅宗の発祥地といわれることもあり、その他にもあらゆる宗派の僧侶たちが各子院に住み学問をしておりました。

そこで中国の複雑な発音も学ばれていたでしょう。その周辺から、「談」を「タン」と読む習慣ができたかもしれません。

明治以後の神社制度で、国の方針によって読み方を「ダン」に固定したと考えてよいと思います。佐藤宮司は資料のうえから、「タン」読みのほうを重視したようです。

そのようなことで、「ダン」と「タン」の読みのいずれが正しいかは、即答できません。

最後に、先代の宮司も「タン」と読ませることに抵抗はなかったようで、結局三十年あまり「タン」で統一されてきました。

現在の宮司である私も、この読み方を踏襲しています。

談山神社宮司 長岡千尋



(筆者補記)

談山神社の宮司について     参考:神社シリーズ「談山神社」(平成7年)、大和多武峯紀行(平成13年)ほか

◎加藤 勝  元・談山神社宮司 
         ※木内武男編『日本の古印』(二玄社、1964年発行、1965年再版)の156~8頁に次の論文を掲載している。
           加藤勝「談山神社所蔵信印の奉斎(保管)及び捺印の儀式に就て」
           この本の奥付に「加藤 勝 談山神社宮司 桜井市多武峰」とある。

◎佐藤宇祐 (さとう ひろよし) 大正12年(1923)新潟県生まれ。二代前の宮司。近江神宮権宮司を経て、昭和59年就任。神社本庁参与。

◎川南 勝 (かわなみ まさる) 先代の宮司。橿原神宮禰宜を経て、平成7~9年ごろ、宮司に就任。神社本庁参与。

◎長岡 千尋 (ながおか せんじ) 徳島県生まれ。談山神社には昭和59年から奉職し、平成22年4月、宮司に就任。神社本庁参与。61歳。




すなわち、談山神社では、昭和59年以降、佐藤宮司による見解によって、呼び方を「たんざんじんじゃ」に統一したわけである。

ただし、その根拠は確固たるものではないので、「だんざんじんじゃ」である余地も残されている。実際、そう呼ぶ人も多いのである。

神社における一貫性という見地から、現在では、無用の混乱を招かないため、「たんざんじんじゃ」を公称として採用しているのである。

また、神社自身が、大正・昭和時代には、「だんざんじんじゃ」と呼びならわした時代があり、そのこと自体を否定するものでもない。

まとめとして、公称は「たんざんじんじゃ」で統一しているが、「だんざんじんじゃ」という呼び方も広く使用されてきており、その呼び方を間違いとして否定するものでもない、ということになるだろう。

結論・・・公称「たんざんじんじゃ」、通称(俗称)「だんざんじんじゃ」なのである。


<参考資料>

岩崎吉勝(編著)「関西之日光 多武峰案内」(勝村清一郎発行、大正11年) 右は、28頁の次頁に挿入された写真。
(※)この案内に挿入された写真の注記すべてが、Danzanの表記となっている。


「関西の日光  多武峯名所案内」(談山神社社務所、大正15年ごろ) 社名のルビに「だんざんじんしや」とある。

社務所の発行であるから、大正15年当時、談山神社自身が、「だんざんじんしゃ」と呼びならわしていたことが明白である。





(※)戦前の絵葉書より。
   多数発行された戦前の絵葉書で、ローマ字表記があるものは、私の知る限りでは、100%がDanzan(DANZAN)の表記である。




(※)戦後のものと思われる絵葉書の収納袋の表。明瞭にDANZANとある。おそらく、昭和後期のものだろう。
   その中に入っている写真はカラーである。



戦後、昭和期に談山神社(編集兼発行者は談山神社、加藤勝)が発行していた小冊子「多武峯」(本文25頁)には「だんざん」とある。
(縦15.2センチ、横10.7センチ)


下のものは、上の小冊子のサイズを2倍(縦21センチ、横14.8センチ)にして発行した改訂版の「多武峯」(編集兼発行者は談山神社、加藤勝)
宝印に、「たんざんじんじゃ」とあるので、昭和59年以降、おそらく、平成期に発行されたものだろう(本文32頁、談山神社版)。
表紙のイラストが一部、同じ部分を掲載していることがわかる。「多武峯」という表題文字は共通していて、同一である。