奇門遁甲の原点中の原点とされるのがこの『煙波釣叟歌』なる文献です。本文は詩歌で構成されているので、高校や大學で習う漢文などの中国独特の文化の世界をも髣髴とさせるような思いにかられます。奇門遁甲原書とされる文献の多くがこの煙波釣叟歌について触れておりそれについての校訂や解釈を述べられているものもあります。どうやらこの詩歌の解釈に奇門遁甲の真髄が隠されているようです。ここでは煙波釣叟歌の訳を載せるつもりでしたが私のような素人訳を載せても意味がないと思い、煙波釣叟歌の概略や簡単な内容、そして私の考察を述べてみたいと思います。 |
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●煙波釣叟歌とは●
この煙波釣叟歌は宋の時代の趙晋という人物が創ったまたは編纂したとされております。 奇門遁甲理論の聖典と呼ぶ方もおられるくらいなので奇門遁甲を学ぶ上では一度は目を通す必要があると思います。 ただ詩歌調で書かれてあるためにその解釈に幅を生じさせてしまい、 原点でありながら飛宮派、排宮派なる両体系まで生むくらいです。 また古くから各流派によりその中身や解釈も異なっている部分もあるらしいので この詩歌の解釈をめぐっての争論が今もなお続いているといえます。 また書き換えられた、付け加えられたという説まであり、 その本当のところを知るには浅学な日本人の私には不可能な領域だと痛感しております。 さて中国が宋の時代、日本は平安末期から鎌倉中期の頃にあたります。 武士の台頭の時代で公家風から武家風への転換期にありました。 この頃の歴史イベントといえばはご承知のとおり源平合戦や守護地頭による国支配、北条執権、日宋貿易などなどで、 振り返れば高校受験が懐かしく思えます。 日本の歴史で考えるとこの煙波釣叟歌が記された時代というものの古さを実感できます。 宋代にはこれに並ぶ『景祐遁甲符應経』などの旧書も残っています。 これ以外にも私の知る限りあと2,3程宋代の書が現存しています。
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●煙波釣叟歌の構成●
まず私は国語が苦手だったせいかこういう文章の類は段落分けにする傾向があり、 この煙波釣叟歌を読むにあたっても段落というかグループ分けして読んでいました。 私個人の分け方でいえば大まかに分けると三つの内容というかグループに分けられます。 それぞれのグループの概要を少しだけ追ってみていきたいと思います。 第一部である煙波釣叟歌の最初の方には奇門遁甲の由来を述べてあります。 黄帝などが奇門遁甲を始めたという記載です。 奇門遁甲は神から授かったなどという表現があることから一見、神聖なる空想を抱きますがこれは伝説である、 ないしは神格化させるための逸話であるという意見が大勢ではないでしょうか。 無論、神から授かったとする説を否定するわけではありません。 その後奇門遁甲がどう変遷したかを述べています。太公望、張良という名が登場します。 黄帝の奇門遁甲は4320局あり、それを風后なる人物が1080局に制しさらに太公望が72局にし、 漢の張良が18局にしたとされます。黄帝を創始者とするなら4320局が正しいように思えますが、 4320局ということは一時一局ということになります。 用いるには煩雑であるために少し現実的ではないかも知れません。ま、細かな予測ができるとは思いますが・・・。 現行は陰陽あわせて18局ですので張良型の局数方式が現在まで採用されているという解釈ができます。 が、この辺りの解釈は黄帝の時代から現在まで何分かなりの年月が過ぎているため その真偽を含めて異論などがあること付け加えておきます。 特筆すべきは諸葛孔明の名が出てこないということでしょうか。不思議なもんです。 また次に八卦や九宮のありようを書いてあり、 これら最初の部分は奇門遁甲の基礎知識について述べているように思えます。
一部抜粋すれば「五日都来換一元(五日すべて来たり一元を換ふ)」とあり、 五日で一元、十五日で三元になることを言っています。 それぞれの節気と付随している局数については述べられていせん。 また超神接気についても一行書かれてあります。 「接気超神為準的(接気超神を準的となす)」とあるだけで詳しい説明もなく ここに超神接気の方法がいくつも存在する根源ともなっているようです。 原書などや大陸、台湾の多くの方が用いられてる伝統的超神接気の一つは、 黒門先生のを参考にされるとよいと思います。 次に八門、九星に触れてあります。作盤方法についても直使は十時で移り変わり、 直符は時干に加わるなどといった大まかな方針を述べているにすぎず例題など当然書いてあるはずもなく、 また作盤完成図が載っているわけでもなくどういう盤が正しい盤なのかはわかりません。 ゆえに作盤法が多数存在する所以なのかもしれません。
格局の組み合わせなどについて述べてあります。天三門や地私門などについても載せられてあります。 この第三部にあたる分部がとても長くなっており解釈も様々です。その代表例が三奇得使ですね。 聞くところ国内の多くの遁甲家、先生方、正宗継承者たちがなぜか某派の理論を そっくりそのまま引用されているようですので(正宗継承者までそうなのは・・・という感じですね。汗) 国内では某派のやり方が一般的なようですが、実のところ中国でもここいらの解釈にも随分幅があります。 黒門先生は某派とは違う方式を採用されています。 ただすべての説に言えることですがある説を採用すれば当然別のところに矛盾も生まれるわけで これ以外にも説は多く言われております。こうなると実践してみてどれがいいかを試すしかないですね。汗
やはりどなたかの先生の愛弟子にでもならない限り基本的なことしか分からないのかもしれません。 一番いいのは所在のはっきりした明々白々の素性の出である伝統的奇門遁甲を受け継ぐ中国人に師事することが 一番いいのかもしれません。(愚鈍な私には無理ですが・・・。^_^;)
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●考察●
考察というよりは放談となるかもしれません(笑)。 明代、清代の原書の多くがこの煙波釣叟歌にふれられておりますことは先述したとおりです。 国内の遁甲書でこれを専門的に扱っている書は見かけません。原書や中国書の多くは取り扱っているのですが 日本ではあまり見かけません。こういう点からしても日本の奇門遁甲のレベルが分かります。 そして、中国と決定的に違うことは吉方位に対する考え方でしょう。 国内の多くの奇門遁甲書は一泊ないしは半日旅行、引越しなどによる開運術として述べてあります。 ややもすれば、奇門遁甲を使用さえすれば何でも出来そうな思いにかられる内容さえあります。 中国の方にうかがうとそれは異なりと申されます。人間の運命は本人の努力によって決められるべきものといいます。 確かに擇吉という概念はありますが、あくまで本人の命の範囲内で その努力を結ばせるものとして使用しているにすぎないのでしょう。 奇門遁甲が絶対であるならば、自然法則を応用している中国占術の多くが無意味なものになります。 ですから先天的運命までどうのこうのという話にはなりませんしなれないと思います。 奇門遁甲は本来が兵法、帝王学として崇められてきましたので 個人的なものに応用するには限界があるのかも知れません。 それよりも奇門遁甲の易学性というものを重要視して易占断的に使用しているのだと思います。 またすべての事象を方位で説明することははっきりいって無理でしょう。航空機事故がいい例です。 目的地を用神として墜落の有無を調べてもそんなのわかりっこありません。 大体、同じ時間同じ方位を目的地とする飛行機は他にも多くあるのにどうしてそれだけが墜落の対象になるの? という疑問が生じます。武田式だとパイロットの命との関わり云々という話になるのかも知れませんが そうであるとすると奇門遁甲は飛行機事故予測には使えないということの証明になり、矛盾します。 結局のところ大事なのは命式ということになっちゃいますよね。 それに墜落地が目的地方位と重なるとは必ずしもいえないですし。 奇門遁甲で航空機事故をみるにははもっと他の見方でしなくてはいけません。 だいたいなんでも方位で物事を見ようとする国内の遁甲体質が異質なのだと思います。 中国人にそういう話をすると私は法術奇門を知らないのでなんとも・・・という回答がきたりします。 日本国内の奇門遁甲の使用方法はおよそ法術的奇門遁甲に近いのかも知れません。 話が逸脱しかけですが(爆)、そうそう煙波釣叟歌を読んだからって奇門遁甲の名手になれるわけではありません。 ただ、奇門遁甲の大基となる重要な資料であるから目を通す必要があるということです。 その本意を汲み取るにはかなりの時間とよい師を見つけなくてはいけないと思います。 奇門遁甲は、六壬、太乙神数などとあわせて三式とよばれ、帝王の学問であるとされます。 本来は天下国家のための予測術です。 ですから謎も多く、異説も多いのですがそれゆえに煙波釣叟歌には何か秘密が隠されているかもしれません。 その謎が解ける日はいつのことやら・・・。というわけで私の考察いやいや放談を終わります。m(__)m
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