Diary


NO.16〜NO.30





NO.16  AMON DUUL II / PHALLUS DEI

1969年 ドイツ

今日はジャーマンロックの雄を紹介しよう。アモンデュールiiのデビューアルバム。当時のサイケデリックブームの中で生まれたこのバンドは英国のピンクフロイドに匹敵するほどの素晴らしい音を出した。このアルバムはサイケデリックと呼ばれる音楽の中では最高峰の位置にあるくらい素晴らしい内容だと思うし、ピンクフロイドのデビュー盤「夜明けの口笛吹き」(邦題)と肩を並べて、私の中ではサイケデリックアルバムのワン・ツーフィニッシュ的存在である。ピンクフロイドほどのポピュラー性はないが、かなりヘビーな音を出し、ドイツ語(日本語の発音に近い)というある意味ロックには合わない感がしないわけでもないが、そのボーカルの不気味さが何ともいえなく音楽にマッチしている。初期のピンクフロイド同様に前衛的な音楽でもあるし、即興性の強いその演奏を聴いていると精神に直結するドラッグ的効果がしないわけでもない。ところで何を持ってして、サイケデリックというのかは定かではないが、この俗称に組み込まれるバンドの多くは当時のヒッピーと呼ばれた若者達の精神の拠りどころであったのは確かなことであろう。まさにドラッグ時代のトリップアイテムのひとつである。

NO.17  TULIP / TAKE OFF

1974年  日本

一部の人にはチューリップファンとして有名な私ではあるが、チューリップのアルバムの中で最も聴いたのがこのアルバム。リアルタイムから8年遅れて聴いていたわけであるが、とにかく私の中学生時代はチューリップ一色であった。この作品には「青春の影」というチューリップの代表曲が収録されているが、その曲さえかすんでしまうほど、アルバム全体としてのトータル性があり、今でもたまに聴くアルバムである。当時チューリップというとどうしてもシングル曲主体のバンドというイメージが強かった。「心の旅」「夏色の思い出」「銀の指輪」というボーカル姫野達也という彼らにとって異例の形でのヒットから歯止めをするべく登場したのがまさに「青春の影」であり、チューリップはやっぱ財津和夫でしょ!という本来のチューリップに戻った時に生まれたのがこのアルバムだったのだ。なぜか「青春の影」はヒットしなかったが、アイドル視されていた当時のチューリップがアーチストとしてのチューリップとなった証明こそが、「青春の影」であり、このアルバムなのである。私にとって非常に思い出深いアルバムであるし、数多く存在するチューリップのアルバムの中で1,2番目くらいに好きなアルバムである。
PS:チューリップの作品については今後すべて紹介していく予定です。

NO.18 Curved Air / Phantasmagoria

1972年 UK

ブリティシュロックの中でもマイナー的存在だったカーブドエアーであるが、女性ボーカルバンド愛好家だった私にとっては何とも言えない魅力的なバンドであった。バイオリン奏者のダリルウェイとキースエマーソンばりのキーボード奏者フランシスモンクマンという二人のフロントマンがいたゆえにバンドとしてのまとまりのないアルバムが多かった。A面はダリル、B面はフランシスといったスタイルをとっており、このアルバムもA面とB面では趣きが全く違う。しかしながら妖艶的な歌声の女性ボーカル、ソーニャクリスチーナがいたからこそ、かろうじてバンドとして成り立っていたのではないかと思う。カーブドエアーの音楽はクラッシク要素を主体としながらも、フランシスのアバンギャルドなシンセサイザーの駆使により、実験的なものが多かった。きっちりの音を組み立てていくダリルに対して、思いつきで弾きまくっている感のあるフランシス、この交わらぬ抽象的なサウンドがカーブドエアーらしさと言えばらしさである。1曲目、「マリーアントワネット」が最もロックっぽくて私は好き。このバンドにあったボサノバ感やミニマリズムは90年代においてステレオラブというバンドに継承されていると思うのは私だけだろうか。


NO.19 NEWTROLLS / ConcertoGrossoPerI

1971年 イタリア

P.F.M、オザンナ、ラッテ・ミ・ミエーレ、イープー、バンコなどと並び日本で人気の高いイタリアンロックの代表格ニュートロルス。これもすべてキングレコードのユーロピアンロックコレクションシリーズが普及してこそである。さらに言えば、メジャーな評論家、伊藤正則先生のイタリアンロック好きも功を奏してか、こんな日本でもイタリアのロックアルバムがいとも簡単に聴けるというなんとも裕福な国ニッポンといった感じである。ニュートロルスといえばこの「コンチェルトグロッソパート1」が最高傑作だと思う。ロックならずともクラッシク作品として聴いても良いアルバムである。A面の組曲は某有名なイタリア映画のサウンドトラックとして使用されたらしい。全編にオーケストラを使用した典型的なシンフォニックロックでありながらも、ヨーロッパ中世へタイムスリップしたかのようにバロック的な雰囲気とともにシェークスピアの代表作「ハムレット」における有名な台詞(to die to sleep)を懇々リフレインしたかと思えば、次にジミヘンに捧ぐ曲が登場し、いきなりジミヘンギターが鳴り響くという何とも摩訶不思議な構成となっている。やっぱ私的にはロックにバイオリン、フルートはたまりませんねって感じなのである。ストリングス系のロックは好き嫌いがはっきりしているかもしれないが、ロックとしてだけでなく音楽全般で捉えた聴き方であればこの作品は一聴の価値はあると思う。


NO.20 THE SMITH / MEAT IS MURDER


1985年 UK

早期解散の為、第2のレノン=マッカトニーになりきれなかったバンド。英国ロック史上もっとも影響を受けたバンドとしてビートルズを抑えての第1位を獲得したこともある。作詞、ボーカル担当のスティーブンモリッシーと作曲、ギター担当のジョニーマーというバンドの2枚看板が絶妙なバランスのもとスミスの音楽をつくり上げてきた。特にモリッシーの詩はどんなパンクバンド(一時的流行物)よりも直接的な詩で英国の階級社会に対する痛烈な批判をし、若者の代弁者として多くの影響を与えてきた。その発言は社会問題まで発展したこともある。労働階級であったモリッシーだからこそ伝えることができるメッセージはあまりにも如実であり、このアルバムにおいてもショッキングな内容が多い。特にタイトル曲の「ミート・イズ・マーダー」は食肉は殺人だ!動物の理由なき死は殺人と同等である!動物達の泣き声が聞こえないのか!といったように、まるで肉ばかり食べている上流階級を皮肉っているようにも聞こえる。それにしてもこのアルバムの邦題「肉喰うな!」はなんとも間抜けな発想である。ちなみにモリッシーは菜食主義者であることを付け加えておこう。


NO.21 BLACKMAIL / FRIEND OR FOE?


2004年 ドイツ

ロッキンオン編集長山崎氏がオスミをつけたバンド。日本で輸入盤でしか入手できなかったバンドが某大手レコード販売店の売り出し、そしてロッキンオンの独断的推進で知名度を徐々に上げ、日本でもデビューが決定した。ドイツでは10年のキャリアを持つバンドではあるが、日本ではようやくのデビューである。最近多くのバンドが次々名乗りをあげているが、某大手レコード販売店と某人気ロック雑誌、そして衛星放送音楽チャンネルの売り出し方次第で知名度は大きく左右されているのが現状である。ブラックメイルは一言で言えば、90年代のオルタナやグランジ系っぽい音を出しているが、その枠に収まらない何か秘めたものを持っている。ニルヴァーナやスマパンの流れは確かに継承していると思うが(というより同時期のバンド)、やはりヨーロッパのバンドはちょっとニュアンスが違う。陰と陽があるとするならば、このバンドは間違いなく陰である。しかしながら、このバンドの奏でるメロディは非常に親しみ易いものが多い。というより心にズッシリ残る曲が多い。それでいてギターの音は分厚い。とにかく2004年のヒットバンドであるのは間違いない。ちなみに彼らの影響を受けているバンドのひとつが日本のギターウルフだそうだ。

NO.22 22-20s / 22-20s


2004年 UK

NO.22に22−20sというバンドを紹介するという何とも偶然なシチュエーションであった。このバンドは2003年にイギリスでデビューしたバンドで、ネオブルースの新旗手などと称された大型新人バンドとして注目を集めてきた。そして翌年2004年に念願の1stアルバムが発表された。この原稿を書いている時点ではまだイギリスで発表されていなく、EMIお得意の日本先行発売されたので本土よりも早く私の耳に届いているわけである。このバンドはネオブルースバンドという言われ方をしているが、決してブルースが主体になっているのはなく、ブルースはあくまでもこのバンドのひとつのパーツでしかない。というより今後そうなっていくであろう。ひとつの型にそのバンドの音楽をあてはめていく考えは良くないし、バンド自体も自分達がネオブルースバンドという型で表現されるだけではどうかと思うであろう。とにかく演奏はGOODだ。ブルースにとどまらない幅広い要素がアルバムの中で見え隠れしている。今後現れては消えていくバンドの中でこのバンドは確実に残る。これは間違いないし、日本でも人気が出ると思うし、既に日本の洋楽チャートでは上位に名を連ねている。私は衝動買いしてしまった。

NO.23 YES /CLOSE TO THE EDGE


1972年 UK

イエスといえばプログレバンドの最高峰という位置づけであるが、プログレ嫌いから敬遠されるには勿体無いバンドである。確かにこのアルバムは全3曲という大曲揃いであり、1曲が長いだけで敬遠されがちではあるが、このアルバムは1曲の中に多くの副タイトルが設けられており、曲調も構成もバラエティに富んでいる。そしてこのアルバムはイエスメンバーの高度なテクニックを持つミュージシャンがお互い切磋琢磨しあい、技術力の限界を出し切ったアルバムだと言って良い。この時期のイエスはまさにイエス自体の黄金期であり、今も尚語り継がれるのはこの黄金期があったからである。そしてこのアルバムに収められた3曲はイエスミュージックの定番中の定番として、今も尚健在するイエスの重要なレパートリーとなっている。高度なテクニックと曲が複雑かつ長ければプログレというのか、そもそもプログレとは何か。私自身多くのプログレと呼ばれるバンドを聴いてきたが、いまだにプログレの定義がわからない。というより、そのエリアに草分けする必要はない。イエスは80年代に「ロンリーハート」というポップなヒット曲をうみだしたが、過去をあまりにも重んじるイエスファンにとっては邪道としてそれを捉える輩もいたはずである。それはあまりにもプログレというものを美化しすぎた結果なのである。イエスをそもそもプログレの範疇だけで語る必要性はないし、このバンドはこのアルバム以降、様々な試行錯誤を繰り返し、そして進化していき、全世界でヒットするような曲を創るまでに至ったという解釈が適切である。

NO.24 Alan Parsons Project / Eye In The Sky


1982年 UK

知る人ぞ知る名盤。アランパーソンズといえばピンクフロイド「狂気」のエンジニアとしてあまりにも有名であるが、実はピンクフロイドだけでなくビートルズのアシスタントエンジニアとしても関わりがあったことはあまり有名でない。ビートルズ後期の「サージェント・・」「ホワイトアルバム」「アビーロード」といった名盤のテープオペレーターをしていたのがアランパーソンズなのである。彼の才能は裏方だけで留まることはなく77年に彼名義のプロジェクトを立ち上げ、一流のスタジオミュージシャンやパイロット、コックニーレベル、キャメル、キングクリムゾン、ゾンビーズなどに在籍していたミュージシャン達をアルバム毎にゲストに迎え、極上のポップソングを数多くつくり上げてきた。ここに紹介した「アイ・イン・ザ・スカイ」は82年発表の6thアルバムであり、私の中では一番好きなアルバムである。特にA面ラストの「静寂と私」は非常に聴き応えがある。この曲の導入部はアンドリューパウエル指揮、編曲のもと非常にダイナミックなオーケストラ演奏が聴ける。このアルバムの他にも「アンモニアアベニュー」「ステレオトミー」「ガウディ」など優れたアルバムを多く傑出している。はじめて聴くなら、まずベスト盤を聴いてみればいいと思う。

NO.25 CARMEN / DANCING ON A COLD WIND


1974年 UK

昔ほんとよく聴いていたアルバム。カルメンのロックを一言で言えば、フラメンコロックである。こんなジャンル実際ないが、全編にわたりスパニッシュギターと重厚かつ複雑なリズム、さらにヘビーなギターもありで、まさにジプシー達の血が騒ぎ、踊り狂うような、ある意味でダンスミュージックと言えるのでないか。さらにこのアルバムは非常に緊張感があり、聴く者を引き付ける何かがある。ジプシーの精神は私には理解できないが、古くから存在していた漂白民族の精神がきっとこの音楽にはあるのだろうという気持ちにまで至ってしまう。バンド的には3枚のアルバムを発表し解散してしまうのだが、マニアの間では今でもかなり人気のあるバンドであるし、日本でも当時東芝EMIから発売されていた。古今の再発ブームで私のような後生でも簡単に入手でき聴くことができる。ぜひ一聴していただきたい1枚である。ちなみにこのジャケットはフランスのタバコ「ジタン」のパッケージ絵柄をそのまま使用したもの。私もたまにマニアックなタバコ自動販売機を見かけたときは必ずジタンを買う習慣が今も尚ある。カルメン様様である。

NO.26 THE BEATLES / THE BEATLES


1968年 UK

ビートルズといえばこの通称ホワイトアルバムが私にとってのベスト。というよりこのアルバムはメンバーそれぞれの持ち曲を寄せ集めただけのアルバムであり、ビートルズの作品としては本来ベストと言えるものではないのだが、ビートルズにしばられることなく作られたこの作品こそ、私にとってビートルズっぽさを感じさせてくれる素敵なアルバムなのである。(というよりこの時期のビートルズは全員でつくり上げるアルバムなど作れる状態ではなかったのだろう。無理にバンドとして作った次回作の「レット・イット・ビー」がすべてを物語っていると言える。)そして全30曲、駄作が一曲もないというところもさすがであるし、ロックという音楽の可能性が随所に散りばめられており、ある意味、ロック未来予測アルバムといえる。いや、このアルバムの影響力が未来のロックをつくりあげたのではないかとさえ思う。オブラディ・オブラダにおける極上のポップソング、ジョンレノン楽曲におけるの直接的な詩の世界、へルタースケルターにおけるハードロック路線、レボルーションNO.9における前衛音楽、ホワイルマイギター・・におけるギターロックなどなど、飽きることのないバラエティに富んだ楽曲編成こそが、このアルバムの真価と言えよう。通のビートルズファンはこのアルバムなくしてビートルズを語ることはしないし、そうでもない普通のビートルズファンはほとんどこのアルバムを聴いていないのが特徴的であると言える。

NO.27 JET / GET BORN


2003年 オーストラリア

そんなに好きじゃないけど、つい聴いてしまうのが私にとってこのアルバム。ということは好きってことかもしれない・・。とにもかくにも日本でもCMソングに抜擢されるほど話題となったバンドであり、その原因を突き詰めれば、キースリチャーズの多大なる後押しがあったからこそなのであろうか。音楽的にもローリングストーンズ中期の「ステッキーフィンガーズ」から「イッツオンリーロックンロール」の流れをそのまま受け継いでいる感じである。軽快なロックンロールと牧歌的なバラードが交互に収録されており、この二面性こそがこのバンドの人気の秘密なのであろう。私自身、ローリングストーンズのミックテイラー時代が一番好きだし、どこかその時代がJETと重なってしまう。そう思うのは私だけなのだろうか。今後の活躍に期待大である。

NO.28 THE ZOMBIES / ODESSEY&ORACLE


1968年 UK

私の5本の指に入る大好きなアルバム。ブリティッシュ・インベンション全盛期、ビートルズ、ローリングストーズ、キンクス、フーなどと共に忘れちゃいけないのがゾンビーズである。活動期間が短かったため、あまり話題にはならなかったが、日本ではグループサウンズのカーナビッツがゾンビーズの「アイラブユー」を「好きさ 好きさ 好きさ」と題打って日本語カバーしたり、このアルバムに収められている「ふたりのシーズン」はなぜか解散後にヒットし、今もなおCMソングに使われるほどではあるが、ゾンビーズ自体の知名度は一般的に低いと言えよう。しかしながら解散後に発表されたこのアルバムは実に素晴らしい。文句なしに素晴らしい。知る人そ知る名盤として今も尚語り継がれているのである。とにかくメロディがいい。ほんと心に残る独創的な曲が数多く収録されており、もし解散していなければ・・なんて気持ちになってしまうほどである。中心人物のロッドアージェントは解散直後、アージェントという新たなバンドを結成したが、ゾンビーズほどクオリティの高い音楽は結局作れなかった(と私は断言する)。やはりロッドアージェントは、ゾンビーズもうひとりのブレーン、クリスホワイトとボーカルのコリンブランストーンがいてこそであった。ちなみに2000年にロッドとコリンはふたり名義でアルバムを発表している。ある意味で再結成と言えよう。

NO.29 Moody Blues / Every Good Boy Deserves Favour


1971年 UK

R&Bバンドとしてビートルズ全盛時代にデビューしたバンド(後に初期バンドメンバーのデニーレインがポールマッカートニーとウイングスと結成する)。しかしながら67年にロックとクラッシクを融合させるという方向転換をなし「サテンの夜」という名曲を産み出す。そして71年、満を期して発表したのがこのアルバム。日本では「童夢」という邦題で発表され、全英ならず全米、日本でも大ヒットとなった。私みたいにこの時代の英国トラッドフォークやB級バンドをよく聴いていたものにとって、このアルバムがいかに当時のイギリスっぽい音を如実に表現しているかがよくわかるし、ジャケットからコンセプトまで完璧と言わざるを得ない。ほんと素直に聴けるアルバムであるし、宇宙的な広大さを感じ取れる素晴らしいアルバムである。それもこれもこの時期英国ロック主流だった鍵盤楽器メロトロンを大胆に導入し、それが見事にマッチしたからでこそある。このアルバムのコンセプトは人間から宇宙へ、そして宇宙から人間へという繋がり、転換を見事に表現している。まあ本人達がそこまで意識して作ったかどうかは定かではないが、私が所有する数多くのアルバムの中では最も宇宙と人間との関わりを感じさせてくれるアルバムであるのは間違いない!ジャケットからしてみても、どこかE.Tの世界に近いものがあると感じるのは私だけだろうか。

NO.30 筋肉少女帯 / 仏蛇L


1988年 日本

当時、日本のロックを嫌っていた私にとって、最も日本っぽいバンド筋肉少女帯だけはなぜか好きになった。その理由は三柴江戸蔵のピアノがあまりにも素晴らしくロックにマッチしていたからである。当時、これほどまでにピアノを導入した日本のロックバンドは皆無であったと思うし、大槻ケンジほど文学的な詩を唄うバンドもなかったと思う。この二人のある意味エキセントリックな個性がまさに筋肉少女帯の核であり、私の興味をそそったひとつの要因である。三柴は2ndアルバムで脱退し、その後バンドの方向性は少し変わってしまうのだが、98年大槻が筋肉少女帯脱退後、この二人はニューバンド「特撮」を結成している。まさに元さやである。ここで紹介した「仏蛇L」はデビューアルバムであり、私が筋肉少女帯の中で一番聴いたアルバムである。デビュー盤だけあって、そうとう荒削りなアルバムなのだが、彼らがインディーズ時代(ナゴム時代)から培ってきたものの集大成であり、もっともマニアっぽい作品である。大槻ケンジの初期の詩の世界は、江戸川乱歩や横溝正史、夢野久作などの影響をもろに受けており、非常にマニアックなものが多いが、少なくとも私自身はその影響を受けてしまい、この時期江戸川乱歩などを好んで読んでいた。



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