逸見政孝氏を偲んで In Memory of Mr. Masataka Itsumi (2003/12/25)
もうあれから10年が経つ。1993年12月25日、この日は一生忘れられないだろう。「と117」が好きな有名人の頂点、逸見政孝氏がガンとの壮絶な闘いの末に天国に召された日である。
「私が今侵されている病気の名前、病名は、ガンです。」――衝撃のガン告白記者会見は1993年9月6日に行われた。「と117」はその会見の模様をテレビの生中継ではなく、ニュース番組「スーパータイム」のトップニュースで目にした。
「スーパータイム」は、逸見氏(と幸田シャーミン氏)が初代キャスターを務めたフジテレビのニュース番組で、現在の「スーパーニュース」の前身である。「スーパータイム」を担当していたフジテレビアナウンサーの逸見氏は当時たいへんな人気を集め、1988年にはフジテレビ以外にも活躍の場を求めてフリーランスになる。フリーになってからの逸見氏の活躍ぶりは、東京にある全国ネットテレビキー局すべて(すなわち、NHK・日本テレビ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京)にレギュラー番組を持つほどであり、テレビ関係者の間では、「逸見が司会なら視聴率20パーセントは堅い」とも言われていたそうだ。
1993年当時の逸見氏は、「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!」を始めとするバラエティー番組の司会者として人気絶頂であった。しかし、その年の2月には既に病魔が逸見氏を襲っていたのだ。その時は「ガン」という病名は伏せて一時休養、手術を受けて無事仕事に復帰した逸見氏だったが、「無事」だと思っていたのは我々視聴者が見てのことであった。ブラウン管を通しては休養前と変わらず、明るく楽しい姿を見せてくれた逸見氏、その裏側でご家族の方は相当苦しんでおられたのだ。「ガンは完治していない、再入院を…」――嬉しそうに仕事に向かう逸見氏に、この事実を告げるのは…
「このまま放置すれば1年もたない、そう(医師の言葉を)受け止めました。」と会見で語った逸見氏。1年どころか、半年も経たないうちに帰らぬ人となってしまうとは、逸見氏本人はもちろん思っていなかったに違いないし、「と117」も思わなかった。ただ、逸見氏のガン克服、司会者復帰を信じていた。
だから、記者会見後放送された「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!」はビデオに録画しなかったのだ。それが、逸見氏にとって最後の「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!」になるとは考えたくなかったのである。しかし、山城新伍氏も言っていたが、「結果的に、逸見さん最後のSHOWbyショーバイ!!になってしまった」。
「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!」、ビデオに録画したのは1992年12月30日の「クイズ年末はSHOWbyショーバイ!!」・1994年1月5日の「逸見さんスペシャル」・1996年9月25日の最終回の計3回。それらを時々見ては、笑ったり涙したりである。今でも思うのが、なぜ毎週「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!」を録画してなかったのか…しかしこれは結果論であろう。10年と少し前までは、逸見氏が亡くなるとは思ってもいなかったのだから。
この番組の記録と言えば、毎週の「テーマ(〜な商売)」を書き取っていたことくらいだが、そのメモが数回の引越のせいか、行方不明になってしまっている。
1993年1月6日だったであろうか、「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!」放送中に臨時ニュースが入り番組が尻切れトンボになってしまった。ニュース自体はおめでたいものであったが、好きな番組が中断を余儀なくされたのは許せなく思い、日本テレビに抗議の電話を入れたのだ。結局、この時の番組は、その後別の時間帯(夕方だったと思う)で最初から再放送されたのだが、それをビデオに録画した記憶はあるのだがビデオが残っていない。悔やまれることである。
「ガン克服、テレビに復帰」を信じていたので、後悔のすべてが「後の…」である。
1993年12月25日土曜日、確か雨が降っていたような記憶がある。午後7時、「たけし・逸見の平成教育委員会」を見ようとチャンネルをフジテレビに。すると、特別番組…逸見政孝氏を追悼するものだった。「と117」は、テレビを前に、ただただ言葉を失った。日本テレビでも、追悼特番を放送していた。
「午後12時47分、逸見政孝さんは、旅立ちました。」
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以上、つれづれなるままに綴ってきたのでとりとめのない文章になってしまったようである。今後は、毎年この時期を迎える度に、48歳という若さで旅立った名司会者に思いを馳せ、この文章を推敲していきたいと考えている。
逸見政孝氏没後10年という節目を機に、その人を偲ぶページを作成した。以前から、逸見氏に関しては何らかの形で文章をまとめてみたいと考えていたので、よい機会となった。
このページを見ていただいた方には、天国の逸見政孝氏を思い出してもらえれば、「と117」の望外の喜びである。クリスマスの日に旅立った、フリーアナウンサーのあの笑顔を思い出してもらえれば…
(家族でもないのにこのようなことを記してもよいのだろうか、と自分でも思うが、天国の逸見さんならきっと許してくださるだろうと思っている。)