Vol.5 - U  interview    

  天草「千葉祭」トークショー 
2007 11/18 本渡第一映劇
【その2、大河ドラマ編
出演 千葉真一 川瀬 kaki 亜矢 観客(敬称略)
トーク &A  Part .2 

※注 ●雰囲気が伝わるよう、なるべく、そのままの会話を書き出していますが、
長時間のトークショーの為一部、要約もございます。
完全なものでは無い事を御理解頂いた上でお読み下さい。
    ― tik 局長 ―
 
(続けて、川瀬さんのお話・・・)

川瀬:千葉さん、その板垣演じるに当たって、
NHKの若泉さんから、どんなイメージでとか言うことを含めて、
全く僕も側にいながら、ぴったりのはまり役。
”日本の親父”という感じがしたんですが、
その辺からお話いただけると・・・


千葉:はい。え〜、今、あの〜川瀬さんから紹介してもらいましたけれど、
一番最初から、あの〜、プロデューサーがこの映画(ドラマ)の中の、
え〜、まわって行くドラマの中の中心で動いて欲しいと、
その中心と言うのは、どういうことかと、
主役はもちろん勘助なんですけれど、その〜徳川・・・ごめんなさい!もう〜あの〜、
武田信玄という、一家を、天下を取る殿様を、
どう育てたか、その人が、その人が、キーマンになりますので、
どうしても千葉さんが演じて欲しい、ということを聞きまして、
「わかりました!じゃあ、板垣を一生懸命、あの〜勉強します」
という事で、本読んだりいろんなことで、板垣を考えたんですけれど、
とどのつまり、やはり、私(わたくし)は、
福岡で生まれて熊本の血が半分福岡の血で、凄く厳格な親父で、
親父は、あの、福岡の太刀洗って言う所、ご存知ですか?
kakiさなら、知ってらっしゃいますよね、
あそこは特攻隊の訓練所で、あそこから飛行機が飛び立って、
あそこの皆兄弟が、知覧であり、あの〜えっと、どこだっけ・・・

亜矢:佐世保?

そうそうそう、あそこ、みんな兄弟の・・・

はい。

あそこに父が勤めておりまして、
あそこで親父は、飛行機のテストパイロッとしてました。
出来上がってきた飛行機を、乗ってテストするんですね。
そして、この飛行機の尾翼が悪いよと、
ここ直しなさい、あそこ直しなさいと、テストパイロットやってた。
その時僕は、4歳?3歳4歳ぐらいだったんですけど、
一緒に飛びました、うちの親父と。
そして後ろのあの〜助手の人に抱かれまして、
そして、あの〜親父が前で操縦していて、宙返りしようかなんていうのを、
今でも覚えていますけれど、そうやって九州で育ったんですね。


まあ、あの〜厳格な親父でですね、
ホントに間違った事は、バシャーン!(ひっぱたく身振り)と来ましたから、
そんな風に育てられて、でもやっぱり良かった、
気が付いてみると、親父が亡くなってから、
良かったなっと、九州に生まれて、九州の気質で、
あんなに厳しく育てられて、ホントにいい親父だった、と思って・・・
『そうだな、俺はこの武田信玄という男を、あの、うちの親父のように育てよう』
つまり、日本のホントに昔から、日本の”親父”と言う言葉があるじゃないですか、
ホントにそう言う親父に育てられた。
そう言う親父像を演じたい、演じてみよう、
そんなふうに感じたんですよね。


それで、プロデューサーや脚本家の先生にお願いして、
『日本の代表的な親父にしたい。一言で言ったら親父像、
これが日本の親父なんだと、そう言う板垣をやってみたい』
と言うことで、脚本家がああやって脚本に書いてくださり、
そして、また、あの〜、
市川亀治郎さんって、すっごい人ですよ〜あの子は。
あの子は・・・
僕なんかは生まれてから、役者になろうと思ってなかったですから、
「オリンピックに出たい!スポーツ選手になりたい!」と思って、
生まれてきてそれで感じてた。
でも彼は、オギャ〜って生まれたときから、
もう
、俳優さんになる運命にあったんですよね。
あの子はもうあと10年もすると、人間国宝です。
ですから、お芝居も、こんなちっちゃい時から、
『俳優さんに成るんですよ』って、育てられてたから。


皆さん、あの子が一番最初出てきて、
非常に、この〜、おかしな芝居してたでしょ?最初見ました?
最初の時「へたくそな芝居してるな、何?この子??初めて映像に出たの?
こんな子、この武田信玄出来るの?」って思った人いる?!
あれ全部お芝居なんです!
あのへたくそ加減わざと、あんなへたくそな芝居を、わざと、やってたんです。
僕はねぇ、こんな俳優見たことなかった!
まだ三十いくつ(才)でしょ。
僕も最初見た時、「おや?この子最後まで持つのかな?」(笑)
って、ホントそう思ったんですよ。


とっころが・・・、その僕が、父親として、
自分の子どもよりも、この子を天下人にする為に、
本当に日本の天下人に成るように、育てて行く役だった(もの)ですから、
そう言う風にいつも彼と話し会いながら、
もう、朝「おはよう!」って、NHKに入って行く時から俺の息子、
それも、天下人になる息子、僕より、こんなとこにいる、それを育てていく傳役ですよね、
そう言う風に、もう普段から付き合ってたんですよ。
ですから、私は「亀ちゃん」って呼んだことないんです。
「若、おはようございます。」朝、来て、会った時も
(亀治郎さんが)「おはようございます。」「若、おはようございます。」
そう言う気持ちで、
いつも、この人は僕の子どものように育てなきゃいけないんだけれど、
『若』という、大変な天下人にする、
でも、それが天下人になるかならないかは、僕次第、
その教育をどんな風にしていくかってことで、
いつも「若」
そいう形で付き合ってたんですよ。


ですから、あの〜、御芝居がうまいのはびっくりしたんですけれど、
ただやっぱり、あの〜なんていうんでしょう、
あの方は歌舞伎の方ですから、歌舞伎の事はよくわかってるんですけど、
映像がまだ分かってないところがずいぶんあって、
その辺を、すっごく「千葉さんに勉強させてもらいました」って、
あっちこち言ってくださって、とても嬉しかったんですけれど・・・


その中で、あの〜、
僕が一つだけ、
ホントに彼が「千葉さん、ありがとうございました」って、
教えた事が一つあるんですよ。

はい。

あの〜(NHK)大河(ドラマ)見てくださいました?

(見ていた!と頷く反応)

(見たというリアクションを確認して)ああそうですか。
こんなシーンがありましたでしょう?
僕は実の父を追放する、つまりもう、自分の世界から放り出さなきゃならない。
なぜなら、父はあまりにも世間を知らず、
ちょっと・・・天下人になりすぎてしまって、
ホントにもうみんなが理解できない離れていく、
これでは全ての民を統一できない。これは追放しなきゃならない。
しかし、今天下人である、そのお父さんを追放する時、
悩んで悩んで悩んだ挙句、僕に、あの〜馬で来て、河の、あの・・・横で、
「板垣、わしは父を追放しようと思う」(と言われ)びっくりするんですね!
つまり、(周りを)見てしまったんですよ、誰かにこれを聞かれたら、アウトですから。
ホントにあの時、僕、台詞言いたかったんですよ
「殿、若、河の魚が聞いております」(笑)って言うくらい、
そのくらい、河のふちで、彼が僕にそれを訴えた時、
僕はびっくりするわけですよ「なんということを・・・」
「もしお前がこの言葉に賛成してくれないならば・・・」って、
僕に、刀を抜いて「俺を切れ」って刀を渡すんですよね。

はい。はい。

ところが僕が
「若、僕はあなたの父親代わり、傳役です。その、しぐさは、間違ってます。」
あんなに芝居うまい人が、初めて僕に、違いますって言われたんです。
きょとんとしたんですよね。「えっ、何故ですか?」
「若、ほんとに自分の息子が刀を指して、俺を殺せ!って、刀を渡して、
ほんとに息子を殺せますか?」
「はい・・?」分からなかったです。「どうしたらいいでしょうか?」
「若ね、ホントに僕が、その、あなたと・・・あなたが、
あの・・僕があなたの立場だったらこうしたいと思います。」って言って、
刀を抜く前の僕に寄ってくるんですね。
刀刺してますね、で、僕のところに近寄って来て、
「お前が賛成してくれなければ」と言って僕の手を握るわけですよ、
で、僕はどうして握ったのかな?と思ったら、
彼が刺してる刀を、ぐっと握らされちゃうわけですよ、
そして、ぐ〜っと、握った手を、ゆっくり離しながら、
彼は一歩二歩下がって行ったんですよ。
ず〜っと下がっていったものですから、
いつの間にか僕の手に彼の刀が握らされている、そこへ座って、
「賛成してくれなければ俺を殺せ、俺はもう二度と生きていけない。
お前に殺されるなら本望だ殺せ。」って言われる訳ね。
このシーンを撮った時に、彼がやっぱり、
あなたがこう刀を渡して俺が殺せるもんじゃない、
いつの間にか握らされている、
すごい、そう言う仕草が、彼が、すっごく感動してくれましてね。
その時に、「これが親子だろう」と言う事を僕が亀ちゃんに言って、
それからもう、亀ちゃん、ホントに俺が「若、若」って言ってる気持ちが分かったみたいで、
ある時に、誕生日の日に、僕が紙に、
板垣として、最初、彼の誕生日に、板垣として書いたんですよ、
そして、墨でずーっと書いて
『お前さんに、この大河が終わるまで、板垣としてずっと付いていくよ』と、うん、
『天下人になる事を願ってる俺の心だよ』って、
書いてあげたら、板垣の言葉で書いたら、
そしたら、二ヶ月三ヵ月後に、僕が死ぬ時に、
彼は、ずーっと手紙書いてきて、
『今、わしは板垣を父と思う』
その、自然の、普通の生活の中で、その手紙をくれたんですね。
『嬉しかったな〜』ってと思って、
要は、親父という気持ちが、伝わってるなって思ったんですね、
彼はそうやって、返してきてくれたんですね。
そう言う自然の、あの日常生活の中で、
彼と僕の間では、もう完全な父親で有り、子で有り、という、
そう言うなんか雰囲気が、関係が、いつの間にか出来上がってたから、
あの大河がうまく行ったんじゃないかなと、
そんな風に思ってるんですよね。


ね、川添さん、そうですよね?


そうですね、あの〜、千葉さんが7月に板垣を討ち死にするまでですね、
非常に重厚感があってですね、僕も演技を見ていて、
その、特に晴信、亀ちゃん、若とですね、それから、内野さんの勘助は、
やはりその〜常に千葉さんと一緒に、撮るシーンが多かったものですから、
その彼らのその姿勢というのも、その、久しぶりに出た千葉さんの、
その時代劇の一挙手一動を、何とか自分のものにしようと言う事で、
ものすごく食らえ付いて演技をやってたと言う表現がですね、非常に合って、
その雰囲気そのものが画面を通じて
久しぶりに、その〜、数年来に無い大河ドラマとしての重厚感があるということで、
高視聴率をマーク出来て、それに応える様に千葉さんも・・・、
あの〜僕は一つ面白いエピソードがあったのは、内野君と二人馬を走るシーンで、
え〜一所懸命、内野君が付いて来れるかどうかと言う事で、
千葉さんは、もう、あの〜、一所懸命走られた時の、
その時のシーンの話しが僕は印象的なんですけれど、
テストの時と、二度目の本番の時に、・・・

え〜、なんでしたっけ?

内野君が最初の時に離されたんで、
本番の時にはもう無我夢中でくっついて来たという、
そのシーンが印象に残っていて

あっはは・・・(笑)
え〜、そうですね〜、まっ、あらゆるところで、やっぱり・・・
僕の方がちょっと、ちょっとじゃないね、大分長く、
芸能界で長く生きてますんで、まっいろんな訓練し、してるから、
特に馬、内野さんは馬がね、あんまり得意じゃなかったみたいで、必死に食らい付いて来て、
みんなそれぞれに、いい影響、刺激を、御互いが受けて、
いい、あの、ドラマが出来たと思っているんですよね〜。

で、僕は、あの〜、千葉さんがさっき言われてた、日本の親父、
そしてその〜、え〜、若に対しても親父だったんですけど、
まっ30年という長い間、私が大学生の時に千葉さんと始めてお会いしてから、今日まで、
え〜、僕はほんとに親父だな〜、そして日本の親父だし、
僕の、もう、ホントに始めてあった時から変わらない凄い大先輩であると、
その姿は実はもう僕が30年前出会った時から、
やっぱり親父だったんですね。

そうなんですか。(笑)

で、というのは何故かと言うと、
皆さんもう、あの・・・特にkakiさんはご存知だと思いますけど、
え〜・真田広之、というのは、もう、5歳の時から、

あっそうですね。(笑)

千葉さんが・・・

ここにある(とポスターの一つをさして)浪曲子守唄という

「浪曲子守唄」というですね、ええ、
子どもの・・・、ちいちゃい、
千葉さんが連れてる、子どもの役が、実は真田広之君なんですね。

えっ、でてますね、あっそうそう、そうそう、えっ、

抱いてます、あそこの・・・??

あ〜それ、真田広之君です。あの5歳の子。


後でよく見てください。真田広之。下沢広之と言う・・・

(kaki ジュニア)かわいい

えっ、君(?)と同じくらいだよ(笑)

それで、まあ、あの〜、
真田君のホントの父親代わり言うか、父親として、
千葉さんの俳優の持てるものを全て、え〜、彼に受け継がせたというのが
その〜、もう皆さんご存知のジャパンアクションクラブという、
JACというものになるんですけど、
その時代から今年の大河まで、
千葉さんが、若い俳優さんに接する態度、
それから姿勢というのは全く変わらない、
まさしく、今、一人前になった、志穂美悦子もそうですし、
大活躍している、堤真一君、井原剛、
みんな、千葉さんの教え子ジャパンアクションクラブ、
それから、え〜劇団四季であったり、ディズニーランドで踊る子、
それから、子ども達が好きな変身ものであったり、戦隊ものですね、
あのアクション、そういうもの全ては、
え〜千葉真一という、
この稀代まれな、アクションスターから生まれたことで、
それを父親として、次代に、
まさしく、いまだに、受け継いでいるという形なんですね。

ここで、そのジャパンアクションクラブというのが、出来た背景ですとか、
その・・・アクション俳優という、アクションということの、
千葉さんのお考えみたいなものを,
ちょっと是非お聞かせていただければと思うんですが・・・・


(続く・・・・)

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