9.全宇宙学会

 年も明け、いよいよ全宇宙学会の日が近づいてきた。
 窓際に座っていると、寒さがガラスを突き通して伝わってくる。この冬、まだ彩葉は初雪と呼べるものを確認していない。彼女は透視訓練の合間に晴海とホットコーヒーを飲んでいた。
「へー、学会って一ヶ月もやるんだぁ」
「そりゃあ、地球だけではなく異星からも発表者が大勢やってくる一大イベントだから。今年はたまたま地球で開催されるが、来年は別の星でやる予定になってる」
「じゃああたし達、宇宙デビュー、ってことかぁ」
「本番で緊張して、紙切れ一つ動かせなかった、という失敗はくれぐれもしないように」
「ひどいなぁ、もう!」
 台詞こそ怒っているようだが、彩葉の顔には深刻さは全く無い。晴海の方も、心配などしていないようだ。
「あー、そうだ、憶えてるかなぁ?」
「?」
「ううん、別に。あーでも、折角だから宇宙旅行もしてみたかったなぁ」
「板橋さんは『旅行』という手段を使わなくても、自分の『身体』ぐらい動かせるだろう?」
 晴海は気の利いたジョークを言ったつもりだったが、彩葉の表情を見ると失敗したのは明白だった。

 学会八日目に於ける十条博士の発表は、結論から言えば大成功であった。
 当初、博士が発表すると言うことで、出席者達の多くは「あの山師がまた、途方もないでたらめを言いに来た」と呆れ果てていた。だが、銀河遺伝子の保有者とされる人物の訓練記録の映像を見せられてからその思いは半信半疑に変わり、そして被験者本人が「実演」のため登場して以降、会場全体が興奮状態に陥った。
 まだ十代らしい被験者は、会場に運び込まれた一台の乗用車の前に立った。
 そして――車は宙に浮いたのである。
 即座にトリックを疑う声が出た。しかし発表者側は動揺の色は全く見せず、次の公開実験に移った。
 会場に集う参加者の中から無作為に一人選び、何か文章を書いて貰う。それを別の参加者が持参していた鞄に入れる。
 被験者は見事読み当てた。
「馬鹿馬鹿しい、いかさまだ!」
 一人が立ち上がって叫ぶと、十条博士は落ち着き払った様子で言った。
『当然、そう言われるのは事前から判りきっていました。どんなに厳密に実験を行おうとも。だがこれは紛れもない真実だ』
 博士の言葉をきっかけとして、会場全体から様々な言語の様々な論議が噴き出した。学会の進行役が事態を収拾しようとしたが、誰一人として聞く耳を持たない。
 被験者はあまりの煩さに手で耳を塞いでいたが、突然、十条博士の居る壇上からマイクを奪った。
『あーっ、もう!』
 キィィィン、と耳障りなハウリングが暫しの沈黙を呼び込む。
『嘘だとかホントだとか、もういいよ。自分で確かめてみなよ!』
 そう言うと、被験者は右腕を高々と上げた。
「う、うわぁっ!?」
 最初にいかさまと言った男が悲鳴を上げた――彼は、宙に浮いたのだ。
 ばたばたと手足を虚しく泳がせて、高く高く昇っていく。二階席まで到達すると、見えぬ力はチンピラをつまみ上げた巨漢のように男を放り投げた。
 再び会場は大喧噪に包まれた。一同は、「十条博士の理論によって導き出された遺伝子の持ち主は少なくとも超能力者ではある」と認めざるを得なくなったのである。

「まったく、君という人は……」
「だって、手っ取り早い方が解ってくれるって思ったんだもん」
「だが!会場中が凄い大騒ぎだぞ!?何処で嗅ぎ付けたのか知らないがマスコミもやたら集まっているし!」
「伊集院君。そう大きな声を出さないでくれ。飯が不味くなる」
 そう言いながら箸を動かす十条博士はどことなく不機嫌そうだった。理由は恐らく昼食のせいだろう。流石の博士も飛行機で半日かかる距離を晴海に通わせることは出来なかったらしい。そもそも弁当が駄目になるだろう。
「第一、この事態は予想済みだ。板橋君の行動がどうあれ、私の理論が認められれば一気に全宇宙の注目の的となる」
「まぁ……そうですけど」
「博士。各星の放送局から取材依頼が来ています」
「どうしましょう、俺達だけじゃとても対応しきれませんよ!?」
「スタンレイ君、君は馬鹿か。こういうときこそESTLを『利用』したまえ。我々が何もせずとも相応しい場所と機会を用意してくれるだろう」
「それまで私達は研究所の外に出られませんね」
「ふ〜ん、大変だねぇ」
「何言ってるの、あなたもよ、板橋さん。取材依頼の半分はあなたに来てるんだから」
「ええーーっ!?」
「今頃は多分、君の勤め先にも手が回っていると思うよ。戻ったら取材陣に押しつぶされるかも」
「そんな、十条博士の発表が終わったらさっさと帰る予定だったのに」
「我々はそもそも学会が終わるまではここに滞在する予定だった」
「え、ひょっとして晴海君も?」
 晴海が頷くと、彩葉は「なんだ、それならいいや」と即座に気持ちを切り替えた。
「――識菜、どうしてるかなぁ。テレビ見て驚いてるかな?」
「あっ、赤羽さんが何だって!?」
「そうだー、ひょっとしてスタンレイさん、寂しいんじゃなぁいー?」
 彩葉がからかうと、ロッキーは真っ赤な顔で百面相になった。彼も彩葉に負けず劣らず、わかりやすい。
(ま、識菜の方は脈アリ、とは思えないけどね)
 彩葉は心の中で、ちろっと悪戯っぽく舌を出した。

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