1.Boy meets Supergirl-A

 大気の色は、まるで宇宙そらを透かしたかのようなブルー。
 既に銀杏並木の木々は葉が散りかけていて、肩にかさっ、と乗った落ち葉をつまみ上げると、もう巷は秋なのだと言うことを改めて実感する。
 彼は、自分の人生は一体何なんだろう、と少々メランコリックな考えにひたっていた。
「こんなことばかりするために研究所に入ったわけじゃないんだがなぁ」
 彼が右手に提げているのは、渋い焦げ茶で「竹風堂」と印刷された手提げのビニル袋。中身は、彼の上司、賢治けんじ=ルース=十条じゅうじょう博士の昼食だ。もちろん、研究所には立派な食堂があるし、他の店に行くことだって、料理を注文して研究室に届けさせることだって簡単に出来るのだ。なのにこの偏屈な和食党の博士は、SB-Y2区の商店街にある、竹風堂の限定二十食の日替わり重箱弁当しか食べたがらないのである。そして予約・取り置き不能のこの弁当を買いに行くのは、この哀れな研究助手の入所以来の日課となってしまった。
 晴海はるみ=ジュダス=伊集院いじゅういん。若干十七歳で地球星立学芸院アースアカデミーを主席で卒業し、地球星立総合科学技術研究所ESTLに入所という、学問のエリートの道をひた走っていた彼にとって、これは大いに不本意な事態である。どの教科も水準以上にでき、しかもその全てを愛している晴海は、希望の配属先を訊かれたとき「何処でも構いません」と答えてしまった。この一言を、彼は現在激しく後悔している。
「……いつになったら、まともな研究をさせてくれるんだろうか」
 それが晴海の目下最大の悩みだったが、愚痴っていても仕方がない。戻るのが遅れれば遅れるほど、博士の機嫌が悪くなるのだ。
 はぁ、と大きく息を吐いて、晴海は再び歩き出した。

 殆ど渋滞がないほど整備された現在の道路網をひた走る電気タクシーを使えば早く帰れるのだが、晴海は車道には目もくれず、少し離れたところで口を開けている、地下鉄の階段を降りていく。十条博士は弁当代分きっちりしか、金を払ってくれない。少しでも節約しなければ、ならないのだ。
 利用者の少ない昼間の地下鉄線ホームは、今時都会とは思えないほど閑散としていて、それがかえって晴海の気に入っていた。時々研究所の連中から感傷的だ、などと言われるが、それでも良いと思っている。人間というものは誰しも、心の中で詩人になってしまう時はある。
 だが、この日は少々様子が違った。ホームの端の方に、小さい人だかりのようなものが出来ている。
「……っと、離してよ!」
「何だよ、どうせ家出なんだろ?そんな大きい荷物持っちゃってさぁ」
「行くあてが無いんだったら、俺達と一緒にくりゃあいいじゃん」
 こんな時間から、不良少年達が通りがかりの少女を無理矢理ナンパしているらしかった。嫌がって声を張り上げている少女は随分気が強そうだったが、相手は四人。しかも中の一人、手にコーラの缶を持っている少年が言うように、彼女が反対側の腕に下げている、家出してきているとしか思えない大きなスポーツバッグが更に動きを邪魔していた。
 あまりに「定番」のようなシチュエーションに、晴海は滑稽ささえ感じた。これが夜の繁華街での出来事だったら、道行く人の殆どはちょっと興味を示しても、すぐに「他人のことだ」と通り過ぎてしまうだろう。
 しかし。晴海はこういうのは、好きじゃない。
 気に入っている空間を台なしにされたせいもある。晴海はなおも争っている一団の方に近づいていった。
「おい」
 突然割り込んできた声に、不良達は鼻白んで晴海の方を見た。聞こえよがしに舌を鳴らす奴もいる。しかし、晴海は臆することなく、まっすぐ少女の方だけを見た。
「――遅れてごめん。待ったか?」
 少女はすぐに彼の意図するとことを悟ったらしい。強張っていた表情が、蛍光灯並の切り替えの早さでぱっと明るくなる。
「そーよおっ、おかげで今、こんな目に遭ってるんだから!」
「なんだよ、男待ちだったのかよ」
 彼女の機転の早さに見事引っかかってくれた少年の一人が、乱暴に少女の手首を解放する。彼女はこれ幸いとばかりに、晴海の背後にサッと隠れた。
 それを見て少年達は、今度は晴海の方に少しずつにじり寄ってきた。
「なぁ?あんたのカノジョに、俺達すっげぇ嫌な思いさせられたんですけどぉ。アンタ代わりに謝ってもらえません?」
「何よっ!どう考えたって悪いのはあんた達じゃないっ」
 晴海の後ろで少女がわめく。彼も、全くもって彼女と同感だ。しかし、不良達は本気でそう思っているわけではなく、単に言いがかりを付けたいだけなのだ。
 その時、反対側のホームから、電車入場のアナウンスが聞こえた。
「――走れ!向かいの奴だ!」
「え、え!?」
 晴海はとっさの判断で少女の手を取ると、猛ダッシュで階段を駆け上がった。

晴海と彩葉の出会い(エンコ様)

「畜生逃げやがった!!」
「おいっ、待てよコラァ!」
 一瞬反応に困った不良達も、二人を追ってくる。だがその出遅れが響き、体力のありそうな少年達は逃げた獲物になかなか追いつけない。
 晴海は少女を連れたまま、反対路線のホームへの階段を駆け下りる。ちょうど、アナウンスで予告された電車がホームに入ったところだった。
「このままあの電車に乗るぞ!」
「くそっ!!」
 そこに、あのコーラ缶を持った少年が、もう晴海達を捕まえられないと判断したのか、手に持っているものを勢い良く放り投げた。
 缶は回転し中身をまき散らしながら、一直線に二人の方へ飛んでいく。とっさに振り向いた晴海は、すぐに来るであろう痛みを覚悟した。
――しかし。
 信じられないことが、起きた。
 缶は晴海達に当たる直前、その動きを止めた。推進速度を喪ったそれは、床に衝いてカラカラと転がる。
 だが、その全てをきちんと見届ける余裕もなく、晴海達は発車ベルに背を押されるように車内に飛び込んだ。空気音と共にドアが閉まり、遅れて下まで降りてきた不良達が、ガラス窓越しに悪態をつく。
「無事、逃げ切れたな」
「へへっ、ありがとー。おかげで助かっちゃったよ♪」
 額に汗を浮かべながら、少女は笑顔で晴海を見た。が、危機を脱したことより遙かに気になることが出来てしまった晴海の表情は、未だ晴れていない。
「さっきのコーラの缶、あの動きは、絶対に物理法則を無視していた……」
 空中で確かに静止した物体。そんなことを可能に出来るのは、超常的な力だけ。
 晴海は頭脳こそ優秀だが、それでもただの人間だ。ならば。
「もしかして、あれは君がやったのか?」
 晴海に問われ、少女は悪戯を咎められた子供に、ぺろっと舌を出した。
「ばれたか」
 その一言が、やがて銀河を巻き込んだ影の争乱の発端になるとは、晴海はこの時、予想だにしていなかった――。

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