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 人間達が憧れの眼差しで見上げる、天空の遠く遙かな高み。蒼が紺青こんに変化する境にある薄雲の合間に、彼らのような生命体が棲んでいた。
「ミオゥ、ミオゥ」
 仲間に声をかけられ、その生命体の一つが、食い入るように見つめていた巨大な水たまりからやっと視線を外した。
 胴体やそれに比して長い四肢はつるりとした皮膚を見せていて、目立つ体毛は頭頂部など一部にしか生えていない。四肢は細長くいかにも脆弱に見える姿かたちだが、その背には、鳥のもののような、淡い緑の光を放つ巨大な翼を生やしていた。
「また、『水たまり』なんか見ていたの?」
「キラン」
 キランと呼ばれた方の生命体は、翼がとろけるような黄金色をしていた。キランはすぐに水たまりに視線を戻したミオゥに、キランは呆れたような視線を投げかけた。
「そんなもの、何処が面白いの?」
「『何もない』こと無い。ほら、浮島だってある」
 ミオゥが指した先には確かに、茶褐色や暗い緑に彩られた、大きかったり小さかったりする島があった。
「浮島って言ったって、全然動いてないし、何も無さそうじゃない?」
「それは実際に行って見なきゃわからない!」
 ミオゥはいちいち反論するキランに腹を立てたようだ。琥珀のような瞳が一瞬、燃え上がる。
「ミオゥはちょっと、『水たまり』に興味を持ちすぎてるわ。いい加減やめておいた方が良いわよ」
 キランはそう言うと、ミオゥの肩を叩いて飛び去った。だが、ミオゥは『水たまり』から視線を外さなかった。

 強い風が吹くと、水田の稲穂が湖の水面みなものようにざわめく。
「今年は神様からの恵みが充分もらえたな」
「ああ」
 友の言葉に応え、真麻まそは頷いた。刈り入れ時はもうすぐで、収穫後の祭を楽しみに、村中が何処かそわそわとしているのだった。
「なぁ、真麻はどうするんだ?」
「どうするって――何を?」
「決まってるだろ、祭でどのに誘いをかけるんだ」
 何だそんなこと、と言った真麻を、友は呆れたように睨んだ。
「阿呆。俺たちゃそろそろ妻を娶ってもおかしくない年頃になってんだぞ。今度の祭が絶好の機会じゃないか」
「お前、他の奴にも同じ事を訊いているのか?」
「当たり前だろ」
(つまり、詮索と牽制というわけか。枝垂しだれ自身にきっと目当ての娘がいるんだな)
「俺に関しては心配しなくて良いさ、村の娘の中には、まだ特に妻にしたいとか思うのがいないから。それより、早く次の奴に釘を差した方が良いぞ」
 何言ってやがる、と枝垂は真麻の頭をはたき、足早にその場から去っていった。
 ついさっき枝垂に言ったことは本当だが、真麻とて近い将来、村の娘の誰かの家に通って、独立する日が来るのだろう。
 稲穂の水面が、また揺れた。

 まだ、村の中心では村人らが火を囲んで踊りの輪を作っている。枝垂がどうやら無事に目的を遂げたらしいのを、真麻はすこし離れたところから見ていた。
(今夜は……どうしてだか、とても胸騒ぎがする)
 真暗なそらには、真白い満月。磨き抜いた珠のように美しい。
 それが一瞬、翳った。
「何だ、あれは?」
 巨大な鳥が落下しているように見えた。真麻はそれを、追う。
(あの位置なら……恐らく、沼のあたりだ)
 天と同じく真暗き森の中、一箇所だけ周囲とは異なる雰囲気を放つ場所。月光を反射し、水の中にもう一つの月を生む。
 だが月影は、沼に落ちたものによって姿を乱されていた。真麻は急いで沼に腰の辺りまで浸かり、その正体を確かめようとした。
「鳥――いや、人なのか!?」
 身体の造りは村の娘達と何ら変わりはない。一糸まとわぬ姿だったが、その代わり、背から伸びたおおきな薄緑色の翼が、月光を照り返そうとする素肌を隠していた。
「おい、しっかりしろ!」
 彼女(女性なのだろう、多分)の正体が何であれ、放っておけば危険な状態であるのは明白だった。頬を叩くとわずかに反応を返したので、真麻は早急に娘を岸まで揚げ、枯れ草の上に横向きに寝かせた。幸い、水は殆ど飲んでいないようだ。が、肌は冷たい。真麻は上半身に被っていた衣を一枚脱ぐと、娘の上にかけた。
「火、火が無いと――」
 月明かりのみを頼りに小枝や枯れ葉を集め、いつも携帯している火打ち石で火を付ける。やがて、祭の火よりはずっと小さな炎がパチパチと弾けた。
 真麻は娘の隣に座り込み、橙色に揺らめきに映し出された彼女の顔を改めて眺めた。
 春に咲く花のような色白の肌、薄い栗色の長い髪は特徴的だったが、目鼻立ちはやはり真麻の知る人々と極端に違うわけでは無い。
(でも、この翼……)
 畏怖すら抱かせる、鳥のような翼を生やした者。人間ではあり得ない。だが、決して魔とは思えない。
 ならばそれは――天女と呼ぶしか無いだろう。
「ん……」
 娘の瞼が震え、やがて、ゆっくりと開かれる。
「アマ…トゥエ……ル、ル?」
 唇の紡いだ言葉の意味は、真麻には解らない。
「大丈夫――か?あんた、天からあの沼に落ちたんだぞ」
「ウ・レン、ヌマ?」
 娘は体を起こし、真麻を見た。透き通った茶色の瞳と視線が合う。

―了―

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