「葵、今日は夕方から家族パーティよ。クリスマスだからね」
「え!?」
聞いてないよ、と言おうとして、でも葵は言葉を飲み込んだ。
彼女の朝食はテーブルの隅っこに追いやられ、周りにひしめいているのはちょっと見たことのないぐらいの種類と量の食材。母はどうやら、本気らしい。
「今年は友達と遊びに行かないって言ってたでしょう?だから、久しぶりに、ね。だから絶対、家にいるのよ」
「え、でも……」
友達と約束しなかったのは、今年は祐人と一緒に過ごすと決めていたからだ。用意周到な彼のことだから、今日のための準備は全部きっちり済んでいるに違いない。そして祐人との待ち合わせの時間は、正に夕方五時だった。
「お料理、葵も手伝ってね。今日はいっぱいご馳走作るつもりなの」
確かに、それは見るからに明らかだった。葵の母は料理の二文字が何より好きな人だ。しかも、一度言ったことはなかなか曲げないほど頑固だ。どうやって逃げようか、葵は真剣に考えなければ、と思い始める。
「兄貴もうちに来るの?」
家族パーティ、と言うことは、現在一人暮らしをしている彬もメンバーに含まれる、と言うことになる。
「それがねぇ、あの子今日に限って仕事が入ってるって言うのよ。どうしましょう、私達三人じゃきっとお料理食べきれないわ」
「だったらいっそのこと、今日は中止に――」
「そうだ、葵。祐人君も呼べないかしら?彬の代わりって言ったら悪いけど、パーティって人数多い方が良いから」
母の言葉は偶然なのか、それとも葵の心を読んだのか。
「……なら、お母さん、もう一人私の友達呼んで良い?」
「――ってわけで、祐人、ほんとに悪いんだけど夕方からうちに来てくれない?」
『相変わらずだねおばさんはっ☆レストランの予約今からキャンセルするかな▼』
やはり祐人は、独自に色々と計画を立てていたらしい。彼の口調はいつもの通りなのだが、それが余計に葵を申し訳ない思いにさせてしまう。
『クリスマスプレゼントは期待しててっ$葵ちゃん♪』
「あたしも、ちゃんと用意してるからね」
『んっ@』
「じゃあ、また、後でね」
だが、一分一秒でも長く祐人と話しているうちに、葵の中で嬉しさの方が勝ってくる。何だかんだと言っても、今日は恋人同士として初めて彼と過ごせるクリスマスなのだ。どんな形であれ、楽しまなければ損なことに違いはなかった。
母親に散々こき使われ、一緒に料理をした結果、普段は滅多にお目にかかれないメニューがずらりと食卓に並べられた。ローストチキンも自宅で作るのだから、母親のパーティにかける情熱は凄まじいと言える。ケーキは定番のイチゴショートだが、葵が施したデコレーションは、ちょっといびつになってしまっている。ツリーは先日父親が一人で飾り付けをしていたから、後はゲストを待つだけだ。
(早く来ないかなぁ)
時計の秒針の速度がまるで二倍になってしまったかのようで。葵は自室で祐人のために買ったプレゼントの包みを引っ張り出したりまたしまったり、ためつすがめつしたりする。
やっとのことでチャイムが鳴ったとき、葵は派手な足音を立てて玄関に転がり出た。体当たりする勢いでドアを開ける。
「こんにちは、葵」
「何だ、菜那緒かぁ……」
「あら、ひょっとして『期待はずれ』ってことかしら?」
肩の力が抜けた葵を見て、菜那緒は苦笑する。彼女は良く似合いの、丈の短い黒いコートを着ていた。
「でも、葵のお目当ての人はそこにいるわよ」
「へ?」
「やぁ★」
あまりに勢いづきすぎて葵は目の前しか見えていなかったらしい。祐人は、菜那緒のすぐ後ろに立っていた。
「なんだぁ……ま、とにかく二人とも上がってよ。お母さんの今日の意気込み、凄いから」
葵が招き入れると、まず菜那緒、続いて祐人が「おじゃまします」と言いながら中に入った。
「あらあら、ようこそいらっしゃいました!」
その物音を聞き付けて、葵の母親が玄関まで出てきた。
「おばさんっ、お久しぶりですα」
「祐人君、久しぶりねぇ。彬が出て行ってから、うちに来なくなったものね――あら、まぁ!あなたが葵が言ってた『お友達』?」
「初めまして。黒羽菜那緒と言います。本日はお招きに預かり、光栄です」
「どういたしまして!――ちょっと葵、この子凄く綺麗な子ねぇ!まるでアイドルみたい」
葵の母はもう待ちきれないとばかりに、すぐに祐人と菜那緒をダイニングまで案内した。そこには既に葵の父が席に着いていて、祐人と挨拶を交わした後、やはり同じように菜那緒を見て驚いたようだった。言葉にこそ、出さなかったようだが。
参加者全員がテーブルに着き、すぐにパーティが始まった。
シーフードサラダを取りながら、祐人は向かいに座っている人物に声をかけた。
「菜那緒ちゃん、これ要る?」
「ありがとう、水尾さん」
菜那緒は礼を言うと、祐人から直接サラダボウルを受け取った。その様子を見て、葵の母が興味津々に尋ねた。
「ねぇ、もしかして黒羽さんって祐人君の彼女さんなの?」
「うっ……」
がちゃん、と音がしたのは、葵の皿だ。フォークを落としてしまったらしい。だが彼女以上にショックを受けた人物がいるようだ。
「ち、違いますよっ!?そんなことしちゃったら彬に五回ぐらい殺されちゃうっ!!」
菜那緒はと言うと、何と言っていいか判らないようで、困ったような笑顔を浮かべている。
「彬?まぁ、そうだったの?あの子ったら、私達にはそんなこと一言も報告しないんだから。葵は知ってたの?」
「うん」
「黒羽さん、彬はあれで頼りないから、苦労するだろう?なるべく長くよろしくお願いするよ」
「あ、そうだわ。葵、納戸にキャンドル仕舞っていたのよ。折角だから、取ってきてくれない?」
「はぁい」
「あ、私も行くわ」
葵が立ち上がると、何故か菜那緒も彼女についてダイニングから出ていった。そして、葵が納戸を開けるのを見計らって、言った。
「ねぇ、葵。もしかしてご両親に水尾さんと付き合ってるってこと、言っていないの?」
「実は……そうなんだ」
「だったら、本来なら今日は二人だけのクリスマスの予定だったのね?」
「うん」
幼馴染み期間があまりに長すぎて、しかも経緯が経緯なだけに、祐人と恋人同士になったと言うことを親に言うのが、葵にはどうしても出来ないのだ。だからデートのことも言い出せなくて、今日のパーティに祐人と菜那緒を招待する、ということになってしまったのである。
「何だか水尾さんが気の毒」
「う、それ、言わないでよ。兄貴だって菜那緒とのこと一切親に言わなかったんだし、良いじゃん」
「彬は一人暮らしなんだから、別よ――あ、これじゃない?」
菜那緒は紙袋の中のキャンドルを見つけると、まだ何か言いたさげな瞳で、軽く葵を睨んだ。
電灯を消して、燭台の明かりの下で行われたパーティは、夜九時まで楽しく続いた。やはり葵のデコレーションは、みんなの笑いを買ってしまった。ただ、スポンジを焼いたのは母親なので、味の方はまともだったため苦情は出なかった。
「あ、もうこんな時間ですねっ%僕はそろそろ帰らせていただきますよ¥」
「私も――」
時計を見た祐人と菜那緒が、口々に暇乞いを申し出た。
「そう?残念ねぇ。でも、楽しんでいただけたみたいで、嬉しいわ。また遊びにきてちょうだいね」
「あ、あのっ!お父さん、お母さん!」
突然、葵が裏返った大声で叫んだので、一同の注意が思わず彼女に向けられる。
「えっ」
「葵ちゃんっ?」
「葵?」
「実はさ、この後菜那緒と他の女友達と夜にカラオケする約束してたの!だから、行ってくるねっ!!」
「何だそれは。聞いていないぞ」
父親は明らかに不機嫌そうな発言をしたが、葵は両親の返答を聞かず、すぐに自分の部屋へと戻っていってしまった。
「おじさま、おばさま、私が何事も無いよう気を付けておきますから」
菜那緒は華のような笑顔で葵の両親を見、そう言ってフォローした。
「まぁ、黒羽さんがそう言うなら、大丈夫よね?あなた」
「うむ……」
そして既に、二人はすっかり菜那緒を信頼してしまったようである。
祐人と菜那緒が帰るときになって、ダッフルコートを着用した葵はやっと部屋から出てきた。玄関先で菜那緒達が別れの挨拶をした後、三人は揃って夜空の下に出ていった。葵の父は彼らが道を曲がるまで、ずっと表で様子を見ているようだった。
「……葵、私をダシに使ったのね?」
「やっぱ、バレバレだった?」
葵は悪戯っぽい仕草で、舌をべっ、と出した。
「え★カラオケって嘘だったんだ?」
その場にもう一人、騙されていた人物が頓狂な声を出す。
「当たり前じゃないですか、水尾さん。だって、本当は今日デートの約束してたんでしょう?」
じゃあ、邪魔者はこれで退散するわ、と、菜那緒は一人立ち去ろうとした。
「あ、待って!」
彼女を、葵は慌てて引き留める。
「どうしたの?」
「協力してくれて、助かったよ。お礼にこれ、渡しとく」
掌でチャリ、という音がして、一体何だろうと思った菜那緒が葵から渡された物を見てみると、それは兎のキーホルダーが付いた鍵だった。
「これは?」
「兄貴のアパートの合い鍵。菜那緒、持ってないんでしょ?これから押しかけちゃいなよ。鍵は後で兄貴に預けといてくれればいいから」
「――有り難う」
そして今度こそ菜那緒が行ってしまうと、やっと葵と祐人の、二人だけになる。
「祐人、これ、クリスマスプレゼント」
ハンドバックから、赤と緑と金でラッピングされた箱を取り出し、祐人に手渡す。
「ありがとっ♪何だろうなぁ☆」
「どうせ毎年プレゼントあげてるし、これと言って特別なもの思いつかなかったんだけど。とりあえず、腕時計にしてみました」
「じゃっ、今度は僕が葵ちゃんにプレゼントっ#」
祐人は上着のポケットを探ると、小さな箱を引っ張り出した。「開けてみて*」と彼が言うので、包装紙が邪魔になるが、葵は言われたとおりにした。
「わーっ!!」
「葵ちゃんご近所に迷惑っ!!」
「だって、だって!」
中を見たら、喜ばずにはいられない。
それは地金に小さな宝石が一つ、埋め込まれているというシンプルなスタイルの、金の指輪。
「ほらっβ指輪をこっちに渡して、手を出してっ§」
祐人は指輪を取り返すと、葵の左手を取り、薬指に嵌めてやった。
「凄い、ぴったり。あたし祐人に指輪のサイズ教えてないのに、どうして?」
「目算は得意中の得意なんだっ◆」
そう言うと祐人は、まだ放さないでいた葵の掌を引き寄せ、その甲に軽くキスをした。
「さぁ行きましょうか、お姫様◎」
「そう言えば、これからどうするの?レストランはご破算になっちゃったし」
「レストランはほんの序の口♭ちゃーんとこの先も考えてあるしっ℃これからがクリスマスの本番だからねΦ」
「へー。どんなの?」
「それは企業秘密だよっ☆」
そう言うと、祐人は葵の肩を、片腕で思い切り引き寄せた。
〜了〜
|