1998年から2000年にかけて、筆者は元日本兵の人たちをメーホーソーン県内の場所へ案内する機会を得た。そのなかでも耐えることの出来ない場所があった。それは、ソップモエイ郡メーサームレープ村である。ここはサルウィン河の流れる村である。かつてここは軍隊の通り道になり、ここで亡くなった兵士も多かった。メーサームレープ村に着いたとき、元日本兵の方たちの多くは仲間から離れて一人になり、河の流れを見つめて瞑想にふけっていた。その様子は悲しそうであり、彼らは誰とも話さず何も言わず、静かに立っていた。涙を流す人もいた。私たちはどんな思いが彼らを黙らせたままなのか、訪ねる勇気はなかった。そっとしておくのがいいと思った。同行した人は、彼らは毎年やって来て、こうして行ったり来たりしている、と言っていた。彼らは立ち尽くして、そして岩山の上に墓標や写真を置いて、共に戦った友人たちに思いを馳せ、安らかに眠れるように祈っている。彼らの心の中では、当時の恐ろしさが去来しているのだろう、そして自分が奇跡のように生き残った不思議を思っているのだろう。サルウィン河の水は冷たく、休むことなく同じように流れている。運命とは何か、どうして彼らの運命は無残な規則を通ってこなくてはならなかったのか。
最後に彼らはサルウィン河に礼を言い、彼らの命を助けてくれた森の神に礼を言った。元日本兵の方以外にも、ここで亡くなった兵士の兄弟親戚が訪れ、笛を吹いて日本の歌を川岸で歌った。まだこの辺りをさまよっている兵士の魂が笛の音を聞く一年に一度の機会だ。笛の甲高い音が静寂を突き破り、さらに静寂を深め、悲しみを誘った。川辺のきれいな石を拾い、言葉を書いたり写真を貼ったりして川原に戻し、線香をあげる人もいた。
筆者がいろんな人に聞いてきた、あまり知られていない戦争と自然に関する話はまだまだ他にもたくさんある。どの話からも、友達を失った兵士の痛みと、愛する人を失った肉親の悲しみがあふれ出ていた。多くの日本兵が命を失った、ジャパニーズ・ティーレーズーには大きな河があり、高い切り立った崖があり、大量の水が大きな音をたてて流れ落ちている。
(原文タイ語日本語訳 永井貴和子 ランナーエクスプローラー)
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