最強の剣豪は誰か
上泉伊勢守の巻(2)


さて、上泉伊勢守が疋田文五郎を連れて大和の柳生を訪ねた。
柳生宗厳(石舟斎)がそれを聞いて仕合を望んだ。
しかし、上泉伊勢守が辞退したので、代わりに疋田文五郎が立ち会った。
三度やって三度とも疋田が勝った。
驚いた宗厳は上泉に「ぜひ立ち会ってほしい」と頼み込んだので、仕方なく上泉伊勢守が向かい合ったところ
「その太刀ではとり申す」と言って素手でとってしまったのだ。
上泉伊勢守は柳生宗厳に、「無刀取り」の術理を工夫させ、これを示した柳生石舟斎を兵法第二世の印可を与えた。
丸目蔵人は「殺人刀太刀、活人剣太刀」の免許を与えられた。
丸目蔵人は帰国して相良家に仕えたが、その後、丸目の門人の有瀬外記が関東に下って上泉伊勢守の門人になった。
この有瀬外記が修行をおえて帰国する際、上泉伊勢守は丸目蔵人と別れた後で案出した新しい剣技を有瀬外記に教え、
帰って丸目蔵人に口授せよと伝えた。
しかし、丸目蔵人は門人から教えてもらうのを嫌って(これに関しては、丸目蔵人は怒って当然だろう)
自ら上泉伊勢守について学ぼうと関東へ下ったが、上泉伊勢守は死去したあとであった。
丸目蔵人は失望して流派を大捨流と名乗った。
弟子に失望させるなよ。
上泉伊勢守と門人たちは同時代人ではない。同時代に生きているが年齢差、経験差が歴然とある。
上泉伊勢守は柳生石舟斎に比べ20歳くらい、疋田や丸目に対しては30歳くらいの年長者だ。
勝って当たり前ではないか。
(そうすると、疋田文五郎は強い)

