武蔵随想
秋山某って誰でしょうか(改)


「五輪書」序文に書いている但馬の秋山某はちょっと気になる。
武藏本では、但馬の秋山某は二番目の相手としてよく登場させられており、武者修行第一号のような記述が多い。
「宮本村古事帖」に本年より九十年前(つまり慶長四年で武藏が16歳のとき)に武者修行に出たというあったからだ。
武者修行に出た年の相手だから、記念すべき武者修行第一号の相手と考えるほうがすっきりするのだ。
武蔵は、「五輪書」を、後世に遺そうとしている。
書いているとき何を思ったのだろうか?
意外と、あまり、何も思っていなっかったのかもしれない。
最初の勝負が十三歳、但馬の秋山が十六歳、都に上り天下の兵法者に行きあうのが二十一歳で、
そんなこんなは二十八、九歳まで続き、さらに朝鍛夕錬して兵法の真髄にあうのが五十歳で
「五輪書」を書き始めたのが六十歳。
十六歳は最初の十三歳のときの勝負と都の上る二十歳のちょうど真ん中で
それから十年が諸国の兵法者に行きあってばかりで、その二十年後に悟った、と六十歳で書いた。
リズムがいいので十六歳のことを書いただけではないか。

