武藏伝説
ある包丁人の企み


あるとき、小笠原信濃守の邸で、人々が集まって四方山話のうちにたまたま宮本武蔵の兵法に及んだ。
そのとき、多少、腕に覚えのある包丁人が、こういった。
「いかに武蔵にせよ、油断しているときに不意を打てば打てぬことはあるまい。」
「不意打ちとはいえ、武蔵には通用すまい。だが、おぬしが打てるというならば、ひとつ試してみてはどうか」ということになり、
その夜、武蔵が邸にくるころあいを見計らって包丁人は暗いものかげに隠れた。
やがて、武蔵はやってきて、その場へさしかかった。
それをやり過ごしておいて包丁人は背後から木刀をふるった。
そのとき、武蔵はうしろざまに包丁人に体当たりをして、右手にもっていた刀のこじりで胸板をしたたかついた。
仰向けざまに包丁人は倒れたが、すぐに立ち上がろうとした。
すると武蔵は刀を抜いて相手の右腕へ二つ三つみね打ちをくらわせ刀をおさめ、さあらぬ体で座敷へ通った。
「何事かあったのか」と信濃守が尋ねると、いつもの静かな口調で
「ただいま何者かが御前近くものさわがしき振る舞いに及びましたるにつき、戒めておきましたがもはや騒ぐことは叶いますまい。」
包丁人は医師にかかって治療をしたが、ついに右腕は使いものにならず、そのため暇をつかわされた。

さすがに殿様の酒席で仕掛けたらいかんだろう。

