森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2002年03月01日〜03月19日

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徴兵制かあ・・ 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月19日(火)21時06分51秒

米国では、そこまで議論をしちゃってるんですね。その感覚で、ヴィーチも日本に来てしゃべってる。でもまあ、その前提として、米国では「脳死=例外なく人の死」だってのがあるわけです。日本では、その前提が成立しない。だから、回収モデルも、徴兵制モデルも、適用できないということですね。

徴兵制を言っている学者たちも、脳死は一律に人の死なのかってことについては、思考停止しているのでは?


てるてるさん、さすがっ!2 投稿者:りんご  投稿日: 3月19日(火)20時10分49秒

てるてるさん、英語論文の数々、すごいですう。

りんごは、ヴィーチ先生のことをもっと知ろうと思い、日本語訳されている本を探しました。
下記は、「Case Studies in Pharmacy Ethics」(Oxford University Press,Inc.1999)の翻訳本です。薬剤師のためとありますが、内容は、医療資源の配分、同意と治療拒否権、死と死にゆくことなどなど、事例を紹介しながら解説しています。

『薬剤師のための倫理』南山堂
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3c4ecaa827f300101e08?aid=p-morioka00730&bibid=02023925&volno=0000


てるてるさん、さすがっ! 投稿者:けい  投稿日: 3月19日(火)11時58分42秒

てるてるさんの調査を読んでて、確かにそういう文脈だったと思いました。
全市民に意見を聞くのは、たとえば所得税の申請の時など(アメリカでは成人が全員する)に、
行うことができる、とヴィーチ教授は言っていたように思います。
あと、ヴィーチ教授は通常回収とはたとえばごみを回収する時のような、というふうに、
たとえの悪いたとえを使っていたような気がします・・・。
徴兵制度ね〜、なるほどね〜。

もう一回 投稿者:てるてる  投稿日: 3月19日(火)11時52分43秒

またもや訂正です。m(__;)m

>この方法について、我々は長所と短所とを検討する。結論として、臓器の摘出は、倫理的に要請されるものではなく、倫理的観点から、臓器の徴兵制度conscriptionは現実に望ましいものである。
                       ↓
この方法について、我々は長所と短所とを検討する。
結論として、臓器の摘出の承諾が倫理的に要請されるのではなく、倫理的観点から、臓器の徴兵制度conscriptionが現実に望ましいものである。


organ procurement 投稿者:てるてる  投稿日: 3月19日(火)11時48分35秒

organ procurementでPubMedで検索すると、やまほど論文がみつかります。
そのなかで、2002年2月の論文を一つ紹介します。
これは共同体への奉仕としての徴兵制度にたとえた、臓器の徴収制度を提案するものです。

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Am J Kidney Dis 2002 Mar;39(3):611-5

Conscription of cadaveric organs for transplantation: let's at least talk about it.

Spital A, Erin CA.

University of Rochester School of Medicine, Rochester, NY, USA. aaron_spital@urmc.rochester.edu

Renal transplantation is the optimal treatment for many patients with end-stage renal disease, and for people with other end-stage organ diseases, transplantation may offer the only hope for survival. Unfortunately, the ability to deliver this medical miracle is limited by a severe shortage of human organs. As a result, many people with irreversible organ failure die while waiting for an organ to become available. Compounding this tragic situation is the fact that many usable organs are being buried instead of being transplanted because of the relatively low efficiency of cadaveric organ procurement. One of the major barriers to procurement is family refusal. Several proposals designed to increase consent rates have been suggested, but it is highly unlikely that any of them would approach the 100% efficiency of organ procurement that patients with end-stage organ failure so desperately need. However, there is a rarely discussed alternative that would likely achieve this important goal---conscription of cadaveric organs. Under this plan, all usable organs would be removed from recently deceased people and made available for transplantation; consent would be neither required nor requested and, with the possible exception of people with religious objections, opting-out would not be possible. In this article, we review the advantages and disadvantages of this approach. We conclude that consent for cadaveric organ removal is not ethically required and that, from an ethical point of view, conscription is actually preferable. Copyright 2002 by the National Kidney Foundation, Inc.

PMID: 11877582 [PubMed - in process]

多くの利用可能な臓器が、移植されずに埋葬されるために、移植待機患者が死亡している。その原因は、臓器調達organ procurementの成功率が低いからで、その主な理由は、家族の拒否family refusalである。いくつかの改善策が議論されてきたが、いずれも100%の成功率に達していない。ところが、今までほとんど議論されてこなかったのが、臓器の徴兵制度conscription of cadaveric organsである。臓器の徴兵制度conscription of cadaveric organsに変えれば、承諾を質問したり要請したりする必要はなく、consent would be neither required nor requested, 宗教的な理由以外は、拒否することができなくなる。
この方法について、我々は長所と短所とを検討する。結論として、臓器の摘出は、倫理的に要請されるものではなく、倫理的観点から、臓器の徴兵制度conscriptionは現実に望ましいものである。
(この論文の著作権はthe National Kidney Foundationにある。2002年)
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routine salvage of organs 投稿者:てるてる  投稿日: 3月19日(火)11時45分12秒

補足訂正ですー。m(__)m

>その条件とは、共同体が一つの目標を共有し、共通の価値観を持ち、共同体そのものが重要だとみなし、相互の義務を成員が負担するようになることである。それによって、が確立する。共同体のすべての成員は、前もって拒否を選択する機会を与えられるが、そのかわり、後で、自分が臓器の提供を受けることはできない。」
                                  ↓
その条件とは、共同体が一つの目標を共有し、共通の価値観を持ち、共同体そのものが重要だとみなし、相互の義務を成員が負担するようになることである。それによって、routine salvage of organsが確立する。共同体のすべての成員は、前もって拒否を選択する機会を与えられるが、そのかわり、後で、自分が臓器の提供を受けることはできない。


routine salvage 投稿者:てるてる  投稿日: 3月19日(火)11時42分27秒

routine salvageとorganを検索語にしてPubMedでさがすと、いくつか、論文が見つかりました。

1
J Appl Physiol 2000 Nov;89(5):1681-9
Transplantation and its biology: from fantasy to routine.
Tilney NL.
Department of Surgery, Brigham and Women's Hospital, Harvard Medical School, Boston, Massachusetts 02115, USA.

2
Theor Med 1996 Mar;17(1):61-74
Of community, organs and obligations: routine salvage with a twist.
Loewy EH.
Bioethics, University of California, Davis Medical Center, Sacramento, CA 95817, USA.

3
J Health Polit Policy Law 1985 Summer;10(2):231-44
A proposal for cadaver organ procurement: routine removal with right of informed refusal.Matas AJ, Arras J, Muyskens J, Tellis V, Veith FJ.

上から順に、2000年、1996年、1986年の論文が挙がっています。

一番下の、1986年の論文では、informed refusalという言葉がありますね。
informed consentは、日本語でも、「インフォームドコンセント」として、使われています。
情報を得たうえでの同意ですね。
informed refusalは、日本語だと、「インフォームドリフューザル」になるのでしょうか。
こっちは、情報を得たうえでの拒否。
論文の抄録では、
「臓器不足を改善するために、家族が情報を得たうえで拒否する選択をともなった臓器回収システムを提案する。個人が生前に拒否の意思を登録しているか、家族が拒否しなければ、臨床医は、日常的に、移植のために生きた臓器を引き揚げることが許される。」
としています。
>In order to alleviate the shortage of vital organs for transplant, we propose a system of routine removal of cadaver organs with an option of informed refusal by family. Unless an individual registered an objection during his or her lifetime, or unless the family objected to the procedure, clinicians would be permitted routinely to salvage vital organs for transplant.

まんなかの、1996年の論文では、臓器を共同体の共有資源とみなし、臓器提供の承諾や拒否を、
共同体成員の相互義務としてとらえる制度を提案しています。
「臓器移植は、ある条件のもとでは、共有の医学的資源の適正利用とみなすことができる。
その条件とは、共同体が一つの目標を共有し、共通の価値観を持ち、共同体そのものが重要だとみなし、相互の義務を成員が負担するようになることである。それによって、が確立する。共同体のすべての成員は、前もって拒否を選択する機会を与えられるが、そのかわり、後で、自分が臓器の提供を受けることはできない。」
>This paper makes the assumption that organ transplantation is, under some conditions at least, a proper use of communal medical resources. Proceeding from this assumption, the author: (1) sketches the history of the problem; (2) briefly examines the prevalent models of communal structure and offers an alternate version; (3) discusses notions of justice and obligation derived from these different models; (4) applies these to the practice of harvesting organs for transplantation; and then (5) offers a different process for harvesting organs from the newly dead. If community is viewed as united by a set of shred goals and common values among which the value of community itself is important, then certain reciprocal obligations among members obtain. I suggest that routine salvage of organs from the newly dead be instituted but that it be routine salvage "with a twist": rather early in life all members of the community are given the opportunity to refuse but their refusal carries the reciprocal condition that they cannot later become the recipients of that which they refuse to others.


全市民に 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月18日(月)19時16分44秒

意見を聞くというのは、オランダで行なわれましたね。
でも、結局、意思登録の回収率がそれほど上がらなかったはずです。
その意味で、かならずしも成功とは言えなかったという評価もあったのではと思います(資料、どっか行っちゃったなあ)。

実は私もいましたが・・・ 投稿者:けい  投稿日: 3月18日(月)11時42分19秒

ヴィーチ教授は「回収モデル」routine salvageを道徳的に可能と言っていましたが、
その根拠としての推定承諾は否定していました(と思います)。
同意なき獲得、よりも事前の承諾を推定するの方が聞こえがよい、しかしその法は不誠実だと。
通常回収は非難すべきか、いやそうじゃない、opt-outを認めた通常回収のために、
モラルの国際的な基準としてのなにかが必要だ、と。
寄贈モデルは、西洋個人主義の伝統に支えられており、
回収モデルは、スカンジナビア、南ヨーロッパ、カトリックの共通善の伝統が基にある、と。
日本はまた特殊なんですって。
でも日本に期待しておられたのは、全市民に提供する意思があるかどうかを聞く政策を、
米国よりもしやすいのではないか、それをしてくれたら他の国もそれをしようとする勇気が
わいてくると思う、ということでした。
それに、米国では家族の同意は必要ないが、医師は家族に聞いているという現実もあり。
そういう意味では立場は町野案でありながら、日本の法を評価している、かも。
しかし、ちょっと喋ってて(シンポの途中で友だちと)思ったのですが、
町野案でいくと、高額医療費の関係でいつか破綻がくる、あるいは、高額所得者で
なければ移植医療は受けられない、というジレンマに陥ってしまうのではないか、と。
米国の移植医療、野村さんのお話によってもその病院だけで年間100例。
誰でも受けられる医療ではないんじゃないかなーと思いました。
でも、野村さんのお話は生き生きしてて、「生きてるね、いっしょにね」よかったねーと
思いました。移植で生還された方のお話を聞くのは初めてで感動しました。

ヴィーチ 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月18日(月)10時01分36秒

会場にいた方から、ヴィーチ教授の発表は聞き取りにくかったが、もっと複雑なニュアンスのことを言っていたようだとのコメントがありました。なるほどー。早稲田大学のHPで、正確なところの発表要旨を公開してくださるとうれしいのだが・・・・。

でも、「回収」ということばは、なんともすごいね。
英文タイトルは、
Bioethics of Salvaging Organs: New Proposals for Procuring without Consent


2つの発表 投稿者:なな  投稿日: 3月18日(月)01時47分43秒

今回のシンポジウムでりんごさんがレポートされていた、野村 祐之先生の「生きている、生かされている、いっしょにね」という臓器移植とドナーに寄せる思いと、Drヴィーチ提案の「臓器提供は、贈りものとしての『寄贈モデル』ではなく『回収モデル』。」は、相容れない両極の発想のように感じます。野村先生の発言からは、ドナーから提供された臓器を「寄贈」ではなくて「回収」なんて呼ぶことはとてもできないと思うのですが。

思うに、このような臓器移植やドナーに対するスタンス、思いがはっきり異なる2つの主発表は議論を呼ばざるを得ないと思うのですが、どうなんでしょうね・・・。


りんごさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月17日(日)23時59分53秒

なるほど。

はじめは 投稿者:りんご  投稿日: 3月17日(日)09時04分15秒

町野案に近いのかな?と思ったのですが

>全市民に臓器提供の意思があるかの有無をあらかじめ聞いておいてデーター化しておく

「あらかじめ意思表示、自己決定しておく」というあたりが、「同意なき」とは違うニュアンスでした。


なるほど 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月17日(日)08時29分48秒

ということは、ヴィーチ教授も、移植に関しては町野案ってことですな(というか順序が逆か)。これは批判しなければ。しかし、大会長だったはずの木村利人氏は、たしか、本人の同意なき臓器回収には断固反対だったはず。ヴィーチには、反論しなかったのですか?

なぜ???


りんごメモ 投稿者:りんご  投稿日: 3月17日(日)01時02分52秒

「早稲田大学国際バイオエシックス・シンポジウム2002」にいってきました。

午前の部は「移植医療のバイオエシックス」で、まずは、ロバート・ヴィーチ先生(ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所)の「臓器救出のバイオエシックス ─ 同意無き調達のための新しい提案とは?」というお話でした。ヴィーチ先生の提案は、臓器提供は、贈りものとしての「寄贈モデル」ではなく「回収モデル」。「Salvaging」の日本語訳は「救出」よりも「回収」に近く、そこに残っているものを手に入れるということ。それにあたり、臓器提供の「承諾なし」と「推定承諾」とでは大きく違うため、明確に拒否してなければ臓器調達としてもよいという考え方で、全市民に臓器提供の意思があるかの有無をあらかじめ聞いておいてデーター化しておくというものらしいです。たぶん。。。
他国との比較などを織り交ぜながら、最終的には、世界各国で異なった生命倫理ではなく、世界共通の倫理を考え、救える生命を救おうということみたいです。

野村 祐之先生(青山学院大学)は、家族にささえられながらアメリカで肝臓移植を受けた体験を発表され、アメリカで受けた医療は、患者を中心としたチーム医療で、エキスパートが患者をささえているというものでした。また、アイデンティティが、臓器移植を受けたことで、ウィデンティティになったと感じたそうです。「生きている、生かされている、いっしょにね」

午後の部は「高齢者医療・福祉のバイオエシックス」で、高齢者は病気や天災を乗り越えて生きてきたことや、無益な治療、治療拒否の権利、自己決定できないときは医療行為の承諾の代行は? そして、今の介護保険制度は現場の声を反映していないなど、さまざまな問題が浮き彫りになりました。

質疑応答は、やはりヴィーチ先生に集中しました。回収法について、社会資源として公平な臓器の配分、医療側の倫理の教育について、などの質問がでました。公平な分配ということでは、日本では親族間の問題が出ていて、午前中は会場にいた臓器移植ネットワークの人が質疑応答のときにいなくて、ヴィーチ先生からもコメントもなく、残念!
結局は、どのような政策をとっても、臓器がレシピエントに充分提供されず、異種移植や人工臓器も必要なのでは ということのようでした。

最後に木村利人先生が、私たちがどういうチョイスをするのか、いつもいつも繰り返し討議して、私たちが作り出していこう!そのために、5月、9月、12月にもシンポジウムが企画しているということで閉会しました。

<感想>
なんといっても、英語がわからないってつらいですねー。
同時通訳の日本語でさえ、早口で、理解に苦しむ。。。
ので、英語での講演内容を正確に把握できたかは、ちょっと疑問なのであります。
事務局から報告書が公開されるみたいだから、詳しいことは、そのときに確認してみて下さい。
脳死そのものや脳死判定の議論はなく、脳死は人の死という前提で話が進んでいました。なんか、「臓器の回収」と言われると、臓器のリサイクルって感じがしますです。
平日ということもあってか、会場に空席が目立つのは気のせいか。もったいないなあ。
午後になったら、すこし聴衆の年齢層が上がったような。。。

以上、りんごの記憶に基づく感想・印象でした。
次回のシンポにも参加したいなあ。

<おまけ> てるてるさん、おまたせしましたあー。
ナイスなおじさまは? と会場を見渡すと、昨年の小児フォーラムにも参加されていた弁護士の鈴木利廣さんが来てました(^^)。途中で別な会へ移動されましたが・・・。


すみませんm(__)m 投稿者:りんご  投稿日: 3月16日(土)11時03分43秒

もうしばらくお待ち下さいませ(^^;)。

シンポ 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月16日(土)05時50分05秒

>りんごさん 内容はどんな感じだったのでしょうか?

会場に 投稿者:りんご  投稿日: 3月15日(金)10時05分42秒

無事つきました(^-^)

親族への臓器提供 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月15日(金)08時41分01秒

この問題、こんなに簡単に方針変更されていいものだとは思えません。
医学的根拠に基づいた公平な配分という原則がここで崩されると、あとは、ずるずるといってしまう危険があるのでは。

りんごさん 投稿者:ちゅうこ  投稿日: 3月15日(金)08時22分36秒

おきれましたかぁ?

早稲田のシンポ 投稿者:りんご  投稿日: 3月14日(木)11時57分17秒

行こうと思ってまーす。
あした、早起きできるかが問題ですう。

それはさておき、14日付けの朝日新聞、社会面より

>■心肺停止7分…100歳女性が生還、後遺症もなし 大阪

 呼吸困難になって大阪市天王寺区の大阪赤十字病院に運ばれ、一時は心臓も肺も停止した100歳の女性が、後遺症もなく奇跡の快復をした。14日に退院する。北区末広町の加藤多喜さんで、同病院の神原啓文副院長(循環器科)は「このお年で、心肺停止になったら命取りか植物状態の危険があったのに」と、強い体力と精神力に驚いている。

 中央区の老人保健施設にいた加藤さんは2月22日午前2時40分ごろ、呼吸困難になり、救急車で大阪赤十字病院に運ばれた。そのうち心電図が反応しなくなり、同4時ごろ、心臓集中治療室(CCU)内で心肺停止状態になった。

 当直の中川大輔医師(27)が心臓マッサージや気管内挿管をして、7分後に心臓が再び動き出し、呼吸も始まった。

 CCUには4日間いただけで、一般病棟に移った。翌日には好物の鉄火巻きを差し入れてもらって平らげた。

 加藤さんは14日から、大阪市内の別の病院で療養する。高齢者の心臓疾患に詳しい淡田修久・大阪府立成人病センター第1内科部長は「心肺停止になると、全身への血液やエネルギー供給が落ち、お年寄りだと快復しても脳や内臓に障害が残ることが多い。高齢者でも丈夫であれば院内での適切な処置で、全快することが証明された意義は大きい」と話している。

http://www.asahi.com/paper/national.html#SK20382

>■生前意思示せば親族へ臓器提供可 移植のルール指針案  厚労省 

 臓器移植のルールをめぐり、厚生労働省は13日、提供者が生前に書面で希望を示せば親族への提供を認めるとの指針案を臓器移植委員会(委員長、黒川清・東海大教授)に示した。これまでの委員会の議論をまとめたものだが、「公平、公正に分配するという臓器移植法の趣旨が崩れる恐れがある」との意見が出て、結論は持ち越された。

 きっかけは、聖路加国際病院(東京都中央区)で昨年7月、脳死と判定された男性の腎臓が親族2人に移植されたこと。この2人は男性の生前には移植ネットに登録されておらず、1万3千人の待機者を飛び越えた形となった。提供者が特定の患者を指定して移植することについて、明文化された決まりはない。

http://www.asahi.com/paper/national.html#SK20384


早稲田でのシンポジウム 投稿者:けい  投稿日: 3月13日(水)23時54分08秒

ありますね、今週の金曜日。
誰か行きますか? http://www.bioethics.jp/waseda2002/index-j.html

日本組織移植学会 投稿者:てるてる  投稿日: 3月12日(火)20時43分37秒

日本組織移植学会が発足したそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020312-00000580-jij-soci

社会ニュース - 3月12日(火)18時2分

日本組織移植学会が発足=倫理指針、ガイドライン作成へ

 臓器移植や救急医療に携わる医師らが12日、皮膚、心臓弁などヒト組織の移植に関する初の全国組織「日本組織移植学会」(理事長・北村惣一郎国立循環器病センター総長)を設立した。組織移植の質と透明性を確保しながら、移植を推進するのが目的で、6月ごろに倫理的に守るべき基本事項を示した指針や、実施に当たってのガイドラインを作成する。 (時事通信)


非公開ですが 投稿者:りんご  投稿日: 3月10日(日)09時34分48秒

厚生労働省のHPより

〈非公開〉 ・第12回「医学的検証作業グループ」の開催について

1. 開催日時:平成14月3月12日(火)18:00〜20:00

2. 開催場所:全国身体障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)2階特別会議室
 東京都新宿区戸山1−22−1
 TEL:03-3204-3611

3. 議題(予定)

1 脳死下での臓器提供事例について
2 その他

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/03/h0307-1.html


・「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議」の開催について

1.開催日時:平成14年3月15日(金) 10:00〜12:00

2.開催場所:九段会館「鶴」(2階)
 東京都千代田区九段南1−6−5
 TEL03−3261−5521

3.議題

(1)第13例目の事例の検証について
(2)その他

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/03/h0307-2.html


会議 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月 9日(土)00時53分34秒

臓器提供先にかかわる、ってことだから、例の、「親族に臓器をあげたい」という指定をした事例についての議論なのでしょうね、きっと。まさか、移植法の「本人意思の取り扱い」そのものについて議論するわけではないでしょうねえ・・・。

下記は 投稿者:りんご  投稿日: 3月 8日(金)23時38分37秒

厚生労働省のHPより

本人の意思 投稿者:りんご  投稿日: 3月 8日(金)23時37分00秒

<公開> 第6回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会の開催について

1. 開催日時
平成14月3月13日(水)10:00〜12:00

2. 開催場所
弘済会館「梅」(4階)
東京都千代田区麹町5−1
TEL:03−5276−0333

3. 議題(予定)

1 臓器提供先に係る本人の生前意思の取扱いについて
2 その他

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/03/h0308-2.html


負担 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月 7日(木)08時17分37秒

臓器移植ネットワークも、患者から移植費用を取ることにしたんですよね。日本の移植も、だんだんと米国のように高額医療になっていってるのかなあ。

静岡県腎臓バンクのホームページ 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 6日(水)21時16分31秒

静岡県腎臓バンクのホームページです。↓
http://www.process.co.jp/~jinbank/index-j.html

静岡県腎臓バンクの財政難 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 6日(水)21時11分07秒

静岡県腎臓バンクが、財政難から、腎臓提供の際の検査料補助をカットして、移植待機患者に
2万円の検査料を負担してもらうことに決めたそうです。
静岡県腎臓バンクは、各都道府県の同種の団体のなかでは、人口当りの腎臓提供の割合が高い
ほうです。広報に力を入れていることは、これまでに私も、ホームページを訪問したりして、
知っています。
しかし、基金の金利が低くなったことや寄付金の減少により、財政難になっています。
移植待機患者は、人工透析に費用がかかるうえ、時間をとられてあまり仕事が出来ません。
患者も経済的に余裕があるわけではない。
それでも、日本臓器移植ネットワークに登録している患者は、登録料や血清保存料を負担
してきました。

> 腎臓の疾患で人工透析を受けている患者は、一週間に3回、1回当たり4時間かけて透析を行う。このため、フルタイムで働けない平日があるなど、仕事が制限され、経済的に苦しくなる。
> それでも、移植を希望して、臓器移植をあっせんする「日本臓器移植ネットワーク」に登録している患者は毎年、登録料の更新に5000円、血清の保存に5000円の計1万円を自己負担している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020306-00000002-mai-l22


脳死とは? 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 5日(火)12時59分05秒

後藤正治著「ふたつの生命」は、移植を扱った、非常にいいノンフィクションだと思います。
しかしそのなかに、一点、疑問に思うことがあります。
それはノンフィクションとしての、出来不出来の問題ではなくて、仲田明美さんのとらえて
いた、脳死の概念です。彼女は、
「脳死とはすなわち固体死にほかならないと納得できてから、スタンフォード大学へ
心肺同時移殖を申し込む手紙を出している。」(p.32-33)と書いてあります。
その彼女は、次のように述べています。

>「医学的な細部はわからないのですが、私は脳死状態になったらレスピレーター(人工
呼吸器)等による"治療"をすぐにやめてほしい。そして提供できるすべての臓器を提供
したいと思っています。いろいろな考え方があるでしょうが、この問題で尊重されねば
ならないのは、臓器移植以外は生きられない患者の生きたいという意志、また一方、
臓器を提供することによって死後も人の役に立ちたいとする提供者の意志だと思います。
脳死論議も大切だとは思いますが、その間にもどんどん死んでいく人たちがいることを
忘れないでほしい。大切なことは、臓器移植を全面的に禁止したり、あるいは強権的に
正当化するのではなく、一人ひとりの個人における主体的な生命観の確立ではないでしょうか。
それが確立されてはじめて、すべてがはじまるように思います」(p.137-138)

「私は脳死状態になったらレスピレーター(人工呼吸器)等による"治療"をすぐにやめて
ほしい。そして提供できるすべての臓器を提供したいと思っています。」
ということは、心臓死後の臓器提供をしたい、ということなのでしょうか。脳死状態に
なってすぐに治療をやめたら、心臓も停止し、心臓や肝臓を移植することはできません。
腎臓や角膜や皮膚ならば移植できます。
仲田明美さんは、御自身が心肺同時移殖を待つ身ですから、はじめから、心臓や肺を
提供することはできないわけですが……
残念ながら、彼女は、亡くなられています。
こういう疑問を持つこと自体、ふまじめなのかもしれませんが、気になっています。


ソーシャル・ワーカー、US腎 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 5日(火)12時43分48秒

2月2日には、
>後藤氏は、臓器移植には、コーディネーターの仕事が重要であると述べています。

という投稿もしましたが、「二つの生命」では、移植コーディネーターと並んで、ソーシャル・
ワーカーの重要性も取り上げており、メアリー=バージという人へのインタビューがあります。
ソーシャル・ワーカーは、移植待機患者に、移植とはどういうものか、術前にどういう検査が
おこなわれるか、ドナーが出た場合どういう基準でレシピエントが選び出されるか、などを
レクチュアします。術後も、毎日免疫抑制剤を飲まなければならない。定期的に拒絶反応を
調べる心筋バイオプシーという検査がある。移植は、手術が成功しても長期の治療が必要だが
それに耐えられるか、などということも率直に話します。
患者は全米から集まり、病状もそれぞれが抱えている事情も異なり、しっかりとサポートできる
家族のいる人も、そうでない人もいる。それぞれの相談相手となるのもソーシャルワーカーの
仕事である。
待機患者同士も交流の場を持ち、機関誌を発行しているが、それには、慰めや励ましになる良い
面と、負の面とがある。待機期間中に亡くなる人や、移植手術を受けても亡くなる人がおり、
それが親しい人であればショックも大きく、待ちきれないというフラストレーションが感染する
こともある。
こういう人たちを支えるのもソーシャルワーカーの仕事ですが、また、患者のなかにも、積極的
に患者同士のささえあいのために活動する人もいるようです。
「二つの生命」の最初には、この本の主人公である仲田明美がUSAの待機患者仲間のアンドレア
松島からもらった患者のリストがありますが、そこには、名まえの後に簡単な紹介文があり、
1番目のペニー=トニーの紹介文には、
>彼女はユーモアと強い意志を持った女性で、臓器提供者をふやす運動のために、地方検視官との
闘いの先頭にたってきました。
と書いてあります。

ところで、話はがらっと変わりますが、US腎についての記述を取り上げようと思います。
USAから日本への移植用腎臓の提供は、臓器移植法制定当時、すなわち、1997年頃の国会でも
問題になりましたが、「二つの生命」で述べられているのは、その10年ほど前、1980年代の
ことです。US腎を積極的に日本に送ったのは、ポール=テラサキという日系人医師で、免疫学
の分野で移植医療のためにたいへん大きな功績を挙げたそうです。腎臓移植は、心臓や肝臓と
比較すると、ドナーから摘出してから長期間保存が可能で、ドナーが脳死患者である必要も
ないので、日本では、心臓死後の患者からの腎臓移植が行われていたが、それでもドナーは
不足していた。それを知ったポール=テラサキが、USAの脳死患者から摘出した腎臓を日本へ
送った。最初の例は1981年、ロサンゼルス市内で交通事故で死亡した日系二世の女性だった
とのことです。そうして、1981年に35個、1982年に62個、1983年に54個、1984年に11個、
1985年に6個、USAから日本に腎臓を送りました。
USAの上院科学技術委員会で、外国人に臓器を売っているのではないかと問題にされたことも
あったが、ポール=テラサキは、送料などの実費だけをもらっている、むしろ免疫抑制剤の
発達で、以前はUSAで適合する患者が見つからなかった例でも移植できるようになったので、
日本に回す件数が減ったと述べています。そして、移植医療のために、国際的なネットワーク
づくりが必要だと付け加えています。


赤ちゃんの手術と動物実験 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 5日(火)12時19分14秒

「二つの生命」は、1988年に単行本で初版が出たのですが、その頃、USAでは、既に
赤ちゃんの心臓移植手術も珍しい事例ではなくなっていました。しかし、次の例は、
マスコミで大きく報道されて論議を呼んだそうです。
ベイビー・ジェシーの件と呼ばれている話で、未婚のカップルの間に生まれた、先天性心奇形の
生後16日の男の赤ちゃんに、同じ未婚のカップルから生まれて脳死と判定された男の赤ちゃんの
心臓が移植されたというものです。双方が未婚であることや、養育能力の問題が取り上げられた
そうです。

心肺移植は、心臓移植よりもむずかしく、ドナーが出にくいということは、2月2日の投稿でも
書きました。この心肺移植についての最初の動物実験は、1946年で、2時間生存したそうです。
人間の最初の心肺同時移植手術は、1968年、USAで、乳児の脳死者から摘出された心臓と肺が、
生後2ヶ月の赤ちゃんに移植され、自発呼吸は始まったが出血が止まらず、14時間後に死亡した
とのことです。


後藤正治著「二つの生命」つづき 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 5日(火)12時06分16秒

以前、
「『ふたつの生命』 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 2日(土)21時03分21秒」
という投稿で、後藤正治著「ふたつの生命」(岩波書店、同時代ライブラリー315, 1997)を
御紹介しました。そのつづきを書こうと思います。

前の投稿で、

>後藤氏は、免疫抑制がうまくいくようになるまで、臓器移植手術後の患者が死亡することも多く、
USAでも医師が殺人罪で告訴されながら、移植手術をやめずに続けたことをパイオニア精神の
現われとして評価しています。

と書きました。

この医師というのは、ノーマン=シャムウェイのことで、1958年に、犬を使って心臓移植の
動物実験を始めています。1960年、8頭中6頭の犬を、6日から21日間生かすことに成功し、
1968年から、人間の心臓移植手術を始めました。
例の南アフリカ共和国のクリスチャン=バーナードが人間の心臓移植をしたのは、1967年です。
シャムウェイはバーナードとは顔を合わせても口も利かない仲になったそうです。
拒絶反応で死亡する患者が続いたので、一旦、心臓移植手術の件数は減りますが、1970年代後半
以降、シクロスポリンの登場で、再び件数が増え始めます。
シャムウェイだけは、1968年から一貫して、年間十数例から二十数例、三十数例から四十数例と
臨床例を積み上げ、成績を向上させました。その間、動物実験も並行して続けていたそうです。

このシャムウェイが、1973年、殺人罪で訴えられました。それは、ピストルで頭を撃たれて脳死
状態になった男性の家族が、臓器提供を申し出たので、シャムウェイが心臓摘出手術をしたら、
ピストルを撃った人の弁護士が、殺人を犯したのはシャムウェイだと主張したという事件です。
裁判では、ピストルを撃った人が有罪になり、シャムウェイは無罪になりました。


船橋市立医療センター 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月 5日(火)06時54分42秒

脳死のことだけかと思ったら、そのようなことまで先端的にがんばっているのですね。
とてもいい試みだと思います。
もっとメディアが紹介すればいいのにね。

船橋市立医療センター 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 4日(月)10時00分40秒

「臓器移植法改正ページ」から、船橋市立医療センターの唐澤秀治さんの脳死についての
サイトにリンクされていますが、その船橋市立医療センターの医療事故のニュースが、
2月23日に載っていました。↓

しかし、ここで言いたいのは、その事故のことではないんです。
けさ、3月4日の神戸新聞朝刊に、船橋市立医療センターでは、医療事故が激減した、
というニュースが載っているんです。
またきょうの午後にはオンラインで読めると思うので御覧ください。
冒頭、脳神経外科部長の唐澤秀治さんの話が出ています。
>「従来の方法では、事故を防ぎきれない。発想を転換し、患者や家族も含め、
みんなで取り組むようにした」と話す。
> 脳神経外科の患者と家族はまず、インフォームドコンセント(十分な説明と
同意)などに関する全般的説明書を手渡される。入院と外来用の二種類ある。
その中で患者の安全確保を目標とする事故防止マニュアル最新版が公表されている。
> 「患者・家族のリスクマネジメント20条」が掲げられ、必ず読むように求められる。
「分からないことがあってもそのままにしない」「できれば二人以上で説明を聞く」
「自分の氏名を自分から名乗る」など、患者ができる事故防止の基本が列記されている。

このほか、病棟の窓口には、おすもうさんの人形「どすこい」がいて、毎日、旗を掲げて、
きょうは検査と手術が多いとか、同姓の患者がいるとかの、危険度を知らせるそうです。
「どすこい」の写真が載っています。横で看護婦さんが笑っています。
最近の言葉では「看護師」さんですが、女の人なので、看護婦、と呼びたくなるんだけど。
記事でも看護婦と書いているし。

説明を二人以上で聞く、というあたり、てるてる案では、臓器提供意思登録のときに、
講習を受けに行くとき、家族や保証人となる人と一緒に説明を聞いてもよいとしている
けれども、義務付けてもいいかな、とか、思います。

ところで、東京女子医大で、心臓手術中に、人工心肺装置の操作を誤って、患者が死亡した
ニュースがありました。心臓の手術では一流のところで、心臓移植手術のできる施設にも
指定されているのに。
東京女子医大さんも、医療事故を防ぐようにがんばってください……

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020223-00000005-mai-l12


イスラム圏 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月 2日(土)01時04分48秒

イスラム圏は、脳死移植はたしかにそのような状況ですよね。国によって対応の差があるようですが。しかし、生体肝移植がイスラムに輸出されてるとは思いませんでした。

神戸新聞の記事(2) 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 1日(金)21時29分58秒

2月27日の神戸新聞の夕刊に、日本の生体肝移植の技術が、イスラム諸国で受け入れられ、
日本の医師が、協力している、という記事が載っていました。
「医療貢献 イスラム圏で〜生体肝移植 現地で指導〜京大病院チームが支援〜宗教、
文化絡み、難しい脳死移植〜」
記事によると、
サウジアラビアや、エジプトなどでは、1980年代以降、使い回しした注射針などから、
肝炎に感染した患者が急増して社会問題になっている。脳死者からの臓器移植は法的には
実施できるものの、ほとんどおこなわれていない。そこで同国の医師たちは日本で確立された
生体肝移植に注目し、世界的な権威とされる京大病院の田中紘一院長に協力を仰いだ。
田中教授らの指導で、現地の医師や看護婦が独自に生体肝移植をおこなえるようになり、
サウジアラビアで8例、エジプトで7例が実施された。今後もテレビ会議や電子メールで
協力を続ける予定。

確か、イスラム圏のなかでは、エジプトとサウジアラビアは、法的に脳死を認めているの
でしたね。でも、実際には、脳死の患者からの臓器移植は、ほとんど実施されないのですね。


神戸新聞の記事 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 1日(金)21時19分02秒

神戸新聞の3月1日付の記事「脳死臓器移植3年 県内では提供例なし」が、オンラインで
読めるようになっています。↓

オンラインで読める記事では、兵庫県では、臓器移植法施行後、他の府県で脳死判定された
患者から提供された腎臓を、県内の病院で移植したことが2例あったが、県内の病院の患者
が脳死判定を受けて臓器提供をした例はない、と伝えています。

オフラインの本紙では、このほかに、臓器移植法の見直しも求めていました。
「脳死臓器移植から3年〜提供意思 生かせる制度を〜関係医ら見直し提言 / 県内では
提供例なし」
という見出しで載っています。
その記事では、臓器提供施設の拡充と、意思表示カードの簡略化、15歳未満の臓器提供を
認めることが必要だとされていました。

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高知赤十字病院の西山謹吾救急部長が、
「治療に対する不信はだいぶ薄らいだ。提供意思を尊重できるよう、変えていければ」
と見直しを訴える。
「これまでの移植で何が問題になったのか、情報が伝わっていない。
厚生労働省は各施設任せだ」
と指摘。
カードの記載方法も
「記載が不備なケースが多いのは、様式に問題があるため」
として、簡略化を求めた。
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私は、これに対して、「てるてる案」で提案した、末期医療選択カード・臓器提供意思表示
カード・チェックカードの配布を求める投稿を、「発言」欄に送りました。
これらのカードは、「現代文明学研究」の「てるてる案」で提示していますが、これまでに
メールなどでいただいた御意見を参考にして、少し変えて投稿しました。
規定の文字数を越えているので、掲載されないと思いますが。

http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/020301ke45450.html


2002年3月15日「早稲田大学国際バイオエシックス・シンポジウム2002」(東京)
りんごレポート一覧(講演会、シンポジウム、脳死、臓器移植、生命倫理)

「ふたつの生命 心肺移植を待ち望んで(同時代ライブラリー 315)」
後藤 正治著、1997年8月