森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2002年02月02日〜02月15日

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高校生の作文 投稿者:てるてる  投稿日: 2月15日(金)21時50分40秒

「[第47回青少年読書感想文全国コンクール]作品紹介/3 /愛媛」で、高校生が
書いた、脳死・臓器移植についての作文が取り上げられています。↓

作文を書いた人は、自分のおばあさんの死を看取ったことや、高知新聞社の「脳死移植
いまこそ考えるべきこと」を読んで、いまの自分には、結論を出せないとして、もっと
よく考えて、結論を出してから、書きかけのドナーカードへの記入を完成させる、と
結んでいます。

この人は、今は結論を出せない、もっとよく考えてから、記入する、と述べている。
この人の意思を最大限に尊重するならば、もし、ドナーカードに記入しないうちに
仮に「脳死」になったならば、家族に臓器提供を打診してはいけない。
つまり、現行法の規定にあるように、本人の事前の意思表示を、臓器提供の必須の
要件としていなければならない。

もし、この人が、本人が事前に意思を表示していなかったら、家族が臓器提供に同意するか
どうかを決める、という法律のある国に行ったら、どう思うでしょうか。そういう改正案が
日本で出ていることについて、この人は、どう思うでしょうか……

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020215-00000002-mai-l38


ゆうみんさん 投稿者:ちゃま  投稿日: 2月14日(木)14時38分57秒

おっしゃるとおりだと思います。

ちゃまさん 投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月14日(木)13時39分38秒

>殺して、生き返らせる、また殺して、生き返らせる・・・ですか。

>さすがに、こんなことをやっていると、人間に対する感覚も麻痺してしまうのでは、と心配になります。

お言葉を返すようで申し訳ないのですが、この種の表現の仕方というのはとてもデリケートなものだと思っていまして、問題はそれを何のためにするのかという目的意識ではないかと思っています。その先に、ひとへのあたたかい眼差し(いま適切な表現が浮かびませんが)があるなら、「人間に対する感覚が麻痺する」というようなことには陥らないと考えていますが、いかがでしょうか。


蘇生実験 投稿者:ちゃま  投稿日: 2月14日(木)07時43分42秒

殺して、生き返らせる、また殺して、生き返らせる・・・ですか。

さすがに、こんなことをやっていると、人間に対する感覚も麻痺してしまうのでは、と心配になります。


↓訂正です。 投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月14日(木)03時50分56秒

「動物実験プロとコール」 → 「動物実験プロトコール」

お詫びして訂正いたします。m(_ _)m


実験動物について 投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月14日(木)03時41分37秒

先にご紹介した、『GUIDE FOR THE CARE AND USE OF LABORATORY ANIMALS 』(ILAR動物実験に関する指針)の中の「動物実験プロとコール」に「多回大手術」に関する記載があります。

「大手術は体腔を貫通し暴露するか肉体的あるいは生理的機能に重大な傷害を与える。1匹の動物に大手術を多回行うことは好ましくないが、利用者によって科学的に正当化され動物実験委員会によって承認されれば許される。たとえば、多回蘇生大手術操作は、それが研究プロジェクトに関する要素である場合、少ない動物資源を保護する場合(NRC 1990)、あるいは臨床的理由で必要とされる場合には正当化される。多回蘇生大手術が承認されれば、動物実験委員会は結果を継続的に評価することを通じて動物の安寧に特別の注意を払わなければならない。コスト節減だけでは多回蘇生大手術操作の適切な理由とはならない(AWRs)。」

ということで、森岡先生の「残酷...」とお感じになられた感性に感服いたしますm(_ _)m 。こんなことを申し上げると、なにか言い訳のような印象をお持ちになられるかも分かりませんが、わたしはここまでの大手術を想定して書いた訳ではありません。小動物の場合は、ひとつの実験系で行う繰り返しの採血等に関しては別として、頻回に実験に供することは、まず考えられないと思います。ですが、比較的大きな実験動物の場合は、コストの面のやりくりというものも当然あるわけです。ひとつの考え方として、上記の例のように、「その動物に肉体的あるいは生理的に重大な傷害を与える」ことを戒めつつ、というかこれは各研究者の倫理観に依るのかも知れませんが、実験動物全体として見た場合に、トータルの動物の使用数を減らすという意味において、一定の意義があるのではないかと思うのですが...。でも、確かに感覚的に麻痺している部分はあるだろうと思います。ちなみに、わたしは動物は結構苦手なほうです、その最大の理由は、動物のこころが分からない、生態とか習性についてよく知らないからで、人間(ひと)がいちばん好きですし、動物よりはまだ多少は理解出来ると思っています。また、動物が好きで獣医学に進んだ人たちの中には、動物をそういう実験に使用するということに耐えられなくて、辞めていく人もあると聞きます。

また、これは蛇足かも知れませんが、わたしは前々から「実験動物の安楽死」という言葉がひっかかっていまして、「ひとにおける安楽死」という場合と意味合いが異なりますので、誤解を招きかねないのではないかと思っています。



http://www4.ocn.ne.jp/~animals/ILAR-FRAME.html 


病院排水 投稿者:モイナ  投稿日: 2月13日(水)20時38分26秒

森岡さん、コメントありがとうございます。

病院排水や、その他の医薬品の処理の実体について
何か情報が得られましたら、報告させていただきます


ひろきさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月13日(水)18時48分05秒

拝見しました。よいやりとりですね。あたたかいものを感じました。

私事で申し訳ありません 投稿者:ひろき  投稿日: 2月13日(水)15時15分26秒

ジャーナリストの日垣隆さんに今回の件についてメールを出したところ(理由は本文中に書かれています)
ありがたいことにわざわざWEB上に取り上げてくれました。
氏自身の臓器移植に関する意見もあります。

http://homepage2.nifty.com/higakitakashi/iimail/019.html


RE:文化=幻想 投稿者:てるてる  投稿日: 2月12日(火)15時45分58秒

たしか、朝鮮半島では、犬を食べるし、インドシナ半島では、ねずみを食べる。
そうかと思えば、昔、日本で捕虜として処遇されたドイツ人だかロシア人だかが、
ごぼうを食べさせられて、草の根のようなものを食べさせられて虐待されたと
訴えた、という話もある。

しかし、食べ物にするのは、動物実験に比べて、罪がないと思います。
他の種の生物を食べるのは、すべての生物がやっていることだから。
でも、動物実験なんてことをするのは、人間だけ。
だから、人間として、倫理が要求されるのでしょう。
それはわかるのですが……。

人体実験が残酷なことは言うまでもない。
でも、薬を開発するとき、動物で実験して安全だとわかってから、最終的に、
人間でテストするでしょう。
医療はそうして発展してきたもの。
動物実験そのものが残酷だし、医学部には、年に1回、実験動物の供養をするところもあります。
私は、供養をすればそれでいいのじゃないかと思ってしまう。
古式捕鯨をしていた山口県には、江戸時代に作られた、鯨の墓があります。
それと同じように。
人間に生死を越えた魂があるならば、動物にも生死を越えた魂がある。
人間に生死を越えた霊があるならば、動物にも生死を越えた霊がある。
人間の「脳死」や「無脳症」なども、魂や霊のことをばかにせずに考慮に入れて
考えたほうがいいとは思います。そういうことを考えたうえでなお、移殖もしたら
いいと思います。

動物実験について、「ためにする議論」と同様に、ためにする実験も、してはならないでしょう。
人間の精子や卵子を無造作に研究に利用したり廃棄したりしてはならないように。
でも、受精卵や未受精卵を使った研究で人の命が助かるならば、それを止めることはできないと
思うし、動物実験も、実験動物も、貴重な存在だ、ということなのでしょう。


文化=幻想 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月12日(火)12時12分47秒

>おっしゃるとおり、残酷だと思います。一回で放免するのが理想だと思います。
しかし、私は、残酷でも、動物実験は必要なものだと思います。

代替手段があるのならそれに越したことがない、が、これについては何もしらない。
感情移入の問題。 イルカに感情移入すれば、それを集団虐殺するなど、野蛮の極致となる。

残酷というなら、生徒に侮蔑的なコトバを投げるセンセなどのほうがよっぽど残酷。 生かしておけない、というほどの怒りを覚える。

絶滅寸前の動物なら、ちやほや、と大事にし、捨てるほどいるモルモットなどはモノ扱い。
いい加減なものです。 オモイコミ、こそ、文化。


動物実験について 投稿者:てるてる  投稿日: 2月12日(火)11時51分27秒

余計なことと思いつつ、やっぱり、書いてしまいます。

>>今回のような失血死や窒息死などの実験条件を設定するような急性実験系では、
>また特に予備的な実験段階では、それまでに何回か他の実験に使用された動物
>を当てたりしている > >きっと、そのようにされているのだと思いますが、ここを読んで「残酷」って思ってしまうのは私だけ? 何回も実験台にされている犬とかのことを想像すると。コストがかかってもいいから、1回で放免してやるか、一気に殺してしまうほうがいいというわけにはいかんのかなあ。

おっしゃるとおり、残酷だと思います。一回で放免するのが理想だと思います。
しかし、私は、残酷でも、動物実験は必要なものだと思います。
老人の痴呆の治療のための薬を研究している精神神経科医師たちは、ねずみに薬を注射して、
頭を開いて、何日もそのままにして、経過を観察していました。
いろいろと、残酷に、毎日、何匹もねずみが殺されていました。
かわいそうだと思いました。
気持ち悪いと思いました。
でも、それらは、必要なことだと思います。

第二次世界大戦中、当時少女だった、私の母親は、犬を飼っている人を見ると、憎しみを
覚えたといいます。人間が毎日、飢えているのに、と、怒りを感じたそうです。
私は、戦後、栄養失調に一度もなったこともなく、漫画で、戦争中に動物が殺された話を
読んで、かわいそうに、と思います。
おとなになってからも、椋鳩十さんの、「マヤの一生」を読んで、かわいそうに、と
思います。人間はなんて残酷で、戦争なんて愚かなことをするのか、と思います。
でも、戦争中、犬を飼っている人に怒りや憎しみを覚えた、飢えた人の気持ちも、
「正しい」と思います。

本多勝一の「カナダ=エスキモー」は、1960年代の話ですが、野菜の育たない地域で、
アザラシなどを生で肉食し、皮を剥いでなめして衣服にしていて、犬ぞりの犬には、
えさを充分にやらず、それでもやっと食べ終わるや否や犬をたちまち走り出させ、
むちでたたいて、吐き戻すような状態で疾走させ、東京--大阪間くらいの距離を
数日かけて狩をして、一家全員の食べ物を確保します。
そのかわり、むかしは、飢饉になると、皆、じばたせずに飢え死にしていったそうです。
それが、西欧の企業の基地ができると、そこで雇われて、狩猟もしなくなり、
食べ物を買って食べるようになって、飢え死にもしなくなったかわりに、アルコール中毒も
ふえて、民族の人口が減っていき、伝統的な生活や文化も廃れていく。
狩猟・牧畜・遊牧などの生活や文化について、菜食主義で動物愛護精神の持ち主で、現代科学の
知識に基づいて、お互いに、人間を「パーソン」と「非パーソン」に分けたり、反対に
「パーソン論」を批判したりしている人々は、どういう評価を下しているのかな、とも
気になります。


補足です 投稿者:なな  投稿日: 2月12日(火)11時21分58秒

ゆうみんさんへ

> 動物実験施設を利用する者に対して、施設管理責任者の発言力が弱いとおっしゃる真意がよくわかりません。例えばどんな状況を指しておられるのでしょうか...?

一般的に、医学部においては事務系、基礎系より臨床系の発言力が相対的に強い(遠慮気味に言いましたがかなり強いのが現実でしょう)のは共通しているかと思います
そのような中で医学部の動物実験施設の管理責任者は医学部出身者が就任する場合でも、基礎系出身者がほとんどで、獣医学系出身者が就任しているケースもあり、施設によっては事務系の管理職職員が務めているところもあります。

そうでない研究者も少なくないと思いますが、端的に言えば、医学部臨床系の研究者においては実験動物の飼育、繁殖、健康管理といった業務は施設管理スタッフにほとんど任せっきりになる傾向があると思います。
それに比べて獣医学部や農学部(畜産学部)の研究者は自らの研究の対象そのものが動物(臨床系研究者は人間)であり、ほとんどの人が動物の飼育や健康管理、繁殖(出産)などに携わり、動物の生理に関しても見識が深いわけで、そのようなことが動物実験施設の管理運営に対する理解と協力の姿勢の差にもなっていると思われます。

> 確かに、医学部の特に臨床系の研究者は、研究に専念することが困難な状況にあると思いますので、研究の性質によっては(慢性実験で無いなどの)ある程度は施設担当者に依頼するという状況になることは予想されます。臨床系の医師の場合は、研究をするといっても同時に診療もやり、外科系だと手術にも入ります。このような実状は、あなたのおっしゃる民間や獣医学部、農学部において動物実験をする研究者、あるいは医学部でも基礎系の研究者とは異なる点ではないでしょうかと思います。

上述したように、臨床系医師(研究者)が動物実験施設の管理運営に関して理解と協力姿勢が相対的に他の施設と比べて低いのは単に多忙であることが理由とは私には思えません。
まあ、実験動物の飼育、繁殖、健康管理そしてウィルスや細菌感染などに対する警戒と施設外への伝染監視など、相当な労力を要するこれらのことに関して多忙な臨床系の研究者は首を突っ込んでいられないのかもしれませんが、問題はそれに対する理解と協力姿勢の有無でしょう。

> 上記のように有効に利用することが求められているのです。例えば、実験動物として犬を使用する場合、今回のような失血死や窒息死などの実験条件を設定するような急性実験系では、また特に予備的な実験段階では、それまでに何回か他の実験に使用された動物を当てたりしていると思います。

建前として「有効に利用することが求められている」のはその通りかと思いますが、同じ医局内での医局研究費節約のための「有効利用」は別として、科や医局間でそのような「やりくり」や「連携」、「情報交換」などが充分なされているとは思えません。動物実験施設の管理者側の裁量で「やりくり」されているのが現状ではないかと思います。
民間企業はもちろんのこと他の学部(獣医学部、畜産学部、農学部)と比べても、医学部は閉鎖性が強いと言われている所以がここにもあると思います。

以前経験したことですが、ある大学の医学部でふたつの医局が競うように臨床での臓器移植をめざして動物実験(外科トレーニング?)を繰り返し、犬や豚や山羊を次から次へと死なせていました。(それは殺しまくっていたと言っても差し支えないくらいのものでした)
教授をはじめ医局の研究員は「動物が足りない、予算が足りない」とボヤいておりましたが、実験動物とその組織や臓器などを医局間で融通し合って「有効」に使うなんてことはまず考えられない状況でした。それどころか研究論文で相手に先を越されないかと足の引っ張り合いに近いものさえ見られました。

> 医学系の研究雑誌を全てチェックしている訳ではありませんが、ある程度以上のレベルにある研究雑誌では、投稿規定にそのことが明記されています。

投稿規定に「明記」されているからといって、その規定に忠実に沿って論文が厳しくチェックされているかは別なことだと思います。 また、倫理上、批判を受けそうな動物実験を行った研究は、論文ではその内容を当り障り無く触れるか、場合によってはプロトコールを「改ざん」して論文にする(数例ですが実例を知っています)こともあるようです。

動物実験のプロトコールが倫理的に問題があるという指摘や批判がレフリーや研究誌の編者から明確にあったという話はほとんど聞いたことがありません。倫理的に問題があると思われる動物実験は実際にたくさん見てきましたが・・・・・。


うむむ 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月12日(火)10時31分09秒

下記の部分

>今回のような失血死や窒息死などの実験条件を設定するような急性実験系では、
>また特に予備的な実験段階では、それまでに何回か他の実験に使用された動物
>を当てたりしている

きっと、そのようにされているのだと思いますが、ここを読んで「残酷」って思ってしまうのは私だけ? 何回も実験台にされている犬とかのことを想像すると。コストがかかってもいいから、1回で放免してやるか、一気に殺してしまうほうがいいというわけにはいかんのかなあ。


RE:実験動物の扱いについて  投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月12日(火)04時23分20秒

>ななさん

>医学部の研究者、中でも基礎系より臨床系の外科系医師にその認識、「指針」の精神の理解の低さを感じたことが間々ありました。

あなたがここまでおっしゃるそのお気持ちを、わたしは否定するつもりはありません。

>・・・その理由のひとつとして私が思うに、動物実験施設の中でも医学部のそれにおいては施設管理責任者の発言力が弱いということが挙げられると思います。

動物実験施設を利用する者に対して、施設管理責任者の発言力が弱いとおっしゃる真意がよくわかりません。例えばどんな状況を指しておられるのでしょうか...?

>また、民間や獣医学部、農学部においては動物実験をする研究者本人が日常的に実験動物の飼育や世話をする体制にあることが多いのに比べて、医学部の研究者はほとんどそれにタッチしないということも一因かもしれません。(マウスやラットぐらいの小動物は医局の研究室で飼育管理することはありますが)

確かに、医学部の特に臨床系の研究者は、研究に専念することが困難な状況にあると思いますので、研究の性質によっては(慢性実験で無いなどの)ある程度は施設担当者に依頼するという状況になることは予想されます。臨床系の医師の場合は、研究をするといっても同時に診療もやり、外科系だと手術にも入ります。このような実状は、あなたのおっしゃる民間や獣医学部、農学部において動物実験をする研究者、あるいは医学部でも基礎系の研究者とは異なる点ではないでしょうかと思います。

>コストの重視を強く求められる民間の研究施設では「血液とか利用可能な臓器・組織」の有効利用、再利用のための連携、その追求はある程度なされているかと思いますが、医学部においてはそれはかなり低いと思います。

上記のように有効に利用することが求められているのです。例えば、実験動物として犬を使用する場合、今回のような失血死や窒息死などの実験条件を設定するような急性実験系では、また特に予備的な実験段階では、それまでに何回か他の実験に使用された動物を当てたりしていると思います。

>また動物愛護精神の高い欧米での話は別としても、日本では、研究論文の中で記述されている動物実験について、「指針」的な観点からその動物実験の方法や手順などに目を光らせ、「厳しくその倫理性を問う」ていることは、少なくとも医学臨床系の研究雑誌ではあまり(ほとんど?)ないと思います。

医学系の研究雑誌を全てチェックしている訳ではありませんが、ある程度以上のレベルにある研究雑誌では、投稿規定にそのことが明記されています。

わたしの経験から、以上のことをお答えさせていただきましたが、あなたのご意見もある意味で的を射ているとは思います。


yamabikoさん 投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月12日(火)04時13分53秒

お返事が、おそくなりました。

>病院における病人の取り扱い?(対応)規定、一般人の家庭などにおける
動物、ペット、子ども(人間)、家族の扱い規定。。なるものがあるとして、
それ以上のものが 実験に求められる理由はなんでしょうか?

実験動物においては、その研究目的のために、必要に応じて動物に侵襲を加える、あるいは殺傷するという行為をする必要があるからと思います。


モイナさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月11日(月)14時26分19秒

医薬品全体で見れば、免疫抑制剤よりもずっと「やばい」ものが、きっと排水として流されているはずですよね。私も専門知識がないから分からないけど、病院排水や、大学の工学部などからの実験排水などの処理は、そもそもどうなってるのでしょうか? ある程度希釈すればokという話? 原発の排水などはそうだよね。薄まってるからおーけーとされているのでは? それでいいのかどうか。

ps HP開設おめでとうございます。


医薬の環境への影響 投稿者:モイナ  投稿日: 2月11日(月)13時45分57秒

何処に投稿したらよいのか解らないので、とりあえずここに

病院排水を巡る問題で、医薬の環境への影響を問題視する意見
があります。
現時点では、病院排水が下水処理場やそれらの排水が流入する
水域で問題が発生しているという、データはありません。

もし、臓器移植で用いられている免疫抑制剤が環境や下水処理
に悪影響を与えていると判明した場合に、その薬の使用を制限
すべきなのか?

ぜひみなさんの、ご意見を伺いたいと思います。

以下に某所に投稿したメールを転載します。
===========================
> >しかし、仮に影響があったとしても、それがその薬品の使用禁止を
> >直ちに意味するのではないということに注意しなければいけない。
>
> これはまた、医者や薬屋さんにとって都合の良い結論ですね。

いえ、違います。
これは、その薬を使用する"患者の利益"と、"環境への影響"のバランス
を、どのように取ってゆくか? 限りある資源(薬の開発に要するコスト)
とそれから得られる利益をどのように負担・分配するのか?という、"倫理"
の問題です。

この種の問題は、エイズの治療薬を巡って最も先鋭的に現れています。
発展"途絶"国において、特許権無視でエイズ治療薬を製造することの
是非や、かつて、重大な薬害をもたらしたサリドマイドのエイズの治療薬
としての使用などの問題です。

で、水処理との関連で言えば、あるエイズの治療薬が活性汚泥に悪影響
を与えているとして、では、その治療薬の使用を禁止できるのか? ということです。

その治療薬の使用を禁止できないとすれば、病院排水は、従来の排水対策
に加えて、超純水製造のプロセスを組み入れて、その費用を我々が負担す
ること以外には方法がないわけですね。
===============================

私のサイトはこちら↓
http://www7.ocn.ne.jp/~moina/


Margaret Lockの新著 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月11日(月)00時52分53秒

カナダの文化人類学者Margaret Lockの新著 Twice Dead が出ました。これは、脳死と臓器移植について、北米と日本の比較調査をしたもので、彼女のライフワークとも言うべき本です。日本の状況について、このくらい詳しい情報が英語圏に流されるのは、たぶんこれがはじめてのことでしょう。日本の脳死反対運動などについても、細かく描写しています。私の名前も、『脳死の人』とともに、ちらっと出ている。これで、海外からの日本の脳死論議への関心が、ぐっと高まると思われます。ただ、文化人類学からのアプローチなんで、思想方面や、政治方面への視点が希薄のような気がするけど。下にアマゾンをリンクしましたが、そこにあるような読者からの感想というのが、興味深いですね。たぶん、彼らには驚きを持って迎えられると思います。われわれにとっては、そうではないかもしれないけれど。

Twice Dead: Organ Transplants and the Reinvention of Death (Public Anthropology)
by Margaret Lock

http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0520228146/qid=1013355755/sr=2-1/ref=sr_2_1/102-4109653-6718541


あ・・・ 投稿者:りょうこ  投稿日: 2月10日(日)18時03分43秒

>「病理解剖を承諾した患者の心臓を使う」などということが許されるのか、
>ということのほうが

動物はどうでもいい、という意味ではないです。
心臓死の定義とか、「臓器不足」との関連とかの前に、まずこれが
問題になるだろうという意味。


心臓2 投稿者:りょうこ  投稿日: 2月10日(日)17時58分39秒

てるてるさん、ななさん、RESありがとうございます

夜中にモーローとしながら書き込んだので、舌足らずになってしまいましたが、
>心機能の低下・悪化と全身状態の悪化が相互に悪循環のスパイラル状態に
>陥っていると表現するほうが適切では

心肺蘇生にかかろうとしている救急現場を想定すればそれはその通りです。

「止まって時間の経った心臓を動かす」といういかにも無理のありげなことが
どうして可能なのか、あるいは何でまたそんな突拍子もない(と私には感じられる)
ことをそもそもこの人は思いついたのか、ということを考えていたので、あのような
書き方になりました。

瀕死の人を蘇生しようとしている場であれば、「心臓にとって」の「邪魔」
(どうも不穏当な表現ですが)という発想はありえない。「その人」まるごと
全体を救命しようとするわけだから。

もちろん、救急医療のお寒い状況はななさんご指摘の通りです。

>とすると、その心臓を他人に移植したら、ちゃんと働くのでしょうか。
>あの犬を使った実験で、他の犬に移植するところまで実験したのでしょうか。

このへんは、報告なり論文なりを読まないとわかりませんね。
まあ、臨床応用にすぐに結びつくわけもない実験を、憶測で論じても
しかたがないのかもしれませんが。

実験動物の取り扱い方もそうですが、
「病理解剖を承諾した患者の心臓を使う」などということが許されるのか、
ということのほうが当面は問題かもしれないとも思います。


救命救急センターの評価結果 投稿者:りんご  投稿日: 2月10日(日)15時09分50秒

厚生労働省のHPより

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/02/h0205-1.html#4


死亡宣告20分後に蘇生 投稿者:なな  投稿日: 2月10日(日)04時34分59秒

連続投稿ですみません。

日本の心肺蘇生医療の現状を象徴するかのような「事件」がありました。
すでにご承知の方も多いと思いますが、紹介しておきます。

『生き返る:死亡宣告20分後、女性患者が蘇生 愛知の病院』
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200201/20/20020121k0000m040008000c.html


移植のための「心臓蘇生」と救急医療における「心肺蘇生」 投稿者:なな  投稿日: 2月10日(日)04時18分49秒

りょうこさん、はじめまして。

> つまり「この心臓」を動かすには「この人(動物)の身体」自体が邪魔だということになる。
> その時点で「この人(動物)」と「この心臓」とは切断されている。

救急医療の現場において、心停止や呼吸停止の状態で担ぎ込まれた患者の心肺蘇生医療の観点から、この問題を考えてみます。

『心肺蘇生の標準看護計画』
http://web.hosp.kanazawa-u.ac.jp/snp/1602_cpr.html

には以下の記述があります。

「心肺停止状態が長いほど、また蘇生中の心拍出量の低下、低酸素血症により、細胞の嫌気性代謝の結果として乳酸が産生され、著しい代謝性アシド−シスの存在は心筋の収縮力を低下させ、致命的な不正脈を生じやすくし、電気的除細動効果を低下させる。さらにまた薬剤の効果をも低下させるとともに、末梢の循環をさらに悪化させて末梢組織の拡散障害を増悪し、代謝性アシド−シスを一層強くする結果となる。」

このように生死の瀬戸際に立たされている患者では、心停止や呼吸停止の影響によって身体の代謝性アシド−シスが進み、それが心筋収縮力の低下や致命的な不正脈(心室細動)を誘発しやすく、そしてまたその心機能の低下が代謝性アシド−シス状態のさらなる増悪化を招くと考えられるわけです。
ですから、『「この心臓」を動かすには「この人(動物)の身体」自体が邪魔だ』や『その時点で「この人(動物)」と「この心臓」とは切断されている。』というよりも、心機能の低下・悪化と全身状態の悪化が相互に悪循環のスパイラル状態に陥っていると表現するほうが適切ではないかと思います。救急救命医療の普及とその進歩を志す救急救命センターや集中治療室の救急医は、懸命にこの悪循環を断ち切り、患者の心肺蘇生と予後の十全を目指して奮闘されているわけです。

ところでまた、「切断されている」「その時点」とは何時なのか、誰がどのように決めるのか、非常に重大な問題です。

心肺蘇生医療の基本ガイドラインにはBLS(Basic Life Support)とAmerican Heart Associationが提唱したACLS(Advanced Cardiac Life Support)があると思います。BLSは医師や救命救急士の資格や技術のない一般人にも習得されることが奨励されていますが、その普及は欧米(特に米国)に比べ相当に低いと指摘されておりますし、救急医以外の医師の間にさえその正確な周知、習得が充分になされていないと言われています。また、ACLSに至ってはその知識と実践能力をしっかり具えた医師が日本では少なく、救急救命医療をサポートする施設自体も数が少なく、全体として救急救命医療体制は貧困であることが指摘されています。 (下記に参考URLを紹介しました)

癌関連の著作で知られる近藤誠医師は「脳死臓器移植に力を入れる前に日本の救急救命医療を充実させることのほうが大切ではないか、そのほうがより多くの生命を救うという点では貢献できる」という主旨を述べています。
(小児科医であるりょうこさんにすれば、小児科領域の救急救命医療の施設、スタッフ面での貧困さは言うまでもなくお気づきでしょう)

以上述べたように、我々の日本社会の足元にある救急救命医療の貧困さに目を向けているのかどうか疑いを持たざるを得ないような、もっぱら移植医療に視線が集中しているかのような印象をうけてしまう京都府立医科大学心臓血管外科の動物実験のニュースは、あらためて多角的に問い直されるべきと考えます。

<参考URL>

『救急蘇生のブラックボックス』(ある麻酔科医のホームページより)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~gengen/masui/cpr.html

長文ついでに追加の一文を・・・・・。

中山研一の「アメリカおよびドイツの脳死否定論」(『法律時報』72巻9号p.54-59,2000年)で紹介されていたドイツの刑法学者のトレンドレの論文に『臓器提供の不足は、脳死論議の根本的な側面を矮小化してしまう。』という指摘がありましたが、これにあやかって、『臓器が不足しているという議論は、救急救命医療の柱である心肺蘇生(BLS,ACLS)の普及とその改良・進歩という優先的かつ早急に求められるべき本質的な議論を矮小化してしまうのではないか?』という懸念を表明したいと思います。


実験動物の扱いについて 投稿者:なな  投稿日: 2月10日(日)04時08分50秒

ゆうみんさん、こんばんは。「実験動物に関する取扱い指針」についてです。

> それぞれの研究機関(一定以上の施設では)で策定され、各研究者に周知徹底されているものと思います。

大学の医学部や獣医学部、農学部などにはそれぞれ付属の動物実験施設があります。また、民間(製薬会社など)や公的な研究機関も自前の動物実験施設を持っています。ふつうそれらの施設には管理責任者が置かれていますが、確かに管理責任者や施設管理スタッフ(実験動物の飼育管理などをするスタッフ)のレベルでは「指針」の重要性が認識されているかと思います。
もちろん施設や研究者たちによって「実験動物の扱い」にはかなりの差があると思いますが、私の経験(医学部や獣医学部、民間、公的機関を含め20ほどの動物実験施設に出入りしたり、さまざまな動物実験に立ち会ったことがあります)から言わせていただけば、医学部の研究者、中でも基礎系より臨床系の外科系医師にその認識、「指針」の精神の理解の低さを感じたことが間々ありました。

もちろんそれは、個人的な主観に過ぎないと言われるかもしれません。しかしその理由のひとつとして私が思うに、動物実験施設の中でも医学部のそれにおいては施設管理責任者の発言力が弱いということが挙げられると思います。また、民間や獣医学部、農学部においては動物実験をする研究者本人が日常的に実験動物の飼育や世話をする体制にあることが多いのに比べて、医学部の研究者はほとんどそれにタッチしないということも一因かもしれません。(マウスやラットぐらいの小動物は医局の研究室で飼育管理することはありますが)

> 集められた血液とか利用可能な臓器・組織は、他の研究用に使用されているかと思われます。また、論文の投稿先の研究雑誌のレフリーは、当該実験に使用された実験動物の取扱いについて、厳しくその倫理性を問うているはずです。

コストの重視を強く求められる民間の研究施設では「血液とか利用可能な臓器・組織」の有効利用、再利用のための連携、その追求はある程度なされているかと思いますが、医学部においてはそれはかなり低いと思います。

また動物愛護精神の高い欧米での話は別としても、日本では、研究論文の中で記述されている動物実験について、「指針」的な観点からその動物実験の方法や手順などに目を光らせ、「厳しくその倫理性を問う」ていることは、少なくとも医学臨床系の研究雑誌ではあまり(ほとんど?)ないと思います。


(無題) 投稿者:りんご  投稿日: 2月10日(日)01時30分47秒

以前話題になった、ぬで島次郎著「先端医療のルール」は、第4章「人と動物との境はどうなるか」で動物保護や動物実験の規制などにふれています。

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3c4ecaa827f300101e08?aid=p-morioka00730&bibid=02112129&volno=0000

「実験医学2月号」(羊土社)1800円は「海外発ー心血管研究の新展開」 http://www.yodosha.com/cgi/detail.cgi?isbn=4897067979


RE:心臓。 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 9日(土)08時55分41秒

>つまり「この心臓」を動かすには「この人(動物)の身体」自体が邪魔だということになる。
その時点で「この人(動物)」と「この心臓」とは切断されている。

とすると、その心臓を他人に移植したら、ちゃんと働くのでしょうか。
あの犬を使った実験で、他の犬に移植するところまで実験したのでしょうか。
特殊な溶液の中では収縮するけれども、動物や人間のからだのなかではまもなく止まって
しまう、というのでは、もとの持ち主を復活させることも、移殖に使うこともできないと
思いますが……


心臓。 投稿者:りょうこ  投稿日: 2月 9日(土)00時59分11秒

ちょっと話を戻すようですが。
「心臓死」と「心臓を動かす」ことについて、考えていました。
私は心臓が専門ではないので、あるいは誤解している部分があるかもしれませんが。

心臓はちょっと特異な臓器で、例えば体外に出しても規則的に収縮することが
できます(自動能)。
臨床場面で心停止(収縮不能)に至る過程を考えると、
*心筋自体が大きなダメージを受けた場合(心筋梗塞など)
*収縮リズムが保てなくなった場合(重度の不整脈、電解質異常など)
*還流する血液が減って心臓の容積が保てない場合
(心筋は自律神経の支配を絶っても、内容が充満して=筋が伸張されれば、
その分大きく収縮する。逆の状態なら収縮できない)
が考えられます。

第一の場合はどうにもならない(心筋を再生するとかでない限り)として、
第二、特に第三の場合、心臓自体は、その自動能にかけて収縮させられる
ことは考えられる。
その場合、他の身体部分はかえって邪魔になり(還流してくるはずの血液を
無駄(?)にプールしてしまったり、ますます電解質異常を促進してしまったり)、
心臓だけに適切な電解質濃度の液を満たしてやるのが効率的。

大ざっぱにまとめれば、こういうことなのではないかと。

つまり「この心臓」を動かすには「この人(動物)の身体」自体が邪魔だということになる。
その時点で「この人(動物)」と「この心臓」とは切断されている。

・・・ちょっと、うまく言えませんが。
そのあたりに問題はあるのではないかなと。


質問 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 8日(金)13時28分39秒

>次に、この「実験動物に関する取扱い指針」についてですが、各研究機関が指針策定の際に模範として参考にしているのが、↓のNIH(米国 国立衛生研究所: National Institute of Hearth)の作成したものです。

未読です。
病院にのみこのような規定があるのはカナリ奇異に聞こえますが。

病院における病人の取り扱い?(対応)規定、一般人の家庭などにおける
動物、ペット、子ども(人間)、家族の扱い規定。。なるものがあるとして、
  それ以上のものが 実験に求められる理由はなんでしょうか?

普通の生活において、人間を言動により侮辱したり虐待することは、
動物を虐待することは法により取り締まられているとおもいます。
当然、病院もこの一般規則から逃れることはできないと思います。

おそらく 引用されている規定も それが特別に存在する理由を
明記していると思いますが。


続き(2) 投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月 8日(金)12時35分51秒

犬などの大きな実験動物の場合、失血させるためには、多分バルビツレートのような麻酔薬で麻酔してから頸動脈か大腿動脈のような太い動脈にカテーテルを挿入して採血(あるいは放血)していると推察されます。発表論文を読めば、その辺の手技については解ります(文献検索してみたのですが、いまちょっと見つかりません)。あと、集められた血液とか利用可能な臓器・組織は、他の研究用に使用されているかと思われます。また、論文の投稿先の研究雑誌のレフリーは、当該実験に使用された実験動物の取扱いについて、厳しくその倫理性を問うているはずです。

続き 投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月 8日(金)12時21分53秒

↓は、日本実験動物学会のものです。



http://www.jalas.or.jp/LAW_GUIDE/shishin.html

「実験動物に関する取扱い指針」について 投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月 8日(金)12時19分41秒

みなさん、こんにちは。「実験動物の取扱い」についての話題に関連して、投稿させていただきます。

各研究者が、大学・研究所等に於いて動物実験をおこなう場合には、「実験動物に関する取扱い指針」を遵守することが求められています。現在では、この「実験動物に関する取扱い指針」というのは、それぞれの研究機関(一定以上の施設では)で策定され、各研究者に周知徹底されているものと思います。実際に動物実験を行う際は、各研究機関にある実験動物センターのような中央施設を利用することになると思われますので、利用に際しては、利用講習会等を通して「実験動物に対する基本的な考え方」を学ぶこととなります。

次に、この「実験動物に関する取扱い指針」についてですが、各研究機関が指針策定の際に模範として参考にしているのが、↓のNIH(米国 国立衛生研究所: National Institute of Hearth)の作成したものです。




http://www4.ocn.ne.jp/~animals/ILAR-FRAME.html


質問状を出しては 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 7日(木)21時12分09秒

>例の心臓復活実験、ここで議論になったように、「本人の蘇生」への努力(人工心肺やDNRのケースも含め)というものを、京都府立医大がどう考えているのかという点は、きちんとしておかなくてはならないのではないかと私は思い始めてます。

京都府立医大に、ここでとりあげられたことをまとめて公開質問状を出されてはいかがでしょうか。
そのなかで、動物実験のことがとりあげられていても、私は異論ありません。

>シンガーは、「パーソン」である人間(存在)がいちばん大事だとするので、てるてるさんと同じです。

シンガーという人は、人間を「パーソン」と「非パーソン」とに分けたのではありませんでしたか。
それには反対です。
といいつつも、中絶を認めたり脳死患者からの移殖を認めたりするのは、おおざっぱにいって、
「パーソン」と「非パーソン」とに分ける考え方を受け入れていることになるのかな。
本人の意思表示にこだわるのは、そういう考え方への抵抗にもなると思うのですが。

動物実験、動物愛護について、私はずいぶんおおざっぱなことを書きました。
動物園の飼育環境を、自然に近いものにするということなどは必要だと思うのです。
いくら近づけるといっても、動物の立場からすれば、野生の環境とはほど遠いのだけれども。
ペットを飼う、という行為は、動物にとって迷惑かもしれない。
でも、いったんペットを飼い始めてから捨てるのはもっと悪いですよね。
まあ、この話は異種移植の話でもあればまたたいへん重要になると思いますが、いま、私は、
あまりにも認識や知識が不足しているので、今、これ以上はあんまり触れないことにします。
例によって連続投稿でお騒がせしてすみませんでした。


話を戻しますが 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 7日(木)20時50分15秒

例の心臓復活実験、ここで議論になったように、「本人の蘇生」への努力(人工心肺やDNRのケースも含め)というものを、京都府立医大がどう考えているのかという点は、きちんとしておかなくてはならないのではないかと私は思い始めてます。

頭を冷やしながら・・・ 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 7日(木)20時47分27秒

動物愛護、臓器移植と、この手のテーマは、熱くなりがちなんで、ひとまず頭を冷やして、行きましょう>私も含め、ALL

あと、この掲示板は議論の場ではなくて、情報交換と意見交換の場なので、よろしくお願いします。具体的なデータがあると、いいよね。


動物 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 7日(木)20時42分43秒

動物実験と、動物愛護については、そんなに簡単な話ではないと思います。
たとえば、ピーター・シンガー(「動物の解放」の著者)(ちなみにこの人は、私の論敵(詳細は「生命学に〜」参照)は、苦しみを伴う動物実験反対であり、当然のように、菜食主義者です。動物農場的なものの全廃を訴えて行動しています。この人の論は、それなりに一貫性があり、そう簡単には崩せません。牛肉を食べながら〜、というのは当てはまりません、シンガーは、「パーソン」である人間(存在)がいちばん大事だとするので、てるてるさんと同じです。ただし、動物は痛みを感じるので、その点への配慮はぜったいに必要だと言うわけ。

レシピエントをフィリピンにというのは、常識で、ちょっとまえに肝臓移植失敗で亡くなられたプロレスラーのジャンボ鶴田は、オーストラリアで待機していたのだが、その後、フィリピンに行ってなぜかすぐに肝臓を入手するも、出血多量で死亡なのでした。その後の全日本プロレスは、鶴田の遺志を生かせと言うわけで、臓器移植推進キャンペーンをリングで行なっているとのことです。


新鮮 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 7日(木)10時21分14秒

>新潮社、から、「ドナービジネス」一橋文哉、が出た。立ち読みした。ドナーマフィア、の話。

いちばん 驚いたのは、レシピエントを フィリピンに連れて行く。。
というハナシ。。
新鮮なのがいい、とは聞いていたが。。


ドナービジネス 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 7日(木)10時18分54秒

>私は、心停止後の臓器提供にも本人の事前の書面による意思表示が必要だとする改正案を
出していますが、そういう改正は、永遠におこなわれなくなるかもしれません。

わたしは、この問題に限れば、死んだ当人が口を出すべき問題ではない、という意見。
(無存在者、なのだから<−−これは、納得するかどうかの問題。事実問題ではなく、
通常の権利問題、すなわち、人為の取り決め問題)

しかり、これによる 周囲の人間への認識上の帰結、は承知(覚悟)しておく必要がある。
くさいものにふたをせず、子どもの時分からどんどん、議論すべきでしょう。
トサツ場を見学させる社会科の先生がいる、というが、実際に見学させなくても、
これを知らずに、動物愛護を叫ばせるような愚はやるべきではない。

新潮社、から、「ドナービジネス」一橋文哉、が出た。立ち読みした。ドナーマフィア、の話。
BSなどでもやっているので耳新しくも無いが。臓器目的のためのひとさらい、や、殺人。

わたしの物を使ってどこが悪いの?(堕胎した母親。。。使われてるんですってね。。知らなかった。 無脳症児、がもっとも利用価値高い、とか。。)


それで 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 7日(木)08時48分59秒

何も動物に恨みがあるのではなくて、動物愛護を唱える人の感覚と倫理を疑っているのです。

ついつい私は 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 7日(木)08時47分54秒

むかし、たぶん、黒人奴隷を使っていたUSA南部の人々の中には、ペットの動物を
黒人よりもだいじにして、ペットを傷つけたといって黒人奴隷を死ぬほど痛めつけた
悪い人もいただろうとか、ローマ帝国の貴族もそういうことをしただろうとか、
中世の貴族も農奴に対してそんなことをしただろうとか、19世紀ぐらいになっても、
お金持ちが、自分のペットを、召使や浮浪者よりもたいせつにして、場合によっては、
ペットに何か損害を与えたといって、彼らを傷つけたりしただろうとか、そういうことを
考えてしまいます。

こどもの心臓移植のためか? 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 7日(木)08時43分12秒

こどもは、現行の臓器移植法では、脳死状態からの移殖はできない。しかし、心臓死状態からの
移殖は、家族の同意を得ればできる。それゆえ、こどもが脳死になったら、心停止後に心臓を
蘇生させてほしいと家族に頼んで、同意を得たら、心停止後に心蘇生術を施して、移殖する、と
いう考えかもしれません。心停止に到る前に人工呼吸器を切って死亡宣告をして、それから、
移殖することもできるかもしれません。
こどもでなくて、おとなでも、心停止後ならば家族の同意だけでできるということで、臨床的
脳死状態になった患者の家族に、心停止後の心蘇生による心臓移植の打診をする、ということが
考えられるかもしれません。そうすると、現行の臓器移植法を改正せずに、あの経過措置の
心停止後の移殖ならば家族の同意だけでよいとする条文を永遠に残して置けばよい、という
ことになるのかもしれません。

私は、心停止後の臓器提供にも本人の事前の書面による意思表示が必要だとする改正案を
出していますが、そういう改正は、永遠におこなわれなくなるかもしれません。

>動物実験について
yamabikoさんにほぼ同意。
私は、動物実験は、どんどんやってもいいと思います。
人間のほうがだいじです。
残酷だ、かわいそうだと思いつつ、それでも、動物実験に反対する人々に反対します。


くさい物にふた 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 7日(木)08時18分42秒

>不要な苦痛がないかなどの審議がなされます

犬にも 知能がアルから、という議論でしょうか?
倫理委員会、なるものも、欧米で 「鯨を食べるな!」 と鯨人形をもって
叫んでいる連中と同レベルなのではないでしょうか?
麻酔をかければヨシ、そうでないなら、だめ。
生存するチャンスを奪われる事自体は問題ではなく、一時的苦痛を
味わわせるのが問題、というのは小児的だとおもいます。
牛肉をぱくつきながら、動物愛護を叫ぶひとたちも、ついてけない。
くさい物に ふたをしているだけです。


いろいろ 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 7日(木)08時09分32秒

>yamabikoさん 欧米では、動物実験は、倫理委員会に諮らないといけません。そのときに、不要な苦痛がないかなどの審議がなされます。日本にはそういうプロセスはありませんし、議論事態ありません。

>ななさん
私も、麻酔はかけたと思いたいですが・・・・。
それと、人工心肺などの装置でつないでおいて、という件は、たしかに重要だと思います。実際、心臓手術の際には、一時的に外部の人工心臓装置につなぐことが行なわれているはずです。京都府立医大の倫理委員会は、人工心臓装置を用いた本人の蘇生可能性について、どういう判断をしたのか、まったくわからないですね。

>りょうこさん たしかにDNRだと、蘇生しないことにするわけだから・・・。

いずれにせよ、心臓が止まったら、本人を救うための心臓マッサージなどは極力せず、CT・MRIなどで脳機能の停止を充分たしかめてから、心臓を取り出して蘇生させるということになるでしょう。

この実験、やっぱりまずいのでは?


論ずるに値しない? 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 7日(木)01時30分21秒

>これも推測ですが、犬には麻酔が投与されたと思います。動物実験における倫理の問題の前に、麻酔をかけずに実験・観察は出来ないという問題があります。

実験観察、という目的があるのでしょう? その実験観察がくだらない、ということでしょうか?
犬猫は、殺してはならないが、モルモットはドンドンやっていい?麻酔なしで。
(利根川さん、などは、キラーマウスをジャカスカ作っている)

食肉に供される牛や豚、鳥たちは、麻酔もかけずにイキナリ、クビを落とされるのでしょ?

上記の議論、まったく愚論に思いますけど。
論ずるならラジカルにやってほしい。

それとも米国市民がいうように、牛豚は喰われるために養殖されている。。
なら、病院も 犬を実験用に飼えばいい、ということでしょうか?


Re 犬50匹 投稿者:なな  投稿日: 2月 7日(木)00時55分29秒

> 朝日新聞の報道によれば、北村信夫教授は、心停止後心臓復活の実験のために、犬50匹を失血死させて実験したようです。
> こっちの動物実験のほうは、きちんと倫理委員会の承諾を得てから、やったのでしょうか? 
> 生きている犬を、失血死させるというのは、生きたまま動脈を切って失血させたんでしょうね。このときに犬が感じる痛みや恐怖などに、どういう配慮がなされたのでしょうか。

実際のところは分かりませんが、恐らくそのような動物実験のプロトコルは学内の医学倫理委員会には諮られていないのではないかと私は思います。(かって頻繁に医学の動物実験棟に出入りし、数々の動物実験を見てきた者の経験と知識からすると私はそう推測します。)

これも推測ですが、犬には麻酔が投与されたと思います。動物実験における倫理の問題の前に、麻酔をかけずに実験・観察は出来ないという問題があります。環流血流量を暫時減少させながら(おそらく脱血を経時的、定量的にコントロールし、それを変化させながら)心停止に至る経過の中で逐次、心臓の状態を観察(心電図はもちろん心筋の酸素サチレーションや心筋の細胞から放出されるホルモンなどの生体化学物質の観察など)し、それらの情報を蓄積しながら「失血死の実験」は続けられたのだろうと思います。

> 詳細がわからないので、実態が知りたいものです。京都府立医大に聞けば、情報公開してくれるのでしょうかね。

プレスリリースされた件の動物実験については、質問の趣旨をはっきりさせた上でメールなどでお尋ねになれば、その実験概要の回答がいただけるかも知れません。メールの宛先については

『学内公開情報』
http://www2.kpu-m.ac.jp/~comproom/how_to/how_to.html

にて基礎系、臨床系の各科の教授をはじめとするスタッフのメールアドレスが公開されているようです。
ただ、医学部の閉鎖的体質を考えると望むような回答は得られないかもしれません。


「心臓死」の心臓蘇生? 投稿者:なな  投稿日: 2月 7日(木)00時46分36秒

ちゃまさん紹介の記事に何人かの方がレスを寄せられていますが、私なりに読んでふと思ったことを書き連ねてみました。
てるてるさんが出されていた疑問にオーバーラップしますが・・・・・。

> 出血多量で死んだ場合、心停止から一時間以内であればほとんどが心臓の機能が回復することがわかった。さらに窒息死でも、一時間以内であれば半数以上は心臓の機能が回復したという。
<http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020205-00000055-kyt-kin>より

これまでの医学的常識として、心臓の機能が停止(拍動の停止)して一定時間以上経つと、その機能の回復は不可能、不可逆的とされてきました。

例えば、交通事故などによる重度の外傷のために出血性ショックを起こし、血圧と心拍数が急激に低下した患者が救命救急センターに担ぎ込まれたケースを想定してみます。強心剤投与などの応急措置にもかかわらず心停止に至った場合、心臓マッサージや電気ショックなどで心臓の再拍動が懸命に試みられるわけです。私の理解しているところで言えば、心臓の再拍動のためのこれらの措置はどれぐらい続けられるでしょうか、一時間以上続けられるケースはあまりないと思います。それくらいの時間で心臓が再び動き出さない時には医師団は死亡宣告をするものと思います。
しかし上記の記事によれば、このような状態の心臓は「一時間以内であればほとんどが心臓の機能が回復する」ということですから、「不可逆的な機能停止」ということではないことになってしまいます。このことはどのように"理解"すればいいのでしょうか?
いままでは一生懸命その機能(心拍動)を蘇生させようとしてダメだとあきらめていたことが蘇生可能だと言うのなら、その患者の死は100%避けられないものだと断言できることなのかという疑問が私には持ち上がってきます。

心拍動が停止した場合、脳の神経細胞は血流が数分(私の記憶によれば5分)以上絶たれると酸欠により壊死(脳の器質死)を起こし始めると言われています。一時間も心停止状態が続けば、仮に心臓が再び鼓動しても脳には不可逆的なダメージが多大に残っているのは間違いないでしょう。もちろん肝臓にしろ他の臓器にも少なくないダメージが残っているでしょう。
しかし、これは素人考えですが、時間がかかるにせよ、そして現時点での技術的な手技としていったん心臓を体外に取り出さなくてはならないにせよ、心臓の蘇生が十分可能であるのなら、まず第一に脳血流の持続を目的として、一時的かつ早急な人工心肺装置による環流措置への移行によって患者の心臓以外の他の臓器(特に脳)への血流(酸素供給)を確保し、こうやって心臓機能の回復、蘇生のための時間稼ぎをしておいて心臓が蘇生したら元に戻すというようなことが出来ないものかと思ってしまいます。

>蘇生させた心臓を再び体内に戻しても他の臓器が損傷しているため、科学上生き返ることはない。 <同URL>より

などと、人の生死を語る際にこのような"科学上生き返ることはない"なる言葉を安易に使ってほしくはないと思います。

確かに現状の医療技術では、迅速に使用できて患者への負担(侵襲度)の少ない人工心肺装置の開発の前には大きな技術的難関が立ちはだかっているとは思います。しかし人工心肺装置という医療器械だって技術革新によってこれまで大きく改良され、進歩してきたのです。侵襲性が少なくて措置が容易な人工心肺装置(もしくは人工心臓)が開発されれば、上述のような「心臓停止による死」から患者を救命できる可能性が大きく広がるように思います。

『心停止の心臓蘇生研究』への傾注は、心臓移植への利用ということもさることながら、それ以前に、このような停止した心臓の持ち主本人のための蘇生医療、救急救命医療の進歩を考えること、それにふり向けることはできないものなのかと考えてしまいます。


Re:犬50匹 投稿者:りょうこ  投稿日: 2月 6日(水)22時46分36秒

記事読みました。

何年かけて50匹なのかわかりませんが・・・

雑ぱくな話ですが、実験用の動物だとすると経費もバカにならないと・・・ どこからそんなにお金が出るのだろう。

前の書き込みで??と思っていたのは、実際の医療現場でどういう事態が
想定できるのかうまく把握できなかったのですが、考えてみればDNR(蘇生
処置をしない)というのがあったんですね。
DNRとされている患者さんが心停止になったら、まさに「活きのいい、停止した
心臓」が得られる。NOCUなどはひとつ考えられる場で、そうすると今国内では
できないこどもの心臓移植に・・・ということになるのだろうか。

あまり想像したくない図です。


犬50匹 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 6日(水)19時46分48秒

朝日新聞の報道によれば、北村信夫教授は、心停止後心臓復活の実験のために、犬50匹を失血死させて実験したようです。こっちの動物実験のほうは、きちんと倫理委員会の承諾を得てから、やったのでしょうか? 生きている犬を、失血死させるというのは、生きたまま動脈を切って失血させたんでしょうね。このときに犬が感じる痛みや恐怖などに、どういう配慮がなされたのでしょうか。詳細がわからないので、実態が知りたいものです。京都府立医大に聞けば、情報公開してくれるのでしょうかね。

第二種医療 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 6日(水)13時42分16秒

>移植費については、これらの諸費用のうちどれを算定するか、期間はいつからいつまでとするかを明確にしないと、議論がうまくできないのではないでしょうか。

どうも。
これまでのところ実施例は多くない筈なのに、設備費人権費、は膨大であろうと思います。
不明なのではなく、明らかにしたくないという意思があるのでは?
経済学者(経営学?)がやれば簡単にでてくるとおもいます。
誰がいくら負担しているのか(何割を税金?)。。やはり知る権利がありますね。

規模の経済で、受益者が増えれば増えるほど単価は下がる。。提供側も認知され、
prestigeもえられる。。ということでしょう。

いずれにしても数千万円かかるのは私は医療の範囲からはずすべきだとおもいます。
不治の病として死ななければならないのはやむを得ぬことだと、おもいます。
巨費を使えばほとんどの病気が治り、サイボーグのような人間が仕上がるでしょう。
第二種医学、であり、第二種人間として区別しています、わたしは。


RE:心停止後の心臓復活 投稿者:ちゃま  投稿日: 2月 6日(水)12時48分29秒

京都府立医大倫理委員会は、早々に承認したのですね。 
停止した心臓を復活させる研究は良いのですが、その目的が本人の治療ではなくて移植なのはなぜなのか。
どなたか納得のいく説明をください。お願いします。
そうでないと、医者が臓器ハンターに見えてきてしまいます。

移植費用について 投稿者:長野の山猿  投稿日: 2月 6日(水)11時44分14秒

心停止後心移植の議論を中断させることになりますが、名前が出ましたので移植費用について話させてください。先の投稿で述べたのは提供時および検証会議時での提供病院負担についてのみでした。今回は移植費用全般についてなのですが、現在のところこれは不明としか言いようがないのではないでしょうか。その理由は以下のとおりです。移植費用と考えられるものには
1. ドナー負担分 臓器摘出のためのドナーへの処置には、脳死判定、移植適性検査(3回)、組織適合性検査、臓器保護、臓器摘出等があり、この間入院費もかかります。さて、移植法附則11条には「健康保険法・・・の給付・・・に継続して、(移植法)第6条第2項の脳死した者の身体への処置がされた場合には、当分の間、当該処置は当該医療給付関係各法の規定に基づく医療の給付としてされたものとみなす」とあります。附則からは、上の費用はすべてドナー負担と読めるのですが、組織適合性検査費はネットワークが負担しているようです。他の費用の負担区分が実際にどうなっているのかは不明です。
2. 提供病院負担分  先の投稿。データを見せてもらったわけではありませんが、関係者の話では、S大の場合も提供時に500万円強かかったそうです。
3. 臓器搬送費  不定。  負担者不明。
4. レシピエント負担分 移植前諸検査費、移植手術費、術後管理費、免疫抑制剤費、入院費。移植費用として算定する期間はいつからいつまでなのか、どの費用を移植費として算定するのか、これが不明。また、合併症の有無、種類、強度による費用の大幅な変動。胸部外科学会などの肝移植800万、心移植1000万という予測は期間、費用区分とも不明確。たとえば、九大での肝移植ではレシピエント死亡までのおよそ90日間で、費用9000万と報道された。
5. 移植インフラ 臓器移植ネットワーク設置、運営費。ドナー・カード普及等のための移植医療啓発費。コーディネーター養成費。検証会議設置、運営費(人件費を含めた予算措置をどうすべきかという問題が解決できないため、厚生労働省から自立した「第三者」になれないのです)。   等があります。
 移植費については、これらの諸費用のうちどれを算定するか、期間はいつからいつまでとするかを明確にしないと、議論がうまくできないのではないでしょうか。

素朴な疑問ですが 投稿者:りょうこ  投稿日: 2月 6日(水)10時45分37秒

>出血多量で死んだ場合、心停止から一時間以内であればほとんどが心臓の機能が
>回復することがわかった。さらに窒息死でも、一時間以内であれば半数以上は
>心臓の機能が回復した

どんな状況での「心停止」でも同じことが言えるのでしょうか?
かなり特殊な状況を実験的に作り出しているような気がするけれど。

そして「病理解剖しましょう」というような患者さんの家族に
「心臓を動かす実験に貸してください」なんて言っていいものか?

だいたい、1時間たって動く心臓なら、停止してすぐに動かせるのでは?
・・・ああ、事故なんかで運び込まれたときには心停止後何十分、という
ことはありえて、そうすると「脳死」状態で、というケースを想定する、
ということなのでしょうかね?
脳死がダメなら無理やり心臓死で・・・?

あんまり「ドナー不足解消」にもなりそうにない気がしますが。


言語問題 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 6日(水)09時37分45秒

>人の心臓が止まったのをとって使おうとするやつなんか、死んでしまえ!と言うと思います。

ここだけ読めば x が止まったのを、(再生して)使う、ということだから、
いわゆる リサイクル活動であるとおもいます。 治療というのは一種のリサイクルでしょう?

下記のように読み替えるのならOKでしょうか?

>人の心臓。。。。。。。をとって使おうとするやつなんか、死んでしまえ!と言うと思います

生きているならOK,死体?からはダメ、というのはかなり、迷信的思考、ですね。
使える、ということであれば、パソコンのハードディスクのように個体は死んではいない、
(再利用可能)のだから 死 というのが誤称でしょう。
なんにせよ、高度技術である移植のハナシに 日常用語である 死 を使うのは
やめたいものですね。 議論がおこるのは言語レベルの問題がほとんどだから。

なお私自身は 移植せずさせず、です。人間はそうまでして生きなければならないもんか?と
いう広松渉の言葉を、支持しています。


RE:心停止後の心臓復活 投稿者:ちゃま  投稿日: 2月 6日(水)09時13分05秒

>なんでそんな変なことを研究するんでしょうか

同感です。この記事を読んで納得できる人っているのでしょうか??

>人の心臓が止まったのをとって使おうとするやつなんか、死んでしまえ!と言うと思います。

「やっぱり医者って何を考えてるのかわからん」という恐怖を、誰もが抱いたのではないでしょうか。
ご本人に説明していただくしかないのでは?
あるいはどなたか代弁していただけるのでしょうか・・・切望します。


RE:心停止後の心臓復活 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 6日(水)08時19分17秒

>蘇生した場合、もうそれは、もとの人には戻せない。だから、他の人のために使おうと。

その、目的が気に喰わないのです。
他の人のために使うために心臓だけを蘇生しようとする努力を払うよりも前に、本人を
蘇生させる努力をするべきじゃないかと。
他人のために心臓を使えるようにする努力をする前に、本人のために、心臓も何もかも
全部復活させる努力をするべきじゃないかと。
それは無理だけど、他人のためにはからだを復活できるなんて、どういうこと?
と、もし、私のこどもが死んで、心臓を蘇生させて他のお子さんに移植させてください、
なんて頼まれたら、絶対、おこりますよ。
うちの子はなんで生き返らされへんの!!と、怒髪天を突いて怒ります。
きっと、そんな、人の心臓が止まったのをとって使おうとするやつなんか、死んでしまえ!
と言うと思います。
なんでそんな変なことを研究するんでしょうか。
停止した心臓の蘇生ができるんだったら、移植待機患者同士で、先に死んだほうから、
腎臓移植待機患者が亡くなったら心臓を心臓移植待機患者に、心臓移植待機患者が先に
亡くなったら腎臓を腎臓移殖待機患者に贈る、というように、先に死んだもんから後に
譲るというようにして、融通しあってもいいことにならないかしら、と思います。


イスラムの脳死と移植  投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 5日(火)22時15分43秒

イスラムの事情については、Ebrahim Moosa のThe Body in Muslim Ethics: The Dissonance of the Gaze(s) (2000)といういい論文を発見しました。イスラムでは1986年に、「脳死は人の死」として差し支えないとの指針が出たようで"the Academy adopted brain death as an acceptable definition of death in terms of Islamic criteria." その位置づけが具体的にどうなのかはわからないが、重要情報。臓器移植に関しては、エジプトは寛容寄りであるが、パキスタンは否定的だとのこと。

http://www.kalam.org/papers/moosa.htm


心停止後の心臓復活 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 5日(火)22時12分00秒

>てるてるさん

たぶん、心臓が止まって動かなくなったら、脳血流も数分で止まります。そしたら脳はすぐに酸素不足で脳死みたいになります。でも、記事によると、心臓は、心停止後1時間たっても蘇生する可能性があるというわけだから、心臓が止まって、全身の血流も止まって、医師が死亡宣告して、脳が死んで細胞がかなり死滅した状態の身体から心臓を取り出し、それを臓器として蘇生するということでしょう。蘇生した場合、もうそれは、もとの人には戻せない。だから、他の人のために使おうと。

「脳死」の概念は、脳機能の不可逆性で定義されているので、脳がよみがえったとしたら、定義より、脳死ではなかったことになります。機能死としての脳死概念は、消滅するでしょう。


ポータブル 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 5日(火)21時51分25秒

>もともとの心臓の持ち主に第一使用権があるはずだと思うのですが。
それを他の人に移殖するなんて、殺人ではないのでしょうか。

人体パーツ化、ポータブル化、が進んでいるのだから(善悪は別とし)
人、人格(したがって殺人)だの、 使用権(こんなもの、パーツ化、をまってはじめて
できたんでしょ)は 既存法の 見直し無くしてありえない。

現代思想2月号は、人体パーツ化を扱っているが、小谷万理の 家畜文明論の頭にある
SFは傑作。 殺人、が起こった場合、悪いのは、脳だ! 脳だけを取り出して死刑にしろ!!
というのもありか? 悪いのは手だ、手を入れ替えろ!!


うーむ 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 5日(火)19時52分02秒

>蘇生させた心臓を再び体内に戻しても他の臓器が損傷しているため、科学上生き返ることはない。研究では臨床応用を視野にいれ、蘇生、保存、機能評価の方法を確めるとしている。

他の臓器が損傷しているから生き返ることはないというけれど、他の臓器を移植してくれば
生き返るのではないのかと思うのですが。

脳幹の機能停止→心臓の停止→心臓の復活→移殖、という方法をとるのでしょうか。
しかし、心臓が復活しても全体は生き返れないほど他の臓器がいたんでいる人が、心臓より
先に脳幹が機能停止して脳死になる、ということがあるのでしょうか。 どーもよくわからん。 脳の機能停止後の復活も、たとえ記憶が途切れても、再教育のようなことをして取り戻せる
こともあると思うし、やはり、もとの脳の持ち主の生存のために復活するのが当然だと思う
けど……
いったい、移殖、移殖、って、なんのためにそこまでするのでしょうか。
日本の臓器移植法施行後、1年ないし2年で亡くなった人が、肝臓移植、小腸移植、肺移植で、
合計5人。
他の人も、いつまでも、移植してもらった臓器で生きられるわけではありませんでしょう。
いずれ、再移植しなければならないでしょう。
なんのためにそこまで移殖するのでしょうか。


??? 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 5日(火)19時45分30秒

機能停止した心臓の機能を回復できるのだったら、どうしてそれを他の人に移殖できるのでしょうか。
もともとの心臓の持ち主に第一使用権があるはずだと思うのですが。 それを他の人に移殖するなんて、殺人ではないのでしょうか。

特許作戦 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 5日(火)19時10分50秒

>脳死後に、もし脳全体の機能が復活させられたら、どうなるんだろう? 

企業が無頓着にIT機器を棄てることの危険性をいう論者がおりますね。
機器の危機管理がなっとらん、と。
機密部門勤務者が事故死した場合など、すばやくその脳の、記憶部位をリセットする、道具、
もう特許とられている、と、オモイマス、か?

ところでこれで、脳死、という概念が崩れるんですか?

もともと、ナマモノだからバッテリが一定期間供給されなかったらシヌンでしょ?
つまりpoint of no returnというのはある。
機能死、と、個体死、という区別が必要になるんでしょうね。
コンピュータのCPUとディスク、はバッテリが切れても、。。お休みになっているだけ。
人間のCPUとディスクは 腐って、土となる、ほっとけば。

官庁から無造作に棄てられるコンピュータのディスクにはイロンナ情報が詰まってる
可能性がなきにしもあらず、だが、。。官僚が事故死した場合、。。脳が欲しい〜〜、と
いうひとの有りや、無しや。 

事故死した人間の 脳を すばやくイニシャライズする機器、もう特許取られている、とオモイマス?

>記憶の同一性が保たれなくなるんだったら、そこに復活したのは誰?

ハードとソフトを分離する必要があるのでは?
電極を突っ込んで多重人格にしたりその逆をやったり、。。
                     Black Jack


心停止の心臓復活作戦 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 5日(火)18時39分26秒

うーむ。
すでに、死亡宣言後の脳細胞を生かして、治療や実験に使うことはスタートし始めている。
心臓死後の心臓の復活と、移植への利用というのも、あり得る話だよね。

しかし、こうなると、前から思っていたが、脳死後の脳機能を復活させることができるようになったら、どうするのだろう? たとえば、脳死の人の脳を取り出して、視覚野とかの機能を復活させて、中途盲人の脳に移植するとか。脳死後に、もし脳全体の機能が復活させられたら、どうなるんだろう? そうなったら、「脳死」という概念は崩れますね。でも記憶の同一性が保たれなくなるんだったら、そこに復活したのは誰?


心停止の心臓蘇生研究  投稿者:ちゃま  投稿日: 2月 5日(火)16時31分30秒

目的は心臓死からの心臓移植。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020205-00000055-kyt-kin

「脳死肺移植の患者死亡」記事について 投稿者:ゆうみん  投稿日: 2月 5日(火)14時37分15秒

>りんごさん

この記事を読まれた、あなたのご感想をお聞きしてみたいです。m(_ _)m


脳死肺移植の患者死亡 投稿者:りんご  投稿日: 2月 4日(月)21時24分59秒

Yahoo!ニュースより

東北大医学部付属病院(仙台市青葉区)の呼吸器外科のグループは4日、昨年1月、東北大で3例目の脳死肺移植を受けた新潟県の40代の男性患者が3日午前、死亡したと発表した。移植を受けていない左肺がカビの一種に感染し、それが敗血症や心機能障害をもたらしたのが原因という。

 臓器移植法の施行後、これまで実施された18例の脳死移植のうち、肝臓移植で3人、小腸の移植で1人が死亡したが、脳死肺移植では初めて。

 男性の容体が急変したのは先月18日。大量の血を吐き、新潟県内の病院から東北大病院に再入院した。カビの一種が左肺上部に感染し炎症を起こしたため、左肺を摘出した。

 その後、薬物治療をしたが、心機能障害、多臓器機能不全なども併発した。移植された右肺の状態は拒絶反応や感染症の兆候はなく、良好だったという。

 男性は、難病の特発性肺線維症のため、昨年1月に右肺の移植手術を受け、10月に退院。一時は、自宅でリハビリするなど順調な回復ぶりを見せていた。

 呼吸器外科の近藤丘教授は「免疫抑制という状況下で、通常ではこのような感染症を起こすことのないカビによる感染症、しかも移植肺ではない左肺への感染症が原因だったことは、非常に残念な結果だ」とのコメントを発表した。

[河北新報 2002年02月04日](河北新報)
[2月4日14時35分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020204-00000011-khk-toh


移植費用 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 4日(月)20時47分54秒

移植費用については、この掲示板では、信濃の山猿さんの投稿がくわしいと思います。
2000年10月以降の過去ログを御覧ください。11月ぶんは作成中ですが、この掲示板の
「つぎのページ」をたどっていっても、11月4日以降のが見えます。
10月ぶんは、2000年8月以降の過去ログからリンクしてあります。
前に作っていた過去ログハウスの更新ができなくて、途中で他の無料ホームページに
移って作っているので、リンクのはりかたが変ですが、ご勘弁を。
参考になるサイト↓
http://www.246.ne.jp/~snakajii/batista/dcmchisiki1-6.html

あと、2ちゃんねるに、「海外臓器移植への募金を考えるスレ」という
スレッドがあります。↓
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/news2/1012615756/


久々。。 投稿者:yamabiko  投稿日: 2月 4日(月)08時18分42秒

>「人助けしたいから移植賛成なのです」
てるてる、さんの議論を久しぶりに読んだが、移植費用は現在幾らなのですか?
一回の移植に伴い発生するコストを明示しているサイト、をご紹介いただけませんか?
保険でまかなわれるにしても、someoneがイノチを縮めて費用を負担しているわけだ。。。
そんな費用があり、人助けしたかったら、アフガンに送金シナ!と言いたい気分。
いま必要なのは、長生きを 真、善、美としない 生き方を教育することであろう。
医者の、医者による、医者のための医学には受け入れないだろうが。

チェックカード 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 3日(日)02時01分13秒

たしかに、チェックカードについては、偉いさんたちは、推進派も反対派も、言及しませんね。これは、声を大にして言っていかないといけないと思います。でも、推進派から見たら、チェックカードなんかができたら、よけいに臓器移植が減るわけだから、ほぼぜったいに賛成しないと思います。でも、「減る」から賛成しないとは正面から言えないわけで、だから、黙殺ということになるのでしょう。以前に、この掲示板にも、「人助けしたいから移植賛成なのです」とおっしゃっていた方が、何人か来られてました。彼らは、チェックカードをどう考えるでしょうか。

ついでですが 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 2日(土)21時40分03秒

臓器移植に慎重な立場の人々は、脳死についての情報提供は、臓器移植推進の広報に
利用されるとの危惧から、消極的ではないかと思われるふしがあります。
この掲示板の過去ログでの、講習や登録についての議論をふりかえってみてもそう思います。
しかし、移植を待ち望んでいる人々の気持ちを考えれば、ある程度、移植医療の必要性を
訴えるのも当然だと思います。
脳死について、臓器提供しない場合の看取りがうまくいった場合もうまくいかなかった場合も、
両方とも、紹介し、移植についても、予後がいい場合も悪い場合も両方とも紹介する、
というように、公平な知識を広く提供すればいいと思うのです。

「ふたつの生命」つづき、など 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 2日(土)21時24分44秒

後藤氏は、臓器移植には、コーディネーターの仕事が重要であると述べています。

ところで、臓器移植推進の立場から書かれた本では、脳死は死であって、家族が同意すれば、
本人が生前に何もいっていなくても問題にしないことがほとんどです。

一方、臓器移植に慎重な立場からは、しばしば、本人意思の尊重と、家族の看取りの尊重とが
述べられます。
そのとき、本人意思の尊重は、家族が同意する際の必要条件とされていますが、本人が提供の
意思を示していても、家族が提供を拒否できるとする立場が、現行法でも採用されています。
この、家族の意思を最終的に必要とする立場から、家族の同意だけでよいとする改正案に対して
反論するとき、本人の意思が必要だといいながら、脳死をどうとらえるかという点では、家族が
脳死患者を生きていると感じるということをしばしば強調します。
一方で、臓器移植推進の立場からは、家族が脳死患者を死んでいると感じて臓器提供に同意し、
本人が生前に拒否の意思表示をしていなければよいではないか、と言います。
それで、臓器提供推進派の立場も、慎重派の立場も、家族の意思を重視する点は全く共通で、
ただ、家族が臓器提供を拒否しやすいようにするか、同意しやすいようにするか、どっちに
ふりこがふれやすくするかという条件付けのために、本人意思を必須要件とするかしないかが
分かれているように見えます。

今更繰り返すようですが、ここが、私のおおいに不満とするところです。
本人意思を絶対必須条件とするならば、家族が脳死をどうとらえようと何よりも、本人が、
脳死について知識を持ち、納得していることを優先するべきです。
それゆえに、チェックカードとか、講習後の登録制度とか、保証人制度とか、いろいろと条件を
そろえた「てるてる案」を作りました。
でも、はっきりいって、森岡掲示板以外で、てるてる案+倉持増補版のチェックカードのことを
だれもとりあげてくれないみたいです……
なんで、みんな、もっと、本人への事前の情報提供のことを重視しないのでしょうか。
臓器提供をふやすための広報という側面からぐらいしか、考えていないみたいです。
こどもの臓器提供を可能にするという当面の改正案の論点からは、たいした問題ではないと
考えられているのでしょうか。
こどもの臓器提供の場合、こども本人の意思も重要だけど、どうしてもこどもの知識には
限りがあるから、そのぶん、親が、事前に、どれだけ、脳死について知っているかが重要で、
だから、やっぱり、チェックカードは重要だと思うんですけど……


「ふたつの生命」 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 2日(土)21時03分21秒

移植情報室(↓)で紹介されている、後藤正治著「ふたつの生命」を図書館で借りてきました。
心肺同時移植のドキュメントです。
日本からUSAにわたって手術を受けた女性と、USAの女性の話です。
1980年代の心肺同時移植は、まだむずかしい手術で、また、心臓移植に比べてドナーがさらに
不足していました。待機患者は、お互いに、手術の順番待ちの競争者にもなるのだけれども、
情報誌を作って交流していました。
USAで手術を受けることを決意した女性ふたりのうちひとりは、脳死は死であるとして疑問を
いだかずに受け入れていれています。彼女はUSAで生まれ育った人です。
日本で生まれ育った人は、いろいろと考えた末に脳死は固体死であると納得してから、手術を
受ける決意をしています。
この女性、仲田明美さんの前半生を語っている部分は、私には、森岡さんの「生命学に何が
できるか」で紹介されていた、脳死と診断された若い方の話とだぶって感じられるところが
あります。どちらにも、うつくしさと、いきいきしたところと、せつなさを感じます。

後藤正治氏は脳死臓器移植推進の立場ですが、しかし、USAに比べて、日本では脳死患者からの
臓器移植の実施に時間がかかっていることを、マイナスとだけはとらえてはいません。USAでは
脳死と診断されると保険がきかず、脳死患者の治療に高額の費用がかかるので、患者の家族が、
人工呼吸器を切ることを望むということも述べています。
そして、日本の健康保険制度を評価しています。

後藤氏は、免疫抑制がうまくいくようになるまで、臓器移植手術後の患者が死亡することも多く、
USAでも医師が殺人罪で告訴されながら、移植手術をやめずに続けたことをパイオニア精神の
現われとして評価しています。
これは、移植情報室を作っている若林正さんとも同じ姿勢です。
若林さんもUSAで脳死患者からの肝臓移植手術を受けています。

http://member.nifty.ne.jp/transplantation/books.html


Twice Dead: Organ Transplants and the Reinvention of Death (Public Anthropology)
Margaret Lock

The Body in Muslim Ethics: The Dissonance of the Gaze(s)
Ebrahim Moosa

バチスタ手術体験記 知っておきたい情報 心臓移植6−1−移植費用

「移植情報室 / 一般書」