森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2001年09月01日〜10月01日

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(無題) 投稿者:ミル  投稿日:10月 1日(月)04時07分45秒

keiさん、通りすがりの学生さん、どうもありがとうございました。
ここまで詳しく知ることができるとは思いませんでした。
とても感謝しています。
奥深いですね、本当に。

ありがとうございます 投稿者:困っている人  投稿日: 9月28日(金)19時43分25秒

ありがとうございます
献血や骨髄移植の推進が
「ドナーになることを絶対に強制されてはならない」という
考え方の普及につながると思っております
生体移植も普及していない社会に
突然、死体移植しかも脳死による死体移植の導入など
理解できるわけがありません
とくに推進派の方々には、まず、生体移植の問題から
取り組んでいただきたいと思います

生体移植について 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月28日(金)13時50分46秒

>困っている人さん

たしかに、おっしゃるとおりですね。発言するときには、文脈を「脳死」に限って伝えるように注意したいと思います。

補足的に言えば、私は、心臓死からの腎臓・角膜摘出に関しても、現行法の扱いには反対しています。家族だけの承諾で摘出できるというのはおかしいのでは、という理由からです。

骨髄移植に対しては、反対していません。


困っている 投稿者:困っている人  投稿日: 9月28日(金)13時23分02秒

困ってるのです

みなさんが「臓器移植は慎重に」とか「反対」とか
言われるから生体移植も悪いことのように誤解されることがあります
みなさんが反対されたり意見を言われるときは
「生体移植は除く」とか「脳死移植に限定した話であって心臓死による移植の話ではない」
という但し書きを付けていただくようにお願いします

そして、献血、骨髄移植、生体肝移植などの
生体移植に、ご理解と、ご協力と、ご支援をお願いいたします

http://www.jmdp.or.jp/


ある説では。 投稿者:通りすがりの学生。  投稿日: 9月27日(木)20時57分27秒

仏教の布施行は南伝で言うならば「聖職者」などの
「聖なるもの」「礼拝の対象」のものに対しての布施が正しいとします。
つまり、言い方は悪いですが、物乞いの方にものを恵んでも布施行とはなりません。
そして、「喜捨」と言われる所以はもちろん捨てること、
聖なるものへ供養の為に行うことによって出家のかなわぬ凡夫が
後生に善いところへ生まれることができるように…という意味を含んでいます。

また、仏教関係者で臓器移植をよしとする方の中には、
「菩薩行」であるから…という理由の方がよくおられます。
しかしこの説では、臓器を欲する人がいたならば即座に自分の臓器を
提供しなければなりません。
私が脳死になるまで待っててね…というのは通用しないのです。
脳死臓器移植問題は、本当に難しいものです…。


RE:ダンナ 投稿者:てるてる  投稿日: 9月27日(木)08時24分45秒

>仏教でダーナとは捨てることを意味します。

おお、だから、喜捨というのですね!


ダンナ 投稿者:kei  投稿日: 9月27日(木)02時07分01秒

サンスクリット語のdana(ダーナ、正確にはdの後のaの上に横線が入ります)の音写、つまり当て字です。
意味は施すこと、日本語で御布施や施主のことです。
仏教でダーナとは捨てることを意味します。
ゴミのように捨てるというのではなく、自分が施したものにとらわれないという意味です。
たとえば「私があの人にしてやった」「私の物を施してやった」というのはダーナ(布施)にはなりません。
施したものにとらわれない、「我」を捨てて与えることをダーナといいます。つまり与えてしまったらすでに自分の物ではないのです。
「私のもの」とか「私の物だった」という「とらわれ」があると布施にはならないのです。
布施の中には物だけではなく、笑顔や、やさしい言葉も布施に含まれます。
仏教ではダーナそのものが徳ではありますが、イコールその人の徳が高いということではありません。(同じ意味に読み取れるかもしれませんが、長くなってしまうのでこのへんで)
ラテン語の「寄贈者」や「提供者」とはチョット違いますね。ダーナとはさとりを得る為の修行の一つです。

日本を始め、アジアの仏教界では臓器移植もダーナ(布施行)であるとの見解を出している所もあります。

もし、私が生体移植のドナーになったとしたら、「俺の○臓が〜」となってしまいそうなので、とうていダーナにはなりそうもありませんが・・・。

ドナーとダーナのかかわりについては、ちょっとわかりませんでした。

PS.森岡先生ありがとうございました。


ありがとうございました 投稿者:ミル  投稿日: 9月27日(木)00時12分20秒

てるてるさん、どうもありがとうございました。

RE:ダンナとドナー 投稿者:てるてる  投稿日: 9月26日(水)07時59分35秒

旦那、または、檀那と書きますね。
仏教のほうでは、↓のように説明しています。
布施をする人、という意味だから、donationをする人、donorというのと、
意味は同じだといってもいいですね。
語源のほうは、檀那はサンスクリット語から、donorはラテン語からということですが、
じゃあそのサンスクリット語とラテン語とで、似たような言葉があるということは、
交流があったということなのかしら。

http://www.buzan.or.jp/koumyou/140/kokoro.html


ダンナとドナー 投稿者:ミル  投稿日: 9月26日(水)03時47分45秒

こんばんわ。ちょこちょこ拝見させていただいています、移植医療に関心のある大学生です。
先日、「だんな(旦那)」と「ドナー」は同じ語源であるという話をちらっと聞いたのですが、
もし詳しくご存知でしたら教えていただけませんか?
私が調べて分かったことは、ドナー(donor)は語根がラテン語で「贈り物」という意味であるということでそこから「寄贈者」「提供者」という意味になった、ということだけです。
どちらも「徳の高い人」というような意味を持ってると聞いたのですが、本当でしょうか??

28日19時半頃にNHKで先日神戸にて開催された世界移植者スポーツ大会の放送があるそうです。
どのような内容になっているかは分からないのですが、
よろしかったらご覧になってみてください。

では失礼します。


子どもの心臓移植 投稿者:りんご  投稿日: 9月23日(日)22時06分23秒

「小さな命の贈り物」では、海外で心臓移植を受けた子ども、渡米したけどあらたに疾患がみつかり帰国した子ども、多額の費用を集めるために募金活動をしている家族なども紹介されていました。
主人公の子どもは、渡米して、ドナーからの提供を待っている間に、容態が悪化して亡くなりました。
ドナーからの提供は、人の死を待つ、いつの間にか人の死を願ってしまっていたこころに母親が気づく場面もドラマのなかにありました。

主人公の子どもには、双子のお兄ちゃんがいて、いつも、そばで励ましていたところが印象的でした。そして、この双子のお兄ちゃんは、大臣(でしたっけ?)に日本国内での子どもの臓器提供のお願いをしたことが最後に放送されていました。な〜る。

・りんごの感想
ドクターが、容態が悪化して、回復の見込みがなくなったと伝え、あっさり、看取りになっていました。ここは、ドラマの場面でしたが、日本だったら、すぐは看取りにならないと思いました。


ドラマ見て 投稿者:南国の国  投稿日: 9月23日(日)20時50分42秒

臓器移植に慣例の番組で、国内での臓器移植は、如何して15歳以上しか手術が出来ないのか。そのために、外国で手術を受けた場合に、多額の費用が懸かる現実。そのために、財産・皆さんからの募金で、手術を請けても残りの費用の残高。余りにもけた違いの金額にビックリします。なんとか、保険が利く国内での手術は出来ないのですか。

小さな命の贈り物 投稿者:りんご  投稿日: 9月23日(日)19時19分04秒
いま、朝日系テレビで「小さな命の贈り物」が放送されています。重度の心臓病の男の子、両親がとりつづけたVTRとドラマでつづられているようです。

RE:『脳死判定ハンドブック』  投稿者:てるてる  投稿日: 9月22日(土)10時21分10秒

例によってbook1に注文したら、もう届きました。
すごい。法律のこと、それも実際に病院で必要とされるだろう手順についてのこととか、くわしく、載っています。
病院は臓器提供施設である前に救命施設であり、情報提供施設であるという基本的主張。
臓器提供や脳死判定の承諾書を用意している病院があるけど、それはコーディネーターが持ってくるものだとか。
ドナーカードの書き方についてもくわしい。
シューモンの'Chronic "brain death"'のことも、それへの反論と再反論も載っていました。
再反論の内容は、このまえの講演とちょっとかぶります。

living donor 投稿者:てるてる  投稿日: 9月21日(金)12時56分51秒

前に、 「common good 投稿者:てるてる  投稿日: 9月14日(金)11時42分46秒」
という投稿の最後で、生体腎移植を受けた患者が、ドナーの親族から、婚約不履行で訴えられた話を御紹介しましたが、今度は、めでたく結婚した話を御紹介します。↓

ドナーは、レシピエントの息子の恋人で、移植手術後、ドナーと、レシピエントの息子とは、キリマンジャロ山に登頂して、婚約の式をおこないました。
さらに、その後、結婚しました。
この話は、UNOS関連サイトに載っています。
記事では、レシピエントの家族が韓国系市民で、ドナーは、スカンディナビア系移民の子孫であることも書いてあります。

New York Times の記事検索で、organ donationで、最近3ヶ月間を検索すると、living donor増加の問題がとりあげられていました。
全文は読めず、簡単な要約だけでしたが、倫理的な問題があると指摘されているようです。

>ちゅう子さん
こんなもんでいい? (^^;)

http://www.patients.unos.org/people.htm


(__;) 投稿者:ちゅう子  投稿日: 9月21日(金)08時45分01秒

私的伝言、ごめんなさい。
てるてるさんや、早くなにか情報をたくさんアップしてくださいませ。冷や汗なり。
思い出ちゅう子ばあさんより

ちゅう子さん 投稿者:てるてる  投稿日: 9月19日(水)22時27分51秒

「月刊福祉」9月号、ほしいんです。
よかったら、交換しましょう。
メールで御連絡します。

まちがった 投稿者:ちゅう子  投稿日: 9月19日(水)22時20分35秒

私的伝言ごめんなさい。
てるてるさん、月刊福祉が今日届いてました。うれしくて早速開けたら9月号・・・・むむむ、そういえば何月号かにしなきゃけないのを、なにもしなかったような・・・・あ〜相変わらずのおっちょこちょい。も一度挑戦だわ、ネット注文に。月刊福祉もおもしろいね、ちゅう子も勉強しなくっちゃね。

『脳死判定ハンドブック』 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月19日(水)20時43分36秒

脳外科医の唐澤秀治さんが『脳死判定ハンドブック』(羊土社)という画期的な本を出版されました。脳死判定についての決定版であるだけでなく、脳死が長期に渡って続くというシューモンの研究や、手が自動的に動くラザロ徴候についても記載しており、さらに、脳死家族に対して、これらの新情報をどのように伝えればよいかまで詳述しています。

脳外科の専門家の本ということで、信頼性もあり、移植コーディネイターは<全員必読>の本だと思います。コーディネイターは、いまだに、家族に対しては、脳死になったら1週間くらいで心臓も止まると、家族に説明しているそうです(コーディネイター本人からの情報)。なぜなら、「マニュアル」に、そう書いてあるから。ぜひ、この本を読んで、情報をリニューアルすべきです。お知り合いに、コーディネイターのおられるかたは、ぜひ、薦めてあげてください。

↓に本情報が。

ps てるてるさんのご論文リンクしました。

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3aab0e584369901015f4?aid=p-morioka00730&bibid=02070120&volno=0000


RE:D&C 投稿者:てるてる  投稿日: 9月17日(月)15時50分53秒

>山本直樹さん
たいへん失礼しました。おっしゃるとおりです。
諏訪氏の原文は、以下のとおりです。

>アメリカを始めとして諸外国においては,D&Cの麻酔を拒否する麻酔医,麻酔ナ−スがカトリック信者を中心にかなり多数いる.脳死の問題に関してこれと類似の立場を認めてもよいのではないか,とも考える.即ち,「他人がこの仕事をするのはその人達の自由として認めるとして,私が拒否する自由も認めてほしい」というやり方である.

D&Cという略語の意味を理解していませんでした。
不注意な引用をして、まことに申し訳ありませんでした。


D & C 投稿者:山本直樹  投稿日: 9月17日(月)15時36分06秒

諏訪氏は脳死体の麻酔管理を拒否するカトリック信者が多いとは述べていません。D&C (Dilatation and curettage)妊娠中絶手術の際の 麻酔管理を拒否していると述べています。
意図的な曲解をしてはいけません。
キリスト教徒の移植医より

さて、それは 投稿者:てるてる  投稿日: 9月16日(日)06時48分49秒

杉本健郎さんの掲示板で質問したほうがよろしいのでは。
日記に、シューモン教授は世界的なピアニストでもある、と書いてありましたが。

ちょっと 投稿者:le pissenlit  投稿日: 9月15日(土)22時09分44秒

>てるてるさん
シューモン教授は音楽療法の造詣は深い方ですか?
ビデオで音楽を使っていられたようですが。

common good 投稿者:てるてる  投稿日: 9月14日(金)11時42分46秒

ぽんさんが報告されている、Hastings Center Report掲載の、Siminoff等の論文を読みました。
やはり、おもしろかった。

ついでに、同じくHastings Center Reportに掲載されている、
Minikoff, J.,"Organ Swapping"も読みました。
これは、広い意味で、ドナーに謝礼を払うことの是非を取り上げています。
シカゴ大学では、親族の臓器が適合しない二組の患者とドナー候補者を組み合わせて、ドナーの臓器が、親族でないほうの患者に適合すれば、本来近親者同士でおこなう生体腎移植を、交換で移植しあう、swappingという試みを提案したそうです。
筆者は、ここで思考実験をしています。ドナーAとレシピエントAの組が、たまたま、ドナーBとレシピエントBの組よりも豊かで、B組は、死体腎移植のドナーが現れたにもかかわらず、手術の費用が払えないとしよう。
そのとき、A組が、レシピエントBへの死体腎移植の費用をもつから、ドナーBは、レシピエントAのために生体腎を移植してくれ、と申し出たらどうか。

この論文でも、提供された臓器は、common goodである、という考えが出てきます。
提供された臓器は、communityのものである。だから、communityが誰に分配されるかを決める。
プライベートな取引は、よくない。

前に、UKの人種差別的臓器提供が問題になったとき、臓器は国家の資源である、national resourceである、という政府の見解が、市民から反発を買ったという話がありました。
私も、national resourceという言葉には反発しますが、communityのものである、common goodと言われると、比較的、反発を覚えません。 national resourceといわれると、国家に管理されるという感じがしますが、communityのものであるといわれると、人々が自主的に共同体をつくって自分たちの医療を運営している、という感じがします。
これは、先ごろ、厚生省が発表した、地域で提供された、心臓死後の腎臓は、その地域のものとする、という見解とは、また一線を画すと思います。
行政区画ごとの臓器の分配というのも、国家の資源と言うのと同じように、管理されるような気がしてしまいます。
あまり、地域住民の自治という感じがしません。

話をMinikoffの"Organ Swapping"に戻しますが、この論文の終わりのほうでは、生体腎移植を受けた患者が、ドナーの親族から、婚約不履行で訴えられたという話が紹介されています。
このケースは、インターネットで検索すると、いくつかの記事で読むことができます。↓

http://www.daily.umn.edu/daily/1997/10/15/news/ap707.ap/


すみません 投稿者:てるてる  投稿日: 9月12日(水)12時26分11秒

訂正です。
「追加 投稿者:てるてる  投稿日: 9月11日(火)22時51分04秒」の

>>シューモン教授の講演
>アンドリューが脳死と診断される状態になったのは、4歳のときですが、このとき、5歳以下の
    ↓  
>>シューモン教授の講演
>T.K.が脳死と診断される状態になったのは、4歳のときですが、このとき、5歳以下の


追加確認 投稿者:てるてる  投稿日: 9月12日(水)08時17分41秒
で、シューモン教授は、三つ目の、ユダヤ=キリスト教の伝統と調和する考え方に疑問をもって、研究を進めて、これもおかしいと思うようになって、脳死が死であるとすることに決定的な疑問を表明するようになったのでした。

脳死の概念への疑問の提起 投稿者:てるてる  投稿日: 9月12日(水)08時08分24秒

東京大学医学部麻酔学教室の諏訪邦夫氏の投稿「脳死に関して麻酔の立場から」
http://cgi12.plala.or.jp/kcn-home/forum/forum2.cgi?Work=Part&Forum=page18&No=&Num=8&Back=Tree
の要約が、「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会のNews4で紹介されています。

臓器移植のときに、脳死患者に麻酔をかけるのは嫌な気持ちで、世界各国に、それを拒否する医師・看護婦が、カソリック信者を中心に多い、と述べています。
そして、脳死後心臓死にまもなく至るというのはほんとうか、どのように上手に全身管理をおこなったときのことか、長期生存の例はないのか、と述べています。

>「回復した症例があるから死ではなく,回復した症例がないから死である」という主張は,脳死のように人間の尊厳を扱う基本問題への解答としては,あまりに粗雑で便宜的すぎるのではないだろうか.

シューモン教授の講演は、まさに同じ疑問で研究を始め、その結果、脳死を死とすることに反対しているのでした。
それに、シューモン教授もカソリックの信者で、脳死の概念規定を三つ挙げて、そのうちの二つは、ユダヤ=キリスト教の伝統と調和しない、と述べていました。

脳死を死とする考え方のうち、
調和しない二つ(incompatible)
1.人間社会のなかで与えられているメンバーとしての資格を喪失している
2.肉体の生命力の状態とは無関係に、人間の本質的な属性あるいは人間らしさの喪失である
(意識、思考、感情などの能力がない)

調和する一つ(compatible with Judeo-Christian view of human life)
脳死は、肉体の統合性の喪失である(loss of somatic integraive unity)

http://fps01.plala.or.jp/~brainx/


追加 投稿者:てるてる  投稿日: 9月11日(火)22時51分04秒

>シューモン教授の講演
アンドリューが脳死と診断される状態になったのは、4歳のときですが、このとき、5歳以下のこどもの脳死診断基準は作られていなかったので、正式に脳死と診断されたわけではなかったそうです。
でも、医師たちは、脳死の状態になったとわかったので、治療をやめようとしたのだけれども、親の希望で治療を継続したそうです。
このT.K.という少年が生きているのは、けがをしても治るし、おなかにチューブをつないで栄養補給をすれば、消化できるし、背も伸びたそうです。
でも、脳幹の機能はまったくないそうです。

>森岡さん
Hastings Center Report の論文、英語のホームページにアップされたのを読みました。
てるてる案を、Truogの主張から、植物状態と無脳症の患者からの臓器提供を除いて適用したようなもの、という説明は、外国の人にわかりやすいんじゃないかな、と思いました。


シューモン教授の講演会 投稿者:てるてる  投稿日: 9月11日(火)22時43分23秒

杉本健郎さんの掲示板で紹介されていた、シューモン教授の講演会に行ってきました。
司会の人が、途中で日本語のまとめをしながら進めてくださり、また、昨年の講演のときの記録を配ってくれました。
私のほうは、シューモン教授の論文の'Chronic "brain death"'を持っていきました。

スライドで、'Chronic "brain death"'にも載っているグラフなどが紹介されました。
脳死と診断された後にその状態が持続する日数と、年齢や病因との関係のグラフです。
同じく'Chronic "brain death"'にも載っている、脳死と診断された後の状態が、
14年6ヶ月持続している少年(T.K.)の、CTスキャンやMRIの画像や、ビデオも映されました。
今は、17歳6ヶ月になっています。
ビデオでは診察しているところが写っていました。
あの、かっけの診断に使うようなトンカチみたいなの(?!)でからだのあちこちをたたくと、手が挙がったりする映像でした。

ところで私が驚いたのは、水頭無脳症と診断されたアンドリューというこどものビデオでした。
赤ちゃんのように手を握っているので、見た目にもからだが不自由だというのはわかりますが、顔が生き生きとして、音楽を聴いていて、何かな、と思って注意を集中しているような表情になったり、陽気なメロディとリズムでは笑ってリズムに合わせて口をぱくぱくあけたりとじたりしていました。
アンドリューのことは、昨年の講演の記録にくわしく紹介されています。

質疑応答で、「水頭無脳症ってなんですか」、と聞きたかったんだけど、遠慮しました。
聴講に来ていたのはお医者さんや看護婦さんがほとんどでした。
脳死の概念に疑問があり、脳死と診断された後に長期間生きるのは、こどもだけなのか、それとも、おとなも含んで考えているのか、という質問に対して、確かに若いほど長く生存するけど、おとなも含めて脳死の概念に疑問があるそうです。

シューモン教授は、脳死が死であるという考え方には、なんの哲学的根拠も倫理的根拠もない、と言っています。
しかし、だから、脳死と診断された患者を長く生存させろ、と言っているのではない。
ただ、脳死と診断されたらすぐに心臓が止まるとか、からだの統合機能が失われるからとかいう理由で、脳死を死であるとするのは、まちがっている、と言っているのでした。

最後に、日本で、臓器移植法の改正が論議されていて、こどもの権利を守れ、と言っている人もいるが、どう思うか、という質問がありました。
でも、司会の人が、訳してくれなかったので、回答の内容がわかりませんでした。
質問した人も、英語だったので、言っていることの一部しかわかりませんでした。 (T_T)

シューモン教授の講演は、明日、明後日と、久留米と東京であるので、他の方の御報告もあればいいな、と思います。


「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会 投稿者:てるてる  投稿日: 9月10日(月)18時50分57秒

「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会への投稿メールが掲載されております。↓
前に書いた、移植者スポーツ大会についてのやりとりのことです。
関西市民の会からのお返事も載っています。

http://fps01.plala.or.jp/~brainx/


ども…おそれいりまする 投稿者:てるてる  投稿日: 9月10日(月)18時39分00秒

>りんごさん
さっそく読んでくださって、ありがとうございます。
おお、わかりやすかったですか。よかったー。

うちの母が、本文は読むのがしんどいと言って読まなかったけど、表だけ見て、めざとく(?)
「なに?承諾必要なし?……うちは絶対承諾せえへんで!」などと言っていました。
からだをちゃんと全部そろえて見送るんや、そりゃ自分のこどものためやったらいいけど、
そうでなかったらからだを切り刻んだりさせへん、と申しておりました。
まあ……とにかく、70歳代の人にも、表は読めたということで……

>論文のアップロード
プロヴァイダとの契約内容変更の際に不手際をしまして、
ホームページへのアップロードができない状態です。
ローカルファイルに留まっております。
もうしばらくお待ちください。m(__)m


てるてるさん 投稿者:りんご  投稿日: 9月10日(月)17時19分38秒

「月刊福祉」って雑誌、初めて知りました。
入手しましたよ!
こちらには、一冊しか入荷しないそうで、さっそくゲット。
うん、子どもの日のことといい、案の比較解説も一般の人にもわかりやすく書かれていました。

そういえば 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月10日(月)00時48分21秒

Hastings Center Report の拙論を全文アップしました。

http://www.lifestudiesnetwork.com/reconsidering.html
http://www.lifestudies.org/reconsidering.html


アフリカ系アメリカ人の臓器提供逡巡感 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月10日(月)00時47分00秒

この論文、読んでみたいですね。

SIMINOFF L.A. ; SAUNDERS STURM C.M.
African-American reluctance to donate : beliefs and attitudes about organ donation and implications for policy
Kennedy institute of ethics journal. - 2000, vol. 10, N° 1 - pp. 59-74


月刊福祉 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月 8日(土)19時50分14秒

それは、てるてるさんのご論文ですよね。
HPに、アップしましょう。こちらからもリンクしますので。

過去の投稿の訂正 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 8日(土)18時15分30秒

前に、「ちょっと、抗議 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 2日(日)21時26分01秒」という題で投稿した内容につきまして、訂正を致します。

この投稿を御覧になった、「『脳死』・臓器移植に反対する関西市民の会」からメールが来まして、アドレスを教えてくださいました。 そのときに、改めて、世界移植者スポーツ神戸大会につきまして、以下のように記事を書かれた意図を説明していただきました。
>「脳死」・臓器移植が一般市民の感覚、倫理からかけ離れている現実を反映して、大会は移植医療関係者を中心に進行。

それに対して、私からも、よりくわしく、自分の感想を申し上げました。この過程で、前の投稿では、私は、
>勝手に、一般市民の感覚や倫理から離れている、と書かないでほしいと思います。
と書いてしまいましたが、ほんとうは、次のように書けばよかったのだ、とわかりました。

私も一般市民のひとりだと自分では思っているが、他の一般市民の方々はいざしらず、
「私は」移植者スポーツ大会を支持している。

ここに、謹んで訂正させていただきます。

なお、「『脳死』・臓器移植に反対する関西市民の会」の記事で、一般参加者の少ない会場の写真が掲載されていることは、よかったと思います。そういうことは、神戸新聞の記事では、わかりませんでした。
しかし、その一般参加者の少ない移植者スポーツ大会について、私は、次のような感想を持っています。
一般参加者が少ないので、一般市民に浸透していないと思われても、それだけで、市民感覚からかけ離れているのかどうか、ということは、わからない。
むかし、Jリーグの、サンフレッチェ広島と鹿島アントラーズの試合を見たとき、広島のビッグアーチいっぱいの観客で盛り上がって、すごく楽しかったことがあった。
しかし、その後、同じサンフレッチェ広島と他のチームとの試合を、同じビッグアーチで見たとき、観客がとても少なくて、寂しかったことがある。これは、Jリーグや、サンフレッチェ広島というチームが、広島市民の感覚や、より広く日本全体の市民の感覚からかけ離れている、ということなのかどうか。
その判断は、むずかしい。


「月刊福祉」10月号 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 8日(土)14時34分10秒

今月発売されている、「月刊福祉」10月号に、「臓器移植法見直しをめぐる論点」という論文が載っています。(p.76-81)
町野案・森岡&杉本案・日本移植者協議会案・てるてる案を比較対照しながら解説しています。
最後のほうで、7月にあった、親族優先の臓器提供の問題点も少し述べています。

御報告ありがとうございます 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 6日(木)06時46分47秒

とても、おもしろそうですね!
もう、絶対、読みたい。

報告します 投稿者:ぽん  投稿日: 9月 6日(木)02時28分39秒

あっ、遅くなりました。報告します。(舌足らずで不正確かもしれません)

The Fallacy of the "Gift of Life." by LAURA A SIMINOFF and KATA CHILLAG

 フォックス&スウェイジーのいう「贈り物の独裁」(『臓器交換社会』88頁)の問題系譜に連なるものだろうと思います。
 「命の贈り物」のメタファーの問題点は、@モースの贈与論を参照しつつ、臓器という贈り物は返礼不可能のものであり、レシピエントに深刻な負債感を与える。また、レシピエントの術後ケアをする際に、コンプライアンスを確保するために医療者がレシピエントを支配する傾向にある。A「命の贈り物」という愛他主義的な宣伝に反して、提供がなされる実際の場面は高度に医学的な状況であり、また、システム的にはより多い臓器獲得の関心が働いている。B実際には臓器提供率を高める効果がない。提供家族は「命の贈り物」をするというよりは、レシピエントの体の中で、「故人」がなお生き続けることを望んで提供することが多い。
 代わるスローガンとして "Share your life, share your decision" が挙げられています。

The Gift of Life and the Common Good.The Need for a Communal Approach to Organ Procurement. by PAUL LAURITZEN, MICHAEL MCCLURE, MARTIN L. SMITH, and ANDREW TREW

 上の論文の指摘を評価しつつも批判を加え、「命の贈り物」のメタファーを(誇張してはならないが)維持する必要を唱えています。
 「システムが臓器移植の否定的な側面についての議論に積極的ではないこと、今後見込まれる臓器レシピエントに対して、術後に経験しようとしている困難に対して、適切な備えを怠っている、と指摘する点では、彼らは確かに正しい。だが、彼らは、レシピエントの否定的な経験が、彼らが「贈与イデオロギー」と呼ぶものによって引き起こされていることの証明はしていない。さらに、たとえ贈与イデオロギーが術後のレシピエントの経験に影響を与えているとしても、このことが、臓器調達のために「贈与」のメタファーを放棄しなければならない正当な理由になるのだろうか」。
 結論としては、提供率を増すために、また、レシピエントの負債感を減じるために、@提供の決定を個人的なものではなく、家族的・共同的なものにしておくこと。Aそして贈与されるものを、個人から個人へなされるものではなく、公共的な財産common goodとみなすことを提唱します。
 Siminoffらの論点を正面から論じ切ったようには思えませんが、端々に興味深い指摘がなされていて一読の価値はあるように(無知な私には)思います。その中で特に印象的だったのは、提供の決定は悲嘆の真っ直中でなされる、ということです。

「提供の意思決定のプロセスはまずは真っ先に家族的、共同的なものである必要がある。というのも、潜在的に臓器提供に至る死は、たいていの場合、突然に襲う悲劇的なものであるからである。比較的健康だった肉親の突然で予期しない死は、取り返しのつかない仕方で、家族や他の特に親しい者を引き裂く。死によって引き起こされた悲嘆と喪失感の真っ最中に、家族は必死に古い家族のアイデンティティーから新しいアイデンティティーの出現に順応しなければならない。この肉親はもういない。この情動で一杯な家族や親しい者たちの経験は、しばしば臓器提供の依頼がなされる文脈でもある。臓器提供を話し合ったことや提供すると約束したことの記憶は、家族がお別れを言って、肉親と離別し、この喪失の文脈において新たに定義され直すことを助けるように思われる。それはまた、悲嘆のさなかに寛大にも臓器を提供することに承諾し同意するために、力強い推進力になる」。

 この文脈で註に挙げられているA. Mongoven. Giving in Grief: Perspectives of Hospital Chaplains on Organ Donation. in Caring Well Religaon.Narrative and Health Care Ethics. ed. D.H. Smith(Louisville, Westminster John Knox Press.2000), pp. 170-97.も非常に面白かったです。家族への提供依頼に立ち会っているチャプレンたちの考えや経験を取材したもので、チャプレンたちは、提供の諾否に関係なく、遺族のグリーフ・プロセスを助けることが自分たちの仕事であると考えているようです。

P.S.森岡先生の論文楽しみです。ぜひ日本語版もお願いしますー。(長文失礼しました。)


世界移植者スポーツ神戸大会 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 5日(水)16時03分12秒

以下は、自分の掲示板からの転載です。

>神戸で開催された、世界移植者スポーツ大会の掲示板があります。↓
国内で脳死の患者さんから移植を受け、大会で金メダルを取った、乾麻理子さんも投稿されています。元気な皆さんの投稿は、明るくて、いい雰囲気です。
この大会のようすは、ニュースステーションでも報道されたそうです。

http://www.jtr.ne.jp/jp/index.html


あら……(^^;;) 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 5日(水)07時55分02秒

Hastings Center Report, 論文のコピーをほしいので、ららさんにお願いしたばっかりです。
といっても、森岡さんの論文が載っているは、知らなかったので、gift of lifeという考え方に疑問を抱く論文などのコピーを集めようとしたのでした。
近所の大学の図書館が一般社会人に公開するというので、さっそく登録申請に行ったのですが、一般公開で登録した人は、他大学の図書館の資料の利用を依頼できないということで、がっかりしているのです。(;o;) (ToT)

でも、森岡さんの論文がホームページで読めるとは、うれしいです。よかった!
で、てるてる案も紹介していただいたとは!!
もう、はずかしいやら、こわいやら。でも、どんなふうに読まれるでしょう。
自分でも英文抄録を書いてみようと思ったのですが、むずかしくて諦めていました。


Hastings Center Reportに拙論掲載 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月 5日(水)00時32分18秒

米国の生命倫理学術誌Hastings Center Report最新号が発売され、拙論
"Reconsidering Brain Death: A Lesson from Japan's Fifteen Years of Experience"
が掲載されました。日本の脳死論と、臓器移植法改正について議論したものです。日本の最近の事情が英語で国際誌に出るのは、たぶん初めてじゃないでしょうか? 世界の生命倫理研究者のほとんどはこの雑誌(↓)を見ているので、これでようやく世界へ情報発信ができました。今後が楽しみです。全文を英語ページで、近日中にアップします。日本語訳も作った方がいいかなあ・・・。

ps てるてる案も、"the Teruteru proposal"として紹介しましたが、編集者によって縮められちゃったので、超舌足らずな紹介になってしまいました。あらかじめ、ごめんなさい。

http://www.thehastingscenter.org/pub1.htm


移植と脳死 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 4日(火)21時52分02秒

>移植
「移植をテーマにした番組」が、テレビ朝日系列で、9月23日午後6時56分から8時53分までの時間帯に放送されると、日本移植支援協会のホームページで紹介されていました。↓
http://www.ishokushien.com/
紹介文によると、「小さな命の贈り物」というドキュメンタリードラマで、臓器移植の現状や問題点が分かりやすく述べられているそうです。

>脳死
子どものいのち掲示板に、脳死に近い状態と診断されてから、1ヶ月間、昏睡状態が続いたこどもさんを、看取ったおかあさんの、投稿があります。
早く楽にしてあげたいと思ったり、奇跡を願い、少しでも長く一緒にいたいと思ったりした、気持ちを述べられています。
親御さんは、もともとは、御自分は脳死後の臓器提供をしようと考えていたのだけれど、今は、その気持ちが揺らいでいるそうです。↓
http://www10.jp-bbs.com/0001/1000/mind.html

日本移植支援協会・子どものいのち掲示板、ともに、このサイトの「臓器移植法改正ページ」からリンクされています。


心臓死後の提供 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月 3日(月)12時53分44秒
についてのてるてるさんのご指摘は、私も同感です。心臓死後についてどうするのかを含めて、いま議論しているはずですから。結果、どうなるかは別として。

神戸新聞の社説 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 3日(月)06時56分01秒

神戸新聞の9月3日付の社説は、「移植法4年を前に〜公正・公開・最善は保たれたか〜」です。
ここで今後の課題としてとりあげているのは、検証態勢の再検討と、腎臓移植のルール作りです。
検証態勢については、脳死判定のミスが続いたことと、患者のプライバシーを理由に公開の原則がいいかげんにされているようなこと、検証会議が解散されて、移植学会や救急医学会等で構成する委員会がおこなうことになったが、それでいいのか、ということが挙げられています。

腎臓移植のルールの問題では、親族への提供の問題と、心停止後の腎臓移植の件数が半減していることとが、挙げられています。
心停止後の腎臓提供は、家族の同意だけで提供できるのに本人の意思表示が必要だと医療関係者が誤解しているのが、半減の原因だと指摘されているので、早急に手を打つべきだと述べています。

私は、心停止後の腎臓の提供が家族の同意だけでできることの是非を問わずに、このような主張をすることに疑問を感じます。
以前、神戸新聞で、心停止後の腎臓移植半減の記事が載って、同様の指摘が紹介されていたとき、家族の同意だけで提供できるというのは経過措置で、現在、出ている改正案のなかには、脳死後の臓器提供も家族の同意だけで提供できるようにしようというものもあるし、心停止後の臓器提供も本人の意思表示が必要にしようというものもある、と投書しました。
でも、読者の発言欄に掲載されませんでした。

http://www.kobe-np.co.jp/


いいすぎたかも…… 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 2日(日)21時52分55秒

関西市民の会のメールアドレス、以前は持っていたのですが、パソコンを変えたときに、なくしてしまったのです。
下の投稿、できれば、関西市民の会に送りなおしたいと思います。
削除したほうがよろしければ、どうぞ。

ちょっと、抗議 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 2日(日)21時26分01秒

「脳死」・臓器移植に反対する関西市民の会のホームページにメールを送ろうと思いましたが、メールアドレスがわからなかったので、こちらに投稿させていただきます。
世界移植者スポーツ大会についての記事で、以下のように書いてありました。

>「脳死」・臓器移植が一般市民の感覚、倫理からかけ離れている現実を反映して、大会は移植医療関係者を中心に進行。

私も一般市民の一人だと思っていますが、「脳死」・臓器移植を支持していますし、患者さんやドナー家族が集まってスポーツ大会をするのには大賛成です。
勝手に、一般市民の感覚や倫理から離れている、と書かないでほしいと思います。


腎臓移植 投稿者:りんご  投稿日: 9月 1日(土)01時34分40秒

「第3回腎臓移植に関する作業班」の開催について
(厚生労働省のHPより)

1.開催日時
平成13月9月6日(木)17:00〜19:00

2.開催場所
弘済会館「蘭(東)」4階
東京都千代田区麹町5−1
TEL:03-5276-0333

3.議題(予定)
1 腎臓移植希望者(レシピエント)選択基準について
2 その他

http://www.mhlw.go.jp/houdou/0108/h0830-2.html


Reconsidering Brain Death: A Lesson from Japan’s Fifteen Years of Experience
Masahiro Morioka, Hastings Center Report 31, no.4 (2001): 41-46