異種移植 投稿者:りんご 投稿日: 8月31日(金)23時02分39秒
ヒトとの遺伝子組み替えたブタさんが、無菌状態で出産。
子ブタたちはドナー用として無菌状態で育てられる。ブタの幸せってなに???
移植 投稿者:ちゃま 投稿日: 8月29日(水)15時47分03秒
話の流れ上、こちらの掲示板に投稿しましたが、下の書き込みでの移植とは、脳死臓器移植のことではありません。
スポーツ 投稿者:ちゃま 投稿日: 8月29日(水)13時01分18秒
明るい話題に水をさす ちゃま は、本当に憎まれ者と思いますが・・・
移植を受けた人の身体能力が、一般人?を上回ってしまう日は、そう遠い先のことではないように思われます。
地球時間「臓器移植・動物からヒトへ」(後編) 投稿者:りんご 投稿日: 8月28日(火)14時26分29秒
NHK教育テレビ、8月31日、22:00〜22:45
詳しい内容が、NHKのHPにありました。
サブタイトルは載ってなかった・・・。
ちゃまさんの疑問に関係ある内容かも。http://cgi2.nhk.or.jp/pr/bangumi/omoban/o0831.shtml#03
金メダル 投稿者:りんご 投稿日: 8月28日(火)08時52分33秒
とったんだ〜。すごい。
りんごは、試合前のインタビューを見ました。
てるてるさん、お気遣いなく(^^)。日本人は「金メダル」って言葉に弱いのよね〜。
m(__)m 投稿者:てるてる 投稿日: 8月28日(火)07時50分42秒
りんごさんと内容がかぶりました。
りんごさんは、テレビで、私は神戸新聞で同じ女性の記事を見たようですね。
エイトマン 投稿者:てるてる 投稿日: 8月28日(火)07時49分28秒
エイトマンって、脳の移植手術を受けたロボットだったのか……↓
「ロボコップ」も同じ設定だとか。
脳の移植で、その人の人柄が、別のからだをもってよみがえる、という発想。
大沢在昌の小説にもありましたっけ。
脳の機能が停止した女性のからだに、心臓の機能が停止した女性の脳を移植していました。
ほんとに、ほんとに、そんなことができるのかな……?ところで、世界移植者協議会のニュースでは、脳死患者からの肝臓移植を受けた女性が、
実名と写真で元気な姿を見せています。金メダルをとったということです。
こういう活躍を知ると、気持ちが明るくなります。http://www.d3.dion.ne.jp/~gonohon/eitoman.htm
ブタからの臓器移植 投稿者:ちゃま 投稿日: 8月27日(月)18時19分56秒
どうでも良いかもしれませんが・・
この場合、ブタの臓器って農業製品になるのでしょうか?
世界移植者スポーツ大会 投稿者:りんご 投稿日: 8月27日(月)09時35分43秒
きのう、テレビのニュースでみました。
日本で脳死下臓器提供をうけた人も選手として参加したみたいです。
そのなかの女性は、実名でインタビューされてました。
「元気な姿をドナーのご家族にみてほしい」という趣旨のことを話されていました。・森岡先生
「地球時間」後編の方が興味ひかれる題でした。
が、覚えられなかったので、わかり次第お知らせしまする。
母ブタさんは、無菌室で飼育されていました。 移植手術も物々しかった印象です。医療の発展も裏側には、動物たちの犠牲が・・・
人間が、動物たちの犠牲のもとに生きてるのかと思うと胸が痛むの。
URLの訂正 投稿者:てるてる 投稿日: 8月27日(月)05時54分43秒
すみません。↓から神戸新聞の記事へ。http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/010826ke20360.html
世界移植者スポーツ大会 投稿者:てるてる 投稿日: 8月27日(月)05時52分48秒
神戸新聞は、25日、26日、二日続けて、世界移植者スポーツ大会のことを報道しています。
神戸のハーバーランドで、ドナーとの交流の集いが開かれているので、大きな記事です。
ドナー家族とレシピエントとが直接に会わなくても、間接的に出会うことで、移植の意義を確認するのも、いいことだと思います。
移植の必要性を訴えたい、という声が載っていました。
確かに、私も、移植手術を受けた人々が、元気に活躍する姿は、いいなあ、と思います。
同じ執刀医に診てもらった人同士が友達になったりするのも、おもしろいし。http://http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/010826ke20360.html
異種移植 投稿者:森岡正博 投稿日: 8月27日(月)00時35分37秒
ぼんやりしていて、見れませんでした。なるほど、そういう内容だったか。後編は、どうなんでしょうか?
異種移植 投稿者:りんご 投稿日: 8月26日(日)15時23分26秒
のお話でした。「地球時間」
脳梗塞の患者さんの脳に、ブタさんの胎児の細胞を移植。
細胞移植。
麻痺が改善した患者さんもいまいした。
動物が持っているウイルスが人間に感染する可能性があるそうです。
そして、未知のウイルスが誕生する危険性も・・・。
すごい量の同意書があるようですが、同意書の内容については、深くふれてなかったです。
研究にあたっては、たくさんの霊長類が犠牲になっている現実です。
ドキュメント地球時間 投稿者:りんご 投稿日: 8月24日(金)11時02分19秒
本日、8月24日22:00〜22:45NHK教育テレビで
「臓器移植 動物からヒトへ 前編」
が放送されるようです。
優良さん 投稿者:森岡正博 投稿日: 8月22日(水)14時17分18秒
まずはこのページ↓のリンクを調査してみてください。いろいろな意見が見いだせると思います。http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/ishokuho.htm
http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm
はじめまして。 投稿者:優良 投稿日: 8月22日(水)11時20分24秒
初めまして優良(ゆうら)といいます。私は今学校の授業で「15歳以下の子供への臓器移植はするべきか、しないべきか」という議題についてディベートをすることになって、どちらがいいのかも分からないし、いざもし自分が移植する立場に、される立場になったりするのかが予測がつかないのです。臓器移植をすることはいいことなのかもしれないけれど、もし自分が死んでから自分から臓器が抜かれてしまうことを考えると少し恐怖を感じてしまいます。(不謹慎な意見かもしれないけど本心です。ごめんなさい。)でも、される側だった場合はやはり必要なことで…。どうしようにも自分の感情がはさまってしまいます。もしも、皆様がど何か「こうだからあまりよくない」とか「こうだからするべきだ」とか「このサイトには色々な資料があるから見てみたら?」という事があったらぜひ教えていただきたいです。お願いします。
「アンパンマン伝説」の記事を読んで 投稿者:てるてる 投稿日: 8月19日(日)18時47分52秒
出口顕著「臓器は商品か」では、アンパンマンが、臓器移植のドナーでもあり、レシピエントであるとたとえられていますが、よく考えると、ジャムおじさんが新しい顔を作ってくれるので、これは、再生臓器や、人工臓器にたとえるほうが、正確ではないのか、と思いました。↓http://www.sanin-chuo.co.jp/column/meisou/2001/08/10.html
tityさん 投稿者:カエル 投稿日: 8月10日(金)10時10分55秒
レポの文中の「XYという遺伝子の欠陥(?)」という表現は
ボクがドクターのお話を一度自分の頭の中で整理して書きました。
ドクターは「欠陥」という単語を使っておりませんでした。
素人のボクに対してすごく丁寧な説明をしてくださいました。
「欠ける」は、XXに対するXYは「部分(なんと言えばいいのかな。
Yの足のところ)が少ない」という意味で、使いました。
RE: RE:移植のジェンダーバイアス 投稿者:tity 投稿日: 8月10日(金)02時49分01秒
カエルさんのリポートにも、同じような疑問が書いてありました。↓> >「渡航移植者数や、腎臓待機患者数を見ると圧倒的に男性の方が多い。男性は女性よりも病気になりやすいということなのでしょうか」
> この質問は2人のドクターにお聞きしたのですが、どうやらこれは医学的によくわからないことのようです。 が、もちろんいくつかの考え方はあるそうです。女性がXXに対して、男性はXYという遺伝子の欠陥(?)という説、免疫の問題説など。 例えば、膠原病(リウマチなど)の場合、女性に好発することが知られていますので、
男性より女性が病気になりにくいというのは俗説です。
このため、私は疾患ごとに考察するアプローチをとりました。
しかし、「遺伝子の欠陥」とは、医者もずいぶん差別的な表現をするものですね。
竹内久美子あたりが言ってそうな気もしますが。
早起きvs夜更かし 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 9日(木)09時58分33秒
私の問いかけに、その都度すぐに返信していただき本当にありがとうございます。夜更かししたため、頭がボーッとしております。まずは返信をいただいたお礼まで・・・。
RE:移植のジェンダーバイアス 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 9日(木)06時48分45秒
>tityさん御紹介くださったホームページは、前から、おもしろいところだと思っておりました。
いい資料をありがとうございました。
カエルさんのリポートにも、同じような疑問が書いてありました。↓>「渡航移植者数や、腎臓待機患者数を見ると圧倒的に男性の方が多い。男性は女性よりも病気になりやすいということなのでしょうか」
この質問は2人のドクターにお聞きしたのですが、どうやらこれは医学的によくわからないことのようです。 が、もちろんいくつかの考え方はあるそうです。女性がXXに対して、男性はXYという遺伝子の欠陥(?)という説、免疫の問題説など。http://www3.justnet.ne.jp/%7Eelellis_fan2/jp3/shixyukai.html
http://www.kinokopress.com/inko/jp/shixyukai.html
移植OK!さんへ 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 9日(木)06時42分39秒
>てるてるさんが言わんとするところを私なりに次のように解釈しました。
「脳死移植の提供を受けたいと望むなら、自らも脳死移植の提供者になるだけの覚悟を持つべきである。我が子には移植を受けさせたいが、我が子が脳死になっても提供を拒むようでは自分勝手である」、もし間違っていたら訂正してください。確かに、私は、
>自分たちが耐えられないことを他人がやってくれることを期待する。そんな親の思いを前面に出して法律をつくるわけにはいかないと思います。
と書きました。法律を作るときには、当然、そうだと思います。
でも、それとひとりひとりの思うこと、考えることとは違う。 だから、>私も、もし、自分にこどもがいたら、同じことを思います。
と書いております。
自分のこどもが脳死と診断されても、死んだとは思えない、という人が、自分のこどもに、脳死の患者から提供された臓器の移植を望む場合は、今、提案されている改正案のなかで、その考え方と矛盾する改正案は支持しないことにすればいいのではないでしょうか。
たとえば、臨床的に脳死と診断された人には死亡宣告をし、家族の同意だけで提供できるとする町野案や、脳死判定に本人や家族の同意を必要とせず、特にこどもの場合は、本人が脳死判定を受け入れていなくても親の同意だけで脳死状態での臓器の摘出ができるとする、日本移植者協議会の改正案には、反対するのが論理的ではないでしょうか。
>質問・・・子供の立場が親の考えで左右されることに疑問を持っているようですが、では判断能力に乏しい年齢の子供は、どうやって治療を受けたらいいのですか?また、親は結局のところ、どうしたらいいのですか?
実際、親が宗教上の理由でこどもに必要な輸血を拒否した場合、医師の判断で輸血をしてもいいかどうか、裁判になりませんでしたっけ。ことほどさように、社会的に議論しているわけで、親の思いだけを前面に出して、それでよしとするわけにはいかないと思います。
追加・てるてるさんへ質問 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 9日(木)00時09分24秒
肝心な質問を書き込むのを忘れました。質問・・・子供の立場が親の考えで左右されることに疑問を持っているようですが、では判断能力に乏しい年齢の子供は、どうやって治療を受けたらいいのですか?また、親は結局のところ、どうしたらいいのですか?
PS・ 私は現実的な治療法のひとつとして「脳死移植」を望んでいますが、誰かの死を願わざるを えないことがとてもいやです。本当ならそんなことを考えたくもありません。 素人考えで悪いですけど、人工臓器を早く開発してほしいとさえ思っています。
決して脳死移植が本意ではないことを書いておきます。
てるてるさんに質問 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 8日(水)23時40分31秒
返信ありがとうございます。てるてるさんが言わんとするところを私なりに次のように解釈しました。
「脳死移植の提供を受けたいと望むなら、自らも脳死移植の提供者になるだけの覚悟を持つべきである。我が子には移植を受けさせたいが、我が子が脳死になっても提供を拒むようでは自分勝手である」、もし間違っていたら訂正してください。理屈はわかります。しかし、私共のように「移植が選択肢になっている病気の子供と親」にとって、目の前にある現実というのは、自らや我が子が脳死になった場合にどうするかの議論でなく、子供の病気をどうしたら治せるか、これしか考えられなくても仕方ないと思います。 どんなに理路整然と理屈を並べられても、てるてるさんのような主張では、我が子に移植をあきらめよと言われているのに等しいのです。
私はドナーカードをもう何年も前から持参しており、何かの時には必ず脳死移植に同意するよう家族には言ってあります。しかし、だからといって家族が脳死になったときに、同じように考えられるかといえば、それは迷いに迷うでしょう。しかし、私は移植の推進を強く望んでいますから、同意に向けて相当悩むでしょう。ただ、決して言い訳ではなく、そのときになって自分がどんな行動を取るのかを、なる前からあれこれ議論するのもおかしいと私は思いますが・・・。
移植のジェンダーバイアス 投稿者:tity 投稿日: 8月 8日(水)17時24分05秒
7月27日にてるてるさんが投稿された、移植とジェンダーの問題について考えてみました。
考えたというより、考えるための基礎資料といった感じです。まず、私が着目したのは、疾患自体に男女比があることです。
この時、移植が必要な重大な疾患なら、診断にジェンダーバイアスはないものと仮定します。さて、移植の上位を占める拡張型心筋症、拘束型心筋症、拡張相肥大型心筋症について、
拡張型心筋症と、肥大型心筋症については、
おおよそ2.5:1の男女比があることが知られています。実際渡航した人の原疾患について、
小柳仁、他「渡航心臓移植の現状とわが国における意義」(『医学のあゆみ』Vol.196 No.13, 2001.3.31, pp.1101-1104, 医歯薬出版)には
記載されていませんので、
http://www.246.ne.jp/~snakajii/batista/ishoku.html
の表を用いることにします。
これは上記論文の表とよく一致していますので利用可能と考えます。さて、論文中の表の最終日付までについて検討してみると、
上記2疾患について、渡航移植したことが分かっているものは
男性27、女性12で、男女比は2.25:1となり、
原疾患の男女比は超えていないことが分かります。
すなわち、論文にあげられたデータを持って、
ただちに、ジェンダーバイアスがあるということは困難であると思われます。もちろん、これは一つの仮定であって、もっとちゃんと調べなくてはいけませんし、
現実にジェンダーバイアスがないということは多分ないだろうと個人的には思います。
こういう考え方もあるということで、何かの参考になれば。
脳組織 投稿者:森岡正博 投稿日: 8月 8日(水)14時49分15秒
>てるてるさんいえ、USAの例も、脳死かどうかはわかりません。未確認です。今回と同じだったかもしれません。しかし、心臓死後の献体から、生きた脳細胞が分離されるとは、想像を絶しますね。うーん。
脳組織から神経幹細胞を採取 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 8日(水)09時31分58秒
献体された死体の脳組織から神経幹細胞を採取し、培養に成功した、というニュースがあります。↓
以前、森岡さんが、
「『脳死の脳から生きた脳細胞』について 投稿者:森岡正博 投稿日: 5月 9日(水)08時35分13秒」
という投稿で紹介された研究と同じようなものらしいです。
でも、5月のUSAのは、脳死者からの脳組織の採取らしかったのに対して、この札幌医科大学のほうは、「献体」ですから、心臓死後の死体だと思いますが。脳梗塞の治療などに使えるそうです。それは結構なことです。
脳死後の死体からだと、ちょっと待ってくれ、と思いますが。
それから、心臓死後の死体でも、本人の事前の許可が必要だと思います。
今回の記事では、献体の登録は本人がしていたけれども、研究利用への許可は遺族から得たようです。私としては、脳梗塞の治療や防止の薬はどんどん作ってほしいです。
まあ、今回、幸いにも、私の母親は、左手の麻痺を残すだけで回復しましたし、その左手も、手を握ったり開いたりはできるようになってきたし。後は、リハビリテーションを続けることと、再発に注意が必要なだけです。http://www.asahi.com/national/update/0808/004.html
RE:親の思いについて 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 7日(火)14時48分34秒
>移植OK!さん
>私は子供の移植について、子供本人の意思より親の思いが優先されることを当然だと考えます。おっしゃることは、常識的にはもっともだと思います。
ただ、自分のこどもに移植を受けさせたい、という親御さんのなかには、もし、自分のこどもが脳死と診断されても、死んだとは思えない、臓器を提供する気にならない、という方々もいます。 私も、もし、自分にこどもがいたら、同じことを思います。しかしこれは、ずいぶん、勝手なことですよね。自分たちが耐えられないことを他人がやってくれることを期待する。そんな親の思いを前面に出して法律をつくるわけにはいかないと思います。もちろん、自分のこどもに移植手術を受けさせたいと思うと同時に、脳死を死と認め、もし、自分のこどもが脳死と診断されたら、臓器を提供してもよい、という親御さん方もいます。 そのどちらでも親の思いを前面に出すとするなら、こどもの立場は、親の考え方次第でずいぶん、大きく左右されてしまうと思います。そんなに親の勝手で左右されてもいいものだろうか、とも思います。それでも、命あってのものだねですから、かまわないのかもしれません。
しかし、たとえば、USAでは、無脳症の赤ちゃんの両親が、臓器提供をさせてほしい、と社会に訴えることがあります。移植医も、この親御さん方の願いをかなえさせるべき、主張します。 日本でも、無脳症の赤ちゃんから臓器が提供された例があります。
無脳症の赤ちゃんは、大脳はなくても脳幹はあるので、生まれたときには自分で呼吸しています。
でも、脳幹の機能が不可逆的に停止するのを待っていると、内臓がいたんで移植に適さなくなってしまうので、生まれてすぐに人工呼吸器をつけて、うまく、移植に適するように、脳の機能だけが停止するのを待ちます。 無脳症の赤ちゃんを生んだという悲劇、絶望から、何か肯定的なものを汲み出すために、他の赤ちゃんのために臓器を提供したい、という親御さん方の、移植にかける思い。 こういうものも、前面に出すべきでしょうか。あるいは、宗教上の理由で輸血を拒否する人々もいます。こういう場合、自分のこどもに、輸血が必要と医師からいわれても、輸血を拒否する親の思いは、前面に出してもいいでしょうか。 それとも、いけないでしょうか。いけないとすれば、移植の場合とどう違うのでしょうか。
こどもの命を救うか救わないかの違いだ、というのは、その宗教の信者でないもののいいぶんであって、信者であれば、こどもの魂を救うことほど尊いことはないのかもしれません。
臓器移植生命倫理学 投稿者:りんご 投稿日: 8月 6日(月)12時31分22秒
横入りすみません。
先月、信州大学医学部の「臓器移植生命倫理学」に参加してきました。・信州大・りんごメモ
大学院の「臓器移植細胞工学」というコースの授業のひとつです。
森岡先生も参加された小児科フォーラムでパネリストだった鈴木利廣さんの講演「患者の権利とは何か?」。
「電脳福祉論」で森岡先生と対談された米本昌平さんの講義「患者の権利と医療専門職の役割」。
そして、市民公開授業「(仮想事例)生体肝移植についての模擬倫理委員会」。
仮想事例の設定、倫理委員会のシナリオの企画は、「学術誌現代文明学研究」でおなじみの玉井真理子さん。
なんと豪華な!
ドナーが学内規定を逸脱する事例についての討論で、シナリオがあり、賛成反対については、個人の見解とは異なる台詞もあったらしい。医学部の学生さんにも配役(心理カウンセラー、患者の権利を考える会の主婦)があり、迫力ある演技で討論してました。基礎知識として、疾患、生体部分肝移植、移植コーディネーターについての説明も織り込まれ、なかなかの企画でした。・りんごの感想
豪華なメンバーに終始興奮気味のりんごでした(^^)。
鈴木さんは、薬害エイズやハンセンの弁護団もされてて、8月には仙台でも講演会があります。
もっと、脳死のことを聞きたかった。米本さんに!
生体肝移植のドナーを含めたガイドラインが大学病院ごとにまちまちなのには驚きました。
全体と通して、なんといっても、医療と社会とのルールづくりの難しさを知りました。
学内からの参加者は以外に少なかったみたいで、あ〜もったいない。
医療者は、あまり興味ないのかな?
けど、生命倫理の教室が出来る医学部も増えてきているようだしね。
このような大学と市民(りんごは、松本市民じゃなかったけど)との交流をもっとひろげてほしいと思ったのです。
りんごは満足だったから、来年も受講した〜い。
親の思いについて 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 5日(日)01時18分09秒
私は子供の移植について、子供本人の意思より親の思いが優先されることを当然だと考えます。
なぜなら年齢が低ければ低い子供ほど「病気を理解し、治療法を選択する判断能力」がないからです。
だからこそ、親は保護者として子供のことに責任を持ち、子供の代わりに主治医と相談し、治療方法を選択していくのです。
この点は、何と反論されようとも、病気の子供を持つ親として私は譲れないところです。私は子供が生後間もない頃から一緒に病気と闘ってきました。今もそうですが、この子が人並みに健康な生活を送られるようになるなら、どんな治療も受け入れたいと思っています。 今までも、子供本人が治療を嫌がっても、それが子供にとって必要な治療だと思えばこそ、私は親として子供に我慢を強いてきました。しかし、決してひとりよがりな考えではなく、子供が私を信頼し、私を必要としてくれているだけに、今までのことも間違っているとは思っていません。
私にとって子供はかけがえのない存在であり、病床のベッドで共に過ごした日々は生涯忘れられません。今、何とか我が家で家族と共に暮らせていることに感謝し、信頼のおける主治医の先生に巡り会えたことを喜んでいます。 私や子供にとってはとても辛いことですが、子供の病気を通して「健康に生まれ、健康に育つことのありがたさ」を痛切に思い知らせれました。その代わり、「家族が一緒に暮らせることがどんなに幸せなこと」かも教えてもらいました。
小児移植 投稿者:森岡正博 投稿日: 8月 4日(土)21時36分15秒
欧米では、子どもに、「脳死」の説明もするのでしょうか?
するのだとすれば、どんなふうに?
そこが、すっ飛ばされているのではという気もしますが・・・。
ごめんなさい 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 4日(土)13時43分38秒
ちょっと、下の文章、へんですね。
>それが「移植医療のメンタルヘルス」という本にも成果としてあらわれています。
この文は、
>生体肝移植では、移植患者、臓器提供者、その家族の複雑な心理や人間関係の問題などが
既に移植医たちのあいだでも問題意識として共有され、とりくみもなされています。
この後に続けるつもりだったのでした。
小児の移植のメンタルヘルス 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 4日(土)13時40分49秒
ことし4月に刊行された、「移植医療のメンタルヘルス」(中央法規)には、「小児の移植をめぐるメンタルヘルス」という章があります(第10章 p.121-133)。
日本では生体肝移植の例が多いので、そちらの研究成果が使われています。
欧米では、幼いこどもに対しても、絵本やぬいぐるみを使って、移植についての説明をする、とも書かれています。>子どもの死の可能性を目の前にして、最後の治療手段として両親が移植治療を選択する時は、とにかく生きていてほしいと、命を救うために藁をもすがる思いである。しかし、その後の子どもの"生き方"を選択するのはあくまでもその子自身で、その子どもの主体性を大切にしなければならない。つまり、親の臓器提供への思いと子ども自身の思考や行動は、その成長過程で切り離して考えることが重要である。"親の意思"で行われた移植手術で元気になった子どもたちは、その成長過程で"自分の意思"をしっかり持っているのである。 他者の臓器提供があったことによって自分が生きているという事実を受け止め、感謝の気持ちを持ち続けなければながらも、決してそれが本人の負い目になってはならないし、過保護になりすぎてもいけない。
生体肝移植では、移植患者、臓器提供者、その家族の複雑な心理や人間関係の問題などが既に移植医たちのあいだでも問題意識として共有され、とりくみもなされています。 ほんとうは臓器を提供したくないのに提供するという場合、ほんとうは移植手術をうけたくないのに受けるという場合、いろいろ、あります。おとなでもそうなのだから、こどもにもいろいろあると思います。
>家族にドナーとなりうる人がいなければ生体肝移植は成り立たないので、最初に家族にその意思があるかを確かめる。このような過程では、患者自身の決定が家族の強い意向に流される結果になることが予想される。家族が強く移植を希望した場合に、患者自身は移植に対して乗り気でなくても承服せざるをえない結果を生むことにつながる。(p.78)
>家族からドナーとして適当であると決められてしまい提供することを嫌だと言えない状況であったりする。(p.84)
それが「移植医療のメンタルヘルス」という本にも成果としてあらわれています。
でも、この本自体に書いてありましたが、こういう分野の成書は初めてで、この分野の日本の医療の立ち遅れは目に余る、ということで、まだまだこれから研究が必要です。>モイナさん
私は、移植待機患者や、移植待機の登録をするかどうかを考える段階のことを想定していました。でも、もちろん、移植を受けた人も含まれます。
実例? 投稿者:モイナ 投稿日: 8月 4日(土)12時12分43秒
横入り失礼移植を受けた本人がまだ子供なんですよね。今は。
だから、実例が報告されるとするなら、本人が大人になって
自分で語り出す"これから"と推測されます。それに、「実例」といっても積極的には語られることの
ないはずの性格のものですから。
RE:再々・てるてるさんへ 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 4日(土)10時12分40秒
移植医療の現場で、親子に別々に面接を実施し、各自の心情をていねいにききとった、という研究報告があれば、いいと思います。今まで、そういう研究が実施されたのかどうか、なかったような気がしますが。私が勉強不足なのでしょう。すみません。
再々・てるてるさんへ 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 4日(土)09時54分16秒
心理療法の現場での実例については十分納得できます。てるてるさんの指摘に私も同感です。
できれば、移植医療の現場での実例もあげていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。「ちょっと補足」の「本当に子供の心が理解できて気持ちが寄り添っているときは問題ありません。親が自分は子供と一体になっていると誤解しているときが問題です」との指摘、言われてみれば確かにおっしゃる通りですね。
ちょっと補足 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 4日(土)07時01分40秒
私は、以下のように書いておりました。
>それで、母親の気持ちでは、こどもと一体になっているような感じのときがあると思います。
>それがこどもを苦しめることもあります。それを親が自覚しないときもあります。移植OK!さんは、以下のように要約していらっしゃいます。
>「母親の気持ちがこどもと一体になることで、こどもを苦しめることがあり、それを親が自覚しないときがある」わずかな差のようですが、「一体になったような感じ」と、ほんとうに、一体になっているときとは、違います。ほんとうにこどもの心が理解できて、気持ちがよりそっているときは、問題がありません。親が、自分はこどもと一体になっていると誤解しているときが、問題です。
RE:再・てるてるさんへ 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 4日(土)06時57分33秒
たとえば、緘黙症のこどもで、親の前ではしゃべらないが、他人の前ではしゃべる、という例もあります。
心理療法の現場では、いくらでも、子供を苦しめているのに親が自覚していない、という実例があります。
といっても、親が原因だといって責めるのではなくて、親がこどもへの愛情だと思ってしていることが逆効果になる場合がある、ということです。
実はどこの家庭にでも大なり小なり起こっている、平凡なできごとです。それが深刻になったときに、心理療法が必要になったりします。
再・てるてるさんへ 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 4日(土)01時16分34秒
「母親の気持ちがこどもと一体になることで、こどもを苦しめることがあり、それを親が自覚しないときがある」「子供の心を救い出し、子供を親とは別の人格として保護することも必要」との、てるてるさんの指摘ですが、私には理解できません。子供を苦しめているのに親が自覚していない、このことを実例で説明していただけませんか?
親の思い 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 3日(金)21時35分00秒
>森岡さん >「そこに親の子を思う熱い気持ちがあるから、親の思いはかならず叶えられなければならない」という考え方には、私は反対します。それは、臨床的に脳死と診断されるこどもの親の思いに対しても、同じことが言われてしまうかもしれませんが……こども自身は、早く終わりにしたいと思っているのかもしれないとか、他のこどものために自分のからだを役に立ててほしいとか。
>小さな子どもが脳死になった場合、臓器摘出はその本人の治療に結びつかないので、一般の治療とは別次元で考えるのが通常だと思います。
それは、そのとおりだと思います。
ただ、私は、親も、準当事者だと思います。
母親とこどもは、元はひとつのからだです。
母親の心をもった育ての親も、同じだと思います。
それで、母親の気持ちでは、こどもと一体になっているような感じのときがあると思います。
それがこどもを苦しめることもあります。それを親が自覚しないときもあります。
それで、脇から、あなたのこどもはほんとうはどう思っているのか、ときいてあげることもだいじだと思います。こどもの心を救い出すために。
こどもを親とは別の人格として保護することも必要です。
それでも、親も、準当事者である、と思います。
そうであればこそ、脳死と診断された人に、親が声をかけたときには血圧があがり、医師が声をかけても変化がない、というようなことが起こるのではないでしょうか。
レス2件です 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 3日(金)21時23分35秒
>tityさん そうでしたか。確認させていただき、ありがとうございました。
知れば知るほど、かえって、この親族優先の臓器提供は、なにかおかしな感じがしてきました。
これでは、くわしく、ていねいに、経過を説明していただきたい、と、思ってしまいます。
移植コーディネーターが公開の報告書を出すことはできないのでしょうか。>ぽんさん
はじめまして。
全体にとてもおもしろかったのに、最後に遠慮のない感想を述べて、お返事をいただいて、少々、恐縮しております。
自己決定権や、臓器提供を善意の贈り物ととらえることについての批判には、私はしばしば、いらいらさせられることがあるのですが、(善意ととらえて何が悪い、とか思うのですが)、善意との結びつきの危険さや、自己決定という概念が、臓器移植法案を出した立場によって 違ってくることについて、実に丁寧に書かれていましたので、私にもわかりやすかったです。> ところで、最近のHastings Center Report誌を見ると、アメリカ版「善意」―Gift of Life なる臓器調達イデオロギーが批判されています。術後のレシピエントの心理的負担など問題が多いらしいからなのですが、でも論者の目的は、臓器移植をもっと円滑に行えるようにするにはどうすればいいかみたいです。よく読んでみて、なにか興味深い点があったらまた報告させてください。
たいへん関心があります。御報告をたのしみにしております。
できれば私もその論文を読みたいけど……
善意が重荷になるから、そういうことは気にしないで、普通のお薬を飲むのと同じように、移植臓器を受け取る、という考え方もあると思います。そのほうがいいのかもしれないし。 でも、レシピエントからの感謝によって悲しみ・苦しみが軽くなるドナー家族もいるし。
ドナー家族(レシピエント)と連絡をとりたいというレシピエント(ドナー家族)もいれば、その逆もある。
Pamela AlbertやLewinoの論文で、アンケートによって、どちらの例もあることがわかって、興味をもっておりました。
移植OK!さん 投稿者:森岡正博 投稿日: 8月 3日(金)20時22分18秒
当事者の定義はそれでいいです。レシピエントが小さな子どもの場合、移植の希望は「親の思い」であるということを明言するべきだと私は思います。親の思いが強く出ることは人情の常だと思いますが、それが子どもの本人の希望を無視するものになることがあるのもまた事実でしょう。いずれにせよ、「そこに親の子を思う熱い気持ちがあるから、親の思いはかならず叶えられなければならない」という考え方には、私は反対します。
小さな子どもが脳死になった場合、臓器摘出はその本人の治療に結びつかないので、一般の治療とは別次元で考えるのが通常だと思います。
「浮遊する」のぽんです 投稿者:ぽん 投稿日: 8月 3日(金)19時51分26秒
てるてるさん、批評ありがとうございました。まったくそのとおりで、最後のあたり問題を抱えています。この点、繊細かつ入念に吟味されている「てるてる案」に学びます。ところで、最近のHastings Center Report誌を見ると、アメリカ版「善意」―Gift of Life なる臓器調達イデオロギーが批判されています。術後のレシピエントの心理的負担など問題が多いらしいからなのですが、でも論者の目的は、臓器移植をもっと円滑に行えるようにするにはどうすればいいかみたいです。よく読んでみて、なにか興味深い点があったらまた報告させてください。
○L.Siminoff & K.Cillag,The Fallacy of the "Gift of Life",Hastings Center Report 29,no.6
○P.Lauritzen et al.,The Gift of Life and the Common Good,Hastings Center Report 31,no.1
森岡先生へ 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 3日(金)19時40分41秒
私の質問にお答えいただきありがとうございました。当事者の定義についての森岡先生の考えは「年齢に関わらず、あくまでも臓器の提供をする子供と提供を受ける子供であり、親は当事者ではない」、このように私は受け止めましたがよろしいでしょうか。もし違っていたら訂正してください。
「子供の親」のことを「子供の保護者」とも言います。子供の年齢が低ければ低いほど、親の保護が必要なのは言うまでもなく、その点において「親の思い」が前面に出ることは当然ではないでしょうか。 子供がどんなに嫌がる治療であっても、子供にとって必要な治療だと思えば、私は「保護者」として、子供の代わりに主治医と相談し、どんな治療がいいのかを判断します。この場合、子供本人より、子供のためを思う親の考えが優先されていることになりますが、私はそれでいいと思うのです。 私の子供は自宅でも注射を打っており、毎月1回の採血検査、日々飲み続ける薬などを考えると、本人にとってはいやなことばかりです。しかし、どんなに嫌がっても子供には我慢させています。 それは、病気の進行を少しでも遅らせたいからです。だからこそ、低年齢になればなるほど「保護者の判断・親の思い」は前面に出てしかるべきだと私は思うのです。
森岡先生のお考えはいかがでしょうか。ぜひお聞かせください。
なお、森岡先生が指摘する「移植に頼らずに限られた人生を生き切る」ことには、私も共感できます。決して移植がすべて、移植を受ければあとはバラ色とは私も思っていません。ただ、できることなら「移植を受けられる環境」があって、それでも「移植を受けない人生」を選べることが理想ですけどね・・・。
あすみ母へ 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 3日(金)17時19分44秒
あすみ母の言わんとするところ、よく分かります。
誰だって、我が子が生死をさまよっているときに、脳死移植のことなど考えもしないでしょう。
「1日、1分、1秒でも長く、一緒の時間を持ちたい」とのあすみ母の言葉も、まったくその通りです。
お互いに立場は違えども、愛してやまない我が子を思う親心に何ら変わりはないですよ。
お子さんの健康を心から願っています。
RE: 話題2点 投稿者:tity 投稿日: 8月 3日(金)14時17分27秒
> レシピエントは同一で、手術をしたのは別のところということは、レシピエントも
> 東大医科学研究所から東邦大学大森病院に移動した、ということなんでしょうか。
その通りです。
誤解のないように付け加えておきますが、
摘出は聖路加病院で行なわれています。
摘出と移植は別の施設で行なうルールだからです。
当事者だったかもしれない母より・・・ 投稿者:あすみ母 投稿日: 8月 3日(金)08時19分13秒
私は4年前、子どもが事故で生死をさまよいました。幸運にも、ドクターが脳低温療法に興味を持っていて、やりたいと思っていた時だったため、治療を受けることができ、今は障害がありながらも、日常生活が送れるまでになりました。 あれから4年、脳についての本をたくさん読みました。今の私に言えることは、脳死になっていたかもしれない経験があるからこそ、もし不幸にも子どもが脳死になったとき、その時の医療になっとくがいけば、「あの時、失っていた命だったから」と、提供を考えることも出来るでしょうが、じっさいは突然そんなことになったら、1日でも多く、1時間でも長く、一緒の時間を持ちたい(心臓死を待ちたい)と思うに違いないと思います。 移植が必要な子どもをもつ親御さんが、なんとしても子どもを元気にしたいと思うのと同じように、死に向かう子どもだと解っていても、自分の決断で別れを早めようという親は、いないのではないでしょうか・・・。今まで、命と向き合わなければならない経験がなかった人は、それが普通だと思います。子どもが幼ければ幼いほど、そうなんじゃないんでしょうか・・・。http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6361/index.html
話題2点 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 3日(金)08時10分43秒
>tityさん
>レシピエント決定の際に、一度、医科研で受諾しておきながら
摘出後、医科研が「医学的理由」で辞退し、大森病院に移っています。
厚生労働省に確認したところ、レシピエントは同一だということですが、これ、よくわからないんですが。
レシピエントは同一で、手術をしたのは別のところということは、レシピエントも東大医科学研究所から東邦大学大森病院に移動した、ということなんでしょうか。>『脳蘇生治療と脳死判定の再検討]』
低温で届いた(!)この雑誌には、UKと台湾の脳幹死について、ダンカン=ヤングと、洪祖培の論文が続けて載っています。この二つの論文の最後の質疑応答で、こどもの脳死判定について書いています。(p.190) >台湾の法規は3歳以下を除き、小児の脳死診断を除外していない。ということは、3歳以下は脳死診断を除外していて、「脳死」状態からの移植はない、ということでしょうか。
>(ヤング)5歳以上は成人と同じ基準を使う。5歳以下については、英国の小児高度ケア学会が、どういう基準を使うべきかまだ検討中である。現在の時点では基準として何を使うべきかわからない。
3歳、5歳という違いはあっても、乳幼児の脳死判定後の臓器移植は実施していない、あるいは非常に慎重である、ということですね。
台湾では3歳以下は脳死判定後の移植はしないのであれば、てるてる案と同じだと、ちょっと心強い思いがします。てるてる案の関連で言えば、韓国では脳死と死とを分けて臓器移植法を制定しているのも、同じだと思って、心強いです。
糸山さんのエッセイ 投稿者:森岡正博 投稿日: 8月 2日(木)17時16分32秒
を、移植法ページにアップしました。http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/noshi02.htm
http://www.lifestudies.org/jp/noshi022.htm
移植OK!さん 投稿者:森岡正博 投稿日: 8月 2日(木)12時20分59秒
お示しになった3つのご質問に答えるためには、「当事者」とは誰かについて、はっきりさせておく必要があると思います。小児への心臓移植の場合、臓器を受ける当事者は、(1)移植を受ける子ども本人、プラス、(2)心臓を摘出される子ども本人、です。(親は、当事者ではありません。)当事者の気持ちに寄り添うためには、この両方の当事者の気持ちに寄り添わなければなりません。森岡杉本案で、子どもの意見表明を前提としているのは、まずは(2)の当事者に寄り添うためです。森岡杉本案では触れていませんが、本来は、(1)の子どもの意見をも聞くべきでしょう。
第2に、6歳未満の子どもへの移植の場合の当事者もまた、上記の(1)(2)です。この場合、たとえば2歳の子どもの気持ちに寄り添うなんていうことを言える人が、いったいいるのでしょうか?? 2歳の子どもが、「移植を受けて助かりたい」という意見を表明することがあるのでしょうか。その子どもは、「手術を受けるくらいなら天国に戻りたい」と思っているのかもしれません。大人には、それを判断することはできないはずです。
したがって、当事者の気持ちに寄り添うことができるためには、その当事者が、自分の気持ちをきちんと大人に向かって表明できる年齢になっていなければならないと思いますが、いかがでしょうか。この点をまずはクリアーにしておく必要があります。
小さな子どもへの移植の場合、当事者の意見ではなく、当事者の「親」の意見が前面に出てきていると思います。このような場合、「当事者の気持ちに寄り添う」ということを軽々しく言ってはならないと私は思っています。もしそれを軽々しく言う人がいるとすれば、それは傲慢だと思います。
移植OK!さんは、次のようにおっしゃっています。
>私の主張「安心して移植を受けられる日本になってほしい」、
>このことは「移植がいやな人も安心して拒否できる日本であるべき
>だということです。ですが、これだけでは不十分です。次のように言い換えなければなりません。
>「〈移植を受けたい人は〉、安心して移植を受けられる日本になってほしい」
>「移植がいやな人も安心して拒否できる日本であるべきだ」このことは、「脳死判定」についても、同様に言えるはずでしょう。森岡杉本案の基本精神は、これと同じです。
以上のことをもし了解していただけるならば、私のコメントは以下のようになります。以上のことと切り離して、以下のコメントを理解するのはお控えください。
(1)レシピエントの子どもに対して「あなたの気持ちは?」。親に対して「子どもさん本人のお気持ちはいかがなのでしょうか?」 (2)「森岡杉本案が承認されれば、いまよりは、移植を受ける可能性が高まります。ですが、6歳未満の子どもからの心臓移植は不可能です。しかし、心臓は身体体重が3倍までの人からは受けられますから、希望はあります。」 (3)移植医療にたよらずに限られた人生を生き切る可能性を模索してはどうか。
なお、(3)については、不妊に悩む女性が日本では代理出産を受けられない(根津医師のところにいかないかぎり)こと、あるいは、クローン人間の赤ちゃんを持ちたい人も受けられないことと、似たような事態にあります。もし、当事者の希望だけをすぐに全面的にかなえるべきなのだとしたら、積極的安楽死も、卵子バンクも、死体の冷凍保存も、クローンも、臓器摘出のための体外受精も、すべて認めなければならないことになるでしょう。当事者の希望は、同じ人間として理解できても、それを制限するようなルールを社会的には決めなくてはならない場合があるのです。
なお、上記(3)の考え方は、いままで「非人間的だ」「冷たい」「人間として言うべきではない」等々の非難を受けてきました。その意味で、公共の場面での発話はタブーみたいになっています。ですが、私は、あえてそのように言います。また、「レシピエントの気持ちにまったく寄り添わない、血の通わない意見」だとの批判もすでに私は受けてきていますが、自分と違う意見を言う人間のことを、一方的に「血が通っていない」などと断定する人の、思考構造を私は疑っていることを付け加えておきます。
てるてるさんへ 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 2日(木)11時52分51秒
てるてるさんの掲示板も見てみます。
自分の投稿をもう一度読み返してみると、確かに森岡さんから指摘されたように、感情的な書き方になっていたと思い、非礼をお詫びします。
クール宅急便 投稿者:りんご 投稿日: 8月 2日(木)10時02分01秒
『脳蘇生治療と脳死判定の再検討』
低温で運ばれたんですね。
Tityさま 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 2日(木)08時47分18秒
一時文献、読んでプリントアウトしました。ありがとうございました。
これから勉強致します。
移植OK!さんへ 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 2日(木)08時28分15秒
過去何回か、もし、自分が移植を待つこどもの親だったら、と考えて書いた投稿が、過去ログハウスにありますが、そちらを参照して、私からの意見に替えてもよいでしょうか? 私は、移植医療推進、でも本人の意思表示原則は守りたい、という立場で掲示板を作っています。移植反対の方には御遠慮願っています。
その掲示板には、脳低体温療法を推進したい、という方も来られます。
よろしければ、御参照ください。↓
http://www.tcup1.com/106/dengon.html?
『脳蘇生治療と脳死判定の再検討]』 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 2日(木)08時23分41秒
29日に注文したら、もう、けさ、クール宅急便で届きました。
ブックワンは、速い!!
それに比べて、りんごさんの論文が載っているという、『臨床看護』は、もう、注文してから、……うーむ、思い出せない。いそがしかったもので。
ちゃんと注文をうけつけてくれたのだろうか。心配になってます。
子供はどうする?(追加) 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 2日(木)01時14分29秒
ひとつ大事なことを書き忘れたので、付け加えておきます。
私の主張「安心して移植を受けられる日本になってほしい」、このことは「移植がいやな人も安心して拒否できる日本であるべき」だということです。
決して何でもかんでも賛成してくれと言っているのではありません。しかし、少なくとも、今の日本では、移植の拒否は簡単に出来ますが、移植を受けることは至難の業です。今のままでは、あまりにも移植待機者が気の毒ではありませんか?
子供はどうする? 投稿者:移植OK! 投稿日: 8月 2日(木)01時06分57秒
腎臓病で人工透析となり、親族(ほとんどは親)から生体移植を受けた子供たちがいます。
出来ることなら、死体腎移植を受けたいけど、ほとんど絶望的な現状で、このような生体移植がおこなわれていることは、皆さん先刻ご承知の通りです。
法律的なことや、医学的なむずかしい言葉でなく、どなたか簡潔に次の質問に答えてください。@子供の移植医療について、当事者の親子に何かコメントを。
A当事者は、今後、日本での子供の移植に希望をもてるのか?
Bもし、日本での移植に希望がなければ、当事者はどうしたらいいのか?森岡さんが、以前の私の投稿が感情的な主張のため、かえって対立を深める契機になる、とコメントしていますが、私の主張はただひとつ「安心して移植を受けられる日本になってほしい」、ただそれだけです。賛成、反対の議論が当事者の気持ちに添っていると言えるでしょうか。移植を必要とするのに日本で受けられず、亡くなったり、外国に行って移植を受ける現状を、皆さんはどう考えるのでしょうか。
|