森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2001年07月06日〜08月01日

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森岡杉本案の英訳 投稿者:森岡正博  投稿日: 8月 1日(水)23時56分16秒

ようやく、Eubios Journalに掲載されましたので、英語ページに全文をアップしました。ご覧ください。海外の英語を読める方々にも、教えてあげてください。世界への問題提起としましょう。

http://www.lifestudiesnetwork.com/transplantation01.html
http://www.lifestudies.org/transplantation01.html


tityさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 8月 1日(水)23時53分53秒

「政治決着」してしまったということは、訴訟にでもならないかぎり、なにも情報は出てこないということなのでしょう。今回の、親族指定でごり押しみたいなやり方を、厚生労働省がokしたことは、移植医療のためにもマイナスになったのではと思います。26日の「移植OK!」さんの投稿みたいな感情的な主張と、それへの感情的な反感が、対立を深めるような契機になってしまってます。

ps tityさんの書かれたURLには、やはり「forbidden」になって直接には飛べません。URLのブラウザへのコピペだと飛べます。


RE: リンク、他 投稿者:tity  投稿日: 8月 1日(水)23時19分39秒

私の先の投稿ではクリックしても本文
http://isweb26.infoseek.co.jp/family/tity/20010731_1.pdf
に飛びませんが、森岡先生の方では飛ぶはずです。
インターネットエクスプローラなら、[F5]のキーを押してみるとたぶんちゃんと表示されます。

あえて、一次文献云々といったのは、
むしろもう一つの経過に書かれていることに大きな疑問があるからです。
レシピエント決定の際に、一度、医科研で受諾しておきながら
摘出後、医科研が「医学的理由」で辞退し、大森病院に移っています。
厚生労働省に確認したところ、レシピエントは同一だということですが、
この間何が起こったのか?
いずれの病院も移植技術では決して低い水準にあるところではありませんし、
ある病院が「医学的理由」であきらめたのに、他の病院で可能というのは、
脳死臓器移植のようにある技術水準を保証している場合
いささか考えにくいことです。
親族指定で摘出した以上、何が何でも移植したとでもなれば、
レシピエントの人権はまったく無視されたことになります。
あるいはさらに真っ黒な疑念さえ頭に浮かんでしまいます。

こうした疑問点を厚生労働省がまったく検証していないことは大きな問題だと思います。

http://isweb26.infoseek.co.jp/family/tity/20010731_2.pdf


森岡先生 投稿者:りんご  投稿日: 8月 1日(水)22時54分22秒

飛べました!

リンク 投稿者:森岡正博  投稿日: 8月 1日(水)22時01分14秒

下記のリンク、直接押しても飛びません。
URLをコピーして、ブラウザの「アドレス」欄に貼り付けてから飛びましょう。

親族への臓器提供 投稿者:森岡正博  投稿日: 8月 1日(水)21時58分59秒

厚生労働省のものと、報道を読むと、要するに、「今回のやり方には問題があったが、「違法」とまでは言えない」「でもやっぱり問題なので、次回からは別のルールでやる」ということなのですね。こう言うのを、日本語では、玉虫色の決着といいます。

ps pdfへうまく飛ばないみたいなので、下記でどうぞ。

http://isweb26.infoseek.co.jp/family/tity/20010731_1.pdf


RE: 親族への臓器提供のルール 投稿者:tity  投稿日: 8月 1日(水)21時02分44秒

当該の記事の元になった厚生省の文書を下記に掲載しました。ご覧ください。
http://isweb26.infoseek.co.jp/family/tity/20010731_1.pdf
http://isweb26.infoseek.co.jp/family/tity/20010731_2.pdf

てるてる様は今後こうした問題で研究を深められていかれることと思いますが、
やはり、一次文献を参照されることをお薦めします。
個人的な成り行きで、いくつかの学会で論文の査読を行うことがあるのですが、
最近、論文の作者が、引用文献をインターネットのみで検索しているため、
引用元を確認できないものが増えて、知人たちとも嘆いているところです。
かつまた、情報公開法施行以後、こうした文書はきわめて簡単に入手できます。
ぜひともそうした資料を検討することで、
てるてる様独自の論点を展開されることに期待しています。


親族への臓器提供のルール 投稿者:てるてる  投稿日: 8月 1日(水)08時40分52秒

先日の、7月1日の、14例目の脳死の患者からの臓器移植の、親族優先の問題についての記事が
あります。↓

親族への臓器提供の場合のルール作りが必要とのことですが、本人が生前に文書で残しておく
ことと、移植を待つ患者は登録しておくことが必要との意見が示されています。

7月1日の14例目の移植では、レシピエントは、登録していなかった。
そして、脳死患者の家族は、親族にしか提供しないといった。
これは、移植を受ける患者のほうも、親族からしか移植を受けない、というつもりだったの
でしょうか。

もし、ルールを作るとして、提供するほうは、相手を親族に限るとし、移植を受けるほうは、
親族以外からも提供されることができるような登録をすると、不公平になるのではないかと
思います。
だから、親族だけに提供するという文書を公的に認めるのであれば、移植を受けるほうも、
公平性ということからいえば、親族だけからしか提供を受け入れない、という文書が必要に
なるかとも思います。
でもそんなことを言っていたら、肝心の移植待機患者の命が危なくなると思いますし……

脳死・心臓死の患者からの移植で親族優先を認めることは、公平性と両立するのでしょうか。

http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/010731/dom/22300000_maidomm118.html


岡田篤志著「浮遊する自己決定」 投稿者:てるてる  投稿日: 8月 1日(水)07時34分30秒

7月31日に「臓器移植法改正ページ」にアップされた、岡田篤志著「浮遊する自己決定」を
読みました。具体的な法案や意見書などに基づいて、移植医療における「自己決定」概念の
検証と批判がわかりやすいと思いました。

前半は、町野案・森岡案・小松美彦論文などを引いて、「自己決定」概念を批判しています。
後半は、1997年の臓器移植法制定までの、中山案と日本医師会生命倫理懇談会、金田(猪熊)
案と日弁連の意見書などを比較して、移植医療における「自己決定」概念を検証しています。

日弁連の意見書における「自己決定」概念は、医療の場において、患者が医師と対等に、判断
し決定できるための、情報提供などの環境の整備や、権利の保障、が中心でした。
それに対して、日本医師会生命倫理懇談会や中山案では、「自己決定」という概念は、脳死を
人の死とすることについての社会的合意がないから、本人と家族が認めればいいじゃないかと
いう、いわば各個撃破のための方便となってしまっている。
この点では、金田(猪熊)案も、患者の権利保障という日弁連の意見書の精神を受け継ごうと
しているのにも関わらず、「自己決定」の概念をその文脈で使わずに、脳死と臓器提供を受け
入れるかどうかという点でだけ、使ってしまっているので、同じだとしています。

このことと、臓器提供の意思表示を善意と結びつけることとを批判していて、「自己決定」と
善意とは、本来別の次元のものであるはずなのに、臓器移植において、この二つを結びつけた
ために「自己決定」の概念がゆがめられてしまっている、とも述べています。それは結果的に
「自己決定」を患者から奪うことにもなってしまう、といいます。

>脳死を一律人の死とし、本人の意思不明の場合にも家族の承諾によって臓器摘出を可とすることに対抗して、本人の自己決定を優先するとしても、決して自己決定を孤立化させることなく、それを支える社会的関係性によって常に裏打ちしていく必要があるだろう。そのためにも、現行法が条件としている家族による同意は欠かすことはできない。それは本人だけではなく、家族の者にも家族自身の身に等しい脳死者の身体に対する自己決定権が存在するという観点から、本人と家族の二つの自己決定権33を認めるというよりも、自らによってはもはや自身を守るすべのない患者本人の提供への自己決定―「善意」―が真に活かされるために、脳死移植医療を監視し見守るためにも家族の拒否権が認められなければならないという理由からである。そして、もし児童以下の小児からの臓器摘出があり得るとするならば、その場合に決定を委ねられる親権者の自己決定が、それを囲む社会的関係性によって幾重にも下支えされ、真正なものとして成立する場合においてのみであろう。

私としては、家族の範囲や概念について無批判なのが気になりました。
家族のいない人はどうするのだろうと思います。
それに、家族がいても、老齢で脳死患者のそばにいられなかったり、幼児だったりしたら。
本人が信頼し、臓器提供について真摯に話し合い、脳死と診断されたときに責任をもって
見守ると約束できる人が、ここで述べられているような拒否権を持つべきだと思います。
それは家族とは限らないと思います。
幼いこどもの臓器提供についての意見には、親の決定を支える環境整備が必要であるとの
考えには賛成ですが、それを「自己決定」というのは違うのではないかと思いました。


tityさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月31日(火)13時45分17秒

では、拝見します。お送りくださいませ。

再掲載について 投稿者:tity  投稿日: 7月30日(月)22時59分00秒

日本マンガ学会設立総会出席のため京都にいたので遅くなりました。
てっきり削除されたものだと思って元原稿は捨ててしまいました。
昨年、自分自身が体験したことをまとめた文章がありますが、
森岡先生がご迷惑でなければメールでお送りいたします。
掲載なりゴミ箱にほってもらうなり適当に扱っていただいてかまいませんが。

モイナさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月29日(日)20時02分06秒

その本は、要チェックですね。

レシピエント(とその家族)のみが 投稿者:モイナ  投稿日: 7月29日(日)17時11分31秒

当事者なのではない。

ということで、こんな本が出ています。
『脳蘇生治療と脳死判定の再検討−新世紀を迎えた脳低温療法、臓器提供・移植』
(近代出版) 編・高須俊明・林成之
5700円


再掲(たまたま保存しておいたもの) 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月27日(金)19時26分44秒

当事者の声を聞くのは誰? 投稿者:移植OK!  投稿日: 7月26日(木)15時07分21秒

いくら移植に賛成、反対なんて言ったって、しょせんは他人事、自分や家族が当事者
にならなければ、その苦しみや悩みはわかりませんよ。
ましてや、生まれながらにそういう病気と闘ってきた子供の願いや、一緒に悩んでき
た親の思いなど、あなた方になんか分かるはずがない。(分かる必要もないか?)
好きに言っていればいい、病気の子供を目の前にして理路整然と語ればいい、「私た
ちが反対するから、君たちは日本で移植を受けられないよ」と・・・。

身内への移植を優先したのがルール違反? よくもそんな冷たい言い方が出来るもの
です。ルールをとやかく言う前に、心情的にも理解できないんですか。ルールを絶対
視するのは、自分たちに都合がいいからでしょうけどね。

私の願いはただひとつ、「移植を望む人が安心して受けられること」、ただそれだけ
です。
反対の人は反対で全然構いませんよ。


不思議なことですが・・・ 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月27日(金)17時26分19秒

27日に、この掲示板の最新ページの書き込み数件(?)が私の知らぬ間にすべて消えました。TCUPのトラブルか、あるいは誰かによるハッキングかと思われます。書き込みを消された方は、再投稿してくださってかまいません。

男女差 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月23日(月)22時39分13秒

レシピエントの男女差というのは、とっても気になってるんですが、研究がまったく進んでいない領域ですよね。学生さん、大学院生さん、ぜひこの問題を研究してみませんか? まさに生命倫理とジェンダーの境界領域ですよ。

追加 投稿者:てるてる  投稿日: 7月23日(月)19時25分15秒

「姥捨山問題」に、医師がある女性の患者に、人工透析が必要だというと、その女性も、
彼女の家族も、言葉をにごして、人工透析を受けるとも受けないとも、言わない、という
話がありましたが、心臓移植にも、同じようなことがあるのだろうか、と思いました。

国会審議の公聴人 投稿者:てるてる  投稿日: 7月23日(月)17時53分53秒

下の投稿、変な改行になってすみません。

おとなの女の人の渡航移植例が比率的には少ないとはいえ、1997年の国会審議に、公述人として
呼ばれたのは、ドイツで手術を受けた、中年の主婦でした。6月13日の、公聴会の審議録で読む
ことができます。


移植法施行前と後の渡航移植 投稿者:てるてる  投稿日: 7月23日(月)17時45分03秒

以前、「脳死臓器移植」専用掲示板で紹介された、「週刊医学のあゆみ」2001年3月31日号(Vol.196, No.13)には、1984年から2000年までの海外渡航による心臓移植のうち、1997年の
臓器移植法施行前と施行後の特徴を比較した論文があります。小柳仁・野々山真樹・川合明彦著「渡航心臓移植の現状とわが国における意義」(p.1101-1104)です。

だいたい予測がつくと思いますが、15歳以上と15歳未満とを比較すると、1997年以前では、
15歳以上の患者のほうが、15歳未満の患者よりも多く、1997年以後は、15歳未満の患者の
ほうが、15歳以上の患者よりも多い。その人数比は、15歳以上対15歳未満が、24:12から
7:12へと変化しています。1984年から2000年までの総人数は55人です。

ちょっとおもしろいのは、男女比で、1997年以前の36人のうち、男28人、女8人ですが、
このうち、15歳未満の男7人(25%)、15歳未満の女5人(62.5%)です。1997年以降の19人では、
男8人、女11人で、このうち、15歳未満の男3人(37.5%)、15歳未満の女9人(81.82%)です。
この論文の考察では、キャンペーンをやりやすい小児例や大企業の組合員が目標を達成して
いる、と述べています。

それで、おとなの人数比を見ると、男性が多いのはわかりますが、こどもの人数比を見ると
女の子のほうが多いのはなぜだろうか、と思います。
なんだか、おとなの、企業に属していない女性は、医療の場で不利な立場に立っていて、その
かわり、というか、そのぶんまで、というか、小さな女の子が同情を集めているのだろうか?
と思います。
これが、おとなでもこどもでも、男女の比率が同じぐらい、というのなら、そもそも心臓移植が
必要と診断される患者全体の男女の比率がどうなのか、が問題だと思いますが、おとなとこどもで、男女比に、渡航移植の実施例に明らかな差が出るというのは、患者総数の問題以上に、
社会的な男女の立場の違い、また、おとなとこどもでの置かれている立場の違いがあるのでは
ないか、と考えてしまいます。


なし崩しにされる規則 投稿者:ウサギの眼  投稿日: 7月20日(金)18時58分32秒

 はじめて投稿しますm(__)m。わたし自身は宗教的立場から脳死からの臓器移植には反対です。
 以前からこの問題に関心をもっていますが、この度の親族間での優先移植が行われたことは、いよいよ臓器の「部品化」が推し進められようとしているなと強く危惧する出来事でした。
 議論の末、厳しい條件と監視体制をもったはずの脳死からの臓器移植制度の運用規則が、既成事実を役所が後追いするかたちでなし崩しにされるようなことは、脳死からの臓器移植の是非を云々する以前に許されないことだと考えます。
 世間の関心が徐々に薄れ、臓器移植法そのものが改悪されようとする中で、より注視していきたいと思います。

 今後とも森岡氏をはじめ掲示板諸賢に学ばせていただきます。


RE: 皆さん、お久しぶりです 投稿者:tity  投稿日: 7月16日(月)03時55分45秒

萩原さん、ご無沙汰です。
論文読ませていただきました。
非常に丁寧な論考だと思いますが、
例えば、市野川容孝氏の近作などがまったく参照されていないのはやや不十分かと思いました。
また、今後研究の幅を広げる意味でも例えば、
ミシェル・ヴォヴェル「死の歴史」(創元社)や
フィリップ・アリエス「死を前にした人間」(みすず書房)
アナールの研究なども参照されてみてはいかがでしょうか。

皆さん、お久しぶりです 投稿者:萩原優騎  投稿日: 7月16日(月)01時32分45秒

てるてるさん、私が書いた「自己決定権論争の脱構築―脳死・臓器移植問題を中心として―」の
内容について、適切な要約と紹介をしてくださり、ありがとうございました。
その他、「参照枠としての倫理学を求めて―ネットワーキング論の試み―」、
「トランスモダンの歴史哲学―星座の明滅の中に―」も、同じく「現代文明学研究」第4号に
掲載して頂きましたので、あわせてご覧頂ければ幸いです。
これら三本を貫通するキーワードとは、「トランスモダン」、「参照枠としての倫理学」、
「ネットワーキング論」であり、同様の問題意識に基づいて、具体的な議論、抽象的な議論を
展開しました。そして、具体と抽象の相互補完的な在り方を模索しました。

http://www.kinokopress.com/civil/index.htm

大学院へ進学してから、学業だけでなく身の回りも、今まで以上に大変忙しくなり、
環境NGO関連の活動や、この掲示板への書き込みに宛てる時間があまりなくなって
しまったのですが、皆さんの議論は、定期的に拝見するようにしております。
特に、身内が病気で入院し、その後、在宅介護が必要になるという状況に直面したことで、
私以上に家族は、心身ともに疲れ果てた時期がありました。
今もまだそのような状況にあることには違いないのですが、病院での看護、ホームヘルパー、
介護施設などにおける深刻な人手不足と、その関係者への多大な負担を目の当たりにし、
福祉やケアの問題を、決して人ごとではなく、自分自身の切実な問題として実感しました。
今回、「現代文明学研究」に投稿するものを書いていて、何回か書き直したりと、いろいろと
大変だったのですが、このような状況にあったからこそ、自分の問題意識を皆さんに伝え、
議論を共有したいという思いで、書き続けることができたのかもしれません。
その過程で、私の拙い歩みをご指導くださった、森岡先生をはじめとする「現代文明学研究」
編集委員の先生方に、この場をお借りして、改めて御礼申し上げます。

今後とも、何卒よろしくお願い致します。


本人の意思表示原則 投稿者:てるてる  投稿日: 7月15日(日)09時08分46秒

改めて確認する思いですが、本人の事前の意思表示を臓器提供の必須の要件とすることは、
臓器を国家の資源とする考え方への歯止めとなると思います。家族の承諾だけで臓器提供
できるとすると、その歯止めがなくなってしまいます。

寄付 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月15日(日)08時12分07秒

>くまぴょんさん

ます、今回の親族への移植は、現行法制定の由来と照らせ合わせたときにルール違反であるということは確認していただきたいと思います。

そのうえで、そもそも、脳死臓器移植の際に提供先の特定を禁ずるべきではないとおっしゃるのでしたら、それはそれで議論されたらいいのではと思います。そのときにまず説得するべきは、移植推進派の面々でしょう。提供先を特定されたりしたら、移植成功件数が減ってしまいますので、推進派にとっては困ると思います。ただし、「お金の寄付」の問題と、「臓器の寄付」の問題は、次元が異なりますので、そのあたりには気を付けた方がよいと思われます。

移植推進派の論理は、いったん提供の意思表示をしたら、提供臓器は「公共財」となる(から公共の論理で使わせてもらいます)というものだと思います。町野改正案などは、さらに進んで、われわれは無償の移植へと自己決定している存在だと言い切るわけですから、親族への指名などはエゴイズムとして排斥されるということなのでしょう。くまぴょんさんは、これら日本の移植推進派に、断固として反対を表明すべきです。


字句の訂正 投稿者:てるてる  投稿日: 7月15日(日)07時49分34秒

>自分自身のからだをどのように医療の役に立てるか、検体か、移植のために角膜や腎臓などの
                       ↓
自分自身のからだをどのように医療の役に立てるか、献体か、移植のための角膜や腎臓などの

RE:Re: ドナーとレシピエントの関係 投稿者:てるてる  投稿日: 7月15日(日)07時44分29秒

くまぴょんさん、こんにちは
さて、臓器を提供する相手を指定したとしても、その相手が生きていて手術が間に合う間に、
自分が脳死や心臓死になるとは限りません。自分より先に、どこかの誰かが脳死や心臓死に
なって、その人は臓器の提供先を指定していなくて、医学的に適合する相手をさがしたら、
自分が臓器を提供することを指定した相手が適合した。そういう場合、その善意の他者から
の提供を受け入れるだろうと思います。
だから、移植医療というものは、基本的に、無償の隣人愛をあてにしないとなりたちません。

次に、横レスですが、
>私が子供病院に寄付したということを聞きつけた人々が、「お前は寄付を行う善人だ
し、当然無償の人類愛の持ち主だよな」と言って、勝手に私の預金を降ろして公正な分配な
るものをはじめ、文句を言ったら「もうお前は無私の善人として扱われるのだ。それが嫌な
ら最初から寄付なんかするな」といって異議を封殺することは正しいことでしょうか。

これはまさに今、組織の移植において、実施されていると思います。
組織の移植については、本人の事前の意思表示がなくても、家族の同意だけで摘出されています。
これに対して、森岡・杉本案や、てるてる案では、組織の提供においても、本人の事前の意思表示
を必須の要件としています。
臓器の提供については、現行法でも、提供する臓器を本人が指定することになっています。

自分自身のからだをどのように医療の役に立てるか、検体か、移植のために角膜や腎臓などの
提供か、については、選択できます。
しかし、脳死・心臓死後の提供の相手を指定することは、本来、無意味です。
自分がいつ死ぬかを決めることはできないのですから。


日本臓器移植ネットワークの臓器あっせん業の取り消しを求める申し入れ 投稿者:tity  投稿日: 7月15日(日)02時00分50秒

標題の全文(住所等は除く)と解説をアップしました。
http://www26.freeweb.ne.jp/family/tity/moushiire/moushiire.htm
参考資料なども加えましたのでご覧ください。

Re: ドナーとレシピエントの関係 投稿者:くまぴょん  投稿日: 7月15日(日)00時44分43秒

てるてるさん、こんにちは

> ドナーとレシピエントとの関係は対等で平等であるべきだと思います。

どうしてそうなのかわかりません。

> それゆえ、原理原則としては、ドナー本人に、レシピエントを選択する権利を認めてはならないと
> 思います。それを認めると、ドナーがレシピエントよりも優位に立つことになると思います。

ドナーにレシピエントを選択する権利を認めないのは不正だと思います。ドナーになること
を考える人の中には、自分の臓器が誰の役に立とうと無関心な人もいるでしょうが、本来ド
ナーになることに抵抗はあるものの、こうした人々の命を助けるためだったらドナーになろ
うと考える人々もいるでしょう。移植先の希望を禁止することは、後者の人々にたいへんつ
らい選択を強いることになります。例えば、全ての臓器が朽ちて初めて三途の川を渡れると
信じている人は、本来であれば臓器を提供したいと思わないでしょう。しかし、自分の愛す
る人が重い病気に苦しんでいて、自分の臓器を移植することで延命できるかもしれないとす
れば、その人のために臓器を提供してもよいと考えるかもしれません。こう考える人にとっ
て、レシピエントを自分で指定できない状況でドナーになるか否かを選ぶことは、まさに究
極の選択になってしまいます。ドナーになれば、自分の全く知らない、あるいは自分の嫌い
な人に自分の臓器が移植され、そのために霊としてさまよい続けなければならないことにな
る蓋然性が、つまり愛する人を助けるためにつらい境遇を甘受するという決断が徒労になっ
てしまう蓋然性が極めて高いです。しかし、ドナーにならなければ、愛する人が助かる可能
性は一厘もありません。大変つらい選択です。どうして、こんな悲惨な選択を強いなければ
ならないのでしょうか。そして、こんなつらい選択でもドナーになることを選ぶとすれば、
それは自分を犠牲にしても愛する人を助けたいという悲痛な思いです。この思いは、無償の
人類愛ではなく、エゴイスティックな愛着に基づくものですが、やはり善意の一形態でしょ
う。このように善意でつらい決断を行った人を利用して、その人の気持ちを踏みにじり、そ
の人とは無関係なところで、医学的に最も適合的だからこの患者に移植しようなどというの
は、やはり善人を不当に搾取することといわざるをえません。


Re: 親族への臓器提供 投稿者:くまぴょん  投稿日: 7月15日(日)00時04分55秒

森岡先生、早速のお返事ありがとうございます。先生は文書による本人の明示的な意思が
あっても移植先(最も適合的なレシピエントの探索範囲)を親族に限定することは許されな
いとお考えでしょうか。私はそもそもいわゆる脳死状態の患者からの臓器移植には反対なの
ですが、仮に行うことが許されるとすれば、それは患者本人がそうしたいと言っている場合
だけだと思います。全面的に禁止するならばともかく、許容するのであれば、ドナー側の気
持ちがあくまで最大限優先されるようなシステムでなければならないと思います。例えば、
私が特定の病気の子供のために使って欲しいと思って、自分の乏しい稼ぎの中から、そうし
た病気の治療を専門とする病院に寄付することは間違っているでしょうか。この私の行為に
対して、「寄付をするなら用途に条件を付けるな。条件を付けるなら寄付してはならない」
と非難するのが正しい反応なのでしょうか。そう考えると、推進派の言い分やその結果とし
てのルールなるものは、善意を表明した人に対して、「お前は善意を表明したんだからこれ
ぐらい甘受して当然だ」と言って、自分たちの都合を押しつけているように見えます。これ
は善人が不当に搾取されるシステムのように思います。善人といっても、別に全く私心のな
い人間というわけではありません。それなのに、臓器提供の意思を表明していると言うだけ
で、無償な人類愛の持ち主として、つまり私心の一切ない人として扱われ、結局、周りから
私心を無視されモノのように扱われてしまうのは著しい不正義だと思います。先ほどの例だ
と、私が子供病院に寄付したということを聞きつけた人々が、「お前は寄付を行う善人だ
し、当然無償の人類愛の持ち主だよな」と言って、勝手に私の預金を降ろして公正な分配な
るものをはじめ、文句を言ったら「もうお前は無私の善人として扱われるのだ。それが嫌な
ら最初から寄付なんかするな」といって異議を封殺することは正しいことでしょうか。

ドナーとレシピエントの関係 投稿者:てるてる  投稿日: 7月14日(土)21時29分08秒

ドナーとレシピエントとの関係は対等で平等であるべきだと思います。
それゆえ、原理原則としては、ドナー本人に、レシピエントを選択する権利を認めてはならないと
思います。それを認めると、ドナーがレシピエントよりも優位に立つことになると思います。
だから、レシピエントになんらかの条件をつける場合は、移植に関わる人々共通のルールとして、
論議して、定めなければならない。

たとえば、それが明文化されているかどうかは知りませんが、USAには、アルコール中毒の人には
肝臓を移植しない、などとしている州があると読んだ覚えがあります。

生体からの臓器移植は親族から提供されることがほとんどです。
しかし、血のつながりのある人同士のほうが適合する確率が高いとはいえ、適合しないこともある
し、そのほかの医学的な理由で移植できないこともあるので、血のつながりのない、配偶者からの
移植も認めています。
USAでは、それでも不足するので、友人・隣人・同僚などまで範囲を広げています。

親族だけに限ると、親族同士で、有形無形の、移植への圧力がかかり、ほんとうに自主的な意思
表示がおこなわれているとは限らないし、精神的ケアが必要であると、生体肝移植に携わる医師
たちがよくこの問題をとりあげています。最近はリエゾン精神医学の医師がかかわるようです。
ことほどさように、親族間の移植には、むずかしい問題がある。

しかし、親族を優先したい、という人の気持ちは、私は理解できます。たとえば、他人のために
自分のからだが切り裂かれるのはいやだが、自分のこどものためならかまわない、という人の話
を聞くと、その気持ちが理解できます。
ただ、そういう気持ちだけを優先していくと、そもそも移植医療が成り立たなくなってしまう。
臓器を提供してくれる親族などいない患者さんもいるでしょうし。

一方で、無償の隣人愛によって成立する移植医療ではありますが、それだけを貫くと、臓器は
国家の資源である、という考え方が優勢になる場合があります。
拒否の意思表示をしていない人からは、親族が同意しなくても臓器を摘出してもいいという意見も
出てきます。
無償の隣人愛は任意の自発的なものであるはずなのに、臓器提供を拒否する人は、他人を死なせる
理由を述べるべきであると、提供が国民の義務みたいなことをいう意見もあります。UKで、人種
差別的な条件をつけた臓器移植が問題になったころ、そういう意見が発表されているといいます。

てるてる案では、臓器提供意思表示と、臓器提供意思登録と、二通り用意していますが、臓器提供
意思を登録する場合、本人が事前に移植コーディネーターに会って説明を聞くことになっている
ので、親族を優先したいなどの条件をつけたいとき、前もってそういう話をすることができます。
もし、親族を優先したいという希望が通せるものなら、当然、相手の親族が移植が必要な患者か
どうか確かめたり、移植待機患者として登録していなかったら、登録してもらったりとか、よく
話し合うことができます。
あるいは、やっぱり、親族を優先するのはだめだということを説明することもできます。
基本的には親族優先の考え方は認めませんが、なんらかの条件のもとでは認めてもいい場合を
想定しうるかもしれない。
でもほんとはおかしいけど。意思を登録したからといって、近いうちに脳死になったり心臓死に
なったりするわけではないのに。そういうことはめったにおこらない、という前提があるから
こそ、誰かがいつか脳死か心臓死になった場合は臓器を提供してもらう、という期待ができる
のではないでしょうか。

もし、現行法を変えずに、親族優先の場合のルールを定めるとしたら、事前に臓器提供希望者が
意思を登録し、相手の人も移植待機患者としてきちんと登録をしておくなどの方法が考えられる
と思います。
いずれにしても、事後の検証にたえるものでなければならないでしょう。
今回の14例目の脳死判定後の臓器移植は、後の人のことを考えて、情報公開し、議論の材料に
するべきだと思います。


親族への臓器移植 投稿者:やす  投稿日: 7月14日(土)15時19分31秒

初めて書き込みします。私は「脳死臓器移植問題への仏教の見方」というテーマで修士論文に取り組んでいる者です。
今月初めの親族への臓器移植については、臓器移植法の成立理念から大いに問題だと思います。「代理母」もそうですが、自己決定権を盾にあらゆる事が行われそうで本当に恐いです。
それにしても、今回の臓器移植、新聞には全然出てこないですね。朝日新聞には一段の半分くらいの小記事を見つけましたが、親族うんぬんは載っていなかったような。中日新聞では記事すら見当たらなかった気がします。(単に見落としていたら申し訳ありません。)たまたま見ていたNHKニュースで「先日行われた親族への・・」という形で知ったくらいです。初の臓器移植から2年以上経ち、旬の話題ではなくなったからかも知れませんが、しっかりと追っていきたいと思います。

親族への臓器提供 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月14日(土)07時42分54秒

>くまぴょんさん

問題点を挙げます。

(1)現行臓器移植法で、「本人の意思」と言われているものの中には、提供先を特定する意思は含まれていません。提供先は、すべてのレシピエント集合の中から、医学的適合性によってのみ選択するというのが、1980年代から90年代の日本の議論のなかで推進派によって確認されてきたコンセンサスです。提供先は医学的条件によってのみ選ばれるから、公正な配分となる、だから脳死からの臓器移植を行なってよい、というのが推進派の言い分でした。それがルールとなったのです。

(2)今回は、提供先の指定が「本人の意思」であったことの文書による確認が取れていません。臓器移植法では、いずれにせよ、「本人の意思」は文書によって確認することとなっており、家族による証言や推測(忖度)は認められていません。

(3)提供先の特定は、様々な問題を生み出します。まずそれは推進派が言ってきたような「無償の人類愛」ではなくなります。脳死になるかもしれない親族への圧力が高まる危険性も指摘されています。イギリスでは、「提供先は白人に限る」という人種差別的な指定がされたことがありました。

そのほかにもあると思いますが、私は以上の3点は無視できない問題点だと思っています。

具体的に返答すると、

>本人の意思がそうだったのなら問題はないはずですし

本人の意思がそうであったことの確認が文書にてとられていませんから、問題です。

>本人が提供相手を指定していなかったのであれば誰に提供してもいいわけで
>すから、もちろん親族でもいいはずです

「誰に提供してもいい」わけではありません。医学的適合性がいちばん高い人に提供すべきというルールがあります。今回は、医学的適合性が誰がいちばん高いのかついての検査をしていませんので、ルール違反です。

>提供相手をどのように限定しようと文句を言われる筋合いのことではないと

そのようなコンセンサスは、推進派の中においてさえ、存在しなかったはずです。


はじめまして 投稿者:くまぴょん  投稿日: 7月14日(土)01時09分18秒

親族への臓器の提供が問題になっているようですが、それがどうしてまずいのかいまいちよくわ
かりません。本人の意思がそうだったのなら問題はないはずですし、本人が提供相手を指定して
いなかったのであれば誰に提供してもいいわけですから、もちろん親族でもいいはずです。ま
た、本人の意思と家族の意思が幸運にも一致してイエスであった場合のみ提供するという考え方
からは、本人が希望する提供相手の集合と家族が希望する提供相手の集合の重なる部分の相手に
提供することができるということになりますから、本人が誰でも提供OKで家族が親族ならOK
である場合も、本人が親族ならOKで家族が誰でもOKである場合も、もちろん、本人と家族の
両方が親族ならOKだという場合も、親族にのみ提供されるということになると思います。臓器
の提供が強制的な義務の履行ならばともかく、ドナー本人と家族による自発的な恩恵的贈与なわ
けですから、提供相手をどのように限定しようと文句を言われる筋合いのことではないと思うの
です。

訂正 投稿者:カエル  投稿日: 7月13日(金)23時26分59秒

間違えてるケロ!

誤「そうでんです」→正「そうなんです」

てへてへ。


よんでくださってありがとけろろん 投稿者:カエル  投稿日: 7月13日(金)23時25分11秒

さっそく読んでいただいてありがとございます!

・りんごさん
そうでんですよぉ。ドクターはみなさんほんとに
勉強熱心な方たちばかりでした。
でも何しろカエルはそういう場に行くのははじめてでしたんで
ドキドキでしたよ。レポは帰ってから一気に書いたのでした。
何しろ一日経つとすぐわすれちゃうもので。

・てるてるさん
なるほど、植物状態では米と日本では認識の違いがあるようですね。
けろけろ。そうです!あのおまけ、てるてるさんを
意識したんですよぉ。バレてしまいました(笑)。てへへ。
追加情報を入手出来次第、すぐさまアップいたしますケロ〜。


RE:スギケンさん講演レポレポ 投稿者:てるてる  投稿日: 7月13日(金)21時08分09秒

読みました。おもしろかった! うう、杉本健郎さんのレジュメ、ほしい……
植物状態について。USAの植物状態の定義は日本よりせまく、痛覚もない状態だと、
石原明の本で読んだのですが、そのことが、植物状態の患者は回復しない、という
意見と関係がないかと、気になるのですが。日本の植物状態の定義は、患者の家族
を援助しやすくするために、広く取ってあるとか、書いてあったと思います。

カエルさん、フリーク向けのおまけ、ありがとうございます。
まるで私のためのコーナーのような(^_^;) 求む追加情報〜〜
/☆(o_O) m(_ _)m


カエルさん 投稿者:りんご  投稿日: 7月13日(金)18時23分01秒

レポレポ、さっそく読みました。
先週だったら、行けたのにと思ってましたが、
レポレポで熱心な先生方の様子がわかりました。
ありがとうございました。
それにしても、すごい早さのアップですね。

スギケンさん講演レポレポ 投稿者:カエル  投稿日: 7月13日(金)13時41分05秒

お医者さんの秘密の集会(謎)にカエルが潜入いたしました。
杉本健郎さんの講演メモもありますよ。
森岡さんの発言メモも。
興味のある方はどうぞ見てくださいまし。

http://www3.justnet.ne.jp/~elellis_fan2/jp3/shixyukai.html
http://www.kinokopress.com/inko/jp/shixyukai.html


萩原論文 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月13日(金)12時29分13秒

私のミスで、タイトルに間違いがありました。正しくは、
>「自己決定権論争の脱構築--脳死・臓器移植問題を中心として」
です(「権」が抜けていた)。すでに訂正しました。

萩原優騎さんの論文 投稿者:てるてる  投稿日: 7月13日(金)07時54分53秒

7月13日発行で、「現代文明学研究」に三つ、載っているのを見ました。そのうちの
二つは、哲学について専門的に書いているので、流し読みでパスしました。m(_ _)m

「自己決定論争の脱構築--脳死・臓器移植問題を中心として」は、立岩真也・小松美彦
・森岡正博を批判的に検証しつつ、臓器移植法廃止論を展開したものですね。自己決定
権至上主義を批判するが、自己決定そのものを否定するのではない、臓器移植法を廃止
することを提案しても、脳死判定や臓器移植そのものを禁止するのではない、というこ
とですね。
これは、臓器移植法改正諸案と並んで、臓器移植法廃止論として、展開できるものでは
ないかと。阿部知子さんなどは、この論文をどう評価されるかと、興味があります。


RE: 教えてください 投稿者:tity  投稿日: 7月12日(木)17時13分09秒

> 臓器移植法の見直し作業が昨年ぐらいから始まり、
> 昨年8月に厚生省研究班が研究報告書をまとめましたよね。
この研究は正確には「厚生科学研究」といって、
公募により政策課題に沿った研究に対して厚生省が補助金を出しているものです。
よって、この研究が直接厚生省の方向性を反映するものではありません。

厚生科学研究については下記をご参照ください。
http://webabst.iph.go.jp:8890/

また、現在の移植法は「議員立法」といって、政府・省庁ではなく、
国会議員が提案したものですので、見直し作業は基本的に国会議員によって行なわれます。

現在、見直しに向けたヒアリングなどが行なわれている状況で
少なくとも表立って具体的な動きはありません。


教えてください 投稿者:ゆういち  投稿日: 7月12日(木)13時38分41秒

初めて書き込みします。
臓器移植法の見直し作業が昨年ぐらいから始まり、
昨年8月に厚生省研究班が研究報告書をまとめましたよね。
本人の生前の提供意思表示を不要として、家族の書面承諾で
臓器提供できるとする改正案(町野案)のことなんですが、
その後見直し作業はどうなってるのでしょうか?
森岡先生の案をはじめその後、対案というか違う案も
出されてるいるようですが、現状はどうなのでしょう?
まだ町野案は生きてるんでしょうか? 現在、どういう方向で
見直し作業が進み、どのへんまで作業が進んでるんでしょうか?
どなたかご教示ください。よろしくお願いします。

なるほど 投稿者:てるてる  投稿日: 7月12日(木)07時29分15秒

>それまでネットに登録していなかったのなら、透析だけでもいけたのではないでしょうか。
>しかも、ドナーは高齢者ですから、臓器年齢を考えれば、再手術の可能性もかなりあります。
>そうならば、移植のような侵襲性の高い施術が果たして患者のためだったかどうか。

なるほど。そういう医学的な評価を情報公開してほしいと思います。


疑問 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月12日(木)00時47分15秒

やはり、脳死判定後のネット登録と言い、今回のケースはおかしい点が多すぎます。
それを、厚生労働省は、無理やりもみ消そうとしている感じ。とても、へん。

RE: 心臓死後の腎臓提供 投稿者:tity  投稿日: 7月11日(水)23時01分48秒

> 脳死後の提供とまちがえて、臓器提供意思表示カードが必要と医師が思っているのも
> 原因の一つだと思われている、ということです。
ビデオでみましたが、これはちょっと変な理屈ですね。
それが理由で昨年よりも減ったのなら、
少なくとも、制度を知らない医師が昨年よりも増加したことを説明しなければなりません。

> しかし、今回の14例目の移植は、もう、やってしまったのだし、あれこれ言っても、
> 腎臓病の患者を助けてあげたいという気持ちはわかります。元気に回復されることを
> 望んでいます。それはそうなんですが、ルール作りは必要だと思います。
心情的にはそうでしょうが、そもそも移植自体が必要だったのかが気になります。
それまでネットに登録していなかったのなら、透析だけでもいけたのではないでしょうか。
しかも、ドナーは高齢者ですから、臓器年齢を考えれば、再手術の可能性もかなりあります。
そうならば、移植のような侵襲性の高い施術が果たして患者のためだったかどうか。
むしろ、長期透析で障害が出ている人にこそ提供すべきだったのではないでしょうか。


「角膜移植と臓器移植法の基本理念」 投稿者:てるてる  投稿日: 7月11日(水)07時44分47秒

どちらかというと、基本理念としての、本人意思の尊重、なかんずく、心臓死後の
角膜、腎臓提供でも、本人の拒否の意思を尊重することが述べられていて、
臓器提供意思表示カードを必須とすべき、とまでは言っていないようです。

最近、表現に厳密な正確さを欠く事が多くて、申し訳ありません。
もっと、よく確認するようにします。m(_ _)m


心臓死後の腎臓提供 投稿者:てるてる  投稿日: 7月11日(水)07時14分39秒

NHKのニュースで、心臓死後の腎臓提供が減っている、と伝えていたようです。↓
脳死後の提供とまちがえて、臓器提供意思表示カードが必要と医師が思っているのも
原因の一つだと思われている、ということです。

しかし、本来は、心臓死後の臓器提供も、臓器提供意思表示カードを必須要件にする
べきです。これは、青野透さんのホームページでも、「角膜移植と臓器移植法の基本
理念」として述べられています。

今回の親族優先の臓器提供について、心臓死後の臓器提供では前例があると述べられて
いますが、今まで、心臓死後の臓器提供は、本人の意思表示がなくても家族の承諾だけ
で実施されてきました。それで、今、私は、心配になっています。
つまり、以下のような例があったのでは。

本人が献腎登録をしてもいなければ臓器提供意思表示カードを持ってもいなかった。
親族のなかの腎臓病の患者も、移植待機患者として登録していなかった。ところが、
たまたま臨床的に脳死と診断された。そのときになって、腎臓を提供してほしいと、
その腎臓病の患者本人ではなくて、親族のなかでも特にその腎臓病の患者に近い人が
主張して、それで心臓が停止するのを待って、腎臓を摘出した、という例などが。

多くの移植待機患者をさしおいて、そのときになって割り込みみたいに直前の登録を
するというのも、よくないような気がしますが……

しかし、今回の14例目の移植は、もう、やってしまったのだし、あれこれ言っても、
腎臓病の患者を助けてあげたいという気持ちはわかります。元気に回復されることを
望んでいます。それはそうなんですが、ルール作りは必要だと思います。
http://www.nhk.or.jp/news/2001/07/09/grri840000005bsx.html


RE: 親族優先の問題点 投稿者:tity  投稿日: 7月11日(水)02時42分15秒

>  と、朝日新聞のAsahi.comで見たのですが、そういう動きがあるのですか?
これに関しては、厚生労働大臣も記者会見で明言しています。
http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/0107/k0706.html

ただし、今回問題なのは、すでに指摘されているように、これまで明文化されていないわけですから、
提供は中止した上で、「こういう問題が出たので規則なりを作らなければいけない」という風に進めていくのが、
本来の行政(公務員)のあり方です。
やっちゃったから規則を作りますというのは公務員の脱法行為といわざるを得ません。
もし、それが官僚的だといわれるなら、
予想された事態に対してなんら手を打っていなかった不作為が問題です。

今回の事例に関しては、今日の報道でさらに、
実は脳死判定するまでレシピエント(親族)がネットに登録していなかったという問題も浮上してきました。

ただ、非常に困っているのは、いきなり、臓器移植対策室の人たちが
7月6日付で室長をはじめ、主要メンバーが異動してしまったことです。
下衆のかんぐりはやめますが、申し送りがほとんどできていないということは
新任の方がおっしゃっていたので、こういう形でうやむやになっていくかもしれません。


RE:親族優先の問題点 投稿者:モカ  投稿日: 7月11日(水)00時08分40秒

「厚労省が基準作りへ  親族への脳死臓器提供」
 東京都中央区の聖路加国際病院で脳死判定を受けた60代男性の腎臓が、生前の意思により2人の親族に移植された問題で、厚生労働省は5日、親族に特定して提供できる「特例扱い」をできる基準を明文化する作業に入ることを決めた。臓器別の基準や親族の範囲限定、生前の意思確認方法など具体的なルールの策定を検討する。
基準づくりは、厚生科学審議会の臓器移植委員会(黒川清委員長)で議論する方針だ。

 これに関連して同省の近藤純五郎事務次官は同日、「本人(臓器提供者)の意思を尊重するという観点から、明確な意思が表明されていれば、やむを得ないという考え方だ」と、親族に限っては特定の人への臓器提供も容認する姿勢を改めて示した。一方で(1)親族がどの範囲を指すのか(2)生前の意思を確認する手段――などについては、「明確にルールを示しておかないと、不公平、不透明な移植医療になりかねない」と述べた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 と、朝日新聞のAsahi.comで見たのですが、そういう動きがあるのですか? 


親族優先の問題点 投稿者:tity  投稿日: 7月10日(火)00時25分45秒

マスコミで報道された先日の申し入れに続いて、
今日、情報公開法を使った情報の開示をしてきました。

基本的な問題点はてるてるさんが指摘されているとおりだと思うのですが、
今回の一番大きな問題は、
規則を作らないうちに行政が勝手に判断した点、
しかも、そのことを家族の希望を盾にまったく公開しようとしない点だと思っています。

申し入れの際、臓器移植対策室の方とは会見ができたのですが、
厚生労働省としては、親族に提供したのかしなかったのかは認識しているが、
家族の承諾が得られないので公式にはどちらともいえない。
どのレベルで決裁したのかということについても
プライバシーを侵害するかもしれないのでいえないというまったく理解のできない対応でした。

とにかく、正確な情報がないことには何もできません。
ただ、私個人として、しょっちゅう仕事を休んで厚生労働省に通っているわけにもいきません。
今回の事件は、仮定としてあったものが現実に起こったわけですから、
議論だけで解決する問題とは思えません。
関心のある方は、ぜひ、情報公開法などを使って情報公開をしてみてください。


脳死 投稿者:ユナ  投稿日: 7月 9日(月)20時02分12秒

こんにちは、また来ました。

脳死と言うのは人の死なのか・・・
私にも良くわかりません。
だけどやっぱりそれを「死」としてとらえるしかないのかな。
ドナーカードの逆にノンドナーカードってありますよね。
それってどうかとおもいます(^^;
たしかに、自分の死後のことって心配ですが。。。
やっぱり人の役に立つ事ができる・・・それに死んでしまった後だし・・・
そう考えてるのは私だけなのかもしれませんが。。。

15歳以上というのは遺言のできる年齢でもあるのですね。
私もやっぱり12歳以上15歳未満の子供でも意思表示をできるようになってほしいですね。
それ以外はやっぱりまだ判断能力がないというか少ないというか。。。
でも親が許可したとしてもそれは子供の体だし。。。
両方が承知してこそやるべきものなのだとおもいます。私は。
どちらか一方が承認してもそれは成り立たないというか・・・ダメなのだとおもいます。
私はあまりむずかしいことはわかりませんが
自分が年齢のたりないばかりにまたひとり・・・またひとりの命が
消えていく・・私が15歳以上だったら助けられる可能性はあったかもしれない・・・
そう思っているのは私だけじゃないかもしれない・・・
これから先もっとそういう人たちがでてくるかもしれない・・・
今現在ドナーの数というのは少ないとおもいます。たくさんいたとしても適合するかしないかで
また数は減っていきますよね。それで少しでも多くなってほしいな、と私は思います。
自分もその中で力を貸したい・・・そうおもっているのですが。。。
まぁ、あと2年たてば力になれるのですが。
それまでに何人の命が消えていくのでしょうか・・・・・
もっと資料などを読んで勉強してからまた書き込みにきますね。
13歳の未熟な頭ではほんとに矛盾だらけで
変な事しか書けないので・・・・


臓器ビジネス 投稿者:モカ  投稿日: 7月 9日(月)01時06分25秒

 皆さん、はじめまして。(森岡先生、先日はアンケートで失礼いたしました。)
先ほど、日本TV(私、関東です)で「ドキュメント'01/人体の値段」という番組を
放送していました。ご覧になった方、いらっしゃいますか?
 前半は、アメリカの臓器ビジネス(1人のドナーから130種・3000万円相当の
臓器が取れるとのこと)の現状の説明。あるドナーのご両親が「多くの患者を救った事実と
多くの利益をもたらした現実」に戸惑った様子でした。勿論、そのご両親はお子さんの臓器が
売り物になるとは知らなかったということでした。
 後半は、日本の培養技術を紹介していました。
今は、皮膚・骨や角膜の培養をしているそうですが、そのうちに臓器まで培養が可能になれば、
移植に頼らず、培養でドナー不足が解消出来るとの話でした。
ただ、その先にはクローンの問題など倫理にかかわる話も出てきますが・・・。
 ホッとするような、ゾッとするような内容でした。

ユナさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月 8日(日)02時14分13秒

15才未満の人が脳死になったときに、臓器を取り出してよいかどうかについて、いま大人たちが議論をはじめています。↓のページに、たくさんの資料がありますから、読んでみてください。15才未満の人も、意思表示カードをもてるようにしようというときに、じゃあ、いったい何歳からもてるようにするのか、という難問がでてきます。

また、子ども本人が何も言ってない場合は、親が決めちゃっていいという考え方もでてきています。これだと、本人の意思を生かすということにはならないのではないかと私は思います。難しい問題なので、慎重に考えていきたいと思ってます。

ちなみにいまの15歳というのは、遺言ができる年齢に合わせただけのことのようですね。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/ishokuho.htm
http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm


はじめまして 投稿者:ユナ  投稿日: 7月 7日(土)16時42分42秒

去年、本などで臓器移植を必要とする患者さんのことを
とりあげてありその時、臓器提供の意思表示カードというのをはじめて知りました。
私はまだ15歳以下です。なので意思表示カードを持つことができません。
そういう患者さんたちを見ていると、年齢があと2年足りないだけで
臓器提供をする意思さえ認められないというのはとてももどかしいです。
何故15歳以上なのでしょうか?私は本人や親の意思があれば15歳以下でも
意思表示をしても良いとおもうのです。
私には病気で苦しんでいる人達には何もできないのでしょうか・・・
15歳以下のドナーも認めてほしいです。
直接治療をする事ができないのなら、少しでも何か助けてあげたい・・・
そう思うのです。だけど15歳の壁というのがあって私には何も出来ない・・・
いつか15歳の壁がなくなってほしいです。
私意外にもそういう風に思っている人はたくさんいるとおもいます。

訂正 投稿者:てるてる  投稿日: 7月 7日(土)15時37分40秒

失礼しました。
>家族が、医学的な理由でだめだったら、他人に提供するのはやめてほしい
>と望んだかのような報道

このように報道された、というのは、いいすぎでした。

関連する記事として、7月6日の毎日新聞の報道に、こういうものがありました。

> 同省臓器移植対策室の大澤範恭室長は「本人意思の尊重と公平性のバランスの問題だ」と話す。
>
> 臓器移植法には「臓器提供者本人の意思は尊重されなければならない」との規定がある。
>「親族以外には提供しない」と断るのは提供者の自由。家族も同様に断れる。

この文章と、その前に、ある報道関係者の方から口頭で聞いた話では、今回のドナーの家族が、
「親族以外には提供しない」と断ったという話でしたので、下の投稿のように書いてしまいました。そして、批判したわけですが、そのように報道された、とまでは、言えませんでした。

http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/010706/dom/06000000_maidomm131.html


てるてるさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月 7日(土)12時04分56秒

>家族が、医学的な理由でだめだったら、他人に提供するのはやめてほしい
>と望んだかのような報道

すみません、その報道は、どこでなされたのでしょうか? わたしはチェックしてませんでした。ほんとうだとしたら、かなり問題じゃないんでしょうか?


親族優先と移植医療の意義 投稿者:てるてる  投稿日: 7月 7日(土)08時13分02秒

てるてる案では、6歳未満のこどもからの臓器提供が許されるための条件をいくつか試みに提示しました。
そのなかに、次の一項があります。

>(3)親が、医師や看護婦などの医療従事者であるか、または、家族や親戚、友人・隣人・同僚等交友関係者に、移植待機患者や移植手術を受けた人がいて、移植医療の意義を理解している。

この項目を考えたとき、その家族や親戚、友人・隣人・同僚等に臓器を提供する、ということは、
考えていませんでした。
移植医療の意義とは、そのようなものではない、と思っています。

しかし、人情としては、今回の14例目の臓器移植の当事者の気持ちはわかります。
この機会を逃したら、死んでしまうかもしれない、と思ったら、他の人には提供しないでくれ、
と主張したくなったのかもしれません。

しかし、臓器提供の意思表示をした本人は、そこまで、望んでいたのかどうか、親族に提供して
ほしいと思いつつも、もしも医学的な理由で移植できないならば、他の人に提供してもらっても
よいと思っていたのかどうか、わかりません。
そこを、家族が、医学的な理由でだめだったら、他人に提供するのはやめてほしいと望んだかの
ような報道ですが、どうなんでしょうか。
本人が、臓器を提供するのは親族だけにしてほしい、と望んでいたのかどうかわからないのら、
そこまで、家族が制限するのは、越権行為ではないかと思います。

そもそも、親族を優先することは、移植医療の成立をさまたげるだろう、とは思います。
そういうことでは、脳死・心臓死後の移植は医療として定着できないだろう。だって、親族が
死ぬのを待つわけにはいきませんから。だから、社会一般に広く提供を呼びかけているので、
自分が提供する側に回ったときには、提供先を親族に限定してくれ、というのは、これは違う、
と思うのです。

生体からの移植は、親族間で実施されることが多く、それゆえに、人間関係の苦しみがある。
だから、脳死・心臓死後の移植のほうがいい、と、移植医の著書で読んだことがありました。
私は、脳死・心臓死後の移植でも、実際には、ドナーとドナー家族との関係は「生きて」おり、
それゆえの苦しみがあるのだから、ドナーの人格権を保護することで、できるだけ生体からの
移植と同じように扱い、匿名性にこだわらないほうがいいと思いました。
しかし、一方で、生体からの移植が親族間に限られているがゆえの苦しみもあるので、この点に
ついては、生体からの移植も、親族以外の人からもできるようになったほうがいいと思っていました。


臓器の公平な分配とは 投稿者:てるてる  投稿日: 7月 7日(土)07時54分40秒

UKのBBCのページに載っている議論を紹介します。↓

このなかの、政府の声明は、よく、引用されます。

>"Donated organs are a national resource which is available to people regardless >of race, religion, age or other circumstances," it said.

この声明文は、よく引用され、googleで、donated organ national resource race religion
などと入力すると、いろいろ、出てきます。

BBCのページに載っている、一般の人々の意見では、national resourceという考え方に反発する ものもありました。

>It is my body, whether I am dead or alive - I am not a national resource to be >harvested once I'm deceased.

>The donor's wishes may have been a little bit unpleasant, but I cannot agree
>that his body was a "national resource". It was his, and he had a right to leave
>it to whoever he wished.

http://newsvote.bbc.co.uk/hi/english/talking_point/newsid_388000/388215.asp


親族への提供問題 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月 6日(金)12時55分42秒

私は、この問題はかなり深刻に受け止めています。

まず、親族に渡してほしいという本人の意思というのが、いったいどこに書かれていたのでしょうか? ドナーカード? でも、ドナーカードにそんなことが書かれていたとしてもそれは友好にはならないはずでは? ドナーカードに書かれていなかったとしたら? この点の情報が開示されていません。想定外のことをするのだから、まずは情報の開示が絶対に必要です。

次に、移植学会等は、いままで、脳死からの移植は、医学的適合性を第一優先として行なうと言明してきたはずです。その原則はどこに行ったのでしょうか?

あと、てるてるさんもおっしゃるように、これが通ると、今後、「親族への提供」を暗黙のうちに強制する圧力が激増すると思います。親族に腎臓病患者がいるときには、親族を指定しないやつは冷たいやつだ、というふうにして。さらにいえば、遠めの親族への提供まで視野に入れるのならば、当然、事後の謝礼が提供者の子どもとかに動くことになるでしょう。匿名性の原則は、こういうことを避けるために作られた知恵だったはずです。

それがなしくずしになっていく危険性があります。私は今回のは、納得できないです。心臓死からの摘出に関しても、指定はするべきではないと私は思います。

これと、「臓器はたばこを吸わない人に移植してほしい」という希望とは、次元が違うと思います。こっちは、将来的には考慮に値するかもしれない。


親族優先の臓器提供 投稿者:てるてる  投稿日: 7月 6日(金)03時07分10秒

7月1日に実施された14例目の臓器移植が、患者の家族の希望で親族に移植されたというので、
問題になっています。衆議院議員の阿部知子さんたちの団体が、臓器移植ネットワークの、
斡旋機関としての資格の停止を求めています。

出口顕著「臓器は商品か」に、UKの事例で、白人の脳死患者の希望で、白人の移植待機患者へ
移植されたことが後になってわかり、問題化した、という話があったのを思い出します。
そのとき、UK政府は、提供される臓器は社会の資源であって、人種、宗教などにかかわらずに
移植される、という声明を発表しました。新聞などでは、かなり、一般の人が議論しています。
ほとんどの人が、人種差別的な条件をつけることには反対していましたが、たばこを吸う人は
いやだとか、アルコール中毒の人はいやだとかの条件はいいのじゃないかという意見も
ありました。

今回の、日本の、親族への臓器提供の場合には、親族優先でいいじゃないか、という意見も多い
ようです。私が知った範囲は、身近な人と、某2ちゃんねるの某ニュース速報板です。
脳死の患者からの移植を生体からの移植と同じように考えれば、親族への移植でもいいのかな、
とも思います。生体からの移植は、ほとんどの場合、親族から提供されます。ただ、生体からの
腎臓移植では、ドナーから一個しか提供できないけれど、脳死状態からの移植では、二人に移植
できるから、今回は、都合がよかった、ということなのかもしれない。
親族に二人も移植を必要とする重い腎臓病患者がいたというのも珍しいような気がしますが。

じゃあ、今後も、親族優先という希望があれば、どんどん、やっちゃえばいいのか、というと、
そう簡単には行くまい、と思います。そういうことをすれば、生体間の移植で、親族間の人間
関係に緊張が生じて苦しむ場合があるのと同じような問題がおこるのではないかと思います。
今回は、臓器提供希望者が60歳代で、移植を受けた人は、50歳代と40歳代だった。
もし、これが、臓器提供希望者が20歳代だったら。
あるいは、本人の希望で、提供を受ける人を指定してもいいのか。
また、20歳代の人が脳死になったときに臓器提供意思を表示していることがわかり、提供を
受ける人を指定してはいないけど、親戚に移植を待つ小学生のこどもがいる、などということが
あったら。
親族優先の希望を家族が出せば通るという前例を作ってしまうと、非常に苦しむ人々が出てくる
場合があるのじゃないか、などと思います。
首尾よく移植できたとしても、レシピエントとその家族は、ドナー家族(親族)にもなるので、
それは、生体間の移植とはまた別のしんどさがあるかもしれない。
心臓死後の腎臓提供では、前例がある、ということですが、ドナー家族やレシピエントの移植後
の精神的ケアの問題と、移植医療の公平性の問題と、両方から、よく考えたほうがいいのでは
ないかと思います。

でも、絶対だめ、というと、今度は、臓器は資源だ、個人の希望とは関係なく、社会資源として
配分するんだ、という考え方だけで移植医療を実施していくことになりそうで、それもよくない
ような気がします。


Should there be conditions attached to organ donation?
BBC NEWS: Wednesday, July 14, 1999 Published at 11:02 GMT

カエルのケロケロレポート2001年7月×日 「お医者さんの秘密の集会」潜入レポレポ

萩原優騎「自己決定権論争の脱構築 -- 脳死・臓器移植問題を中心として -- 」
現代文明学研究:第4号(2001)7月13日発刊:264-296

岡田篤志「浮遊する自己決定 -- 臓器移植法改正によせて -- 」
2000.09.09脱稿、関西大学哲学会編『哲学』第二十号掲載

"A Proposal for Revision of the Organ Transplantation Law Based on A Child Donor’s Prior Declaration"
Masahiro Morioka and Tateo Sugimoto, Eubios Journal of Asian and International Bioethics 11 (2001),108-110