森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2001年04月17日〜04月27日

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てれてれ 投稿者:りんご  投稿日: 4月27日(金)12時34分27秒

>りんごさんも執筆されている著書からの引用
実は、自分のところ以外は、まだ、よく読んでない^^;。

病んだ方 の その家族 → 病んだ方 や その家族

とある学習会で、下記の「パストラルケアの語源」を書かれた
パストラルワーカーの山田由美子さんが講師をされていました。
りんごは、聞きに行けなかったけど・・・。

http://www.pcc.med.tohoku.ac.jp/STUDY00.HTM


おお 投稿者:てるてる  投稿日: 4月27日(金)00時59分16秒

パストラルケア、ってわからなかったので、教えてくださってありがとうございます、
りんごさん。それに、りんごさんも執筆されている著書からの引用。すごい……。
ところで、どこが訂正してあるのかわからないのですが……

訂正 投稿者:りんご  投稿日: 4月26日(木)21時24分21秒

>パストラルケアをする人は病める方のその家族、友人、スタッフを
>とくにスピリチュアルな部分で親身になってお世話するということである。
↓↓↓

>パストラルケアをする人は病める方やその家族、友人、スタッフを
>とくにスピリチュアルな部分で親身になってお世話するということである。

患者中心のcommunityですよね。


パストラルケア 投稿者:りんご  投稿日: 4月26日(木)21時17分48秒

*「がん患者の訴える痛みの治療     
〜緩和ケアにおけるTotal Painへの対応」
真興交易(株)医書出版部
p.171より抜粋

パストラルケアの語源
>パストラルケアはキリスト教を土台として始まったものである。
>パストラルの語源はラテン語のパストルからきている。もともとの意味は、
>羊飼い、牧者という意味である。聖書の中で、イエス・キリストは
>「わたしは、よい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる」
>(ヨハネによる福音書10章11節)とご自分の使命を表現している。
>ここでいう羊は一人一人の人間を表している。したがって、羊飼い
>(イエス・キリスト)が親身になって羊(人間)の世話をするように、
>パストラルケアをする人は病める方のその家族、友人、スタッフを
>とくにスピリチュアルな部分で親身になってお世話するということである。 この本は、スピリチュアルにもふれている。


パストラルケアって? 投稿者:てるてる  投稿日: 4月26日(木)19時16分50秒

という漫画がありました。↓
パストラルケア、 terminal care, palliative care, hospice,greef care, いろいろあって、
「脳死」はどれとも関わりがありそうですね。

>>今後、日本の臓器移植では、「脳の働きの止まった人を中心にしたcommunity]と
>広義の「transpalant community」と両方を認識し,働きを深めることが必要である。
>なるほど・・。
yukikoさんの「『脳死の人』の看取りと、死別後の家族の援助について −医療ソーシャルワーカーの役割−」
って、そういうことを目指しているかと思います。

http://www.pastoralcare-jp.net/pastoral/kippes98/japanese/center/info01j.htm


てるてるさんのレポート 投稿者:le pissenlit  投稿日:4月26日(木)10時39分27秒

異文化の中で互いにより相手の場を聴き込む作業として大切ですね。
transplant communityの中で病院や臓器調達機関と別の医療専門職、パストラルケアと
グリーフケアの専門職のメンバー構成を何となく知っていましたが、日本の機関と
合わせて考えるといろいろくっきりしてくる点があっておもしろいです。

>日本では,本人が事前の書面による意思表示をすることが、広義の「transplant
community」への入り口に立つことであり、いわば、切符を持った人しか入れません、
という制度を敷いている。
切符の例とはおもしろいですね。
>今後、日本の臓器移植では、「脳の働きの止まった人を中心にしたcommunity」と
広義の「transplant community」と両方を認識し,働きを深めることが必要である。
なるほど・・。


てるてるレポート 投稿者:森岡正博  投稿日: 4月23日(月)17時18分53秒

"transplant community" の二つの意味、アップしました。下の掲示板でも紹介されましたが、
とても興味深い論点です。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/teruteru08.htm
http://www.lifestudies.org/jp/teruteru08.htm


ICU 投稿者:てるてる  投稿日: 4月22日(日)14時38分09秒

5月5日のフォーラムのコメンテーターの一人、阪井裕一氏は、脳死について、
>脳死と臓器移植は本来全く別の概念である.医療者がまず最初に行うべきは,
>脳死の診断を行い,集中治療を継続することが患者や家族の利益になるのか
>否かを問うことである.呼吸・循環管理が大きく進歩した現在,臓器移植ばかりを
>先走らせずに,集中治療の現場において日常頻繁に遭遇する「どこまで治療を
>行うべきか?治療により患者の得られるものは何で,失うものは何か?」という
>問題を討議するべきである
と、「脳と発達」(32巻5号,Page442-444,2000.09)で述べています。
これは、同じくフォーラムのパネリストの一人、杉本健郎さんの考えとも一致すると思います。

それで、脳死の人の問題とは、集中治療室での治療の継続と中止に関する問題、いつ、どのように
治療を終えるか、ということについて、医師や看護婦や患者の家族やお見舞いにくる友人知人などが
関わり合って決めることじゃないかと思うのです。
もちろん、患者本人の生前の意思表示があればそれが中心になりますが。結局、脳死の人を中心とした
コミュニティというのは、ICUの患者を中心としたコミュニティと言えるのではないかと思います。
ICUにいるのは、脳死の人だけじゃなくて、回復する人もいるし、植物状態になる人もいますが、
脳死の人も、臓器提供の意思表示をしていなければ、臨床的に脳死と診断されようと、
人工呼吸器をはずそうとつけたままでいようと、心臓が止まるまでは、ICUの患者であることには
違いないと思います。
つまり、ICUで行われる治療の医療倫理問題、だと思います。直接脳死を取り上げてはいなくとも、
そういう問題を取り扱った論文はいくらでもあると思います。(例↓)

それで、広義の transplant community は、移植医療を基に結びついた人々の関わりをさしていて、
レシピエントが中心にいるけど、recipient community とは言わないように、
脳死の人を中心とした community は、ICUの患者を中心とした community,
ICU community でいいかな、などと思いました。

でも、ためしに、ICU community で検索してみたら、国際キリスト教大学の同窓生の
ホームページが出てきてしまって、これはちょっとだめかな、と思い直しています。

>http://www.chestnet.org/education/pccu/vol13/lesson13.html


宮崎さんの論文 投稿者:てるてる  投稿日: 4月22日(日)14時07分24秒

読みました。
死体損壊罪と死者の人格権の説明がくわしくて、専門的でさすが……と思いました。
町野案について、

>生体からだけでなく死体から摘出された「臓器」も含めて「人格権の対象」と考える
>べきとしていると思われる。

>人格権の対象と考えるならば、むしろ臓器を棺の中にもっていかないとする方が通例
>なのではないかと、「ゴッホのひまわり」に例えて述べていると思われる。

のに、

>脳死一元説の立場から脳死は死であると考え、死者は死亡の段階で法益の主体では
>なく、死者の権利とは「生きている人の期待の集合をさす」と捉えている町野氏の
>考え方からでは、死体について、まして死体から分離された臓器についても人格権
>の対象として導くことは難しい

という指摘は、なるほど、そうだ……と思いました。

宮崎さんの考えとして、臓器提供の場合、遺族には同意権と拒否権があるが、
その権利が生じるのは、本人の意思表示があった場合だけで、
もし本人の意思表示がなかったら、そもそも同意権も拒否権も生じないので、
臓器の摘出はできない、というのは、わかりやすいです。

最後の提案の、オランダの登録制度を参考にして、
「本人の自己決定権に基づいて、遺族に臓器提供するかどうかの決定を委ねる」
というのも、いいかもしれない、と思います。

もっとも、もし委任する制度ができたら、私としては、本人が、自分は臓器提供したいと思うけど、
いざほんとうにその時になってどうするかは、あなたの気持に任せる、という委任の仕方がいいと思います。
私はどちらでもいいからあなたが決めてください、という人もいるかもしれないと思いますが。


論文アップ 投稿者:森岡正博  投稿日: 4月22日(日)00時05分07秒

現代文明学研究に、宮崎真由さんの「「死者の人格権」の可能性」がアップされました。
臓器移植法についての法律学の側面からの論考です。

http://www.kinokopress.com/civil/0402.htm


急募!! 投稿者:森岡正博  投稿日: 4月21日(土)23時37分27秒

中山研一先生の昨年の論文
・「アメリカおよびドイツの脳死否定論」(『法律時報』72巻9号p.54-59,2000年)
を、全文入力してくださる方を急募します。移植法ページにアップします。重要論文なのですが、
法律時報というのはかならずしも手に入れやすい雑誌ではありません。ご本人から転載の許可を
いただきました。ぜひぜひ、どなたか、興味ある人はよろしくおねがいします。私までメールをください。

講談社現代新書 投稿者:森岡正博  投稿日: 4月21日(土)21時02分12秒

さっそくチェックしてみましょう。しかし、日本って、「脳死論」の国だねって、つくづく思います。
脳死をテーマに新書が出るんだからね。アメリカでは専門書以外ありえないですよ。
日本の脳死論の書物は、英語の10倍出版されています。

ついでに 投稿者:てるてる  投稿日: 4月21日(土)19時35分43秒

いま、
狭義の transplant community は、移植に携わる人々、
広義の transplant community は、移植に関わる人々、
と考えています。

脳死の人を中心としたcommunity 投稿者:てるてる  投稿日: 4月21日(土)19時31分06秒

直訳すると、brain dead person centered community でしょうか。

レポート……やってみます……(汗)

講談社現代新書で「移植される心 臓器は『商品』か」(出口顯著: 本体 660円)が4月20日に
発行されたようです。
「黒猫の砂場」で感想を読みました。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/Scripts/bookclub/intro/intro.idc?id=26603


てるてるさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 4月21日(土)16時38分22秒

なるほど。それ、レポートにまとめてみません? 
脳死の人を中心としたcommunityは、なんてよぶべきなんでしょうね。brain death communityなのかなあ。
donor communityというと、脳死の人を潜在的ドナーという側面からだけ見ることになるので、
違和感ありますね。

ちょっと訂正 投稿者:てるてる  投稿日: 4月21日(土)08時10分30秒

下の投稿「transplant community(1)」で、 donor/transplant community の
用例のところで、

>>Organizations which seek to educate would be donors, issue
>> donor cards, and (in thecase of The Living Bank) register
>> donor information

について、

>日本臓器移植ネットワークのような仕事をする機関(UNOSのことでしょうか?)

と書いたのですが、前後の文章を読み直すと、UNOSではなくて、Living Bank の
ことをさしているようでした。
以下を参照。
>The Living Bank is the oldest and largest donor education organization
>in the country, and the only national one that keeps computerized records
>of donor data for future retrieval in an emergency.

http://www.livingbank.org/about.htm


「脳死体」 投稿者:てるてる  投稿日: 4月21日(土)07時13分46秒

「脳死体」というと、脳死状態からの臓器提供の意思表示をした、「脳の働きの
止まった人」を、 transplant community のメンバーと見ていないような感じが
します。
脳死状態を縮めて「脳死態」と言うと、中立的な意味になると思いますが……

ちなみに、brain-dead body で以下の用例がありました。

>A brain-dead body is not a Person, nor is a body, sustained by life-support,
>that is topped by an empty skull.


「脳の働きの止まった人」 投稿者:てるてる  投稿日: 4月21日(土)06時39分13秒

森岡さんの『脳死の人』では、集中治療室の「脳の働きの止まった人」のまわりに、
医師、看護婦、家族、さらにさまざまな病院関係者、地域住民がいる、と述べられて
います。
これは、ひとりひとりの「脳の働きの止まった人」を中心とした community と言える
のではないでしょうか?

そうすると、脳死状態からの臓器提供の意思を表示するということは、「脳の働きの
止まった人」を中心とした community から、広義の transplant community へ移る
切符を持つということかな、と思ったりするのです。
ただ、USA の人々の使う広義の transplant community には、「脳の働きの止まった
人」の家族は含まれていても、本人は含まれていないような気がします。
それで、日本の臓器移植では、「脳の働きの止まった人」本人も含めた transplant
community を作ることが必要なのではないかな、と思うのです。

心臓停止後に臓器を提供する意思を表示することも、心臓が不可逆に停止したら、
広義の transplant community へ移るという切符を持つことだろうと思います。
脳死状態からの移植でも心臓停止後の移植でも、本人が事前の意思表示をすることが、
transplant community への入り口に立つことだと言っていいと思います。
で、本人の意思表示原則は、切符を持った人しか入れません、ということです。

これでは臓器提供者が少ないと言われますが、日本で既に行われた脳死状態からの
臓器移植では、皆、本人が同意しているからこそ、移植を受ける人も、ドナーの
遺族も、少しでも精神的負担が減っているのではないでしょうか。もしこれを、
本人の事前の意思表示はいらないということに法律を変えたら、どんなに精神的
負担が増すことでしょうか。

移植患者団体であるトリオ・ジャパンが、本人の意思表示原則をはずすことを
要望しているのは、外国では、家族の同意だけで臓器提供できるから、日本でも、
ということだと思いますが、臓器の提供数をふやそうとしたら、移植を受ける人の
精神的負担もふやすことになるのではないか、という心配はしていないのでしょうか。
こどもの移植患者のことを考えたら、そんなことは言っていられないのかも
しれませんが……


transplant community(2) 投稿者:てるてる  投稿日: 4月21日(土)06時36分08秒

それに対して、次の二つは、広義の意味です。
>all members of the transplant community, including recipients, donor
>families, organ procurement agencies, transplant physicians and surgeons,
>nurse coordinators, ethicists, the lay public and other scientists.

>entire transplant community - including physicians, allied professionals,
>patients, donor families and related organizations.

レシピエント、ドナーの家族、臓器調達機関、移植医、看護婦、コーディネーター、
倫理学者、一般の市民や科学者を含めたすべての transplant community のメンバー
と言ったり、医者、その他の医療専門職、患者、ドナーの家族と関係機関を含めた
完全な transplant community と言ったりしています。

このように、広義のtransplant community では、ドナーの家族が含まれています。
臓器不足を解消するために、ヨーロッパでもUSAでも、コーディネーターや
集中治療室の看護婦や医師が、病院に運ばれる患者が潜在的ドナーになりうるか
どうかすべて確認するとか、患者の家族に話し掛ける技術を磨くとか、いろいろと、
制度を整えたり訓練を施したりしています。そして、ドナーの家族とレシピエント
との交流も、移植医療の肯定的なイメージを社会に広め、臓器提供者をふやすのに
役立つという理由で、促進しようという傾向が出てきています。
広義のtransplant community は、狭義のtransplant community より後に出てきた
のではないか、それは、ドナーの家族とレシピエントとの交流の促進の必要性が
主張されるようになってから、強く意識されるようになってきたのではないか、
と思うのですが……
さらに、脳死状態からの移植だけでは到底足りないので、生体間の移植が増加した
ことも、影響しているだろう、と思います。

この二通りの transplant community を、もし訳すとすればどう訳し分ければ
いいかな、などと考えています。
狭義の transplant community は、臓器移植ネットワークでもいいのでは
ないでしょうか。
広義の transplant community は、移植に関わる人々、とでも言うのが
いいでしょうか?
あるいは、移植によって結び合わされた人々、移植によって結びつく人々、とか?


transplant community(1) 投稿者:てるてる  投稿日: 4月21日(土)06時35分04秒

最近、transplant community ということばが気になっているのですが……、
このtransplant community ということばには、狭義の意味と、広義の意味と、
二通りあるようです。

たとえば、次の二つは狭義の意味だと思います。
>a tool to help the transplant community, hospitals and OPOs implement
>a 1998 rule issued by HHS' Health Care Financing Administration to
>promote the best practices in organ donation.

>Working with donor families, the transplant community, health care
>professionals, and bereavement and pastoral care specialists, HHS
>developed this guide to help train hospital staff and others to talk
>sensitively with families about organ donation.

この transplant community は、病院や臓器調達機関(Organ Procurement
Organization, OPO)や、医療専門職、グリーフケアの専門家、ドナーの家族とは
別にくくられています。

狭義の transplant community には、次の用例もあります。
>There is a large donor/transplant community in the United States
>consisting of:
>Organizations which seek to educate would be donors, issue
>donor cards, and (in the case of The Living Bank) register
>donor information
>Organ procurement organizations,

これで見ると、日本臓器移植ネットワークのような仕事をする機関(UNOSのことでしょうか?)
と、臓器調達機関と呼ばれるものとが区別されていて、
その両方をあわせて、 donor community または、transplant community と
呼ぶのだと思えます。
そして、先の、OPOのような臓器調達機関と区別して使う用例では、臓器移植
ネットワークのような働きをするものだけをさしているようです。

次の2例は、臓器移植ネットワークのほうをさしていると思います。
>The complex issue of whether and to what extent organ recipients
>and donor families should interact or communicate has gained
>increasing public awareness, thereby creating an area of major
>ethical and legal concern for the transplant community.

>In the past, communication between donor families and recipients
>has been anonymous and highly controlled, with much inconsistency
>among and within the transplant community, leaving many involved
>in the process confused and frustrated.

一方、こんな用例があります。
>to contribute to the successful rehabilitation of the nation's
>transplant patient community;

これは、先の、臓器移植ネットワークや臓器調達機関などをさしたものと特に
区別して、「移植患者の」と表現しています。

なんにせよ、狭義のtransplant community は、移植患者を中心にした、移植
患者のための community だと言えると思います。


ICUとCCU 投稿者:りんご  投稿日: 4月21日(土)02時35分05秒

という雑誌の最新号Vol.25 No.3の特集は、
「脳死体からの臓器提供」(医学図書出版株式会社)です。

「脳死体」ということば・・・。

なかみは、
・脳死判定は厳格に、前向きに(高崎眞弓)
・法に基づく脳死判定と注意点(小谷透・他)
・脳死の病態とドナー管理の実際(田中秀治)
・オーストラリアにおけるドナー管理と臓器摘出術(田中和夫・他)
・ドナー管理に関する移植側からの要望 
1)心移植(大西佳彦)
2)肝移植(江川裕人・他)
3)肺移植(清水信義・他)
・コーディネーターの役割と医療従事者への要望(菊地耕三・他)


見逃した方へ 投稿者:モイナ  投稿日: 4月17日(火)20時08分52秒

NHK衛星放送第一で、今日の夜9:30より再放送されます。

脳死判定に立ち会う家族 投稿者:てるてる  投稿日: 4月17日(火)19時50分20秒

移植コーディネーターから、判定にたちあうことができる、同意をいつでも
撤回できると伝えられて、夫は、判定に立ち会った。
無呼吸テスト。器械には、心臓の動きは記録されるが、呼吸は記録されない。
なんとか、呼吸の記録も出てほしいと祈ったが、だめだった。そのときに、
夫は、初めて、妻の死を実感した。

臓器提供者の遺族 投稿者:てるてる  投稿日: 4月17日(火)19時47分10秒

硬膜下出血で脳死と判定された女性。以前から臓器提供の意思を夫に伝えていた。
運転免許証に臓器提供意思表示のシールをはっていた。夫は、妻の意思を尊重する
ことにした。
脳死判定の承諾書に、息子や娘とともに承諾の記入をし、医師たちが脳死判定の
準備を始めた後、心が揺れた。

ビデオ 投稿者:てるてる  投稿日: 4月17日(火)19時40分50秒

ドナーが現われた時。「ドナーカードを持っていてくれた人に感謝します」
まだ弱々しい声で。
移植の後。歩く訓練。
今の映像で、当時、感じたこと
「人の死を受け取ってわたしは生きることができる」
仕事に就き、提供者に感謝の手紙を書こうと思ったが、ふさわしい言葉が
見つからない。元気になれた喜びと、相手の悲しみを思うつらさとを綴る。

「脳死臓器移植」 投稿者:てるてる  投稿日: 4月17日(火)19時33分29秒

肺の移植を受けた女性。移植を受ける前のようすをビデオに記録していました。
車椅子と酸素吸入器を必要とする生活。やせほそっていました。
今は、見た目にも健康そうです。
臓器を提供した人の家族も語ります。

ぎりぎり 投稿者:りんご  投稿日: 4月17日(火)19時28分29秒

間に合った!

てるてるさん、ありがとうございます。


クローズアップ現代 投稿者:てるてる  投稿日: 4月17日(火)19時10分00秒

きょうの「クローズアップ現代」は、脳死状態の人から移植を受けた人が
自分の気持ちを語るそうです。
あと、30分ほどで始まります。

「死者の人格権の可能性 -- 臓器移植法改正に向けて -- 」
宮崎真由著、現代文明学研究:第4号(2001):195-216

"transplant community" の二つの意味
てるてる著 2001年4月23日