森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2001年03月01日〜03月08日

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献腎 投稿者:りんご  投稿日: 3月 8日(木)19時33分53秒

>ただ、現場の手ごたえとして
>臓器移植法との関係を痛感されている方もいらっしゃるかもしれませんが、
>そうだとすれば、それを率直に伝えた上で考察すべきでしょう。

昨日のtityさまの投稿をみるまで、あまり気に止めていませんでした。
確かに、必ずしも本人の意思表示がなくとも、家族の同意のみで行うことができる心臓停止後の
腎臓提供は、臓器移植法との関係で混同され、結果的に件数が減少した、ということも推察されますね。

また、先日勉強会でもらった都道府県コーディネーター一覧をみると、所属が、腎臓協会、腎臓バンク、
角膜・腎臓バンク、臓器移植推進財団などさまざまな名称になっていて、中には、いのちのリレー財団、
臓器移植支援センターなどもありました。


tityさま 投稿者:りんご  投稿日: 3月 8日(木)08時01分12秒

ご説明ありがとうございます。

ショックでした 投稿者:kei  投稿日: 3月 8日(木)04時08分06秒

森岡先生こんにちは。

ご紹介ありがとうございました。
このような発言があったことは非常に残念です。
梅原猛さんは尊敬している一人なのでショックでした。

アジア諸国の宗教・哲学者は、脳死の身体からの臓器移植をどうとらえているか、という記事が
こちらにあります。しかし、ほとんど推進です。
http://kyoto.cool.ne.jp/chishu/


こういう発言があります 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月 8日(木)01時19分20秒

宜保行雄医師(宜保消化器科内科クリニック・院長)のことば(吉川浩司「きいろのなみだ」
1999中経出版)

「さるメディアにて、有名な哲学者と称する老人が、「日本人は自然を愛する国民性をもって
いるのだから、臓器移植は自然に反するので、そんなことはせず、自然に死ぬべきだ」という
主旨の発言をしていました。日本国政府がこのような冷血な人間に勲章を授与するのもおかし
いのですが、自分は70歳代まで生きておきながら、移植を受けなければ死が待っている1歳
の子供に、「あなたは日本で生まれたのが悪かった、俺が生きているかぎり、臓器移植法案は
闇に葬ってやる」と言っているのと同じです。自分の発言の重大性を理解できないのだとした
ら、愚かとしか言いようがありません。十分に長い期間、人生を生きてきたわれわれ大人に、
その子らに責任のない先天性の疾患で、他の国でなら助かるのに、わが国においてその子らを
殺す権利があるはずはありません。脳死移植を行っている国々の人々は言います。「死後の移
植は、天国に召されていく魂より素晴らしい人類愛にあふれた贈り物なのである」
と、・・・・。われわれはその善意をけっして踏みにじってはならないのです。その心を、け
っして無駄にしてはなりません。」(282-283頁)

−−ここまでコアな発言をひさしぶりに見たなあ。文中、勲章をもらった有名な70歳代の老人哲学者って、
梅原猛さんしかいないよね。梅原さんは、脳死はダメだけど臓器移植は菩薩行だからOKって
言ってるんだよね。この人、いったい何を聞いてたんでしょうね。文章後半も、けっこう無茶苦茶。


ちょっと誤解を訂正します 投稿者:tity  投稿日: 3月 8日(木)00時09分36秒

りんごさま、tityです。
> 実際に献腎の提供件数は、減少しています。
ということで、それは事実なのですが、
これはここ10年のトレンドで臓器移植法とは関係ないという意味です。
移植以外の治療方法が発達した、
生体腎移植が増えた、
その他、と色々理由は考えられるでしょうが、
そうしたことを、資料をもって考察することが本来の学術論文の役割であり、
資料から読み取れないことを記述するのは学術論文とは呼べない
ということを指摘したかったのです。
ただ、現場の手ごたえとして
臓器移植法との関係を痛感されている方もいらっしゃるかもしれませんが、
そうだとすれば、それを率直に伝えた上で考察すべきでしょう。
言葉足らずで失礼しました。

私も読みました 投稿者:りんご  投稿日: 3月 7日(水)22時22分16秒

移植にかかわる費用のこととか、臓器ドナーの適応基準などが興味深かったです。

>脳死臓器移植との混同で腎臓移植が減少しているという発表を明確に否定しています。

実際に献腎の提供件数は、減少しています。
先週、聞いた臓器移植の勉強会でも、講師であるコーディネーターも、減少してきていることを
強調していました。
その理由については、言及してなかったですけど・・・。


RE:救急医学 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 7日(水)17時37分51秒

一応、「救急医学」2000年12月号の特集「脳死下臓器提供をめぐる諸問題」の
目次です。↓

http://www.herusu-shuppan.co.jp/kyukyu/qq200012.html


re: 救急医学 投稿者:tity  投稿日: 3月 7日(水)13時14分17秒

森岡様のおっしゃる通り、内容は一面的です。
しかし、まず、なぜ、このタイミングで、この雑誌で出してきたのか、
そのことは非常に興味がもてます。
また、引用されている文献などは非常に役に立ちます。
むしろ、私が面白いと思うのは、
移植医のメンタリティが論文のそこかしこに現われている点です。
資料としても、例えば、p.1840の献腎移植の経年変化の図は、
つい最近発表された、脳死臓器移植との混同で腎臓移植が減少している
という発表を明確に否定しています。
こうした、自家撞着をきっちり読み込むことも
(もちろん、否定するばかりが能ではありませんが)
この問題を考えていく重要な作業かと思います。

救急医学 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月 7日(水)05時56分16秒

その雑誌、読みました。なんというか・・・・・、80年代からの「ある派閥」の方々とその周辺の方々の
オンパレードですね。資料としては、とてもおもしろいです。内容は、きわめて一面的というか・・・。

情報 投稿者:tity  投稿日: 3月 7日(水)01時29分46秒

雑誌「救急医学」(へるす出版)の2000.12.の特集が、
「脳死下臓器提供をめぐる諸問題」です。
ご一読をおすすめします。

命の不思議 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 3日(土)21時04分10秒

杉本健郎さんのホームページのトロント事情の2月28日の話は、すごいです。
1歳の赤ちゃんが、親の知らない間にマイナス20度の裏庭に這い出していって、
見つかった時には凍って心臓が止まっていたのに、病院で心臓も肺も動き出し、
2,3日後には、にっこり笑うようになって、元気になってきた、との話です。↓

http://web.kamogawa.ne.jp/~sugimoto/bbs/index.htm


命の重さ 投稿者:モイナ  投稿日: 3月 3日(土)20時05分28秒

子供と老人の命の重さに差なんて無い。

命に重さなんて無いのだから。

今、私たちが、知るべきことは「命の軽さ」じゃないかな


子どものためのページ 投稿者:森岡正博  投稿日: 3月 3日(土)16時58分01秒

15歳未満(12歳未満)の子どもたちのための脳死臓器移植ページを作ってみたら、という
提案をある方からいただきました。彼らも、インターネットやってますよね。彼らへの情報提供と
問題提起というのは、大事なことです。ただ、私自身は、ここのところ、別件などあって、
ちょっと疲れてしまって、いましばらくは着手できそうにありません。

どなたか、やってみたい!って方、おられませんか?


命の重さ 投稿者:ゆう  投稿日: 3月 3日(土)15時02分04秒

本当に命に重さはあるのか。昔誰かが「人一人の命は地球より重い」とか言ってたけど、よくよく
考えればなんのことか、さっぱり分からない。僕は命は命であり、かけがえのないものだとは思うけど、
重さで表されるものではないと思う。だから一人の命より二人の命が重いとは思わない。
重さで表そうとすること事態、人間の驕りであると思う。これは頭で考えていること。
でも、実際問題としてはどうか。例えば重度の身体障害者と、そうでない人が一つしかない手術台に
同時に、交通事故なんかで運ばれてきて、先に治療しなかった方が確実に死ぬとしたら?どうするのか?
その判断基準は結局は命の重さになってしまうのではないのか。そうでないとしたらなんなのか・・・。
やはり重さで考えている自分に気付き、愕然とする。(ケータイより)

RE:老人の命は、子供より軽いの?  投稿者:kei  投稿日: 3月 2日(金)14時19分12秒

みなさま初めまして。keiと申します。

もりさま
>やっぱり命は、同じ重さである

まったく同感です。
しかし、どうでしょう。命の重さと一口にいいますが、そんなに簡単に計れるものではないと思います。
老人と子どもの命を天秤にかけて、どちらが重い?という発言をすること自体が間違っているのでは
ないでしょうか。
「衝撃的」ということで語れば、自分の身内の老人の死のほうが、新聞で読んだどこかの子どもの
死より、はるかに衝撃的です。
長い短いでも語られないのが命だとおもいます。人の寿命とは終わってみて初めて語られるものであると
おもいます。みんなが平均寿命まで生きられる訳ではないのです。
まだまだ先のある若い命。脳死状態からの生還はないからもう終わりの命。こんな天秤を使って
命を語ること自体が間違っているのではないでしょうか。
だれの命でも、誰かの命と比べることは出来ない、一つ一つが大切な命ではないでしょうか。
脳死状態と判定されて、体が反応しなくなっても、本当にそれが「命」の終わりなのでしょうか。
「命」簡単にははかれない、不思議なものが命だとおもいます。


老人の命は、子供より軽いの? 投稿者:もり  投稿日: 3月 2日(金)09時51分08秒

先日、NHKの教育テレビで放送している人間ゆうゆうという番組を偶然見ました。
テーマは、臓器移植。そこに森岡さんと臓器移植会長の野本亀久雄さんが出ていました。
私は、その野本さんの発言を聞いて、直感的におかしいと感じました。それは、子供の命は、
自分のような老人の命より重いと発言されたことです。私は、人間の命は、みな同じ重さだと思います。
でも、交通事故で老人が死ぬより子供が死ぬことの方が衝撃的です。でも、やっぱり命は、同じ重さであると
思うのです。それについて、感情論ではなく、理論的に説明していただけないでしょうか。

1997年の厚生省の審議会 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 2日(金)08時51分16秒

1997年7月23日の厚生省の「第9回臓器移植ネットワーク準備委員会議事録」では、
ドナーカードの配布についてとりあげられたときに、外国での臓器提供の意思表示の形式について、
中谷瑾子委員が、紹介しています。

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 ドイツでも、6月25日に臓器移植法というのができました。そのときに、臓器の提供の
意思表示について、どういう方式をとるかということが最後まで争われたわけですけれども、
その報告によりますと、いわゆるコントラクティングインというのですか。
日本の法律はそうなってますよね。非常に厳密な意思表示が必要になっていますけれども。
それですと、提供は1ないし2%であると。ドイツはそうではなくて、拡大された意思表示方式
というのをとりまして、これだと60%から80%ぐらいの提供が得られると。
 さらに、通知方式というのがありまして、通知方式というのは、やっぱり家族としては臓器の
提供をしてもいいと、本人の意思がはっきりしなくても家族が、かつて本人はこう言っていたとか、
ああ言っていたとか、要するに日本の前の忖度の問題なんですけれども、そういうことを言うと、
家族が本人から臓器の摘出について決定するので心に負担を感じる。だから、そういう決定を
しないで、こういう場合には脳死ですよと。もし提供していただけるならば、こういう方法が
ありますよというようなことを情報を提供しまして、そして、いついつまでに返事をしてくださいと。
返事をしなければ、それは提供の意思があるというふうにしましてね。家族としては、
自分で決定しないから心が安まるというのですね。そういうので通知方式というのがあって、
これだと70%から80%ぐらいの提供が得られると。それからコントラクティングアウト、
フランスがそうですけれども、コントラクティングアウトならば90%得られるという。
 ですから、日本の法律によりますと1%から2%ぐらいしか臓器の提供が得られないだろうと
いうことになりますので、やっぱりドナーカードが大変重要であるというご認識、先生方は
皆さんお持ちでいらっしゃいますけれども、数の上からもそれが立証されたような気が
するんですけれども。ちょっと情報の提供まで。

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スウェーデンの例や、中谷瑾子さんが紹介されている例を見ると、外国でも、本人が
臓器提供に同意する意思表示がある場合だけ臓器提供ができる、とする考えと、
本人が臓器提供を拒否する意思表示がなければ臓器提供ができる、とする考えとが、
対立しているのですね。

結果的には、ほとんどの国で、臓器をたくさん摘出できるようにする、という目的が優先されました。
しかし、少なくとも、今更ですが、人間が、生まれながらにして臓器提供するように自己決定している、
という考え方に基づいて、諸外国の移植法が決められたわけではない、と言えると思います。
日本では、臓器をたくさん摘出できることを優先せずに、本人と家族の意思を尊重することを
優先して法律を作りました。こどもの臓器移植をめぐって、いま、この法律の再評価が必要とされています。


「臓器移植法改正を考える」 投稿者:てるてる  投稿日: 3月 2日(金)08時00分41秒

ちょっとひさしぶりに、「臓器移植法改正を考える」ページを見たら、びっくり!
すっかり、カラフルになっていて。最後まで読んでいったら、森岡さんが御自分で
「見やすくなったなあ」と書いていらっしゃいました。(^_^;)

Bioethics in Scandinavia 1989 - 1991 というウェッブページを読んでいます。↓
少し意味をとりにくいところがあるのですが…
脳死と臓器移植について、スウェーデンの倫理委員会と医学会との見解の違いが興味深いです。
倫理委員会のガイドラインでは、移植のための臓器をふやすことを目的とせずに、
患者の自己決定権を尊重することを主眼とし、本人の明示の意思表示がなければ、
臓器提供を拒否していると考えることとしています。

医学会のガイドラインでは、本人または家族の明示の拒否の意思表示がなければ、
臓器提供に同意していると考えることを主張しています。
その理由が3点、挙げられています。

1)世論調査では、臓器移植を肯定する人が大多数である。

2)移植のための臓器への需要を考慮すると、もし意思をきかれれば臓器提供を拒否
したであろう人から臓器を摘出することよりも、意思をきかれれば臓器提供に同意
したであろう人から臓器を摘出しないことのほうが、悪い。

3)遺族が悲しんでいるときに臓器提供に同意するかどうかをきくのはむずかしい。
患者の家族がみつからないときや、臓器提供に反対するときもある。

この3点のなかで、2)は、すごい割り切りだ、と思いました。

http://www.hf.uib.no/i/Filosofisk/ethica/scand8991.html
http://www.hf.uib.no/i/filosofisk/ethica/scand8991.html


はじめまして 投稿者:ミキ  投稿日: 3月 1日(木)01時27分49秒

こんにちは。
前に、森岡先生の論文で「同意のない臓器摘出は児童虐待である」とありましたが、
実際にそうなんですねえ。>てるてるさん
非常に勉強になります。
森岡先生がいないと、日本はえらいことになりそうなので、どうか、お体に気をつけてがんばってください。

Bioethics in Scandinavia 1989 - 1991

救急医学2000年12月号(第24巻第13号)
「特集: 脳死下臓器提供をめぐる諸問題 -- 提供施設におけるスムーズな対応のために -- 」