森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2001年01月31日〜02月11日

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1997年の公聴会 投稿者:てるてる  投稿日: 2月11日(日)22時16分45秒

1997年6月13日の臓器の移植に関する特別委員会公聴会で、公述人のぬで島次郎氏が、
次のように述べています。

> アメリカですら、ハーバード大学の小児科救急の医学者が、つい最近、アメリカに
>権威のある生命倫理の雑誌があるのですが、その雑誌の巻頭論文で、脳死基準は不完
>全なので、だれもが賛成できる三徴候死、伝統的な死の判定基準に帰るべきであると
>いう、ちょっと私もびっくりしたんですけれども、そういう論文を出しました。

これは、もちろん、Robert D.Truogの"Is it time to abandon brain death?"ですね。
森岡案では、Truogの論文などを、下敷きにしているので、このときの国会での議論の
続きを、見直しの審議で、もっと掘り下げてできるのではないでしょうか。

森岡案では、6歳未満の人からの臓器提供は禁止しています。
臓器提供と脳死の選択について、本人の意思表示を必須とするという、現行法の基本原則を
遵守するならば、それが当然の帰結なのでしょう。

しかし、6歳未満の人からの臓器提供もできるようにするならば、1995年の国会に提出された
最初の中山案や、町野案のように、脳死を一律に死とし、家族の忖度でも臓器提供が
できるようにするか、その反対に、脳死を死としないで、違法性阻却によって
臓器提供できるという案にするか、ということが、もう一度、問題になると思います。

ここで久しぶりに「てるてる案」のことをとりあげますが、6歳未満については、違法性阻却は、
やっぱり無理だと思います。本人の書面による意思表示がないのだから。
これは、責任阻却というほうに入れるべきだったと思います。
それで、てるてる案では、臓器提供の前に、家庭裁判所で審査する、という要件にしていましたが、
むしろ、臓器提供の後に、オランダで昨年までの安楽死法で実施していたように、
形式上は、医師が書類上の告発をされるという方法にするのがよかったのかな、と思います。
てるてる案では、こどもの保護者からの臓器提供の申し出があって初めて、医師が移植コーディネーターに
連絡したり、臓器を摘出したりできるということにしてありますが、これも、オランダの安楽死法の、
患者からの要請があって初めて、医師が安楽死を幇助できる、という要件に、照応すると思います。


南野知恵子議員 投稿者:てるてる  投稿日: 2月11日(日)20時57分33秒

1997年6月11日の参議院の臓器の移植に関する特別委員会で、南野知恵子議員が、
次の質問をしています。

>脳死判定について
複数の医師と看護婦、さらに脳死判定に関与する臨床検査技師、看護婦と
臨床検査技師一名ずつを加えて行うべきではないか。
看護婦は長い間本人を観察している。また、脳死ということについての学もある。
臨床検査技師は機械を用いて脳死をクリアカットに出し、その問題とあわせて
ドクターは診断を下すのである。
診断を下すドクターは必要だが、そういう資料を提供する者を同席させ、ともに
認定をするということはいかがなものか。

>ドナーカードについて
本人の意思表示とともに本人の指定する家族一名の承諾欄を設けるという考えは
あるのか。

脳死判定についての南野議員の意見は、これまでの脳死の人からの移植で、ほぼ
毎回、脳死判定の手順が問題になっていることを考えると、非常に重要な提言だったのではないか、
と思います。
家族の承諾について、承諾を求める家族の範囲を限定するか、順位をつけるべきだという意見は、
佐藤道夫議員も、出しています。

参考までに、佐藤道夫議員の意見は、心臓死後の角膜や腎臓の提供では、家族の範囲を
限定しなくてもよかった、というこれまでの経験は参考にならない。なぜなら、心臓死は
皆が納得して、喪主を選ぶこともできるが、脳死については、死と認める人も認めない人も
いるのだから、家族の意見が分かれることが多いはずである。
脳死の状態で喪主を選ぶ気になる家族もいない。という理由によります。

更に、南野知恵子議員は、「五年ごとに時限立法を法案に加えてはどうか」という
提言をしています。これに対して、猪熊案の提出者の一人である堂本暁子議員が、
次のように答えています。

>移植を受けた後どういう生存の仕方をしているか、そういった臓器移植の評価と
>いうようなことは今まで法案にも入っておりませんけれども、そういったところ
>できちっと報告を受け、そして医療の日進月歩の中で状況が刻々と変わっていく
>中で、果たして五年がいいのかどうかわかりませんけれども、私たちは随時見直
>していくということが立法者の責務であるというふうに認識しております。

これは、『「脳死を人の死」としない立場から脳死・臓器移植を考える議員の会』でも、
これまでの脳死の人からの移植について検証する、ということですが、その検証のなかに
含まれるのかな、どうなのかな、と、思います。


読売夕刊・2月10日 投稿者:le pissenlit  投稿日: 2月11日(日)00時03分40秒

読売の社会部の記事、第3面(4版・14)中央に読みやすく的確に書かれていました。
読売さんタイミング良しです。
これで安心して旅に出れます。
見出しが夕刊とインターネットでちょっと違っています。
夕刊の見だしは以下の表現です。
脳  死
臓器提供  15歳未満でも意思表示前提で       
     研究者ら 独自移植法改正案
あとはインターネットと同じです。
共同通信は外国にも流せますよね。英語ページがんばってください。

たらこさん(書き直しました) 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月10日(土)23時31分08秒

賛成ありがとうございます。
ただ、われわれの改正案は、15歳未満の場合でも、「本人の意思表示」がある場合にかぎる、という案です。
「本人が意思表示してない場合」は臓器を取り出せないというふうにしておいたほうがいいと思ったのです。
黙っている子どもの意見も、尊重しないとね。
これからも一緒に考えていきましょう。

よみました。 投稿者:たらこ  投稿日: 2月10日(土)22時41分05秒

私は15歳の中学3年生です。
私は臓器移植法改正に賛成します。
これは私だけの意見なのですが・・・
何かの病気で臓器の提供者を待っている間に亡くなってしまう・・・という悲しい出来事をよく
テレビの番組でみていました。
もし、私が脳死判定され、死亡とみなされた場合には臓器を差し上げたいと思っています。
私は、人のために何か自分のできることをしたいと思っています。
死んでしまい、その自分の臓器が誰かのために、その人を救えるなら、それはすばらしいことだと
思うからです。
これ以上、病気などで人を死なせてはいけないと思います。
だから、私は臓器移植法改正に賛成します。

改正案について、読売新聞、共同通信で配信されました 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月10日(土)19時12分41秒

このHPでずっと議論してきた改正案についての記事を、読売新聞と共同通信がそれぞれ配信してくれました。
読売新聞は夕刊に載っているようです。共同通信も、提携する新聞の夕刊に載っているのではと思います。
その記事にもあるように、関西医科大学の杉本健郎さんが共同提案者に加わってくださったので、
「森岡・杉本案」ということになります。これは、これから議論を深め、具体的な法案を考えていただくための
「原案」の役割を担うものです。一研究者の立場では、国会に立案することはできません。
関係国会議員のみなさま、ぜひ議論をお願いいたします。

読売の記事は、↓にあります。(たしかに、15歳未満に「広げる」案ではあるんだよねー。むむむ・・・)

http://www.yomiuri.co.jp/04/20010210ic14.htm


初めて立ち寄りました 投稿者:山猫山  投稿日: 2月 8日(木)21時38分29秒

「大本」からリンクしました。1947年産の「全共闘クズレ」ですが「クズレ左翼」ではありません。
この15年、持病の二日酔いとたたかいながら、細々と「有機農法」で葡萄栽培養鶏などで
露命を繋いでいます。面白そうなのでこれからゆっくり読ませていただきます。拝

「中央公論」論文 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 8日(木)21時37分39秒

ようやく、アップしました。(>社会的議論のためだとご理解ください「中央公論」様m(_ _)m)
みなさん、ぜひぜひお読みください。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/noshiho01.htm


向井承子著「脳死移植はどこへ行く?」(3) 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 7日(水)15時59分11秒

いま著者から送っていただきました。いい本です。とくにアメリカでの現地取材の箇所は勉強になります。
貴重な情報だと思いました。

中島みちさんの本もそうですが、97年の臓器移植法成立の内部過程を文字化したものが出版されて、
当時のことがよく分かるようになったのもいいことだと思います。


向井承子著「脳死移植はどこへ行く?」(2) 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 7日(水)00時01分36秒

向井承子著「脳死移植はどこへ行く?」(晶文社)では、中山案、町野案などの、
脳死を死とする法案が、臓器移植だけでなく、末期医療全体に与える影響を懸念しています。
中山案が提出された頃も今も、脳死患者を診る医師たちにとって、人工呼吸器をいつ切るか、
ということのほうが、臓器移植よりも現実的な問題である、ということです。
杉本健郎さんのホームページでも、こどもの臓器移植に関して、やはり、現場では、
人工呼吸器をいつ切るか、というほうが大きな問題になっている、と述べています。

そういうことなら 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 6日(火)20時03分44秒

来週まで、ゆっくり、国会議事録を読んでいます。(^_^;)

森岡さん、みなさん 投稿者:yukiko  投稿日: 2月 6日(火)19時38分25秒

>で、実は、森岡案の正式発表を来週中にはする予定でいます。なので、正式な森岡案(名称は変わる予定)
をHPに発表するまで、お待ちいただける方はお待ちいただいたほうが、よいかも、と思ったりしました。

あ、それでは、わたしはお待ちします。
みなさん、送信、少し待ったほうがいいかも。


議員へのメール 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 6日(火)15時29分51秒

yukikoさん、みなさん

議員へのメール、やりましょう!

で、実は、森岡案の正式発表を来週中にはする予定でいます。なので、正式な森岡案(名称は変わる予定)を
HPに発表するまで、お待ちいただける方はお待ちいただいたほうが、よいかも、と思ったりしました。


アメリカと日本の差 投稿者:yukiko  投稿日: 2月 6日(火)07時07分08秒

ちゃみさん、ありがとうございます。議員へのメールはだいたいこの1週間に出せれば良いな、
と思っていますが、実際には1ヶ月くらいの幅になりそうです。
当然のことですが、みなさまご自分のペースでどうぞ。
たくさんの人が臓器移植法と政治に関心を持っていることを直接議員に知らせましょう。

ところで、国会議員へのメールでの直接的な働き掛けは、アメリカでは当然のように行われて
いますが↓
http://ask.c.u-tokyo.ac.jp/~ymorii/RS010396.html

最近は日本でも活発になってきたようです。関連の面白いページをいくつかご紹介します。

http://www.asp-system.com/HP_jyokyo/all.asp
http://www.atikurin.com/jptel/shushib.html
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9611/paper/1101/miraisi.html
http://www.jca.apc.org/~higa/anti-guideline/4.22to_kan.html
http://www.jca.apc.org/~higa/anti-guideline/KOBAYASHI/MEIBO-top.html
http://www.zorro-me.com/miyazaki5/doc/990526yama.html

はやくネットワーク担当秘書を置いて欲しいものです。HPを持っていてもメールアドレスを
公開していない議員がいますが、まるで公人中の公人である代議士が、無自覚に市民からの
フィードバックを拒否しているように見えます。
代議制の主旨を理解できていないのではないか、と思いましたよ。


向井承子著「脳死移植はどこへ行く?」 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 5日(月)21時27分41秒

きのう、向井承子著「脳死移植はどこへ行く?」(晶文社)を買いました。

これには、1997年の臓器移植法制定当時のことがくわしく、書かれています。
現行法のもとになった最後の(中山)修正案が提出されたのは採決の当日、
実質審議が3時間しかなかったこと、そもそも臓器移植法の審議が始まったのが
会期末だったこと、などが挙げられています。
(修正案、中山案、金田案、などの経緯について、yukikoさんの「国会議員にメール送るで〜!!」の
掲示板に、超短縮版で解説しています。)

向井承子も、参議院の大森礼子議員、大脇雅子議員など、議員たちが実にいい議論を
していることをとりあげていますが、それなのに、最後の土壇場で、まるで茶番劇のように
修正案が提出されて3時間の審議で採決されたことを怒っています。

それでも、中島みちの本「脳死と臓器移植法」(文春新書)では、そのほうが、
脳死を臓器移植のときだけ死とする法律にできてよかったのだ、と書いてあります。
こういう点は、今回の臓器移植法改正でも、気になるところです。

向井承子は、町野案を批判しています。
他に向井承子の本では、USAでのドナー家族やコーディネーターにインタビューしたことが出てきます。
また、あのトリオ・ジャパンの第8回セミナーで、濱邊祐一他救急医たちが、脳死は死ではないと
言ったことも取り上げています。

国会審議について1997年の国会での臓器移植法の審議について知るには、中島みちの本と
向井承子の本と両方読むといいと思います。
あと、とにかく議事録そのものを読むのがいいと思います。この生命学ホームページの
おすすめホームページからもリンクされていますが、議事録検索は↓です。

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KOKUMIN/www_logout?SESSION=4103&MSIE3=0&MACIEJAV=0&MACIE=980839282


永田町の雰囲気? 投稿者:ちゃみ  投稿日: 2月 5日(月)21時06分31秒

ですが、先日てるてるさんからご紹介のあった『「脳死を人の死」としない立場から脳死・臓器移植を
考える議員の会』設立など、「臓器移植法改正」に対しては逆風という感じのようです。
ここのところ推進の立場での大きな動きは見られないそうです(以上、抽象的ですが、表面上
「プラスアルファ」のレベルでの観察と考えて下さい)。

もっとも、推進側のHPを見ると議員個別への接触などはありますし、国会も始まったのでいろいろ
動きがでてくるでしょうから、もちろん油断してはいけませんが。逆風がバネになることもありますしね。

その意味でも「国会議員にメール送るでー!!」企画などはとても大事だと思います。97年も、
この問題に取り組んでいた議員(賛成であれ反対であれ)はともかく、多くの議員にとっては
採決が迫ってバタバタと判断を余儀なくされたというのが実情だと思いますし、関心があっても
事前に十分な判断材料を得る暇がなかった議員も少なくないでしょうから、「声」と材料を
多く届けることが必要だと思います。メールへの反応からいろいろと情報も得られるでしょうしね。

この1週間というのはちょっと難しいですが、私もメールを送ったりしていきたいと思っています。


フォーリン・プレス・センター 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 5日(月)15時28分52秒

というところが、私の「中央公論」論文を、英語でダイジェストして海外に発信してくれたようです。
以下のURLをご覧ください。

http://www.nttls.co.jp/fpc/e/shiryo/vfj/00/6_2.html#2-3-6


そろそろメールを送ります 投稿者:yukiko  投稿日: 2月 4日(日)02時18分58秒

「国会議員にメール送るでー!!」の準備がやっと整いましたので、送付先リストをご利用に
なりたい方は下のURLをご訪問下さい。すでにご連絡を頂いている方や質問を頂いた方には別途
お知らせのメールを差し上げます。
この1週間のうちに各自でメールを出したいと思います。(細かいことは別途連絡します)

メールを送りたいけど何をどう書いていいのか皆目見当がつかない、という方や、
意図がよくわからんけど関心がある、という方も、ぜひ質問のメールをください!
どんな内容のメールにすればいいか見当がつかないという方、簡単な送付文の一例を
下のURLにアップしますので、明日の夜ご訪問下さい。基本的には、送付文はご自分
で考えていただいた方がよいと思っています。

この企画は、そもそもは、わたしが個人的に議員にメールを出そうと思ってHPのURLや
メールアドレスを集め始めたことがきっかけなのですが、協働してくださった方のおかげで、
WEBにまでのっけることが出来ました(ありがとうございました)。

リストは、議員のHPのURL、メールアドレス、'97年の臓器移植法案の投票行動、脳死・
臓器移植の関係議員が分かるようになっています。この人にはメールを出してみたい、
とか、いや、出したくない、などある程度各自で判断できると思います。

メールの内容は勿論各自の自由ですが、わたしの場合は、脳死の最新情報やいろんな
人の対案を議員や政策秘書にみていただきたいので、それを書くつもりです。
一人でも多くの方が、臓器移植法改正(や政治)に関心があることを直接示しましょう。
WEBにのっけていますので、だれでも利用できますが、一応連絡はください。

自分もメールを出したい、という方、連絡をお待ちしています!!

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/4182/index.html


公明党厚生労働部会 投稿者:ちゃみ  投稿日: 2月 3日(土)15時42分57秒

の報告がありました。1月25日の部会で臓器移植法改正の要望を受けたという内容です。

これだけでは永田町で具体的にどのような動きになっているかまでは分かりませんが、ご参考までに。

http://www.komei.or.jp/kensaku_files/2001/01/26/011.htm


死の多元主義 投稿者:黒猫  投稿日: 2月 3日(土)13時37分52秒

「本人が何も意思表示していないときには、臓器摘出をしてはならない。さらに言えば、「臓器摘出」
について、まだ答えを出していなかったり、迷っていたり、見解を発表したくなかったりする「自由」を、
すべての個人は有しているはずである。本人が何も表明していなかった場合は、これらの可能性が
存在するということを謙虚に認めなくてはならない。われわれはみずからの死生観および
臓器摘出に関して意見表明を「強制」されない権利、すなわち「沈黙」を守る権利を有しているのである。」
素案の上記の部分を高く評価します。
本人の意思表示の自由(恣意性)に欠かせない条項だと思うからです。

気になるのは、「死の多元性」を主張しながらも、「脳不全」とか「心不全」という生理的機能の
停止状態に対して、脳「死」・心臓「死」という言葉をあてることです。この文言は、すでに
「ある状態」を「死」に方向づけられたものとして暗黙に(潜在的に)、「人の死」としての
「承認」を強要した用語法であるからです。

自然科学レベルでの機能停止においても、ある指標をもって生理的個体「死」と名指す視点には、
すでにその文化が共有している「死の概念」が無自覚に潜入していると思います。
またその範囲において、実質的には「死の多元主義」は限界づけれているわけでしょう。
つまり、その死の文化を共有する人々の間では、死の定義が明文化される前に経験的(直感的)に
「死」を知ってしまっているわけでしょう。

逆に言えば、「脳死状態」と言われるものは、その死の文化においての経験や直観からして
「人の死」でないことは、あきらかで、医療操作的に「脳死状態」が構築された事態です。それは、
不帰かもしれないが重篤な状態で、まだ「生きている状態」として感受されるものなのです。
臓器摘出の法的方便として「人の死」と見なされているだけです。

でも、どうして、「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」状態を死んでいること
>にできるのか。それができるなら、大脳の機能の不可逆的停止状態や大脳がない無脳
>症児を死んでいることにできないのはなぜか、という疑問が出てこないでしょうか。

そうゆう状態の線引きは、脳死判定の水準も含めて、根拠としては恣意的だということを示しています。
脳死も大脳死も無脳症児も、「生きている」と感受される程度においては、なだらかに連続している
事態だからです。
それ故に、脳死を「人の死」として承認するならば、大脳死も無脳症児も、その延長上において
「人の死」として、なだらかに承認を迫ってくるでしょうね。
このことはまた、「脳」障害者に対して差別的な応接(人権侵害)を赦す態度をもたらすように思います。
故に、脳「死」という強迫的な文言に反対します。

http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html


RE:滑り坂論 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 3日(土)08時15分20秒

ちょっと、想像してみました。

集中治療室の中で「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」状態になってもまだ
心臓が動いている人が、事前に、その状態を脳死すなわち自分の死とすることと、
移植のための臓器提供の意思表示をしており、家族も同意している場合は、その人に
死亡宣告して移植のために臓器を摘出してもよい。

これは、ある目的のために、ある状態の人を、死者とみなすことを、本人と家族の
同意のうえで、法的に認める、ということだと思います。

そうすると、介護の負担を軽くする目的で、本人と家族の事前の同意により、医師に
よって痴呆と診断され、徘徊の症状が現われたら、法的に死亡を宣告することにし、
その後、路上で車に轢かれても、事故の加害者は遺体損壊罪になるが、過失致死罪に
ならない、ということを法律で認める。

というようなことが、死の選択を認めた場合のすべり坂ではないかと…

これが違法性阻却論だと、徘徊する痴呆老人は生者としたままで、事故で死なせても
過失致死罪には問わない、ということになるかと思いますが…

老人から移植のために臓器を摘出したいと思う人は少ないと思いますが、介護の負担を
軽くするために、死者とみなすにしろ、違法性阻却をとるにしろ、安楽死させても
殺人罪にしない、という考え方に賛成する人は、いるかもしれません。


Whiteさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 1日(木)20時30分44秒

ご賛同ありがとうございます。いかなる理由であれ歓迎いたします(^^)。

賛同します 投稿者:White  投稿日: 2月 1日(木)19時17分34秒

賛同者名簿に是非乗せて戴きたいです。
今読ませてもらって瞬間、文章の格調が、高いというか、センスがとてもいいと思いました。
ミーハーなので、それだけで、賛同してしました。
詳細なところは、感覚としてほぼokという理解しかできてないけど、だったら
賛同してはいけないということもないですよね。

滑り坂論 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月 1日(木)13時22分32秒

>てるてるさん

たしかに、違法性阻却論も、脳死=人の死論も、ともに滑り坂論があてはまりますね。ただ、
違法性阻却論は「生きている人から臓器摘出してよい」という構成をとるので、より「滑りやすい」
とは言えると思いますが・・・。痴呆性老人を「死んでいる」とはなかなか言いにくいでしょうが、
「生きている痴呆性老人」から臓器摘出してもよい、なら言いやすいということです。


re:自分の死とみんなの死  投稿者:らら  投稿日: 2月 1日(木)10時30分43秒

選択の余地を残す、という一点において医療主導の死の定義に歯止めをかけることができる、
と言えるかもしれません。

自分の死とみんなの死 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 1日(木)09時18分21秒

現行の臓器移植法は、「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」を脳死そして自分の
死とする選択を認めている法律だと思います。

それに対して、町野案は、「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」状態に至った人を
すべて脳死そして死んでいるとする法案だと思います。ここには本人の選択の余地は
ありません。

どちらの立場も、脳死の人からの臓器摘出には、殺人の違法性阻却も責任阻却もない。
既に死んでいるから殺人そのものが成り立たない。

でも、どうして、「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」状態を死んでいることに
できるのか。それができるなら、大脳の機能の不可逆的停止状態や大脳がない無脳症児を
死んでいることにできないのはなぜか、という疑問が出てこないでしょうか。

脳死の人からの臓器移植を違法性阻却論に基づいて認めた場合、植物状態からの臓器移植も
殺人の違法性を阻却できることになるのではないか、という批判が出てきますが、
そういうすべり坂への批判は、脳死を自分の死として選択する法律に対しても、
その状態に至ったすべての人を死んでいるとする案に対しても、ありうると思います。


違法性阻却論という考え方 投稿者:てるてる  投稿日: 2月 1日(木)09時00分43秒

私は、今まで、違法性阻却論とは、散髪屋がお客の髪を切っても傷害罪にならないのと
同じようなもの、あるいは、歯医者が患者の虫歯を抜いても傷害罪にならないのと
同じなのだと思っていました。

しかし、1997年の、臓器の移植に関する委員会などの議事録などを読んでいると、
違法性阻却論では、移植のたびに告訴される可能性があるのではないかなどという
意見が、医師や、元法曹関係者から出ています。

それは散髪屋だって、お客の要望を無視して丸坊主にしたなどということがあれば
傷害罪になるでしょうし、歯医者も、患者の虫歯以外の歯を抜いたなどということが
あれば傷害罪になるでしょう。

でも、違法性阻却論に反対する議員のいうことは、そういうことではないようです。
いわゆる和田移植が国民に移植医療への不信を植え付けたと、言われますが、実は、
医師たちに、訴えられることへの恐怖を植え付けたのではないかと思えてきました。

ここで思い出すのは、オランダの安楽死に関する制度です。
これは、違法性阻却というよりも責任阻却だと思うのですが、昨年まで、家庭医が
受け持ちの患者の安楽死を幇助すれば、すべて嘱託殺人として書類送検されるが、
大部分は刑事責任を問われないという制度がありました。
しかし、医師たちがその書類送検も嫌ったため、昨年末に、一定の要件を満たせば
その書類送検もない、つまり書類上の刑事訴追も免除される法律が議決されました。
そのことに対する国民の反発はそれほどなく、それよりも、こどもにも安楽死を
認めるかどうかが問題になったと報道されています。

オランダは、安楽死を合法化したといわれていますが、これは、一定の要件を
満たした嘱託殺人を合法的な安楽死と規定し、その場合は殺人の違法性を阻却する
という法律を作ったということではないでしょうか。

違法性阻却論による脳死の人からの臓器移植を認める法律も、これと同じ理屈だと
思うのです。


死の立法化 投稿者:らら  投稿日: 2月 1日(木)01時35分59秒

>てるてるさん
>臓器提供にあたって、「脳死」を死とする案に対しては、それを死と思わない人に
>対してまで、考え方を押し付けるのか、という批判がある。

この点で3年前「法律で死が定義されていいのか?」という思いが議員さんの心うちにあった
ように思えるのです。彼らはそこにいわゆる「違和感」を感じたのではないでしょうか。

目の前に今まで慣れ親しんだことのない新概念が現れる。脳死。いや、概念というか事実。
「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」でありながら臓器が停止しない、という事実。
これは医療技術によってもたらされた。人工呼吸器。
と、同時に移植医療の技術によって、臓器の移植が可能になっていた。

法は当然考えを押しつけるものであるから、「死」がそういう領域のものでいいのか?と、
理屈ではないところから湧きあがる思いに動かされ、彼らは悩んだのではないでしょうか。

生殖医療がはじまったとき「へぇ〜、それでいいのか」と思いましたが、
私の場合、はっきり言って慣れました。そういうこともある、と今では八割がた思います。
生についてじっくり向き合っていない証拠です。自分の中であとの二割はなんなんだ?と。

生と死の領域について、一人称で考えることなしにはほんとうの解答はあり得ないと思う。
たまたま脳死・臓器移植のことで、こんなに考えているけれども他のことはどうなんだ?
と自分自身に問うてみると、ほんとうにどうしようもない、と反省します。(グチモード)

中谷先生が昔「人工呼吸器の倫理」について書かれた論文があると聞きました。
てるてるさんが97年の議事録を読んでおられるように、そういう周辺の勉強も必要だと
つくづく思います。


「脳死」という言葉 投稿者:てるてる  投稿日: 1月31日(水)22時38分03秒

このごろ、1997年の臓器移植法案をめぐる国会議員の会議録を読んでいるのですが、
金田案・中山案・猪熊案などをめぐって、脳死を法律で死とするのか生とするのかが
何度も繰り返し議論の的になっているなあ、とつくづく思います。

臓器提供にあたって、「脳死」を死とする案に対しては、それを死と思わない人に
対してまで、考え方を押し付けるのか、という批判がある。

臓器提供にあたって、「脳死」を死としない「違法性阻却論」によってたつ案に対しては、
殺人の違法性を阻却することができるのか、そんな法律では医師は殺人罪での告訴を
恐れて移植できない、和田移植の前例もあるし、という批判がある。

でも、「脳死」を臓器の移植にあたって、死とするかどうか、ではなくて、
「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止の状態で移植のために臓器を摘出しても
よいのか、だめなのか」
という議論にしたらどうなるかな、と思います。

「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」とはどんな状態か、これだけきいても
わからない。
わからないのが普通なのに、「脳死」という言葉を使うと、わかったようなつもりになってしまう。
そういう弊害があるのではないかな、と思います。

国会の会議録では、「脳死」は死であるということに社会的な合意があるとかないとか
いうことも何度も取り上げられています。
いっぺん、世論調査で、「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」を死んでいる
と思いますか、というような質問をしてみたら、どうなるだろう、と思います。
かなりの「はてな」マークが返ってくるかもしれません。

いま、ドナーカードを持っている人のなかで、「脳死」を知っている、という人でも、
そのなかのどれだけの人が、「脳幹を含めた全脳の機能の不可逆的停止」という言葉を
きいて、どんな状態か、思い浮かべることができるでしょうか。そもそも、それが
「脳死」であるかどうかわからない場合さえ、あるかもしれません。


中間報告です 投稿者:ちゃみ  投稿日: 1月31日(水)21時15分04秒

>森岡先生

となると議員連盟でまとめることになるのだろうと思い検索をかけてみたら、こんなのが見つかりました。
既にご存知の内容かもしれませんが、URLと該当部分の抜粋は以下の通りです。
「生命倫理研究議員連盟」というのは中山太郎議員が会長で、いわゆる「中山案」の母体ですよね。

議員連盟以外に考えられるパターンは自民党なり与党なりにプロジェクト・チームの類ができて
取りまとめるというものですが、問題の性質からすると議連が取りまとめの場になるのでしょうか。
そうなるとやはりこの議連ですかね。

臓器移植を巡る最近の動きについてあまりフォローしていないので思い付くままの中間報告ですが、
参考になりますでしょうか?

何か生情報が得られないか当たってみますが、しばらくはあまり動けないのでどれだけお役に立てるか…
(勉強不足で中身の議論にも貢献できないですし)。

ところで、こういったやり取りを見て笑っている厚生労働省や議連の関係者もいるのでしょうかねえ。

>(6)臓器移植法の見直し
>
> 臓器移植法見直しのあり方について検討してきた厚生省の「臓器移植の法的事項に関する研究
>班」は8月22日,?本人が臓器提供を拒絶する意思を示している場合を除いて,遺族の書面による
>承諾があれば臓器提供を行える,?未成年者についても親権者の承諾で提供ができるー とした
>改正案を含む報告書を提出した。 これを受けて,超党派の国会議員で構成する生命倫理研究議
>員連盟でも,11月から見直しについて検討を開始。今後見直し案をまとめ,来年の国会提出をめ
>ざす。 臓器移植法は今年10月で施行後3年の見直し時期を迎えた。現行法では認められていな
>い 15歳未満からの臓器提供が,今後の論議の最大の焦点となる。

http://www.jcoa.gr.jp/content/h12iryousonota.html


初心者の感想 投稿者:いずみ  投稿日: 1月31日(水)20時54分15秒

突然横から割り込んですみません。脳死・臓器移植に全く知識がない状態なので勉強のつもりで
拝見していました。
先日「脳死」という言葉の定義について論議がありましたがそれで初めて「脳死」=「人の死」ではないと
知った次第…恐らく多くの人にとってもそうだと思います。だから、前回臓器移植法案が成立し
手術例も幾つかあった、だから一般にはもうこの問題は決着がついているかのように捉えられているのでは?
「脳死」は英語「brain death」の翻訳なのでしょうが、「死」と「death」では随分ニュアンスも用法も
違いますよね?「brain death」のdeathは「このホールの音響はdeadだ」のdeadに近い物理的なもので、
生命や魂が「死んだ」といった意味ではないのですね?日本語の文脈の中では誤解を招きやすいですね…
それで…
>町野さんは、この言葉を嫌って、町野案で、そこを「脳死体」と置き換えて、「脳死=一律に人の死」
という意味内容に再定義したわけです。
…というのはそもそも定義の立て方自体が誤っているのでは?科学的/医学的にも。…と、一素人は
感じました。
翻訳された言葉・概念の場合、その原語がどのようなものであったかを把握して置かないといま自分が
用いている言語に引き摺られてしまう。その結果、現実自体が変わってしまう事も…?怖いです。

ちゃみさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 1月31日(水)19時12分42秒

なるほど、厚生労働省からは今国会には出る気配はいまのところなさそう、ということですね。
おそらく、改正案は議員立法だと思われます。議員立法について、その予定を調べるには
どうすればいいのかご存じですか?

法案提出予定について 投稿者:ちゃみ  投稿日: 1月31日(水)17時54分04秒

初登場から間をおかず再登場です(^^;
さて、もっと早く気付けばよかったのですが、ちょっと調べてみました。

今国会の厚生労働省の提出予定法案は今のところ11本ですが、この中に「臓器移植法改正」は
入っていないそうです。
ということは、政府から出てくる可能性は低いということになります。
もちろんこれで確定ということではないですし、議員立法はまた別ですが。

なお、厚生労働省関係は積み残しを含め与野党対決法案が多いそうなので、国会対策を考えると
今国会では「臓器移植法」までできないというのが一つの読みですね。ただ、どこからどういう動きが起こるか
分かりませんし、「次」を目指して着々とということかもしれませんから、関係各方面の動きをつぶさに監視する
必要はあると思います。


住所について 投稿者:森岡正博  投稿日: 1月31日(水)12時20分16秒

>ちゃみさん

そうですね。賛同者のみなさん、けっこう「住所」というところでつまづいているみたいです。

東京都中央区1丁目

までで止めててもよいということにしましょうか。
みなさん、いかがお考えですか?


遺体観 投稿者:ゆう  投稿日: 1月31日(水)12時00分51秒

この被害者の親の遺体観はキリスト教的か?

イギリス 投稿者:ゆう  投稿日: 1月31日(水)11時56分55秒

イギリスから、おぞましいニュースが。死亡した乳幼児らの臓器を病院が無断で摘出していたらしい。それも
2000人とかTVで言ってる。目的も分からない。被害に遭った子の親は、「抜け殻を埋葬していたなんて・・・」
と泣き崩れていた。

署名の住所について 投稿者:ちゃみ  投稿日: 1月31日(水)10時12分29秒

請願ではないですし、それなりに広い範囲にコピーが渡されるものだと思いますので、記載するのは
氏名と所属/肩書だけでいいのではないでしょうか。

ただ、無職(私もですが)・フリーといった人や特定の所属/肩書を書きにくいという人もいるでしょうし、
かと言って名前だけの人が多く並ぶのは信用されにくいということがあるでしょうから、
「〜県〜市」のように市町村名までの住所を記載するのも一案だと思います。併用でもいいかもしれませんね。

そう言えば、賛同者がそれなりに集まるのであれば、議員連盟・部会・委員会等の対策を兼ねて、
請願の形にして議員を回るのも手ですね。
ただ、その場合は時間を割ける人が何人も必要なので大変ですが。
あ、自署じゃないとならないのでメールで集めることはできませんね。
森岡先生のおっしゃることと重なりますが、「IT革命」とか言いながら、こういう仕組みはIT排除なんですよね。

なお、現時点で詳しくは申せませんが、提出先関係で仕事をしていたことのある者です。


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第140回 参議院 臓器の移植に関する特別委員会 06号 1997/06/11
発言者: 南野知恵子、佐藤道夫

第140回 参議院臓器の移植に関する特別委員会公聴会 01号 1997/06/13
発言者: 公述人、ぬで島次郎

第140回 参議院 臓器の移植に関する特別委員会 07号 1997/06/16