RE:無題 投稿者:てるてる 投稿日: 8月 1日(火)18時54分41秒
>てるてるさんって、この方の曲がお好きなんですねぇ〜、そっかぁ。
そうなんですよー。小柳ゆき、だいすきー!! m(_ _)m>少し前に読みました(じっくりではありませんが)。生きること、死ぬこと、権利。
>うまく語れないですが、yukikoさんの感想が聞きたかったけど今、PC修理中ですって。
私もyukikoさんの感想が聞きたいです。
解説をあの「人体部品ビジネス」の粟屋剛が書いています。原著では脳死には触れている
けれど、臓器提供には触れていない。
粟屋氏は、臓器移植では死にゆく人の権利が侵害されやすくなるが、脳死を死ととらえる
かどうかでもまた変わってくる、と書いていました。
無題 投稿者:f( . . 投稿日: 8月 1日(火)08時28分33秒
>小柳ゆきの新曲を聴きました。!!(^-^)!!
てるてるさんって、この方の曲がお好きなんですねぇ〜、そっかぁ。
>「死にゆく人の17の権利」
「資料紹介」のページ更新 投稿者:てるてる 投稿日: 7月31日(月)23時55分34秒
「脳死と臓器移植 第三版」(町野 朔・秋葉 悦子編)
「臓器交換社会」(フォックス,レネイ・C.・スウェイジー,ジュディス・P.著)
「死にゆく人の17の権利」(ケスラー,デヴィッド著)
「岩波ブックレット No.497 検証脳死・臓器移植―透明な医療をどう確保するか」
を追加しました。「死にゆく人の17の権利」は、yukikoさんのソーシャルワーカー論で書かれている
脳死の人を看取る人のためのケアにも深い関わりがあると思います。
「優生学と人間社会」 投稿者:てるてる 投稿日: 7月31日(月)21時00分37秒
「日記」でとりあげられていましたが、きょう、ちょうど、読み終えました。
北欧などで、第二次世界大戦前も後も福祉政策と一緒に優生政策がとられてきたということ、
差別的な動機ではなく、むしろ、善意で行なわれていたということで、読んでいて深刻な
気持ちになりました。USAでは、移民政策とも結びついていたとのことですが、公共図書館の建設が移民教育を
目的としていたのを思い出しました。良きアメリカ市民に教育することが求められていたのです。
一方で、アングロサクソンの優位を脅かすような移民を減らそうとしていたのだなあ…。日本の優生政策のなかで、先天的心臓疾患がとりあげられているのを読んだとき、
乳幼児の心臓移植について、慎重な態度がとりにくくなるような気がしました。
四国に住んでいない者 投稿者:てるてる 投稿日: 7月30日(日)22時58分46秒
>Mステーションを見たかったのに我慢して、森岡さんをみてしまった。
私はMステーションを見て、小柳ゆきの新曲を聴きました。!!(^-^)!!……m(_ _)m
NHK 投稿者:森岡正博 投稿日: 7月29日(土)00時55分02秒
>Whiteさんご覧になったのですね。いやー、あの疋田医師、なかなかでしょう。あの番組の見どころは、
なんといっても、彼の人物像ですね。ほんと、おもしろいというか、ユニークというか。
実際に、お会いしたら、もっと迫力でしたよ。たぶん、私より若い、都会に住む人が見たら、老人たちのすがたに衝撃を受けるかもしれませんね。
田舎の経験と、都会の経験は、もうずいぶんちがうことになっていると思うし。どうかな?
あのぅ 投稿者:White 投稿日: 7月28日(金)22時56分14秒
こちらに、書き込みしている方で、四国在住を名乗っているひとを、わたしは知らないので、
あつかましくも登場させていただきます。
わたしは四国松山在住です。Mステーションを見たかったのに我慢して、森岡さんをみて
しまった。なんか、おでこのおおきいところと歩き方が、わたしの3歳年上のいとこ
(子供のときよく遊んでもらった)に似ていたので、他人とはおもえなくなってしまった。(笑)内容は、わたしの祖父、祖母の死に方とおなじだったので、そんなに感動するほどでも
なかった。一昔前のいなか医者はみんな、そんな感じだった。数年前に近所でわたしが
子供のときから世話になった医者が83歳迄診療していて亡くなった。私(50歳)は、
あてにならないといいながら、その医者を最後まで主治医にしていた。
もちろん、もっと近くに近代的なクリニックはいくつも有るのですよ。わたしは、元来医療なんてそんなものだとおもっているので、80歳の医者がふるえながら
注射をしている映像なんかに、ほほえんでしまう。医療ミスうんぬんの世界とは、別ものですね。このテレビをみて、感じたことは、これからの高齢化社会を乗りきる方法は、この80歳の
医者のように、医療のみならず、出来る限り老人が老人の面倒をみるシステムを
採用すべきだとおもった。
一律に、老人から高度医療の恩恵を取り去るのは、フェアでないと思う。私の父親なぞは、
80歳近くになって白内障の手術などを老人保険を使ってただ同然にやってもらっている。
わたし的には、そこまでしなくても見えない訳ではないので、がまんしろよ、と言いたい。
でも最新の医療技術で簡単に、視力が回復するなんて情報を入手すると、何歳になっても
その恩恵に浴したいと考える人はいるだろう。
だから、無料の老人保険については、高度医療機械や、情報は平等に与えるが、その医療を
実施する医者が、老人でなければならない。とかいうのはどうだろうか。わたしは、差別とか考えて意見を言っているのではありません。私たちの世代が働けなく
なった時、若い人たちの負担が大きくなり過ぎる事が、見え見えの30年後をただただ
心配しています。高度医療よりも、自分に理解できる治療を望むひとが、少しでも増えてくれたらいいなー。
しかし老人は結構ミーハーなので最新医療を追っかけるようです。P.S.
不鮮明ながらビデオ録画しています。ご希望の方メールください。
森岡さん絶句の部分はみものですよ。
NHK 投稿者:森岡正博 投稿日: 7月28日(金)01時52分40秒
本日(金曜日)、夜8:00からNHK総合テレビ四国限定で、「四国スペシャル:満足死
(仮題)」が放映されます。昨日、最後のナレーション入れをしてきました。
番組に出てくる疋田(カリスマ)医師の姿と、老人たちの笑顔が、迫力です。とくに、
疋田さんの早朝ジョギング姿は絶句ですよ。
四国地方のみなさんよかったらご覧ください。私も出ていますが・・・なんかおじさんに
なっちゃったな。あはは。
「論座」 投稿者:森岡正博 投稿日: 7月28日(金)01時48分27秒
「毎日新聞」に出ていたのですね。見逃してしまいました。どこかで手に入らないかな。
自己決定 投稿者:翠 投稿日: 7月27日(木)23時57分36秒
「自己決定」という言葉に無理がありますよね。
町野さんが自分で死後の臓器提供へと「自己決定」されるのは勝手だけど、
なんで私の死後を町野さんに「自己決定」されなきゃならないのだ??…と思ってしまいます。>f( . . さん
掲載、そちらでは(どちら?)まだでしたか?
地域によって違うのですね。
大阪ではたいがい月末近くの夕刊に載るのです。お楽しみに(^^)。
Re:ことばのすれ違い 投稿者:モイナ 投稿日: 7月27日(木)13時45分29秒
>「自己決定」のことばの理解や使い方もまた難しい。「自己決定」と言う言葉を安易に拡張解釈しすぎる傾向があるのでは?
町野氏は要するに、“ドナーを拒否”する場合のみに「自己決定」すべきであって、
“ドナーになる”のは、“極めて自然な行為”なのだから「自己決定」する必要はないと
言っているんですよね。つまり町野氏は「自己決定」に複数の意味を持たせてその都度、使い分けているんですよね。
だから、余計に判りにくくなってしまんだと思います。
ことばのすれ違い 投稿者:f( . . 投稿日: 7月27日(木)12時45分31秒
共通理解のことばって、あるのか、ないのか。
おはよう、だったらほぼ日本の万人に通づるのになと思う。「自己決定」のことばの理解や使い方もまた難しい。
たぶん、モイナさんのおっしゃるのと上田さん、町野さんの
おっしゃるのとは違っていると思うんだよね。
Re:論座対談 投稿者:モイナ 投稿日: 7月27日(木)10時40分05秒
人間が生まれながらにして“ドナー”になることが決定されているのなら
それは自己決定とは言えないではないか。現実には、“ドナー”になるより“レシピエント”になる可能性がはるか
に高いのであるから、「人間は、“臓器提供を受ける”ことへ、自己決定
している存在である」と、まず言うべきである。
翠 さんへ 投稿者:f( . . 投稿日: 7月27日(木)09時01分51秒
夕刊が読めないのですが、近いうちにこちらの朝刊の文化のところにのるのかな、と期待。自己決定している存在・・・・・生まれながらの初期設定
専門用語として「自己決定」「存在」「初期設定」というには、私にはわからない意味合いがあるのだとは思います。言葉として捉えていくと不思議な違和感を持ったとしても、かみく
だいたことばにしていってもらうと、根っこは似ていたりする。
だから何が言いたいの?と問われると困るんですが。「受け入れがたい」のことばにたい
する私の感想です、としかいえないのが寂しい、はい。
論座対談 投稿者:翠 投稿日: 7月26日(水)23時07分41秒
毎日新聞を読まれる方はご存知だと思いますが、
本日の夕刊「雑誌を読む」で、森岡さん×町野さんの対談(論座8月号)が、上田紀行さんの
オススメの1位、香山リカさんのオススメの3位に挙げられてました。ちなみに上田さんは、
町野さんの「人間は死後の臓器提供へと自己決定している存在である」という例の言葉に
対して、臓器提供がオプションでなく、生まれながらの初期設定であるとは受け入れがたい、
と書かれています。
yukikoさんへ 投稿者:f( . . 投稿日: 7月25日(火)10時48分30秒
>人間は努力していい評価を得るように努力すべきである、という趣旨ではないのです
ええ、そうですよね。評価を得るための努力はここの場合適切ではないと思うし。こうして驚いて、いったい世の中どうなってんの?と思ったときも、世の中、結構うまく進
んでいっていることが、てるてるさんの院内移植コーディネータの紹介記事でもわかります。
だから、なんで私が心配するの?って馬鹿だなあって思う年齢なのでしょうか(こうして逃
げることもするしね)。社会はいろんな立場の人が、その役割を最善に向けて果たしていこ
うと努力されていることもわかっているつもりなのです。町野さんも森岡さんも臓器の移植を反対しておられるのではない。発展?した社会にあっ
ては必要であるということなんだと思います。それを進める上では、町野さんは段階を踏ん
で社会の状況や反応に合わせていこうとなさり、というか、反応を待ってやっていくという
方法、森岡さんは安易に事を進めていくと、社会の倫理観は揺らぐばかりなので、この社会
にあっては人々に可能な限りの情報を提示し、個々人でも判断していこうではないか・・・
と働きかけをやっていく方法。この違いなのですよね、うん、何度もおっしゃっていたんだ。そんな社会に生きているのはわかるけれど、どうして臓器を移植するの?という問いはわす
れてはいけないのだと違うところで私はこだわっているのに、それを忘れて混乱してたと
わかりました。
いやはやf(*o*;)m(^^;;; 私の場合は発展性の無いこだわりなんですよね、いつも。yukikoさんはじめ、掲示板の方々は「どうしようか」「あれはどうなってる?」「これは?」、
じゃあ、「私はこうしたほうがいいと思うよ」といつも進んでいるのだから凄いよ。
f( . . さん 投稿者:yukiko 投稿日: 7月25日(火)02時10分07秒
考え方、おかしいですか? 投稿者:f(.. 投稿日: 7月24日(月)23時02分47秒 」の、>そんな中、看取りはこういうふうにしなければという答えはないのだから、そこに第3者
>が居てくれたことでその方に感謝している人ばかりであるとしたら、それは、非常に恵まれ
>た環境にあっての臓器の移植を施行されているとしか思えないのです。これは、おっしゃるとおりですね。家族の申し出があっての援助だとおもいます。
>きっと、どんな場面でも最善をつくしていくのが人間なのだよ、って言われるような気が
>するのです。えっと、「最善」つづきで、ひょっとしてわたしの論の感想を述べていらっしゃるのかな、とおもい、レスを書かせていただきます。
わたしは、論のなかで
>その結果として、家族が下した決断を、各援助者は最善とするべきである。
と書いています。これは、人間は努力していい評価を得るように努力すべきである、という趣旨ではないのです。
そんなことをしていたら、疲れてしまいます…むしろ、その逆を言ったつもりです。
てるてるさん 投稿者:yukiko 投稿日: 7月25日(火)00時41分29秒
「院内移植コーディネーター 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)10時45分07秒」の、ご紹介のページを見てみました。院内移植コーディネ―ターは、移植の構造にすっぽり入っているようですが、面白いと
おもいました。まさしく医療職が協働してますね。やっぱ各病院の判断でやれるんだ。
この方々は移植ネットワークのコーディネ―ターと同様、ドナー・コーディネ―ターの
ようですね。第3者という立場を重視すれば、「東大病院の例 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)21時42分08秒」の
>東大病院では、独自の脳死判定マニュアルを設定し、脳死判定には
>医師だけでなく、法律の専門家が必ず立ち会うことに決めている。
>さらに、ドナーの家族の精神面を支えるため、臨床的脳死判断から
>臓器提供に至るまで院内の精神科医が対応に当たることに決めた。こちらの方が適切であるとおもいました。
これも病院の判断ですね。精神科医が危機介入してサポートしているのですね。
てるてるさん、貴重な情報をたくさんありがとうございました。これって、先にあげた317施設の家族のサポート状況について調査したらおもしろいぞ…。
(あ、でも、今はいやだわ…夏バテでだるいんだもん…超たくさんあるし)
考え方、おかしいですか? 投稿者:f(.. 投稿日: 7月24日(月)23時02分47秒
家族の死に直面したとき、第3者の存在は非常にむつかしい立場になりやすいと思います。
信頼は簡単に生まれませんし、気の合う第3者に出会えるともかぎらない。むしろ、第3者に失礼のないようにという気遣いをおこさせることが大いにあると思われます。昔気質の日本人ならなおさら。
気丈に見えても、とんでもない。遺族は、ほっとする気持ちと信じられないほどの悲しみという相反する思いが交互にあらわれてくるもの。
そんな中、看取りはこういうふうにしなければという答えはないのだから、そこに第3者が居てくれたことでその方に感謝している人ばかりであるとしたら、それは、非常に恵まれた環境にあっての臓器の移植を施行されているとしか思えないのです。
どうしてなのでしょう、初めからの疑問が消えないのです。
人間は、人間が死んだら人間の臓器を人間に提供するかしないかを考えなければいけないのでしょうか。発展してきた社会で生きていく人間であるからには、臓器提供の意志の有無を判断できるようにならなければならないのでしょうか。
なぜ、臓器を提供することが善意になるのか、提供しないことも善意なのか。
人間はどこまで人間を分解したら気が済むのか。これもプログラムされているから、逆らうことのできないプロセスなのでしょうか。
生きていくってお祭りですか。夏祭りのあとの静けさが気になるいま。
きっと、どんな場面でも最善をつくしていくのが人間なのだよ、って言われるような気がするのです。いのちを助ける最善の方法に、今は臓器の移植にも光がある時代であることを知らないといけないよ、と。だから、それが倫理的な判断で実行できるように考えていくのが人間なんだよ、って。
ここで、どうしてなの?という私がおかしいのでしょうか。m(T<>T)m
ヴァーモント州のシビルユニオン法 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)22時24分57秒
配偶者の権利に、脳死のときの臓器提供への同意または不同意の意思表示も…
竹内基準 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)22時16分24秒
厚生省の研究班の1985年の脳死の判定基準の報告、いわゆる竹内基準に、「脳死の概念」の
説明があります。それには、脳死と紛らわしい用語として、「大脳死」「皮質死」
「不可逆性昏睡」「植物状態」などが挙がっています。
「不可逆性昏睡」はハーバード基準で用いられて有名になったが、回復不能の昏睡状態でも
脳幹機能が保たれている場合があるので、不適切であるとしています。森岡さんが、法的脳死判定、つまり、竹内基準での脳死判定を受けない場合は、「不可逆的
深昏睡」という用語を使うべき、とされるのは、上記の脳死の概念をふまえて、法的な
「脳死」とは別のもの、ということを強調する意味もあるのでしょうか…
トリオ・ジャパンのカウンセリング活動 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)22時03分37秒
インターネットで心の相談室を開いたり、「ファミリーコーディネーター」の活動をしたり、と、ドナー側・レシピエント側のための精神的ケアを重視しています。
ソーシャルワーカーが看取りの医療に従事するとしたら、移植の場合、このような活動をド
ナーの家族に紹介するとか、連携していくことも必要かと思います。それゆえ、
「Re;立場 投稿者:yukiko 投稿日: 7月20日(木)17時23分57秒」
で、yukikoさんが書かれたように、 MSWと移植コーデイネ―ターは、二項対立におちいら
ないように、協働するようにしたほうがいいのだろうと思います。ただ、それならばなおさら、ドナーの生前の意思表明は必須だと思います。
ドナーカードによる意思表示がないのに、脳死状態の人の家族に、臓器提供の意思があるか
どうか質問することなどは不可能だと思います。
ドナー本人の意思確認 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)21時48分20秒
同じく岩波ブックレットNo.497「検証 脳死・臓器移植」によると、
USAで心臓移植医として働いた経験のある川合明彦・東京女子医大講師は、家族の同意だけで臓器を提供した場合、提供後、ドナーの家族が、
「自分たちは正しいことをしたのか」「本人は臓器提供を望んで
いたのだろうか」「本当にこれで良かったのか」と悩む事例が多い。
日本で臓器移植法の見直しをするとすれば、「本人意思より家族の
同意」ではなく、むしろ、「本人の意思優先」ではないか。と指摘しているとのことです。
東大病院の例 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)21時42分08秒
岩波ブックレットNo.497「検証 脳死・臓器移植」のp.50によると、東大病院では、独自の脳死判定マニュアルを設定し、脳死判定には
医師だけでなく、法律の専門家が必ず立ち会うことに決めている。
さらに、ドナーの家族の精神面を支えるため、臨床的脳死判断から
臓器提供に至るまで院内の精神科医が対応に当たることに決めた。とのことです。
RE:現状と論座から 投稿者:f(.. 投稿日: 7月24日(月)21時20分22秒
そこまで具体的に動いているとは知りませんでした。誰かもおっしゃってたけど、人間はそんなに馬鹿じゃないってことだよね。バランスってことの意味も分かってきたよう気持ちです。
論座も何度も読み返すうちに、町野さんの気持ち、初めは過激に思える部分があったけれど、人間は、理屈抜きに素直に相手のことを思うことができるとき、自分を犠牲にできる気持ちを高めることができるのかもしれない、ということがありうると思いました。そういう精神性?を秘めている人間ともいえるのではないか、ということかもしれないと。
私の記憶違いでしょうか。
森岡さんは、ドナーカードによる、とは書いたけれど、ドナーカードにこだわっているわけではなく、あくまでも子どもに意志表示の道を与えたほうがいいのではないか、ということだったと思います。
でも、文字に「ドナーカードによる意志表示を」というのがあることで、必ずドナーカードによって子どもに意志表示をさせなさい、というふうにも私は受け取るようになりました。
しかし、意志表示はドナーカードでなくてもよいということもおっしゃっているから・・・
私は?????。
また、意志表示の前提には臓器移植について正しい知識を知ることが条件になるとしたら、
知らなかったほうが幸せだったのに、という嘆きを生んだときの責任はどうなるのか。
ごめんなさい、わけの分からないことを書いているかもしれません。
8月の論文を読む前に、一度、今の気持ちを書いてみようと思いました。
現状 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)10時48分57秒
昨年、実施された臓器移植で、仕事をされた移植コーディネーターは、
Medical Assistantとしての働きに中心を置いているようです。
院内移植コーディネーター 投稿者:てるてる 投稿日: 7月24日(月)10時45分07秒
静岡県では、病院勤務の、移植コーディネーターがおり、看護婦、ソーシャルワーカー、
ケースワーカー等の人々が勤めているようです。http://www.hama-med.ac.jp/w3/jinbank/cord.html#L2
看取りの時間 投稿者:てるてる 投稿日: 7月23日(日)23時30分47秒
「脳死」状態になった人を看取る家族のためのソーシャルワーカーの仕事の一つは、
看取りの時間の確保だったと思います。
ドナーカードを持っている人の看取りにも、時間をかける。
それが、家族が気持ちを落ち着けるための時間にもなる。
急がず、ゆっくりすればよい。ただ、家族が、臓器提供に反対するとき、必ずしも、ドナー本人への愛情から、
反対するとは限らないでしょうし、ドナー本人を理解していないときもあると思います。
同じ事は、家族が、臓器提供に同意する場合にも言えるのですが。それで、おとなの場合は、看取りの時間をとりながら、本人の意思を優先することに
しておいていいと思います。
時間がかかりすぎて、移植できないほど臓器がいたむかもしれない。
そのときには、臓器の一部の組織の提供でもいいと思います。
青野透さんのサイトにそのような意見が載っています。
そういうことは、これからは、ドナーカードの配布に際しても、説明が必要だと思います。問題は、こどもの臓器提供だと思います。
もし、虐待があったなら、臓器提供はやめるべきだと思います。「臓器交換社会」を読むと、USAでは、虐待で殺されたこどもの臓器を摘出して
移植しているようですが。こどもを虐待した親の場合、「脳死」状態になったこどもの看取りができるのでしょうか。
「凍りついた瞳」などを読んでいると、事ここに到っては、無理であるように思えます。虐待ではなくて、愛情のある親子関係で、しかも、移植法が改正されて、
こどもの臓器提供の決定権が親に与えられたとしたら。
「危機」の状態にある親に、そのような判断ができるでしょうか。
無論、ソーシャルワーカーがサポートするのだけれども、こどもの生前の意思表示がなければ、
移植の話を切り出すのは、実際上、無理だと思うし、すべきではないと思います。やっぱり、「トリオ・ジャパン」の要望書や町野案の提案は無理です。
いくら外国ではこどもの生前の同意を必要としないことになっている、といっても。