森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2000年07月12日〜07月21日

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自己決定2 投稿者:yukiko  投稿日: 7月21日(金)20時02分01秒

自己決定ですけど。

わたし自身は、生育歴が影響して、本人の善意を生かしてほしい、と頑固におもうけれど、
それって、相当な優等生を家族に要求しているのだ、という自覚をもたねばならないと
おもってます。危機に際しての気丈さを、このわたし自身は自分の家族に求めている。

臓器移植には、本質的に、だれかが犠牲になる、という制度的欠陥があるとおもいます。
その制度的欠陥は制度自身のもつ不備であり、だれかに押し付けて解決することにならない
ように、家族のサポートが包含されて、はじめてシステムとして認知できる、とおもいます。


おおー 投稿者:てるてる  投稿日: 7月21日(金)19時29分22秒

>yukikoさま
くわしいレスをありがとうございます。

>ようするに、死の援助というシステムを作ってはどうか、ということですから。
そうですね。
私も、
「『凍りついた瞳』 投稿者:てるてる  投稿日: 7月21日(金)19時07分46秒 」
の投稿で、
>特に、こどもの臓器移植をほんとうにすすめるのならば、絶対に必
>要だと思います。
と書いた後で、別に臓器移植をしなくても、「脳死」のこどものために
必要だと思い直して、戻ってきてみたのです。


クライアントの能動性 投稿者:yukiko  投稿日: 7月21日(金)19時26分59秒

>Le pissenlitさん

家族の能動性を問うのは、利用者自身が援助を求めていないと、援助関係が続かないし、
援助者との信頼関係を築けないからです。
佐賀のバスジャックの事件の犯人の男の子が、精神病院に無理やり入れられたことを、
すごく恨んでいた、と報道されてますが、そういうことになります。
あの場合は、危機介入なので、しょうがなかったとおもいますけど。

親切な(?)親戚から紹介されて援助の場にきたり、ワーカーが情報提供以上にしつこく
援助を申し出たりしても、同じことが起きるとおもいます。
なにもいわずにこなくなったり。突然もうやめる、って話になったり。
信頼できない人や、場で、本音を言うことはできませんからね…


きゃーん(--;) 投稿者:yukiko  投稿日: 7月21日(金)19時12分50秒

また誰の投稿へのレスなのか書くのをわすれてました。
てるてるさんのご投稿「自己決定」へのレスになっています…

(無題) 投稿者:yukiko  投稿日: 7月21日(金)19時09分23秒

>病院のなかで、医師や看護婦と対等に仕事をするためには、むしろ医療職と
>して認知された方がよい、という考え方もあるのではないでしょうか。

MSWの専門性は、なかなか不明確で、業務について、まだ統一した見解には
いたっていないようです。社会福祉を基礎にするのか、医学を基礎にするのか。

諸外国では、社会福祉を基礎としてみるほうが一般的で、MSWをソーシャルワーカー
としてとらえ、特別な専門職として、区分はしていません。
日本では、厚生省内部の担当部局問題、職能団体内部の事情もからんで、社会福祉士法
の対象から除外されました。そこから、独自な専門職として別個に制度化せざるをえない
という特殊な事情を抱えることになってしまった。

そうした事情から、現在では、社会福祉士とは別建ての資格法制化が検討されています。
精神保健福祉士(PSW)もそうでしたが、これは近年制度化が行われました。
PSWは、まとまりやすいのです。業務が精神医療の分野に絞られており、標準化され
やすい。

ところがMSWの場合は、狭い意味での医療行為では対処しきれない問題が生じてきた
からニーズがあるのであって、直接、治療にかかわらない活動も多いのです。
現実には、医療補助的仕事を中心に業務を構成している人もいれば、治療以外の部分に
力を注いでいる人もいて、いろんな立場があるとおもいますけど…

たとえば、夫が死の宣告を受けたときの妻へのケースワークとか、緊急入院した重度妊娠
中毒症の妻が、なぜか、母子手帳をもっておらず、住所不定であった場合の援助とか。
外国人母子の子どもが、再生不良性貧血で瀕死の状態で入院したが、違法入国者であった、
とか。退院後の家がない身寄りのない高齢者の退院援助とか。

こういう人たちは、治療を受けたからといって、それで生活ができるわけではないのです。
治療をして、退院しても、再入院したり、生活が破綻する可能性もある。
そこまでかかわろう、というのが、治療以外の全人間的なかかわり、ということです。

ところで、そういう援助技術があれば、MSWではなくても、いろんな職種が看取りと
グリーフワークに参加していいことは勿論だとおもいます。アドボカシ―は、微妙なので
よくわかりませんが。業務内容がゆるすならほかの援助職も参加していいんじゃないかと
おもいます。

ようするに、死の援助というシステムを作ってはどうか、ということですから。


「凍りついた瞳」 投稿者:てるてる  投稿日: 7月21日(金)19時07分46秒

椎名篤子原作・ささやななえの漫画「凍りついた瞳」(集英社)を読んでいたら、ケースワーカーが出てきました。入院したこどもへの虐待に気づいた医師が、母親との面接にケースワーカーを同席させたり、ケースワーカーが親のカウンセリングをしたりしています。

漫画で見た限り、ケースワーカーというのは、「医療職」でなくても、臨床心理や社会福祉の分野での仕事をする人として、病院のなかで、医師や看護婦と対等に、重要な仕事ができるようでした。
ただし、それは、医師が、ケースワーカーの必要性を認識しているかどうかにかかっているようでもあります。

こどもの虐待では、多くの職種の人がチームを組んで一つの家庭に関わらなければならないので、ケースワーカーの重要性も認識されやすいのかもしれません。
移植医療も、移植医・救急医・看護婦・移植コーディネーターとおおぜいの人がチームでかかわりますが、人の生死と心の問題と両方に関わるので、医療ソーシャルワーカーの必要性もほんとうは認識されやすいはずだと思うのですが。

特に、こどもの臓器移植をほんとうにすすめるのならば、絶対に必要だと思います。
「凍りついた瞳」でも、最初に、ケースワーカーが登場する作品は、「頭蓋骨骨折・脳挫傷・急性硬膜下出血」で脳外科医の手術を受け、集中治療室に入れられた、生後50日の赤ちゃんでした。


MSWの役割 投稿者:Le pissenlit  投稿日: 7月21日(金)14時42分11秒

yukikoさん
*「脳死の人」の看取りと家族の援助について
ゆっくり読ませて頂きました。お読みしながらMSWの役割の日本的変容について
考えさせられました。
てるてるさんも質問していらしゃる医療法上の資格になったらドクターから
独立しにくい件とか伺いながら。もう少し現状をお知らせください。
yukikoさんは、脳死の人の看取りで、家族が求めるかぎりを前提にしていますね。
MSWが機能するということは利用者の意識によりますね。今後この意識の仕方が
どこに向かっていくか興味があります。パイオニア?

自己決定 投稿者:てるてる  投稿日: 7月21日(金)04時22分05秒

必要な知識と考える時間があってこその自己決定なのです。
そして、その人が自分なりの人生経験と知識と良識に基づいた、精神的営為としての臓器提供の意思決定ならば、家族が反対しても、本来、優先されるべきなのです。あるいは、たとえ、他人が見たら、感心できない目的だとしても、それは本人の内面の自由というものです。
私は原則として本人の意思を守りたいと思っています。

ただ、もし、医師が、家族の反対をみて、臓器摘出を取りやめたら、その場合は処罰の対象にならない、しかし、本人が同意していないのに臓器を摘出したら刑罰の対象になる、と考えています。

登録しておけば家族が反対しても臓器を提供できる、とすれば、家族の反対を絶対受け付けないために、提供意思を登録しておきたい、という人もいるかもしれない。それは家族にとっては苦しみかもしれないが、本人がそこまでするのなら、家族はその苦しみにたえてほしいです。

「看取りの医療」が看取られる人の気持ちを第一に考える、ということで、看取る人々の気持ちをまとめる、ということはないのでしょうか。看取る人々の気持ちを受け入れることから始まるのでしょうが、いろいろな気持ちをまとめていく方向として、本人の意思尊重が結節点のようなものにならないでしょうか。

ところで、
>MSWが医療法上の資格になったら、ドクターから独立するのは難しくなる
>し、より医療的視点に偏っていく
とは?
ドクターの判断を優先するようになる、ということでしょうか。

病院のなかで、医師や看護婦と対等に仕事をするためには、むしろ医療職として認知された方がよい、という考え方もあるのではないでしょうか。
もっとも、私は何も知らずに推測で申しておりますので、よりくわしく教えていただけたら幸いです。

移植コーディネーターが医療職の経験者がなることが求められているのに対して、医療ソーシャルワーカーが、医療職の経験や知識がなくてもよいとされたら、移植コーディネーターと対等の地位を保てるのでしょうか…

臨床心理士も、国家資格になっていませんよね。
日本では、カウンセラーの地位は、欧米諸国に比べて、確立していないのではないでしょうか。ソーシャルワーカーもまた。


下の投稿は 投稿者:yukiko(^^)  投稿日: 7月21日(金) 0時40分59秒

てるてるさんの「看取りの医療」に対するレスになっています。

やはり自己決定 投稿者:yukiko  投稿日: 7月21日(金) 0時38分04秒

>ほんとうは、保証人などつけなくても、本人が生前に臓器提供の意思表示を
>していたら、絶対にその意思が生かされる、家族の反対は死者の人格権の侵
>害とされる、というのであれば、いいのだと思います。
>でも、そこまでしている国はどこにもないし、むやみと苦しむ人をふやすの
>もよくないし。

わたしもそう思います。森岡さんは、現行法はもっとも進んでいるとおっしゃった。
でも、町野さんのシンポジウムのテープおこしを読んで、自己決定について、共感する部分
があります。

>ここには自己決定権を意見の一致のための道具として、関係者の合意を獲得するための手段

>する考え方が示されています。唄先生などはこのような考え方に対して、自己決定権の考え

>が思想の出番を誤っていると激しく非難されているわけであります。たしかに、自己決定権

>考え方というのは、精神障害者にも自己決定権がある、すべての人にある、異なった権利 
rights to be differentというのを保障する権利である、そしてそれはどこまでも深い穴を
>医療的合意性に貫通させると、自己決定権はこのような革命的に激しいものであったわけで

>ります。そのようなものはここでは姿を消しておりまして、みんな仲良くするための道具に

>っている、というわけです。

現行法に登場するドナーとその家族が、ここに描写されている人間像より「成熟」して
いるのなら、そういう共通認識を広げていく必要があると思います。
ドナーの善意を生かす、ということの意味が、今後共有されていくのか、わたしには
よくわからない。


りんごさん 投稿者:yukiko  投稿日: 7月21日(金) 0時14分34秒

現在、臓器提供をする病院は、393施設(H12.4.15現在)、
    ・大学付属病院 105施設
    ・日本救急医学会の指導医指定施設 43施設   
    ・日本脳神経外科学会専門医訓練施設A項 333施設
    ・救命救急センターとして認定された施設 151施設  (カテゴリーの重複あり) 

そのうち、施設名を公表することについて了承した施設が、317施設ありました。
で、施設名がわかっている病院で、MSWを配置しているのは、現在のところ……、
わかるかっちゅうねん(笑)

これらの施設がMSWを配置してるかどうか、けっこう厳しい数だとおもいます。
施設名を見てたら。3分の1とか、4分の1とかじゃないでしょうか。

病院がMSWを使わない理由として、保険点数化されていない、と先に書きましたが、
つまり医療法上の国家資格ではないのです。
MSWの専門制度化も、なんかいろいろあるようでして…。
わたしは、MSWが医療法上の資格になったら、ドクターから独立するのは難しくなるし、
より医療的視点に偏っていくとおもいます。
社会福祉士の援助対象を拡大して、「病人」も含むようにすればいいのに。
MSWまで専門家になったら、だれが全人間的視点を医療にもちこむのだろう。


看取りの医療 投稿者:てるてる  投稿日: 7月20日(木)23時29分57秒

看取りの医療、というとき、看取られる人の立場や、看取り手のいない人のことが気になります。
看取る人のための医療をこころがけたら、今度は、看取られる人が、生前に何を主張していようと、死んでしまったら本人にはわからないのだから、生き残ったもののすきにしていいのだ、ということにならないだろうか。
それは、本人の意思にかかわりなく、臓器を提供することと、かわらないのではないだろうか。

ほんとうは、保証人などつけなくても、本人が生前に臓器提供の意思表示をしていたら、絶対にその意思が生かされる、家族の反対は死者の人格権の侵害とされる、というのであれば、いいのだと思います。
でも、そこまでしている国はどこにもないし、むやみと苦しむ人をふやすのもよくないし。


保証人との関係 投稿者:yukiko  投稿日: 7月20日(木)23時15分59秒

>保証人がソーシャルワーカーと対立したら。
>保証人がドナーの「家族」の一員ならいいのですが、そうでなかったら、
>とてもむずかしいことになると思います。

うーん、その場になってみないと、ちょっとわからないですね…
ソーシャルワーカーは、クライアントの問題に、「援助者」としてかかわるわけで、指示的
になったり、MSW自身がクライアントの問題によって自己決定することはありえないと
おもいます…、だから、

>ソーシャルワーカーは家族のためのサーヴィスをするわけで…
>家族の意思よりも優位に、ですね。

というお話なら、わかります。


MSW 投稿者:りんご  投稿日: 7月20日(木)20時35分25秒

国立大学系の大学病院には、MSWが、ほとんどいないと聞きましたが・・・。

訂正 投稿者:てるてる  投稿日: 7月20日(木)19時45分21秒

>保証人の権利はドナー本人の権利として、法律で、ソーシャルワーカーよ
>りも優位に置きたいです。
というのは変ですね。
ソーシャルワーカーは家族のためのサーヴィスをするわけで…
家族の意思よりも優位に、ですね。

看取られる人の立場 投稿者:てるてる  投稿日: 7月20日(木)19時33分25秒

現行法の枠組みの中で、看取る人のための「看取りの医療」を実施し、医療ソーシャルワーカーもそのためにはたらくとなると、看取られる人の意思が軽視されてしまうかもしれない、ということですね。

「てるてる案」で臓器提供意思の登録をとりあげています。
これについて、試験を受けて登録までした人は、家族が反対しても臓器を提供する、登録しないでドナーカードに記入しただけの人は家族が反対したら臓器を提供しなくてもよい、というように、提供意思の表示方法に選択肢を設け、それによって、本人の意思の優先度を変えよう、という意見があります。

最初にこの「運転免許証的臓器提供意思表示カード」のアイディアをくれた方の意見なんですが。
私は年齢によって分けていますけど、家族の意思の介入を本人が許すか許さないかで分けるのもいいかもしれませんね。

たとえ看取る人が傷ついても、看取られる人の立場を優先すべき、と私は思います。そうでないと、「死人に口なし」になってしまうから。
臓器提供が、池田清彦氏が「臓器移植 我、せずされず」で述べられているように愚行だとしても、その愚行をする権利も個人にあると思います。

というわけで、個人が臓器提供意思を登録するときには、保証人が必要だと改めて思うのでした。
保証人がソーシャルワーカーと対立したら。
保証人がドナーの「家族」の一員ならいいのですが、そうでなかったら、とてもむずかしいことになると思います。
保証人の権利はドナー本人の権利として、法律で、ソーシャルワーカーよりも優位に置きたいです。


MSWの身分 投稿者:yukiko  投稿日: 7月20日(木)17時32分57秒

MSWのサービスって、保険点数の対象にはなっていないのですよね…
地域の拠点になっている病院では、介護保険や老人医療・在宅医療の影響でMSWの導入
はすすんでいますが、MSWの経費はその病院がみずから負担しているとおもいます。
この辺も、問題だったな……

Re;立場 投稿者:yukiko  投稿日: 7月20日(木)17時23分57秒

MSWと移植コーデイネ―ターの立場の違いについては、ベタに言えば、てるてるさんの
おっしゃる通りだとおもうのですが、うーん、ここは慎重でありたいわたし…
二項対立におちいっていくような気がして。
てるてるさんのおっしゃる立場を踏まえつつ、2者を協働するところへ結び付けていきたい
な。

ところで、MSWは、移植の枠組ではなく、看取りの援助の一環として、臓器提供にかか
わることにしてますので、ドナーとその家族の利益を最優先に考えるだろうとおもいますね。

ドナーの意思と、家族の意思が対立した場合ですが、現行法の枠組で考えると、わたしの
論にも書いてあるように、家族の下した決断を最善とする、と思います。

きっと、個人の善意の提供意思、ということの意味を、家族とMSWで考えるだろうと
おもいますけど、MSWは、面接でクライアントに「指示」をしてはならないので、
むしろ、家族がどのような結論を下しても、その責任を背負えるように援助する、つまり、
自立の援助をするとおもいます。

ドナーの善意を生かせなかった家族は、グリーフワークから、自己の内面に入ったりすれば、
自分のやったことの重さに直面して、ショックを受けるでしょう。
そこまでいく人は、まれだとはおもいますけど…でも、成長につながるんじゃないかな。
そこまでいければ、ドナーの意志は、別の意味で家族によって生かされるとおもいます。


すみません…m(_ _)m 投稿者:てるてる  投稿日: 7月20日(木)11時28分25秒

「週刊モーニング」の「部長島耕作」に出てきた男性は60代でした。
「島耕作」は毎週ちゃんと読んではいないもので。m(_ _)m

立場:続き 投稿者:てるてる  投稿日: 7月20日(木)10時6分08秒

もしかしたら、移植待機患者の方も、移植手術を受けるかどうか決心
するまでは、医療ソーシャルワーカーの援助がいるのかもしれません。

立場 投稿者:てるてる  投稿日: 7月20日(木)10時2分13秒

医療ソーシャルワーカーは、ドナーとドナーの家族の利益を尊重し、代弁するが、移植待機患者の利益は考えない。ドナーとドナーの家族の意思が対立したら、移植待機患者のためではなくて、ドナーの意思を最優先することを目的にして、家族が意思決定にいたるまでをサポートする。結果的に家族が臓器提供を拒否しても、ドナー本人もこれなら許せるだろう、と思えるかどうかを基準にして判断する。

移植コーディネーターは、移植待機患者の利益を代弁し、そのために役立てるという目的でドナーの意思を尊重する。ドナーの家族の意思も尊重するのは、そうしないと逆効果になるから、長い目で見たら、そのほうが移植医療を社会に受け入れてもらえるからで、ドナーの家族のためではない。

医療ソーシャルワーカーと移植コーディネーターとが協動できるのは、ドナーの意思を生かすという一点だけで、ドナーの家族やレシピエントは、それぞれの立場から主体的にサーヴィスを利用する。

というふうに、立場の違いを明確にしておいたほうが、いいと思います。


参考になる?ならない? (^_^;) 投稿者:てるてる  投稿日: 7月20日(木) 9時43分12秒

今週の「週刊モーニング」(No.34,8/3号、「バガボンド」の表紙)の、「部長島耕作」に、
50代とおぼしき男性が、蜘蛛膜下出血で倒れて、脳死状態になる話が出てきました。
以下、引用。

  医師「残念ながら脳死状態です。
  現在は人工的に心臓を動かしていますがチューブを抜くと止まります。
  私達の医学ではこの状態をある程度維持することは出来ます。
  しかし この状態から回復することは不可能です。
  コストをかけてもこのまま生かし続けるか……あるいはそうしないか。
  ここは ご家族でお決めになってください」
  (p.35)

説明を聞いているのは妻と娘。
この妻は気丈なのです。
夫がホテルの部屋で倒れたとき、だれが救急車を呼んだのですか?
と尋ねます。
実は、愛人が呼んだのですが、会社の同僚達はみんなで隠しているのです。

これからどんなに話がややこしくなるのかな、と期待したら、次のページで
亡くなられてしまいました。

医師は説明で「このまま生かし続けるか」と言っていますね。
これは「脳死状態」の人を診ている医者の素直な気持ちなのでしょうか。
私はこの場面でのこの表現に違和感はありませんが…

この男性がドナーカードを持っていたら、どうなっていたでしょうね…。

実に、実際の、いまわのきわの場面では、「家族」の他に「愛人」がいたり、ややこしいこ
とがいっぱいあると思います。
そういうことも、医療ソーシャルワーカーや移植コーディネーターも把握して接していかな
ければならないのでしょうね。


MSW 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月20日(木) 9時22分36秒

脳死移植をきちんと実施していくのなら、yukikoさんのおっしゃるようなドナー側のサポート
システムが必要不可欠だと思います。これは、移植推進側の方たちと真剣に話し合うべきテー
マではないでしょうか。移植コーディネーターにその役をおわせるのは基本的に矛盾をはらみ
ます。これ、継続した議論にならないものかなあ。

公正さ 投稿者:yukiko  投稿日: 7月20日(木) 1時57分10秒

臓器提供の場合、医療職と移植コーデイネ―ターがすでにいるのに、なぜMSWのアドボカ
シーが必要なのか、ということを説明したいとおもいます。

この論を書くに当たって、何人かの人と話をしました。
そのなかで、「公正さ」(フェアネス)の確保が必要だ、という方がいました。

“「医学」的に、作り出された「脳死状態」という、「不自然」な状態に対して、
家族は、「自然死」の「基準」しか、持ち合わせていない。
「死を受け入れる」体験自体、核家族化の進行とともに、失われている。”

なのに、移植に携わるひとは、みんな死や移植になれている専門家で、二人称の死と
三人称の死の間にギャップがある。そのギャップを埋める第一の公正さ。

そして、“「制度」の説明を、脳死の概念の説明も含めて、公正に受ける権利が第二。”
“本人の意思の確認と、家族の意向のすりあわせが、第三。”

これらは、医療職と移植コーデイネ―ターの業務ですが、わたしも、家族が望む場合、
そこにMSWがいていいのではないか、と思いました。

わたしの場合、インフォームドコンセント――「説明」を受け自己の責任に基づいた
「同意」をする――のしくみについて、素晴らしいとおもうと同時に、本当に自己責任で
同意ができるのか、いつも疑問におもってきました。

ひどい心理的危機にある人や、説明を聞いても理解できない人は、聞いてもわからないのに、
同意しないと医療を受けられない。これでは自己責任ではなくて言質じゃない? という
割りきれなさがあります。

そういう人にとっては、説明義務のある相手が、信頼に足る人物だと思えるかどうかが、重
要だとおもいます。MSWに存在価値があるのは、相手が信頼できるかどうかがわからない
とか、そこが、安心できる場所ではない、とか、家族が判断した場合ではないでしょうか。

家族がそこで対話をあきらめないで、納得がいくまで説明を聞けるように、MSWがサポー
トできないか。MSWには、移植の枠組に入らずに、第3者の相談援助職として、混乱して
いる家族の話を「聴き」、家族が言語化できない疑問を一緒になって探し、言葉にすること
を期待したいです。


てるてるさん 投稿者:yukiko  投稿日: 7月20日(木) 0時22分29秒

レスいただきありがとうございます。

アドボカシーですが、今回は、危機の援助という視点から、現場で家族をアドボケイトする
場合について書きました。他にも、もっと長期的な立場で、「ドナーの家族の会」みたいな
ところで出た意見を制度化していくことも、アドボカシ―だと言えるとおもいます。

>移植コーディネーターは、臓器提供の同意または不同意に到るまでの、家族の迷いや考える
>時間を大切にする。
>医療ソーシャルワーカーは、家族がどちらでも悔いなく決断できるように、そのために
>気持ちを整理できるようにサポートする、ということでしょうか?

そういうことだとおもいます。
基本的には、家族の話を「聴く」、そして、整理する、ということです。

ただ、現場では、クライアントの数、事例の数だけニーズがあり、いろんな事態が想定される
とおもいます。規則をつくると、それが災いして、対応できない場面がでてきてしまうんです
よ。そういうことがないように、対人援助職には裁量権が認められているので、わたしは、論
の中では、原則論にとどめました。

>「脳死の人」がドナーカードを持っている場合、家族はまず、移植コーディネーターから
>説明を受けることに同意するかしないか、そこから決断しなければならないのではないで
>しょうか。

おっしゃる通りですね。提供に同意しない家族は、連絡をしないと思いますが、やっぱり
そこでみんな悩むとおもいます。いったん連絡をしても、そのあと何回も悩むでしょう。
そういうときも、MSWが話を「聴く」ことで混乱が整理される場合があるとおもいます。


RE:yukikoさんのソーシャルワーカー論 投稿者:てるてる  投稿日: 7月19日(水)18時49分21秒

「『脳死の人』の看取りと、死別後の家族の援助について」ですが、先に、ドナーカードを持っていない場合の「脳死の人」の、看取りにおける、医療ソーシャルワーカーの仕事を書いてあります。
それで、ドナーカードを持っている場合の「脳死の人」の、看取りにおいても、医療ソーシャルワーカーの援助が必要だと、理解されやすいと思います。

「脳死の人」がドナーカードを持っていた場合、医療ソーシャルワーカーによる、「脳死の人」の家族の代弁機能「アドボカシー」が必要なことはわかるけど、それを実際にどう運用するかはむずかしいと思います。

移植コーディネーターは、臓器提供の同意または不同意に到るまでの、家族の迷いや考える時間を大切にする。
医療ソーシャルワーカーは、家族がどちらでも悔いなく決断できるように、そのために気持ちを整理できるようにサポートする、ということでしょうか?

「脳死の人」がドナーカードを持っている場合、家族はまず、移植コーディネーターから説明を受けることに同意するかしないか、そこから決断しなければならないのではないでしょうか。

移植コーディネーターの説明を受けることに同意するまでに、充分時間をとる。
その間、医療ソーシャルワーカーに相談する。
そして、決心がついてから、移植コーディネーターに連絡する。

移植コーディネーター到着後も、家族が臓器提供に同意不同意の最終的な決断をするまで、充分時間をとる。

しかし、たとえば、移植コーディネーターが到着してからだと、1週間も待っている、などということは、しにくいだろうと思います。
だから、移植コーディネーターへの連絡だけは先にしておいても、実際に来てもらうのは、もう少し後にして、「脳死」そのものを受け入れられるように、医療ソーシャルワーカーが家族をサポートする。

移植コーディネーターから家族への説明では、yukikoさんが書かれているように、家族が希望すれば、医療ソーシャルワーカーが同席する。
医療ソーシャルワーカーは、移植コーディネーターに対して、自ら質問する等のことはしないで、あくまでオブザーバーの役に徹する。

等のことが考えられると思います。

まだよくわからないけど。

移植コーディネーターの人が、yukikoさんのソーシャルワーカー論を読んだら、賛否両論があるのではないかと思います。
医療ソーシャルワーカーの人はどう思われるでしょうか。

医療ソーシャルワーカーの必要性が認められたら、どうすればうまく移植コーディネーターと協動しつつ、家族の権利を守りきれるか、それから、「脳死の人」本人の望みをかなえられるか、いろんな意見を聞いてみたいところですね。


yukikoさんのソーシャルワーカー論アップ 投稿者:森岡正博  投稿日: 7月19日(水)10時12分29秒

この掲示板でyukikoさんがおっしゃっていたソーシャルワーカー論を、あらためて書いて
いただいて、移植法ページにリンクしました。ご覧ください。

あと、いろいろ細かく更新(^^;)。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/yukiko01.htm


いま帰ってまいりました。 投稿者:森岡正博  投稿日:07月15日(土)22時41分13秒

TBSラジオ出演後、そのまま高知県土佐佐賀町に飛んで、それからいま帰ってきました。
上智シンポ関係者さん、テープおこしアップ、ありがとうございました。
これで、来られなかった方も、当日の内容が把握できますね。
「世界」9月号に掲載予定の論文もこれから最終校正にはいります。

ところで、高知県に行ったのは、NHK高知が制作する番組「満足死」のレポーター役をしにいっていたのです。たぶん7月28日前後にNHK四国内の四国スペシャル(総合夜8時から)で放送になると思います。(四国以外の方は見れません。残念。あとでBSあたりでやるかもね)。
高知県土佐佐賀町に、疋田さんという79歳のカリスマ医師(笑)がおられて、もう20年以上も地域医療に取り組まれ、付近の住民たちから超尊敬されているんですが、彼がずいぶん前から「満足死の会」という組織を作って、地域の老人たちの「自己決定権」を最大に尊重した終末期医療の実践をされているのです。その疋田医師と対談するのと、町の高齢者たちに話を聞くために、行ってきたんですが、もうなんというか、すごいです。土佐佐賀町に着いたその日に、いきなり94歳のおばあちゃんと初対面でのインタビュー。私、もう、まっさおに。だって、いきなりでしょ。はたしてコミュニケーションとれるんかどうかわからない。その後も、100歳のおばあちゃんとか、高齢者家族の方とか、いやー90歳以上のおばあちゃんとこのくらいまとめて話したのは、はじめてだった。

まあ、どこまで番組で使われるかはわかりませんが、なかなかの体験だった。泊まった旅館も、すごい温泉旅館で、部屋から外線に電話できないという・・・。もちろん、モバイルなんか、不可能。電波、はいらないもん。公衆電話も緑色しかないしね。しかし、自然は圧倒的。私が小さいときに、このあたりに夏に行ったりしてて、そのままの自然が残っている。インタビューした方の前を流れる小川には、いきなりアユがおよいでて、なわばり争いをしてました。ニジマスもいて、ぜんぶ、上から見えちゃう。網ですくったら、アユ、ニジマスがそのまんまとれちゃうぞって感じ。なつかしかったなあ、この自然。

そんな地域から、1日でいきなり大阪ど真ん中へもどって、ここは完全人工のどぎつい世界。とても対照的でありまする。そういえば、土佐佐賀町でJRを降りたら、いきなりNHKがカメラを回して待っていて、列車の窓から、「なんだ、なんだ」の覗き見の一群。
あとでカメラマンに聞いたら、「あれ、何の選手?」って言ってたんだってさ。あはは。
そんな体格よく見えたかな。高知一流のジョークかもね。


三人の先生の講演完全収録! 投稿者:上智シンポ関係者  投稿日:07月15日(土)01時40分20秒

マシア先生の講演テープ起こしも終わり、これで一応三人の先生方のお話は全部読めます。
どうぞごらん下さいませ。

http://www.info.sophia.ac.jp/cathocen/


私にはわからなかった 投稿者:f(..  投稿日:07月14日(金)23時02分50秒

>町野先生の講演
泣いてる方がおられたので、テープでは聞き取りにくかったし、知らない言葉がたくさん
あって・・・上智大学のHPをコピーして、読みながら帰宅しました。
 何が言いたいのかがよくわからない、というか、どうにでも解釈できるものに思えました。
だから、全然ダメとはいってないということにも思えました。
 お見事としかいいようがありません。素人に言ってもらいたくないかもしれませんが。
学問の世界で生きる厳しさもあるのでしょう。
 じっくり、パズルをつくってみようと思います。

町野さんの講演 投稿者:てるてる  投稿日:07月14日(金)08時05分40秒

「違法阻却論」は全然だめ、て言ってる。(のと同じだ)
ひーん。(/_;)

>本人の書面による承諾がなければ臓器の提供は認められないという現行法の態度は、
(中略)
>この違法阻却論からもともと主張されたものであったということに気をつけるべきで
>ございます。つまり、生体肝移植など生きている人からの臓器の提供は本人の承諾に
>基づかなければならない。脳死者は生きているのだから、本人の意思の表明がなけれ
>ばならない、というものであります。

現行法は「違法阻却論」じゃなくて「脳死身体」を「死体」のうちに含めている。
そこは一見、「違法阻却論」じゃないけれど、本人意思を必須の要件にしているところは、
結局、違法阻却論から来た発想じゃないか、と。

「違法阻却論」をとってる「てるてる案」も全然だめ。って言ってるのと同じだ。
脳死状態からの移植を生体間の移植にできるだけ近づけようとしているし。
ひーん。(/_;)

でも、心臓死は本人の同意がなくてもいい、なんて「てるてる案」では言ってないぞ…

「違法阻却論」を主張した人の中に、家族の同意はいらない、本人の意思だけでいい、て
言ってる人がいるから、これ、捨て難いんですけど…


アドレス・・・ 投稿者:上智シンポ関係者  投稿日:07月14日(金)01時24分10秒

忘れました。どうぞよろしく。

http://www.info.sophia.ac.jp/cathocen/


町野先生、講演アップしました! 投稿者:上智シンポジウム関係者  投稿日:07月14日(金)01時23分02秒

森岡先生にひきつづき、町野先生の講演も掲載しました。ごらん下さい。

Le pissenlitさん 投稿者:てるてる  投稿日:07月13日(木)00時01分39秒

ありがとうございます。
アクセス・バトルトークへの書き込みは番組直前にしたものです。
バトルトークへの投稿は番組が始まるまでは公開されないので、どれぐらい投稿が集まって
いるのかわからず、もしも投稿が少なくてはさびしい、と思って「景気づけ」に(笑)、
投稿したのでした…。

きのうのアクセスとのリアルタイム感想交換の結果はまだサブ掲示板に残っていますが、
ちゅう子さんがホームページにアップしてくださっています。
ちゅう子さん、ありがとうございます。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/hiyu1411/zouki.html


講演をアップしました 投稿者:上智シンポジウム関係者  投稿日:07月12日(水)23時03分09秒

お待たせしました!
森岡先生の講演(テープをおこしたもの)、町野先生、マシア先生の発表原稿を、
やっとのことで載せました。ご覧下さい。
町野先生、マシア先生の講演(テープをおこしたもの)は来週あたりには掲載できます。

http://www.info.sophia.ac.jp/cathocen/


てるてるさん 投稿者:Le pissenlit  投稿日:07月12日(水)15時17分49秒

早速、夕べの整理ありがとうございました。TBSに書き込みをしてらしたので
てるてるさんの早業に感嘆しました。なお短時間の情報整理さすがですね・・。
まずは御礼のうちに。

下の投稿 投稿者:てるてる  投稿日:07月12日(水)07時48分42秒

引用した投稿の投稿者のハンドルを書いてしまいましたが、
適切だったかどうか不安。
m(_ _)m

意思表示の方法 投稿者:てるてる  投稿日:07月12日(水)07時46分50秒

きのうの「アクセス」のウェッブサイト↓で、バトルトークを読むと、15歳未満にも意思表示を認めるべき、という意見のなかで、その方法も提案しているのがありますね。

たとえば、
「森口 学生20」さんの、

>ただし、移植はカードを持っている子に限るし、一年毎に必ず書
>き換えること(記入日の書いていないカードは無効)。小学校以上
>では、学校での移植のガイダンスを一年に一回は義務付ける。
>
>そのときの本人の意思を極力尊重すべきだと思います。ただ考
>え方や、価値観などがめまぐるしく変わる年代なので、一回の意思
>表示に有効期限を設けるべきだと思う。
(「アクセス・バトルトーク」より無断転載)

これはなかなかおもしろいと思います。

あと、おとなの意思表示についても提案がありました。

「デコスケ」さんの、

(15歳未満の人にも臓器提供についての意思表示を)
>させるべき。
>20歳までは、今の方法で、本人、家族とも全員賛成なら、臓器提供
>が可能なようにするべき。
>そして、20歳以上は、今よりも踏み込んで、必ずしも家族の同意が
>なくてもいいようにすべき。
>相続や葬儀などに、故人の意思が遺言として確立されているよう
>に、
>故人の意思が、絶対的に守られるような方法も作るべき。
>したがって、
>@遺言式に、本人の意思のみで出来る書類を作る。役所に届ける
>ように して、弁護士代などのお金がかからないようにし、役所など
>が立会人 としてその意思の決定を証明する。本人には、携帯式
>の意思決定書を
>(ドナーカード)所持させ、気が変わった場合でも、すみやかに意
>思 の変更が出来るようにする。
>A@の方法を取りたくないか、とっていない人は、今まで通りの方
>法と する。
>の、2通りにすべきである。
(同じく「アクセス・バトルトーク」より無断転載)

この、複数の方法を選択できるようにするべき、ということ、実は、これもまた先日からこの掲示板で触れている、「メールをくれた方」もおっしゃっています。

意思表示の方法にいくつかの選択肢を用意し、その選び方にも本人の意思の強さがあらわれていると見て、それぞれによって、家族の意思の介入の程度に差をつける。
たとえば、「試験」を受けて登録する人と、「試験」を受けたり登録したりはしない人、とで、分けるとか。
(この前ここに書いた「試験」「登録」もこの方に提案していただいたのですが)

私は年齢によって、意思表示の方法と家族の決定権に差をつけていましたが、年齢による枠とは別に、選択できるようにする、というのもいいかもしれないと思い始めました。
既に配ったドナーカードもそのまま利用できるし。(!)

前にも書きましたが、yahoo掲示板にも、三連複写式にするとか、意思表示の方法についての提案があって、どの方法もおもしろいと思います。

共通しているのは、なんらかの「登録」かそれに近い、いまのドナーカードよりももっとしっかりした意思表示の方法が必要ということ。
それから、移植についての情報提供の大切さ。
本人意思の尊重。
この三つです。

http://www.tbs.co.jp/ac/index00.htm


yukikoさん 投稿者:てるてる  投稿日:07月12日(水)07時03分41秒

家族が相談してもいいと明記しているというのはドイツの移植法の、
臓器提供後に、記録を見て、他の人に相談してもいい、としている、
第3章の条項のことではないでしょうか?

家族のためのケアについて、すごくくわしく教えていただいてありがとうございます。
メールでの協議(?)のほうも、OKです。(^_^)