森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2000年06月15日〜06月23日

過去ログハウス入り口


7/2シンポジウム主催者さん 投稿者:yukiko  投稿日:06月23日(金)18時43分37秒

当日、報道関係者は招待されているのですか?

シンポジウムの詳細です。 投稿者:7/2シンポジウム主催者  投稿日:06月23日(金)16時44分13秒

詳細をご覧くださいm(__)m

http://www.info.sophia.ac.jp/cathocen/


もうすぐ7月2日(日)シンポジウム 投稿者:7/2シンポジウム主催者  投稿日:06月23日(金)16時40分34秒

・・・ですね。
宣伝させていただいてよろしいでしょうか。
たくさん来てもらいたいのですが、入場無料で、当日ふたをあけてみないと
わからない状態なんですね、これが(^^)。でも大きな会場ですから大丈夫です。
気軽に来ていただけたら・・・と思うのです。普段着で!ほんと!
上智大学カトリックセンターがこのような企画をするわけですから、
○○学会とか△△委員会とか、そういうしがらみ(なんてないよ、と言われそうですが)
のほとんどないシンポジウムを考えているわけです。
ご存知のとおり、森岡先生と町野先生の意見は違うようです。
しかしどちらのご意見にも核になるものがあっての意見でしょう。
その核のようなものが、生(なま)の語りによってわたしたちにどのように伝わるのか、
それは「なま」だからこその醍醐味と言えるのではないでしょうか。
そして、わたしはこれからわたしの「なま」の声でどう語り、どう意思表示していくか。
来てくださった方々と一緒に考えることができるように準備をすすめています。
気軽に、普段着で、お散歩がてら・・・といった感じで来てください。
かえりに、四谷の土手を散歩しながら飯田橋まで歩かれるのもいいかもしれません。
家族で話しあう材料にもなるかもしれません。
友人や恋人同志でいのちについて考える機会になるかもしれません。
お誘いあわせのうえ、どうぞ。

森岡さんレポート 投稿者:みゆき初心者  投稿日:06月23日(金)11時59分07秒

カエルさん

レポートありがとうございます。
森岡さんの内面世界が色濃く表出された文章、共感的に読みました。
森岡生命学が出てくる場みたいなものを、ちらっと見せていただいたという印象を持ちました。


レポートです 投稿者:カエル  投稿日:06月22日(木)18時39分02秒

6月18日に横浜で行なわれた森岡さん出演の研究会のレポートをアップしてみました。
森岡さん、またもや掲載許可ありがとうございます。
今回のおはなし、本気でいいです。
みなさん、これは必見ですよお。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4728/
http://www.kinokopress.com/inko/jp/rinshixyou.html


オランダ臓器移植法 投稿者:森岡正博  投稿日:06月22日(木)17時10分19秒

オランダから日本に来られているSeewaldさんが、オランダの臓器移植法を日本語に翻訳されています。これを見ると、12歳以上ならば意思表明できるという線引きになっていますね。
自分の意思を特定の人にゆだねるという項目もあって、参考になります。
NHKの例の番組でも、出てましたね、登録カード。

http://www.kyushu-id.ac.jp/~seewald/dutchorganl.html


「社会に帰属する」について 投稿者:岩田憲明  投稿日:06月21日(水)15時08分58秒

 ご無沙汰です。テキサスから帰ってきました。さすがに最近忙しく、ここの掲示板も
しばらくぶりです。

 ところで、久しぶりにこの掲示板を見たら「社会に帰属する」という文句が目に留ま
りました。これは移植を推進する側の一つのキーワードになると共に、個人の意思を越
えて臓器を運用する問題点を浮き彫りにする言葉のように思います。もし積極的な否定
の意志表示がない場合、「社会に帰属する」という立場から自動的に臓器がやり取りさ
れるとなると、そこに人間自身を特定の目的のための道具とする「道具的連関性」の問
題が出てくるのではないでしょうか。確かに子供の臓器の場合、臓器提供者の意思確認
が出来ないという問題が出てきますが、多くの人々がこの問題に無関心のまま、脳死に
なった提供者もしくはその関係者が成り行きで臓器提供する場面が定着するならば、私
たち自身が私たちの命に対して無関心になるのではないかと危惧します。すでに途上国
では臓器売買がかなり頻繁に行われているという話を聞いたことがありますが、人の命
を道具とする意識の行き着く先はそのような現実に見られると思います。推進派の人た
ちはこのようなあからさまな臓器売買は法律によって阻止できると考えているのでしょ
うが、「社会に帰属する」以上、個人の意思を離れて、現実にはあからさまでない形で
臓器を道具とする行為が積み重ねられ、人の命に対する私たちの意識が無痛化さる危険
は否定できません(この掲示板そのものの意義もそれに抗するものかと思います)。

 また、個々の人間を人を超えた自然の産物(神の創りしもの)と考えると、脳死した
人の臓器を「社会に帰属する」とすることは社会が人という自然に対してあまりに傲慢
であるのではないかという感も持ちます。社会は彼らが考えるほど善良なものではない
というのは20世紀の歴史が示すところです。社会には法律などの規則によって成り
立つ Gesellschaft と共同体としての Gemeinschaft の2つがありますが、推進派の人
たちは Gesellschaft としての社会の恐さが分かっていないのではないかという印象を
持つわけです。提供される臓器に公共性が見出されるにしても、それは必ずしも国など
の社会組織の管理に委ねられることを意味するものではないと私は考えています。

http://www.oec-net.or.jp/~iwata/index.htm
http://www.oct-net.ne.jp/~iwatanrk/index.htm


時限立法?? 投稿者:yukiko  投稿日:06月19日(月)23時52分09秒

>現行法は、臓器は社会に帰属するなんてどこにも書いてないですよ。野本さん、
>かんちがいしてるんじゃないのかな?

野本さんにとっての臓器移植法とは、ご自分がおつくりになった前の臓器移植法案のことのようですね。以下、野本さんの第3回ヒト組織専門委員会のご発言より。

「僕は前の臓器移植法の一番やりやすいところは一旦、離れたら本人は何も言ってはいけないと。あそこのところだと思うのですね。だから、ちょっと、しかし、それは時間の流れで理解を求めながらやっていかないといけないというのが当然、出てくるのです。だから、そこを皆さん、よく考えていただいて、ここ(y注:ながれたヒト組織の指針案)にうたうか、うたわないか。精神は皆、共通していることで、自分からいったものは社会全体が活用してほしいという気持ちは全く同じなのだけれども、例えば今の松村委員が言われたように、渡したらぞんざいに扱うようだったら、今度は国民は腹を立てると、こういうことですよね。絶対、腹立てる。」

「あのときの流れからいくと次は、そのときの基本概念がやはり社会に帰属するというので国会も納得してくれたのですね。」

この一文に、1ヶ所、点を増やすと、

「あのときの流れからいくと、次は、そのときの基本理念がやはり社会に帰属するというので国会も納得してくれたのですね。」

こんなことになってしまうのだった。わかる?
一部のひとにとっては「バイオマテリアル法」なるものができるまでの時限立法のような取り扱いなのかも。現行法って。
「バイオマテリアル法」って、現実の話なんかな。


カエルさん 投稿者:森岡正博  投稿日:06月19日(月)22時13分13秒

「ケロケロ総選挙」ページ、拝見しました! みなさんも注目!
あははは。役に立つといいですね。成人の方は、選挙に行きましょう。

補足 投稿者:森岡正博  投稿日:06月19日(月)22時10分26秒

それにしても、下の引用で、インタビュアーは、町野案を完全に誤解しているじゃん。
だめじゃん。

野本さん 投稿者:森岡正博  投稿日:06月19日(月)22時07分35秒

青野さんのページに紹介されていた、野本さんの意見です。
___________________

「子どもの臓器提供は親権者が決めていいという考え方がありますが、それは社会全体がこの問題をどう考えるかという議論が先行した上で個々のケースを親権者が判断するのであり、大人が自己決定するように親権者に決定権があると思ったら大間違いです。」

−厚生省の研究班が先頃発表した、本人意思の尊重という法の大原則は崩さずに十五歳未満の小児に限り特則を設け、親権者の同意で臓器提供できるようにする試案をどう思われますか。

「最終的にはそういう方式でしかできないです。しかし、それでいいという国民的納得にまで行かない限り、国会が試案を取り上げてくれる可能性がありません。」

−学会はいつ具体的な行動を起こすのですか。

「学会の理事長として、当然ある時期にはっきり国民に決意表明し、目標を明示してから行動を起こします。法の見直し時期だからなし崩し的にやっていると思われてはならない。おそらく春には学会の評議員会を開き、政府や国会ともタイミングを相談して六月頃行動開始となるでしょう。

というのは、今の大人の脳死移植を一歩でも進めておく動きの中で始めなければならないから。五〜六例目の脳死移植が実施されて国民の感覚が戻り、かつ、今度は提供施設もきちんとルールを守って、『今走っている脳死移植は大丈夫だ』という国民の信頼がベースになって初めて子どもの問題が語れるのです」。

________________________

ということですねえ。つまり野本さんの腹は、もうはっきりと「親権者の同意があれば子どもから摘出できる」というところに決まっているわけですよ。ただ、いまはそれを発表する時期にはないから、国民が大人の脳死に慣れたあたりで、移植学会としては行動を開始する、とはっきりと述べておられます。テレビでのソフトムードは、そこへの準備だったのかな??


yukikoさん 投稿者:森岡正博  投稿日:06月19日(月)21時56分19秒

現行法は、臓器は社会に帰属するなんてどこにも書いてないですよ。
野本さん、かんちがいしてるんじゃないのかな? 審議会では誰もこの点
指摘しなかったのでしょうか。町野さんにとっては、うれしい勘違いですよね。

更新 投稿者:カエル  投稿日:06月19日(月)21時51分32秒

カエルページ、大幅更新してみました。
「期間限定ケロケロ総選挙」なるコーナー、みてみてくださいな。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4728/


青野さんのページ 投稿者:yukiko  投稿日:06月19日(月)20時51分18秒 が、いろいろ更新されて、具体的な事例がたくさん紹介されていました。
専門誌にのった、いろんな方のお考えも紹介されています。

http://www.law.kanazawa-u.ac.jp/aono/kodomokaranoisyoku.htm


語録A 投稿者:yukiko  投稿日:06月19日(月)20時42分04秒

おなじく第3回ヒト組織の専門委員会より。
臓器移植については、先端医療の時代の人間像まで踏み込んで考える必要があるとわたしもおもいますが、しかし、同じ土俵にのることがいいのかどうか。以下、野本さん。

「私の基本的な考え方は、いつかどこかでヒト材料の基本的な考え方、むしろどっちかと言うとバイオマテリアル基本法であるとか、バイオインダストリー基本法であるというものをきちんと作らなければ、これは動かないと見ているのですね。
これはそのときに初めて新しい概念としての、例えば誰のところに、社会とは何かというようながっちりとした、僕はこのままそこを不安定なまま作りますと必ず混乱する。それに対しては次のステップに委ねたいと。
とにかくこれは皆が動き始めて、もう今にも動く、そして実際に病気の人たちが今にも、今も、今日も欲しがっていると。それにきちんと対応しようということなので、それで先生方に無理を言いましてたった3か月でガイドラインを作ることを事務局も覚悟してやりますというので引き受けたのですけれども、次の段階には私は必ずそういう基本法的なものを作ってもらなわければいけないと。これはしかし、省庁間の話まで含む話で、単純なことで言うけれども、今のような議論は基本法に含まれる議論が大部分だろうという気持ちで私は今日、今のこの会の委員会(y注:ヒト組織の専門委員会のことです)のお世話をしているのですが。
それでもできたら今度のガイドライン(y注:ながれちゃったヒト組織の指針案)の中にも流れはあってほしい。その流れはあってほしい。後できちんとしたバイオマテリアル基本法を国会で作ってもらったら、我々が作ったガイドラインの方が役に立たないというようなことになると、これはもう愚かな話ですので、その未来を一歩見ながらこのガイドラインというのはある割合、数年間のショートタームをカバーするガイドラインというふうに私は考えてやっておるのですが。」

「わかります。したがって、社会云々というのは法的な規制を伴うようにするのは私は基本法を作らなければできないと、そんなふうに考えておりますし、各省庁のリーダーにも既に提言しております。これ(y注:ヒト組織の指針案)が終わったらじっくりそこのところを考えてくれと。よろしゅうございますか。」


語録@ 投稿者:yukiko  投稿日:06月19日(月)20時34分52秒

現行の臓器移植法では、臓器は社会に帰属するんですか??
臓器移植ネットワークとはなんでしょうか。
以下、第3回ヒト組織の専門委員会の野本さんの語録。

「ここらでやはり臓器移植法ははっきりと、言わばあれは社会に帰属するという形を取ったわけですから、組織に関してもそういうところまで踏み込むか、ぜひ、議論をして考えていただきたい。」
「それは実を言いますと、社会に帰属するという文章を書いたのは私でございまして、それがこてんぱんに皆にやられまして、では、移行する形を取らざるを得ないかなと。
私はご存じのように臓器移植法案、袋叩きにあった本人ですから、あのときの流れからいくと次は、そのときの基本概念がやはり社会に帰属するというので国会も納得してくれたのですね。
 あのフェア、ベスト、オープンという言葉とは基本的にはフェア、ベスト、オープンというのはこの問題は社会の問題ですと。提供してくださる臓器も社会全体が受け取って、そして命を救える人に回しましょうと。しかし、社会ではわかりませんから、国会からの要請で臓器移植ネットワークを立ち上げたと。だから、臓器移植ネットワークというのは実際、社会を代行するので、したがって国会もちょっとでもネットワークに不明瞭なことがあると弱みがあるとかというのは困るというのはきつく私はいつも言われているのですが、そういうことからいったのですが、やはりはっきり僕が心臓とか肝臓とか、そういう感覚の方がわかりやすかったと見えて、そのときは社会ということに対して今でも皆さん、納得してくれているのですが、組織、細胞になるとちょっと国民全般の捉え方が曖昧なところがあるようなのですね。
 むしろ評論家の方々とかもそれはオウガンまで社会に帰属すると言ったってわかるけれども、組織や細胞までですかと。組織や細胞がどこが違うのか私にもよくわからないのですけれども、そういう議論にここしばらく立たされている。
 おっしゃるとおりで、そこはこの委員会、終わるまでにすっきりした形で私はまとめていっていただきたいと思います。私の考え方は臓器移植法のあのときよりもっとすっきりしなければいけない。なぜかと言うと、これは研究とか開発にまでやがてつながっていくのが、この組織・細胞の問題なのです。だから、固定した臓器というのは割合、もうはっきり医療目的に絞られていますから、それほど、いろいろな問題は起きないのですけれども、組織の場合はいろいろな未来がある、問題があるので、我々のこのガイドラインは明確にしておくべきだと、私も考えています。
 ぜひ、議論の末、そっちにいけば私はありがたいと思うのですが、委員長としては私の考えだから社会にしてくれなんて言う立場ではありませんので、ふにゃふにゃとしたことを言っておるわけであります。」


ヒト組織の専門委員会第3回議事録 投稿者:yukiko  投稿日:06月19日(月)20時27分36秒

野本さんの本音をしりたいと思い、語録を集めてみました。
個人的意見か、ヒト組織の委員長としてのご発言かはわかりませんが。
あの方、臓器移植法で、直接、法案にかかわっていらしたのですねえ。
それが、あんなにたたかれて。
ヒト組織の指針案では専門委員長をおやりになって、そいで国会議員に介入され流されて。
ということから学習されたのか、なんと、「バイオマテリアル基本法」やら「バイオインダストリー基本法」とかいうアイディアをひそかにおもちのご様子。しかも、各省庁に連絡つけてるそうな。
世論に気を使って慎重に広報されているけれど、町野さんとおなじ「臓器組織は社会のもの」とお考えなのですね。

・・・ 投稿者:森岡正博  投稿日:06月19日(月)00時08分09秒

週末に、ちょっと仕事をするために大阪を離れていましたが、帰ってここをあけてみると
・・・・。いろんな話題が進行しておりまする。

講習 投稿者:てるてる  投稿日:06月17日(土)11時45分14秒

下で、「講習はしない」と書いたけど、希望者だけ、「講習」というより、
説明を受けることにしてもいいと思います。

地域の情報と終末期医療の選択 投稿者:てるてる  投稿日:06月17日(土)11時39分43秒

現在、私が住んでいる自治体では、運転免許証の更新のときに、数冊の冊子を配ります。「安全運転の道しるべ」「なぜ? 飲酒運転Q&A」「交通の教則」「人にやさしい安全運転」です。「人にやさしい安全運転」の最終章には、「応急救護処置」が載っています。これらはなかなか行き届いていると思います。
さらに、国と自治体とが協力して、以下のように、医療についての冊子を配ることにしてはどうでしょうか。

運転免許証の発行や更新のときに、 成年・未成年の区別なく、免許証と一緒に、終末期医療選択カード・地域の救急医療体制と終末期医療と移植医療を説明する冊子・臓器移植に関する法律を説明する冊子を配布する。講習はしない。

地域の救急医療体制と終末期医療と移植医療を説明する冊子には、救急指定病院の場所・集中治療室の数・脳低体温療法のできる病院の場所と対象となる症例・リハビリテーション施設の場所・最寄りの脳死判定のできる病院の場所・最寄りの移植手術のできる病院の場所等を載せる。

終末期医療選択カードは、登録しなくてもよい。しかし、常時携帯することにする。

次に、臓器提供を希望する人は、後日、家族等とともに、臓器移植の説明を医療機関等、移植コーディネーターのいるところに聴きに行く。そのあと、一旦、帰宅する。後日、最終的に臓器提供に同意したら、再び、本人と保証人とが臓器提供登録に出かけ、「試験」を受ける。「試験」で、臓器移植に関する最低限必要とされている知識を本人が持っていることが確認され、保証人の役割についての承諾書に保証人が署名捺印したら、臓器提供意思表示カードを発行してもらう。

臓器提供意思表示カードは、常時携帯しなくてはならない。臓器提供登録は、法律で期間を決めて、更新し、更新のときに、臓器提供の意思の変更を告げて、登録を取り消すこともできる。登録を取り消した人の臓器提供意思表示カードは破棄される。

本人が脳死状態になったとき、臓器提供意思表示カードがなかったら、臓器提供をしない。終末期医療選択カードがなかったら、本人の家族等が、臓器提供意外の選択をする。


レスありがとう 投稿者:なおみ  投稿日:06月17日(土)11時15分43秒

色々な意見を聞くことで、そのたびに考えが揺れ動くのですが、揺れながらも本質に近づいているような確かな手応えがあります。まだまだ、遥か遠くですけどね。
大人の問題だけでも、遥か遠くなのに、子どもに関しては、もう、どうしたらいいのやら。

確認 投稿者:てるてる  投稿日:06月17日(土)00時54分03秒

これまでの「てるてる案」で、以下の提案をしています。
>ドナーカード・チェックカード・臓器移植に関する法律を説明する冊子の配布
> 臓器移植についての認識を広めるために、運転免許証の発行や更新のときに、
> 成年・未成年の区別なく、免許証と一緒に、
> ドナーカード・チェックカード・臓器移植に関する法律を説明する冊子を配布する。
> ただし、
> 臓器を提供する義務はないこと、
> 臓器を提供する意思がない人は、その意思を表示しなくてもよいこと
> を説明しなければならない。

> 運転免許をとらない人に向けて
学校の保健室や保健管理センター・病院・診療所・保健所などに
ドナーカード・チェックカード・臓器移植に関する法律を説明する冊子を置く。

> 15歳未満の人へのドナーカード・チェックカード・臓器移植に関する法律を説明する冊子の配布
15歳未満の人が勝手にドナーカード等をとっていくことができないようにする。
必ず、おとながドナーカード等を手渡して、そのときに、本人にわかるように、
臓器移植に関する法律のことを説明する。
それは、死の準備教育とは別のもので、死の準備教育を受けている人に対しても、
受けていない人に対しても、同様に、ドナーカード等の配布にあたって、
臓器移植に関する法律について、説明をする。
そして、臓器移植に関する法律を説明する冊子に、
説明した人の署名をして、渡すようにする。
ドナーカード等を、死の準備教育の授業で配布してはならない。
しかし、実物を示して説明するのは構わない。

きょう(きのう)、新たに提案したのは、

運転免許証の発行や更新のときに、 成年・未成年の区別なく、免許証と一緒に、
終末期医療選択カードを配布する。

終末期医療の説明を(自動車学校や警察署とは別の場所で)カードを配布された
人は皆聴くことにする。

臓器提供を選択しようと思う人は、家族等と一緒に、臓器移植の説明を聴きに
行ってから、最終的に、臓器提供をするかどうか決める。
そして、運転免許と同じように、登録・更新の手続をとる。

ということです。


もひとつありました 投稿者:f(. .  投稿日:06月17日(土)00時41分50秒

>あれ、ヨシダさんだ。余計なカキコしてごめんなさい。
>ひとつの心配
それで、現行法が続く場合、子どもの意志が無視されることですよね。
子どものいのちに対する認識、これを持たせるための働きかけを早急練っていくことが必要、この具体策を考えるのが先決というのはおかしいですか?
これこそ、危険をさそうことになるのでしょうか・・・。

ちょっとうつろながら気になって・・・ 投稿者:f(. .  投稿日:06月17日(土)00時12分20秒

>組織的にカードを配り、説明し、選択を迫るのはよくないと思います。
という、このことは、
>選択の結果に影響を与えず説明することが困難である
から、素直に考えて出てきた表現ではないかと感ずるのはおかしいですか?

私の場合、本を読めて自立した判断が可能な人であれば、この臓器移植のことについて考えていけるという思いがあります。例えばこの掲示板で議論できる方々には、たとえ反対意見に出会っても、自分は自分という考えを導き出していけるのではないでしょうか。
一番の心配は、成長発達過程にある子ども達への説明なのではないでしょうか。
いろんなものをまねる時期は、どうにでも染まりうる時期ですし、生や死についての判断も、説明した人の思いの影響を大きく受けるのではないでしょうか。
それで、今日はまだ、現行維持の法律であったほうがいいという気持ちでいます。


なおみさん 投稿者:ヨシダ  投稿日:06月16日(金)23時42分23秒

「講習」の書き込みをしたときに、読み直して
ああ、これはきっと誤解されてつっこまれるなあ、と思ったのですが、
書いたものはしかたない、とそのまま流してしまいました。
まず、わたしは本人の自発的な意思による臓器提供を否定していません。
ただ、それはあくまで「能動的」に行われるべきものだとの立場です。
なおみさんの「つっこみ」に沿っていうと、配ることにはあまり賛成しません。
「説明すべき」というのは賛成ですが、「能動的に」が前提です
(ですから、てるてるさんの案には賛成しません)。
組織的にカードを配り、説明する、ということになると、
とうぜん選択を「迫られる」ことになります。
「臓器提供は良いことである」「それに反対する人は危険である」
という現在の状況を考えると、
「迫られる」イコール「臓器提供を迫られる」になるのではないか。
そういう不安があるから、カード配りには反対なのです。

説明と選択とは別に 投稿者:てるてる  投稿日:06月16日(金)20時16分25秒

まず、運転免許証の発行のときに、終末期医療選択カードを配布する。
そして、全員、終末期医療の説明を聴く。
ただし、カードへの記入は、その場所では行わない。
カードへ記入した結果は、説明をした講師に知らせない。

次に、臓器提供を希望する人は、後日、家族等とともに、臓器移植の説明を聴きに行く。
説明を聴いた結果、臓器提供を希望したら、臓器提供への同意書を渡す。
これは、臓器提供意思表示カードではない。
その結果、一旦、帰宅する。
後日、最終的に臓器提供に同意したら、同意書に記入して、返送する。
同意書が返送されてきたら、臓器提供登録カードを発行する。

というのは、どうでしょう。


ヨシダさん 投稿者:なおみ  投稿日:06月16日(金)19時48分47秒

組織的にカードを配り、説明し、でも選択は迫らない方法があったとしてもやはり反対なんでしょうか? それとも、どんな方法を取ったとしても選択を迫ることになると、お考えですか? もしくは配ることじたいが「能動的」ではないので受け入れられないものなのでしょうか?
私は、選択を迫らなければ、ある程度の説明はするべきではないかと考えています。
ただ、今のところ、選択を迫らずに説明すること、選択の結果に影響を与えず説明することが
(説明をする人物の考えに流されてしまうようなことがあるとよくないですからね)
困難だと思うので具体的にどうすればよいのかは分かりません。
うっ、考えてると頭痛くなってくるね。

中間 投稿者:なおみ  投稿日:06月16日(金)18時29分07秒

自動車学校や警察署は記した通り思いつきだったので、別に場所は問わないのですが、やはり、どこかでカードを受け取って、また別の場所で説明を受ける、というのは無理がないで
しょうか? 説明する側は、手間もお金も余分にかかりますし、説明を受ける側の負担も大きいように思います。むずかしいですね。何か、間を取ったようなよい方法があればいいのですが。

「説明」の内容に関しては、てるてるさんの「終末期医療の説明」は非常に優れていると思います。臓器提供とセットで考えるべき問題ですものね。ここを踏まえた上で次に移植についての説明に移る、という流れは受け入れやすいと思います。


講習 投稿者:ヨシダ  投稿日:06月16日(金)18時16分21秒

私は、臓器提供は提供希望者が「能動的」にするべきものだと考えています。
ですから、それに関する説明も、移植コーディネータが「する」のではなく、
提供希望者が、「聞きに行く」べきだと思うのです。
組織的にカードを配り、説明し、選択を迫るのはよくないと思います。

リンク 投稿者:yukiko  投稿日:06月16日(金)17時37分32秒

下記のURLで、「桜プランニング」の中村敦氏が、こちらにリンクをはってくださって
います。
中村氏は、もともと森岡さんのサイトをリンクされていたのですが、今回、あらためて
臓器移植のページをおつくりになりました。↓

http://www.sakuraplan.co.jp/


終末期医療の説明 投稿者:てるてる  投稿日:06月16日(金)17時25分08秒

なおみさんが「投稿日:06月16日(金)12時16分35秒」の「思いつき」で書いてらっしゃる、

> 自動車学校や、更新時の講習で、脳死について説明する

ですが、自動車学校や警察署では、やはり、やらないほうがいいと思います。

しかし、臓器移植だけでなく、脳死状態での終末期医療の選択についてならば、自動車運転免許証交付時に、臓器提供意思・終末期医療選択カードを配布して、貰った人が全員、自動車学校や警察署とは別の場所で、説明を受けることにしてもいいかと思います。

集中治療室の中で、
心臓停止まで人工呼吸器でのケアや薬剤の追加などを繰り返し継続する「積極的治療」、
新たな治療を追加せずに心臓停止まで同じケアを続ける「消極的治療」、

集中治療室の外で、
昇圧剤や人工呼吸器などを中止する「治療の中断」
(脳死の場合、まもなく心臓が停止します)、

集中治療室から手術室に移って、
心停止後あるいは脳死後に臓器を提供する

以上四つの選択肢について、説明を受ける。

そのうち、最初の、集中治療室で積極的な治療を受けることを選ぶ人には、民間保険への加入を勧める。
集中治療室での積極的な治療も、法律で最低限健康保険で支払いができる期間を決めておいて、その期間を過ぎたら、民間保険での支払いに移行することにしておく。

そして、移植を選択しようと考えた人は、更に、「投稿日:06月16日(金)16時31分31秒」で書いたような、「講習」または「説明」を受ける。

こういう方法ではいかがでしょうか。


悩むね〜 投稿者:なおみ  投稿日:06月16日(金)17時15分39秒

>本人の死後に、本人の家族が移植コーディネーターから受ける説明と、同意を、本人の生前に行って、臓器提供の意思を書面に表示する、という発想

発想そのものは、理解できますし、理想だと思いますけど、この案は現実的には難しいですよね。実際に臓器提供に至るかどうかも分からない人達にも移植コーディネーター並の知識を持って説明にあたる、となると予算がかさみそう。
それと、臓器提供を希望する人だけではなく、希望しない人、そもそも興味ない人まで、まんべんなく「説明」は行き渡ったほうが良いと思うのです。講習を受けた結果、提供をやめる人もいれば、講習を受けることで提供を希望する人もいるでしょうから。まんべんなく、というのが私の理想です。


ヨシダさん 投稿者:yukiko  投稿日:06月16日(金)17時13分12秒

「反対」したことで、いろんなリアクションを受けたことが、わたしにもあります。
現実世界で。そのときは「反対」の中身はわかっている、わたしと同じ当事者がもっとも攻撃的でした。

そのときは、怒りつつも、おたがいの、個人の気持ちを大切にしていくことでしか解決できないだろうとおもいました。
一方で、おあいそ程度のお付き合いの人がみんな立ち去りましたので、あ、ラッキーかも、とおもいました。


移植学会会長 投稿者:yukiko  投稿日:06月16日(金)17時04分59秒

野本さんの学会会長の任期は、気になります。
臓器移植専門委員会名簿(平成12年4月現在)には、野本さんの所属・役職は
「日本移植学会理事長」
と紹介されてますので、移植学会会長が交代なら、専門委員も新しい会長に後退、
いや交代する可能性がありますね。

もし、主流派といわれる人が会長になったら…、専門委員会には対立軸がなくなって
いけいけGOGOになってしまうのでは?


「講習」または「説明」 投稿者:てるてる  投稿日:06月16日(金)16時31分31秒

「講習」または「説明」は、臓器提供希望者と、その家族とか、「保証人」とか、最後を看取ってもらう可能性のある人と一緒に受けることにしては、どうでしょうか?

そして、その「講習」または「説明」を受けたからと言って臓器提供に同意しなければならないわけではなく、臓器提供の意思表示をやめてもいいのです。
臓器提供に同意したら、本人と、保証人が署名する。

本人の死後に、本人の家族が移植コーディネーターから受ける説明と、同意を、本人の生前に行って、臓器提供の意思を書面に表示する、という発想です。


運転免許証的ドナーカード 投稿者:てるてる  投稿日:06月16日(金)15時38分20秒

「講習」「検定」「試験」という言葉は、自動車運転免許と同じような制度ということなので使いましたが、臓器提供の意思のある人だけが、最低限の必要な知識を身に着けるために説明を受け、その結果、提供に同意したら、臓器提供の意思を表示するけれども、その際に、必要な知識があることを確認するものだと思います。

それは、私が、「チェックカード」で提案したものと、根本的な発想は同じだと思います。
もともとは、チェックカード・ドナーカードが、他人によって偽造されたり、破棄されたりするのを防ぐため、運転免許証と同じような資格のあるものにしよう、という、発想なのです。
チェックカードは、なんら、ほんとうに、充分な知識を持っているという、保障にはならず、最低限の知識を得る機会を提供するもので、それさえない人からは、臓器の摘出をしない、という目的でした。

「講習」でも「説明」でもいいですが、こちらのほうが、チェックカードを渡すだけよりも、より確実に、臓器移植に関する知識を提供できるのではないかと思います。


(無題) 投稿者:なおみ  投稿日:06月16日(金)15時07分36秒

「試験」はやりすぎだと思います。個人的に「受けたくない」って思います。
ヨシダさんの「どこかねじれてる」という言葉はピッタリだと思う。
でも講習に関しては「強要」にならない方法があるのではないかと私は思ってます。
医学的事実、臓器提供のシステムなどを客観的に伝えて、脳死を含め臓器移植について
考える場を与える。「提供するのが善」という一方的な押し付けにならないで
そういった講習を行なうことができるなら、それは有効だと思います。

講習−試験 投稿者:ヨシダ  投稿日:06月16日(金)14時27分26秒

臓器提供を希望する人が講習−試験を受けるなんて、
どこかねじれてるような気がしますが。
そういうものじゃないでしょう、臓器提供は。
自動車学校で脳死の講習を受けるってことになれば、
組織的に臓器提供を押し進めるってことになるでしょう。
それこそ「善意の強要」ですよ。
それとも、臓器提供から「善意」自体を外そうというお考えですか?

なおみさん 投稿者:てるてる  投稿日:06月16日(金)13時36分29秒

「検定」ってつけたのは、「試験」のことです。この運転免許証的ドナーカードのアイ
ディアをくださった方が、「試験」すべきだとおっしゃっていました。

私としては、臓器提供の手続が手間暇のかかるものになって、提供者が減っても、かま
わないと思います。お手軽気軽に何も知らないで臓器を提供する意思を表示してしまう
人がいるよりは、ましだと思います。

自動車学校では、ドナーカードを配るだけにするのがいいと思います。
それによって、まず、臓器移植というものがあるということについて、認識してもらう。

それで、臓器提供の意思を持ったら、実際の臓器提供のときに移植コーディネーターが
ドナーの家族にするのと同じぐらいくわしい説明を受けてから、決定するのがいいと思
います。

その場合、病院・保健所・学校等で、移植コーディネーターまたは相当の知識のある医
療関係者がいて、説明をしてくれるところに、臓器提供希望者が行くことにすればいい
のではないかと思います。


思いつき 投稿者:なおみ  投稿日:06月16日(金)12時16分35秒

「運転免許証と同じような制度」ではなく、免許証制度に直接組み込む、なんて方向性はいかがでしょう? 以前にも、免許証に意思表示欄を設ける、みたいな案がありましたよね。それと講習がセットとか、そこまでいかなくても、自動車学校や、更新時の講習で、脳死について説明する、ってぐらいのことなら可能ですよね。

ずぼら? 投稿者:なおみ  投稿日:06月16日(金)12時09分23秒

>てるてるさん

臓器提供を希望する人を対象に講習を行なう、という案はよいと思いますけど、義務付ける
となると、ますます提供者が減るんじゃないですか? 私は提供を希望しているのですが、
今更、講習となると、単純に面倒くさいな。じゃあ、やめとくか、って思っちゃうかも。
訂正で「検定」が足されてましたけど、どう言う意味での「検定」ですか?
補足説明求む。お願いします。


臓器移植改正法 投稿者:ヨシダ  投稿日:06月16日(金)11時53分46秒

「臓器移植改正法に反対」という言葉は、
それだけで世間では危険思想視されるってことないですか?
この「反対」が何に対してどういうふうに反対しているのか、
その中身を知らない人が、言葉だけで、「アブナイ思想」だと判断される。
私は自分のサイトにバナーを付けただけで、友人から
「ヨシダ、なにか宗教に入ったの?」というメールが来た。
私にはこういう状況のほうが危険だと思えるのですが……。

みなさんはそういう目で見られたことないですか?

http://homepage1.nifty.com/sophist/


ドナーカードとインフォームドコンセント 投稿者:てるてる  投稿日:06月16日(金)09時16分44秒

ドナーカードについて、メールでいただいたアイディアなんですが、運転免許証と同じような制度にしてはどうか、という意見があります。ということは、講習・検定・登録・更新という手続を踏むわけですね。

インフォームドコンセントについてですが、本人の生前の書面による同意を必要とするならば、本来は、臓器提供意思のある人のところへ移植コーディネーターが出向いて、本人と家族とに説明するべきなのじゃないかと思い始めました。
本人が脳死や心臓死の状態になってから、本人の家族や遺族のもとに、移植コーディネーターが出かけていって説明するのは、もともと、家族同意を前提とした発想だったのではないかと思います。

それで、ドナーカードそのものは、だれでもいつでもどこでも取れるようにしておいて、臓器提供を拒否するという意思表示は、何も説明を受けずに記入しておいても有効であるが、臓器を提供する場合は、移植コーディネーターの説明を受けてからでないと、提供の意思表示ができない、という制度がいいのではないかと思い始めました。


野本さん 投稿者:森岡正博  投稿日:06月16日(金)07時20分32秒

野本さんの移植学会会長の任期はいつまでなのでしょうね。再任はあるのかな。
それが、とても気になる。あれが移植学会の標準ではないと私は思っていますから、
いままでの経験上。

「匿名の原則」 投稿者:yukiko  投稿日:06月16日(金)00時41分40秒

は、日本もそうだ、ってNHKは断言してましたけど、原則はそうでも、絶対ではないとわたしは聞いています。いまの現行法ですけど。

以前、K省に質問したところ、匿名性については現行法に特に規定はなく、厚生省の通知だか通達で、個人情報をもらして当事者に不利益をもたらしてはならない、そういう「運用」をしなければならない、という趣旨です、とのお答えをいただきました。
だれに裁量権があるのか、ちょっと聞きわすれました。
移植コーデイネ―ターには秘密保持義務がありますので、ここから個人情報は出ないでしょうけれど。

つまり、マスコミ相手の場合には匿名性の原則が絶対であっても、当事者レベルで、ドナーの家族やレシピエントが、頑強に相手を知りたいと主張をした場合、個人情報を知らせあっても不利益とならないことが担保されちゃうなら、個別的に判断して決めるしかない、と、K省のかたはおっしゃってました。


ETV 投稿者:ネレウス  投稿日:06月16日(金)00時06分42秒

前回のを見てないのですが、オランダの臓器移植の”需給バランス(!)”のための行政の
方策(ですよね)の結果が興味深かったです。
”臓器提供者の増加を図るため(!)18歳以上の住民全員に移植の意志確認の書類を送った
ところ、行政の思惑(提供50%を予想)を裏切り、未返送40%、提供20%という結果になった。”
”40%の迷い”、行政者の思惑は外れたけど、数字はあますところなく感情部分の真実をたたきだしたように感じました。40%というところが、またいい。
(50%をこえるとこれまたうそっぽいという、ただの私の感覚に過ぎませんが)

で、番組が「15歳以下の、、、」となったとき、猛然と睡魔に襲われ、はっと目覚めた瞬間「英語教育とは?」とかになってたので、何かわかるかなあと思って、アクセスしてみました。


NHK教育 投稿者:yukiko  投稿日:06月15日(木)23時46分47秒

の野本氏のご発言、わたしはうかがっているうちにすこし胸が熱くなりました。

傍聴では、野本氏の責任あるお立場からのご発言しかうかがえなかったので、
本音を聞いて見たい、とずっとおもっていました。
どうも、野本さんと町野さんには温度差がある、と思ったので。
「感情をたいせつにする」「市民の成熟を待つ」といってくださったことが
嬉しかったです。こどものことも、何年かかけて論じたい、といっておられた。

今度は、ぜひ専門委員会での具体的なご発言を期待しています。


川島さん 投稿者:森岡正博  投稿日:06月15日(木)22時58分21秒

心臓移植のボス、川島さんは、現行法のことを、移植禁止法だと言ってましたしねえ。
野本さんとは大違いではある。

NHK教育の番組 投稿者:森岡正博  投稿日:06月15日(木)22時54分46秒

いまNHK教育の臓器移植の番組を見ました。基本的には、こないだのNHKスペシャル
の抜粋を見ながら、スタジオで、向井承子さんと、移植学会会長の野本さんが語るという
スタイルでした。向井さんは、例の、町野案に反対する国会議員の会を開いたジャーナリ
ストで、野本さんは移植学会のいわば異端者的慎重派。で、対話は、おふたりとも、もっと
「慎重に議論を継続しましょう」「日本の現行法は悪いものではない」という感じでした。
この論調自体は、なるほどという感じでした。ところで、個人的に気になったのは、まず
野本さんが、しきりに「これは私個人の見解ですが・・」を繰り返していたこと。という
ことは、移植学会としては、野本さん的な考え方はやはり異端者だということなのでしょう
ね。あと、子どもについては、おふたりとも、ご自身の考え方を表明されなかったです。
なので、いまいち結論のでない番組になってしまった感じです。

しかし、前の移植学会の会長の太田さんとは、ずいぶんちがいますね。太田さんは、
いつも、「こんな多くの数の臓器が、無駄に捨てられている・・・」といつもわめいて
いましたからねえ・・・。私もけんかしたしねえ・・・。


おつかれさまでした森岡さん 投稿者:てるてる  投稿日:06月15日(木)20時54分26秒

それでもって、私の方は、勝手に書き込み… m(_ _)m

野村裕之さんの「死の淵からの帰還」(岩波書店)を読んでいます。
USAに渡って、肝臓移植を受けた方の著書です。
野村さんは、トリオ・ジャパンでも講演されています。
それで、西洋の人の「ドナー」という言葉は、神様へ捧げる、という意味であって、日本語で言う「提供」とは違う、とのことです。
「提供」なんてテレビ番組のスポンサーの紹介のときに使う言葉だ、
「提供」は、プレゼンテーションだって。
臓器は神様に捧げたもの、命は自分一人のものではなく、神様からいただいたもの、ということです。
野村さんが話を聞いた、欧米の、臓器提供者の遺族は、臓器提供したことで心を慰められ、勇気づけられ、満足していました。
また、USA では、脳死状態の患者の家族に、臓器提供の意思があるかどうか聞かなかった医者が、脳死状態の患者の死後、訴えられていました。
臓器提供の機会を提供しなかった、満足のいく選択の機会を奪った、ということで。
野村氏は、日本では、臓器提供だけでなく、献血・献体・献眼が少なく、もし、これらが、欧米並みに多ければ、日本で献眼を必要としている人のほとんどは視力を回復できるし、輸入非加熱製剤によるHIV感染も防げたのに、ということでした。

献血・献体・献眼については、私も、もっと多くするべきだと思います。
こういうことを、本人が同意していても拒否する家族はひどい人たちだと思います。
しかし、脳死については、心臓死と全然別のものだと思います。
脳死もまた、本人が同意しているのに家族が拒否するのは私は許せませんが、脳死については、心臓死と同じ「死」であるとは思えません。

内科医の赤塚祝子さんの「神様のくれた もうひとつの命」(集英社)も、臓器移植の患者さんのことを書いた本です。
著者は、移植医療が日本に定着することを望んでいますが、御自分の母親が重篤な状態に陥ってから蘇生した経験をしてから、脳死を死として受容するのがむずかしくなったと書いています。

これは、前に仏教のサイトで、心臓外科医の方が、御自分の子供が脳死状態になって10ヶ月「生きて」から、脳死を死であると思えなくなった、というのと同じだと思います。


おつかれさまですう。 投稿者:だやん  投稿日:06月15日(木)18時37分52秒

あら〜、森岡さんでも、そんなことあるんですねえ・・・。
おつかれさまです。。。
でも、今度柳田さんとかと一緒に講演されるんですよね。
聞きに行きたいのに、東京とは・・・。残念!!
本の出るの楽しみに待っております!

つかれたー。 投稿者:森岡正博  投稿日:06月15日(木)16時18分38秒

「世界」に載せてもらう予定の臓器移植法の論文と、「論座」の町野さんとの対談の初稿の
校正が、いま終わりました。あー、つかれたー。もう当分は、脳死のこと考えたくない気分〜。

「増補決定版・脳死の人」掲示板 投稿者:森岡正博  投稿日:06月12日(月)14時15分18秒 を作りました。詳しくは、日記をご覧ください。
掲示板のURLは、↓です。

http://www69.tcup.com/6912/noshinohito.html


ヒト組織の移植等への利用のあり方に関する専門委員会 第3回議事録
厚生科学審議会先端医療技術評価部会 平成12年2月3日

青野透「15歳未満の子どもからの臓器移植について考える」

カエルのケロケロレポート 2000年6月18日 第7回日本死の臨床研究会 関東支部大会