森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2000年05月17日〜05月31日

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自殺と臓器提供 投稿者:てるてる  投稿日:05月31日(水)19時49分03秒

対案のなかで、自殺した人の臓器は提供しない、という条件は、脳死のときの条件としています。
心臓死のときには、自殺した人の臓器を提供してはいけないとは、していません。
このように、心臓死の場合を脳死と区別するのは、脳死は生、心臓死は死という考え方に基づくものです。
脳死を生とみなす場合、自殺を企図して脳死状態になったら、それは自殺未遂とみなして、臓器の摘出を禁止する、という考えです。

脳死状態からの臓器提供を禁止しようとする理由として、私は、
自殺には鬱病によるものも多い、
自殺への誘惑をわざわざふやすようなことをしたくない、
もしもドナーの遺族とレシピエントとが対面したらつらいだろう、
などを挙げていますが、それなら、心臓死の場合も禁止したらどうか、という意見も出てきそうです。

ここで、
脳死後の臓器提供は、終末期医療の選択肢の一つ、
心臓死後の臓器提供は、埋葬の方法の選択肢の一つ、
というように考えてもいいと思います。

そして、脳死状態の自殺企図者から臓器を摘出したら自殺幇助になるから禁止する、と
いう考え方に絞るのがいいように思います。
それにしても、自殺の場合だけ、終末期医療の選択肢をせばめるのはおかしい、という
考え方もまた、ありえます。
それは正論だと思います。
しかし、私は、あえて、少なくとも今はまだ、その立場はとらないことにします。
自殺そのものについて、人によっていろいろな考えがあります。

森岡さんも町野さんも丸山さんも特に自殺の場合について触れない対案を出していらっ
しゃるし、まだ他の方も、自殺の場合を特別視しないで対案を作られるかもしれません。
それでいいと思います。


すみませんの続き 投稿者:White  投稿日:05月31日(水)18時50分25秒

詭弁かもしれませんが、わたしには自殺は悪いことです、自殺はいけません。と言う
発言が、実質の自殺者を減らしているとは、思えません。
そして、もし減らす効果があるとしても、その目的のために、人の気持を排斥すべき
では無いと考えます。
わたしの発言が、増やす結果にならないか、と言う危惧に対しても同じ答えです。
人の気持を汲みとるこころを失ってまで、結果を優先すべきではないとおもいます。

自殺を考えている人の気持を理解できないままに、ただ、自殺は認めませんよ、と言
っても、相手に訴える迫力はないと思います。そして絶対悪であると説得する自信も
わたしには有りません。精一杯できる事といえば、相手の気持を理解してあげたいと
思うことくらい、だと考えます。そしてその気持が通じたときに、彼(彼女)が少しで
も、余裕を取り戻し、自殺の選択を先延ばしにしてくれれば、いいなとおもいます。

そして、一生先延ばしを続けてくれればありがたいです。
わたしの考えは、だめなのでなくて、そんなに急がなくてもいいのでは。です。

だから、自殺の場合は禁止という言葉は、自殺者は普通の人と違います、もしくは、
自殺はいけませんと押さえつける感覚に、聞こえてしまうのです(私の場合)。

わたしの伝えたい言葉は、臓器提供の気持はよく解ります、でも安易に認める事には
反対です。そしてよくよく考えての事だったらできるだけ希望をかなえられる方法を
他の、法律とかとも照らし合わせて考えてみましょう。でもいま死にたいという考え
は、そんなに急がないでもっとよく考えましょうよ。と言ってあげたい気持です。

ところで、
通常自殺のニュースを聞くと胸がいたむのですが、井上さんの場合、頭も痛みます。
病気の奥さんが、かわいそうすぎます。わたしは先に書いた内容と矛盾しますが、彼
に相談受けた場合、絶対死んではいけないとアドバイスしたと思います。


すみません 投稿者:White  投稿日:05月31日(水)18時48分59秒

何ごとも、単純に整理しないと気がすまない人間です。

自殺者のケースを大きく二つに、分けます。
一つ目は、意志カードを書いた時点で、自殺意志を表面的には有していなかった場合。
     あえて表面的と表現した理由は、潜在的まで含めると持っている人が多過
     ぎるし、本人も確認出来ないと考えるからです。
二つ目は、それ以外、提供意志と自殺意志の同時発生、又は、自殺意志の発生後に、
     提供意志が発生した場合です。提供意志が先というのもないとは限らないですね。
ただし、これは心の問題なので、当事者以外がどちらのケースであるか、断定することは不可能です。

そして、一般的に陥りやすい統計的錯覚について、先に警告させて頂きます。
前回の、亡くなった後、意志カードが確認できた人の約1/3が自殺だという事実から
1/3 の確率を発生させている主原因は、二つ目のケースの人がかなりの比率で存在す
るからだろう、と普通考えるのではないでしょうか。なぜなら一つ目のケースの場合、
この方の死亡する可能性は、一般の病死、事故死、等と同じ確率のなかの、自殺にし
か過ぎないはずだから、前回の私の仮定であれば5%にすぎないはずだと。

私も、最初そう考えました。でもよく考えてみると、もし一つ目のケースの人しかい
なかっても、1/3 という統計数値は有りえるのです。
単純に、自殺意志は表面化してないけど、潜在的自殺願望の高い人が、意志カードを
持とうと決意しやすい傾向にあるという条件だけが成立すれば。(仮定にすぎません)
自分の死について考えること自体、潜在的自殺願望を顕わしているなんて、乱暴な意
見さえも私は、否定しきる自信はありません。自分がそうかもしれないから。

そして、勿論二つ目のケースの人のみでも、1/3という統計数値はできます。
要するに1/3 という統計数値は、どちらが多いという事は物語っていないのです。

そして、本人に確認もできないので。一つ目のケースと二つ目のケースの割合は誰
にも、わかりません。ただどちらも、ありそうだという事は誰もが、想定できます。

そして、一つ目のケースの場合、受け取るべきだと私はかんがえます。提供意志に関
しては事故死と同列に考えたいです。本当に望んだ死であったかどうかは、判りませ
ん、でも結果的に脳死に至った状態において、脳死から心臓死への選択件は、本人の
事前申告を採用すべきだと思います。

そして、二つ目のケースの場合、非常に厳しい基準にして、ヨシダさんも述べられて
いるように、できるだけ背中を押すような可能性を排除すればよいと思います。

しかし、自殺の阻止のみを目的とするのは反対です。それのみを目的とするのなら、
現行の、自殺でも契約後一年経過していれば、保険金を支払うなんていう制度は、最
悪です。この制度を廃止すれば確実に、自分に保険を掛けて死ぬ人は減ります。
そして自殺者には葬儀を出してはいけないという法律でもつくれば、いくらでも減り
ます。

要するに、なんとか意志は汲んであげる姿勢は残したいです。それは、死のうと考え
ている人との、対話であるからです。法律文に、死のうと考える人も受け入れる文章
を残してあげる事により、法律との対話のチャンスをのこし、対話している内に、死
の決断を先延ばしにする余裕ができるかもしれないのです。


訂正です 投稿者:yukiko  投稿日:05月31日(水)02時01分40秒

民法713条の規定は、心神喪失者が、「他人に損害を与えた場合に」賠償責任がないって
ことでした。自殺は相当しないようです。
訂正します。 m(__)m

現行法7条の規定は、検視その他の犯罪捜査に関する手続きが終わるまでは臓器の摘出を
禁じています。でも自殺者や犯罪被害者の臓器摘出の是非について言及しているわけでは
ないですね。

ちなみに、臓器移植法のURLです。必要な人どうぞ。↓

http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/law2zouho.html


自殺について 投稿者:ヨシダ  投稿日:05月30日(火)20時50分27秒

「責任能力」という問題は、このことに限らずとても難しいですね。
たしかに、ドナーカードを書いた時点の精神能力を調べるなんてことはできっこない。
だからこういうことを言い始めると、ドナーカードそのものを破棄せざるをえません。

> Whiteさん
やっぱりわたしには抵抗があります。
臓器提供を希望する自殺者、を美談にしてはいけないのではないか。
それを認めることは、自殺志願者の背中を押すことになりはしないか。
うまく言葉にすることができませんが、
どうしてもそういう気がしてしまうのです。

http://homepage1.nifty.com/sophist/


yukikoさん 投稿者:White  投稿日:05月30日(火)19時49分03秒

いきなり"権利主体"なんちゅぅ、難解な言葉が飛び出すので、私の発言に関係ある投稿
なのか、否かも、理解できませんでした。あまり理解出来てないけど、xx権という、
言葉がたくさん出てくるので、多分関連投稿をして下さったのだと解釈させて頂きます。

あげあしとります。ドナーカード書いた時の責任能力問うのだったら、自殺者に限らず、
全員に確認がいるでしょう。亡くなってから、ドナーカードを書いた時点の精神状態を
調べるというのは、膨大な時間と労力が要るので、書く時点での責任能力確認作業が必要
になると思いますが、これはそこまで厳密にするより、てるてるさんのチェックカード
程度が丁度いいのじゃないかなと、私は思います。

理屈は、あまりわからんので、感覚の話にテーマ移します。
03月20日23時53分11秒にてるてるさんが投稿している"厚生省の議事録を読んで(2)"
この投稿のあと、どなたもこの件で意見を述べて無いみたいなのだけど、これものすごく
ショッキングだと感じませんか?。
亡くなった後、意志カードが確認できた人の約1/3が自殺だというのです。

私は統計数字に弱いけど、通常死亡者の内、死因が自殺というのは5%以下だと推定します。
そしてもし5%だとして、通常の7倍です。おまけに、自殺以外の人で意志カード持っていた
人でも真剣に臓器譲渡を希望して所持していた人の確率は又、少なくなるような気がします。
(これは単に感覚的な推定です)。
そして、自殺をした人のうちカード持っていた人は、殆ど真剣に考えてカードを持つ決心を
したと思います。

善悪は、わかりません。でもこの熱意を心に、胸に感じませんか?。
わたしは、こころが震えました。

自殺者が、みんな提供意志を持ってるなんてもちろん考えません。でもそれを願う人が
たくさんいる。そして限りなく重い願いを込めている、ような気がしました。

でも、それを汲みあげるべきか、否かは皆さんのお気持はそれぞれだとおもいます。


自殺者の臓器提供について 投稿者:yukiko  投稿日:05月29日(月)23時05分06秒

ドナーにもレシピエントにも、生きている限り、権利主体としての人格権があるとおもいます。
人格権は、身体・自由・名誉・などを目的とする私権といわれ、最近では、生命・社会的信用・
氏名・肖像・プライバシーも人格権に帰するといわれています。
人格権の上位法は、憲法13条「個人の尊重・幸福追求権」です。公共の福祉に反しない限り、
という限定がつきます。

医療を受ける権利は、憲法25条「生存権」に属します。ドナーとレシピエントは、生存権の
権利主体になり、国は医療を保障する義務があります。

自殺未遂で脳死になった人にも、生きている限り生存権があり、国は医療を保障します。
しかし、自殺者のドナーカードの行使は、公共の福祉や公序良俗に反しないか慎重に考える
必要があると思います。個人の自由はそれによって制限されるからです。
現在行われている死体の臓器移植では自殺者はどのようにとりあつかわれているのでしょう?

自殺者については、本人がドナーカードを書いた時点にさかのぼり、民法713条「心神喪失者の
責任能力」にもとづき、心神喪失、心神耗弱の状態になかったかを調べる必要があると
おもいます。民法では、責任能力のない人の遺言は認められていません(民963条)。

何が公共の福祉に反し、何が公序良俗に反するのかは、事例性にもとづいて、判例を参考に
考えるしかないようです。


すみません 投稿者:White  投稿日:05月29日(月)18時24分33秒

なんか、まどろっこしい表現をしてしまいました。
すこし整理してみると、非常に単純なことのようです。

自殺者から臓器を受け取る権利という観点と、自殺者が臓器を提供する権利という観点
の二つが私の中にあります。
一つ目の観点は、基本的にこの権利は無いと考えたいです。
二つ目の観点は、できるだけ尊重できないかと、考えます。
        尊重というのは、譲渡意志が本人の自殺理由とは因果性の無い、冷静
        な判断と解釈できたとき、権利が発生する。
        自殺動機が冷静という事ではありません、譲渡意志のみです。
そして、有る条件をクリアーした時のみ、後者の権利が優先できないか、という事です。
この有る条件については、当然厳しい条件で有るべきだと思います。
ドナーカード記入後一年以上経過している事、等。

この原則は、子供からの臓器提供にも、そのまま当てはまるような気がします。
子供から臓器を受け取る権利という観点と、子供が臓器を提供する権利という観点です。
一つ目の観点は、やはりこの権利は本来無いと考えたいです。
二つ目の観点は、できるだけ尊重できないかと、考えます。
        尊重というのは、理想的に、子供の自主性において理解できたとき、
        権利が発生する。その為に、急がずに、子供への死の教育の方法を
        検討する。
そして、有る条件をクリアーした時のみ、後者の権利が優先できる、という事です。
この有る条件が、具体的なてるてる案の子供に関してなどであれば、と考えています。

成人の場合は少し異なります。
成人から臓器を受け取る権利という観点と、成人が臓器を提供する権利という観点。
一つ目の観点は、やはりこの権利は本来無いと考えたいです。
        ただ、対等な依存関係において、簡易的には有りえる。
        (わたしは輸血等の場合、をイメージしています)
二つ目の観点は、一般的には、判断能力は有ると考え、その考えをそのまま尊重する。
そして、有る条件をクリアーした時のみ、後者の権利を行使できる、という事です。
この有る条件が、具体的なてるてる案の成人要項などであれば、と考えています。

それから、わたしは、こんな発言する資格ないみたいです。自殺の事ずっと考えている
と胸が痛くなって辛くなります。
臓器提供は、本人の意志を最大限に尊重すべきだ(可能な限りに於て子供も、自殺者も)
という意見のみ表明させて頂きます。てるてる案の改訂依頼のような発言は撤回します。

訂正。前回の"弱者"表現不適切です、他の適当な言葉が思い浮かばなかっただけです。
   おわびします。


(無題) 投稿者:篠原  投稿日:05月29日(月)18時16分01秒

短大の生命倫理がらみの授業の一環で、NHKスペシャル「脳死・臓器移植」を見せた後で、
「臓器提供したい」「しても良い」「したくない」の項目でアンケートを取りました。
1割、7割、2割というところでした。移植法施行以前は、3,6,1。
施行後は1,9,0といったところでした。
自己決定は情報によって変わるというのが実感です。

みなさま 投稿者:le pissenlit  投稿日:05月29日(月)16時47分59秒

皆様のお話を伺いながら森岡先生の自分と向き合う「知」の方法の中の「尊厳死」を認めるなら
「自殺」は?を思い出しています。
このテーマは最初に読んだ時から心に留めて思いめぐらしているのです。
自殺する時は本当に自己決定出来ている状況なのかなと疑問に思ったり。
自分の命は自分だけのものでない等今までの掲示板の皆様の白熱する議論を重ねながら・・・。
皆様のお話をこれからも聴いていますね。

Whiteさん 投稿者:ヨシダ  投稿日:05月29日(月)14時28分02秒

> Whiteさん
ちょっと誤解されたようですが、
わたしは Whiteさんに反論したつもりはまったくありません
(完全に同意見ではないかもしれませんが)。
わたしは、自殺と臓器移植との関係のなかで意見を述べたのであって、
自殺は認めない、などとは言ってません。
ただし、やはり自殺を勧めてはいけないと思う。
仕方がないとは思いますが、建前上、
自殺はいけないことだ、としておくべきだと思います。
だから、自殺者の臓器提供は認めてはいけない、
とわたしは考えるのです。

http://homepage1.nifty.com/sophist/


自殺について 投稿者:てるてる  投稿日:05月29日(月)11時31分28秒

自殺と児童虐待とを並べて書いてしまいましたが、私は、自殺は悪だとは思いません。
自殺を臓器提供から除きたいという私の想いは、自殺を悪と考えるからではありません。
児童虐待は悪だと思います。
ただ、自殺には、虐待されてきた本人が自ら手を下すという場合もあると思います。
(「児童」の年齢では無理だったとしても十代以上になってからででも)

資料紹介の更新 投稿者:てるてる  投稿日:05月29日(月)11時21分14秒

資料紹介のコーナーを更新しました。

「ドナー・脳死・臓器移植―日本における移植医療の『現在』」
「臓器移植法ハンドブック」

「ドナー・脳死・臓器移植…」のほうの本には巻末の関連資料として、世界の臓器移植関連法の紹介(法律名・臓器を提供できる条件・死亡判定者・記録・臓器摘出の実施者等)があります。
それを御覧になってもわかりますが、「てるてる案」は、世界各国の臓器移植法のだいたい共通としているところとは異なるところが幾つかあります。
臓器移植法を制定している国では、脳死と心臓死と両方を死とするか、脳死を死とするか、どちらかで、脳死を生とするところはありません。
もっとも、日本での臓器移植法の制定前に、金田案として出されたものは、脳死を死としない考え方に基づいていました。

また、NHKスペシャルの「脳死・臓器移植」を御覧になった方は、ドナーの遺族がレシピエントに会いに行くという話で、ナレーションで「臓器移植の根幹を揺るがすできごとが起こってきました」と語り、ドナーとレシピエントとがお互いに匿名である、という世界共通の匿名原則がある、と言っていたのを、お聞きになったと思います。匿名原則は臓器移植を根底からささえるものとされています。

それにあえて逆らうようなことを対案のなかで提示したのは、臓器が無名の「もの」として扱われることに、倫理的な問題を感じ、「臓器不足」の原因も、その倫理的な問題に原因がある、はっきりいって、倫理性の低さをもたらしている、と考えたからでした。

自殺を臓器提供者から省く、という法律を定めている国も世界中のどこにもないようです。
しかし、それを言うなら、児童虐待で殺された子供の臓器提供を禁止する、という法律を定めている国も、世界中のどこにもないようです。

私は、このような臓器移植法のありかたに、疑問を感じています。
特に、ドナーの遺族とレシピエントとが会う場合を始めから想定し、そういうことには我慢できない人は移植を受けなくてもいい、という考えのもとで対案を作っているので、もし、遺族とレシピエントとがであうのだったら、自殺や児童虐待のもとでの臓器提供は非常にお互いの心を苦しめるものではないだろうか、と思います。

とはいえ、自殺については、いろんな意見があると思います。
この点は異論が出て当然で、もっと議論してもいいかと思います。

自殺の場合は臓器提供しないといっても、実際には、自殺か事故死かわからない場合もあると思われ、その場合、疑わしきは提供せず、という考えをとったらどうか、と思っていますが、そうはいってもむずかしいだろうなあ、とも思います。

自殺の場合は臓器提供しない、という法律を定めている国はないのだから、議論するほどのこともない、と思われる方もあるかもしれません。
しかし、先々週の「週刊金曜日」の「論争」で、今年3月に脳死状態で臓器提供をした女性が、躁鬱病だった疑いがあり、この場合、臓器提供が正しかったかどうか問題である、という、山口研一郎氏による批判が載っていました。


ヨシダさん 投稿者:White  投稿日:05月29日(月)09時52分36秒

RESありがとうございます。
やはり、そのように考えるしか、しかたないのかもしれないですね。

なにか、割りきれない気持が少し残るので、もし、同じ感覚を有する人が私の書き込みを見て、同感し、こんなにしたら少しでも弱者(自殺をした人、したいと考えている人)にも、おもいやりの有る条文になるのでは、と発言してくれればな、というはかない、希望の気持から、書き込みさせて頂いただけです。

ヨシダさんのような、意見の方が一般的であるというのは、始めから承知なので、あなたに対して、反論を申し上げるつもりも無いし、その力もありません。わたしが、理論武装して反論出来るくらいなら、先に具体的な対案を提案しています。

一応、過去ログの自殺関連投稿は読ませて頂いています。理解はできてないと思いますが。そして、ご意見に納得する部分は沢山ありました。自殺はこういうケースがあるから、認められないというご意見は殆どそうだなと思います。しかし自殺する人のすべてのケースを想定することは誰にもできません。自殺の場合は禁止する、と言う一行の条文で切り捨てる事に冷たさを感じたのです。

前回にも書いていますが、基本的には自殺からの臓器摘出には私も反対です。でも、自殺はそんなに単純でないので、どうしても法的に自殺を特定する事が必用な時以外、自殺の場合はと、簡単に定義しなくてもいいのではと言う気持です。

そして、死にたいと、提供したいが、同時発生の場合は、頂くべきでないかもしれないけれど、死にたいだけが、ある理由で確定して、別レベルで提供したいという真剣な気持が発生した人にたいして、現実には無理かもしれないけれど、あなたの意志はできるだけ尊重してみます。という返事を返してあげられればいいなと思うのです。

こういう気持を仮定で話しても、仕方ないですね。私がそのように考えて自殺することを想定してみました。そう考えた時、冷たい条文だと思いました。わたしが、どんなに冷静な判断をしようとも、自殺を選択したという、一つの悪(?)で他のすべての判断が抹殺されるからです。

なんか、法律は基本的に冷たいものです、なんて言われそうですね。<


NHK世紀を超えて 投稿者:White  投稿日:05月28日(日)11時22分57秒

を、見ての断片的な、感想です。> は聞き取り筆記部分です。

> 移植によって救われる、ひとの、命のおもみ。
> そして、臓器を提供したひとの、失われたいのちのおもみ。
> かけがえのない、このふたつのいのちに、どう向き合い
> 臓器移植のシステムを作り上げていくのか。
> 移殖医療が背負っていく重い問いかけです。
最後の松平さんのナレーションが印象にのこりました。

> この心臓は、私に命を与えてくれましたが、わたしは、
> この心臓に、体と人格と、脳を与えました。
> でも、どこまでも一体ではない感じです。われわれは別々なのです。
コロラドにすむ50歳の医師の感想です。
もらった、あげた、でなくて二つの不完全生命から、一つの別な生命が誕生・・
と考えることもできるのだとおもいました。

> なにもかんがえられません。愛の告白と同じです。いくら言葉をつくしても
> 足りないし・・
> 臓器をもらったという事実は、手術前に考えていたよりはるかに重大な出来事
> でした。
他人の不幸な死によって自分がすくわれた。複雑な思いを抱く移殖患者の弁です。
この人の場合受け取った心臓は、自殺した青年のものでした。難しすぎる。

> 再び移殖を受けられるほど自分は、強いだろうか。
> あの精神的ショックをもう一度経験してまで、移殖手術を受ける価値があるだろうか。
> こうした問いが心に浮かばない日はありません。
再手術の可能性のある、先ほどのコロラドにすむ50歳の医師の感想です。

> いままでプラスティックなどを使い形成手術をしていたような部分は、すべて他人
> からの移殖が可能です。
> 手も、足も、あごも、鼻も、耳も、そして咽も、将来がとてもたのしみです。
ある精力的移殖医へのインタビューです。
彼の顔がこころなしか、プラスティックでできているように感じました。そして、心も。

> イタリア政府は憲法の二つの条文から法律の制定が可能と判断したのです。
> ひとつの条文では社会的連帯行動を国民に義務付けています。
> また、もうひとつの条文では、国民の健康を守ることが、国家の利益とされています。
> つまり、国民の福祉が目的であるならば、国は死亡した住民は潜在的な臓器提供者
> であると、決定できるのです。
"沈黙の同意"原則を採用した、イタリアの臓器提供者協会会長の弁です。
おおきな政府、小さな政府論を思い出しました。小さくてやさしい政府であって欲しい。

あと、提供した家族の心のケァの問題が大きく取り上げられていましたが。
偶然でしょうが、すべて、16〜20才の息子を失った母親のケースでした。


自殺者の臓器提供 投稿者:ヨシダ  投稿日:05月28日(日)09時43分11秒

自殺者の臓器提供を認めると、自殺幇助になりませんかね。
このことを云々するまえに、自殺権の認否をはっきりさせるべきだと思います。
「おまえみたいな奴は生きてても仕方ないから、臓器提供でもして世間の役に立て」
などと言う教師も出かねません。
死ぬ権利を認めないなら、自殺者の臓器提供は認めるべきではないと思います。

http://homepage1.nifty.com/sophist/


てるてる案関連質問です 投稿者:White  投稿日:05月28日(日)09時30分54秒

まだ失恋中のものです。2度目の書き込みです。
この件に関して基礎知識の貧弱な者の素朴な質問です。もしご迷惑で無ければお答えください。

NHK世紀を越えてをみました。結構刺激を受けました。
そして、自殺した青年の心臓を受け取った老人が登場してきました。
大変ショックを受けました。自ら死を選択した人の一部を意志に反して、生き永らえさせる事により、別の人格が生存を続けている。すごい冒涜では、と反射的に、感じました。そしててるてる案では、自殺者からの移植を否定されているのを拝見して一安心しました。

そして、少しして別の考えが浮かんできました。
自殺というのは、状況や理由は、それぞれであり、簡単に意見を述べたり、分析したりできるものでは無いと思います。
でも、純粋に自分の命を断つ選択はするけれど、どなたかに物質としての自分を利用して貰いたいと考える人がいても不思議ではありません。
この意志を汲み取ってあげる道というのは、永久に閉ざす以外に方法はないのだろうか、という疑問です。

自殺に対する対応は基本的にはてるてる案が正解だと思う。でも条文として、自殺を否定するのでなく、別の表現にして、結果的に自殺はその条項に当てはまるので、認められない、という方向がよいかもしれないと思いました。
そして、強い臓器譲渡の意志が感じられる自殺の場合、これを汲み上げれることが、できないかと。


死の準備教育 投稿者:てるてる  投稿日:05月26日(金)17時38分41秒

学校に通っている健康な子供に死の教育をする必要があるのと同じように、病院にいる不治の病に侵されている子供に、死の準備教育が必要だと思います。
移植を待っている子供にも。
ほんとうは移植とは関係なく、もっと前から死の教育が行われていてもよかったはずなのに、行われてこなかった。
もう一つ、日本の学校教育であまり積極的に行われていないものに性教育がありますが、私には性教育と死の教育とは全体として一つのプログラムのなかで行われるべきもののように思えます。人の誕生から死まで、子供にも子供なりの理解ができるように、おとなが語り伝え、一緒に考えるのが本来ではないかと思います。

心臓移植を待っているおとなの人々が集まっている大阪の循環器センターでは心臓の提供が少なくて亡くなる方々がいるので、ホスピスが必要になっているといいます。

病院に入院しているおとなにとっても、死の準備教育は必要です。

学校で死の教育をするとき、自分と同じような子供が不治の病で病院にいることを知る必要があると思います。
子供に死の教育をすることが臓器提供へのプロパガンダとなると反対する人がいますが、そういう人は、移植を受けられない子供に死の準備教育をするべき、という意見をきいたら、どうするでしょうか。


もしも私が母親だったら 投稿者:てるてる  投稿日:05月26日(金)17時33分01秒

もしも私が母親で、移植をすれば助かる子供がいたら、臓器移植に反対する人や慎重な人を憎むと思います。
しかし、もしも私が、脳死状態の子供がいる母親だったら、絶対に臓器提供しないだろうと思います。脳死と判定されても後から脳波が出現することもあると聞いているのですから。脳が融解してきたら、諦めて、集中治療室の外に子供を出してもらうでしょう。それでは、子供の心臓が止まったら腎臓を提供するかというと、やっぱり提供しないだろうと思います。

私が小学生のときに亡くなった当時4歳の妹は、お医者さんで死亡と診断されて家に連れて帰ってこられて、そのあと、寝かされたふとんに、おしっこをしくじっていたことが、お葬式の後で、おふとんについた染みでわかりました。その染みはお医者さんに行く前に着いたものではないことが、当時の家の事情で、医者に行く前と帰ってきてからとでは、違う布団に寝ていたために、わかっているのです。

それで、妹はお医者さんに診てもらったときには死んでいたけれども、家に帰ってきてから、家族がそろってから、「ほんとうに」死んだのだ、という気がします。

そういうわけで、心臓が止まった後も腎臓が生きている、ということは、その子がまだこの世にわかれを告げる最後のときのような気がするので、やっぱり臓器を提供しないだろう、と思います。

ただし、死因がわからないから解剖したい、と言われたら、すぐに承知します。
そういうことも嫌がる人がいますが、それは親として怠慢だと思います。
死因を解明することは死んだ子のためにも、必要だし、そのうえ、医学の進歩に役立つなら、反対する理由はない。

それにしても自分の子供の臓器は提供したくない。
それでは、自分の子供に移植をしてもらわなくてもいいと思うかというと、それはそう思わない。少しでも長く生きてほしいと思う。そのかわり、自分自身が移植しないと助からない病気になっても移植してもらわなくてもいいと思う。しかしそれも、自分の子供が幼いので少しでも長く自分の手で育てたい、幼くして母親を亡くしてはかわいそうだと思って、やっぱり移植を受けたい、と思うかもしれません。

自分の子供でも自分自身の場合でも、移植を諦める理由があるとすれば、脳死になる人の絶対数が少なくて、どうしても臓器が不足する、ということと、一人の人の体に別の人が入ることの気持ちの悪さ、実際に拒絶反応がおこり、免疫抑制をしなければならない、といったようなことが理由になるだろうと思います。

それでは、心臓死の人から角膜や腎臓を貰うのを諦められるか?
自分自身の場合はともかく自分の子供の場合は諦められないだろうと思います。
拒絶反応や免疫抑制のことが気になる以外は。

私は、実際には母親でないから、臓器を脳死後に提供してもいいけど他人から移植してもらうのは拒否する、と日頃思っているわけですが、母親になったら、がらっと変わると思います。

もっとも、もしも子供を虐待していたら? そんなことは自分はしないと思っているけれど、もしも不幸にしてそういう事態になっていたら?
事態になっていたら、ってその場合の責任は自分にあって、子供にとってこそ不幸な事態なんですけど。そんなときに子供が脳死状態になったら?
今はちょっと想像もつきません。


虐待について 投稿者:ヨシダ  投稿日:05月26日(金)17時20分52秒

わたしも見ました、その記事。自分の掲示板にも書いたのですが、
親が自分の子どもが脳死になったとき、臓器提供の決定権をもつべきだ
という発想と、子どもは自分のモノだから虐待するという発想はおなじじゃないですか。
改正案が通れば、子どもは親の所有物である意識を強化しかねないと思うのですが。

わたしの掲示板に、猪瀬直樹さんの書き込みがありました
(森岡さんのときと同様、呼び出したんですが)。
わたしは知らなかったんですが、パブリックコメントという制度が昨年できたんですね。
でも現状を見てみると、やっぱり国は閉鎖的だな、と。
いったいどうすればいいんでしょうかね。

http://homepage1.nifty.com/sophist/


虐待 投稿者:森岡正博  投稿日:05月26日(金)14時20分04秒

そうなんですよ。この記事、すごいですね。
脳死・脳蘇生学会でも、虐待の場合はどうするのかという意見が出ていました、がそれに対して
は、そんなこと言ってたらなにもできなくなるという反論がかえってきていたように思います。

Yahoo 投稿者:てるてる  投稿日:05月26日(金)07時53分33秒

Yahoo に載っている毎日新聞の記事で、脳死になる子供の事例に、虐待によるものがある、という記事があります。
Yahoo 掲示板の「子供をさらって臓器移植」というトピックで紹介されていました。
このまえ聞きに行ったシンポジウムで、救急医療の濱邊さんが紹介されていた事例にも、父親が自分の子供を高いところから落として脳死にして、そのあと、罪滅ぼしにといって臓器を提供したいと申し出た、という話がありました。

http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/000525/dom/08440000_maidomm209.html

http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200005/25/0525m209-400.html


移植で助かる人々のことを思うと 投稿者:てるてる  投稿日:05月26日(金)07時17分46秒

臓器をものとして扱うほうがいいのかもしれない。でもどうせ免疫抑制をしなければいけないのだから、他人の存在を意識しないわけにはいかないはずだと思うのですが。

私の対案のなかでは、移植をした人々が元気になるという移植のプラスの面について触れていませんでした。移植を望む人々がまるで他人の死を望むような書き方をしてしまいました。
移植を受ける前には、他人の死を望む感情が湧き起こってくることもあるでしょう。でもそれを盾にとって、移植を受ける人々の方がまるで倫理的に劣ってでもいるかのような、移植=悪のような考え方に傾いているのではないかと、反省しています。

あまりに移植に消極的な案を作ってしまうのは罪深いのかもしれない、病気で苦しむ人に、そのまま死ねと言っているようなものかもしれない、と思います。現代医学が精神と物質とを分離して発達してきて、それで大勢の人の病気が治ってきて、自分もその恩恵に浴して今まで生きてきたのに、他人が生きる権利を阻害するような、そんな傲慢な資格があるわけない。

それはそれとして、ドナーカードが、移植に反対している人々が懸念するように病院で医療関係者によって偽造されたり、または家族によって破棄されたりする可能性も考えると、ドナーは登録もするほうがいいのかもしれません。後からいつでも簡単に取り消しできるようにしておく必要もあるかと思いますが。また、どんな方法を取るにしろ、試験的に一部地域ででも実行してみる、という必要もあるかもしれません。


改訂版 投稿者:てるてる  投稿日:05月25日(木)19時46分35秒

アップしていただいてありがとうございました。
今回は今までの対案の前に、町野案との違いを説明する文章をつけました。

以下に、その概要を書きます。

臓器移植法改正案のなかで、改正の焦点となっているのは第六条です。
改正の目的は、小児移植ができるようにすることです。

町野案では、脳死を「死」として一元化し、そして、心臓死後の臓器移植を扱った角腎法では遺族の意思だけでも臓器を提供できることとしているように、心臓死・脳死後の臓器移植を扱う臓器移植法でも、遺族の意思だけでも臓器を提供できるようにと提案しています。

それに対して、対案のほうでは、臓器を移植するときでもそうでないときでも脳死を「死」とみなさない、という立場で一元化します。
そして、脳死後の終末期医療の選択肢の一つとして、臓器移植を提示することを提案しています。
そのため、ドナーカードの記述も変更します。
また、移植される臓器の人格権を主張しています。それについては、対案の後ろの方でも書いています。

だいたいこんなところを、前半は町野案を引用しながら、後半はこちらの掲示板で書いたことをもとにして、書きました。


更新 投稿者:森岡正博  投稿日:05月25日(木)17時13分43秒

昨日に引き続き、更新。てるてるさんの「てるてる案」大幅増補。プラス、上智大学で7月に開催される町野+森岡+マシアのシンポジウムの案内。ともに、移植法ページにありますので、ご覧ください。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/ishokuho.htm
http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm


ヨシダさん 投稿者:森岡正博  投稿日:05月24日(水)20時01分36秒

反対バナー、HPに貼り付けてくださって、ありがとうございます。

町野案+森岡案への反論 投稿者:森岡正博  投稿日:05月24日(水)20時00分15秒

鶴田博之氏が「いのちジャーナル」最新号に、そういうものを書いておられます。
ご本人と出版社の許可を得て、資料として掲載しました。ご覧ください。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/tsuruta01.htm
http://www.lifestudies.org/jp/tsuruta01.htm


個人の意思 投稿者:ヨシダ  投稿日:05月24日(水)11時08分07秒

はじめて書き込みいたします。
わたしは、臓器移植法改正案に反対します。なぜなら、
改正案のポイントは、脳死になった人がドナーカードをもっていなくても
家族の承諾があれば臓器提供できる、というところだと思いますが、
もしこの案が通ったならば、わたしは間違いなく、
「臓器提供せざるをえない」状況になると考えるからです。
臓器移植のラジオCMが良い例ですが、
臓器提供は正しく良いことである、というアジテーションが横行しています。
これは個人が自分の意思で判断できる状況ではありません。
わたしはまず、自分の意思でものを考える状況をつくることが大切だと思います。

http://homepage1.nifty.com/sophist/


連帯 投稿者:ひるます  投稿日:05月23日(火)11時36分53秒

こちらにははじめて発言させていただきます。
私もNHKスペシャル見ました。てるてるさんのまとめにある、
イタリアの「沈黙の同意」ですが、イタリアの憲法に、
「国民は連帯する義務がある云々」という規定があり、
その憲法が「沈黙の同意」のヨリドコロになっている
という話があって、なんというかナルホド…、でした。
町野案の「連帯存在」ってのが、どーしてこうも唐突にでてくるのか、
疑問でしたが、ここからきてたんですね。まさに「町野案はパクリ」だ。
ってことは、それが成り立つためには「憲法」もパクってこなきゃないハズだが…
フランス・ベルギーではどういう根拠をヨリドコロにしてるんだろうか。

http://www.bekkoame.ne.jp/~hirumas/


「世紀を越えて」 投稿者:翠  投稿日:05月23日(火)00時48分13秒

「世紀を越えて」の音楽、私も好きです。サウンドトラックが出てますね。
NHKスペシャルは、てるてるさんも書かれていましたが、息子のいのちが生きていることを
確かめたい、その心臓を抱き締めたいと願って移植の相手に会った母親が、抱き締めた瞬間に
それは他人のものだと感じた、とかいう最後のところがなんだか印象的でした。

更新 投稿者:森岡正博  投稿日:05月22日(月)18時54分59秒

ひさびさに更新しました。いろいろ更新。

てるてるさん 投稿者:森岡正博  投稿日:05月22日(月)17時53分27秒

さっそく、ありがとうございました。なるほど、そういう内容だったのですね。
ドラマじゃないから、内容が分かってから見てもかまわないのだ(でしょ?)。
その、脳死を死と思えない人の支え合いの場って、なんでしょうね。ネットにも
出ているんでしょうか? どうやって調べればいいかなあ。アメリカ人は、脳死を
死だと割り切っている、というのはやっぱり俗説だったのですね。

ビジネス 投稿者:てるてる  投稿日:05月22日(月)17時42分41秒

> 移植用に提供された臓器は、いまや大きなビジネスの商品となっている。
組織も、でした。骨とか。

ドナーの遺族とレシピエントの会見 投稿者:てるてる  投稿日:05月22日(月)16時52分46秒

ドナーの遺族がレシピエントに会うときの問題点を移植コーディネーターが話し合っていますが、私としては、移植の前に、それらの問題点をよく考えて、それでもドナーの遺族に会えるという人だけが、レシピエントの登録をするようにしたほうがいいと、思います。

NHKスペシャル「世紀を越えて 脳死・臓器移植」 投稿者:てるてる  投稿日:05月22日(月)16時49分10秒

USAでは、心臓移植を受けた男性の側と、息子の臓器を提供した母親の側と。
心臓を貰った男性の手記。
移植を受ける前。テレビのチャンネルを回しては、事故・事件などで、頭に重傷を負い、からだは大丈夫という人を捜していた。まともじゃなかった。
移植を受けた後。仕事も家庭生活も元気にできるようになってうれしい。
だけど、免疫抑制剤を何種類も飲みつづけなければならない。
自分の中にエイリアンの心臓があるみたい。
夢を見る。交通事故で死んだ人の側に自分が立っている。まるで自分が死なせたみたいに。
同じように移植を受けた人々と会ってささえあっている。

息子の臓器を提供した母親。脳死が死とは思えない。同じような人々と会ってささえあっている。

最近では、臓器を提供した相手に会う人々もいる。ひとりの母親は、息子の心臓を受け取った人に会いに行った。会って、自分の息子の心臓はもう他人のものになったんだ、と思った。

ドナーの遺族がレシピエントに会う前に、コーディネーターが議論して問題点を話し合っている。
問題点
1.ドナーの遺族が金銭を要求しないか。
2.ドナーの遺族がレシピエントと深い人間関係を求めないか。
3.移植後の臓器の具合が悪い場合、レシピエントがドナーの遺族を逆恨みしないか。
問題点を知らされてよく考えた末、ドナー側・レシピエント側双方が合意すれば会えることにしている。

オランダの事情。
18歳になったらみんな臓器提供の意思表示の書類が送られてくる。
意思表示は4通り。
1.私は臓器を提供する。
2.私は臓器を提供しない。
3.私は決定を家族に委託する。
4.私は決定を家族以外の第三者に委託する。
オランダでは、臓器不足を解消するためにこの方式を選んだが、何も答えないで意思表示の書類を破棄する人々が多い。
そこで、イタリアでは、3ヶ月以内に回答しないと、「沈黙の同意」をしたとみなすことにした。同じ方式を、フランス・ベルギーでもとっている。

移植用に提供された臓器は、いまや大きなビジネスの商品となっている。

だいたいこんなところです。
余談ですが、私、「世紀を越えて」の音楽、好きなんです。(^_^;)


実は見逃した 投稿者:森岡正博  投稿日:05月22日(月)16時36分34秒

あほですねー。見ようと思っていたのに、見逃しちゃいました(T_T)。
どんな内容だったんですか? 掲示板か、メールにて、簡単なポイントのみどなたか
教えてくださいませ。月末の再放送のときには必ず見ますので、それまでのあいだ。

私も見たぞ。 投稿者:Felix  投稿日:05月22日(月)15時53分45秒

昨日のNHKスペシャルは私も見ました。
一昨日から頭が痛くて朦朧としてた中(とはオーバーか)、大河ドラマの続きという安直な方法でみてしまいました。

喪の仕事(morning work)・死の受容とはここまで大変なのかと考えさせられました。


NHKスペシャル 投稿者:なおみ  投稿日:05月22日(月)13時31分30秒

昨日のNHKスペシャルは脳死移植についてでしたね。なんだか、このサイトで学んだことの総まとめって感じで楽しめました。海外の事情を聞くにつれ、簡単に改正案を通してしまってはいけない、という気持ちが強まりました。

論壇 投稿者:森岡正博  投稿日:05月20日(土)21時36分12秒

なかなか説得力あって、いいと思いました。いろんな人が読んでくれるといいなあ。

本日付け朝日新聞朝刊の「論壇」 投稿者:yukiko  投稿日:05月20日(土)08時52分53秒

に、ぬで島次郎さんが「人体組織の移植も本人同意で」というタイトルでご投稿されています。

町野案批判 投稿者:森岡正博  投稿日:05月19日(金)02時22分55秒

このページの042に、辛辣な町野批判が載っております。たしかに、あれ読んだら
ふつうはこう思うよねえ。

http://plaza29.mbn.or.jp/~kittyq/diary/diary/diary2000_05_01.html


乱夢さん 投稿者:森岡正博  投稿日:05月19日(金)00時51分55秒

なるほど。純粋医療系のサイトって、私はなかなか行く機会がないので、まったく
知りませんでした。気になるサイトですよね、これは。チェックしておきます。
ありがとうございました。

レス 投稿者:乱夢  投稿日:05月18日(木)20時41分16秒

森岡先生:最近、アメリカの大学の神経内科メーリングリストに入ったら、メールで
下記の記事の紹介があったのです。

下記のリンクは、英国医師学会が発行しているBritish Medical JournalのWEB版で、
討論もあり、なかなか優れています。論文テキストが無料で公開されているのが、
すごいところです。フルテキストは有料の場合がほとんどですから。当然、このWEBは
メジャーなサイトです。

もう一つは医学のトピックを扱ったもので、たくさんある医療情報の一つです。
メジャーかどうかはわかりませんが、アメリカの医師が情報を得ているので
マイナーではないとは思いますが。

http://www.bmj.com/index.shtml


乱夢さん 投稿者:森岡正博  投稿日:05月17日(水)23時38分19秒

おひさしぶりです。脳死の人への麻酔とラザロ兆候についての調査は、ご覧のような移植法改正が忙しくなったので、そのままストップしています。ラザロ兆候についてのウェブサイト見てきました。脊髄反射ということで、あっさりと片づけられていますね。
でも、その複雑な四肢の動きのメカニズムは未解明のはず。「脳死だから脊髄反射だ」という決めつけはないのかなあ。脳波はないことは確認しているみたいですが、脳波は深部の機能は測定できません。まだ謎は残っていると思いますが。ユダヤ教の例は、なかなかと思いました。ところで、この二つのサイトは、どういうサイトですか? 
医学系ではメジャーなのでしょうか? よかったらお教えください。

脳死 投稿者:乱夢  投稿日:05月17日(水)22時11分27秒

森岡先生:大変、ご無沙汰しています。ジャンボ鶴田の件があり、少し脳死・臓器移植の問題が再燃しそうですね。

脳死に興味のある方は下記のリンクを見て下さい。但し、英語で書かれています。
USAの医師は脳死患者をcadaver死体であると見なし、論文でも、その表現を使用していました。

英国では、脳幹死の患者は死体であると見なされています。ユダヤ教を信じる人は脳幹死を認めていないそうです。

脳幹死に反対する家族

下記の記事は脳死患者で見られる脊髄性と思われる自動運動の頻度は高いという報告です。

脊髄性自動運動

http://www.tcup1.com/146/ranmu.html


NHKスペシャル 世紀を越えて〜いのち 生老病死の未来〜第3集 脳死移植 生と死の問いかけ
2000年5月21日(日曜日)放送

bmj.com. The general medical journal website

「臓器移植法見直し」をめぐる危ない状況
『いのちジャーナル』2000年6-7月号 8-12頁 鶴田博之

臓器の移植に関する法律