森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2000年03月01日〜03月05日

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いいかも 投稿者:なおみ  投稿日:03月05日(日)13時29分46秒

なるほど、「結果が食い違う複数のデータを解析して、その食い違いの理由をあぶり出す」のは建設的で良いアイデアですね。実際にどんなデータがありえるか、具体的に考えてみたいです。


森岡正博さん 投稿者:てるてる  投稿日:03月04日(土)20時49分37秒

レイアウト、ありがとうございました。見やすく、わかりやすくなっています。
現状で自分にできる最善を尽くしましたけど、自分でも満足していないので、
どんどん批判してください。修正して、よりよい案にしていきたいと思います。
他の方々の対案もたくさん見たいです。

なるほど 投稿者:ジンジム  投稿日:03月04日(土)20時25分37秒

>なおみさん
こちらこそ、読解力が足りなかったかも・・・(汗)。
都合の良いデータを集めるのも良いのですが、
同じようなことを調査しているにもかかわらず、
結果が食い違う複数のデータを解析して、
その食い違いの理由をあぶり出した方が、
こちらの力になると思いますよ。

ジンジムさん 投稿者:なおみ  投稿日:03月04日(土)19時08分59秒

なんか話しが噛み合っていないような・・・。私が思いつきで書きこんでいて、言葉が足りないせいでね。
ごめんなさい。ジンジムさんのおっしゃって下さった事は、よく分かっています。
全面的にその通りだと思ってます。それなのに、データうんぬんと話を持ち出したのは、改正案推進派は、データを「都合よく使われるためのもの」として利用しているのに、このページにおける改正案に反対する方々は、そういう方法を利用する様子が無く、真っ向勝負とでも言える清々しさがあるので、対比として話を持ち出しただけです。
私は、ちょっと、こずるいので、もっと都合のよいデータを収集して法改正反対に利用するといいんじゃないかなぁ、って思っていたもので。

てるてるさん 投稿者:森岡正博  投稿日:03月04日(土)18時33分49秒

アップした文章、私がすこしレイアウトしてます。直すべきところがあれば教えてください。

臓器移植法改正反対ページ 投稿者:森岡正博  投稿日:03月04日(土)18時32分41秒

臓器移植法改正反対ページをつくりました。下のURLから行ってください。

ネットでどこまでできるのか、やってみるつもりです。
みなさんのご協力がぜひとも必要です。

てるてるさんの改正私案を下のページにリンクしました。よいたたき台だと思います。
建設的な議論にむすびつけていきたいですね。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/ishokuho.htm
http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm


訂正 投稿者:てるてる  投稿日:03月04日(土)14時22分33秒

「投稿日:03月01日(水)19時24分04秒」の投稿で、以下のように書いたのですが、訂正します。

> ドナーカードに臓器を提供しないと表示している人は、もちろん、臓器を摘出してはな
> りませんが、ドナーカードに何も記入していない人も臓器を摘出してはなりません。そ
> して、ドナーカードを持っていない人の場合は、たとえ、家に臓器提供の意思表示をし
> たカードがあることがわかっていても、臓器を摘出してはならないと思います。

現行のドナーカードには、家族署名欄があって、
「この意思表示カードをもっていることを知っている家族が、そのことの確認のために署名して下さい」
と書いてあるので、この欄に署名した家族が、ドナーカードを提示した場合は、臓器を提供する場合も、ドナーの意思として認めて良いと思います。


データの吟味 投稿者:ジンジム  投稿日:03月03日(金)20時42分05秒

>なおみさん
そもそも、データは、「都合よく使われるためのもの」です。
最初から、客観的なデータなんて、ないと言っても良いでしょう。
肝心なのは、データの「解析」です。

難しいことを言っているわけではありません。
「言葉」と、同じ事なのです。
あなたは、どんな言葉も信じますか?
当然、ウソ・ホント、混じった言葉を、吟味されていますよね。
それと同じです。


一般論 投稿者:なおみ  投稿日:03月03日(金)17時18分03秒

本音と建て前、一般論と実際の行動が一致しないことは百も承知です。
でも改正案に関しては本音よりも「建て前」がどうなのかが肝心なんですよね。改正案は
「臓器提供は人助けになるいいことだ。どんどん推進しましょう」という建て前が一般論として定着してしまえば通ってしまうんですよね。子どもに関しても「どんどん国内で移植しましょう」という考えが建て前として定着してしまえば、子どもの人権云々はふっとんでしまいます。

世論調査などの結果は、実際とかけ離れていようと、一度「数値化」されてしまうとデータとして非常に有効なものになってしまいます。現存するデータが改正案に賛成する方向を指し示しているのは事実です。改正案を阻止したいと考えるならば、一般論と個々の本心の間の溝を埋めていくべきだと私は思っています。

私は強く改正案に反対しているわけではないですが、「一般論」などという不確かなものに流されるのは嫌です。そもそも、脳死関係の事柄に関しては「一般論」とされていることが本当に一般的な多数意見なのかすら疑問に感じています。信憑性のあるデータがなかなか存在しないからです。データそのものの客観性を疑いつつも、「数字」を示されると説得力を感じてしまう、私のような人、他にもいませんか? 私自信が、データに説得力を感じてしまうタイプなので、信憑性のないデータも政治的には有効なのではないかと思っています。
「ほーら、こんなデータがでていますよー」って言ってなし崩しに法改正してしまうパターンってありがちですよね。
それは嫌!


森岡正博様 投稿者:てるてる  投稿日:03月03日(金)14時21分54秒

添付ファイル付きのメールを送りました。
御確認ください。

本音と建て前 投稿者:ジンジム  投稿日:03月03日(金)12時38分29秒

>なおみさん
一般論と、各自の行動は、全然、関連ありません。
うちの近所に、犬をブラッシングしていた人に、毛の始末が悪いと説教して、
自分は、車を掃除して、ゴミを駐車場に投げ捨てる人が実在してます(笑)。
その人に、ゴミを道に捨てていいか、アンケートしても、悪いと答えるに違いない。

同じようなデータに、癌告知の是非がありますね。
一般的には、告知すべきだという人が多いのに、
家族の癌は、みんな、一生懸命、隠している。

>てるてるさんへ
死んだ子供の臓器を生かすことと、
#こどもと臓器は別物だという考えが必要ですが
死にそうな子供が助かる。
これこそ、共生=共に生きるということだと思います。
これが、子供自身の意思で行われれば、素晴らしいことだと思います。


親の承諾 投稿者:てるてる  投稿日:03月03日(金)12時31分46秒

「親が承諾すれば認めてもよい」と言っているその親のうちどれだけの親が、自分の子供と臓器移植について話すことを想定しているか、知りたいものです。もしも、子供の臓器を提供することを、残酷だとかかわいそうだとか思うから、子供本人には黙っておいて、脳死になった子供の臓器を提供するのだとしたら、黙っていてもかわいそうなことをするのには違いないんだから、ただのごまかしです。

森岡さんへ
対案をまとめていますが、幼い子供の脳死後の臓器提供のところで煮詰まっています。
考えれば考えるほど、子殺しをするような気になってくる。でも、臓器移植で助かる子供がたくさんいるのだし。こういうのが無痛文明ということかしら、と今初めてわかったような気でいます。考えれば考えるほど痛い思いをする。(肩も凝るし!)
いろんな人が、臓器移植で助かる子供のことと、自分の意思とかかわりなく脳死後に臓器を摘出されることになる幼い子供のこととを考えながら、対案を作ってみて、痛い思いをすることがたいせつなのではないか、と思えてきました。
(いや、べつに文句を言ってるわけでは(^_^;))

> ジンジムさんへ
私は小学3年のときに、妹が4歳で死んでお葬式をあげて火葬にされて、家族皆と一緒に私自身もお骨を拾いましたが、あれは確かに大きなことでした。その前までは、死んだと聞いても眠っているようにしか見えなかったのにね。その後は、確かに妹はいなくなった。全然その姿はなくなった。それでも、その後2年間ぐらいは、どこからか妹が現われるような気がしていました。事実を知っていてもなお、勘違いなのか思い違いなのか、どこかに生きているような気がしたものです。

私も死後の検視解剖や献体はどんどんやったらいい、むしろするべきだと思います。どうしてテレビドラマで、解剖をいやがることを愛情の表現のように見せるのかしら。自分の場合は、脳死になったらもう、人工呼吸その他の管をつながれて生きていなくてもいいと思う。

脳死が難しいのは、それは生死の境目で、生還の可能性がごくわずかでもあるからです。
脳死判定にはミスも起こりうるし、脳死後に低体温療法などもありますから。
それと、落ち着いて死者のからだの側にいたい、という気持ちもだいじですから。
眠っているように見えるからねえ。



データ 投稿者:なおみ  投稿日:03月03日(金)11時06分43秒

ジンジムさんの意見は一理あるのですが、毎日新聞の世論調査では、脳死での臓器提供を「親が承諾すれば認めてもよい」に賛成48%だったんですよね。これってつまりは他人の子どもが臓器提供するのはよいが、自分の子どもは嫌ってことなんでしょうか?
「親が承諾すれば認めてもよい」という質問の仕方も、その裏に
「子どもの意思を無視している」
という事実が存在していることに気づかずに賛成してしまった人がいっぱいいるように思います。
質問の仕方を変えると、その都度、違った結果がでてしまうような気がする。
客観的データに乏しいのは、そのせいなんでしょうかねぇ。


追加 投稿者:ジンジム  投稿日:03月03日(金)10時10分07秒

我が子の臓器を提供したくない親(友人)の言葉に、
「いつまでも、成仏できないようで、いや」
というのがありました。

自分の親の葬式での経験を鑑みても、
焼かれて、骨になるのを、見る事が、
重要な「儀式」であると確信します。


逆効果 投稿者:ジンジム  投稿日:03月03日(金)10時05分14秒

日本人の、生死観というのは、国際的には、かなり特殊です。
#価値判断ではないです。少数派という意味です。
航空事故での、遺体の取り扱いが、全く違うようです。
だから、改正案での親権の尊重は、逆効果になると思います。
つまり、移植を拒否する親が、大多数です。実際は。

森岡さんは、自分の子供が生き続けるから、多くの親が移植に同意するとお考えのようですが、それは、誤った推論だと思います。

建前はいざ知らず、本音を聞ける友人に聞いてみたところ、
死んだ我が子の体にメスを入れてもいいという親は、私だけでした。
法的な検死解剖ですら、拒否で着るものなら、拒否したいのが、ニッポンの親なのです。
一度、親戚や、身近な知人に、聞き取りをしてみてはいかがでしょうか。

#私は、森岡さんより、さらに少数派だと思います。
#欧米的な、肉体機械論を支持しています。
#つまり、どんどん移植を勧めて欲しい側のものです。
#ココロは大脳の生理作用であるという考えで、霊魂の存在を否定します。

子供の意思の尊重という観点には、全面的に同調します。
私は、8歳からアイデンティティが確立しているという考えを支持するので、
ドナーカードは、10歳以上の子供なら、用意できた方がいいと思います。


toshikiさんへ 投稿者:てるてる  投稿日:03月02日(木)17時48分04秒

(1)脳死状態からの臓器提供についての意思表示を、義務づけてはならないと思います。

臓器を提供するかしないかどちらかの意思表示をせよと、義務づけてはならない、ということです。
どちらの意思も表示しない、つまり、ドナーカードを持たない権利と、ドナーカードを持っていても何も記入しない権利があり、その場合は脳死状態からの臓器の摘出をしないということです。

(2)そして、その意思表示は、脳死と心臓死の違いについて本人が理解しているということが
証明されないときは、無効とされるべきではないでしょうか。
ここでいう「意思表示」は、臓器を提供する、という意思表示です。

(1)と(2)の文を続けて同じ段落で書いたために、意味が曖昧になってしまいました。
御指摘ありがとうございました。


>みなさま 投稿者:kh  投稿日:03月02日(木)17時16分55秒

ここ数日休眠しておりましたm(_ _)m。

トライポッドのページは、少しだけ手を入れました。
まだまだ完成途上ですが、これで多少は見るにたえる状態になったかなと思います。

http://ishokuho.tripod.co.jp/
http://ishokuho.at.infoseek.co.jp/


none 投稿者:toshiki  投稿日:03月02日(木)14時18分42秒

(てるてる)
脳死状態からの臓器提供についての意思表示を、義務づけてはならないと思います。
ーーーー
意志表示を義務つけるということはどんな場合でも起こりえないのでは。

>そして、その意思表示は、脳死と心臓死の違いについて本人が理解しているということ
が証明されないときは、無効とされるべきではないでしょうか。
ーーー
賛成です。これは理想ですが、とても難しいことだと思います。


論座論文 投稿者:森岡正博  投稿日:03月02日(木)13時10分46秒

さっそくHPにアップしました。
どんどんリンクしてみなさんに読んでもらってください。

まだまだぜんぜん知られていないようです。悲しい・・・。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/kodomo.htm
http://www.lifestudies.org/jp/kodomo.htm


ジンジムさん 投稿者:森岡正博  投稿日:03月02日(木)12時33分04秒

はじめまして。
「子どもの権利条約」については、ここでの議論の発端となった拙論
「子どもにもイエス、ノーの意思表示の道を」『論座』3・4月号(2000年)における私の改正案反対根拠でもあります。まだ書店に売っていると思うので、ぜひご一読ください。近々、このHPにもアップします。児童の権利条約に関わっておられる方をご存じでしたら、ぜひ、拙論のことを教えてあげてください。よろしく。


こどもの権利条約違反 投稿者:ジンジム  投稿日:03月02日(木)10時22分28秒

友人の薦めで、こちらの掲示板を拝見しました。
まだ、多くのキーワードが謎ですが、
とりあえず、移植法改正案の中の15歳未満の項について、反対の意思を表明します。論拠は、その改正案が、明らかに、日本政府も批准している「こどもの権利条約」に違反しているからです。
特に、同条約第8条に掲げられたアイデンティティの尊重に抵触すると思われます。
#政府訳は、アイデンティティを、身元関係事項などとふざけた言葉に訳していますが。
また、改正手続きに関して、同条約第12条は、当事者(この場合、15歳未満の児童)の意思の
表明の権利を、認めています。
つまり、15歳未満の児童の意見を確認することが、改正に当たって必要だと述べられています。
一読したところ、この観点からの意見が出ていないようなので、とりあえず、書き込みます。

臓器移植の報道 投稿者:てるてる  投稿日:03月02日(木)07時57分33秒

「クローズアップ現代」では、臓器を摘出する側の病院では、救急医療に携わる医師が、命を助けることに全力を尽くす医療から、患者が脳死状態になったときに、ドナーになる意思表示をしていることがわかると、臓器移植へと切り替えなければならない、そのとき、割り切れない複雑な気持ちになる、と語っていました。積極的に臓器移植をすすめようとは思わない、しかし、患者さんがドナーになる意思があるのなら、その意思を遂げさせてあげようと思う、とも語っていました。

臓器提供側の病院にとっては、人手と費用がかかって、負担が重く、赤字が出たと言っていました。そこで、臓器移植ネットワークでは、100万円を上限に援助することを考えているそうです。

大阪の循環器病センターでは重い心臓病の患者さんが集まってきて、移植を待つ間、人工補助心臓を使っているという映像が流れていました。臓器が足りなくて、たとえ臓器の提供があっても自分に回ってくるかどうかわからない。そんな状況で待っている。部屋の中を歩きまわるぐらいしかできない。見ていて、つらいものがありました。

「ニュースステーション」では、人工心臓の開発や、臓器再生の研究などをとりあげていました。まだ2歳の子供が移植手術に成功し、自宅に帰って誕生日を迎えている映像もありました。どうしたものか日本国内で手術ができたようです。元気になっている姿を見てよかったと思いました。子供の移植手術が日本国内でできるようにすることは必要だと思います。

去年の臓器移植の成功例のあと、数ヶ月にわたって移植がないのは、脳死でドナーになる人がいたのに、いろいろな理由があってできなかったのだということでした。脳死でドナーに意思を表示していた9例のうち、脳死判定ができなかったもの4、ドナーカードの不備3、家族の反対1、15歳未満1でした。脳死判定ができなかったのは、耳の鼓膜が破れていたのが原因でした。

高知新聞社が高知赤十字病院での臓器提供のケースを取材した本では、提供者の家族は、「個人を特定する報道」「早すぎる報道」「死を待ち望む報道」に怒りを表わしたと書いていました。

> 森岡正博さんへ
うまくまとめられるかどうかわからないので、2,3日考えたいと思います。
もっといろいろ知っておきたいし…子供のことについては、自分の小学生時代の経験に基づいて考えているのです。死ぬのがこわくていつも考えていたとか、どうして他の人は平気な顔で生きているのか不思議だったこととか、妹が幼くして病気で死んだこととか。他の方々は子供の移植について、子供にとっての死について、どう思ってらっしゃるのでしょうか。


再びおじゃまします 投稿者:カエル  投稿日:03月02日(木)00時49分33秒

森岡さん、みなさん、こんばんは。
森岡さんのファンページをバージョンアップしてみました。
こちらのメイン掲示板を補完するかたちの、濃密会話用掲示板も設置しました。
どうぞご利用ください。
森岡さん、画像修正利用許可ありがとうございます。
Kael Studies Homepageはこちら↓です。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4728/
http://www.kinokopress.com/inko/jp/kael-index.html


南日本新聞夕刊 投稿者:匿名  投稿日:03月01日(水)22時23分17秒

脳死移植定着に暗雲 ・ドナーカード記入不備・柔軟性欠ける判定基準・負担大きく医師逃げ腰  という見出しです。

先日、ちょっと怒って医師への愚痴を書きましたが、現実は必ずしもそうではない医師の方々がおられると知り、反省。この新聞は、逃げ腰と書いてるけれど、単純にそうは言えないと思う。脳死移植の足踏み状態とも書いてあるが、藤田保健衛生大学神野哲夫救命救急センター医師は、日本での脳死移植が一般化するとは思わないというコメントでした。


sinochanさん、khさん 投稿者:森岡正博  投稿日:03月01日(水)21時56分28秒

>sinochanさん 
毎日新聞への寄稿、もう載ったのですか? 自分でまだ見てません(笑)。
じゃ、HPに掲載しようかな。

>khさん
その後、移植法改正反対サイトはいかがお進みですか?


てるてるさん 投稿者:森岡正博  投稿日:03月01日(水)21時52分52秒

>てるてるさん

改正案に反対する場合、対案をださねばなりません。
てるてるさんのご意見はよくまとまっていると思いますので、もしよかったら、ぜひ文章を練られて、わたしまでメールをいただけませんでしょうか? そしたら「てるてる」案として、まずわたしのHPに掲載したいと思います。khさんのサイトが出発したらそちらに掲載されるかもしれません。

大人の移植に関しては、てるてるさんとわたしのあいだには違いがありますが、こどもに
かんしては組めるのではないでしょうか。てるてる案には、子どもの場合と、大人の場合
の両方を併置する形がわかりやすくていいと思います。

ぜひご検討ください。


脳死状態からの臓器提供 投稿者:てるてる  投稿日:03月01日(水)19時24分04秒

以前、脳死状態からの臓器提供に同意する際の考え方として、
「私の人生は脳死状態になったら、ほんとうは後数分あるいは後数時間あるいは
後数日、人工呼吸器やいろんな器具に管でつながっていれば心臓が動いていら
れるのかもしれないけれど、それはもうはしょってもらってもいい」
ということを書いたのですが、もう少し、補足したいと思います。

脳死状態とは管だらけの数分間または数時間または数日の生だと私は思っていますが、だからといって粗末にしていいとは思っていません。心臓死の手前の百分の一秒間でさえ、脳は停止したと診断されていてもなお、どんなわずかな脳の働きで、あるいはどんな不思議な人体の働きで、その人の人生最後の夢を見ているかもわかりません。もしかしたらそれまでの人生を振り返る最も大切な夢を見ているのかもしれません。

そうして、そのときたまたま、非常に優れた医療と人の体の働きの不思議とが合致して、生死の境目から、もう一度生のただ中へ還ってくることさえあるかもしれません。

また、脳死判定でミスが起こることもあります。実際に今までにミスと思われることが起こっているし、たとえ、どんなに優れた医師がどんなに良心的に慎重に判定をしたとしても、人間である限り、どれほどかの確率で必ず起こるミスに、自分の場合が遭遇するかもしれない。

ドナーになる人は、そういう、死についてのいろいろな不可解さや医療ミスの確率のことを考えつつも、また、人によっては(私もそうですが)脳死状態の自分は生きていてまだ死んではいないのだと思いつつも、なお、移植を待つ人のことを考えて、その人々の役に立つならば、管だらけの数時間を捨てて、脳死状態での臓器提供に応じるのだと思います。
(私はまだドナーカードに何も記入していませんけれど)

どのように考えても覚悟しても、死を理解し受け入れることはとてもむずかしいから、脳死状態からの臓器提供についての意思表示を、義務づけてはならないと思います。
そして、その意思表示は、脳死と心臓死の違いについて本人が理解しているということが証明されないときは、無効とされるべきではないでしょうか。

たとえば、運転免許証も持っているとか、ドナーカードだけでなく、少なくとも、もう一つ、何らかの形で、その人がある程度の知識と年齢と正常な精神状態で意思を表示したのだということを証明するものを持っているべきだと思うのです。そして、ドナーになる決心をした人は、常に、ドナーカードともう一つの証明書類を持ち歩くべきだと思います。

ドナーカードに臓器を提供しないと表示している人は、もちろん、臓器を摘出してはなりませんが、ドナーカードに何も記入していない人も臓器を摘出してはなりません。
そして、ドナーカードを持っていない人の場合は、たとえ、家に臓器提供の意思表示をしたカードがあることがわかっていても、臓器を摘出してはならないと思います。

逆に、臓器提供の意思表示をしたカードを持っていたら、家族が反対していても、移植を実行するべきだと思います。そして、家族へのフォローをするべきだと思います。
現行のドナーカードには、本人の自筆署名欄と家族の自筆署名欄とがあります。
私は家族の自筆署名がなくても、本人の自筆で提供の意思が表示されていたら移植を実行するべきだと思います。

以上は、成人(20歳以上)の場合です。


非常に若い人の臓器移植 投稿者:てるてる  投稿日:03月01日(水)19時22分43秒

未成年(20歳未満)の場合、臓器提供には、本人の同意と、本人が脳死と心臓死の違いについて理解していることを示すものに加えて、更に、家族の同意もなければならないと思います。
あるいは、家族の代理の保護者の同意です。その人は成人で、脳死と心臓死の違いについて理解していなければならない。その人自身もドナーカードを持っていて、同意または不同意の意思表示をしていなければならない。

そして、15歳以下の人も意思表示できるようにするべきです。
私は、13歳以上の人が臓器を提供する意思がある場合は、成人と同じドナーカードを持ち、成人と同じように自分でドナーカードを持ち歩かなければならないと思います。
13歳未満の人がドナーカードを持つ場合は、そのカードは、子供用の、つまり、漢字にふりがながふってあるとか、子供にも理解できるように工夫されたカードでなければならないと思います。
もし、臓器を提供しないと記入した子供用のカードを13歳以上の人が持っていたら、
それは有効にするべきです。
しかし、臓器を提供すると記入した子供用のカードを13歳以上の人が持っていても、
それは無効にするべきです。

13歳未満の人が、臓器を提供する意思を持っていても、いつもカードを持ち歩くのはむずかしいと思います。だから、家に置いてあってもいいことにすればいいと思いますが、なくした場合はもちろん無効です。
7歳未満の子供の場合は、親が子供の分のドナーカードに記入するしかないと思います。
それでも、というよりそれならばなお、子供自身が、脳死と心臓死の違いはわからないまでも、どれだけ、死について理解しているか、示すものが必要だと思います。

たいへん幼い子供の場合、本人の意思を示すものは何も用意できません。親(代理の保護者)が子供の分のドナーカードに記入するうえに、その子供の生と死について、どう考えているのか、示すものが必要だと思います。

現実に、自分の子供を愛さない親がいます。
13歳未満の人が、臓器を提供する意思を表示したドナーカードを持っていても、
あるいは、
7歳未満の人の臓器提供に同意するドナーカードを親が持っていても、さらに、親以外の
第三者の同意が必要だと思います。
たとえば、その子供のかかりつけの医者とか、学校の担任の先生とか、保母さんとか。

成年であっても未成年であっても、運転免許の発行や更新のときに、免許証と一緒に、
ドナーカードを配布すべきだと思います。誰かを交通事故で殺してしまうかもしれない
可能性に踏み込んだら、少なくとも、ドナーになるかならないか考える義務を負うべき
ではないでしょうか。
また、成年でも未成年でも、自殺(正確には自殺未遂)で脳死状態になった場合は、
ドナーカードに臓器提供の意思を表示していても、移植してはならないと思います。


はじめまして。3月1日の毎日新聞の 投稿者:sinochan  投稿日:03月01日(水)18時49分06秒

毎日新聞だったと思いますが、、、間違っていたら失礼しました。
こころのナントカという寄稿をされましたよね。
あれは、ここに転載されるのですか?

15歳未満の子ども 投稿者:森岡正博  投稿日:03月01日(水)16時40分13秒

患者団体の方々が要望書を出したようです。

     ________________

     共同通信ニュース速報

      臓器移植法に基づく初の脳死からの臓器提供から丸一年を迎えた
     二十八日、日本移植者協議会など移植関連の八患者団体が、十五歳
     未満の小児についても脳死での臓器提供を可能にすることなど、移
     植医療の改革を厚生省に要望した。              
      施行から三年たつ今年十月をめどに行われる同法見直しへ向けた
     運動の一環。                        
      要望書は、施行二年半で移植法のさまざまな問題点が浮き彫りに
     なったと指摘。特に十五歳未満は脳死での臓器提供が認められてい
     ないため、国内で幼い子供への心臓移植ができず、いまだに海外に
     活路を求めざるを得ないとして、提供を可能にするよう求めた。 
      このほか(1)すべての臓器移植への健康保険適用(2)地域的
     不公平解消に向けた移植施設と提供施設の拡大(3)救急施設に対
     する意思表示カードの有無確認の義務付け―などを要望した。  
      会見で八団体は「要望書提出の際、厚生省に政府として移植法見
     直し案を提案できないのか尋ねたが『生命倫理にかかわる法律は難
     しい。国会で議員に提案してもらいたい』ということだった」と話
     した。                           
      また八団体は「昨年六月以降八カ月間、脳死下での提供は全くな
     い。移植に対する理解は深まっていながら、実際には提供に結び付
     いていない。提供意思を十分生かせるよう、関係者の努力と協力を
     お願いしたい」とする声明を発表した。  
     _____________________

活動が活発化してきましたね。どうしましょうか。


無題 投稿者:toshiki  投稿日:03月01日(水)14時46分57秒

皆さんのお考え、それぞれ一理あると思います。
一方で、先天性の疾患でなくなりつつある子供たちが移植によって再生できるということも事実です。むしろ、成人よりもこどもの移植の方が切実さの点で勝っているかもしれません。この改正案がこんなに早期にも提出されてきたのも関係あるかもしれません。しかし、脳死法案が成立している現在、これを15歳以下に拡大しようというこの改正案は非常にたやすく可決してしまうと予想されます。

ドナーへの視点だけでなく、レシピエントへの視点も総合的に脳死移植を見るときに必要だと思います。マスコミと移植推進派の医師があいたずさえて、意図的にレシピエントの状況を扇情的に強調するのに惑わされるべきではないと思いますが。

話がやや飛躍しますが、移植を受けたいと願う人の間の不公平性も(移植が受けられて助かった人、受けられない人の間の)絶対的ドナー不足の中、問題だと思います。


どっちつかず 投稿者:なおみ  投稿日:03月01日(水)11時34分43秒

私もてるてるさんの考え方に基本的に同意します。でも、心のどこかに生きている人達の意思を最優先させたいという気持ちもあります。だから、まだ、「改正案には反対」とはっきり言うことはできません。子どもの移植が親の承諾だけで行われることには、「子供の人権を無視している」という嫌な気分にさせられます。でも、下限年齢を決めることにも抵抗感があります。これは少年法などでも問題になっていることですが、年齢で線を引くことってとても難しいですよね。

「子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示の道を」
(森岡正博、『論座』2000年3・4月合併号)