森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2000年02月10日〜02月16日

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カエルさん 投稿者:森岡正博  投稿日:02月16日(水)23時14分19秒

ぶっとびのファンページですねえ(^^;)。
みなさんもぜひ盛り上げていきましょう。
しかし、・・・・・なんでカエルなの??

森岡さんのファンページ開設しました! 投稿者:カエル 投稿日:02月16日(水)17時34分30秒

お話が盛り上がっている中、失礼します。

森岡さん、こんにちは。
みなさん、はじめまして。
カエルと申します。
このたび、森岡正博さんのファンページを開設しました。
内容は主に2つの掲示板で成り立っております。
その名も「お気軽ケロケロコーナー」と「ケロケロ情報コーナー」です。
オフィシャルの森岡さんページに比べて、あまりに軽いノリに驚かれる方も
おられるかもしれませんが、どうかみなさん大目にみてくださいまし・・。
どんな方でも森岡さんのことに関して気楽に書き込める掲示板を目指していきます。
当サイトはみなさんの書き込みがすべてなのです。
お待ちしています。

P.S 森岡さん、快く開設許可していただきありがとうございました。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/4728/
http://www.kinokopress.com/inko/jp/kael-index.html


もしも 投稿者:匿名  投稿日:02月16日(水)08時41分08秒

ドナーカードでの移植の意志表示をしているある人が,救急病院へ運び込まれた。臓器提供を待ち受けている人としていわゆる国民的に指示されるお方がおられた場合,究極の治療をすれば脳死に至らないはずの人を,意図的に究極の治療をしないまま脳死に至らせるという,人間の恐さもあるのですが・・・これは,どこかで討論されていませんでしたっけ。
親子の場合も,保険金殺人事件があるように,似たことにもなりかねないと・・思ったのでした。

補足です 投稿者:てるてる  投稿日:02月14日(月)07時29分10秒

子供の場合は、親の同意も必要だろうと思います。それは、15歳以下よりも年齢を上げた方がいいんじゃないか、18歳にしたほうがいいんじゃないか、と思います。
中村智恵美さんが指摘された、家族間暴力の問題もあるし、親の離婚再婚など、いろいろな事情のある家族もあるはずですが。

家族・親権者 投稿者:中村智恵美  投稿日:02月14日(月)00時29分28秒

>てるてるさん
レスありがとうございます。みなさんの投稿を拝見していると、私なんか、まだまだ修行が足りないんだなあと感じますね。

>森岡正博先生
読売新聞の記事をみて、家族とか親権者について少し考えています。最近の社会問題として取り上げられている、DV(ドメスティックバイオレンス)や児童虐待のことを考えると、加害者はというと、DVではパートナーですし、児童虐待では多くの場合が実の親である訳ですよねえ。まさに「臓器移植法」の見直しで焦点となるであろう「家族」や「親権者」なんですよね。こういう面からも、考える必要があるのかな・・・と思っています。


本人の意思表示 投稿者:てるてる  投稿日:02月11日(金)22時04分57秒

> 中村智恵美さん
くわしい御報告、ありがとうございました。遺族の範囲も教えていただいて、ありがとうございました。現行のドナーカードについての解釈は、おっしゃる通りだと思います。死という現象は、家族、というより関係者が、個人と共有するものだという考え方はわかります。

> 森岡正博さん
読売新聞のサイト、読みました。
15歳以上でも本人が意思表示をしていない場合、家族が同意すれば臓器を提供させる、
15歳以下は、本人に意思表示をさせず、家族が同意すれば臓器を提供させる。
どちらも、本人の意思をないがしろにしていると思います。

私は、本人の意思をないがしろにする行為には、あくまでも本人の意思を尊重する、ということで対抗するべきだと思います。
私には、はじめ、なおみさんがおっしゃった、現行法では解決できない、臓器不足解消への代案、ということは考えにくかったのですが、代案が必要だという立場に対して、現行法で規定している家族が反対しても、本人が提供の意思表示をしていれば提供する、ということに変える、15歳以下にも、ドナーカードを持つ権利を認める、ということを代案として出したらどうか、と思うようになりました。なおみさんのおっしゃる通り、たいして臓器提供がふえないかもしれませんが、それはそれでいいのだと思います。

政府が家族重視と見える改正案を出してくるのは、日本では個人が家族に抑圧されているということをよくふまえて利用しているのだと思います。
結局、個人重視を打ち出すことが、生命尊重につながるのではないでしょうか。


記事全文 投稿者:森岡正博  投稿日:02月11日(金)17時53分26秒

下の記事の全文が、読売新聞のHPに載っています。見てください。

http://www.yomiuri.co.jp/newsj/0211i403.htm


臓器移植法見直し案が、とうとう出ました!!! 投稿者:森岡正博 投稿日:02月11日(金)16時26分11秒

読売新聞からの11日付の配信のようです。

     ________________________
     ◆脳死移植、15歳未満認める提言

      現行の臓器移植法で認められていない十五歳未満の脳死での臓器提供について、
     厚生省の「臓器移植の法的事項に関する研究班」(班長=町野朔・上智大教授)
     は、「生前または死後に親権者の同意があれば、十五歳未満でも提供は可能」とす
     る「特則」を設けた法改正を試案として盛り込んだ提言案をまとめた。

     ____________________________

なんというグッドタイミング。論座、読んだんか??
私は反対するぞ! みなさんも、社会的議論にぜひ参加を!


お詫びと訂正 投稿者:中村智恵美  投稿日:02月11日(金)05時36分05秒

「臓器の移植に関する法律」について(その2)で書き込みました、旧法である「角膜及び腎臓に関する法律」についてですが、現行法の施行の日をもって廃止すると記されていますが、「経過措置」という但し書きがあり、当分の間、旧法の死亡した者が生存中に眼球又は腎臓を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している以外の場合であって、遺族が当該眼球又は腎臓の摘出について書面により承諾しているときにおいて、移植術に使用されるための眼球又は腎臓を死体から摘出ことができるとする条文は、現在も有効のようです。ここに、訂正してお詫び致します。

また、(その3)以降の(締め括り)部分については、もう少し時間を頂きたいと思います。異論、反論、他の議論をお願いします。


「臓器の移植に関する法律」について(その3) 投稿者:中村智恵美  投稿日:02月10日(木)11時56分27秒

「臓器の移植に関する法律」が施行されてから今年で三年目を迎えている訳ですが、
<第一例目は、平成十一年三月のことでしたので、施行後一年五ヵ月を経過していたことに
なります。その後、現在まであわせて四例が実施された訳ですが、これまでマスメディア等を通して私たちに伝わってきたものは、臓器提供施設(脳死判定実施施設)の混乱ぶりであり、臓器移植実施施設との医療レベルの落差ではなかったかと思います。臓器提供施設の条件は、「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)によると《概説》
(1) 臓器を提供するために必要な体制が確保され、かつ脳死者からの臓器摘出に関して合意が得られていること。(2) 適正な脳死判定を行う体制があること。(3) 救急医療において高度の医療を行う施設であること。「高度の救急医療」が行える施設とは、大学附属病院、日本救急医学会の指定施設、日本脳神経外科学会専門医訓練施設(A項)、救急救命センターとして認定された施設となっています。平成九年の施行時のガイドラインでは、「最初の数例は、大学附属病院と日本救急医学会指導医指定施設に限る」という旨のただし書きがあり、臓器提供施設は、わずか96施設にすぎませんでしたが、その後、平成十年六月に厚生省は、ガイドラインを改正して前述のただし書きを削除し、その結果、平成十一年十一月の時点で全国371施設に達しているとのことです。

厚生省保健医療局臓器移植対策室が、平成十一年四月現在で実施した調査によると(当時の指定施設353施設のうち、有効回答数336施設)、臓器提供施設の体制が整備されていると回答した施設が236施設(70.2%)、未だ整えていないが今後整える予定と回答した施設が97施設(28.9%)。整えておらず今後も整える予定がないと回答した施設が3施設(0.9%)であったとのことです。「臓器移植法」が実際に施行されてから、すでに一年半が経過しているにも拘わらず、未だに30%の当該施設が未整備の状況であるという現実を、私たちは看過してはいけないと思います。体制が整備されていると回答した臓器提供施設の実態はどうなのでしょうか。脳死判定にかかわる医師は、本当に判定手法とその意義について充分に熟知しているのでしょうか。臓器移植に全面的支持を表明している日本麻酔学会は、脳死ドナーからの臓器摘出時の麻酔に関して、詳細なガイドラインあるいはマニュアル等を作成し、当該施設等に配布しているのでしょうか。今回の「臓器の移植に関する法律」を見直すにあたって、全ての臓器提供施設において、その医療レベルに落差のない充分な体制の整備が強く望まれます。

また、政府あるいは厚生省や各関係機関は、「臓器の移植に関する法律」の施行から現在に至るまで、ドナーカードの普及および臓器移植ネットワークの整備のために、最大限の措置を講じてきたのでしょうか。現在、十五歳以上の国民の間でのドナーカードの所持率は、いったいどの程度なのでしょうか。(以下、つづく)


「臓器の移植に関する法律」について(その2) 投稿者:中村智恵美 投稿日:02月10日(木)11時28分28秒

「臓器の移植に関する法律の運用に関する指針(ガイドライン)」では、遺族及び家族の範囲に関する事項として、臓器の摘出の承諾に関して法に規定する「遺族」の範囲については、一般的、類型的に決まるものではなく、死亡した者の近親者の中から、個々の事案に即し、慣習や家族構成等に応じて判断すべきものであるが、原則として、配偶者、子、父母、孫、祖父母、及び同居の親族の承諾を得るものとし、喪主又は葬祀主宰者となるべき者において、前記の「遺族」の総意を取りまとめるものとすることが適当であること。ただし、前記の範囲以外の親族から臓器提供に対する異論が出された場合には、その状況等を把握し、慎重に判断すること。脳死の判定を行うことの承諾に関して法に規定する「家族」の範囲についても、前記の「遺族」についての考え方に準じた取り扱いを行うこととあります。

本法律が施行される以前には、死体からの臓器の移植に関する法律として「角膜及び腎臓に関する法律」(昭和五十四年制定)があり、死亡した者が生存中に眼球又は腎臓を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している以外の場合であって、遺族が当該眼球又は腎臓の摘出について書面により承諾しているときにおいて、移植術に使用されるための眼球又は腎臓を死体から摘出ことができるというものでした。

いわゆる従来からの心臓死の場合、死者の生存中の意思表示は優先的に尊重されなければならないけれども、同時に遺族の意思も尊重し、妥協的立法をとっていると解釈できます。また、死体に関する権利については、学説判例から、葬祭を営む権利、死体・遺骨を管理したり処分する権利をめぐって、遺族にその権利があるとしているようです。この場合の遺族とは、配偶者や子のように死者と一定の身分関係があり、その者と生計維持を共同にしており(扶養関係)、情緒的精神的な結びつきなどにより決められる者というのが一般的とされているようです。旧法の解釈から考えると、死者が生前、角膜及び腎臓に関して死後(この場合は心臓死)に提供する、しないの意思表示をいていなかった場合でも、遺族が書面で承諾することによって、臓器の摘出が可能であったということです。
この旧法は、現行法の施行の日をもって廃止されました。(以下、つづづく)


「臓器の移植に関する法律」について(その1) 投稿者:中村智恵美 投稿日:02月10日(木)11時24分53秒

平成九年七月十六日に「臓器の移植に関する法律」が公布されましたが、これは死亡した者が生存中に臓器を提供する意志を書面(たとえばドナーカードなど)で表示している場合で、しかも遺族が当該臓器の摘出を拒まないときに、死体(脳死した者の身体(以下脳死体)を含む)から臓器を摘出できるとするものです。

ここでの脳死体の定義は、脳死体とはその身体から移植術に必要な臓器が摘出されることとなる者であって、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいっています。つまり、このことは医学的に脳死と判定されたとしても、移植術のために臓器が提供されない身体は、脳死体とはならないことを意味します。また、当該者(ドナーとなりうる者)が、臓器の提供の意志を書面で表示しており、かつその家族が脳死判定を拒まないときに限り、脳死判定が可能となるというものです。

この法律は、公布の日から起算して三月を経過した日から施行されました。そして、この法律による臓器の移植については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとする。また、政府は、ドナーカードの普及および臓器移植ネットワークの整備のための方策に関し検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとするとあります。

この現行法は、私にとっては納得できるものでした。「わたしの命はわたしひとりのものであり、わたしひとりのものでない。」という、森岡先生や柳田邦男氏の言われているような「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」という概念は、私たちの社会に深く浸透していると思われるからです。本人がそれを希望し、且つ、その人との生を密に共有した家族が、それを拒まない時に限って「脳死」という死の形が成立すると解釈できるからです。

現行法では、私が死ぬとき「わたしは心臓死でなくて、脳死の状態でも死と認めますよ。そして、わたしのこの臓器が生かせるのならどうぞ使って下さい。」「わたしは心臓死となって死にたいですよ。だけど、まだ生かせるこの臓器はどうぞ使って下さい。」「わたしは心臓死となって死にたいし、臓器もそのままでそっとしておいて下さい。」という三通りの意思表示が可能だということだと解釈できます。そして、その他の意思表示として、ドナーカードを白紙状態で所持している場合は「わたしはこの問題に関心がありますよ。でも、まだ心が決まりません。」ドナーカードを所持していない場合は「わたしはこの問題に関心がありません」「わたしの問題としてまだ考えられません」「わたしは意思表示をしたいけれど、まだそれができる年齢に達していないらしいのです」といった意味合いに解釈できるのではないでしょうか。勿論、いまだにドナーカードの存在すら知らないという人たちも、少なからず存在すると思われます。しかし、わが国のこの現行法の施行までには、それまでの背景を踏まえて多くの人たちの議論の集積があり、自分自身の意向を生前に表明しておけるという点で、評価できるものではないかと考えています。


森岡先生、みなさま 投稿者:中村智恵美 投稿日:02月10日(木)11時11分33秒

『 論座 』59号、p.200 - p.209、朝日新聞社、2000.
「子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示を:三年目を迎えた臓器移植法」と題する、森岡先生の今回のご提言について、自分なりに考えてみようと思い「臓器の移植に関する法律」を見直しながらまとめている間に、掲示板でのみなさまの議論がどんどん進んでいて、ついて行けない状態になってしまっていますが、「家族」の規定についての話題がありましたので、これまでまとめたものをアップさせていただきます。

家族について 投稿者:森岡正博  投稿日:02月10日(木)08時45分02秒

家族か、関係者かということですが、これは私が「脳死の人」を書いたときからずっと私の中で問題になっていたことです。結論から言うと、私は、「自分のことを大切に思い、自分が大切に思っているところの大切な人々」という規定が最善だと思っています。
だから「関係者」案に、じつはいちばん近い。

そのうえで、現行法改正をどう阻止するかという観点からは、まずは「家族」というラインで防御しようと思います。「家族」を上記の概念に変更させるのは、さらにその先でのことではないかと思います。いかがでしょうか。

<ちなみに臓器移植法ガイドラインでは、家族の規定が書かれています。
2親等以内だったかな、ちょっといま手元に資料がないので不明確。
家族の意見は、喪主がまとめるとか書いてありますよ。私はこの箇所はおおいに疑問です。


レス3件です 投稿者:てるてる  投稿日:02月10日(木)01時28分39秒

> 森岡正博さん
> ドナーカードの裏に、「この人のことは私は家族と認めません」と記入する
> 欄があるとしたら。

一考に価すると思います。ただ、どうでしょう。たとえば、USAは、ステップファミリーが
多いですね。そこで、本人の意思を優先し、家族の同意を移植の条件としていないのは、
個人主義の文化もあるでしょうが、それとともにやはり、それが実際的だという側面も
あるのではないでしょうか。

> なおみさん
1)2)とも賛成です。

> ららさん
まさか、あやまっていただくことはありません。私が怒ったような書き方をしたようです。
すみませんでした。

> 脳死になってしまった私にはもはや「過去に表明し書き残した意思」と、
> 「臓器移植を執行する他人」へと自分の身体をゆだねるしか方法がない。

> だからゆだねられた他人は脳死の人の臓器を「いったいどうするのか」
> ということを真剣に考えてほしい、と思うわけです。

同感です。

> 森岡さんのドナーカードへの記入もいいですが、単純に「関係者」でも
> いいかな、と。

森岡正博さんへのレスで書いたのと同じように、一考に価すると思います。


マンさん 投稿者:らら  投稿日:02月10日(木)00時29分43秒

レスをありがとうございます。
ただ、文脈を読んでレスしていただけるとありがたいのですが。
命の連続性については、てるてるさんの「その人がわたしのぶんまで息をしてくれる」
という話しからきています。もし臓器移植をしなければ死んでしまうその人の命が、
移植によって続く、そういうことです。さすがにマンさんのように、臓器を機械とは
思えませんが、臓器に意識があるとも思っていません。
マンさんのおっしゃる「科学が生命を解明しパースペクティブがひろがる」につれ、
人間は人間のある部分を如何様にも物扱いできるようになるかもしれない、
この身体を「物体といのち」というように二元論的に捉えて行くイメージを、
グノーシス的と言わせてもらいました。今一つ説明としてしっくりきていないのですが。

「臓器の移植に関する法律」(平成九年七月十六日公布)

死亡した者が生存中に臓器を提供する意志を書面(たとえばドナーカードなど)で表示している場合で、しかも遺族が当該臓器の摘出を拒まないときに、死体(脳死した者の身体(以下脳死体)を含む)から臓器を摘出できるとする。

ここでの脳死体の定義は、脳死体とはその身体から移植術に必要な臓器が摘出されることとなる者であって、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいっています。つまり、このことは医学的に脳死と判定されたとしても、移植術のために臓器が提供されない身体は、脳死体とはならないことを意味します。また、当該者(ドナーとなりうる者)が、臓器の提供の意志を書面で表示しており、かつその家族が脳死判定を拒まないときに限り、脳死判定が可能となるというものです。

この法律は、公布の日から起算して三月を経過した日から施行されました。

この法律による臓器の移植については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとする。また、政府は、ドナーカードの普及および臓器移植ネットワークの整備のための方策に関し検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。

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「臓器の移植に関する法律の運用に関する指針(ガイドライン)」

遺族及び家族の範囲に関する事項として、臓器の摘出の承諾に関して法に規定する「遺族」の範囲については、一般的、類型的に決まるものではなく、死亡した者の近親者の中から、個々の事案に即し、慣習や家族構成等に応じて判断すべきものであるが、原則として、配偶者、子、父母、孫、祖父母、及び同居の親族の承諾を得るものとし、喪主又は葬祀主宰者となるべき者において、前記の「遺族」の総意を取りまとめるものとすることが適当であること。ただし、前記の範囲以外の親族から臓器提供に対する異論が出された場合には、その状況等を把握し、慎重に判断すること。脳死の判定を行うことの承諾に関して法に規定する「家族」の範囲についても、前記の「遺族」についての考え方に準じた取り扱いを行うこと。

本法律が施行される以前には、死体からの臓器の移植に関する法律として「角膜及び腎臓に関する法律」(昭和五十四年制定)があり、死亡した者が生存中に眼球又は腎臓を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している以外の場合であって、遺族が当該眼球又は腎臓の摘出について書面により承諾しているときにおいて、移植術に使用されるための眼球又は腎臓を死体から摘出ことができるというものでした。

いわゆる従来からの心臓死の場合、死者の生存中の意思表示は優先的に尊重されなければならないけれども、同時に遺族の意思も尊重し、妥協的立法をとっていると解釈できます。また、死体に関する権利については、学説判例から、葬祭を営む権利、死体・遺骨を管理したり処分する権利をめぐって、遺族にその権利があるとしているようです。この場合の遺族とは、配偶者や子のように死者と一定の身分関係があり、その者と生計維持を共同にしており(扶養関係)、情緒的精神的な結びつきなどにより決められる者というのが一般的とされているようです。旧法の解釈から考えると、死者が生前、角膜及び腎臓に関して死後(この場合は心臓死)に提供する、しないの意思表示をいていなかった場合でも、遺族が書面で承諾することによって、臓器の摘出が可能であったということです。
この旧法は、現行法の施行の日をもって廃止すると記されていますが、「経過措置」という但し書きがあり、当分の間、旧法の死亡した者が生存中に眼球又は腎臓を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している以外の場合であって、遺族が当該眼球又は腎臓の摘出について書面により承諾しているときにおいて、移植術に使用されるための眼球又は腎臓を死体から摘出ことができるとする条文は、現在も有効。

臓器提供施設の条件は、「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)によると《概説》

(1) 臓器を提供するために必要な体制が確保され、かつ脳死者からの臓器摘出に関して合意が得られていること。 (2)適正な脳死判定を行う体制があること。 (3) 救急医療において高度の医療を行う施設であること。「高度の救急医療」が行える施設とは、大学附属病院、日本救急医学会の指定施設、日本脳神経外科学会専門医訓練施設(A項)、救急救命センターとして認定された施設となっています。

平成九年の施行時のガイドラインでは、「最初の数例は、大学附属病院と日本救急医学会指導医指定施設に限る」という旨のただし書きがあり、臓器提供施設は、わずか96施設にすぎませんでしたが、その後、平成十年六月に厚生省は、ガイドラインを改正して前述のただし書きを削除し、その結果、平成十一年十一月の時点で全国371施設に達しているとのことです。

厚生省保健医療局臓器移植対策室が、平成十一年四月現在で実施した調査によると(当時の指定施設353施設のうち、有効回答数336施設)、臓器提供施設の体制が整備されていると回答した施設が236施設(70.2%)、未だ整えていないが今後整える予定と回答した施設が97施設(28.9%)。整えておらず今後も整える予定がないと回答した施設が3施設(0.9%)であったとのことです。

「臓器移植法」が実際に施行されてから、すでに一年半が経過しているにも拘わらず、未だに30%の当該施設が未整備の状況であるという現実を、私たちは看過してはいけないと思います。体制が整備されていると回答した臓器提供施設の実態はどうなのでしょうか。脳死判定にかかわる医師は、本当に判定手法とその意義について充分に熟知しているのでしょうか。臓器移植に全面的支持を表明している日本麻酔学会は、脳死ドナーからの臓器摘出時の麻酔に関して、詳細なガイドラインあるいはマニュアル等を作成し、当該施設等に配布しているのでしょうか。今回の「臓器の移植に関する法律」を見直すにあたって、全ての臓器提供施設において、その医療レベルに落差のない充分な体制の整備が強く望まれます。

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(以上、中村智恵美さんによる)